魔法少女リリカルなのは

Southern Cross

前書 3








「どうかね、まだ痛むかな?」
「少しですが」

 クロノは嘘をつかず、素直に答えた。
 医師が丁寧に施された包帯越しにクロノの右腕を擦って行く。触れる程度なら何も感じないが、力を入れられると鈍い痛みが走った。
 本局内にある総合病院に担ぎ込まれて三日。初日よりも遥かにマシになったと言うべきである。骨は複雑骨折、神経のいくつが断絶、重度の火傷等、相当な重傷を負って いたのだ。
 診断結果を聞いた時、リンディが卒倒しかけ、危うくアースラそのものが航行不能に陥るところだった。
 フェイトはクロノの側に居た。右手を胸の前で握り、左手は不安に耐えるようにスカートの裾を握っている。

「本来なら治癒魔法で一週間以上掛かるような怪我だったのですが、さすがに若い」

 医師はクロノの右腕から手を離して微笑む。

「もう数日もすれば包帯も取れるでしょう」
「それじゃ」
「取れるだけです。退院許可はもちろんですが出せません。完治するまで入院はしていただきます」

 顔を明るくしたクロノの言葉を遮って、医師が言った。

「そうだよクロノ。母さんも言ってたじゃない。ちゃんと治るまで入院ですって」

 医師に同意するフェイト。その声は元通りになっていて、泣き枯れていた面影は無かった。

「それは分かるが……」
「なら入院。しっかり休んで、クロノ」
「……分かったよ」

 不承不承と言った様子だが、クロノは頷いた。
 そんな彼に代わって、フェイトは甲斐甲斐しく医師に頭を下げた。

「あの、最後までお願いします」
「ええ、もちろん」

 にっこりと笑った医師は席を立つと、フェイトに言った。

「あなたのような可愛らしい恋人に付き添ってもらっていれば、彼も治るまで大人しくしているでしょう」
「かッ……? こ……!?」
「先生! 彼女は僕のいも――」

 パチンと軽快な音をたてて、フェイトの手がクロノの口を塞いだ。
 フェイトは頬を赤くして、しどろもどろしながらはっきりと頷く。

「はい……」

 医師はお大事にと告げると、病室から出て行った。
 扉が閉まる。だが、フェイトはクロノの口を塞いだまま立ち尽くしている。
 彼の恋人に間違えられたのはこれで二回目。胸の奥をくすぐられるようで、とてもこそばゆく、嬉しかった。

「もがもが」

 掌の中で、何かが動く感触。見てみると、彼が不機嫌そうに眼を細めていた。

「ご、ごめんなさい」

 慌てて手を離す。

「君は僕を窒息死させるつもりか」

 余程強く掌をぶつけたのか、彼の口周りは少し赤くなっていた。フェイトは笑うしかない。

「まったく。先生におかしな誤解をされたままじゃないか」
「お、おかしなって、別にそんなおかしい事じゃないと思うな」

 口を尖らせて反論してみる。別にいいじゃないか、恋人に思われても。前にも同じような事があったが、あの時も彼はやたらムキになって否定していた。 何か減るものでもあるまいし、間違われてもいいと思う。いや、クロノを狙っている女性スタッフの数が減ってるかもしれないから、実は大変喜ばしい事だ。

「君と僕は義理だが兄妹だぞ?」
「た、確かにそうだけど」
「家族なのに恋人と間違われたら君も嫌だろう。君も学校で好きな子とか出来てるんじゃないのか?」
「い、いないよッ! うん、他に好きな子なんて居ない居ないッ! それに間違われても全然嫌じゃないからッ!」

 真赤になって両手を振り回すフェイト。学校に異性として好きな子は居ない。居る訳がない。だって、好きな人が今眼前に居るのだから。
 フェイトの慌てようにクロノが訝しがっていると、扉がノックされた。

「朝食のお時間です」
「は、はいッ」

 ダッシュで扉に駆け寄る。扉を開けると、看護士が朝食の載ったトレイを両手で持って立っていた。

「あらフェイトちゃん。今日も朝から?」
「え、は、はい」

 フェイトの存在は、看護士達の間でも有名になっていた。時間さえあれば彼の病室に入り浸っているので、有名にならない方がおかしい。
 配給トレイを受け取るフェイト。

「偉いわね。でも時空管理局のお仕事もあるんじゃないの? 疲れてたら無理はしないでね」
「大丈夫です。その、好きでやってる事ですから」

 リンディが提督の立場上、自艦であるアースラから離れる事が出来ないので、彼女に代わってフェイトがクロノの身の回りの世話をしていた。管理局の仕事も今は 無く、学校に登校する前と放課後にこうして病院に脚を運んでいる。とは言っても、ロノは右腕以外は健康そのものなので、世話という世話を焼くような事も無かった。

「そう? 辛くなったらすぐに言ってね。いつでも代わるから」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですから」

 フェイトも看護士も外見は笑顔だ。だが、妙に堅い。探りを入れる者と守る者、そんな雰囲気があった。
 クロノの担当士を決める為、看護士間で一悶着があった事をフェイトは知っている。偶然ナースステーションの側を通りかかった時に大声で討論していたのを聞いて いたのだ。
 アンケートで恋人にしたい執務官ナンバー3に選ばれたのは伊達ではないという事だった。フェイトが病院通いしている理由の一つが、色々な意味でクロノを守る 為でもある。

「それじゃ」
「はい」

 笑顔で去る看護士と、笑顔で見送るフェイト。両者の空気は重く、まるで魔法戦闘中のように張り詰めていた。
 看護士の背中が消えるまで見送ったフェイトは、扉を閉め、部屋に戻った。

「クロノ、朝ごはんだよ」
「ああ、ありがとう」

 ベッドの机にトレイを置く。ミッドチルダの食はどちらかと言えば洋食だ。パンとコーンスープ、ハムエッグ、サラダ、オレンジジュース等の定番のラインナップ である。
 フェイトは静かに息を呑んだ。

「あの、クロノ」

 入院初日から思い切ってやっている行為だが、やはり申し出るのは恥ずかしい。

「まだ、右手動かない……よね」
「あ、ああ。まぁ、まだ辛いけど……」

 答えるクロノの頬は赤い。
 フェイトははにかむ。

「な、何から食べたい……?」
「……じゃ、じゃあ、ハムエッグから」

 ナイフとフォークを器用に操り、フェイトはハムエッグを一口サイズに切り取る。フォークで突き刺して、ゆっくりと彼の口に近づけた。

「……はい………。あ……あーんして……」

 緊張で強張った声だが、同時にとても甘い声だった。
 利き腕が使えない以上は食事がある意味一番大変である。メニューによるが、自力で食べるのはなかなか骨だ。最初はフェイトも特に何も考えずに”あーんして”を やっていたのだが、ふと気付くと実はとんでもなく恥ずかしい行為だった。
 だが、だからと言って止める訳にはいかない。いや、止めたくなかった。
 クロノは無言で口を開け、フェイトが運んだハムエッグを口内に納める。

「おいしい……?」
「……エイミィや君の料理が恋しくなるよ」

 クロノにすれば、素直な感想を言っただけだったのだろう。だが、フェイトはどぎまぎが止まらなかった。

「た、退院したら作ってあげるね。……あ……あーん」

 再びハムエッグが彼の口に納まろうとした時、扉をノックする音が響いた。

「クロノ君、お邪魔するでぇ」

 柔らかな声と共に現れたのは、車椅子に乗ったはやてだった。
 フェイトは声も発せず、クロノの口にハムエッグを運んだ状態で完璧に固まってしまった。クロノも同じく、口にハムエッグを入れたまま、はやてを茫然と眺めて いる。
 二人を見たはやても、当然だが時を止めた。

「あ……りゃ……?」
「………」
「………」

 無言の二人。
 はやてはしばらくの間、二人を傾注した後、乾いた笑みを浮かべ、車椅子をバックさせる。

「お、お邪魔しましたぁ〜! 続きをどうぞッ! ――んにゃ!?」

 後方を確認せずに後退した為か、車椅子が派手に壁に衝突する。それでもはやては強引な操作でバランスを保ち、器用に後ろ向きで部屋を出て行った。
 クロノとフェイトは永遠に停止していた。
 壁越しにくぐもった話し声が聞こえる。

