魔法少女リリカルなのは 短編







 アリシア.1


 貴重な連休が、思わぬ形で駄目になってしまった。
 会議室を出て。三人で肩を並べて歩いても支障の無い広い通路を歩く。

「せっかくの休日が豪い事になってしもたなぁ」

 開口一番は、はやてだった。肩を解しながら首を捻って、気休めの柔軟をする。

「でも、しょうがないよ。お休みは取ろうと思えば取れるけど、人の命はそういう訳にはいかないから」
「勿論や。怪我人は結構数多かったけど、死者は出ぇへんかったのは不幸中の幸い、かな? ほんまに良かったわ」

 現地の災害対応班だけでは対処し切れず、近隣の陸士部隊や首都防衛隊、果てには港湾警備隊防災課特別救助隊のその地区担当局員総出で事態収拾に望まれたミット 臨海空港の大規模火災。利用者と職員に多数の負傷者を出し、空港施設や設備等の全壊という災害事故としても記録的な大事故だったが、それでも死傷者数ゼロという のも記録的でもある。
 その記録に陰ながら貢献した三名の少女達は、翌日には酷い疲労感と戦い。朝食なのか昼食なのか判断に悩む食事を摂って、あの大火災の事後処理にはやての研修先 だった陸士104部隊へ出頭。簡単な口頭説明を終えて、部隊長からの労いを賜って解放されたところだ。
 通路は、件の空港火災で騒がしさが衰えない。はやても部隊指揮関係の研修でこの部隊に世話になっている都合、フェイトとなのはを見送った後は業務を再開しなければ ならないらしい。手伝おうかと提案もしたけれど、そこは休暇中だから悪いとやんわり断られた。

「水臭いって朝言ったのに」
「それとこれとは別やでー。二人は臨時でお手伝いしてもろただけやから。オンオフの切り替えは、無駄無く素早く。途中でオフシフトに切り替わるかもしれへんし、 そうなったら合流できると思うで」

 ただ、キャンセルしてしまった諸々の予定はどうしようもない。クラナガン北部はフェイトもなのはもガイドブックの知識でしか知らないので、はやてに案内してもらう 形になっていたのだ。
 はてどうしたものかと正面ロビーまでの道のりを消化しつつ思案していると、なのはがずっと口を閉ざしている事に気付く。

「なのは?」

 その足取りも重く。顔色はお世辞にも良好とは言えない。

「どうしたの? どこか具合でも悪い……?」
「ん。ちょっと、だけ……かな?」
「ちょっと、て……」

 下腹部に手を添えて、無理に笑おうとするところなんて、ちょっとという痛がり方ではないだろう。

「大丈夫だよ。月のあれだから」
「月の……あれ?」

 不思議な言い回しに、フェイトは小首を捻る。親友の次の言葉を待つが、何時まで経っても何も来なかった。
 なのはは僅かに頬を赤めて。顔を伏せてしまう。右の側頭部で結わえられた栗色の髪が、力無く揺れる。
 益々以って、分からない。困惑するフェイトの腋を、はやてが肘を突いた。

「もーフェイトちゃん。何年なのはちゃんの幼馴染やってるんや。女の子で月のあれと言えば……分からへん?」
「えっと……あ」

 一瞬前の自分の迂闊さに、口が開く。それを掌で覆って、フェイトは自身に猛省を促した。
 生理日である。他に候補なんて、ある訳が無い。

「ご……ごめん、なのは。朝平気そうだったから……その」
「そんな、謝らないで。昨日までは何とも無かったんだけど……いきなり、重いの来ちゃったみたいで」
「生理休暇の申請、出しとこうか?」
「う、ん。ありがとう。でも自分で出すから大丈夫。ちょっと休めば、大丈夫だから」
「本当に……大丈夫?」

