魔法少女リリカルなのは SS

風に舞う花

♯.4







 昔話を語るように、エイミィは口火を切る。

「最初は本当に笑わない子だったかな。思いつめた顔して、何にでも一生懸命だった。ううん、一生懸命過ぎてた」
「……それは今も変わらないよ」

 大人になった影響で息抜きのやり方を覚えたようだが、愚直なまでのひたむきさ、朴訥さは本当に変わらない。

「そうだね。でも、昔はフェイトちゃんやなのはちゃんみたいに、一緒にやっていこうって、認め合うって言うかな、そういう仲間って言える人達がいなかったんだ」
「……友達がいなかったの?」

 確かにクロノは自分から友達を作るタイプではない。物腰が柔らかくなった今でも同性で友好関係を結んでいるのはユーノとヴェロッサぐらいだ。

「かな。自分から作ろうってしてなかったのもあったけど……他人を距離を置こうとしてた感じだった。講習も実技もいつも一人。私は魔力資質が無い内勤組だったから、 実技とかは友達伝手に聞いてるぐらいだったけどね。可愛いけど無愛想な子がいるって、最初はそれぐらいしか聞いてなかった」

 今のクロノからは想像が難しい。出会った頃は確かに社交性が乏しいというか、緊張感を漂わせている雰囲気から近寄り難いイメージもあったが、ジュエルシード 事件の裁判が始まった時からそんな印象も霧散していた。
 口数が少ないところは自分と似ていて、恥ずかしがり屋な部分も同じで、その心情を何となく察する事もできた。

「あんまり評判も良くなくてね、将来は本局高官だからお高く止まってるんじゃないのー? とか、ヤな陰口とかも叩かれてて。こんな小さな子に皆何言ってるんだろうって、 そう思った」

 才能の有無で配属先や将来がある程度定められてしまう管理局では、そうした歪がどうしても生まれてしまう。特に官僚や将校を育成する士官学校には、間違った 意味でエリート思考に捉われた者達が少なくない。ギル・グレアムの愛弟子という事で士官学校入りしていたクロノは、そうした者達から見ればただの高慢な子供に 映ったに違いない。

「私もあの時は子供だったけど、私よりも下の子がどうしてあんなに……辛い眼をして士官学校に来てるのか、そっちが気になった。だから訊いたんだ」
「訊いたって……なんて?」
「ご飯の時に無理やり隣に座ってね。もちろん最初は物凄い迷惑そうな顔されたよ?」

 さすがは歩く柔軟思考である。自己主張が苦手なフェイトではとても真似できない事を事も無げにやってしまっている。自分では遠くから眺めるぐらいが 関の山に決まっている。

「君には関係無いって突っぱねられて。ムカっと来たからストーカーしちゃった」
「ス、ストーカー……?」
「例えばクロノ君が食堂で指定席みたいにしてた隅っこの席に先回りして居座ったり、一緒の講習とかで隣に座ってずっと話しかけたり」

 それはストーカーではなく、単なる嫌がらせの類である。無論、ストーカーも被害者から見れば質の悪い嫌がらせなのだが。
 煙たがられたに違いない。きっとクロノは険しい顔でエイミィに詰め寄ったはずだ。

「で、最後には根負けしたクロノ君が少しずつ話してくれるようになった」
「意地の勝ち、だね」
「まぁね。でもさ……子供が笑えない世界って寂しいでしょ? 私はお父さんもお母さんも家族全員が揃ってたけど、そうじゃない人も沢山いる訳で」

 それは父を喪っていたクロノの事であり、母の本当の愛情を欲したフェイトの事でもある。

「話してくれるようになったって言ってもね、もちろん簡単にだよ。詳しい事が聞けるまで結構かかって」
「どれくらい?」
「卒業間際辺りかな。大体の事情はリーゼ達から聞いてたんだけど、クロノ君の口から聞けたのはそれぐらい」
「……クロノ、意地っ張りだからね」
「うん……。ホント、可愛くない子供だったよ」

