魔法少女リリカルなのは

Southern Cross

前書 2








 吐く息はどこまでも白く、まるでキャンパスに塗られた白い絵具のようだった。
 フェイトはマフラーに顔を埋め、空に上りながら虚空に消えて行く白い息を見送る。
 一月も下旬。寒波が抜けて、少しは暖かくなったと思えば、次の寒波が休む間もなく遥か空を覆う季節。
 フェイトは口をマフラーから出すと、大きく吐息をつく。吐き出された濃い霧のような息は、たちまち空に上り、消えた。
 言葉にし難いが、フェイトはこの光景がとても好きだった。現れてはすぐに消えてしまう吐息に切なさを覚え、酷く幻想的に見える。

「待たせたな、フェイト」

 黒に近い青色のコートを羽織って、フェイトと同じようにマフラーを首に巻いたクロノが現れた。スーパーのロゴが入ったビニール袋を手に ぶら下げている。

「お買い物は終わった?」

 寒さから白くなった顔で訊くフェイト。

「ああ。君に来てもらって正解だったよ。エイミィの奴、あんな適当なメモ一つしか渡さないんだから」
「作ろうとしてたお料理の材料が足りなかったら、いくらエイミィでも焦っちゃうよ」
「確かにそうかもしれないが、クリームシチューを作ろうとしてシチューの素とジャガイモを忘れる奴が居るか?」

 エイミィが今日の夕食はシチューだ〜と意気込み、キッチンに籠もったまでは良かったのだが、どういう訳かすぐに情けない悲鳴を上げた。飛び込んだクロノが見た 物は、冷蔵庫の扉を開け、項垂れるエイミィの姿だった。最近忙しく、冷蔵庫の中身を把握していなかったのが原因らしい。
 買出しには唯一の男手という理由からクロノが任命されたのだが、仕事の虫である彼は料理のりの字すら知らず、エイミィからシチューの素についてあれやこれやと 説明されても小首を傾げるばかりだった。結局フェイトも付いて行く事になり、今に至る訳だ。

「まったく。料理だから良かったものの、仕事でうっかりをされたら困る」

 愚痴をこぼすクロノに、フェイトはやんわりを苦笑する。エイミィの事を語る時、彼はいつになく饒舌になる。もちろん、愚痴を語る舌がである。だが、 その愚痴に嫌味の類は無かった。悪戯好きな子供の事を困ったように話す親と良く似ていた。
 そんな風にクロノに話されるエイミィが、フェイトは羨ましかった。嫌味の無い愚痴は、想いから来る裏腹の言葉である場合が多い。言葉ではそう言っていても、 クロノはエイミィに絶対的な信頼を置いている。彼らの姉弟のような関係を見ていれば、それがよく分かった。
 だから羨ましかった。クロノからそれだけ信頼され、想われているエイミィが。

「……私はどんな風に思われてるのかなぁ……」

 白い息と共に、そんな言葉がフェイトの口から出た。無意識に出てしまったらしく、フェイトは咄嗟に口を押さえ、クロノを見る。
 不思議そうに見て来る彼と視線が見事に合った。

「何か言ったか?」
「な、何でもない。うん、何でも」
「そうか?」
「うん。あの、エイミィとリンディ提督も待ってるし、帰ろう?」
「そうだな。冷え込みも酷くなって来たし」

 二人は並んで歩き出した。
 夜になりつつある商店街は、足早に帰路についている学生やサラリーマンが多かった。二人はその中で服の袖が触れ合うくらい寄り合う。
 クロノの歩幅はいつもより狭い。一緒に歩いているフェイトに合わせている。フェイトはそれがとても嬉しくて、口許の緩んだ顔をマフラーに埋めて隠した。
 クロノが気にかけてくれているのが嬉しかった。それが家族としてだと思うと、ちくりと胸が痛んだが、それでも嬉しいと思う気持ちは変わらない。

「フェイト」
「え?」

 不意にクロノに手を引っ張られた。予期せぬ唐突な力に、フェイトの小さな身体は簡単にクロノの胸にぶつかる。
 少し前までフェイトが歩いていた場所を、サラリーマンが足早に歩いて行った。

「まったく、もう少し回りに気を使えないものかな」

 小さくなって行くサラリーマンの背中を、クロノは睨んで見送った。

「いきなり引っ張ってすまない、フェイト」
「う……ううん。あ、ありがとう……」

 彼の手は、フェイトの手と同じように冷たいはずだった。なのに、どういう訳かとても温かかった。冷え切っていたフェイトの手が、彼の体温を得て徐々に 温かみを取り戻して行く。

「こうしていた方がいいかもしれないな」

 フェイトの手を握る自分の手を見て、クロノが言った。

「ふぇッ!?」

 心臓が飛び出してしまいそうな衝撃だった。

「こう人通りが多いとはぐれてしまうかもしれないだろ」

 こくこくと頷く。握られた手がじんわりと汗を噴き出し始めた。

「裏道に行こう。公園の側を通って行けば近道にもなる」

 彼の言葉は、右の耳から入って左の耳に抜けて行った。
 初めて彼から手を握ってくれた事が嬉しくて。
 どんな理由であれ、このままでいようと言う彼の発言が信じられなくて。
 道を譲らない通行人から助ける為に手を握っただけなのに。フェイトのどぎまぎは、高速機動魔法を掛けたように加速する。
 耳が熱かった。さっきまで感覚が無い程冷たくなっていたのに。
 まるでお風呂から出たみたいに身体が火照って来ている。さっきまで寒さに震えていたのに。
 クロノに手を引かれ、細い路地を曲がる。賑やかな商店街から一変して、そこは静かな住宅街だった。
 時々、喧騒を上げて走って行く子供が居るくらいで、後は物音一つしなかった。人気が無いと言うべきか。夕食時の時間なのだから当然かもしれない。
 フェイトは何度も手を握り返そうとしていたが、彼が驚いて手を離してしまうのではないかと思って、思い止まっていた。
 袖が触れ合う。服越しに彼の腕の感触が伝わって来た。どきりとして、フェイトはマフラーに顔を引っ込める。