 生理痛に顔を曇らせるなのはを見るのは、これがはじめてではない。
 中学生に進学して間もない頃だ。真っ青な顔でベッドに蹲るなのはに何をしていいのか分からず、彼女の部屋の前で動物園の熊のように右往左往していたものだ。
 小学校の保健体育の授業でどういったものか教わりはしたが。これは、そんな今にも死んでしまいそうなほどに辛い痛みなのか。苦しいものなのか。酷い時には高い 発熱症状も出すなのはを、ひとときのフェイトはずっと心配していた。あの撃墜事故が尾を曳いているのもある。
 その度に考え過ぎだとはやてやアリサ達に小突かれて。リンディや桃子からも個人や時期によって症状の重みに差が出るものだと教えられて。最近は特に気にならなく もなっていたけれど。

「うん、心配しないで」

 そう告げるなのはは、微かに呼吸を乱している。部隊長室ではずっと耐えていたのだろう。生真面目な彼女らしい。
 友達を今苦しめている月の一度の痛みを、フェイトはまだ知らない。一五歳になった今でも、所謂『初潮』を迎えていなかった。
 豊満に育った乳房に、綺麗に括れた腰周りと、豊麗な曲線を描いたお尻は、フェイトが十二分に立派な女性らしさを備えた証左以外の何者でもない。執務官の制服 が、所々によっては窮屈になり、一時期は割と頻繁に新調を繰り返した。
 それなのに。男性ならば振り返って視線で追ってしまっても不思議ではない身形なのに。本当の意味での『女性』の身体にはなっていない。
 早ければ一二歳、遅ければ一四歳程度で迎えるその時を、フェイトは今か今かと待ち望んでいた。
 敬遠する女性もいると聞いた事もある。女性誌でそんな記事を眼にした。早く来ないかなとアリサに言ってみたら、あまり良いものじゃないよと苦そうにされてし まった。
 好んで苦境に立ちたがるような人間はそうはいないだろう。
 でも。女性だけのこの痛みに、フェイトは憧れを禁じ得ない。
 正確には痛みに対する憧れではない。『母親』になれるという憧れだ。
 母親から──子宮から産み落とされた存在ではない自分。
 本当の母親から愛された記憶の無い自分。
 あるのは、すべてが植え付けられた偽りのモノ。
 アリシアの──姉というべき彼女の、生前の思い出達。
 フェイトにとって、母親とは誰よりも何よりも憧憬を抱く対象だった。
 ──お母さんになりたい。
 愛する人と一緒になって。子供を作って。その顔を見たい。
 クロノとは、もう結ばれた。月経を気にしていた彼に、フェイトは大丈夫だと嘘を吐いた。本当の事を言って、子供のように扱われるのが嫌だった。
 あれから何ヶ月も経ち。同じ嘘を何度も何度も吐いている。
 後ろめたさは、ずっとある。彼に嘘を吐いているそれそのものが、嫌で嫌で仕方が無かった。いつもこれで最後にしよう、ちゃんと本当の事を言おうと決意はするけ れど、その次の機会が来れば、抗えない。本能がクロノに溺れていたいと声高に叫び、身勝手な主張を繰り返す。これに抵抗できるほど、フェイトの理性は堅牢ではな い。二年間も離れ離れに過ごしていた反動だという言い訳は、とっくの昔に使用期限を過ぎている。つまり、その辺りは子供の頃と変わらないという事だ。
 身体を重ねている時のクロノは、いつもの何倍も優しくて可愛かった。こちらの様子を窺いながら、あれこれしてくれる一生懸命なところや、その指先に全部を任せる 瞬間が耐えられないぐらいに好きだった。
 でも、クロノを騙している。
 本当はまだ『子供な身体』であるのを偽り、ただの安息を求めて、貪るようにクロノを求めて、抱かれている。
 それ自体はきっと悪い事ではないけれど。深い罪悪感を感じずにはいられない。
 クロノの信頼と想いを蔑ろにしているような気すらする。
 自分は一体何時になったら胸を張ってクロノと一つになれるのだろう。
 自分は一体何時になったら彼の子供を作れる身体になれるのだろう。
 一体何時――私は『お母さん』になれるのだろう――?