「どうしたのですか、主はやて。そんなに慌てて」
「あ、ああああかんッ! 突然のお見舞いビックリ作戦失敗やッ! 撤退や撤退!」
「クロノの奴、そんなにボロボロなのか?」
「違う違う! あ〜、色んな意味でおいしいボロボロ加減やけど……」
「おいしいボロボロ加減? はやてちゃん、何だか凄く混乱してませんか?」
「いやもう、今時少女マンガでも見れんモンをこんな身近で見れるとは思わんかったから」
「主。ひとまず落ち着かれてはどうでしょうか」
「あたし水持って来るッ!」

 実に騒々しい上に筒抜けだ。
 フェイトはどうしていいか分からず、助けを求めるようにクロノを見る。だが、彼も同じようで、眉を寄せていた。

「……入ってもらおう。せっかく来てもらったんだから」
「そ、そうだね」

 フェイトはフォークを置くと、走って病室を出て行った。その動きは、どこか名残惜しそうだった。



 ☆



「いやぁ〜。ホントビックリしたわぁ」
「びっくりしたのは僕達だ……」

 閑静だった病室が途端に賑やかになった。はやてとヴォルケンリッター四人が居れば、騒がしくならない時の方が少ない。

「大勢で押しかけて済まない、クロノ執務官、テスタロッサ」
「最初ははやてちゃんとシグナムだけのつもりだったんですが、クロノ君には私達全員が色々とお世話になった訳ですし……」
「こうして見舞いに来てやった訳だ。感謝しろ〜ッ」
「……ヴィータ」

 シグナム達が口々に言った。シグナムとシャマルは済まなさそうにしているが、ヴィータは相変わらず悪戯好きな子供のような顔をしている。そんな彼女を 咎めるザフィーラは、病院という事もあって人型だ。
 はやては可笑しそうにシグナム達を笑って、改めてクロノに言った。

「ほんまに大丈夫なんか、その腕。包帯ぐるぐる巻きやね」
「感覚が何となくだけど戻って来てる。退院も近いさ。心配ない」
「だから、完全に治るまで退院はだめだって」

 フェイトが困ったように咎めた。

「いや、少し考えたが、動くようになれば退院する。左腕でも書類のチェックくらいは出来るから」
「だめッ! 執務官の仕事も忘れて休んでッ」

 語気を荒くするフェイト。彼女にしては珍しい強固な姿勢に、クロノは驚いた。

「いや、その、デスクワークくらいなら……」
「バインドしてでも止めるから」

 すでにバインドの詠唱に入りつつ、フェイトが勧告する。まったく、何でここまで仕事の虫なのだろうか、この人は。たまにはその情熱を別に向けてもいいんじゃ ないのだろうか。喩えれば、異性の気持ちに対してとか。
 何故か赤くなって憮然とするフェイトに、S2Uもデュランダルも無く、怪我人のクロノは抵抗する手段が無かった。

「クロノ君。人間休める時に休んでおかなあかんよ?」

 見かねたはやてが助け舟を出す。

「し、しかしだな、執務官一人が仕事を休むと、それなりに影響が……」
「誰かが居なければ何かが出来ない。仕事に於いて、これだけ効率の悪い事は無い。……アースラはあなたが数日居ないだけで何も出来なくなるような無能の艦 なのでしょうか?」

 いつもの仏頂面だが、どこか愉しそうにシグナムが言った。

「そうじゃない。確かに僕が居なくても、アースラには母さん達が居るから何の問題も無い」
「ならいいじゃん。のんびり茶でもすすれば」

 ヴィータがケラケラと笑う。フェイトも心中で思い切り同意した。

「ヴィータの場合、最近のんびりし過ぎやなぁ。もう少しシャマルのお手伝いとかせなあかんで」
「だってシャマル人使い荒いんだもん……。昼ドラに夢中だし」
「ヴィータちゃん、後でちょっといいかしら?」

 シャマルが頬を引き攣らせる。ヴィータは一瞬凍りつき、ダラダラと額に汗を流しながら頷いた。

「ハラオウン執務官」

 ザフィーラが口を開く。

「家族が無理をしている姿を喜んで見ていられる者は居ない。……テスタロッサやあなたの母君の心遣いを無為にするつもりか?」

 彼の言葉は短くて簡潔なものだったが、容赦が無かった。
 フェイトはクロノの顔を覗く。すると、ちょうど彼と眼が合った。

「クロノ……」
「……分かった」

 溜め息混じりに、彼は言った。

「君から教わる事になるとは思わなかった。……完治するまで、ゆっくりさせてもらうよ」
「……そうしておけ」

 ザフィーラは壁に寄ると、腕を組み、眼を伏せて壁に背中を預ける。

「ザフィーラ、ありがとう……」

 フェイトの感謝の言葉に、ザフィーラは黙ったまま小さく頷く。
 フェイトはクロノがどれだけ執務官の仕事を誇りにしているか知っている。だからこそ、あまり強く自分の言葉では無理をするなとは言えなかった。 彼は良くフェイトやなのはの事を無茶だと言っているが、彼も充分に無茶で強情だ。周囲の心配も今のようにあまり考慮しない時もある。

「ザフィーラがああいう風に言うなんて、珍しいわね」

 意外そうに言うシャマル。

「あいつは態度に出さないだけさ。昔からな」
「この前子犬フォームで散歩してたら、野良猫に襲われてなかなか凄い事になってたけどな」
「……ヴィータ、後で少し来い」
「……はぃ」

 抵抗する術は無く、ヴィータはがっくりと肩を落とす。

「そういえばフェイトちゃん、学校は大丈夫なんか? そろそろ戻らなあかんと思うけど?」

 フェイトは携帯電話で時間を確認する。確かにそんな時刻になっていた。

「うん、そうだね。じゃあクロノ、また後で来るから」

 持って来た学校の鞄を背負う。

「気をつけてな」
「うん。はやて達もゆっくりして行ってね」
「病院でゆっくりしていけ言われるのは初めてやな。でも、そうさせてもらうわ」

 はやてが手を振る。フェイトはシグナム達に軽く会釈をすると、小走りで病室を出て行った。

「さてと。……クロノ君」

 完全にフェイトが居なくなったのを確認して、はやてが厳かに切り出した。

「何だ、はやて」
「……どこまで進んでるんや、クロノ君とフェイトちゃんは?」
「はッ!?」
「さっき、”あ〜んして”とかやってたや〜ん。誰にも言わんから教えてッ!」
「ち、違う! あれは仕方なくだ! 決して君が思っているようなものじゃないッ!」

 唾を吐き散らす勢いでクロノが答える。
 だが、はやての邪悪な笑みは収まらない。

「にしてはフェイトちゃん、タコみたいに真赤になってたよ。クロノ君だってまんざらやないって顔だったし」
「クロノ執務官。テスタロッサは義理とは言えあなたの妹だ。自重すべきかと」

 間髪入れず、シグナム。

「シグナムッ!? 君まで何を言ってるんだ!?」
「そうですよクロノ君。義理の妹との恋愛は一歩間違えればどろどろなんですから」
「シャマル、君はそんな知識を一体どこから得たんだ……?」
「昼ドラだよ昼ドラ。あたしも見てたけど全然面白くなかったぜ」
「……ヴィータにはまだ早いだけだろう」

 ザフィーラが不敵に笑った。

「何だと!? だったらてめぇにはアレの面白味ってのが分かるのかよ、ザフィーラッ!?」
「そこそこは。血で血を洗う愛憎劇は時として美しい」
「なんや、今日のザフィーラは面白いなぁ。そういえば野良猫に襲われたって言ってたけど、どうなったんや?」

 ドタバタする夜天の主とその守護騎士達。クロノはベッドの上で肩を使って溜め息をつき、彼女達を傍観する。これから自分の身に回避不能の厄介事が降りかかる と思うと、暗澹たる気分になった。

