魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.4 Matsumusisou









 夢ではないのか。紙袋を差し出すクロノを前にして、フェイトはそう思った。

「ほら、フェイト」
「……ありがとう……」

 紙袋は真っ白で、有名ブランドのロゴが印刷されている。中には清算を済ませた靴が綺麗な色紙に包装されて入っていた。
 フェイトとクロノ、二人で選んだ靴である。
 赤い色のシンプルなパンプス。ブランド品だが値ごろな価格だった。
 クロノは紙袋を手渡す代わりに、フェイトの手からトートバックを取る。

「帰ったら履いて見せてくれないか? とても似合っていたから、また見てみたい」
「……うん、クロノが、見たいなら……」

 フェイトがそう答えると、クロノは嬉しそうにはにかんだ。

「じゃ、遊園地に行ってみるか」
「……うん」

 どちらからともなく、二人は互いに手を伸ばす。見えない何かを探るように。
 指を絡め合い、掌を重ねる。
 羞恥心が二人の頬を容赦なく紅潮させて行く。フェイトは顔を伏せて、クロノは顔を背けた。
 それでも繋いだ手を離す事はない。
 二人は眼を合わせる。ゆっくりと、たっぷりと時間を掛けて。お互いの顔を伺うようにして。
 心地良い沈黙。
 暖かな静寂。
 フェイトはぎこちなく笑った。
 クロノは不器用に笑った。
 二人は寄り添うように歩き始める。自然とクロノが先導するような形となった。
 女性との交際経験がある男性なら当たり前の行動なのかもしれないが、クロノは違う。交際経験は皆無で、フェイトが知る限り、彼の身体は超が何個でも付属される程に鈍感に出来ている。
 夢ではないのか。
 改めて思う。でも、重ねた掌から伝わって来る温もりは疑いようのない本物だ。耳元で聞こえる彼の息遣いも、時々語りかけてくれる優しげな言葉も、どれもが 現実のものであり、自分だけのものなのだ。
 まさに夢心地だった。
 一緒に歩いているだけなのに、フェイトの心は弾みに弾み、踊りに踊る。歓喜が渇きを知らない井戸のように溢れて来る。
 二人は軽く百貨店の中を見て回った後、外に出た。思わず顔を顰めてしまうような熱気が、遥か頭上で輝いている太陽と共に二人を歓迎する。園内はなかなかの盛況 ぶりを見せており、見事な雑踏の溢れている。平日とは思えない程だった。
 フェイトは腕時計を見る。アルフとの契約記念にクロノから貰った、大切な大切なペアウォッチだ。職人の手で造られただろうアンティーク級の時計は、二本の針で 正午を指し示していた。

「もうお昼だ」

 ピークタイムという訳だ。平日とは言え、込み合って当然である。行き来する人々の濁流を前にして、クロノは言った。

「なるほど。この人ごみはそれが原因か」

 この過密過ぎる人の流れは、当たり前のようにアミューズメントパークのあちらこちらに設置された遊戯施設に消えて行く。”一時間待ち”という札を持ったスタッ フが忙しそうに動いている。
 ゆっくりと見て回り、遊び歩くのは難しそうだった。

「どうするかな」

 十歳になりたてのフェイトはもちろん、成長期の恩恵を受けてメキメキと身長を伸ばしているクロノもまだまだ小柄な方だ。どれだけ背伸びをしても空いていそうな 施設は見えない。むしろ、空いている場所があるのか定かではない。
 黙考するクロノ。フェイトは真っ先に観覧車に乗りたかったのだが、この人だかりを前にして言い出す事が出来なかった。とてもではないが、観覧車まで到達する自 信が無いし、クロノとはぐれてしまっては眼も当てられない。念話があるので迷子のご案内を掛けられる心配が無いのが救いと言えば救いである。
 クロノと一緒にフェイトも悩む。そうしていると、雑踏の奥に園内の案内掲示板を見つけた。管理局にあるタッチパネル式の情報端末ではないが、立派な金属製の掲 示板だった。

「クロノ、ちょっと来て」

 彼の了承を待たず、フェイトは手を引いて走り出す。
 吹き抜けて行く熱を含んだ風が、とても気持ちよかった。
 人の流れを器用に除け、二人は案内掲示板に到着する。

「案内板か」
「うん。どこか休める場所があったら、そこで人が引くまで大人しくしてた方がいいかなって思って」

 答えながらフェイトは掲示板を見た。派手にデフォルメされたアミューズメントパークの見取り図が色とりどりのペンキで描き込まれている。多少見難かったが、説明書きと 実物写真が掲載されていたので問題は無かった。
 フェイトと一緒に見取り図を眺めていたクロノが、一つの場所を指し示す。