「はやて。ちょっと部屋借りるね。なのはを休ませないと」
「うん。なのはちゃん、辛かったらちゃんと言うんやで?」

 弱々しく首肯するなのは。痛ましい姿のはずなのに、不謹慎ながら、フェイトは羨望の眼を向けてしまう。
 きっと近い将来、なのはと同じ痛みを感じられる。
 フェイトはそう信じて疑わなかった。
 疑うはずもなかった。



 ☆



 艦長に就任して以降、クロノは海鳴のマンションに帰宅できない日が続いている。たまに戻って来たと思えば、半日ぐらい休んで、またすぐに戻ってしまう。
 十九歳の年齢で提督資格を取得して、L級次元航行艦船の艦長に就任。あのデバイス暴走事件等の前歴を考慮すれば快挙的な昇進だ。優秀である事の裏返しでもあるが、 不慣れな状況と執務官職とはやはり比較にならない責任の重圧で、悪戦苦労を強いられていた。
 周囲に支えられて無難にこなしつつあるものの、提督として、艦長として、リンディ・ハラオウンのように落ち着けるのはまだ先だろう。
 それまでは会える時間も言葉を交わす機会も、ずっと制限されてしまう。艦長と執務官としての会話は少なくないが、本来の関係に戻れる機会は絶望的に少ない。
 なので、『そういう行為』がお預けになってしまっている。一度だけお互いに我慢できずに艦長室であれこれとしてしまった事があったが、危うくレティに見つか りそうになって。それ以降は自粛状態だ。
 バレては冗談では済まない。艦内の風紀が乱れるだけでは済まず、以前のようにクロノが全員から総出でタコ殴りに会う。
 艦橋に詰めていたエイミィが、非常事態が来ない限り通信は送らないから安心してね〜と気を利かせてくれたけれど。正直、これ系の話題では彼女が一番信頼できない。 ちなみに次点ははやてだ。
 艦長室に到着する。服装を整える。髪も手櫛で梳き、準備は無事に完了。
 急く気持ちを抑えて、扉をノックする。『クロノ』と言い出しそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。ここは職場だ。そして自分は勤務中。親しい仲でも、彼と自 分はここでは艦長と執務官なのだ。

「艦長、フェイトです」
「ああ、入ってくれ」

 開閉パネルを操作して、艦長室へ脚を踏み入れる。
 先代艦長が愛用していた頃と比較して、大きく模様変えが行われている。相当数持ち込まれていたリンディの私物が撤去され、代わりに書籍棚が増設。設置されている 執務机の電子端末周りも大幅強化。さらに大型のソファセットが部屋の中央に陣取っている。項目上も部屋の主の言い分も来賓用になっているが、クロノの仮眠用に機 能しているのが実情だ。
 そんなソファに、見慣れた女性が腰掛けている。上品そうな仕草で紅茶を頂いているその姿は、妙に様になっていた。
 淡い金髪を肩口で切り揃えた、白衣を羽織った女性。

「シャマル?」
「こんにちは、テスタロッサちゃん」

 珍しい来客がペコリと会釈をした。

「お一人ですか?」
「はい、個人的に訪ねさせていただいたので。あ、そうだ。テスタロッサちゃんからも言ってあげて下さい。クロノさん、定期の健康診断を受けてくれないんですよ」
「語弊だ、シャマル。何も僕は受けないとは言っていない。今は時間が無いから受けられないと言ってるんだ」
「そう言ってもう二ヶ月も引き伸ばしてるじゃないですか。駄目ですよ? もう血液検査が怖いなんてお歳じゃないでしょう?」
「……僕は一体どこの子供だ……?」
「艦長」

 フェイトが凄みを利かせた声でクロノに詰め寄る。執務机を挟んで身を乗り出し、視線を合わせない艦長を睨む。

「早く行って下さいってあれだけ言ってたのに」
「僕も行きたかったが、就任時期とかぶっていた所があったんだ。仕方ないだろう」
「身体が資本だって教えてくれたのは艦長です。そもそも艦長がそうだから、エイミィ達も受けないんです」
「どうしてそうなる……?」
「クロノ君はまだまだ至らないところだらけだからぁ〜って、昨日エイミィが笑ってました。聞いてはいませんが、恐らくあれは行っていないと思います」

