魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.3 Nocturne









 食事が終わった後のリビングには、ゆったりとした空気が流れていた。
 フェイトとアルフは仲良く夕食の後片付けに精を出している。リビングにあるテレビは、ゴールデンタイムの歌番組を流していた。女性ボーカルの綺麗な歌声が 後片付けの雑音に紛れ、広い室内に響いている。

「ん〜。こいつもなかなかだけど、やっぱフェイトには勝てないねぇ」
「そんな事無いって。シグナムにも言われたけど、私そんなに巧くないよ?」

 二人が歌番組を種に話をしていると、リビングの扉が開いた。姿を見せたのは、先程までテレビを目的も無く眺めていたクロノだった。

「フェイト、アルフ。少し外に行って来る」

 そう言った彼は、動き易いトレーニングウェアに着替えていた。手にはタオルを提げている。

「こんな時間にトレーニングかい?」
「ああ。ずっとゴロゴロしているのも性に合わなくてね」
「あの、私も一緒に行っていい?」

 フェイトがどこか控えめな声で言った。

「済まない。ちょっと長く行って来たいから」

 クロノはやんわりとした笑顔で冷蔵庫に歩み寄り、中からスポーツ飲料の入ったペットボトルを取り出した。
 体力の基礎トレーニングに出るつもりなのだろう。魔法運用やそれを用いた戦闘訓練ならフェイトも同様のメニューで取り組めるが、体力の基礎トレーニングになる と話は違う。彼女の運動神経は幼少の頃から鍛えられているので優れているが、体力に関しては普通の小学生と何ら変わらなかった。自分の身体をとにかく酷使するクロノの トレーニングにはとてもついていけるものではない。

「ん、分かった。それじゃお風呂沸かして待ってる」

 フェイトは少しだけ寂しく感じたが、我侭は言わなかった。無理に付き合って脚を引っ張るのは眼に見えている。それなら、家で帰りを待って、疲れた彼を迎えた 方が有意義だ。

「済まないな。風呂上がりに簡単な訓練なら付き合うから」
「その響き、何かやらしいねぇ」

 邪な笑みを浮かべて、アルフ。
 クロノは彼女の言葉がすぐに分かったのか、怒りと羞恥で耳まで赤くした。

「アルフッ! 君は何を考えてるんだ!?」
「別に〜。あんた達にはまだ早いからさ、今の内に釘刺しておこうかなって思って」
「君だってそうだろう!?」

 アルフは今年で満四歳だ。成長した外見で忘れがちだが、身近では最年少である。
 フェイトはアルフの言葉が分からず、不思議そうな顔で小首を捻っていた。

「クロノ知ってる? 動物は人間の何倍も成長が早いんだよ?」
「こういう時だけ都合良く自分を動物と言うか、君は」
「うるさいこの犯罪者。昨日はキスまでやろうしていた癖に」

 フェイトが首を傾げた状態で凝固した。

「あれはしようとしたんじゃなくて、されそうになったんだ!」
「うわ! 最悪の言い訳!」
「言い訳じゃない! 真実だ! ああ、もう! とにかく僕は行って来るから!」

 鼻息を荒くしたまま、クロノは大股でリビングを出て行こうとする。歳には似つかわしくない考えや発言から酷く大人びている彼だが、少しからかわれただけで ムキになる辺りは、まだまだ歳相応の少年だ。
 アルフはパタパタと手を振って彼を送り出す。

「帰りにアイス買って来てねぇ〜」
「僕はパシリかッ!?」
「チョコレートね」
「知らん!」

 大きな音を立てて扉が乱暴に閉められた。だが、すぐに開いてしまう。
 出て行ったはずのクロノが顔だけを覗かせ、紅潮しているフェイトにボソボソと訊いた。

「君は何味が良い?」
「えッ!? あ……あの……ク、クロノと同じので、い、いいです……」
「そ、そうか。分かった」

 再び閉まる扉。

「フェイト」
「な……なに?」
「イチャつきすぎ」
「……だって……」
「だって、なに?」

 夕食の片付けが終わるまで、フェイトはアルフに弄られ続けた。



 ☆



 周囲の景色が流れるように去って行く。
 設定した速度よりも速くクロノは商店街を走っていた。体力配分ももちろん考慮していたが、アルフの言葉で火の付いた羞恥心が、彼の意思とは関係無く速度 を上げていたのだ。
 夜の空気は、雨季という事もあってか、生暖かかった。体温がさらに上昇して背中が瞬く間に汗まみれになって行く。額からも玉のような汗が流れ、視界の邪魔を した。タオルで拭い、さらに走る。
 体力の基礎トレーニングは可能な限り毎日行っていたが、今日はさらに厳しめに行うつもりでいた。