「ここなんてどうだ」

 彼が提案した場所は、人工芝と樹木が植えられた公園だった。公園と言っても滑り台やジャングルジムは無く、家族連れの憩いの場のようだ。
 避難するには適した場所である。

「うん。いいと思う」
「ルートは……ここから南か」

 クロノが案内板を確認する。

「途中で何か飲み物でも買おう。この暑さはさすがに応える」
「そうだね」

 本来の気温そのものは七月という月にしては低い方だ。季節的には梅雨だが湿気も少ない。クロノが顔を顰める程の暑さは、単純な人口密度に起因している。

「飲み物と一緒に昼食も買うか? 丁度お昼だし」
「あ、それなんだけど」

 フェイトの視線がクロノが持っているトートバックに移る。

「お昼、持って来たんだ」
「持って来た? ……これの事か」

 トートバックを眼線の辺りまで持ち上げてみせた。
 その中には、フェイトは早起きしてこしらえた弁当が入っている。製作にはアルフも携わっており、ほぼすべてが手作りという特製中の特製だった。中身はもちろん クロノの好物が惜しげもなく詰め込まれている。

「朝バタバタしていたのはこのせいだったのか」
「あ、もしかして起こしちゃってた……?」
「いや、勝手に眼が覚めただけだよ。よし、じゃあ移動しよう。この公園も、多分込み始めてる頃だろうから」

 二人は人波を掻き分けて、公園へ向かった。



『追跡班はやて。目標の移動を確認。予想通り、公園に向かってると思われます。どうぞ』

 極めて真面目に、はやてが念話で報告をした。
 彼女は百貨店の正面出入り口の側に身を潜めていた。シャマルやザフィーラ、アリサ、すずかも彼女に倣っている。
 外は凄まじい人ゴミに溢れていた。とても平日とは思えない人の多さだったが、彼らがはやて達の障害物になってくれた。樹を隠すなら森の中という言葉の通り、 紛れ込めば注視でもされない限り見つかる事は無いだろう。車椅子のはやてが多少目立つくらいだが、車椅子入場をしている人間は彼女だけではない。注意していれば 追跡は難しくはなかった。

『記録班アルフ、了解。そのまま追跡を続行されたし。どうぞ』

 はやてが大真面目なら、返事をするアルフも大真面目だった。
 ちなみにアルフと言うと、助手であるなのはを引き摺って公園に先回りをしていた。動物の勘とでも言うべきか、ご主人と使い魔の関係で分かったのか、とにかく アルフの予想は正しかったようだ。

『追跡班はやて、了解や』

 念話を終えたはやては、三人と一匹に告げる。

「このまま追跡するで」
「だったら早く行こ。見失っちゃうよ」

 アリサが急かした。諌める必要も無く、はやて自身も早く追いかけたい。

「うん、はよ追おか。皆、離れんよう気をつけて」
「はい」
「シャマル、日頃の買い物から鍛えてるドラテクの見せ所やで。スーパーにおる奥様達に比べたら、これくらいの人どうってことないッ!」
「任せて下さい! 慣性ドリフトから直線ドリフト、ブレーキングドリフト、何でもやっちゃいます!」
「峠を走る腹黒シャマル号、発進やぁッ!」
「……ザフィーラぁぁぁ……」
『耐えるんだシャマル。耐えてこそ掴める栄光を……うぐッ!?』
「何か言ったかザフィーラぁ?」

 仮借ないはやての握力。シュベルトクロイツを握り始めてから、彼女の握力は右肩上がりで急上昇している。世間の不景気などどこ吹く風。八神家のエンゲル係数以上の 伸びを記録している。

『主、念話の盗聴は……はうッ!?』

 指によるボディーブローが子犬フォームのザフィーラの腹に突き刺さる。声にならない嗚咽。蒼い毛が一斉に逆立ち、ぷるぷると小刻みに震えた。
 乾いた笑みを浮かべ、すずかが控えめに口を挟む。