 呻いたクロノは、そのまま押し黙る。自覚症状はあるようで安心した。

「という訳で、明日辺りには絶対に行って下さい。艦長もずっと昔にリンディ提督に同じ事を言っていたはずです」
「……了解した。フェイト、済まないが後で健康診断を受けてない局員を調べて、全員早期に受けるように伝えて……」
「それも艦長がご自分で行って下さい。身から出た錆。ご自分で蒔いた種です」
「………」

 二人の様子を可笑しそうに傍観していたシャマルが、堪え切れないように言った。

「これじゃどちらが上司か分かりませんね」
「至らない所は皆で支えるって言いましたから。シャマル、明日もし艦長が行かなかったら、旅の鏡を使って引き摺って行って下さい」
「はい、かりこまりました。クロノ提督も安泰ですね、こんなに気の利く部下に恵まれて」
「……君も随分と皮肉が巧くなったな、シャマル」
「あら、そうでしょうか?」

 口を指先で隠して、事も無げに微笑むシャマル。

「じゃ、私はこれでおいとましますね。お邪魔虫はササッと撤退が基本です」
「お、お邪魔虫なんてそんな」
「ただ、今はまだ勤務中ですからね。その辺りお忘れないように。前のような騒ぎになると、本局のリンディ提督も肩身の狭〜い思いをしちゃいますから」

 軽い足取りで部屋を出て行こうとするシャマル。フェイトもクロノも返す言葉も無く、口を閉ざすばかりだ。
 前のような騒ぎというのは、クロノの艦長就任時の祝いの席の事である。確かにあの二の舞だけは駄目だとフェイトも思う。後悔は、まぁしていないが。
 ともあれ、ようやく結ばれたというのに仕事上の関係でしか触れ合いのは禁欲生活にも等しい。その辺りに、シャマルは釘を刺しているのだろう。

「そうでした」

 手を打って、扉を開けたところでシャマルが振り返る。

「テスタロッサちゃん。今週中に本局の医療局に来られますか?」
「は、はい。明日でも何時でも行けますけど」
「じゃ適当な時でいいので来て下さい。健康診断でちょっとやり損ねちゃった事があったので」

 やり損ねた事。はて、何だろう。すでに健康診断の結果は電子メールで送信されていて、今回も特に異常は見つけられなかったはずなのだが。
 訝しみつつ、フェイトは首肯した。

「分かりました。明日お伺いします」
「ありがとうございます。……それじゃ、クロノ提督も明日来て下さいね」
「ああ、分かった」
「絶対ですよ? お注射はしませんから、確実に来て下さい。あ、怖かったらリンディ提督もご一緒に来ていただいても構いませんよ?」
「……そのネタはもういいって」

 項垂れるクロノ。シャマルは笑顔のまま手を振って艦長室を出て行った。
 残されたフェイトとクロノの間の落ちるのは、纏わり付くような気まずい沈黙だけである。
 クロノを見遣ると、彼は急に机上の書類に手を伸ばし、熟読を始めた。勿論身のやり場に困るこの雰囲気からの逃亡の為で、その書類が上下逆さであるのは正面に立つ フェイトからは一目瞭然である。

「クロノ」

 役職名ではなく。フェイトは、彼を呼ぶ。
 クロノは観念したように書類を机上に放り、溜息をついた。

「……健康診断の事は済まないと思ってる。ただ、どうしても慣れたい部分があったんだ、この席に」
「それは分かるけど」
「無理はしないし、どうしてもという時は君やエイミィに頼るつもりだ。……お互いに支えて、支え合うんだろう?」

 そう言ってクロノが執務椅子から立ち上がる。

「ここ一週間で結構落ち着いたから、そろそろ家にも戻れると思う」

 クロノが、優しく髪を梳いてくれる。それ以上に、今の言葉に胸がトクンと脈打つ。

「休みも取るつもりだから。久しぶりにゆっくりできるかな?」
「……何時?」
「まだ決めてないけど、近い内だよ。一日だけかもしれないけど」
「スケジュールの管理も、一応、私のお仕事だから……ちょっとくらいズルしても、いい、よね?」
「エイミィにはすぐにバレるだろう」