「寒いな」
「……うん」

 会話らしい会話は無かった。でも、フェイトはマフラーに埋もれながら微笑む。
 彼の言う寒さなど、フェイトはほとんど感じていなかった。
 何度か道を曲がると、公園に出た。住宅地の真ん中にある、立派な公園である。子供達で賑わっているこの公園も、今は静寂に満ちていた。だが、無人という 訳ではない。寄り添うようにベンチに座り、何かを食べている男女の姿が見えた。
 小さな屋台があった。バンを改造した本格仕様で、屋根に掲げた看板には、大きく”たいやき”とある。
 なのはに進められて、クロノもフェイトも何度か食べた事があった。火傷をしそうな生地の中に入っている餡子が絶妙に旨く、特に大の甘党のリンディはすっかり 虜になっている。

「こんな寒い日に屋台を出すなんて。商魂も逞しいな」

 感心するクロノ。だが、フェイトは何も反応しなかった。
 彼女の視線は、ベンチで仲良くたいやきを頬張っている男女に殺到していた。
 考えるまでもない。この男女は恋人だ。ほとんど抱き合っていると言っても過言ではないくらいに身を寄せ合っている。寒さに耐える為なのか、それとも単純に そうしたいからなのか。まぁ、考えるまでもない事だ。

「随分寒そうだな。家で食べればいいのに」

 今度は呆れるクロノ。フェイトは滑りそうになる脚を何とか踏ん張った。
 本当に鈍い。ここまで来ると天然記念物級である。いや、もっと酷い。危険指定されたロストロギアである。

「フェイト、食べたいのか?」

 不意にクロノが言った。

「え?」
「いや、ずっと食べてる所を見てるから」

 見ていたのは仲睦まじい恋人達です。とは言える訳がない。

「う、うん……」

 咄嗟にそう答えた。
 クロノは財布を引っ張り出すと、中身を確認して頷く。

「一個でいいか?」
「うん……」

 頷くフェイト。クロノは屋台に歩み寄ると、この寒波の中で半袖でたいやきを作っている主人に言った。

「すまない。たいやきを一つ頼む」
「はいよ〜。たいやき一枚だね」

 確認しながら、主人は慣れた手付きでプレートからたいやきを一枚掴み、無地の紙袋に放り込む。

「お待ち。百円ね」
「? 看板には二百円とあったが」
「キャンペーン中でね。カップルには半額なんだ」
『カッ!?』

 フェイトとクロノは、揃ってトマトのように顔を赤くした。
 主人は不思議そうに二人を見る。

「なんだ、違うのかい? 可愛いカップルだなっと思ったんだが」

 フェイトは勝手に顔の筋肉が緩んで行くのを感じた。何も知らない人からみれば、自分とクロノはそう見えたのか。
 胸がいっぱいになって行く。実際には違っても、そう思われたと思うだけで嬉しかった。
 だが、そんな気持ちは喚くように否定するクロノの言葉によって、あっさりと壊されてしまう。

「ち、違うッ! この子は僕の妹だ! 断じて恋人じゃないッ!」
「そうなのかい? 何かあんまり似てないなぁ」
「と、とにかく違う! 代金は二百円だなッ?」
「ん、いや。百円でいいよ。こんな可愛い兄妹から二百円は取れんよ。二人とも十歳くらいか?」
「十四歳だッ!」

 大声で叫んで、クロノは引っ手繰るようにたいやきが入った紙袋を受け取る。不機嫌を隠さないクロノに、だが、主人は機嫌を損ねる事も無く、まいど〜と 言うだけだった。

「まったく、どう見れば僕とフェイトが恋人に見えるんだ……!?」

 十歳くらいかと訊かれたのが一番面白くなかったのだろう。クロノの鼻息はそれなりに荒かった。
 フェイトは、そんな彼を睨む。

「……そんなに思い切り否定しなくてもいいと思う……」

 確かに彼はフェイトの事を、”家族として好きだ”と明言していた。だが、だからと言って力いっぱい、全力で否定する事もないじゃないか。
 愚痴を呟くフェイト。先程まで彼の体温でぽかぽかとしていた身体は、寒波に見事に侵されて震えていた。切なくて悲しくて、どうしようも なかった。

「何か言ったか、フェイト」
「……何でもない」

 ぷいっと顔を背ける。彼女がそうなっている理由がまるで思い当たらないクロノは、首を傾げながらたいやきが入った紙袋を差し出した。

「ほら」
「……ありがとう」

 お礼を言って受け取る。なのはを超える鈍感さを誇る彼だが、悪意は無いのだ。恨んだり怒ったりしても仕方が無い。それに、彼が自分の為に買ってくれた ものだ。ちゃんと受け取らないと失礼である。

「冷めない内に食べるといい」
「うん」

 紙袋から出す。狐色の魚が湯気をたてて顔を出した。
 頭からかぶりつく。かりっとした歯応えと共に、口の中に熱さと餡子の甘みが広がった。

「旨いか?」

 頷く。口の中が熱くてとても答えられなかった。

「なら、僕も少し貰うよ」

 そう言うと、クロノはたいやきを持つフェイトの手を掴み、有無を言わさず、彼女の食べた後に口をつけた。

「―――ふぇッ!?」

 眼を瞬かせ、フェイトはおいしそうにたいやきを頬張ったクロノと、かじられたたいやきを交互に見た。
 彼はそんなフェイトの視線には気付かず、はふはふと口を動かす。

「これはなかなか旨いな」

 味なんてもうフェイトの思考からは消え去っている。いや、吹き飛ばされたと言った方がいい。
 間接キスだった。フェイトが口をつけた場所を、クロノがかじった。キスとは言えないが、まぁキスと言ってしまってもいいだろう。
 普通なら気に留める事だろうが、家族間では別に気にする事ではない。そういう意味で、クロノはたいやきを食べたのだ。