「あの、はやてちゃん。ザフィーラが凄く苦しそうなんだけど……」
「そう? これは嬉しがっとるんや。なぁザフィーラ」
『ぬぅッ!?』

 血も涙も無いはやての指。きりきりと痛む内臓に、ザフィーラは心中で滝のような脂汗を流す。だが、表面上では理不尽な責め苦に耐える態度は出さない。尻尾を振 り回して、アルフから教わった愛嬌のある泣き声を上げ、ご機嫌の子犬を演出した。
 盾の守護獣ザフィーラ。きっと近い未来、演技派雑種犬としてお茶の間を暖めるだろう。
 彼の苦痛を知る由も無いすずかとアリサは、揃って胸を撫で下ろす。

「ならいいんだけど」
「はやて。後でザフィーラ貸してね」
「うん、ええよ」

 ザフィーラは素直に安堵した。

「さぁシャマル! ゴーゴーッ!」
「はぁい……」
「すずか、離れないように着いて来なさいよ」
「アリサちゃんもね」
『……シグナム、ヴィータ。これ程お前達の存在を恋しく思った事はない……』

 移動を始める四人と一匹。こそこそしていると逆に目立つ為、先を行くクロノとフェイトとは距離を保ちつつも、堂々と通路のど真ん中を歩く。
 辺りの喧騒は激しい。指揮者不在の合唱会のようだ。会話。足音。スタッフの叫び声。園内アナウンス。施設の稼動音。
 はやてはそれらを聞きながら、シャマル達に気付かれる事無く、苦労して嘆息づいた。
 実は本日何度目になるか分からない。
 いけないと思う。シャマルやザフィーラに八つ当たりしているのは理解している。していても、止められそうになかった。
 クロノ争奪戦はかなり分が悪い。入場時からずっと二人を追跡して来て、はやてはその事実をまじまじと実感していた。最初からフェイトが一歩リード――告白をして 受け止めてもらっていたのだから当然なのだが、改めて見せ付けられると、実感だけではなくて苛立ちが募って来る。
 そう、苛立ち。嫉妬という名の苛立ち。身を焦がし、心を焦がす苛立ち。
 気付けば、気分が酷く落ち込んでいた。

「あかんあかん……」

 頭を振る。
 差はある。でも、巻き返せない差ではない。フェイトに”すぐに追いつく”と大きな口も叩いている。弱気になっては負けだ。
 それに――。

「フェイトちゃん、やっぱりああやって笑ってる方が可愛いですね」

 頭の上でシャマルが言った。
 幸せそうに微笑むフェイト。クロノと何か話しているのか、その笑顔は絶える事が無い。
 見ている方が温かくなるような、そんな笑み。あの雨の日、なのはと共に全身びしょ濡れになって八神家に現れたフェイトから想像出来ない。はやてもシャマルも、 それを目の当たりにしている分、今のフェイトの表情はとても眩しかった。
 抑えてもなかなか引っ込んでくれなかった嫉妬が、徐々にだが姿を消して行く。

「……そりゃそうや」

 見た事のない、可愛い白のワンピース姿のフェイト。アルフの話では相当頭を悩ませたらしい。
 ツーテールにしていた金髪も、今は解き、大きな黒のリボンで一つに結わえている。そのせいなのか、いつもよりもずっと大人びて見えた。どんどん成長して行く クロノに少しでも合わせようとしたのだろう。髪を解いたフェイトに”大人びて見えるよ”と言ったのは、他の誰でもない。はやて自身だった。

「ほんま、強敵や、フェイトちゃんは」

 あの笑顔に、あの可愛さに勝てるだろうか。いや、疑問に思ってはならない。疑問に思うという事は自信が無い事の表れだ。
 ”勝てるのか”ではなく、”勝つのだ”。嫉妬なんてしている暇は無い。ここはフェイトをダシに、クロノの好きな物などをリサーチしなければ。この機会を 無駄にしてはならない。
 はやてはぐるりとシャマル達を見渡す。

「皆ッ、しっかり追跡するでッ!」

 三人と一匹が、異口同音で復唱した。
 はやては、フェイトの笑顔がずっと続くと当たり前のように思っていた。
 すぐそこまで迫っている崩壊を知る術は、アルフと同様にはやてには無い。あるはずが無かった。