 髪に触れているクロノの指に、自分の指を絡める。久しぶりに触れる指先は、当然だが変わっていなかった。
 無骨で。でも、優しい指先。

「何しても私達のお姉さんにはバレちゃうからね。……早く取ってね、お休み。あんまり……我慢できそうにないから」
「それは僕もだ」

 クロノが空いている手をフェイトの細い顎にやり、その唇に自分のそれを近づけて――。
 それから三十分後、艦橋に出向いたフェイトの首筋には赤い噛み痕があったとか無かったとか。



 ☆



 通信司令と補佐官を兼任してくれているエイミィに頭が上がる日が果たして来るのか。そんな事を思いつつ、フェイトは足早にトランスポーターに乗り込む。
 書類雑務に追い回されて、最後にはエイミィに手伝ってもらい、当初の予定を二時間超過して医療局を訪ねる羽目になってしまった。
 転送機能が駆動して。数分後には巨大な一つの街として機能する時空管理局本局に到着する。ここから医療局までは、割と遠い。

「早くしないと」

 とは言うものの。ドタバタと本局内を走る訳にはいかない。黒を基調とした女性執務官用制服は局内でも何かと目立つ。執務官の合格率を考慮すれば無理も無い。
 すれ違う女性局員――主に年下の少女達が好奇心を隠そうともせず、時折こちらに強い視線を向けて来る。なのはと共にミッドチルダの魔導師向け週刊誌に出た事は 一度ではないし、今も取材を受ける時がある。デバイス暴走事件の事もある。本局内でもそれなりに名の知れた存在なのである。
 照れ屋なフェイトにとって、あまり心地の良いものではなかった。嫌な感じはしないのだが、どうにも窮屈感に挟まれてしまう。
 という訳で、逃げるようにトコトコと通路を行ったフェイトは、そそくさと医務課のオフィスに辿り着いた。

「ごめんなさい、忙しいのにわざわざ来させてしまって」

 昨日と変わらない白衣を羽織った姿のシャマルが出迎えてくれる。ただ、その声には昨日のような覇気は薄く、制服もどこかくたびれた印象があった。

「いえ。忙しいのはどこも一緒ですよ。今のシャマルは特にそう思えます」
「やっぱり分かっちゃいますか?」
「……昨日は帰らなかったんですか?」
「どうしても調べておきたい事があったので。そのまま泊り込みです」

 疲れた表情で、シャマルは覇気の無い笑みを作る。

「あまり根を詰めるとはやてが心配しますよ?」
「はい。医者の不養生をするつもりはありませんから、安心して下さい」

 シャマルは机上に散らばっていた書類を片付けると、席を立つ。

「ここじゃ何ですから、どこかの休憩所に行きましょう」
「休憩所、ですか? 私はここでも構わないですよ」

 話は健康診断の伝え漏れに関してである。場所はどこでも良いはずだった。

「……じゃ、奥に空いてる部屋があるので、そっちに行きましょうか」
「は、はい」

 近くの同僚に部屋を使う旨を伝えたシャマルは、フェイトをオフィスの奥にある小さな会議室に連れ込む。
 扉を閉じると、殆ど無音になった。飛び交っている館内放送もまるで聞こえない。
 シャマルはフェイトに椅子を勧めると、先に腰を下ろした。

「どうぞ、座って下さい」

 言われるまま、彼女と向かい合うように座る。

「あの、シャマル。健康診断の事じゃないんですか?」
「はい、健康診断の事です。ただ、ちょっと普通には聞き難い事なので、こうして場所を変えさせてもらいました」
「聞き難い事……?」

 少し不安になる。昨日、就寝前にシャマルから届いた健康診断の結果を一度見直してみたが、やはり変わったところは無かった。激務に追い回されているものの、 フェイトの身体は健康優良児そのものだ。何か不都合が起きている場所なんて無かったはずだ。
 シャマルは言葉を探っていた様子だったが、改めてフェイトを見詰めると、こう切り出した。