「フェイト、出来れば早く帰って来てくれ……」

 そう切に願う事しか出来なかった。





 クロノはどうしてあんな無茶ばかりするのだろう。振り返ると、私はあまり疑問に思った事がなかった。
 その日の放課後、彼の見舞いに行った時、その理由が少しだけ分かったようが気がした。





 ホームルームが終わる予鈴が鳴る。日直が号令を掛け、クラス全員がそれに従って教壇の担任教師に頭を下げた。
 頭を上げるより早く、フェイトは鞄を引っ掴んで走り出す。彼女の疾走が巻き起こした風が、隣の席の子の頬を強く撫でて行った。
 はやる心を抑えるのはもう限界だった。

「テスタロッサちゃん、走ると危ないわよ」
「すいませんッ!」

 担任教師の優しい忠告も一蹴して、フェイトは教室を飛び出した。後は家に帰り、少しだけめかし込んだ後、彼の着替え等を持って管理局本局へ転送。病院到着は 一時間後くらいだ。
 フェイトは加速魔法を使いたい衝動を抑え込み、廊下を突っ走って行った。

「フェイト、何か最近凄い速さで帰ってくわね」

 疾風のように去って行った彼女を見送り、アリサが言った。

「なのはちゃん、何か知ってる?」
「お友達のお見舞いに行ってるの。私も昨日行って来たよ」

 すずかの質問に笑顔で答えるなのは。

「友達?」

 復唱するアリサの表情は怪訝そうだ。腕を組み、何やら鋭い眼付きになって思案する。

「……その友達って、あのクロノ・ハラオウン?」
「ふぇッ!? な、何で分かったのッ!?」

 驚いて眼を見張るなのはに、アリサは額を抱える。

「授業中のあの子の顔とか、さっきの急ぎようとか、そういうの見てれば想像つくわよ」
「そ、想像って?」
「………」

 そのまま、なのはとアリサは不毛な会話を始める。
 すずかはそんな二人を微笑ましく見守りながら、フェイトが消えた扉を見た。

「頑張ってね、フェイトちゃん」

 そう言って、すずかはアリサの援護に回るべく、彼女達の会話に入った。



 ☆



 携帯電話のデジタル時計が四時半を表示した頃、フェイトは息を切らして本局内にある病院に到着した。当初の予定通りである。
 人で溢れるロビーを突っ切り、フェイトは真っ直ぐにクロノの病室に歩を進めた。彼女の背中には、学校指定の鞄の代わりに大きなリュックがあった。彼の着替えや日常 雑貨品が詰め込まれている。
 歩きながら、フェイトは前髪に触れた。

「バルディッシュ、どこかおかしな所とかあるかな?」

 ポケットの中の鋼の相棒に訊く。彼には優れた望遠機能が備わっている。喩え眼が届かない位置に居ても大体の物が見えた。

『問題ありません。いつも通りです』

 家に寄って鏡を見て来たと言っても、学校からここまでほぼ走りっぱなしだったのだ。やはり乱れは気になる。特にこれからクロノに会うと思うと、その懸念も大きな ものになった。

『お手洗いに寄られては?』

 マスターの不安を感知して、バルディッシュが提案する。

「ありがとう。でも、バルディッシュが大丈夫って言うんだから大丈夫だよ」
『恐れ入ります』

 彼を信じているのも当然あったが、正直お手洗いで容姿を確認している時間ももどかしかったのだ。
 クロノは今利き腕が動かない。不自由を強いられている彼の側に居たかった。それに執務官の仕事からも解放されている。話したい事がそれこそいくらでもあった。
 すれ違う看護士に何度か会釈をしている内に、クロノの病室の扉が見えた。

「じ、自分で出来ますッ!」

 彼の悲鳴のような声がしたのは、まさにその時だった。同時に騒がしい物音。
 フェイトは言い知れぬ予感に駆られ、扉に飛びつく。だが開かない。驚きべき事に開閉パネルには施錠魔法が施されていた。
 重い物が地面に落下する鈍い音が耳朶を打つ。予感が確信に変わった。

「バルディッシュ!」
『Yes sir.』

 復唱の次の瞬間、フェイトが翳した掌に極小のプラズマランサーが発生した。

「ファイア……!」

 囁くようなトリガーヴォイスと共に発射。金色の槍は開閉パネルを施錠魔法ごと爆破する。弾かれたように扉が開いた。有無を言わさず病室へ飛び込む。

「クロノッ!」

 病室内では、フェイトが半ば予想された光景が展開されていた。
 床に仰向けになって倒れている乱れた寝巻き姿のクロノ。その彼に白い制服とナースキャップを頭に付けた女性――看護士が覆いかぶさり、タオルを握り締めている。
 一体何がどうなっているのか、何も知らない人が見れば首を傾げざるを得ない光景だが、フェイトの行動は迅速だった。

「お、おかえりなさい、フェイトちゃん」

 引き攣った顔で看護士が言う。
 フェイトは何も答えず、ツカツカと彼女に歩み寄ると、その手からタオルを奪い取った。

「何をやってるんですか……?」

 底冷えした声で問う。

「いや、その、ほら、クロノ君もう三日も入浴してないでしょう? 包帯は取れないから蒸しタオルで身体を拭いてあげようかなぁ〜と」

 なるほど。実にもっともらしい理由である。クロノの髪は確かにくたびれた様子だし、三日も風呂もシャワーも無ければ不衛生だ。だが――。

「クロノ、嫌がってるんですけど」

 看護士に押し倒されている彼は、嫌がるどころか、恐怖に顔を歪ませていた。
 フェイトの言葉に、看護士は何も答えられず口籠もる。言い訳でも考えているのだろうか。フェイトはしばらく待とうとも思ったが、彼を押し倒している所を 見ていると、無性に胸の中がもやもやとした。もう一秒たりとも我慢していられない。

「クロノの身の回りの事は私が全部やります。身体も私が拭きます。だから、今すぐそこから退いて下さい」
「そ、そこまでご家族にやらせるのは病院としても……」
「家族だからこそです」
「でもほら、フェイトちゃんはお仕事とかあるし〜」
「……退くんですか? 退かないんですか?」

 最後通告だった。フェイトが睨む前で、看護士は直立不動で立ち上がると、蒸しタオルを彼女に差し出した。

「予備は机の上に置いてありますので……」
「はい、ありがとうございます」

 満面の笑みで返す。眩いまでの笑顔。看護士は脱兎の如く病室を飛び出して行った。開閉パネルが破壊された扉が空しくスライドする。フェイトは近付いて、 施錠魔法を掛けて強引に扉を閉めた。
 溜め息をつく。

「もう……」
「た、助かったよフェイト」

 命からがらと言った様子で、クロノが身を起こした。寝巻きのボタンはすべて外され、裸の胸が覗いている。
 フェイトは眼のやり場に困り、取り合えず俯いた。

「クロノもはっきり断って」
「いや、断ったさ。自分でやれるって言ったんだけど聞いてくれなくて……」

 その上利き腕が動かないのだから、満足な抵抗も出来なかったのだろう。魔法の一つでも行使すれば済む話だが、相手が看護士ではさすがにそれは出来ない。

「大丈夫?」
「ああ、まぁ。ちょっとびっくりしたけど」
「はやて達は?」
「昼過ぎには帰ったよ。まったく、騒がしい連中だった」

 口ではそう言うものの、クロノは笑っていた。常に仕事に追い回されて来た彼にとって、何もせずに一日病院で過ごすのはある意味拷問だ。フェイトも朝と夜は居るが、 一番時間が長い昼間は学校だ。見舞いに来たはやて達は良い話し相手になってくれたらしい。

「フェイト、それは……?」

 クロノがフェイトの背中に背負われたリュックに気付いた。

「着替えと、あと必要そうなもの。その、服は着替えた方がいいかも……」

 顔を伏せて、フェイトはリュックを押し付けるようにクロノに渡した。眼をどれだけ背けていても、フェイトの意思に関係なく眼は彼の胸元を覗いてしまう。今の 彼の格好は眼に毒だし、精神にも毒だった。