「僕も買っておけばよかったかな。まぁ、夕食前だし、控えるべきだろうけど。……? フェイト?」

 ようやく彼女の視線に気付くクロノ。

「どうした?」
「……ばか……」

 さすがに恨み言の一つでも言いたくなった。だが、フェイトの顔は、ふにゃふにゃに緩みまくり、言葉とは明らかに正反対の表情をしていた。

「そんなに腹が空いてたのか?」
「……違うよぉ、もう……」

 怪訝そうにするクロノと、幸せそうに笑うフェイト。二人はしばらくの間、おかしな会話を繰り広げた。





 時々見せるクロノの無防備なところが、私の悩みの種だった。どきどきが止まらなくなるけど、でも、その度に私は悲しくなる。彼がそんな態度に出るのは、私を 家族として、妹として見ているからだと思い知らされるから。だって、彼は絶対に、なのはにはそんな態度を取らないから。
 このくらいからだ。私の中でまた新しい感情が芽生え始めたのは。





 出動記録提出課。毎日濁流のように押し寄せてくる出動要請等の手続きを一手に管理している管理局本局内にある課だ。
 数枚の書類にサインをして、この課に提出すれば、本日のフェイトの嘱託魔導師としての仕事は終わりを告げる。
 区役所にあるような背の高い机で、フェイトは書類をもう一度確認する。記入欄はほとんどの場合、サインのみだが、見落としが無いとも言い切れなかった。 生真面目なフェイトらしい行動である。
 特に抜けている箇所は無かった。書類を机で弾いて整えてから、窓口の女性スタッフに差し出す。

「記入、終わりました」
「はい、いただきます」

 笑顔で答えた女性スタッフは、受け取った書類に眼を通す。

「はい、確かに。いつもお疲れ様、フェイトちゃん」

 闇の書事件以降、フェイトやなのはの知名度は管理局の中でも高くなっていた。九歳という歳で、AAAクラスの魔導師を超える魔力を秘めているという点も大きな 要因だが、何より闇の書事件の功績が大きかった。もはや著名人の域で、以前なのはが士官学校の次期武装局員の戦闘教官を務めた事があったが、生徒が集まり過ぎて、 授業にならなかった。
 フェイトの場合は魔導師としての腕前も有名だが、また別の意味でも、フェイト自身が知らぬ所で有名になっていた。

「フェイトちゃんフェイトちゃん」

 女性スタッフが、窓口のカウンターから身を乗り出してフェイトを手招きする。周囲に目配りをして、近くに居る同僚を警戒している。

「はい?」

 フェイトが近付くと、女性スタッフは耳打ちをするように小声で彼女に訊いた。

「クロノ君、今日は非番?」
「いえ、今日は士官学校に戦闘教官として行ってると思います」

 取り合えず、フェイトも周囲を気にした小さな声で答えた。
 女性スタッフは残念そうに溜め息をつく。

「そっかぁ〜……」
「クロノがどうかしたんですか?」
「非番だったら食事でも一緒にどうかな、っと思って。ほら、あの子競争率高いから」
「競争率?」

 何の事かさっぱり分からず、フェイトは怪訝そうに訊き返した。何を競争するのだろうか。クロノとの関連性がまるで見えない。

「そう、競争率。フェイトちゃん、いつも一緒に居るようだけど気付かないの?」
「そ、そんな。いつも一緒だなんて……」

 そうなれればどれだけ幸せか。当然そうはいかない。フェイトは嘱託魔導師を務める傍ら、なのはの世界で学生もやっている。クロノは執務官という激務に追い回され、 週に一回、自宅となっているマンションに帰って来ればいい方だ。なのはやはやてに比べれば一緒に居る時間が長いのは間違いない。

「そうなの?」
「……はい」

 すると、女性スタッフは何故か表情を明るくした。

「それならまだまだ私にもチャンスはあるわね。大きな障害が居なくなった訳だから」
「しょ……障害?」

 競争率の後は障害だ。ますます分からない。

「どういう意味ですか……?」

 フェイトが訊くと、女性スタッフはどこか意地の悪い笑みを浮かべ、声を細くして答えた。

「クロノ君を射止める為の障害。フェイトちゃん、クロノ君といつも一緒なイメージがあったから、もしかしたらクロノ君の彼女なんじゃないか〜って有名だったの」

 フェイトは思わず耳を疑った。
 自分が? クロノの彼女? 有名だった?

「ち、違います! わ、わた、私なんかがそんな、クロノの……だなんて……」

 ”彼女”という言葉は、恥ずかしくてとても言えなかった。そうなれれば良いなと思っているが、クロノの破滅的な鈍感さを思えば難しい。

「フェイトちゃんはクロノ君の事、好きじゃないの?」

 女性スタッフが口をぽかんと開けた。
 フェイトは口籠り、どうしていいか分からず、視線を宙に彷徨わせた。胸の前で指を絡め、落ち着かない様子でいじくり回す。
 ――好きに決まっている。
 不意に鋭い視線を感じた。周りを見渡すと、他の窓口の女性スタッフ達が仕事の手を止め、興味津々といった様子でこちらを観察していた。小さな声で話していた はずなのに。
 探るような視線の中で、フェイトは何度も答えようとしたが、その都度迷い、結局当たり障りの無い答えを出した。

「……わ、分からないです……」
「う〜ん。そんな真赤になって言われても説得力が無いわ。やっぱり、フェイトちゃんが一番の障害みたいね」
「……ごめんなさい」
「クロノ君の事、好きなんでしょう?」