「答え難いと思いますが、ちょっと確認が取りたいんです。テスタロッサちゃん……初潮はまだですか?」

 見詰めるシャマルの瞳に、昨日の悪戯めいた色は一切無い。
 その言葉の通り、確認の為の質問。
 答えには、窮した。どうしてそんな事を訊ねるのか、そう返そうとも一瞬思案した。
 けれども。彼女の眼差しが、それを許さない。
 視線を背けるばかりのフェイトとは違って、射抜くような瞳を、シャマルは向けて来る。腰を浮かせば、肩を掴まれてそのまま席に戻されてしまうような雰囲気すら 漂っている。
 フェイトの逡巡は長く、終わらない。シャマルはその沈黙を肯定と捉える。

「まだなんですね」
「……はい」
「ごめんなさい。やっぱり不躾過ぎました」
「……気にしないで下さい。その、ちょっと気にしていたので、びっくりしちゃっただけです。でも、どうしてそんな事を?」
「健康診断の血液検査の時、データ的にちょっとだけおかしい点があって。医療に携わる者じゃないと分からない程度のものだったんですけど。原因を探っていたら、 もしかしたらこれかなっていうのを見つけて」

 それが女性の生理に関わる事だったようだ。シャマルは溜息をつくとペコリと頭を下げた。

「本当にごめんなさい。確認の為でも失礼な事を聞きました」
「ですから、気にしないで下さい。ただ、その……クロノには言わないでいただけると助かるというか、何と言うか」
「それはもちろんですけど……。いいんですか?」
「はい。一五になってるのに、まだ来てないとか……クロノに子供に見られるのが嫌なので、だから……」

 言葉を濁すフェイト。喩え身勝手な我侭だったとしても、やはり譲れない所がある。
 シャマルは笑顔を浮かべて、分かりましたと答えてくれた。

「健康診断の結果は改めてそちらにお送りします。エイミィさんの所で構いませんか?」
「ええ、お願いします。あ、クロノもう来ました?」
「それがまだで。ただ、午前中に夕方ぐらいに行くと連絡があったので、数時間もすればいらっしゃると思います」
「何か異常があったらすぐに行って下さい。本当に最近はずっとお仕事お仕事なんですから」
「あら。久しぶりに独占欲全開ですか?」
「そ、そういうのじゃありません。クロノの事が心配なんです」

 話題が話題だ、二人きりになれる場所でしなければいけなかったとは言え、フェイトは小さな会議室にシャマルと一緒に入ってしまった事をちょっとだけ後悔した。
 海鳴での主婦的な生活リズムがすっかり板に付いてしまったシャマルである。井戸端会議から何までお手の物であり、こうした色恋沙汰には本当に眼が無いのだ。
 フェイトが会議室を出たのは、本題が終わってから三十分後だった。



 ☆



 ペンを書類の上に放る。執務官の頃から使っている愛用の安物ペンは、山積している書類の上をコロコロと転がった。
 敬遠する局員もいるが、紙媒体の資料や書類は未だに現役である。リンディが好んで使っていた事もあって、彼女の仕事を間近で見続けていたクロノもその影響を 受けている。ただ、こうやって一枚一枚に眼を通してサインを書き記して行く作業は、昔から馴染んでいるとは言え、疲れを感じずにはいられない。
 肩が凝り固まる上に指が痛くなるデスクワークにも、そろそろ目処が立とうとしている。エイミィ達に手伝ってもらって、リンディから引継ぎでいた業務も殆どが 終わった。

「……そろそろ行くか」

 行くと言っていた夕方――午後四時半を回った辺りである。今からアースラを出れば、五時前には余裕で医務局のシャマルを訪ねる事もできるだろう。
 クロノはデスクを片付けると、インターフォンで艦橋のエイミィを呼ぶ。

「エイミィ、クロノだ。本局のシャマルの所まで行って来る。巡航警戒態勢はそのまま。何かあれば知らせてくれ」
『えっと、それなんだけどね、艦長』
「どうした?」
『クロノさん』