「ありがとう、フェイト」

 優しいクロノの声が胸をくすぐった。ますます彼が見れない。

「じ、時間を潰せそうなものもいくつか持って来たから。ま、まだあれば言ってね。明日の朝持って来るから……」

 と言っても、眼に付いた文庫本を数冊突っ込んで来ただけだ。フェイトもそうだが、彼の部屋にはマンガやその手の娯楽物が一切無い。DVDプレイヤーとテレビが 床に無造作に置かれている他はベッドと机があるくらいの寂れた部屋なのだ。彼が務めている執務官という仕事を思えば仕方がないとフェイトは思う。

「いや、多分大丈夫さ。いい加減痛みも引いたし、魔法のメンタルトレーニングも明日には多分出来るだろうから。それよりフェイト」
「なに?」
「……今日も真っ直ぐにここに来たのか?」

 言い難そうに、彼が言った。

「今日は家に一度帰って、着替えとか……」
「いや、そうじゃないんだ」

 クロノはフェイトの言葉を遮ると、リュックをベッドの上に置く。

「今日でもう丸三日だろう?」
「クロノが入院してから?」
「違う。まぁそれもそうだけど。……君が友達――なのは達と遊ばずに僕の看病に来てくれたのがだ」

 如何にも優しいクロノらしい言葉だった。
 クロノが倒れてから、フェイトはある意味で彼中心の生活を送っていた。いつもよりも一時間以上早く起床して、病院に行き、朝食を彼に食べさせて学校に行く。 授業が終わると同時に全速力で病院へ直行して、面談時間ギリギリまで側に居る。なのはを初めとする親しい友達と遊んでいる時間はどこにもなかった。

「寝たきりになってる訳じゃないから、遊んで来てもいいんだぞ?」

 利き腕が動かないだけで、確かに彼は健康体だ。別にフェイトが息を切らしてまで急いで病院に行き、看病をするような事は無い。クロノは何も出来ない無垢な少年 ではないのだ。
 労わるように見詰めてくる彼の黒い瞳。フェイトは温かくなって行く胸に手を添えて、ゆっくりと首を横に振った。

「いいよ」
「……無理をする必要は無いんだぞ?」
「無理なんてしてないよ。確かになのは達と学校が終わった後に遊べないのは凄く寂しいけど、でも平気」

 無理もせず、毅然とした態度を取る訳でもなく、フェイトはくつろいだ声で言った。そして、勇気を振り絞って呟く。

「私は好きな人の看病がしたいんだ……」
「……え?」

 聞こえなかったのか、クロノが間の抜けた声を出した。

「済まないフェイト。最後が良く聞こえなかったんだが……」

 ああ、もう。何でこの人は。フェイトは心中で頭を抱えた。まあ、仮に聞こえていたとしてもきっとクロノは理解してくれないだろう。それなりに面向かって”好きだ” と口にしているが、彼がフェイトの気持ちに気付く素振りはまったく無い。皆無だった。

「フェイト、出来ればもう一度……」
「クロノはッ」

 彼に気付かれないように深呼吸をしてから、フェイトは大きな声を上げた。意思を無視して彼の胸元をチラチラ覗き見る眼を叱咤激励して、クロノに歩み寄り、乱れた 彼の寝巻きの裾を震える指で握り締める。

「私が来ると迷惑……?」

 上目遣いで彼の瞳を覗き込む。さすがの彼も慌てたらしく、頬を赤めて眼を彷徨わせた。

「そ、そういう訳じゃないが、その……。僕のせいで君が不自由を感じてるんじゃないかなって思って……」
「不自由なんてしてないよ。寝る前になのはとメールしてるし、学校もお昼休みには皆といっぱいお話してるし。でも、クロノとは落ち着いて話せる機会が少なくて……」

 利き腕以外は健康。看護士も居る。フェイトが居なくても、特別彼が苦労する事も無い。それでもクロノの側に居るのは、もちろん些細な看病の為でも あるが、単純に側に居たいからだ。ゆっくりと彼と話をしたかったからだ。

「フェイト……」
「私が……す、好きでこうしてるの。だからクロノは気にしないで。ね……?」

 クロノは赤い顔で下唇を噛み、逡巡しながら頬を掻く。

「……分かったよ。引き続き、君に看病を頼む」

 不安そうだったフェイトの顔が一変した。はにかみながら何度も頷く。

「うんッ」
「……それでフェイト。その、頼みたい事があるんだが」

 明後日を向いて、クロノが言う。

「なに?」
「……身体を拭くのを手伝って欲しいんだ」

 少しの間、フェイトはその言葉の意図が飲み込めず、ぴたりと動きを停止させた。



 ☆



 背を向けて腰掛けたクロノが、するすると寝巻きを脱いで行く。露になった背中には無駄の無い綺麗な筋肉がついていた。執務官としての職務に追われる一方で、彼は 基礎訓練を決して怠ってはいない。十四歳の少年の背中にしては整い過ぎている。
 だが、フェイトはそれを直視出来ない。沸騰しかけた頭が正常に動かず、平衡感覚がおかしくなりそうだった。

「フェイト?」

 肩越しにクロノが振り返る。

「は、はいぃッ!」

 情けなく裏返った声で答えて、フェイトはベッドに乗る。病院のベッドにはスプリングが無いので、ぎしぎしと派手に揺れた。
 眩暈がした。動悸が荒い。呼吸が覚束ず、何度も深呼吸をする。それでも緊張の度合いは高まるばかりだ。
 むき出しになった背中が視界いっぱいに広がった。震える手で蒸しタオルを握る。
 看護士が強引に行おうとしていた蒸しタオルでの身体の清掃。身体の正面は残された左腕で充分事足りるが、さすがに背中には手が届かない。そこでフェイトに拭いて もらう事になったのだ。

「あの、痛かったらすぐに言ってね……?」

 今のフェイトは極限の緊張状態だ。手元が狂って爪を引っ掛けてしまうかもしれない。

「ああ、そうするよ」
「それじゃ……。えっと、失礼します……」

 そっと蒸しタオルを背中に添える。揺れないように空いた手で彼の肩を掴んだ。
 クロノに触れるのはこれが初めてではない。エイミィに無理矢理怪談話を聞かされて、怖くて眠れない時にクロノのベッドに潜り込んだ時があった。その時は 顔を見せた邪欲に抵抗出来ず、身体を密着させてそれなりに好き勝手をやっている。
 だが、あの時とは状況が違い過ぎる。あの時は部屋も真っ暗だった。こんなはっきりとは見えなかったのだ。
 このまま胸を押し付けてしまいたい衝動に駆られる。フェイトはそれと必死に戦いながら、まるで機械のように手を動かした。上から下へ。下から上へ。

「気持ちいい……?」
「ああ」

 やはり三日も入浴していなければ溜まるものだ。垢がぼろぼろと出て来る。それを綺麗に拭き取り、フェイトは看護士が置いて行った予備のタオルに手を伸ばす。 湯気を噴出しているタオルを畳んで、彼の背中に添えようとした時、フェイトは違和感に気付いた。
 垢ではない何かが、クロノの背中には無数に付いていた。いや、刻まれていた。

「クロノ、あの」
「……怪我をする事が多くて、治癒魔法でも痕が消せなくなったんだ。古いのだから大丈夫だよ」

 切り傷に始まり、彼の背中には大小の傷痕があった。強い衝撃で出来た痣。火傷の痕らしき傷は、砲撃魔法の物か。弾痕のような小さな穴は射撃魔法の物だ。
 眼を凝らせば何とか分かる程度のものだが、確かに傷痕はあった。治癒魔法の優れた消痕性能を持ってしても完璧に消す事が出来なかったのか。

「こんなに……沢山……」

 手を止めて、フェイトは十四歳の少年の物とは思えない背中を凝視する。
 フェイトもプレシアからの鞭による虐待で夥しい傷を受けた事があった。アルフが必死になって治してくれた為、その痕はどこにも残されてはいないが、 傷痕の痛みは誰よりも理解しているつもりだった。