 ☆



 賑やかな場所だった。同時に爽やかな場所だった。

「良い場所だ」

 呟くようにクロノが感想を告げる。フェイトもまったくの同意見だ。

「うん。良い場所だね」

 公園は自然の恩恵を見事に受けていた。丘の上に造られた形で、側には鬱蒼とした森が生い茂り、背の低い山が連なっていた。山は森と同様に青々とした緑を萌え立たせ ており、自然をある程度切り崩して建設された名残をまったく感じさせない。
 絨毯のような人工芝が一面を埋め尽くす。淀みはどこにもない。所々には立派な樹木が植えられ、小鳥に羽を休める場所を提供し、七月の日差しから遊びに来た 家族連れを守っている。
 下手な言葉は要らない。二人の言う通り、”良い場所”だった。
 あちこちにはすでに人の姿があった。レジャーシートを敷き、青空の下で持参した昼食を頬張っている。子供のわんぱくな声が沢山聞こえた。

「樹の下がいいな。日陰になってる」

 五百ミリリットルのお茶を二本突っ込んだトートバックを下げ、クロノはフェイトと共に公園に脚を踏み入れる。芝生が踏まれるささやかな音がした。
 目当ての場所はすぐに見つかった。公園の隅にあるせいか、その樹木は無人だった。数羽の小鳥が枝に止まっているだけの、誰も居ない日陰。
 二人はそこに決めて、さっそく昼食の準備に取り掛かる。
 クロノがレジャーシートを引っ張り出した。彼にしてみれば初めて見て触れるアウトドアの必需品だ。無風に近かったので、軽いナイロン製のシートは綺麗に広がっ た。白い犬の柄が入ったピンク色の可愛らしいシートだった。”SNOOPY”という書き込みがされている。

「これ、フェイトのか?」

 近くに人が疎らとは言え、十五歳の少年が使いにはさすがに恥ずかしい一品である。

「えっと、アルフが買って来てくれたものなんだけど……」
「なるほど。だから犬なのか」

 アルフが聞けば憤怒する感想を漏らすクロノ。アルフの素体は狼科の動物である。
 付属されていた重りを四方に置いてシートを安定させると、二人は靴を脱いでシートに座る。クロノは喉が渇いていたのか、道中で購入したお茶のペットボトルを 取り出して栓を開け、フェイトは自分のサンダルとクロノの靴を綺麗に並べた。特別几帳面な方ではなかったが、単純に一緒に並べたかった。
 腰を下ろす二人。すると、クロノが今しがたまで飲んでいたお茶のペットボトルをフェイトに差し出した。

「飲むか?」
「あ……。うん」

 敢えて”自分のがある”とは言わなかった。かぶせられていたキャップを開けて、思い切って口を付ける。
 何度目かになる彼との間接キス――。”恋人”になってからは初めてする間接キス――。
 苦味のある冷たい飲料水が、フェイトの喉を潤して行く。

「ありがとう、クロノ」

 キャップを戻してお茶を返す。照れるフェイトとは違って、クロノは特に変わった様子もなくお茶を受け取った。
 ここまで手を繋ぎ、さらには人前でお姫様抱っこまでされ、もう照れる事も無いと思っていたが、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしかった。フェイトは弁当を 広げながら強く痛感して、これから先もこういう事はきっとあると内心胸を弾ませる。
 例えば、自分がお風呂から出たところをばったり鉢合わせをする。自分はバスタオルしか巻いていなくて。いくらクロノでも驚くに決まっている。真赤になって 慌てて、果てには転倒する。自分は驚いて駆け寄る。その拍子にタオルが取れてしまって、彼に一糸纏わぬ姿を晒して。

「フェイト?」

 彼の顔が視界を埋めた。

「僕の顔に何かついているか?」
「………」

 言葉を発する事が出来ず、フェイトは首を横に振るばかりだった。
 フェイトがアルフと二人がかりで作っただけはあり、弁当は豪勢なものだった。三段式の弁当箱の中には、クロノの好物である焼き魚を始め、定番のラインナップが ぎっしりと入っている。厚焼き卵にタコ型ウィンナー。プチトマトとポテトサラダ。一口ハンバーグや唐揚げ。もちろんおにぎりも完備だ。こちらも定番のオカカ、 昆布、梅干の三種類用意されている。小食家な二人には多過ぎるくらいの量だ。

「これ、全部フェイトが作ったのか?」
「ううん。半分くらいアルフに手伝ってもらったんだ。お肉関係は全部アルフ」

 肉好き恐るべし。余った分は彼女の胃の中に丸ごと納まっているに違いない。
 フェイトから箸を受け取ったクロノは、適当なおにぎりを取り、焼き魚に箸を入れた。フェイトが見守る中、切り身を口に運ぶ。