 エイミィが軽く笑う。その頃を思い出しているのだろう、その横顔には記憶を懐かしむ憂いが見え隠れしていた。瞳を伏せ、眉尻を下ろし、吐息をつく。

「―――」

 その横顔は、今まで見て来たエイミィ・リミエッタのどの表情とも違っていた。
 姉のような人。彼女が顔に浮かべた感情を、フェイトはうまく理解できなかった。
 でも直感で思う。
 ――ああ、これが大人の女の人の顔なんだ、と。
 かつての軽い調子なんて欠片も残していない。だから素直に思えてしまう。
 フェイトも大人びている端正な顔付きだが、とても太刀打ちできるものではなかった。
 風が吹く。潮の匂いを持ったそれはロングヘアに変えたエイミィの髪を梳いていく。

「リーゼ達にもほとんど言わなかったらしくて。おまけに可愛げ気の無い顔する訳でしょ? そりゃリーゼ達じゃなくてもからかいたくもなるよ」
「……それでクロノはあの二人が苦手なんだ」
「特にロッテには手痛い悪戯を何度もされてたからね。さすがにあれには入っていけなかったなぁ。私の仕事は悪戯されて半べそかいてるクロノ君を慰める役だった」

 半べそをかくクロノ。これだけ想像の難しい光景はそうは無い。頭をどれだけ捻っても、普通の子供のように愚図る彼の姿は浮かんでは来なかった。
 そこで、フェイトは気付く。そんな子供にはあって当たり前な光景すら想像させる事を難題にしてしまうほど、クロノという人間の精神は幼少の頃から成熟していた。
 何よりも沢山のモノを背負っていた。
 何て歪な。
 そうなってしまった理由を、彼以上に凄惨な幼少時代を経験したフェイトはすぐに察する。

「……母さんみたいに悲しい思いをする人を無くしない」

 ――呟くようなエイミィの言葉は決して他人の物ではなかった。

「それ……」
「そ。フェイトちゃんと同じなんだよ、クロノ君が局入りを目指そうとしたの」

 フェイトの母は――プレシアは、優し過ぎたから壊れてしまった。動かなくなってしまった娘を愛するがあまり、その死を受け入れる事ができなくて、ロストロギア という禁忌に触れてまで娘との再会を望んだ。こんなはずじゃない現実をやり直そうとした。
 あんな思いをするのは母と自分だけで十分なのだ。だからフェイトは執務官を目指した。二人目のプレシアを作らない為に。もう、あんな思いをする人間を作らない 為に。

「グレアムさんからそれ聞いた時、凄い奴だなぁって思った反面、本当に生意気な奴だなぁって思った。子供なら子供らしくしてればいいのに」
「……子供だから思ったんじゃないかな」

 意外そうな顔で、エイミィが眼を瞬かせる。

「母さんに笑っていて欲しいと思うのは誰だって一緒。六年前の私が……ううん、今もそうだけど……あの時はそれが唯一の願いだったから」

 母と子の満足な会話も無く、去って行くその背中を見詰める事しかできなかった自分。
 母の願いを叶えようと、また笑ってもらうと必死になった自分。
 似て非なる経験をクロノもしていたのかもしれない。
 夫を亡くして悲嘆に暮れていた母――リンディの背中を、彼は目の当たりにしたのだろう。そうして育ったのだろう。物心がつくか否かの幼いクロノがそんな母に してあげられる事なんて何一つなくて、彼自身もそれは誰よりも理解していて。だからこそ、母のように泣き崩れる人を二度と出さないように、父親という存在を 知らないまま、後の恩師となるギル・グレアムの下に赴き、史上最年少で士官学校の門を叩いた。
 子供らしくもないと言ってしまえばそれまでだが、子供らしい優しさと拙さが彼の背中を押した。少なくとも、フェイトはそう思った。

「……そっか。……うん、そうかもしれないね」
「きっとそうだよ。クロノ、優しいから」
「素直じゃないけどね。本当に笑いもしなかったし」
「……クロノが笑ったっていつ?」

