魔法少女リリカルなのは SS

風に舞う花

♯.1







 二人が付き合い始めたのは、一体いつの頃からだったのだろう。
 フェイトは良く覚えていない。
 ただ、そんなに昔ではなかったと思う。
 闇の書事件が終わりを迎えてすぐ、なのは達と本格的に管理局に入局を果たし、時間は目まぐるしい速度で過ぎて行った。
 義理の兄の熱意ある指導の甲斐あって、執務官試験には一発で合格した。なのはを初め、親友、家族達は自分の事のように喜んでくれた。
 その時は、別に付き合っているようには思えなかった。そう、見えなかった。
 後にして思えば、二人が見えないように隠していただけなのかもしれない。
 それからさらに季節が流れた。
 義母が長年付き添った艦船を離れ、本局勤めとなった。
 背がぐっと伸びたクロノが提督資格を取得して、そのまま後釜に納まるようにアースラの艦長に就任した。
 なのはが武装隊士官を経て、教導隊へ移動となり、一つの夢を叶えた。
 リインフォースの名を継いだ小さなデバイスが生まれて、八神家の末っ子として皆に可愛がられた。
 一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎ――。
 月に一度の苦しみを覚え始めた頃。
 そんな時、フェイトは気付いた。
 それまでの仲の良い姉と弟のような会話ではなく、もっと親密で、もっと静謐で、もっと不器用な言葉を交わしているクロノとエイミィに。
 クロノはフェイトにとって、心から尊敬の出来る優しい兄だった。
 エイミィはフェイトにとって、心から信頼の出来る優しい姉だった。
 二人が恋仲になっていた事に気付いた時、驚いたものの、心から祝福してあげる事が出来た。
 フェイトだけではない、皆がそうだった。
 照れ隠しをするクロノや、日頃の明るさを潜ませて頬を赤めるエイミィは、見ていて本当に飽きの来ない男女だった。
 それからさらに時が流れた。
 二人を露骨にからかうような真似は誰もしなくなった。なのはやはやて達と学校や仕事で一緒になった時、たまに話題に上るくらいのものになった。
 ただ、フェイトは二人の仲があまり進んでいないように感じていた。
 アースラ所属の執務官として、また家族として、クロノの提督としての多忙さと責任の重さは熟知していたし、エイミィも昇進を重ねて、重責を担う立場になったのは知っている。
 いくら恋人とは言え、職場で仲を温めるという行為には及べないだろう。何せ、クロノは職務に対して馬鹿が付く程誠実で生真面目な青年だ。エイミィは柔軟思考が服を着て歩いているようなものだが、気の引き締め所が分からないような女性ではない。
 だから気になった。自分の義兄は愛しの女性の心をちゃんと掴んでいるのかと。
 いつか時間が空いた時、聞いてみようと思った。



 ☆



 執務官としての仕事が無い珍しい日。フェイトは買い物袋を提げて帰宅した。
 学校で流行っている流行曲を鼻歌で歌いながら鍵を開け、靴を脱ぎ、リビングへ向かう。
 珍しい事に、家の中には人気があった。時刻からして、リンディの帰宅にはまだ少し早い。アルフは、今日からユーノの手伝いで無限書庫に出向いている。帰宅は少し後のはずだ。
 不思議に思いながら、フェイトはリビングの扉を開ける。

「ただいま」
「ああ、お帰りフェイト」

 ゆったりとした私服を着たクロノが、ソファに座り、コーヒーを楽しんでいた。挽きたてなのか、香ばしい香りがフェイトの鼻腔をつく。

「……兄さん?」

 予想だにしなかった出迎えに、フェイトはきょとんと首を傾げて眼を瞬かせた。
 自他共に認めるワーカーホリックであり、有休の貯蓄が無意味に進み、終いには強制的に有休を消化させられた経緯すら持つ義理の兄。
 そんな彼が家に一人で居るなんて、それこそほとんど始めての事だった。