「……ん、うまい」
「ほんと?」

 問い返すと、クロノは答える代わりに箸を進める。おにぎりも豪快に噛み付く。

「ああ、うまいよ」

 小食であり、普段は慎ましく食事をしている事が嘘のように、彼は喋る事を忘れて食事に没頭した。好物の焼き魚を秒殺して、厚焼き卵とポテトサラダ殲滅に移る。
 早起きをした甲斐があった。その食べっぷりを前にして、フェイトはにっこりとしながら思った。いくら早寝早起きでも、やはり午前五時に起床するのは辛い。その上 で冷凍食品を一切使わずにすべてが手料理による弁当の製作。アルフに手伝ってものの、それなりの疲労はあった。
 それも、今は一切合財巣綺麗サッパリ吹き飛んでしまった。初めての弁当作りは、これ以上無いくらいの大勝利だ。
 自分用のお茶を一口飲み、フェイトも箸を準備する。ナプキンを膝の上に置いて、彼女も食事に取り掛かった。



 ☆



「何よこの少女マンガはッ!?」

 おにぎりを右手に持ち、完璧なぬいぐるみと化したザフィーラを左脇に抱え、アリサが叫んだ。もちろん叫んだと言っても、遠くに見えるクロノとフェ イトに聞こえない程度の小さな小声だ。彼女はそれだけでは飽き足らず、激しい地団駄を踏む。足元の青色のレジャーシートが無残に歪んだ。

「もうまんま少女マンガやなぁ」

 お茶を啜りながら、はやては手にした双眼鏡でクロノとフェイトを傍観している。

「アルフさん、さすがにこの距離では撮影は難しいのでは……?」
「出来る事は出来るんだけど、こう、逆光が……! フェイトの照れた顔が撮れない〜!」
「さっきいっぱい撮ってたじゃないですか……。アルフさんもお弁当食べましょう?」
「皆さん、お弁当のお味はどうですか?」
「ん、悪くないよ。シャマルも腕上げたなぁ」
「とってもおいしいです、シャマルさん」
「卵焼きが格別です」

 未だ遠くを指差して喚くアリサを除いた三人が言った。ザフィーラはアリサの玩具となっているので、未だに腹を空かせている。気の毒だがどうしようもなかった。 はやての魔の手から逃れる事が出来たのだから、いくらかマシなのかもしれない。
 クロノとフェイトを追跡して公園に到着したはやて達追跡班は、先行していたアルフとなのはの記録班と合流。二人が食事を始めたので、彼女達も休憩を兼用した昼食 を摂る事にした。食事の内容はシャマルが持参した彼女特製の大規模弁当である。八神家はヴィータという食いしん坊将軍を抱えており、はやてと共に食卓を預かる者と して、シャマルは大人数分を作る事に慣れていた。味はまだはやてに劣るものの、始めた当初に比べれば格段に進歩している。プログラムとして生を受けてこの方、 食事とはまったく縁が無い生活を常に送って来たのだから、味付けがうまく行かなくて当たり前だったのだが。

「駄目! 一旦諦める!」

 端末を胸元に仕舞いこみ、アルフが踵を返す。どっかりと弁当箱の前に胡坐をかき、シャマルに言った。

「シャマルお茶!」
「はいはい。おにぎりは?」
「梅干!」
「すぐに用意しますね」

 頑固祖父と甲斐甲斐しい祖母のような会話だ。

「シャマ〜ル。私もおにぎり〜!」

 とてとてとアリサが戻って来た。彼女もアルフ同様にクロノとフェイトの観察を諦めたらしい。母親に食事を求める子供よろしく、シャマルの横にちょこんと腰を下ろした。 膝にザフィーラを乗せ、軽く抱き締める。
 それを見たアルフが、誰が見ても分かる程はっきりと口許を引き攣らせた。お茶のペットボトルがぐちゃりと変形し、ぼたぼたと中身がシートに滴り落ちる。
 慌てて後始末に走るなのは。