「せめてこれくらいはしておかないと」

 最新型の補助OSを導入したS2Uの出力は異常だ。完全に制御するには慣らしが必要不可欠だったが、魔法の制御解放時の物理的反動を殺すには、今以上に体力や 筋力が必要になる。いつも消化している基礎トレーニングにさらに上乗せをした内容をクロノは考えていた。今日からやり始めていきなり体力が付くという訳ではなかった が、日頃の弛まぬ努力が身を結ぶのだ。この事実を、クロノは幼少の頃から身体で自分に教えて来た。
 知っている商店街をひたすら往復して、分かる範囲で住宅街を走る。夏の虫が白い街灯に群がっているのが見えた。
 徹底した走り込みの後、クロノはその脚を桜台に向けた。フェイトやなのは、はやてが良く一緒に魔法の練習をしているという場所だ。クロノも何度か脚を運んだ 事がある。見晴らしの良い場所で、奥に行けば欝蒼とした森林がある。治安も良く静かなので、こっそりと何かをするには打ってつけの場所だった。
 住宅街を抜けて登山道に入った。綺麗に並ぶ街灯が不自由しない程度に足元を照らしてくれている。滑らかな坂を、クロノは一気に駆け上がった。
 その折、走行に集中していた神経が何かを感じた。脚を止めて周囲に視線を走らせる時、道の先にピンク色の光を見た。

「あれは」

 不規則に宙を飛翔したその光は、弧を描いて何かを弾いている。弾く度にカンッという鈍い音がした。
 クロノは走りを再開する。途中で道を逸れて、舗装されていない山道に脚を踏み入れた。
 土と草の地面を踏み締めて数分。山道が途切れ、だだっ広い広場に出くわした。その中央に、栗色の髪の少女が眼を伏せて、集中した面持ちで佇んでいた。
 その頭上では、先程クロノが目撃したピンク色の光が唸りを上げている。眼を凝らせば、光は空き缶を殴っていた。重力に従って落下しようとする空き缶を 衝突の衝撃で浮遊させ続けている。

「これで……!」

 左手を掲げた栗色の髪の少女――なのはが人差し指を立てた。円を残す軌道をしていた光が一気に加速して、直角的な方向転換を行った。術式に加速操作を加えたのだ。

「百ッ!」

 人差し指を立てた左手を振り降ろす。光が闇夜を一閃して空き缶を横に射抜いた。方向転換後、今度は縦に貫く。最後に角を殴り、半ば残骸に成り果てた空き缶を ゴミ箱へ放った。
 暗闇の広場に甲高い金属音が鳴る。

「やったぁッ!」
『お見事です、マスター』
「レイジングハート、今の何点くらい?」
『満点です。今後も日々の精進を』

 夜の暗さに慣れたクロノの眼に、無邪気に笑うなのはが映る。その笑みに、クロノも自然と微笑んだ。

「こんな夜遅くに一人で訓練か?」

 声をかけると、なのはは驚いた様子で辺りを見渡す。

「僕だよ」
「え、あ……クロノ君?」

 暗闇から歩み寄って来るクロノに、なのはは眼を丸くする。

「僕が近付いてた事にも気付かなかったのか?」
「ぜ、全然……」
「集中し切るのは君の良い所でもあるが、悪い所でもある。いくら夜で人目の無い場所でも、射撃魔法の練習は目立つものだぞ」
「う……ごめんなさい」

 しゅんとなってなのはは肩を落とす。

「しかし、君も巧くなったものだな」

 ゴミ箱に歩み寄り、なのはが射抜いた空き缶を手に取る。貫通の痕は綺麗な物で、彼女の誘導弾の魔力圧縮率や操作性能が垣間見れた。
 なのはの攻撃魔法は少数精鋭である。バリエーションが多く存在しているが、基本体は僅かに二つ。誘導操作弾のシューターと砲撃のバスターだ。それ故に錬度は 高い。砲撃に至っては資質の違いもあるが、すでにクロノの上を行っている。
 なのはは恥ずかしそうに笑った。