 優しいけど、頑なな少年が、一体どうして笑ったのか。

「半年ぐらいしてから。ロッテ辺りから聞かされたと思うけど、クロノ君って身体が丈夫な方じゃなかったから、無茶な訓練で時々体調崩してたの。で、その時は思い切り 風邪こじらしちゃってね。その看病であの子の寮に入り浸った訳」
「……士官学校は休んだの?」
「うん、休んだよ。だって私くらいしか看病できそうな人いなかったし、リーゼ達がやるって言ってたんだけどクロノ君が嫌がってたから」

 物思いに耽るように、エイミィが茜色の空を見上げる。にっこりと笑った彼女の視線の遥か先で、渡り鳥が翼を広げていた。

「鼻水と咳が酷くて。でもクロノ君ね、『君のお節介にはウンザリだ。移るといけないし、学業を疎かにするつもりか?』なんて言うんだ。病人の癖にね」

 フェイトは無言で話の続きを催促する。手の中の缶コーヒーは未だに栓を開けられてはいなかった。

「さすがにカチンと来たから、着替えからご飯の支度まで全部しちゃった。それが四日間くらい続いて、熱も下がって明日には復帰できるかなって時――……」

 言葉が途切れる。どうしたのかと視線をエイミィに向ける。

「ありがとうって言ったんだ、クロノ君。あの子、初めて私にありがとうって、まだむくんでる酷い顔で笑って……そう言ったの。あの時」

 海面に姿を消そうとしている太陽が、滲むような赤い光でエイミィの微笑みを照らし出す。
 今までフェイトが見て来たどんな笑顔よりも、眼前で笑うエイミィの表情は綺麗だった。
 今まで見た事の無い大人の表情を浮かべるエイミィが、はにかんだのだ。

「――……」

 素直に思う。
 本当に綺麗だと。
 この人には勝てないと、直感で思う。
 エイミィがその脳裏に思い描かれている記憶は、きっとかえがたい大切な思い出なのだ。こそばゆくて、照れ臭くて、だからこそ温かみを覚えられる。

「それからだよ、クロノ君が笑うようになったのは。仏頂面でいる事の方がずっと多かったし、私とワンセット扱いにされるのは嫌がってたけどね」
「……士官学校卒業した後は二人でアースラに?」
「うん。私は元々情報処理関係のオペレータ志望だったし、クロノ君は最初から執務官志望で、二人で半分見習いでアースラ所属。レティ提督の人情人事に助けてもらいましたよ、もう」
「………」
「アースラに配属されてから、クロノ君が執務官試験に落ちたり、色々あって、ジュエルシード事件があって、フェイトちゃんやなのはちゃん達と出会って……」
「エイミィ」
「うん?」
「エイミィはさ」
「うん」
「エイミィは……」

 彼を――クロノが好きだという気持ちは負けないと思う。
 でも、エイミィよりも、あの人を幸せにしてあげられる自信は――多分無い。
 虚勢でもいいからあると言いたかった。せめて思いたかった。でも、できない。
 何故なら、自分はこんな風に笑えない。
 クロノを想って、こんな綺麗な笑顔を浮かべる事はできそうにない。
 エイミィはきっと幸せなのだ。クロノはそんな幸せの渦中にあるエイミィと一緒になる事で、もっと幸せになれるのだ。
 好きな人の幸せを願うのは当たり前だ。何よりもそれは優先される思いだ。
 自分の幸せよりも優先されるべきなのだ――……。

「幸せだよね?」

 探るような声音に、エイミィはきょとんと首を傾げて、ややあった後。

「もちろん」

 エイミィ・リミエッタらしい無邪気な表情で、彼女は肯いた。

「幸せだよ、私。多分これから先も」
「……変わらない?」
「そう思う」
「……うん、私もそう思う」
「……フェイトちゃん?」

 エイミィが怪訝そうに眼を細める。
 フェイトは手元の缶コーヒーに視線を落とした。冷たい缶を握っている手は悴んでいて、閉じたままのブルトップを空けられない。もう片方の手は何故か震えていて 上手く動いてくれない。
 カチンカチンという乾いた金属音が小さく鳴る。
 もどかしくて、フェイトはエイミィに缶コーヒーを差し出す。彼女らしからぬ乱暴に突き放すように。