「僕が未熟なだけさ」
「………」
「傷の数だけ、僕はミスを犯した。守れたはずの人を守れなかった。……消せるものも幾つかあるらしいけど、戒めのつもりで残してる」

 本当に彼らしい理由だった。他人に厳しいクロノは自分に対してさらに厳しい。残酷と言ってもいい。
 一際フェイトの眼を誘う傷があった。真新しい大きな痣だ。まだ出来て間もないのは一瞥で分かる。

「これって……」

 息を呑む。クロノは何も答えない。
 三日前、クロノが右腕に大怪我を負った時に一緒に受けた傷だ。

「先生にはもう診てもらった。ただの痣らしい。治癒魔法も処置済みだ」
「………」

 血の気が引く感覚だった。うるさいくらいに早鐘を打っていた心臓が異常な程に静かになり、熱で朦朧としていた頭が冷水を浴びせられたかのようにはっきりする。
 フェイトはタオルをベッドに置いて、その痣に触れた。

「……痛む?」
「いや……」

 痣を撫でながら、フェイトは彼の背中に額を押し付けた。

「……ごめんなさい」
「どうして君が謝るんだ……?」
「……私がもっと強かったら、こんな怪我しなかったのに……」

 無言。扉越しに聞こえて来た館内アナウンスが病室内に静かに木霊する。

「そこまで背負う必要は無いぞ、フェイト」

 肩を掴んでいるフェイトの手に、クロノが手を伸ばした。少女の細い指に彼の指が絡まる。

「君は一人でこの多次元世界の事件すべてを何とか出来ると思ってるのか?」
「……そんな事、思ってない。けど、大切な人だけでも守りたいよ……」
「僕は君に守られる程、弱いつもりはないが……?」

 事実、フェイトは魔法戦闘訓練で未だにクロノに勝利した事が無い。始めた当初と比較すれば、随分まともに戦えるようになったものだが、彼の巧みな戦術と洗練された 機動の前に敗北を続けている。現状はフェイトがクロノに守られる立場にある。

「でも、守りたいよ……」

 我侭だと分かっていても呟く。切に願う。

「闇の書事件の時、私、なのはに言ったんだ。なのはの邪魔をするモノを切り払う剣になるって」
「出来てるじゃないか」

 なのはとフェイトのコンビは無敵に近い。砲撃と近接。互いの足りない部分を互いが補うという二人の戦闘スタイルは、絶対的な戦闘力と魔力を併せ持っていた闇 の書の意思を相手に互角の戦いを展開した。
 フェイトはクロノの背中に額を押し付けたまま、首を横に振った。

「なのはには出来てる。でも、クロノには出来てない」
「自分の面倒は自分で見るさ。確かに魔力では君達には負けてるけど……」
「私は」

 静かに、でも強く、彼女は彼の言葉を遮る。

「私は、クロノの邪魔をするモノを切り払う剣になる。絶対になる……!」

 もう傷が増えないように。彼の犯した失敗を自分が取り戻せるように。
 なるのだ。彼の行く手に立ちはだかるすべてのモノを斬り捨て、薙ぎ払う剣に。その為の魔力と才能がフェイトにはある。

「……君は確かに優れた魔力と才能を持ってる。けど、それはイコールで強さには繋がらない」

 才能だけでは、魔力だけでは戦いには勝てない。優れた状況判断と決断力と洞察力。状況に応じた魔法の選択と選定。経験。その他いくらでも戦いに勝つに 必要な要素はある。

「君がなのはにそう言った時、彼女は何て答えた?」
「……盾になるって……」

 クロノは白い天井を仰ぐ。

「君が”剣”になるって言った以上、僕も答えるよ。……僕はフェイトの盾になる。君を脅かすモノを打ち倒す盾に」

 顔が、身体が熱くなった。

「クロノ……」
「僕には君やなのはのように優れた才能も魔力も無い。だけど、気持ちの上では君達に負けていないつもりだ。誰かを守ったり、誰かを助けたいという気持ちはね」

 どちらからとも言わず、絡められていた指に力が籠もった。

「入院する前に腕が治ったら訓練に付き合って欲しいって言ったんだけど、覚えてるか?」
「うん……」
「厳しくするが、大丈夫か?」

 答えなんて決まっている。フェイトは考えるまでもなく、強く頷いた。

「うんッ!」

 それから一週間後、クロノ・ハラオウンは無事に退院の日を迎えた。



 ☆



「くぅッ……!」

 激しい紫電を伴った高熱の本流が視界を支配した。痺れた手から、バルディッシュが零れ落ちる。
 容赦の無い激が飛んだ。

「初歩的なフェイントに引っかかるなッ! 今のが殺傷設定だったら君は死んでいたぞッ!」

 トレーニングルームの中央には、デュランダルとS2Uを両手にぶら下げたクロノが佇んでいた。魔力も体力も底を尽き始めているフェイトとは違い、息一つ 乱してはいない。数日前まで右腕がほとんど動かなかった事が嘘のようだ。

「一歩先じゃない。三歩先まで相手の行動を読むんだ。そうすれば君の機動性ならいくらでも攻め方はあるッ!」
「は、はいッ!」
「もう一本、行くぞッ!」

 フェイトがバルディッシュを拾ってもいないのに、クロノは地を蹴った。S2Uの先端に白銀の光を、デュランダルの切っ先に蒼穹の光を従え、彼は嵐のように 襲い掛かる。
 フェイトは感覚の無い腕に魔力を流し込み、漆黒のマントを靡かせた。飛び退くように離脱。一瞬前までフェイトが居た場所を、二対の魔力光が抉る。
 鮮やかなステップを踏んだフェイトは、刹那の間に地面に転がっていた鋼の相棒を拾い上げた。

『Is the arm safe?』
”腕は大丈夫ですか?”
「うん、大丈夫。これくらい平気だよ。バルディッシュこそ大丈夫?」
『No problem.』
”問題ありません。”

 実戦以上の緊張感に溢れた戦闘訓練。最中で、フェイトは口辺の笑みを作る。
 彼の邪魔するモノをすべて切り払う剣になる。その為の訓練ならば、フェイトは笑いながらいくらでもこなす。

「バルディッシュ、ザンバーフォームッ!」
『Yes sir.Zamber form.』

 下段気味に構えたバルディッシュが、抑揚の無い電子音声と共に複雑な変形を行う。長柄が折り畳まれ、戦斧部が鍔となり、本体である金色の宝玉がそこに収まった。
 大気を焦がしながら、金色の刃が放出された。

「強くなるよ、バルディッシュ」
『Yes sir.』

 眼前から迫るクロノを睥睨する。誰よりも強くなる。彼を守る為に。彼の邪魔をするモノをすべて切り払う剣になる為に。

「電光一閃ッ!」
『Plasma Zamber.』





 いつもと変わらない、慌しい日々。
 カレンダーの日付が加速度を付けて変わって行く。
 闇の書事件が終わってから、すでに半年以上が過ぎた。
 友人達と総出で出掛けた温泉旅行も、今ではすっかり良い思い出になっている。
 花見もそうだ。何十人もの顔見知りが集まった。あれだけ沢山の人達と騒いだのは初めてだった。
 五月に入ってから名も変わった。ハラオウン家の養子になって、その姓を変えてから数ヶ月が経つが、まだ馴染み切れていない所がある。照れ臭くて、学校や管理局 の書類に使う度に笑みが胸の奥が陽の光のように暖かくなる。
 管理局への仮配属期間も終了して、無事に嘱託魔導師から『執務官候補生』になり、正式にL級八番艦船アースラに戦闘魔導師として配属となった。与えられた階級 は一等海士。執務官候補生なので、階級を名乗り上げる機会は少なかったが、使う時はちょっとだけ恥ずかしくて、嬉しかった。
 目指す執務官という夢に着実に近付いている事を実感できるからだ。
 学業と執務官候補生の兼任は、最初の予想を上回って多忙なものとなっている。義務教育を修めるまでは学業を優先するという形を採っているとは言え、管理局から の急務が入れば、そちらに従わざるを得ない。その回数は決して多くはなかったが、要請が入る度に言い訳を思案しなければいけなかったので、それが何かと苦労を覚 えた。
 なのはやはやても同様だ。事情を知っているアリサとすずかが甲斐甲斐しくフォローに入ってくれるが、彼女達に甘えてばかりではいられない。こんな生活はこの先 も続くし、執務官試験に合格すれば、それこそ、義理の兄のように眼の回るような多忙な日々が待ち構えている。
 それでも、フェイト・T・ハラオウンは今の生活に深い充実感を覚えている。執務官試験の対策勉強や管理局の任務でどれだけ疲労をしていても、どれだけ辛い事が あっても、十歳を迎えた少女は笑顔を絶やさず、前を向いて前進し続けていた。
 その日――七月二日が来るまでは。