「そうかな? レイジングハートから満点貰ったのも今が初めてなんだけど」
「いや、実際大したものだ。僕がこれくらい出来るようになったのは、訓練を始めてから二年経った後だよ」

 世辞でも煽てでもなく、クロノは真実を告げた。

「君はそれを半年程度でやってみせた。謙虚になるのも大切だが、自信を持った方がいい」
「あ……ありがとう。何か、クロノ君に褒められると照れちゃうな……」
「と言っても、まだまだ無駄な部分は多い。そうだろう、レイジングハート」
『ええ。次の課題はシューターの集束率です。ハラオウン執務官、宜しければご指導をお願い出来ないでしょうか?』
「僕がか?」
『魔力の遠隔操作は得意と聞いております』
「誰が言ったんだ、そんな事」
『あなたのお知り合いから大体は』
「脚色しないで欲しいものだ」

 口許を押さえて苦笑したクロノは、タオルで顔の汗を拭く。持参したペットボトルの栓を開け、軽く仰いだ。

「僕で良ければやろう」
「いいの、クロノ君?」
「ああ。どの道この辺りで基礎トレーニングをするつもりだったから。その傍らになるが、いいか?」
「うん。お願いしますッ」

 暗闇の中でも、なのはの笑みは良く見えた。強い光を見るかのように、クロノは眼を細める。僅かだが、心臓の動く速度が上がった。



 ☆



 それから一時間。クロノはなのはと共にトレーニングメニューを消化した。クロノは基礎体力トレーニングで、なのはは頭脳トレーニングというべき内容だった。

「つ……疲れた……」

 地面に座り込んだなのはは疲労を吐き出すように嘆息づいている。その横では、クロノがスポーツ飲料を飲んでいる。なのはは疲労困憊と言った様子だが、クロノは スポーツを終えた後のような晴れ晴れとした表情だった。

「お疲れ様、なのは」
「やっぱり難しいね、魔法って」
「感覚で術式を組んでいる君が言うと、違和感すら感じてしまうんだが」

 ユーノによる簡単なレクチャーを受けただけのなのはは、士官学校で勉強する事をすべて実戦で本能的に学んだ。相手がAAAクラスの魔導師だったのだから、 彼女としてはそうするしかなかったとは言え、改めて一体どんなスパルタだったのかと思う。

「まぁともかく。今教えた事を忘れずに常に意識してやってみるといい。実戦ではまだ難しいかもしれないが、訓練でなら君なら出来るだろう」

 なのはは宙に視線を彷徨わせると、指を折り始めた。

「えっと、制御範囲の広範囲化と、弾道加速時の慣性を生かす事と、状況に応じた集束率の操作と……あと、えっとえっと……」

 徐々になのはは眉尻を下げて行く。眼も点になった。
 クロノはそんな彼女に可笑しさを堪えながら、続きを言ってやった。

「同時射出数の増加と、それに合わせた操作だ」
「……二十四発は難しいよぉ……」
「何も全弾制御する必要は無い。半数以上、そうだな、最低十六発を制御出来ればいい。残りの八発は自動誘導にセットしてレイジングハートに操作を任せ、相手の 牽制用にすればいいんだ。本命は君が操作する十六発だよ。手元に数発ストックしておけば不測の事態でも対処は出来るし、精度の高い迎撃にも使える」
「な、何が何やら……」

 眼を回すなのはは、今にも泣き出してしまいそうだ。堪え切れずにクロノは笑う。

「う〜。クロノ君は簡単でも、私にはまだ難し過ぎるよ」

 と唇を尖らせて、なのは。

「確かに。普通なら戦技教導隊レベルに求められる魔力制御法だ。だけど、君の目標は教導隊だろう? これくらい出来ないと試験すら受けられないぞ」

 なのはは言葉に詰まる。

「今すぐ出来るようになれ、何て言わないさ。僕の場合、今でもこの課題は取り組んでる最中だ。じっくりやればいい」
「……じっくりは、出来ないかな?」
「何故だ?」
「今日、正式に来たんだ。デバイス暴走事件の鎮圧任務」

 泣き顔だったなのはの表情が引き締まる。
 今日付けで、リンディを通して、なのはが所属している武装隊にはアースラ出向の命令が下されていた。すでにアースラには幾つかの武装隊が常駐する形で出向 しており、さらに戦力が集中してしまう結果になったが、特例としてすでに許可は下りていた。アースラは半ば旗艦として、その艦長たるリンディは現場の総責任者 として、デバイス暴走事件の鎮圧任務に従事している。