『……良い座り心地かい、盾の守護獣?』

 念話で言ってやった。
 ザフィーラがびくっ、と小さな身体を震わせる。獰猛な大型犬に威嚇された愛玩犬のように、彼は身を縮めた。実に痛々しい光景だった。

「あれ、どうしたのザフィーラ」

 そんな理由を知らないアリサは不思議そうにする。

『待てアルフ。これは明らかに私の責ではない』
『知らなかったよ。誇り高きヴォルケンリッターの一員が、まさか幼女趣味だったとはねぇ』
『断じて違う。それを言えば、お前は四歳だろう』
『そりゃ実際年齢。見た目は違うだろう?』
『結局は同じだ……』
『うるさいロリコン』
『待てッ! さすがに訂正を要求させてもらおう!』

 蛇に睨まれた蛙状態だった。何とか弁明しようとするザフィーラだが、アルフは身体ごと顔を彼から背けてしまい、明後日の方向を向いて猛然とシャマルの弁当を 口に運ぶ。

「ねぇはやて。ザフィーラ、何か元気無くなっちゃったんだけど」
「色々大変なんよ、ザフィーラは」

 感慨深く頷くはやて。もちろん先程の二人の念話はきっちりと盗聴している。彼女にとって、ヴォルケンリッターは我が子も同然だ。母にして父であり、子の問題 はとにもかくにも気になるのだ。
 食事は和やかに進み、シャマルが作って来た弁当は全員の空腹を速やかに沈める事に成功した。何せ育ち盛りの女の子が四人も居る上、ヴィータ以上の暴食者 アルフが居る。ザフィーラと喧嘩した事で腹の虫が収まらず、持参した好物のドッグフードまで見事に平らげてしまった。

「はいザフィーラ。あ〜ん」

 火に油を注ぐかのように、アリサはザフィーラに構いっぱなしだ。持参した高級ドッグフードを与えて行く。ザフィーラというと、少し乱暴なものの、基本的には 優しいアリサを拒否出来ず、なされるがままだ。
 アルフの頬がさらに歪に歪む。

『絶交』
『だから待て! ぬぅ……! 主、申し上げ難いのですが、バニングスを遠ざけて……』
「アルフ! これ以上ないくらいシャッターチャンスやッ!」

 双眼鏡を覗いていたはやてが騒ぐ。アルフが弾かれたように動き、胸元から端末を引っ張り出した。素早く起動。助手であるなのはの首根っこを掴み跳躍。

「よっしゃあ!」
『主……!』
「あれ、また元気無くなっちゃった。ザフィーラ〜?」

 無邪気な笑みで鼻先をぷにぷにと突付いて来るアリサに、ザフィーラは結局打つ手を見出せなかった。



 ☆



 クロノが小食家である事には幾つか理由がある。単純にそんなに食べられない事と、満腹になる事を防ぐ為だ。
 適度な満腹感は脳の働きを鈍くさせる。判断力が鈍り、思考力が低下する。そんな時に緊急の事件が起これば悲惨だ。事故が起こる可能性と共に殺傷設定の魔法に 被弾した時の死亡率が急上昇する。管理局に所属し、戦闘に関わる役職の局員の多くは自主的な食事規制をしている。クロノは魔法戦闘に関する師であるリーゼ姉妹 達にこれを叩き込まれていた。
 その為、満腹感という感覚を味わった事があまりない。完食してお茶を啜り、フェイトと取り留めの無い会話をしている内に舟を漕ぎ始めてたとしても仕方がないと 言えた。

「眠いの、クロノ」

 彼の半分も食べなかったフェイトも、今は陽気と暖かな風に吹かれ、軽い眠気に襲われている。眠そうに眼を擦るクロノの気持ちがよく分かった。

「ああ、少しね……」

 覇気の無い声で答えたクロノは、大きな伸びをして、大きな欠伸をした。横になれば卒倒する勢いで眠りに落ちるのは眼に見えて明らかである。

「少し眠る?」
「……そうするのも……ん、悪くないな……」

 身体を横にしようとするクロノを前にして、フェイトの頭の中にとある光景が鮮明に思い出された。アリサに借りた少女マンガの一ページだ。主人公の女の子が 彼氏と始めて行ったデート先で、酔い潰れた彼氏に膝枕をするという内容だった。マンガという娯楽をあまり知らないフェイトが受けたあの時の衝撃は並みではない。
 膝を枕代わりなんてそんな。
 そう思いながらも、頭は勝手に空想に耽っていた。
 自分の膝に顔を埋めるクロノ。寝言は甘い声で”ふぇいと……”だ。
 マンガを読み、そんな空想とも妄想とも区別も分別も何もつかない思いを巡らせていた時。その頃はフェイトはクロノと恋仲にはなっていなかった。
 だが、今は恋仲だ。膝枕が問題無く、気兼ね無く出来るのだ。可能なのだ。
 迷う時間も躊躇する時間も必要無かった。

