魔法少女リリカルなのは 短編







 アリシア.5


 患者に対して親身になる。石田医師へのシャマルの評価は、なるほど的を射ている。
 身体を弛緩させている倦怠感。身体の密度が唐突に増したような重量感。溜息を我慢できず、ロビーで精算を待っている間、診断を終えて戻って来たフェイトと 肩を並べていても深く重い嘆息が唇からこぼれてしまう。

「どうして待ってただけのクロノが疲れてるの?」

 おどけるフェイト。確かに半日近く検査に費やした彼女と比べれば、待っていただけの自分の疲労感なんて鼻先で笑い飛ばせる程度のものかもしれない。
 けれど、朝から西日に傾きつつある時刻になるまで待ちぼうけ、というのは割と精神的に応える。時間の潰し方はそれなりに心得ているし、それだけの待ち時間 を要求されるのなら一旦帰宅すれば済む問題だった。そうできなかったのは、件の神経内科の女医に首根っこを引っ掴まれてしまった為。
 
「いや。まぁ、ちょっとな」

 一応の笑顔で誤魔化す。無論彼女には嘘は筒抜け状態。怪訝そうに柳眉を顰められた。
 石田医師にはシャマルが懸念した通り、ひたすら説教された。昼を回り食事休憩を挟んでもらったが、逆に言えば食事休憩を挟んでも説教は終結しなかった。
 まずは『フェイトちゃんとはどのようなご関係ですか』と慇懃な態度で質問から始まり──質問というよりも詰問だった──義理の兄ですと即答すれば、取調室に 放り込まれた被疑者みたいな手荒な扱いをされた。あの子の年齢を考えているのですかだの、明らかに犯罪ですだの、定職には就いているのですかだの、烈火の憤怒 に滅多打ちにされた。
 色々と心当たりのある方面すら抉りに抉られ、フェイトの診断が終わった知らせが届いてようやく解放されたのだが。この前偶然見た世界ボクシングタイトルマッ チの挑戦者の気分が痛いほど理解できた。圧倒的な強さを誇示するチャンピオンに、勇猛果敢に立ち向かい、12ラウンドTKO勝ちをもぎ取ったあの挑戦者は、き っとこんな疲労感に苛まれたに違いない。相違点とすれば、こちらの気分が全く晴れやかではないという点だ。先ほどシャマルに連絡を取った時にもう少し愚痴てお けば良かっただろうかと後悔する。

「石田先生に何か言われた?」

 滲む疲れから想像したのか、フェイトが微笑む。

「……かなり。警察に通報される寸前だった」
「こっちの世界だと、何だっけ。同意の上でも私の歳とクロノの歳じゃ、えーと……み、淫らな行為をとかそういうの?」
「……そういう事に、なる」

 二人で揃って周囲に鋭い視線を向けて。知人なんて誰一人としていなければ、こちらの様子を不躾に窺って来る不埒な輩がいないか確認をする。
 問題無し。これまら揃ってホッと一息をつく。

「……でも、好きな人とは……やっぱり、ぎゅってしてもらいたいかな」
「君のその言葉と実際の行動は、その、随分と差があるが?」
「だ、だって。そ……それに、クロノだって一昨日とか」

 それについてはクロノは弁明のしようが無い。ぐっと呻いて、あの時の身勝手な逃避選択を選んでしまった自分に恨み言の一つでも心中で呟きながら、大人しく謝 罪しておこうと決めた時。ハラオウンの名を館内放送が読み上げた。一緒に受付に行こうとすると、今日一日で戦慄の代名詞という印象を植え付けてくれた女医が白 衣を靡かせて現れる。
 身体を強張らせて身構えてしまうクロノに、石田医師が言った。

「クロノさんは、こちらです。フェイトさん、ちょっと彼をお借りしますね」
「は、はい」

 不機嫌と不満を隠しもせず、眉間に縦皺を刻む石田医師。さすがに気圧されるフェイトに、クロノは財布を渡すと、正面玄関を通って外に出てゆく女医の背を追った。
 傾きかけている陽の光に眼を細めて。敷地内の駐車場まで来ると、彼女は足を止めて振り返り。

「先ほど、診察を終えた後にクロノさんにだけお伝えした病名についてですが」

 不愉快な感情が、女医の顔から消えた。
 漂うのは微かな緊張感。

「ターナー症候群、ですか?」
「はい。お話した通り、不妊症の中で最もポピュラーな症状で、回復の可能性も、あるにはありますが非常に低い病気です。まだ断定はできませんが、ほぼ間違いな いと思います」