 風に吹かれて揺れる小枝のように、フェイトは小さく、本当に小さく頷いた。

「なら、私みたいにもう少し焦った方がいいかもね」
「……どういう事ですか?」
「ここを出た所に案内端末があるでしょう? それを見れば分かると思うわ」

 女性スタッフがそう言った時、大きな咳払いがした。部屋の中央で、憮然とした顔付きの男性スタッフが、フェイトと女性スタッフを睥睨していた。

「それじゃあね、フェイトちゃん。お疲れ様」
「は、はい、お疲れ様でした……」

 後ろ髪を引かれる思いで、フェイトは出動記録提出課を後にする。
 部屋を出ると、すぐに通路の奥にある案内端末が見えた。複雑に入り組んだ本局内を紹介・案内する電子端末で、本局内のあちこちに備え付けられている設備 である。本局に出入りして間もない頃はフェイトもよく利用していたが、今はどこに何があるのか、それなりに記憶してしまったので、使わなくなって久しかった。
 女性スタッフの言葉が脳裏でリピートされる。
 焦った方がいい。理由は端末を見れば分かる。一体どういう事なのだろうか。
 疑問に思いながら、フェイトは端末に歩み寄る。端末は液晶ディスプレイによるタッチパネル式で、項目に触れれば画面が切り替わるシステムだった。
 項目は以前使っていたのと変わっていない。時空管理局案内。本局内案内。現在地。Q&A。
 以前まではこの四つしかなかった。だが、今日は四つ目のQ&Aの下に五つ目の項目が増えていた。

「……アンケート結果発表?」

 それが五つ目の項目名である。見慣れないそれに、フェイトはそっ、と触れた。画面が目まぐるしく変化して、さらにいくつかのトピックスが現れた。
 アンケート結果発表と大きく見出しが出て、部門別に表示が出た。”近年起こった事件の危険性トップ10”から連なっているアンケートの集計発表は、項目が 下に行けば行く程、管理局の仕事からかけ離れて行く。フェイトは指でパネルを操作して、画面を切り替えて行く。
 そして一番最後の項目。フェイトはそこで指を止めた。

「彼氏にしたい執務官トップ10……?」

 まるで芸能人雑誌にでも記載されていそうなアンケートだった。一番上にあった”近年起こった事件の危険性トップ10”からは想像もつかない項目である。
 パネルに触れて、その項目を選択する。画面が変化して、十位から一位まで一気に表示された。
 無意識に眼が彼の名を探す。彼はぶっきらぼうでだが、とても優しい。確かに人気があってもおかしくはない男性のタイプだが、まだ十四歳だ。そんな、彼氏にしたい とか、そんなのに選ばれるのはまだ早いような気がする。
 フェイトはそんな事を自分に言い聞かせながら、眼を皿の様にして画面をチェックして行く。選ばれた執務官の欄には、順位と共に簡単な理由も載っていた。
 四位までチェックして、彼の名前が無い事にフェイトは胸を撫で下ろす。彼の名前が無い事に、フェイトは心から安心して、同時に愕然とした。

「……何考えてるんだろう、私……」

 彼が慕われていなければいない程、フェイトにとってはチャンスなのだ。彼が異性の気持ちに関して天然記念物級に鈍くとも、直接想いを伝えられれば理解は出来る だろう。その結果、女性と交際を始めるかもしれない。
 それは嫌だった。
 自分以外の誰かと肩を寄せ合い、手を握り合って楽しげに話をする彼。
 甘い言葉を掛け、自分が知らない女性と唇を合わせようとする彼。
 彼に人気が無ければ、家族という意味でも側に居られる自分がそう出来る可能性がある。異性として見ているこの気持ちに気付いてもられる、もしくは伝えて受け取って もらえる可能性が増える。
 だから、アンケート結果で四位までに彼の名前が無い事を、フェイトは心から安堵して嬉しいと思ってしまった。
 だが、フェイトは複数の女性スタッフと楽しげに言葉を交わしている彼を何度も目撃している。アンケートに入っていないだけで、彼は間違い なく慕われている。これは揺るがしようのない事実だ。

「……嫌な子だね、私」

 呟いて、フェイトは最初の画面に戻す為、画面に触れようとする。
 四位から上に名を連ねている執務官の名前が不意に眼に入った。

「……え」

 眼を擦る。別に視力に異常は無く、端末の画面にも乱れは無い。表示されている映像におかしな所などあるはずもない。
 クロノが、”彼氏にした執務官トップ10”の三位に入っていた。
 選ばれた理由が、三位からは大量に表示されていた。
 ”可愛い”。
 ”彼氏というより、弟にしたい”。
 ”数年後が楽しみ”。
 等々だ。フェイトは眼を見張り、画面を見詰めたまま、完全に硬直してしまった。



 ☆



 その日の夜。自宅のマンションに帰宅したフェイトは、何をしても駄目だった。
 夕食でポテトサラダを作ろうとしてサツマイモを潰したり、洗濯をしようとして新品のジーンズとセーターを一緒に洗濯機で回してしまったり、風呂を沸かそうと して水だけ入れてしまったり。
 頭を支配しているのは、アンケート結果を見ていた時に想像してしまったクロノと知らない女性が楽しげに話をしている光景だ。
 胸が締め付けられる。見えない力で握られたみたいだった。
 知らない女性が、喩えエイミィになってもなのはになってもはやてになっても、知っている女の子になっても、胸の締め付けは収まらない。それどころか、酷くなる 一方だった。
 特になのはの時は酷かった。息さえ詰まった。
 笑顔でなのはと話すクロノ。なのはと一緒に歩くクロノ。なのはに甘い言葉を告げるクロノ。
 帰宅したクロノともほとんど言葉を交わしていない。いつもなら嬉々として色んな事を話すのに。
 夕食は、心ここにあらずのフェイトを見かねて、アルフがカレーライスを作り、クロノも含めて三人で食べたのだが、異常な程静かな食卓だった。何度かクロノが フェイトに声を掛けたが、フェイトはまともに彼の顔さえ見れず、適当な相槌を打つだけで会話を終えている。
 カチャカチャと小気味の良い音をたて、アルフが泡だらけの流し台に手を突っ込み、食器を綺麗に洗って行く。フェイトは彼女の横で汚れの落ちた食器を拭き、 戸棚へ片付けていた。