 季節が変わる。五月が終わり、六月も中頃に入ると愚図つく空模様が増えて来た。日増しに大気が湿気を帯び、天気予報は不快指数急上昇の旨を嬉々として伝えて来 る日々だ。
 それは海鳴だけではなくて、ミッドチルダの首都クラナガンもそうだった。四季の移ろいは『地球』と同じ様で、なのは達にちょっとした驚きを与えている。
 もっとも、そんな天気や季節の変化は時空管理局本局には一切関係しない。すべてが人工物であり、次元空間という虚空に存在しているそこは、いつも快適な温度に なっている。
 そんな施設の中を、フェイトはエイミィと肩を並べて歩いていた。

「ごめんね、フェイトちゃん。書類整理なんて手伝わせちゃって」
「ううん。これも立派なお仕事だから。気にしないで」

 二人の手には、分厚い紙の書類の束が何束も抱えられていた。電子書類とは違って、取り扱いが安易な分、書類の主流は未だに紙なのだ。

「マリーったら、研究室に籠もるのはいいんだけど、書類の整理とか結構ズボラなんだから」
「それはエイミィだよ。アースラのエイミィの部屋、本当に脚の踏み場も無いんだから。クロノに毎日注意されてるでしょ?」
「う……あ、あれはその、機能美なのよ。そう、機能美。手を伸ばせば必要な物に手が届くレイアウトなの」_
「それじゃ、海鳴のマンションの部屋は? 美由希さんから借りた文庫本とか、結構散らかってるみたいだけど」

 クロノにとって姉のような存在なら、フェイトにとってもそうだ。後輩の怠惰さをズボラと断言する割に、エイミィの整理整頓の能力は少々疑わしい。
 視線を彷徨わせて反撃の糸口を探るエイミィ。

「フェ、フェイトちゃんの部屋も、ほら、この間は結構汚れてなかったかな」
「あれはアルフが散らかしただけだもん。ちゃんと言って、一緒に片付けたよ?」
「ぐ……! フェイトちゃん、いつからそんな饒舌に……!」
「さぁ。とにかく、エイミィの部屋片付けてね。特にアースラのは。クロノも言ってると思うけど、働く空間は環境整備が大切だから」

 アースラのエイミィの部屋は、緊急時には一種の電算室として機能できる。有事に対する備えは常に万全を。これもクロノからの教えである。
 すっかり追い詰められてしまったエイミィだったが、何を思ったのか、急に笑みを浮かべて、

「……ふ〜ん、クロノ君、ねぇ」

 そう言って睨みを利かせて来た。
 獲物を捉えた蛇のような眼差しであった。身の危険を感じて、フェイトはさり気に距離を保とうとする。
 にんまりと歪んだ口辺は、彼女が善からぬ事を企んでいる何よりの証拠だった。

「な、なに、エイミィ」
「別に何でもないですよ〜。そうだね、部屋は常に綺麗に明るく、朗らかにするべきだよね」
「う、うん。その、朗らかかどうかはちょっと分からないけど」
「フェイトちゃんは本当にしっかりしてるよね〜。お姉さんも見習わないと」

 心底納得した様子で肯くエイミィ。演技がかったその仕草に、フェイトは警戒の色を一層強める。

「エイミィ、何か企んでる……?」
「企んでるなんて心外だなぁ」
「本当……かな」
「もっちろん。ほら、こうしてわざわざ書類整理も手伝ってもらったんだから。ん〜、ところでフェイトちゃん」
「……なに?」
「フェイトちゃんが部屋を片付けた日ってさ、クロノ君がマンションに帰ってる日?」

 見上げたエイミィの顔は、してやったりという風情になっていた。
 形勢はあっさりと逆転した。フェイトはさっきまでのエイミィのように、喉を通ろうとする言い訳を押し留めるので精一杯である。数多と浮かぶ言葉が口から出れて しまえば、たちまちにエイミィという意地悪な女性に豊富な栄養素を与えてしまうだろう。
 彼女の言う通り、フェイトが部屋を片付ける時は、決まってクロノが海鳴のマンションに帰宅する時だった。仕事の都合上、クロノはどうしても不定期にしか帰って 来れないので、それに合わせて部屋を整理しておくのはちょっとした苦労だ。もちろんフェイトは無駄に散らかすような雑な性格ではないが、部屋を兼用しているアル フはそうはいかない。幼少の頃からリニスにきつく言われて来たものの、その大雑把な所が改善される兆しは現在も皆無だ。

「どうしてかなぁ〜? 偶然とか?」
「そ、それは、その」

 知っていて訊いて来る所が非常に質が悪い。こうなっては、フェイトは蛇に睨まれた蛙のような存在だ。直面する回避不能の危機を前に、黙って口を閉ざす事も叶わ ない。
 自室を片付けるのは、クロノがいつ入って来ても良いようにしておく為である。彼に怠惰な性格と思われるのは嫌だった。

「まぁ、クロノ君の事だから、部屋が散らかってても大丈夫だと思うけどね」
「だ、大丈夫じゃないよ。アルフとか、すぐに散らかして、いつもクロノに注意されてるだから。だから私は綺麗にして……」

 口にしてしまえば、もう後の祭りだった。咄嗟に口を閉ざすものの、時はすでに遅い。
 簡単な誘導尋問に見事に填められてしまった。

「エイミィ!」
「にゃはは〜。怒らないで怒らないで。ほら、おあいこだよ」
「おあいこって……」

 理不尽さを感じて、フェイトは溜息をついてしまう。こちらは部屋を綺麗に片付けろと言っただけなのに。
 そこで新たな声がした。

「おあいことと言うのは一体何の事だ?」

 通路の曲がり角からクロノが姿を見せた。
 思わずドキリとして、フェイトは視線を爪先へやった。

「ありゃ、クロノ君。もしかして今の話聞いてた?」
「歩いていたら君達の声がしたから来てみただけだ。会話の内容までは知らないよ」
「ん、そりゃ良かった。ね、フェイトちゃん」
「う、うん」

 反射的に肯いてしまう。
 クロノが怪訝そうに眼を細めた。

「エイミィ、フェイトにおかしな事を吹き込まないでくれ。君と違って、フェイトは規則正しい子なんだから」
「ちょ! 何気にそれは酷くないですかクロノ君!」
「だったら、すぐにアースラの通信管制室や電算室を片付けてくれ。アレックス達がぼやいていたぞ?」
「だ、だからあれは機能美だって」
「執務官命令」

 姉と弟のような関係の二人も、本来は上司と部下だ。それを突きつけられると、執務官補佐たるエイミィに反撃の術は何も無い。

「頼りにしてるんだから。頼むぞ、エイミィ」
「そう言われると弱いかも……取り合えず、了解。この書類を片付けてからでいいかな?」
「ああ、そうしてくれ。フェイトが持ってるのも同じのか?」
「う、うん。そうだけど」
「なら僕が持とう。重いだろ?」

 クロノが取り上げるようにフェイトの書類の束を掴む。

「いいよ、これぐらい」
「いいから。君はこれから執務官試験の勉強だろ。体力は少しでもいいから残しておいた方が懸命だ」
「あ、じゃあクロノ君。私のも。はい」
「け、結構重いな、これ」
「はい、男の子でしょ? 情けない事言わないの」
「君はもう少し容赦や慎みを覚えるべきだと思うぞ、エイミィ」