「私、得意はやっぱり砲撃魔法だから、加減とか巧く出来なくて。しなくていい怪我とか、魔導師さんにさせちゃいそうで」
「だからこんな時間にシューターの訓練を?」
「ちょっと遅過ぎて、お父さん達に難しい顔されちゃったんだけどね」
「……そうか」

 スポーツ飲料を仰ぐ。甘酸っぱい液体が喉を潤した。基礎訓練で苛め抜いた身体が喜んで摂取してくれる。

「クロノ君はいつもこんな時間に訓練してるの?」
「基礎訓練は出来る時に、かな。最近は事件のせいで出来なかったが」
「やっぱり魔法って体力も要る……んだよね?」

 最後の言葉は恐ろしい事実を確認するかのような声音だった。
 なのはは魔法に関しては底無しだが、運動神経や体力の底は正直浅い。武装隊の士官試験や日頃の訓練で彼女が唯一泣きを見ている場所だ。反射神経は父親譲りで 良いとの事だが、他がまるで駄目なので、その利点も残念ながら曇ってしまっている。

「ああ、特に接近戦をやる場合は」
「じゃ、じゃあ……」
「とは言っても、やはり基本的な体力は必要だ」

 輝きかけたなのはの笑顔が、急転直下の勢いで曇る。

「君の歪な成長具合も、体力の無さに起因してる節がある。君は魔法の訓練と一緒に基礎トレーニングもやった方がいい。レイジングハート、カリキュラムに組み込んで くれ」
『すでに組み込んであります。次回以降は体力トレーニングをメインにやって行こうと思っています』

 さすがはインテリジェントデバイス。抜かりは無い。
 一方、体育嫌いのなのはは項垂れていた。

「……頑張ります」
「今の事件が終わって時間が空いたら付き合うよ。言った手前、ちゃんと出来るようになってもらわないと僕も困る」
「クロノ君、何だか今日は凄く厳しいような……」
「君に期待してるだけさ、高町なのは」

 二人はしばらくの間、夜空の下で他愛の無い会話に耽った。



 ☆



 桜台からの帰り道も、二人の会話は止まらなかった。話の種は、クロノが人伝に聞いたなのはの武装隊での立ち振る舞いだった。

「確かに君は加減を覚えるべきだな。技量を測る為の訓練で入院者を作るとは」
「それはその、隊長さんが全力で行けって言うから〜……」
「それでACSを使ったのか?」
「胸を借りる気でって言われたから〜……」

 途中にあったコンビニエンスストアに入り、フェイトとアルフのアイスを購入する。せっかくなのでなのはの分も買った。クロノは適当な無糖の缶コーヒーを チョイスする。
 ソフトクリームを笑顔で食べるなのはは、どこからどう見ても普通の小学生の少女だった。クロノは缶コーヒーを啜る片手間でそれを実感する。先程まで交わしていた 管理局の話や、魔法に関する小難しい講座が嘘のようだ。
 そう、なのはもフェイト同様にまだ子供なのだ。未だ義務教育の半分を消化したかどうかの少女である。そう思えば、クロノは罪悪感のようなモノを覚えてしまった。
 不当に子供扱いするつもりもない。彼女は自分が持っている力を良く理解しているし、それを正しいと思う事に向けられる心も持っている。PT事件や闇の書事件で 彼女が残した成果を見ればそれは良く分かった。昨日、デバイス暴走事件解決を手伝うと言った時の言葉を思い出せば、それを痛感させられる。
 ここまで他人と痛みを共有し、立ち向かえる者は居ないだろう。

「なのは」

 辛い事や悲しい事を溜め込んでしまうのは、彼女の欠点の一つだ。

「なに、クロノ君」

 そんな彼女を支える者は多い。フェイトやユーノ、はやて。その他沢山居る。

「……いや、何でもない」

 支え、支えられ、彼女達は前へ歩んでいる。夢へ進んでいる。手にした魔法の力で、今もどこかで起こっている事件で悲しんでいる人達を救おうとしている。

「呼んでみただけだ」
「そう?」

 訝しがった後、なのははソフトクリームにまた夢中になった。
 その横顔を、クロノは横目で見詰める。

「………」

 自然と眼が離せなくなった。
 デバイス暴走事件は、恐らくなのはが想像している以上に辛い事件だ。そしてこの事件を解決したとしても、きっともっと辛くて悲しい事件が彼女を待っている。