「フェイト」

 手元を見たまま、アルフが呼んだ。

「……なに?」
「訊くだけ野暮だと思うんだけどさ、何かあったの?」

 無言。食器がぶつかる小さな音だけが二人の耳朶を打つ。

「……何でも、ないよ……」

 振り絞るようにして、フェイトは答えた。

「……私にも話せない?」

 呟くようにアルフが訊く。彼女とフェイトは精神リンクで繋がっている。悩んでいるのは分かっても、その理由までは分からなかった。
 長い沈黙の後、フェイトは口を開ける。

「………ごめんね、アルフ」

 姉であり妹であるアルフにも、今の悩みは打ち明ける事が出来なかった。自分が強い独占欲に駆られ、一番の親友であるなのはにすら嫉妬しているなんて、話せる はずがなかった。

「いいよ。話したくなったら話してくれれば。私はいつだってフェイトの力になるからさ」

 寂しさが見え隠れする笑みを浮かべ、アルフは洗物を終える。

「私は洗濯物の片付けがあるから、こっちは頼むね、フェイト」
「うん……」

 フェイトが物思いに耽りながら洗濯をした結果、なかなか酷い惨状が作られてしまった。夕食を優先してしまった為、残骸となったセーターやジーンズがそのまま になっている。
 キッチンから出て行くアルフ。彼女のお尻の尻尾は力無く垂れていた。痛々しい程に覇気が無い。
 酷い罪悪感だった。
 どんな時でも決して側を離れず、バルディッシュと共に支えてくれたアルフ。いつもフェイトを想い、動いてくれている彼女を拒絶して、心が痛まないはずがなか った。

「ごめんね、アルフ……」

 謝罪しながらも、やはりフェイトの頭の中はクロノの事でいっぱいだった。だが、今度は少し違う。クロノの相手はなのはではなかった。
 アルフだった。

「……もう、やだぁ……ッ」

 自分の事以上にフェイトを想い、大切にしてくれているアルフ。そんな彼女が、想像の中でクロノと楽しそうに大好きな散歩をしている。
 フェイトは子供のように喚きながら、心中で驚いた。自分にこんな豊かな想像力があった事に。こんなに独占欲が強かった事に。
 最悪で最低だ。ついでに身勝手だ。もうどうしようもない。
 フェイトの手から、拭いていた皿が滑り落ちる。甲高い音をたてて、床に落下した皿が割れた。

「あ……」

 まるで他人事のように床に散乱している残骸を見る。

「どうした、フェイトッ?」

 慌てた様子で、リビングでテレビを見ていたクロノが飛び込んで来た。
 まったく予期していなかった彼の登場に、フェイトはこれ以上ないくらいにしどろもどろする。

「なんでもない! なんでもないのッ!」

 自分でもびっくりするくらいの大声で答えて、フェイトは割れた皿を拾うとする。
 指先に鋭い痛みが走った。

「つぅッ……」

 手を抱え、指を見る。赤い鮮血が噴出していた。

「大丈夫か?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから……」

 魔法の詠唱のように繰り返しながら、フェイトは歩み寄るクロノから身を引く。今の自分に近付いて欲しくなかった。彼に近付く女性に誰彼構わずに嫉妬する 最低な自分に触れて欲しくなかった。

「フェイト、落ち着け。指が切れただけだろう」

 焦るフェイトを、気が動転しているものと勘違いして、クロノは優しく声を掛ける。笑顔で膝をつき、フェイトの顔を覗き込む。

「指、貸して」

 拒否すべきだ。フェイトは自分に言い聞かせる。指を切ったくらいで何だ。絆創膏でも貼れば良い。
 だが、フェイトは指を彼に差し出した。ほとんど無意識に。
 クロノはフェイトの手を掴むと、出血している指を口に入れた。

「ク、クロノッ!!!!????」

 裏返った声で悲鳴を上げる。彼が何をしているのか分からず、頭が一気に混乱した。
 指を咥え、血を吸っているクロノは何も答えない。
 恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。吸われている指がもどかしく、言葉にし難い気持ち良さに包まれて行く。

「く……くろの、だめ……っ」

 呂律が回らない。
 しばらくして、クロノはフェイトの指から口を離した。綺麗に亀裂の走った指を見る。

「結構深く切ってるな。ちょっと待っててくれ。皿はそのままでいいから、動くなよ」

 念を押すと、彼は急いでリビングに戻って行った。
 残されたフェイトは、惚けた様子で彼を見送り、再び出血を始めた自分の指を見る。
 水で洗い落とすのが正確だ。先程の彼の行動は応急処置に過ぎない。仕方なく口に咥えただけだ。自分はそうする必要はない。幸いここはキッチンだ。 流し台なんて、すぐそこじゃないか。
 自分に言い聞かせながらも、指を咥えようとしている自分自身に、フェイトは愕然とする。
 上半身が微かに揺れるほど、心臓が大きく動いていた。
 この前のたいやきの時とは格が違う。今彼女の指にはクロノの唾が大量についている。間接キスなんて問題にならない。
 まるで親の仇を見るようにして、フェイトは自分の指を凝視した。それから一気に咥え込む。
 乳飲み子のように、フェイトは一心に指を吸った。

「………」

 吸い続ける。おいしいとか、そういうレベルではなく。
 クロノが戻って来る気配がして、フェイトは名残惜しそうに指を解放した。
 救急箱をぶら下げて、クロノが現れる。

「痛むか?」

 首を横に振るフェイト。クロノは救急箱からテキパキと脱脂綿と消毒液と絆創膏を取り出す。

「水で洗ったのか? 何か綺麗だけど」
「う、うん」

 咄嗟に嘘を言った。まさかまた舐めてましたなんて言えるはずもない。

「皿を割るなんて、君らしくもないミスだな」

 脱脂綿で血を拭き取りながら、クロノが言った。

「そ、そうかな……?」

 これが彼とする今日始めてのまともな会話だなと、頭の片隅で考えながら答えるフェイト。

「ああ。管理局の仕事で何かあったのか? いつになく今日の君は無口だぞ」
「そ、そんな事無いよ。うん、元気いっぱい夢いっぱい」

 よく分からない事を口にする。

「ならいいんだが。今日は管理局が妙に慌しかったから、何かあったのかと思ったよ」
「そ、そうなの?」
「ああ。局員の一部を対象に実施したアンケートの結果が案内端末で発表されたんだが、どういう訳か、エイミィも含めて女性局員が落ち着かなくて。皆して 案内端末に走るから騒がしくて仕方なかったよ」
「ク、クロノは見たの、そのアンケート……?」