 半ば憎まれ口のような会話も、この二人にとっては日常的なものだ。
 エイミィは元からの備わっている人懐っこい性格もあるが、クロノがこうした態度を取る人間は非常に限られている。片手の指で数えられるぐらいだろう。
 そんな貴重な人数の中に入っているエイミィが、フェイトは羨ましかった。自分は残念ながら入っていないのだ。家族として彼から大切にされている自覚はあるが、 もっと近くで、もっと気心の知れた仲になりたいと思う。
 贅沢な悩みだった。
 でも、そう考えずにはいられなかった。
 ぼんやりとクロノの横顔を見詰めていると、不意に彼が視線を向けて来た。

「フェイト。今日はどこで試験勉強をするんだ?」
「え……アースラ、かな。多分」

 今日の業務はもう終わっている。明日は聖祥小学校も休日で休みなので、遅くまで試験勉強に時間を傾けようと考えていた。そうなると、自宅のマンションより、 何かと便利なアースラの執務室の方が勉強部屋としては適切だった。

「そうか。なら僕も付き合うよ。時間も空いてるから。最近あまり見れていなかったしね」
「え、でも……いいの? クロノ、最近あんまり休んでないみたいだし」
「ああ。これでも君の指導官と試験官だ。遠慮するな」

 そう言って、クロノは不器用に笑ってみせた。



 ☆



 こうして二人きりになると、やはりなのか何なのか、フェイトは緊張を覚える。
 アースラに用意されているフェイト用の執務室は、まだ執務官候補生である以上、今のところは勉強部屋のようなものだ。知識として覚えなければいけない法務関連 の書籍が山積みにされ、部屋のあちこちに積み上げられている光景は、その辺りの受験生と何ら変わらない。彼らと比較するのなら、執務官試験には落第が無い事だ。 滑ろうが来期に機会はしっかりと巡って来る。だが、フェイトはあくまでも一発合格を目指している。それは一度この試験に落ちているクロノも望むところだった。
 自然とクロノの指導にも熱が入るが、フェイトに無理強いをするような事はしなかった。あくまでも彼女のペースを尊重して、忙しい中でも指導官としてスケジュー ル管理もしてくれている。
 自分の為にあれこれと思案をしてくれている彼が嬉しかった。

「何が可笑しいんだ?」
「ううん、何でもない」

 笑みを諌めて、フェイトは机上に広げた参考書に眼を向けた。ソファでフェイトのノートを読んでいたクロノは、釈然としない顔付きで首を傾げている。
 二人きりという現状を楽しむのも良いが、今は対策問題の答案に集中すべきである。クロノに直接見てもらえる機会は多くはない。今はとても貴重な時間なのだ。
 そう、色々と別の意味でも。
 ペンが順調に走る。すると、クロノがソファを離れて歩み寄って来た。

「フェイト。ここの問一だが、間違ってるぞ」
「え。どこ?」
「ほら、ここ」

 執務机の脇からノートを出して、クロノが問題の場所を指でなぞって来る。

「強制捜査時の法的処置に関してだな。君の答えのまま行くと、君は逆に訴えられるぞ?」
「え!? でも、この場合は正当防衛性も出るから……」
「確かにそうだが、それは相手の出方次第だ。踏み込み過ぎてしまっては、こちらが犯罪者になってしまう」

 言われるまま、別の参考書を引っ張り出して確認する。

「本当だ」
「それから、ここもだな。長距離転移魔法使用時の項」
「う、うん」

 息遣いが分かるくらいの距離で顔を覗き込みながら、甲斐甲斐しく説明をしてくれるクロノ。その表情は真剣そのもので、とても熱心だ。
 フェイトはいけないと思いつつ、どぎまぎするのを止められない。彼の説明に耳を傾けるが、意識までは難しかった。
 クロノが無遠慮に近付き過ぎている訳ではなく、単純にフェイトが意識し過ぎているのである。

「戦闘訓練でもそうだが、君は文書でもたまに攻撃過多だぞ」
「う……。ごめんなさい」
「嘱託試験じゃ通ったが、執務官試験はそうはいかない。気をつけろ」

 クロノは軽くフェイトの頬を小突くと、苦笑しながらソファへ戻る。

「……はい……」

 額を押さえ、フェイトは赤い頬を隠すようにして顔を伏せる。
 試験勉強は進んで行く。フェイトにとって掛け替えの無い時間が過ぎて行く。
 ふと思った。こんな時間がずっと続けばいいなと。
 彼に――義理の兄となったクロノという少年に好意を抱いて、もう半年が経った。その間に沢山の出来事があったが、フェイトの気持ちにクロノが気付いている様子は無い。
 一方で、クロノと恋仲になりたいというフェイトの気持ちは、もう抑制が難しいぐらいに大きくなってしまっている。
 想い、想われ、手を繋ぎ、寄り添い、ずっと側にいたい。
 告白して受け止めてもらえれば、もしかしたらそうなれるかもしれない。
 でも、もし拒否されたら? 告白しようと決心を固める度に、臆病な自分がそう囁きかけて来る。
 僕は君を妹としか思えないと言われたら。
 そしたら、きっとこんな時間は消えてしまう。
 側にいられても、きっと辛い。
 だったらこのまま、義理の兄と妹という関係も良いのかもしれない。このままなら、彼の側にはいられる。その笑顔を見る事もできる。
 これはとてつもなく甘い誘惑だった。諦めるのではなく、今のこの関係すら崩れてしまうのではないかという恐怖がそう思わせていた。
 その時、はやての笑顔が浮かんだ。

「……やっぱり……やだ……」

 自分が誘惑に負ければ、義理の兄と妹の関係で満足してしまうのであれば、クロノは間違いなくはやてに奪われてしまう。
 クロノは自分には見せない優しい笑顔をはやてに見せるだろう。彼女にしか見せない態度を取るだろう。
 勝手に想像された映像だったが、フェイトは我慢できずに頭を振る。
 やっぱり異性として彼に見て欲しい。異性として側にいて欲しい。義理の兄妹なんて、やっぱり我慢できない。

「フェイト」

 訝しむその声に、物思いに耽っていたフェイトは視線を動かした。
 眼の前にクロノが見えた。小さな悲鳴を上げて飛び退く。
 クロノが眼を瞬かせていた。

「どうしたんだ、ぼーっとして」

 フェイトは何も答えずに息を呑む。

「フェイト?」

 やっぱり告白しかないのか。だって彼はいつまで経っても気付いてくれないのだ。
 フェイトは胸の前で手を握る。管理局の胸元にあるリボンを握り締め、クロノを見詰めた。
 さぁ言え。フェイトは自分を脅迫する。クロノならきっと受け止めてくれる。言えばこの半年間欲しくて欲しくて堪らなかったモノが手に入るのだ。

「クロノ」

 ガチガチに固まった喉で何とか彼を呼んだ。

「何だ、フェイト」

 いつも狙ったように割り込んで来るアルフも今日はいない。試験対策の勉強の真っ最中なのだから、エイミィも無遠慮に通信を繋げて来る事も無いだろう。
 二人きりになっている今がチャンスなのだ。
 さぁ、言ってしまえ――!