「どうしたの? 管理局は?」
「まぁ、有休をね、また取らされた」
「また? もう、母さんがあれだけ取れって言ってたのに」
「ごめんごめん」

 苦笑するクロノ。
 フェイトは嘆息づくと、買い物袋と一緒にキッチンに向かう。

「エイミィは居るの?」
「ん……いや、今日は居ないよ」

 仕事では激務に追い回されているが、二人は出来る限り休暇を合わせている。二人揃ってこのマンションに帰って来る事も、最近では至って普通だった。
 言葉を選ばずに言えば、ほとんど同棲していると言っても過言ではない。
 テーブルに置いた袋から、買って来た食材を冷蔵庫に入れて行く。

「何で?」
「何でって……その、休暇が合わなかったというか」

 歯切れを悪くする兄に、フェイトは苦笑を禁じ得ない。エイミィとの交際が発覚してから随分経つのに、まだこの手の話題には照れを感じているのだろうか。

「兄さん、甲斐性なしは女の子から嫌われるよ?」
「か、甲斐性なしって、フェイト」

 食材を詰め終えて、一息つく。

「私もちょうだい、コーヒー」
「オレンジジュースは卒業したのか?」
「ううん。ただ、飲みたいなって思って」
「君にはまだ早いぞ?」

 クロノがソファから立ち上がり、キッチンに入って来る。

「お砂糖とミルクを入れれば大丈夫」
「それじゃあ本当のコーヒーは楽しめないな」

 フェイト用のマグカップを戸棚から取り出して、コーヒーメーカーに挿入する。スイッチを押すと、黒いボディが鈍い駆動音を響かせて始めた。
 フェイトはコーヒーが苦手である。まだ出会って間もない頃――PT事件の裁判中――に、クロノが美味しそうに飲んでいるのを見て、好奇心から一口だけ貰ったのだが、それはそれは想像を絶する飲料だった。
 以来、この苦々しい液体には軽いトラウマを抱いていた。匂いはそれなりに好きなのだが、どうにも本体の液体には苦味しか感じない。ミルクやら砂糖やらをしこたま入れた物なら普通に飲めるのだが。

「兄さんは相変わらず何も入れてないの?」
「ああ、砂糖やミルクを入れたコーヒーは邪道だよ」

 楽しそうにコーヒーの準備に勤しむ義兄の横顔を、フェイトは久しぶりに落ち着いて見たような気がした。
 管理局は常に多忙だ。いつだって人手は足りなくて、優秀な魔導師が少なくて、起きなくていい悲劇が起き続けている。
 目まぐるしい激務の中、ハラオウンの名をくれた暖かな家族達を過ごす時間が少ないのは、フェイトも少し寂しく感じていた。
 こうしてゆっくりと兄と時間を過ごすのはどれくらいぶりだろうか。

「お兄ちゃん」

 唇からそんな呟きがこぼれた。
 甲高い音。
 床を打ったマグカップが粉々に砕け散り、足元に散乱した。

「い、いきなり何を言い出すんだ君は……!」
「え。あ……駄目だったかな?」

 別にからかおうと思って言った訳ではなかったが、ここまで露骨な反応が返って来るとは思わなかった。
 耳の先まで赤くしている彼が、たまらなく可笑しく、そして可愛かった。

「駄目とか、そ、そんなのじゃないけど……」

 顔を赤めて、クロノはしどろもどろになって割れたマグカップを拾い始める。

「じゃあなに?」
「……君は知っててやってるだろ?」
「気のせいだよ。あ〜あ、結構気に入ってたんだけどなぁ、このコップ」
「誰のせいだ、誰の」
「さぁ、誰だろうね」

 日頃の凛然とした姿からは想像もつかないクロノに微笑を向けながら、フェイトも破片を拾おうとした。
 その時だった。彼の左手の薬指に輝く指輪を見つけたのは。

「……?」

 破片を拾うとする指が止まる。視線はクロノの左手で固定された。
 飾り気の無いシンプルな指輪。それが、確かに薬指にはまっている。

「……クロノ、それ……」

 時空管理局では執務官、次元航行部隊の優れた魔導師として名を馳せているフェイトだが、海鳴では普通の中学三年生の女の子だ。その指輪が何を意味するものなのか、分からない年頃でもない。
 紛れもない結婚指輪だった。
 茫然とするフェイトに、クロノは少し迷うような素振りを見せた。破片を拾う指を止めずに、呟くように言った。