 今はまだ予測と予想の上での話。けれど、ほぼ確定している事項。これを前提に話を進めてしまっても、特の問題も無い。
 治癒の可能性も。自然妊娠の可能性も。極端に低い事も、ほぼ間違いのない事実。
 そこだけが、今は気がかりだ。

「あの子に話すかどうかは」
「僕が、決めます」
「………」
「あの子の事は、あの子だけの問題じゃない。僕の問題でもあるんです」

 石田医師は何度も眼を瞬かせる。クロノを精神的に満身創痍にした瞳からは、あの時とは違っている。敵意や憤怒の類は、翳も残していない。
 彼女にとって、自分は相当な不届き者に映っていたのだ。一五歳の少女が不妊症に悩んで独りで産婦人科を訪ねて来て、優しく諭してやった翌日に愛する異性を連 れて再び現れた。それが義理の兄と来ているのだから、こちらの人間にとってはさらにまともな人間には思われなかったはずだ。独断と偏見で定職にも就いていない、 いい加減な男と目されたに違いないが──。

「……ごめんなさい。クロノさんの事を、色々誤解していました」

 その謝罪を聞けば、これからも安堵してこの病院を頼りにできるというものだった。

「いえ。あまり褒められるようなものでもないと、自覚はあります」
「まぁ、そうですね。何事もほどほどにですよ。いくら愛していても、です」
「……はい」
「検査結果が出し次第、ご連絡します」
「お願いします」

 互いに頭を下げてロビーに戻ると、精算を終えて待っていたフェイトが飼い主を見つけた仔犬のようにとことこと歩み寄って来て、どこか慌てた素振りで手を繋ごう とする。
 心細かったのだろうか。一生懸命な彼女にちょっとした意地悪をしてやりたくもなったが。石田医師が微笑ましく眺めている手前、やめておいた。



 ☆



 彼女に伝える事に迷いは無かった。
 恐れを覚える事なんて。二の足を踏む事なんて。自分達の間には無いのだから。
 ただ──。

「フェイト。ちょっと不謹慎だぞ?」
「え? あー、うん。それは分かってるんだけど」

 こう奔放に振舞われては、決意を固めて密かに意気込む自分が気負いし過ぎている気がして来た。
 実際に気負いはしていると思う。けれど、事が事だ。緊張しない人間の感性は鈍感を通り越しているだろう。
 ならば、ご機嫌の足取りで歩道を行き、リードを緩められた散歩中の仔犬みたいに病院からほど近い繁華街を闊歩しているフェイトは、鈍感を通り越した感性の持ち 主なのかと言われれば、答えは無論否という訳で。

「こうやってクロノと海鳴を歩くのって、殆ど無かったから。嬉しくて」

 嗜めてようとすれば、そんな赤面ものの殺し文句を何でも無く言って来る。
 陽の光に輝く金色の長髪や、その風貌から、人目が自然とフェイトに流れる。制服を着ていれば歳相応かもしれないが、今は落ち着いた意匠の私服。管理局でも本来 の歳より三つ四つ上に見られる事も珍しくないフェイトは、今はクロノと肩を並べて歩いても年の差は殆ど無い。
 ブティックのショーウィンドゥに映り込むそうした自分の姿に、フェイトは眼を細めてロングスカートを摘んだ。

「今度のデートはこういうのでもいいかな?」
「着飾っても、君は充分一五歳以上に見えるさ」
「じゃ、今度コーディネートにご協力下さい」
「そういう感性が死んでいる僕にそれを頼むのはどうなんだ……?」

 そうでした、とペロリと舌を出して、フェイトはクロノの先を進む。
 機嫌が良い、という感じではない。昨日一昨日で彼女に暗い翳を落としてしまった事柄が無事解決に向けて動き始めた影響か。はたまたクロノを騙し続けていた 嘘──初潮に関する事柄──が消えた所為か。
 しかしながら問題の抜本的解決には何一つ到っていない。その上、彼女の症状から想像される現状の不妊症は一般的なものであると同時に回復が難しいものだ。 闇色のトンネルの先に小さな小さな光が微かに漏れているだけ。明るくなれる要素は、あったとしても過大評価できるレベルではない。
 二人の足は繁華街から商店街へ向かう。夕食の買い物を済ませると、近道だからとフェイトに手を引かれて臨海公園に足を踏み入れる。
 海鳴市という街で、クロノがもっとも記憶に濃い土地。いや、今まで訪れた次元世界等も選択肢に入れても、間違いなくここがクロノにとって一番思い出深い空間だ。
 フェイトやなのはにとっても様々な思い出が詰まっている場所。
 しかし。どうしてもクロノは好きにはなれない。デバイス暴走事件の折、彼女らに与えてしまった惨禍の数々を思えば当然だった。