 手当てしてくれている彼の手がこそばゆかった。

「いや、見てない。人だかりが出来てて見れなかった」
「み、見たい?」

 クロノが消毒液を染み込ませた脱脂綿でフェイトの指を拭く。鋭い痛みが走る。

「アンケートそのものにはあまり興味はない。人だかりが出来ていたというのは気になるけどね。フェイト、君はアンケートの事を知っていたのか?」
「う、うん。出動記録提出課に今日の出動記録を持って行った時に聞いたんだ」
「なるほど」

 消毒が終わり、絆創膏が貼り付けられる。

「あの、クロノ」
「ん?」
「……クロノって、その、す、す、……好きな人って、居る?」

 彼は壮大に尻餅をついた。

「いきなり何を言い出すんだ君は……!?」

 荒い口調で頓狂な声を出す。

「アンケートでそういうのでもあったのか?」
「う、う〜んと、ちょっと違うけど……」

 彼氏にしたい執務官トップ10の三位がクロノだとは口が裂けても言えない。

「その……居ない?」

 祈るような気持ちで、フェイトは再度訊ねた。
 三位に入るだけの人気がある彼だ。年下年上関係なく、きっと沢山の女性から色々と言われて来ただろう。その中で好きな人が出来たとしても不思議ではない。 いや、もしかしたらもう誰かと付き合っているかもしれない。
 そんな素振りも気配も無かったが、どうしても気になった。

「べ、別に居ないよ」

 ぶっきらぼうに彼が言った。

「ほ……本当?」
「嘘を言ってどうするんだよ」
「……良かった」

 心から安心したように、フェイトは言った。自然と笑みさえこぼれてしまう。

「……僕に好きな人が居ない事が何で良いんだ?」

 少しだけ不機嫌な声で彼が問う。

「と、特に深い意味は無いんだけど……。まだ私を好きになってもらえるチャンスがあるなって思って……」

 フェイトは上目遣いで彼の顔を覗き、消え入りそうな声で言った。
 クロノは小首を傾げる。

「前にも言ったが、僕は君の事が好きだぞ」

 始めてフェイトが自分の気持ちに気付いた日。彼女はクロノに自分の事が好きか嫌いかと訊ねた事があった。結果は今のクロノの言葉の通りである。だが、彼の言う 好きは、異性に抱く好意の好きではない。

「し、知ってるよ」

 家族に対する好きである。それは分かっていても、面向かって好きだと言われれば、フェイトの心は否応無しに弾んだ。

「ならどうして?」

 何故これだけ言っても分からないのだろうか。改めてフェイトは彼の鈍感さはロストロギア級であると認識した。
 回りくどい手を使っても駄目だろう。多分一生気付いてもらえない。だが、だからと言って顔を向けて想いを伝える勇気も無かった。

「私は……クロノの事が好きだから……クロノにも、私の事、もっともっと好きになってもらいたいから……」

 結局、そう口にするのがやっとだった。
 クロノは言葉の意味が分からず、眼を何度か瞬かせる。

「もっと……好きになる?」
「うん……」

 もっと単刀直入に言った方がいいだろうか。でも勇気が無い。拒絶されたらどうしようという懸念もある。家族以上恋人未満というこの微妙な関係も、フェイト はそれなりに気に入ってはいる。だからこそ、一歩進み出す事が出来なかった。
 今は良いシチュエーションではないのか。キッチンで二人きり。誰も居ない。彼との距離は狭まっている。

「クロノ」

 口が勝手に彼の名を呼んだ。
 彼は皿を拾う手を休める。

「何だ?」
「あのね、私ね、ク、クロノの事が、家族とか、そういうのじゃなくて――」
「洗濯物終わり〜ッ!!!」

 軽快なアルフの宣言が二人の耳朶を打った。
 キッチンとリビングを繋げる通路に、フェイトの失敗作を小脇に抱えたアルフが立っていた。吐息をついて額の汗を拭っている。

「任務完了! いやぁ、セーターがこびり付いてて大変だったよ……って、何やってるの二人とも」
「フェイトが珍しく皿を割ったんだ。その後片付け中。ビニール袋ってあったかな?」
「フェイトッ、大丈夫ッ!? 怪我とか無いッ?」

 残骸となったセーターやらジーンズを投げ出して、フェイトに飛びつくアルフ。衝撃で弾き飛ばされたクロノが床に突っ伏した。
 豊かな胸を押し付けられ、激しく揺さぶられながら、フェイトは割と本気でアルフを恨んだ。





 アルフは凄く良いタイミングで何度も割って入って来る。もしかしたらどこかで見てるんじゃないのかなと思った事すらあるくらいだ。だから、彼女がザフィーラに 好意を持っているって分かった時は、仕返しとばかりに色々な悪戯をしてしまった。もちろん二人の仲を邪魔するつもりなんて無かったけど、私の悪戯は功を奏 して二人の仲を進展させた。でも、アルフはザフィーラには強情で意地っ張りな所を見せるから、なかなか進まないみたいだ。でも、私とクロノに比べれば先は明るいと思った。
 私はなのはの世界で学校に通いながら、執務官試験に向けて勉強をし、嘱託魔導師としてクロノや母さんと一緒に次元犯罪の取り締まりに奔走した。なのはや はやてもそれぞれ局入りを目指して勉強や資格試験に忙しい為、皆で遊べる時間は減っていたけど、でも、皆とても充実した。 