「ごめん、開けてもらっていい?」
「……もちろん」

 震えているのは手だけではなかった。
 肩も、腕も、笑えてしまうぐらいに震えていた。
 寒くもないのに。
 缶を受け取ったエイミィはカシャンとブルトップを開ける。
 苦味を含む微かな香りが、風が運んで来る塩の匂いと共に鼻腔をくすぐる。

「これ、結構苦いよ?」
「……平気」
「……そっか」

 手を叱責する。無様に震えるな。理由もなく震えるな。
 そうして何とか落ち着いた手で缶を受け取って、ゆっくりと口を付ける。
 すぐに味覚が麻痺した。想像を絶する苦味だ。クロノを真似して何度か飲んだどのコーヒーよりも酷い味だった。
 咽ないようにする。でも、これはさすがに無理だ。咽るのは格好悪いし、無理をして飲んで背伸びをしているとエイミィに思われるのは嫌だった。
 これから義理の姉になる人に笑われるのはちょっとだけ格好悪い。
 ――そう、姉に――自分の姉に、エイミィはなるのだ。
 我慢するのはやめよう。ブレーキをかけていた感情が外そう。きっとエイミィは咽ていると思ってくれる。彼女なら、きっとそう思って、それで納得してくれる。
 フェイトは背中を丸めて、手すりに捕まり、顔を海へと向けた。

「ごめん、やっぱり私には早かったみたい」
「実は私も大人ぶって我慢してたり」
「あげる」
「えー! 最後まで飲まないと駄目だよー!」
「飲めないよこんな苦いの!」
「飲めないと大人になれないよフェイトちゃん!」
「要らないったら要らないー!」
「フェイトちゃんが急に我侭になったー!」

 渡り鳥の鳴き声が頭上に木霊していた。
 波のせせらぎも、風の音色も、世界を包んでいるそれらが心地よかった。
 口の中いっぱいに広がるこの世のものとは思えない苦味に死にそうになりながら、フェイトは赤い空を見上げて笑った。
 頬を伝って行く雫が熱くて仕方無かった。



 ☆



 結局二人で頑張って二本の缶コーヒーを空にした。何度も吐き出してしまいそうになりながら、エイミィと笑いながら飲み合った。
 帰路に着いた頃には夕陽はとっぷりと沈んだ後で、ぼんやりと灯った水銀灯に照らされている道を二人で手を繋いで帰った。
 どちらからとも無く繋いだ手だった。
 ずっと無言でも、特に重い空気なんて無かった。
 途中でエイミィの携帯電話に電話がかかって来たが、通話は五秒で終わっている。誰から、と訊くと笑ってはぐらかされてしまった。
 マンションに着いて、そのままエレベータに乗って目的の階層まで一直線に行って、共通通路に出たところで手を離す。
 少し歩いた所でエイミィが足を止めた。

「エイミィ?」
「さっきの電話ね、クロノ君からだった」
「クロノから?」
「待ってるって、フェイトちゃんを」

 先の部屋の前まで行っていたフェイトも、そのドアノブに伸ばしかけていた手を止めた。

「……クロノ、なんて?」
「フェイトちゃんを待ってる。そうとしか聞いてない」

 クロノを待っている。
 そう聞いても、もう胸は弾まなかったし、嬉しいと感じる自分はいなくなっていた。
 心中にのたうつのは罪悪感と逃れたいと思う恐怖感だけだ。
 エイミィは何も言わなかった。行けとも行くなとも言わなかった。きっとここで踵を返して来た道を逃げるように引き返しても、エイミィは笑顔でいいよと言って 見送ってくれる。一緒に来て欲しいと願えば、これも笑顔で承諾してくれる。
 でも、こんな状況に――一瞬でもこれからのハラオウン家に亀裂を入れかけてしまったのは自分だ。自分の我侭が、自分さえ良ければとわずかでも考えてしまった。
 罪とは向き合わなければならない。
 だからフェイトはドアノブを掴んだ。これからもこの扉を笑顔で開いて行く為に。
 この時のノブが回って扉が開く音を、フェイトは一生忘れないだろうと思った。
 扉を開いた先にはクロノがいた。
 彼のすぐ後ろには、少女の姿をしたアルフがいた。
 アルフの肩を抱くようにして、リンディがいた。
 眼の前に家族が揃っていた。
 視線が宙を彷徨う。逃げては駄目だと何度も自分に言い聞かせる。
 そうしていると、すぐ側にいたクロノと眼が合う。
 出会った頃と何一つ変わっていない黒い瞳は、片時も揺れる素振りを見せず、フェイトの赤い瞳を見詰めていた。