「クロノ、面白く無さそうな顔してる」
「朗らかにしていろ、というのはちょっと難しいな」

 苦笑してやれば、フェイトもそうかもねと笑って。
 潮の匂いに誘われるまま森を進めば、海に面した歩道に出る。

「随分な道だったな」
「昔、なのはがここを通ってユーノに出会ったんだって」
「……やっぱりこの公園には何かあるんじゃないのか?」
「出会いのロストロギアとか?」
「古代ベルカの兵器産業がそんな酔狂なものを作るとは思えないが」
「ロストロギアは何も全部古代ベルカ産じゃないよー」

 思ったより繁華街で時間を使った為か、常夜灯が灯り始めている。見上げれば、赤錆色の空が夜闇を連想させる紫へと変わりつつある。月の姿も遥か遠くに望め、 気の早い星もおぼろげに輝いていた。
 自宅のマンションの方向へ、歩を進める。さぁどこで彼女に切り出そうかと悩めるクロノの頬を、潮風が優しく撫でてゆく。

「クロノ」
「ん?」
「私の身体、治るのかな」

 肩口が触れ合い。五本の指を絡めるように手を繋ぎ。緩やかな歩調を維持して。歩く先を見詰めたまま、フェイトが言った。

「……検査結果が出るのは、もう少し先だ。それが出るまでは何とも言えない。シャマルにも報告はしてある。こういうのは民間医療が得意とする分野だから」

 できればここでの検査結果をシャマルに見てもらうのが良いのだが。喩え石田医師と親しい間柄でも、他の患者のカルテを提供してもらうのは無理があり過ぎる。 ここでのシャマルは八神家の家事手伝いなのだ。その腕前の雲行きは六年経った今も怪しいままなのだが。

「でも、何となく予想はついてるって感じだった、見てくれた先生は」
「……そうか」
「石田先生も、そう。クロノは……どう?」

 儚い声。希望と期待が交錯している気配。
 黙秘する意味は無く。そもそも、するつもりも無く。クロノは口火を切る事にした。

「ターナー症候群という病気らしい。まだ予想段階だそうだが、恐らく間違いないそうだ」
「………」
「自然な形で妊娠する可能性は、かなり低い。今分かってる事は、それだけだ」
「……私ね」

 悲嘆も悲愴も絶望も諦観も、無く。彼女は空を仰いだ。

「お母さんになるのが、夢なんだ」

 母親。フェイトという少女の根幹に強固に根付く存在。

「執務官にはなれて、もう何とか一人前ってところまで来れて。こっちの夢は、もう叶えられたんだけど」
「まぁ、僕から見ても君はもう立派な執務官だからな」
「クロノのお墨付き貰っちゃった」

 フェイトが眼を細めてはにかむ。

「もう一つの夢は、お母さんになる事。エリオやキャロや、保護した子供達にとってお母さんであろうと思ったけど、それとはまた違う……本当の、お母さんに」
「………」

 どのような理由があろうと、それを大義名分として自身の行いが正義と、正しいと盲目的に信じてしまう犯罪者の心情なんて分かりたくも無かったが。
 今この瞬間だけは、プレシタ・テスタロッサの気持ちが些細な範疇だけれど、理解できた。
 どんな手段を用いても、講じても、何者を犠牲にしても、愛する少女の何でもない夢を叶えてやりたいと思う。
 無論、思うだけだ。行動に踏み込むのは勇気でも無謀でも蛮行でも何でも無く、ただの自己満足だと知っているから。
 母親に、なる。その可能性は限りなく低い。決してゼロではないが、ゼロに近い。それは緩慢な絶望となって、この夢を擁く彼女の心を苛む。

「でも、なれなくてもいいんだ」

 軽い声で。朝家を出る時に行ってきますと告げる声と、同じ響きで。最後まで足掻くだろう人間が誰よりも早く諦めを口にする。

「なれないなら、それでも構わない」
「どうして?」
「クロノがいるから」
「………」
「お母さんに……家族を増やせなくても、皆がいる。母さんやアルフやエイミィや……なのはやはやてや、シグナム達がいる……だから、平気なんだ」