 それは事故だった。十人が見れば十人が事故であると口を揃えるだろう。
 だが、当事者はそうは思わない。いや、思えるはずがなかった。
 コツコツと靴音を響かせ、クロノは静かな通路を歩く。歩調は早く、軽く走っているような速度だった。
 彼の視界にフェイトの部屋の扉が見えた。

「フェイトの様子は?」

 彼女の部屋の前には、アルフとエイミィ、リンディ達が集まっていた。この三人が揃えば、いつもなら和やかな空気が流れ、アットホームな空気が自然と生まれる。 だが、今はそれが無い。それどころか、重苦しい雰囲気すら漂っていた。

「駄目。ずっと部屋に閉じこもってる……」

 アルフが首を振る。快活を絵に描いたような彼女だが、その物腰に覇気は無い。

「無理も無いか。初めて人を……」
「勝手にフェイトを人殺しにするな、エイミィ」

 クロノが語気を強め、彼女の言葉を潰す。

「……ごめん」
「クロノ、魔導師の容態は?」

 リンディが訊く。

「かなりの重傷ですが、命に別状は無いそうです。ただ、アースラの医療設備では応急処置程度が限界との事なので、本局に転送しました」
「そう……」

 リンディが安堵の吐息をつく。エイミィやアルフも緊張の糸が切れたようにほっとした様子だった。
 武装組織に属している召還魔法を行使する魔導師の逮捕。本来ならば難しい任務では無かった。武装組織の規模や戦力もほとんどが調査されており、完璧に把握 されていた。抵抗されてもクロノやフェイト達ならば苦戦せずに目標である魔導師を含め、武装組織のメンバー全員を拘束出来るはずだった。
 魔導師が魔力増強の低規模ロストロギアさえ使わなければ。

「まさかロストロギアまで使って魔獣を召還するとは思わなかったよ。まったく」

 忌々しげにアルフが吐き捨てた。フェイトのサポートとして、彼女も魔導師と戦闘している。
 ロストロギアで魔力増強を果たした魔導師は、自身の魔力許容量を遥かに超える召還魔法を行使した。召還されたのは、圧倒的な魔力と暴力的な腕力を持つ竜型生物。 駆逐する為には、クロノ、フェイト、アルフの三人が魔力をほぼ空にしなければならなかった。
 誰も予想していなかった”事故”が起きたのは、召還竜を打ち倒した直後に起きた。

「私の責任ね。私が情報課からもっと正確が情報を得ていなかったから」
「いえ。艦長のせいじゃありません。現場の執務官として、魔導師として、僕の力不足が原因です」

 切り札だった召還竜が倒された事で恐慌した魔導師が、残り僅かな魔力を振り絞り、武装組織のメンバー達を異質な魔物へと変貌させたのだ。本来ならば苦戦を 強いられるような相手では無かったが、魔力がほぼ底をついている状態のクロノ達は満足に戦う事が出来なかった。
 クロノは包帯に塗れた自分の腕を睨む。

「僕の……責任なんです」

 油断だったのか疲労だったのか、それともその両方なのか。クロノは魔物の稚拙な砲撃魔法を受けてしまった。殺傷性設定の砲撃魔法を。

「……大丈夫? クロノ」
「大丈夫です。骨も神経も異常ありませんでした」

 心配するリンディに、クロノは頬を緩めて言った。だが、明るい言葉とは裏腹に、彼の右腕はほとんど動かない。
 魔物の砲撃はクロノの右腕を直撃していた。骨は軋み、神経は引き裂かれ、肉は焼け、彼の利き腕は問答無用でズタズタにされた。
 クロノが壮絶な痛みを覚えるよりも早く、フェイトの悲鳴なのか怒号なのか分からない絶叫が轟いた。
 後は酷いものだった。どこにそんな魔力が残されていたのか分からないが、フェイトはバルディッシュをフルドライブ状態――ザンバーフォームに変形させ、 非殺傷性設定を解除。魔物達を一掃し、命乞いをする魔導師をクロノの右腕のように引き裂いた。
 アルフが制止に入るまで、フェイトは魔導師を攻撃し続けた。泣きながら。声を枯らしながら。

「……一度本局に戻って治療を受けなさい。腕、ほとんど動かないんでしょう?」

 眉尻を下げ、リンディが問う。
 だが、クロノはあくまでも毅然と答える。

「問題ありませんよ、これくらい」
「……クロノ」
「クロノ君」

 リンディとエイミィの声が重なる。二人とも、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
 こんな顔をされれば、喩えクロノでも強情な態度を取りづらくなる。

「……本局で治療は受けます。ただ、その前にフェイトに言わなきゃいけない事があります」

 リンディ達の答えを待たず、クロノは扉の前に立つ。堅く閉じられた扉が、入って来るなと言っているように思えた。
 クロノは構わずにパネルを操作する。だが、ブザーが鳴り、扉はピクリともしなかった。

「あの子、鍵掛けてるんだよ……」

 狐のような耳を伏せ、アルフが力無く言った。
 クロノは懐からS2Uを抜く。

「フェイト・T・ハラオウン、クロノ・ハラオウン執務官だ。聞いてもらいたい話がある。これより執務官権利を行使し、マスターキーを使用する」

 投降を促すように声を張り上げたクロノは、周囲の有無を言わさず、操作パネルのカードリーダーにS2Uを通す。電子音を鳴らして、扉のロックが解除された。

「ちょッ! クロノッ!」

 アルフがクロノの肩を掴む。彼女の細い指が彼の肌に食い込んだ。
 鈍い痛みが走る。だが、クロノは一切表情に出さなかった。

「僕は彼女の兄であると同時に上官だ。このままにしておく訳にはいかない。次の任務に支障が出る」
「このッ……! フェイトはあんたの為に……!」
「アルフさん」

 リンディの凛とした声が響く。いつの間にか、彼女の表情は一変していた。子供達を心配する親の顔ではない。管理局提督の顔である。

「クロノ、フェイトをお願い」

 クロノは彼女を見ない。扉を見据えたままだった。

「了解しました、艦長」

 高圧空気が漏れ、扉が横に開いた。



 ☆



 部屋は真っ暗だった。いや、正確にはカーテンが開けられた窓から、虚空空間の光が入り込んでいる。
 その淡い光に照らされて、フェイトはベッドで膝を抱え、顔を埋めていた。
 クロノが部屋に入ると、センサーが反応して扉が閉まった。
 静寂。
 クロノは広い室内を歩き、ベッドの脇まで来た。
 フェイトは顔を上げない。微動だにしない。泣きもしない。クロノの入室に気付いていないように。