「私ね、あのね。クロノに……伝えたい言葉があるの」
「? 改まってどうしたんだ?」
「聞いてもらいたいんだけど、いいかな?」
「ああ、もちろん」

 クロノが柔らかな笑顔を浮かべた。告白すればこの笑顔も独り占めできるのだ。
 握り締めた掌でリボンをいじる。
 何度も何度も反芻して、予行練習までしていた告白の言葉が脳裏を過ぎった。春先の縁談騒ぎの時、言えそうで言えなかった言葉だ。

「私は、その、家族とか、そういうのじゃなくて」
「ああ」
「い、異性というか、クロノが――!」

 『好き』という言葉が喉を出た瞬間、耳をつんざく警報が鳴り響いた。

「―――」

 口の形を『す』にした状態で、フェイトは見事に硬直してしまった。
 けたたましい警告の音。クロノは固まるフェイトを置き去りにして、壁に設けられた艦内用のインターフォンを引っ手繰る。

「エイミィ、クロノだ」
『あ、クロノ君ッ!』

 応答したエイミィの声は、離れたフェイトにも聞こえてしまうぐらいに大きく裏返っていた。

『すぐに準備して! 本局から緊急で連絡が入ったの!』
「何があった。説明してくれ」
『詳しい事はまだ来てないけど、クラナガンで無差別に攻撃魔法を連発してる魔導師がいるみたいッ!』
「無差別に攻撃魔法を……?」
『設定は殺傷設定! 放出されてる魔力出力は、観測レベルだけどAAAッ!』
「なッ……!」

 クロノと同様に、フェイトも絶句した。
 冗談ではなかった。AAAクラスの魔導師と言えば、存在そのものが希少と言われる。管理局が有している多くの魔導師の中で、五パーセントに達するかどうかだ。 それだけの膨大な魔力資質を秘めた存在なのだ。それが無差別に殺傷設定の攻撃魔法をばら撒いている。繊細さを要求される外科手術で電動ノコギリを振り回すような 暴挙だ。

『それで、本局直属の武装隊が別件でほとんど出払ってて、すぐに動けるA以上の魔導師がほとんどいないの!』
「分かった。状況確認も含めて、僕とフェイトで出る。転送ポッドの用意を頼む!」
『了解! 三十秒頂戴!』

 インターフォンを叩き付けるように戻したクロノは、懐から待機状態のS2Uとデュランダルを抜いた。すぐ様デバイスモードを顕現。無骨な機械仕掛けの杖と白銀 の氷結の杖を手に、黒灰色のバリアジャケットを生成する。

「フェイト、行くぞッ!」
「は、はいッ!」

 突然の非常事態発生に、フェイトはなかなか思考が切り替わらない。部屋を飛び出そうとしているクロノに、言われるまま続く。
 通路に出ても警報は鳴りっ放しだった。不安を掻き立てる音が点滅を繰り返す赤い照明と共に通路を走り出した二人を包む。
 ポケットからバルディッシュを引っ張り出し、バリアジャケットを生成。同時に鋼の相棒をデバイスフォームへ。金色の光と共に出現した長柄の戦斧を握り締める。
 エイミィから思念通話が繋がった。

『場所は中央第二番街!』
「陸上隊の準備は!? 陸士201から206までの部隊はクラナガンの中央配置のはずだろう!?」
『駄目ッ、全然間に合わない! こっちも別件で出てて、ほとんど守りが……!』
「くそッ! 艦長が会議でいない時に……!」

 悲鳴と怒号のやりとりをしつつ、転送ポッドに駆け込む。
 ポッド内はすでにアースラの大型魔力炉から供給された濃密な魔力に満たされていた。

『直接現場に転送するから、準備だけ怠らないで!』
「分かった! アースラが現状を維持! 別命あるまで動くな!」
『了解!』

 状況の異常さが二人の会話をより緊張させて行く。

「フェイト、転送するぞ。注意しろッ!」
「はいッ!」

 返事をして、ようやくフェイトは思考を切り替えられた。バルディッシュの魔力回路に魔力を流し込み、幾つかの無詠唱発動型の基礎魔法の準備を行う。
 告白どころではなくなってしまったが、今そんな事を考えている場合ではない。
 AAAに該当する魔導師が放つ攻撃魔法は、質量兵器の類が封印されているミッドチルダやその近辺の次元世界に於いて、陸上最強最大の大量破壊兵器だ。今は死 者が出ていない事をただ祈るばかりだった。
 程無くして転送ポッドが起動した。



 ☆



 現場に到着したフェイトとクロノを迎えたのは、他には喩えようの無い廃墟だった。
 砲撃魔法の熱が未だ引かないのか、温度が異常に高い。そびえ立っているビルが飴のように溶けてしまっている部分もあり、あちこちからは無数の黒煙が昇っていた。 アスファルトには巨大な穴が穿たれ、衝撃で吹き飛ばされた車が腹を向けて幾つも転がっている。

「……酷い……」

 人の姿は見えない。倒れている影も無かった。無事に避難出来たのだろうか。

「エイミィ、現場に到着した。そちらはどうだ?」
『現在索敵中! でも近くに居るのは間違いないみたいッ、注意して!』

 エイミィの報告が、フェイトの神経を研ぎ澄ませて行く。握り直したバルディッシュがカチャリと鳴った。金色の宝玉が輝き、呼応する。
 クロノはフェイトに背を預けるように彼女に歩み寄り、二対のストレージデバイスを構える。いつでも魔法を行使できるように術式を展開している。
 高められて行く集中力。それが人の気配のしない廃墟で何かを掴んだ。

「――!?」

 黒煙を炎を吐き出しているビルの隙間から、その影を揺らして魔導師が姿を現した。
 緊張感が張り詰め、ピークを迎える。だがそれはすぐに疑問に変わった。

「え……?」

 現れたのは確かに魔導師だ。ただ、デバイスを握っている右手が歪な形をしていた。
 機械なのか生物なのか見分けのつかない表面。金属特有の光沢ある外見だが、生物が呼吸をするように一部分が上下している。そんな正体不明の右腕からは電力コードを 連想させる触手のような物が伸びており、魔導師の頬や肩を這っている。
 初めて見る光景に、フェイトは言葉を失う。ただ嫌悪感だけを感じ、怯む身体を震わせた。

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ」

 名乗りを上げたクロノが、動けなくなったフェイトを庇うように彼女の前に立ち塞がる。
 S2Uが白銀の光を吐き、デュランダルが蒼穹の光を灯す。
 魔導師に変化は見られない。その顔はまるで死人のように土気色だった。眼は焦点が合わず、口からは唾液を垂れ流している。完全な薬物中毒者のような顔だった。

「無許可での殺傷設定による魔法行使は重罪だ。君はそれを理解しているのか?」

 魔導師は返事をする代わりに、ゆっくりと前進を開始した。その姿はまさに生きる屍だった。
 正体不明の右腕が動く。クロノとフェイトに突きつけられたそれは、莫大な魔力を元にして砲撃魔法を構築した。

「エイミィ、問題の魔導師と遭遇したが、様子がおかしい……!」
『こっちでも確認したよ! フィジカル反応が低下してるけど、魔力値が凄く勢いで上昇中! 三百万突破!』
「陸上隊を急がせてくれ」

 魔導師の砲撃魔法の術式構築が終了する。歪過ぎる右腕の先端に凄まじい魔力の圧縮体が生まれていた。街を廃墟に変えた砲撃魔法だろう。
 フェイトは未だに動けない。クロノの肩から見える魔導師に身体が立ち竦み、まるで動かない。

「来るぞフェイトッ!」
「!?」

 クロノの声が、その竦みを取り払った。わずかに入る力と魔力を使い、一気に地面を弾く。
 クロノとフェイトが数瞬先までいた空間を、圧倒的な熱量を誇った砲撃魔法が抉った。大気を唸らせて突き進んだ魔力の塊はビルをぶち抜き、その先にあった大型の ショッピングモールを直撃する。
 派手な爆音が響いた。弾けたように硝子が吹き飛び、爆裂した炎があらゆる方向から吐き出される。爆風が周辺の車を根こそぎ破壊した。
 破壊を背にフェイトは着地する。

「何て事をッ……!」

 背中から炎の熱が伝わって来る。それだけで砲撃魔法の破壊力は充分に分かった。
 怒りが込み上げて来る。バルディッシュがフェイトの意を汲み、カートリッジを自動的にロードした。
 硝煙を吐き出すバルディッシュを魔導師へ構える。

「時空管理局執務官候補生、フェイト・T・ハラオウンです! これ以上の破壊行為は絶対に認めませんッ!」
『Haken Form.』

 金色の巨大な戦鎌に変形するバルディッシュを担ぎ、漆黒の外套を翻したフェイトは、それこそ弾丸のように魔導師へ肉迫した。





 『デバイス暴走事件』と呼ばれる事件は、こうして始まった。
 でも、この不可解な事件はほんの些細な前触れでしかなかった。
 一ヶ月間に及ぶ、悲しく、切なく、辛い事件の……本当に小さな前触れ。
 予測なんてできなかった。できるはずもなかった。
 なのは、はやて、母さん……私の大切な人達の心が引き裂かれるなんて。
 クロノとあんな風になってしまうなんて。
 この時の私には――夢の中ですら想像できなかった。





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