「おかえり」
「ただ……いま……」

 使い始めた頃、『ただいま』と言える家族を得られた事が嬉しくて、恥ずかしくて、なかなか言えなかった言葉だ。
 ――家族。

「クロノ」

 声をかけられるなんて思っていなかったのか、虚を突かれたようにクロノが表情を変える。
 自分の我侭のせいで、順風満帆だった彼の行き先に影を落としてしまった。
 心配をかけてしまった。
 悩ませてしまった。

「クロノ。あのね」

 クロノはどうしていいか分からない顔で立ち尽くしている。こうして待ってくれていた以上、きっと何か用意していたはずだ。
 それでも何もしてこないし、何も言って来ない。
 フェイトの次の言葉を待っているかのようにだった。
 それでいいのだ。
 だってクロノの答えなんて一週間前から決まっていたのだから。

「これからは……お兄ちゃんって、また言ってもいい?」

 沈黙が『義理の兄』の頬を紅潮させて行く。
 わざとらしい咳払いをした後、彼は言った。

「……僕の歳を考えてくれ。率直に言えば、それは恥ずかしい」
「でも私はまだ十五歳だから。まだまだお兄ちゃんって言えるもん」
「いや、だから言われる方の身にもなってくれ。……せめて前みたいにだな」

 呆れるその口調を、フェイトは遮る。

「兄さん」

 不器用で、実直で、優しくて、大好きなヒトを――義理の兄と呼ぶ。

「これで……いい?」
「……フェイト……」
「兄さんって……呼ばせて」
「……ありがとう」

 フェイトの細い背中に、クロノがそっと手を回す。
 一週間前のあの夜よりもクロノは暖かかった。大きくて飛び込んでしまえそうだった。
 耐えるように、フェイトは彼の服の袖に右の人差し指を引っ掛ける。それ以上先をしてしまってはきっと駄目になる。そう思う。

「それは私の台詞。……ありがとう……それから……」
「ん?」
「もう一度……今度こそ……言うね」

 見上げたクロノの顔は泣きそうだった。フェイトの次の言葉が何なのか分かったのだろう。
 どうして彼が泣きそうになるのか。本当にどこまでも優しい人だ。

「笑って、兄さん」
「笑ってるつもりだ」
「兄さん」
「………」
「結婚、おめでとう。エイミィを……姉さんを大切に、して……あげて、ね……!」

 思いが溢れる。感情が決壊する。とても耐え切れない。鼻の奥がつーんとする。視界が歪んで行く。
 辛さと嬉しさを無理矢理同居させた歪な顔となるフェイトを、クロノは労わるように抱き締める。静かな嗚咽が家族が集った玄関に響き渡った。



 ☆



 視界に小さな何かが入り込んだ。何かと思って手を伸ばしてみると、桃色の花ビラが掌に納まった。
 視線を前へと走らせると、一部の街路樹だけが見た事の無い樹木に変わられていた。
 その樹木は緑ではなく、今こうして掌の中にある桃色の花ビラ――花々を枝に満開している。
 風が舞い、散った花達が遊泳を楽しむように頭上を飛んで行く。生い茂っているその樹木達を、青年は知らない。
 唖然として花達を見送っていると声がした。