「フェイト」

 そんな彼女の反応に、クロノは腹を立てる事も無く、彼女の名を呼んだ。その声は、先程アルフに答えたような厳しさは無い。優しく、労わるような声だった。
 フェイトは動かない。少しだけ首が動いたが、それだけだった。

「フェイト」

 もう一度呼ぶ。辛抱強く、彼女を見守るクロノ。
 どれくらいそうしていたか分からない。
 フェイトが少しだけ、本当に少しだけ顔を上げた。何かに怯えるような眼で、クロノを見上げる。
 綺麗な赤い眼が痛々しく充血していた。
 胸に痛みを覚える。こんなになるまで彼女を泣かせてしまったのは、他の誰でもない。自分なのだ。

「く、ろ……の……」
「横、座るぞ」

 ベッドに座る。クロノは彼女の部屋に入った事があまりない。来る用事も無かったし、来たとしても長居する事がほとんど無かった。
 ふと思い出す。仕事の事で部屋を訪ねた時、フェイトは顔を綻ばせて迎えてくれた。身体を弾ませ、なのはや友達に見せる笑顔とはまた少し違った微笑みを浮かべた。 だが、用事を済ませてクロノが帰ろうとすると、決まって辛そうな顔をした。服の裾を掴み、引き止めた事もあった。
 どうしてあんな顔をしていたのだろう――。

「……うで、だいじょうぶ……?」

 掠れた彼女の声が耳朶を打つ。物思いから戻ったクロノは笑って答えた。

「大丈夫だ。これくらいの怪我で悲鳴を上げる程、柔な鍛え方はしてないよ」

 だが、フェイトは笑わない。何かに必死に耐えるような表情でクロノを見詰める。
 そういえば、初めて会った時もこんな顔をしていたな。

「フェイト」

 動く左手を彼女の頬に伸ばす。

「だめ……!」

 感情を露にして、フェイトは身を引いた。
 彼女が何に耐えていたのか、クロノは瞬間的に理解出来た。
 恐怖だ。だが、それはクロノに対する恐怖ではない。

「だめ。わたしにさわっちゃ……だめ……!」
「……どうしてだ?」

 分かっていても、クロノは訊く。

「ひとごろしのわたしに……さわらないで……」

 少女の頬を、涙が一滴だけ滑り落ちて行く。
 沈黙が部屋を支配した。

「君は人殺しじゃない」
「ちがう。だって……」
「彼は死んじゃいない。重傷だが生きてるよ。治療の為、さっき本局に転送したところだ」
「ほ……ん、とう……?」
「虚偽の報告は重罪だ。執務官として、そんな事は出来ない」

 茫然とする彼女の瞳から、決壊したダムのように涙が流れ出た。

「よかっ、た……!」

 しゃくりあげながら、フェイトは手で涙を拭く。
 クロノはもう一度彼女の頬に手を伸ばした。今度は、ほとんど動かない包帯だらけの右腕で。
 魔力を神経の代わりに通して、無理矢理動かしたのだ。

「済まなかった」

 彼女の頬は温かく、羽毛のように柔らかかった。

「え……」
「僕が未熟なせいで、辛い思いをさせた」
「そんなことないッ! なんで……なんでそんなこと……ッ」
「僕がしっかりしていれば、砲撃魔法を喰らう事も無かった。こんな怪我もせずに済んだ。君は逆上する事も無かったんだ」

 そう、すべては自分の未熟さが招いた事態である。

「腕が治ったら訓練に付き合って欲しい。いいかな?」

 慰めのつもりはなかった。ただありのままを言い、改善案を告げたつもりだった。
 なのに、フェイトは泣き止まない。それどころか、さっきよりも酷くなってしまった。ぼろぼろと粒の涙がベッドに落ち、黒いシミを作って行く。
 喩え眼を閉じても、涙は止まらなかった。

「ごめん、なさい……。くろの……!」

 フェイトがクロノの右手に触れる。魔力の擬似神経が猛烈な痛みを発した。

「つッ……!」
「だいじょうぶッ?」

 慌てて手を離すフェイト。

「だ……大丈夫だ、これくらい。ああ、ちっとも問題無い……」

 誰が見ても痩せ我慢であると分かる。彼の額には玉のような汗が浮かんでいた。
 魔法による医療学が無ければ、本来ならば切断しなければならない程の大怪我だったのだ。大の大人でも泣き叫ぶような痛みである。

「もんだいなくないよ! はやくちりょうしないとッ!」

 フェイトがここまで焦っているところはほとんど見た事が無かった。
 不意に視界が霞む。顔色を真っ青にしてフェイトが何やら叫んでいるが、ほとんど聞こえなかった。
 おかしくなったのは眼や耳だけではなかった。意識までが混濁して来た。
 視界が闇に落ちて行く中で、クロノは自嘲気味に笑った。
 魔力が空になる程の戦闘。神経すら引き裂かれる程の右腕が破損。雀の涙程の魔力をその右腕に通して擬似神経を構築。
 なるほど。本来は本局で治療を受けなければならない重傷者がやるような事ではない。熱が出てもおかしくはないだろう。
 それを理解して、クロノの意識は完璧に途切れた。





 この時は本当にびっくりした。眼の前でクロノが倒れるんだから。
 私やなのはに散々無茶だと言っておいて、クロノの方が無茶をしている。





 次を読む

 前に戻る





inserted by FC2 system