「エイミィと、その……結婚する事になった」

 その言葉が、どういう訳なのか飲み込めなかった。



 ☆



 広い湯船が、今はどうにももどかしく思う。
 お気に入りの入浴剤を入れたお湯の中、フェイトは膝を抱えて背中を丸めていた。
 耳くらいまでお湯の中に浸けて、水滴が作った波紋の流れをじっと見据える。
 耳に残っているのは、義兄の一言。

『エイミィと、その……結婚する事になった』

 それはとても喜ばしい事だ。疑う余地はどこにも無い。
 二人は誰から見てもお似合いだった。
 フェイトやなのはを無茶だと非難する事の多いクロノだが、彼も提督職に就いてから随分と無茶な道を歩いて来た。艦全体の安全の為、非情な決断を迫られた回数も多い。
 弱音を決して吐かずに、常に毅然とした態度を崩す事の無かった彼を、エイミィは影に日向にいつも支えていた。言葉にせず、態度にも現さず、花のように寄り添って支えていた。
 二人が結ばれるのは当たり前だと言える。
 フェイトも頭の中ではそう思っていた。
 なのに――。 

「……何で……おめでとうって言ってあげられなかったんだろう……」

 顔をお湯から出して呟く。
 結婚すると言ったクロノに、フェイトは”おめでとう”という言葉を向ける事がどうしても出来なかった。
 理性で御する事の出来ない感情が、その時のフェイトの頭と胸をいっぱいにしていた。
 戸惑いか、驚きか、あるいはその両方か。制御出来ない感情の正体は分からない。

「……結婚、か……」

 まだ中学三年生、十五歳の自分には疎遠な言葉だった。好きな異性がまだ居ないので、さらに遠く感じる。
 執務官と学生の兼任は激務である。気になる異性が居たとしても、放課後、満足に遊びに誘う事すら出来ない。
 もっとも、フェイトに気になる異性など居なかった。
 学校帰りに男性から声をかけられる事はあるし、管理局では多くの武装局員達から尊敬と畏敬の眼差しを向けられてはいるが、それでも上級士官や同僚の執務官から食事に誘われた事が何度もあった。

「………」

 その度に、フェイトは丁重に断りを入れた。相手の気持ちを無碍にしてしまうのは気が引けたが、何せ気が乗らなかった。
 何故気が乗らなかったのだろう。今更だが、フェイトは自分自身の選択に疑問を抱いた。
 興味が引かれなかった。それもある。
 良く知らない人と二人きりになるのに抵抗を感じたから。無論、それもあるだろう。
 でもそれ以上に――。

「……クロノ……」

 久しぶりに兄の名を口にした時、フェイトは自らの疑問の答えを得た。
 誘って来た男達を、フェイトは無意識に兄と比較していたのだ。
 愚直で、誠実で、生真面目で、それでいて優しい義理の兄。
 彼がフェイトが始めて仲良くなった異性だった。
 すべての始まりだったPT事件の裁判の時、リンディと共に必死にフェイトの弁護をしてくれた。
 時には優しく、時には厳しく、魔法戦闘の技術やノウハウを指導してくれた。
 執務官試験に合格した時、密かに泣いて喜んでくれていた。エイミィに冷やかされて真赤に否定していたが、フェイトは兄の頬を流れる涙を確かに見た。
 何度も辛い事件を体験した。その時、なのはと共に支えてくれた。不器用な言葉で慰めてくれた。
 こんな義理の兄を超える男性は、現在の所、フェイトの前には現れていない。誰も彼もが義兄に劣っていた。
 そもそも、義兄は軽薄そうに女性に声はかけない。巧みな話術は使えないが、代わりに誠実で真っ直ぐな言葉を向けてくれる。
 そこまで考えた時、フェイトは自分が強いこだわりを持っている事に気付いた。

「……私、凄いブラコンだったんだ」

 急に恥ずかしくなり、また耳くらいまで顔をお湯に浸ける。
 間違いない。自分はブラコンだ。それも極度のものだ。
 ふと思い出す。学校の休み時間、告白を受けて、それを断って教室に戻って来た時、はやてに言われた言葉。