 新たな声が通信に割り込んで来る。

「シャマルか? どうしたんだ、今から行くつもりだったんだが」

 まさか逃げるとでも思われたのだろうか。自分は何も健康診断を毛嫌いしている訳ではないのだが。
 訝しむクロノが口を開けるより先に、シャマルが言った。

『今、お時間ありますか?』

 だからこうして健康診断に行こうと思い立った――そう言い返す事がどうしてもできなかった。
 意を決したような、重く、暗い声音だった。

「……ああ」
『リンディ提督にも本局からご足労をお願いしています。もうすぐ来ますから、そのまま艦長室にいて下さい』
「……事件か?」
『……少なくとも、クロノさんやリンディ提督……テスタロッサちゃんにとって、とても重い問題です』

 通信が切れる。インターフォンからは冷たく、無機質なメロディが止まる事も無く流れている。

「……フェイトにとって、重い問題?」

 茫然と呟く。どういう事だ。彼女の健康診断の結果は自分も知っている。問題なんて何一つ無かったはずだ。
 思い当たる節が無く思考を堂々巡りさせていると、扉が叩かれた。シャマルかと思ったが、違う声がした。

「クロノ、リンディです。いいかしら?」
「……どうぞ」

 本局勤めになった母が入って来る。その表情に浮かんでいるのは、クロノと同様に困惑だった。
 リンディの後をシャマルが会釈して入室する。扉を自動開閉させる高圧空気が噴出して、頑強な艦長室の扉は機密性を保って閉ざされた。

「シャマル、何があった?」
「その前にクロノさん。扉をロックして下さい」
「……分かった」

 机上の電子端末を操作して、部屋の扉にロックをかける。これでクロノが所有しているマスターキーが無ければ、この部屋に立ち入り事は誰にもできない。
 シャマルは厳しい表情をしていた。口元をきゅっと結び、眼を伏せ気味にしている。誰に言われるまでもなく、彼女は静かに靴音を鳴らしてソファに腰を下ろした。
 何も語ろうとしない。目線でクロノとリンディに自分の前に座るように請うだけだ。無遠慮な態度に映ってしまう行為に、しかし、二人は何も言わずにシャマルの 前に座る。
 仮眠を取る為に何度も横になったソファ。良い材質を使ったこれは、下手なベッドよりも寝心地が良い。それなのに、今日はとても心地悪い場所に思えた。

「お二人とも、申し訳ありません。お忙しいと存じているのですが」
「フェイトに何かあったのか?」

 何も訊かされずに連れて来られたのか、リンディが驚いたようにクロノとシャマルを見比べる。

「……一ヶ月前、テスタロッサちゃんの健康診断を行いました」
「知ってるわ。特に異常は無かったって、本人からも聞いています」

 リンディの言葉に、シャマルは迷うように眼を伏せる。そして、少しでも躊躇いを覚えようとしている自分に決断を下すように、強い口調で言った。

「……実はあったんです」

 胸と頭の奥底に響く言葉だった。口の中が干上がるような不快感を感じながら、クロノは問う。

「……どういう、ものだ?」
「安心して下さい、命の危険に関わるようなものではありません」
「……だけど、あまり良いものじゃないんだろう?」
「……はい。特に……女性にとっては」
「女性?」

 リンディが疑問符を打つ。

「テスタロッサちゃんは……すいません、もしかするとあなた方を不快にさせてしまうかもしれませんが……あの子は、正式な人間ではありませんね?」
「違う。あの子は人間だ。生まれ方が少し違っていただけで、後は僕達と何一つ変わらない、ただの人間だ」

 激昂しそうになる自分を、クロノは必死に諌める。シャマルが言っているのはそういう事ではない。分かっている。頭でも、感情でも分かっている。
 ただ、シャマルの無感動に近い表情と声を聞いていると、感情の昂りが制御できなかった。

「……話しか、私は聞いていません。でも、私も思います。テスタロッサちゃんは普通の人間です」
「ならどうしてそんな事を改めて聞くんだ?」
「……テスタロッサちゃんには欠陥があります」
「欠陥?」

 肯いた後、シャマルはゆっくりと肩で呼吸をして、こう告げた。

「テスタロッサちゃんには生殖機能がありません。性行為はできても……子供を作る事ができないんです」

 その言葉の意味を、クロノは理解できなかった。






 to be continued
















inserted by FC2 system