「クロノ君も食べる?」
「え。い、いや、いいよ。遠慮する」

 無邪気な提案を、クロノはどぎまぎして拒否する。

「クロノ君が買ってくれたんだから。食べて食べて」

 そんな事件を前にしても、きっとなのはは、悲しみを減らす為、無くす為、膝をつく事無く戦うだろう。そう、自分と同じように。

「いいって。君の為に買ったんだ。最後まで食べてくれ」

 ふと思う。自分も彼女を、なのはを支えて行きたいと。

「遠慮する事無いのに」

 今も支えているつもりだ。

「いいから」

 でも、今に満足出来なかった。もっと近くで。もっと側で、彼女を支えたかった。
 クロノは自分のそんな感情に戸惑った。何を考えているのだろうかと。彼女はもう充分に沢山の人間達に支えられている。特別側に居なくても、彼女は自分の脚で 立ち、自分の力で先に進んで行ける。
 必要無い支え。でもその支えになりたいとクロノは思ってしまった。

「……どうしてだ」
「何が?」

 どうやら心中で呟いたつもりが、口に出てしまったらしい。
 なのはは無邪気な笑顔のまま、側に居た。顔を覗き込んで来る可愛らしい仕草。クロノは思わず脚を止め、身を逸らして彼女から離れた。

「? 変なクロノ君」

 なのははソフトクリームのコーンの部分を慎ましくかじる。
 クロノは凄まじい速度で跳ね回る心臓を押さえつけ、何故か荒くなってしまった呼吸を肩でした。乾いていた背中に再び汗が浮かび上がる。その量はトレーニング 中に勝るとも劣らなかった。
 今まで同様の現象に襲われた事は何度かあった。そのどれもが、なのはの笑顔を見た時。

「………」

 動悸を何とか落ち着かせ、クロノはなのはを直視しようとする。
 でも出来なかった。収まりかけた動悸が再び激しさを増したせいだった。
 なのはは少し先の方で脚を止め、こちらを待っている。
 クロノはコホンと咳払いをすると、俯き加減で歩き始めた。なのはの脇を通り過ぎる。いつもなら一緒に歩く相手に合わせる歩調も、何かを隠すように、何かから 逃げるように早くする。

「ま、待ってよクロノ君ッ」
「あ、す、すまない」

 再び肩を並べて歩き始めるクロノとなのは。ただ、会話は無かった。なのはが何度か言葉をかけたが、クロノは前を向いたまま適当な相槌を打つだけだった。
 ちゃんとした言葉を交わしたのは、なのはの自宅について、別れる時だった。

「じゃ、おやすみ、クロノ君」
「……ああ、おやすみ」

 玄関先に消えて行くなのはを、クロノは手を振って見送る。
 形容出来ないモヤモヤとした感情は、扉が閉まると同時に薄らいだ。クロノは足早にその場から離れる。
 マンションまでの五分程度の距離を、クロノはそれこそ全力疾走で駆け抜けた。
 エントランスホールを突っ走り、エレベータに飛び込む。階層ボタンを押した後、クロノはようやく一心地をつけた。
 軽い浮遊感を壁にもたれて享受する。

「高町なのは、か」

 その名を舌の上に転がしてみる。
 武装隊士官として管理局に所属する、AAAクラスの魔導師。魔力の集束と放射に図抜けた才能を持ち、自分が傷付く事も恐れずに誰かを助けようとする意固地な 少女。
 曇りの無い笑顔を思い出す。その途端、どぎまぎが止まらなくなった。

「………」

 不意にクロノは悟った。先程感じた言葉に出来ない感情の正体を。
 チンッと音を鳴らしてエレベータが止まった。扉が左右に開いて共通廊下が見える。
 だが、クロノはなかなか出ようとしなかった。閉まりかける扉に気付いて慌てて飛び出す。
 下層に戻って行くエレベータを茫然と見送りながら、クロノは呟いた。

「好きなのか、僕は。なのはが」





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 □ あとがき □
 この話は2006/7/07に書いた追加話です。初めてここまで読まれた方には特に違和感無いと思われますが、後半色々描写不足になりまして、急遽必要になった 話でもあります。






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