「それね、桜って言うんだよ」

 これまた初めて聞く単語だった。
 声の主は青年の掌から花――桜を取る。

「ミッドチルダには無い花なんだ。どう、凄く綺麗でしょ?」

 声の主は少女だった。大人びた端整な顔立ちと凛とした雰囲気から、実際の歳よりも上に見られる事が多いそうだ。初めて会った時も、二十歳に行かなくとも十九歳 そこそこと思ってしまったぐらいだ。
 本当の歳は十六歳。今年になってミッドチルダ首都クラナガンに越して来た、時空管理局執務官という要職に就いている少女だ。
 そんな才女と呼んでも別段おかしくはない少女は、職務中には滅多に見せない歳相応の表情で桜を見上げて微笑む。

「前に話したよね、私が子供の頃にいた管理外世界の事。なのはやはやてもあそこの出身なんだけど。あ、これも知ってるか」

 少女の機嫌はとても良かった。今まで見た事が無いくらいに。羽でも付いているかのように足取りは軽い。

「その世界の花なんだ」

 管理外世界の文化がクラナガンに来るのは珍しい事でもないが、こうした植物が直接持ち込まれるのはそうそう無い。
 桜が舞い散る歩道を、青年は少女と一緒に歩く。一緒とは言っても肩を並べて、という訳でははない。仕事仲間の域を出ない。青年は思っている。
 デートに心を弾ませるように、少女は浮かれていた。いつもの慎ましさはすっかり形を潜めていて、とことこと先を行ってしまう。
 そんなに急がなくてもいいのに。会場も彼女の大切な家族達も逃げはしないのに。
 苦笑がこぼれてしまう。無邪気な少女の姿は新鮮を通し越して斬新ですらあった。
 桜という街路樹に沿って作られた歩道が緩やかな坂となり、目的地が見えて来る。

「早く早く! 式が始まっちゃうよ!」

 いや、遅れたのは君が準備に手間取っていたからだろう。
 思っている言葉は胸に締まっておく。幸せ絶好調な少女に現実的な言葉はむしろ水を差すようなものだ。
 今日、少女の義理の兄が結婚する。相手は十年以上の付き合いのある女性で年上だ。
 二人は青年の上司に当たり、何だか恋人や夫婦よりも、相棒なんて厳つい言葉の方がしっくり来る仲だ。
 義理の兄からは『まだまだ妹は半人前だ。しっかりサポートしてやってくれ』と肩を叩かれたものだが、それは執務官補佐のシャリオ・フィニーノの仕事である。青年は 近々退役が決まるL級巡航艦船アースラに配備された航空武装隊隊長で、階級は三等空尉。ポジション的には、むしろ少女にサポートしてもらわねばならない情けない 部分もある。

「ほら、早く!」

 時間に余裕はまだある。なので青年はゆったりとした歩調で歩いて行く事を選んだのだが、少女はそれがお気に召さなかったらしい。走って来たと思えば、手を 掴んで猛然と引っ張って来た。細い腕の膂力は大した事は無くて、戦闘訓練ではこっぴどくやられているなんて思えない。
 配属当初は使っていた敬語も、上司である少女の命令で使っていない。さすがに公の場では使っているが、それ以外で使うと機嫌を損ねてしまう。
 着慣れないスーツのせいで足が縺れそうになった。困り果てる青年を無視して、少女は走り続ける。
 鐘の音が聞こえた。
 坂を上ると白い教会があった。人垣ができていて、何かイベントを模様しているようだった。

「兄さん! 姉さん!」

 少女が叫ぶ。人垣の一部が振り向いて、表情を明るくした。青年も知っている顔ぶれだった。
 栗色の髪の少女――こう見えて教導隊のエースオブエースだから驚きだ――が大慌てで近付いて来る。

「フェイトちゃん遅いッ! もう始まってるよ!」
「ごめん、なのは! 兄さんも姉さんも、式場にはまだ入ってないよね!」
「まだやけど。でもギリギリやで、ホンマに」
「はやても、ごめん!」

 エースオブエースや歩くロストロギアと言われている特別捜査官は、なかなかどうしてご立腹なご様子だった。
 少女は何度も拝むように謝ると、青年の手を掴んでいた指にぎゅっと力を込めた。
 少女と女性の中間にある、柔らかい指。
 思わずドキリとして少女の顔を盗み見ると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めていた。そこかしこで満開となっている桜に負けないくらいのピンク色に。