『フェイトちゃん、もう少しクロノ君以外の男の子に興味持ったらどうや?』

 酷く誤解を招くような発言だった。
 そんな事は無いと思った。ユーノやグリフィスと、フェイトの周りにはクロノ以外の異性の友人は沢山居る。興味が無いなんて言い過ぎだ。
 でも、今ならその言葉の本当の意味が分かった。
 クロノ・ハラオウン。
 誇れる義理の兄。
 大切な家族。
 大好きな家族。
 そんな彼が、一人の女性と結ばれる。
 身も心も。永遠に。それこそ、死が二人を分かつまで。

「………」

 心がざわめき立つ。
 嫌――という訳ではなかった。相手が見ず知らずの女性だったら、明確に嫌だと思えたかもしれない。
 でも、エイミィが相手なのだ。安心してクロノを任せる事が出来るし、事実、クロノとエイミィはお似合いだとずっと思って来た。
 なのに、どうして素直に祝ってあげられないのか。
 入浴した時からずっと抱えていた疑問が、その時、不意に解決を見る。

「……好き、だったのかな、私。兄さん――クロノの事が……」

 もしそうだとしたら、この掴み所の無い感情の正体が分かる。
 でも、分かった所で何の意味も無い。
 自覚するには遅すぎた初恋だった。
 だって、彼にはもう相手が居る。伴侶がすでに決まっているのだ。
 今更自分が入っていけるような間隙はどこにもない。
 ある訳が無かった。

「初恋って自覚して、いきなり失恋か」

 自嘲の笑みがこぼれた。
 胸に穴が空いたような、そんな感覚。
 キッチンでクロノが言っていた言葉が蘇る。

『明日、エイミィの実家に挨拶に行くつもりなんだ。あいつのご両親が許してくれれば……』

 そこから先は声が小さくてちゃんと聞き取れなかった。

 涙が溢れて来た。
 寂しくて、悲しくて、切なくて。
 涙と共に溢れた感情が空っぽの胸を埋め尽くし、氾濫する。
 天井から落ちて来る水滴と一緒に、頬を伝って涙がお湯に落ちて行く。
 エイミィの家族にはもう何度も会っている。両親は二人共とても大らかで、特に父親の方はクロノを気に入っていた。アルコールが苦手なクロノに酒をたらふく飲ませ、何度も”娘を頼むぞ”と言っていた。
 あの父が、クロノとエイミィの結婚を許さないはずがない。
 二人の結婚は決定したも同然だった。いや、クロノが指輪をはめていた時点でもう決定していたのだ。
 もうすぐ義兄は一人身ではなくなる。

「………」

 フェイトは湯船から出た。適当に身体を拭いて浴室を出る。
 脱衣所で下着とお気に入りの黒い寝間着を着て、長い髪をドライヤーで乾かし、フェイトは廊下に出た。
 結婚自体はまだ当分先だろう。両親が許可したとしても、日々激務に追い回されているクロノとエイミィには挙式を挙げている余裕も無い。
 だからこそ、フェイトは明日から一人身でなくなる義理の兄――クロノと夜を一緒に過ごしたかった。
 理由は言葉では巧く説明出来ない。失恋に終わった初恋に、自分なりにけじめをつけたいのかもしれない。
 ただ思いのまま、感情のまま、フェイトは義理の兄の部屋に向かう。
 明日が学校だとか、執務官の仕事が控えているとか、そんな事はどうでも良かった。
 彼の部屋の扉を静かに叩く。

「クロノ、ちょっといいかな?」

 彼を名前で呼ぶ事にドキドキしながら、フェイトはドアノブを掴んだ。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 短めですが、読んでいただきましてありがとうございます。
 メガミマガジンで始まったなのはS‘Sコミック。それでクロノとエイミィが結婚なんてネタが出たからもう大変。
 まぁこれはこれ、それはそれという感じで、ウチはクロフェを続けますし、確かにクロノにはエイミィが一番似合うかな? と思ってしまった訳です。
 この話は原作をなるべく尊重して書いてます。ただ、物語が進めばまたフェイトが暴走してくるのがケインクオリティ。本編のフェイトなら普通におめでとうって 言ってあげてそうです。
 クロフェじゃないクロフェSS、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 ちなみにこのSS、十八禁のSSとして構成してある話を全年齢版にしてありますが、某所で連載している話と結末はほぼ同じ予定です。





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