 自分もそうだが、彼女もまた、嘘をつくのが下手な人間だった。
 平気じゃない顔で平気と言っている人間の言葉なんて、どうやって信用しろというのか。
 繋いだ手が震えているのに、どうやって信じろというのか。震える唇で無理に紡がれる言葉を、どうすれば聞き流せるのか。
 辛いなら辛いと、言えば良いのに。こんなところで我慢強くなって負けず嫌いになっても、意味なんて何も無いのに。
 結果が出るまでの数日の間、彼女は刑執行間際の死刑囚と何ら変わらない心境で過す。空元気のまま。嘘の上に嘘を上塗りして、耐え凌ぐ。けれど、耐えた先にある 現実は、フェイトが切望するものである可能性は万に一つだ。嫌でも悲観的になる事が迫られる。
 それでも気丈に笑おうとするフェイトに、クロノは騙される事にする。気付かないフリをして、おぼろげなイメージしか持てていなかった事柄について、一つの決意 を固める。
 二人はそれから特に会話を挟まず、互いの息遣いだけを感じながら、自宅までの道を歩んだ。



 ☆



 仕事の合間に取った小休憩は、リンディが本局勤めの総括官に鞍替えしてから給湯室にストックされている砂糖の量が常識の範疇に収まるようになった結果、少々 寂しげなものになってしまった。彼女と交わしていたとりとめの無い談義を振り返ると、妙に懐かしくなる。それはリンディもどうやら同じ心境らしく。時間が合え ば通信機越しに以前と変わらぬ時間を過す時があった。
 今日の話の種は、笑顔で語れるようなものでは決してなく。仮想ディスプレイのリンディに覇気は無かった。心労もあるのか、顔色もあまり優れない。

「この前、クロノ君がもう一日休むって言い出した時は本当に驚きましたけど、そういう事だったんですか」
『ごめんなさい、黙っていて』
「いえ。事情が事情ですし。それに、私も女の子ですよ? まぁ、そろそろ子って歳でもないですけど」

 これでも二十歳を過ぎてそこそこの身なれど、年齢がそのまま独り身暦に変換されてしまう。管理局局員を長年務めてそれなりのポストに就いていれば男女関わら ずに珍しい展開でもない。
 今が充実していて寂しさに胸を軋ませる機会なんて、皆無に等しい。それに、強いようで弱い手間のかかる弟と妹がいるのだから、危なっかしくてなかなか眼が離 せないのだ。
 可愛い妹分の、身体の事。先天性遺伝子疾患。それにより発生した生殖機能の未発達。所謂、不妊症。

「フェイトちゃんの気持ちは、分かります」

 彼女とはもう六年以上の付き合いだ。家族も同義。だからこの残酷な現実を受け入れるのにどれだけ心を砕いたか、想像は難くなかった。

「結果は、もうそろそろ?」
『ええ。今日明日という話よ。だからまたクロノが一日抜けちゃうかもしれないけれど』
「クロノ君やフェイトちゃんがいなくても、簡単には揺れませんよ、アースラは。提督に鍛えていただいたんですから」

 腕を捲くってみせる。艦長に次ぐ権限は、執務官であるフェイトではなく通信司令のエイミィが握っている。ただエイミィは執務官補佐の肩書きも同時に得ている ので、実質的にはフェイトの部下という扱いにもなる。階級を無視する曖昧な上下関係だが、これによってより円滑に動作するのが老朽艦船アースラだ。前艦長リン ディが残していった柔軟さが成す賜物である。

『……ありがとう、エイミィ。それで、クロノは今手は空いてるかしら? こちらは普通の仕事関係なんだけど』
「クロノ君なら、今アコース査察官と一緒に本局です」
『アコース査察官と本局?』

 キョトンと眼を瞬かせるリンディ。あの二人は特に仲が良いので連れ立って行動するのは特別珍しい事ではないが、揃って本局に行く行動原理が読めないのだろう。
 正直、エイミィも同じ心境だった。どんな用件でどこの部署を訪ねるのかまでは聞いていない。先のフェイトの件ならシャマルの部署こと医療局かとも推測したが、 それだったら明確にそこに行くと言い残していってもおかしくはない。ヴェロッサ・アコース査察官も、クロノに呼ばれてやって来た風情だったし。

「お急ぎですか? ホットラインに繋ぎます?」
『いえ、急なものではないからいいのだけれど。ん〜シャマルさんのところかしら』
「違う気はしますけど……戻って来たら提督から連絡があった事は伝えておきます」
『ええ。お願いね』

 通信が途絶える。エイミィは様々な邪推をしつつ、これから先やって来るだろう地味に忙しい日に覚悟を決めて業務に戻った。






 to be continued
















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