「じゃ、なのは。また後でね」
「紹介するの?」
「うん。この日にしようって、ずっと前から決めてたから」
「紹介って?」
「ん〜、なのはちゃんにはまだ早いかもなぁ。ユーノ君も大変や」
「ど、どうしてそこでユーノ君が出て来るの!?」
「……仕事が恋人は昔のクロノ君だけで十分やで……」

 呆れて肩を落とす特別捜査官の少女。
 三人の会話に着いていけない青年が眼を瞬かせていると、ぐぃっと手を引っ張られた。もちろん引っ張ったのは――……。

「急ご!」

 少女――フェイト・T・ハラオウン。
 見知った者達の波を掻き分けて、少々強引に突き進んだその先に、青年の上司二人がいた。
 クロノ・ハラオウン提督とエイミィ・リミエッタ通信司令官。いや、エイミィの姓はもうハラオウンだから、エイミィ・ハラオウン通信司令官か。
 クロノは純白のタキシードだ。日頃から何かと黒系を好む彼を知っていれば正直違和感を抱いてしまいそうだったが、しっかりと似合っていた。不精の上司の事だから、 あの黒灰色のバリアジャケットで済ますのではないか、と実は不安にもなったのだが、完全な杞憂で終わったようだ。
 エイミィはワンピース状のウェディングドレス。手袋も持っているブーケも派手さを抑えた作りだった。実は恥ずかしがり屋な部分もある彼女らしい。

「兄さん、姉さん、おめでとう」

 フェイトが言った。心から嬉しそうに、はにかみながら。

「ありがとう、フェイト」
「な、何だか照れちゃうな、やっぱり。というか、姉さんって呼ばれるの慣れないよもう」
「ずっとこう呼ぶから。覚悟してね、姉さん」
「な、慣れるように努力します……」
「うん。あのね、ちょっとだけ時間いいかな?」

 妹の願いを、二人は二つ返事で許す。

「ああ、ちょっとだけなら」
「ちょっとだけでいいんだ。えっと」

 フェイトが何故か顔を伏せて、ぐぃぐぃと乱暴に青年の腕を引っ張る。無言の指示出しだった。
 クロノとエイミィの前に出ろ。彼女はそう言っている。
 二人は揃って不思議そうに首を傾げた。

「兄さん」
「なんだ?」

 青年の横に立つフェイト。痛いぐらいの力で青年の手を握る。
 彼女がどうしたいのか。兄に何を伝えようとしているのか。
 青年は何となく感付いた。同時に眩暈を覚えてしまうが、ここでふらつく訳にもいかなかったのでぐっと堪えた。
 本気なのか。この際だから思念通話で訊こうとも思ったが、その横顔を見詰めていると、そんな質問そのものがあまり無粋に思えた。

「あのね」

 フェイトは必死になっている。うなじまで赤くして、尊敬して、愛している兄に報告をしようとしている。
 女の子がここまで頑張っているのだ。なら――……。

「クロノ艦長」
「今は仕事中じゃないぞ?」

 艦長がおどける。それもそうだ。つい力んでしまった。
 青年は苦笑して、緊張で震えるフェイトの手を握り返してやった。
 フェイトがすっと顔を上げる。一瞬だけ眼を合わせて、微笑む。

「私から言うから」
「……分かった」
「クロノ」
「ん?」

 次に紡がれる言葉が何なのか、クロノは分かっている様子だった。
 だからフェイトは示し合わせたように、その予想に従う事にする。

「この人が私の――……」






 Fin







 読んで頂きましてありがとうございました。
 リリカルマジカル4で『You look like me』と名前を変えて頒布した内容をほぼそのまま掲載しています。
 最後のは〜…まぁ、誰でしょうね〜。成人向け内容と全年齢内容で書き分けた時、全年齢版の最後は投げっぱなしジャーマン上等で書いておりましたから(汗)。
 成人版は未完結ですorz





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