「あの、クロノ」

 内股にして脚を投げ出す。花のように広がるワンピース。
 正座という手があったが、脚が痺れて動けなくなっては格好悪すぎるので止めた。

「ど……どうぞ……」

 自分の膝とクロノの顔を交互に見て、フェイトは言った。
 もちろん、膝枕とは遥か無縁の世界に生きてきたクロノが、フェイトのこの行動の意味を看破する事なんて出来るはずもなかった。

「……?」

 半分閉じた瞼で首を傾げる。
 言うのは恥ずかしかったが、このまま脚を投げ出してじっと彼の顔を見詰めているのはもっと恥ずかしかったので、フェイトは観念したように言う。

「ひ……ひざ、まくら……」

 さすがに言葉の意味程度は知っていたのだろう。クロノの顔から眠気が吹っ飛んだ。スターライトブレイカーの直撃である。

「あ! いや! フェイトそれはちょっと……!」
「恥ずかしい……?」
「そりゃその……。フェイトも恥ずかしいだろう……?」

 当たり前である。でも、どんなに恥ずかしくても、彼に膝枕をするという欲求には勝てなかった。

「恥ずかしいよ……。でも、クロノ、枕ないと不便でしょ?」
「まぁ、それはそうだけど……」
「私は構わないから。……それとも……いや?」

 急に怖くなって、フェイトはそう訊いた。もし彼が嫌だと言ったらどうしよう。自分もそうだが、クロノはとても照れ屋だ。
 いや、きっと嫌に決まっている。

「や、やっぱり嫌だよねいきなり。ご……ごめんねクロノ。変な事言っちゃって」

 ワンピースの裾を引っ掴み、膝を曲げる。悲しいけど、彼が嫌がっているのだ。仕方がない。

「………借りてもいいかな?」

 彼のその一言が、閉じかけていたフェイトの脚を止める。

「膝。君が嫌じゃなければ、その……借りたい」
「も、もちろんいいよ!」

 壊れた人形のように頷きながら、フェイトはおずおずと脚を差し出した。
 綺麗な脚がシートの上に横たわる。

「ありがとう……」

 顔を赤くしたクロノが、頭をフェイトの太ももに埋めた。
 脚に伝わる彼の髪の感触。くすぐったい。恥ずかしい。嬉しい。
 太ももの上に乗せられたクロノの頭が、居心地の良さを求めて少しずつあちこちに移動する。その内良い場所を見つけたのか、彼は移住を完了した。
 静寂。
 膝を見れば照れ臭そうに眼を閉じているクロノの顔があった。
 今日何度目になるのか。フェイトは再び思い、口にする。

「夢みたい……」

 一緒に出掛けて、買い物をして、二人きりで自分が作ったお弁当を食べて、膝枕をして。
 ずっとこの時が続けばいいと思う。フェイトは本気で、心の底からそう思った。暴走デバイスの事なんて、遥か記憶の彼方に吹き飛んでしまった。
 不意に寝息が聞こえた。もう落ちてしまったらしい。
 フェイトはクロノの頬に指を添える。我慢し切れず、掌で包み込む。
 彼は起きない。気持ち良さそうに眠っている。頬を触られている事にまったく気付いていない。

「くろの」

 腰を屈める。
 彼の顔がゆっくりと迫って来る。フェイトは眼を閉じ、顎を少しだけ突き出して、そのまま――。
 すべてを破壊する爆音が響いたのはその時だった。
 そう、すべてを破壊する爆音だった。この幸せな時間を完膚無きまでに破壊し、粉々にし、蹂躙する爆音だった。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。十六話です。早いなぁ。この話も一日で書き上げたから早いなぁ。実家パワー万歳。
 シチュアンケート板にあった”クロノに弁当を作るフェイト”を使ってます。膝枕はweb拍手で何度もいただいていましたものを使用〜。ザフィーラのスルメ度を 改めて実感。何て噛めば噛むほど味の出る奴なんだ。
 ちなみに、今回サブタイトルにしたマツムシソウ、花です。”恋の終焉”。

 2006/4/28 一部改稿





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