魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.5 Black minaloushe









 原因不明の視覚・聴覚障害と重度の疲労らしき倦怠感に襲われながら、クロノは影のデバイスを受け止めていた。死がすぐそこまで迫っているというのに、眠気 すら感じてしまっている。こんな事は初めての経験だった。
 朦朧とする身体と意識。影はクロノが大した力を残していない事に感付いたのか、デバイスにさらなる力を入れて来る。押し潰した上でこちらを真っ二つにするつも りだ。押し返そうとするが、力が全く入らない。それどころか、徐々にデバイスが近付いて来る。すでに前髪の一部に接触していた。
 このままでは数秒もしない内に一刀両断されてしまう。力で返すのは不可能だった。ならば、受け流すしかない。
 横にしているS2Uを一気に縦に。同時に横に転がる。クロノを両断しようとしていた影は、力を掛けるべき対象を見失ってつんのめった。デバイスが空を空しく 切り裂き、アスファルトを破壊する。
 クロノは何度か地面を転がり、影との距離を稼いだ。すぐに立ち上がろうとするが、下半身には相変わらず力が入らない。
 影がゆっくりと首を巡らせ、クロノを捉える。彼が満足な反撃も出来ないのを確信したようだった。
 視覚がほとんど断たれたクロノは、影が緩やかに踏み込んで来る事を視認出来ない。だが、残された触覚と嗅覚を研ぎ澄ませる事で認知はした。認知はしたが、対処 は出来なかった。
 デバイスが振るわれる。クロノは触覚と勘を頼りにS2Uを盾にするが、力が入らない状況では満足に受け止める事も出来なかった。
 愛杖が手から弾き飛ばされる。渇いた音をたててS2Uが地面に転がった。
 身体と意識が瓦解しかけている中、唯一無二の武装までもが失われた。
 大人しく死を受け入れるべき状況だった。だが、クロノは諦めなかった。噛み砕かんばかりに歯を食いしばり、身体の中に残されている魔力を掻き集める。何故かリ ンカーコアの機能が薄弱だった。それでも通常量の一割以下の魔力を確保する。雀の涙も同然だが、一回や二回は魔法を行使出来そうだった。
 ゆっくりと歩み寄って来る影に、クロノは手を翳す。敵の正確な位置は不明だったが、触覚と勘を頼りに探り当てた。
 デバイスが無いので、すべて独力で魔法詠唱。選択魔法はスティンガーレイとディレイドバインド。デバイスが無い状態での同時詠唱は高度な技術が求められたが、 クロノは何とか魔法発動に必要な四工程を紡いだ。
 応戦する必要は無かった。身体は思うように動かなかったが、残された魔力で身体能力を補完して、無理矢理にでも離脱するのが正しい選択だった。だが、クロノは そうしなかった。理由は分からなかった。自問している余裕も、今は無かった。
 術式が構築、展開される。本来は設置型だが、術式を組み替えた。
 制御解放。掌を影へ突き出す。ぼやけた視界で、照準を影のデバイスに定める。

「ディレイドバインドッ!」

 拘束魔法が発動する。空間が歪み、虚空から四本の鎖が打ち出された。複雑に絡み合った魔力の鎖は、影の身体に撒き付いて行く。
 影の歩みが止まる。それを見逃さず、同時詠唱していたスティンガーレイを発動。

「貫けッ!」

 それをトリガーヴォイスにして、スティンガーレイが発動する。白銀の弾丸が連射された。短い発射時間の中、クロノはS2Uを探す。あった。愛杖の魔力を感知。 離れてはいるが、行けない距離でもない。
 魔力で編まれた鎖で拘束され、さらに高速弾頭の仮借ない射撃を受けた影は、しかし、一歩たりとも歩みを止める事は無かった。鎖を引き千切り、高速弾頭の集中 砲火を物ともせず、ゆっくりとした足取りで近付いて来る。
 クロノはその光景をぼやけた視界で見た。

「―――」

 絶望だけが唇からこぼれた。S2Uを使わずに自力で詠唱した魔法は、影の脚を止める事さえも出来なかったのだ。
 微動だに出来ないクロノへ、影はデバイスの先端を向けた。スティンガーレイ同様の貫通性能に優れた高速射撃魔法を詠唱。同時に制御解放。
 嵐のような黒い弾丸がクロノを襲った。黒灰色のバリアジャケットがズタズタに引き裂かれる。

「がッ……!」

 倒れかけたが、片腕をついて何とか耐えた。
 完璧に擱座したクロノの眼前に影が立つ。デバイスを振り上げ、無造作に振り下ろす。大部分が機能不全に陥っている五感に代わって、本能が クロノに危険を知らせた。
 身を捩ってデバイスを避ける。だが掠めた。こめかみに裂傷。鮮血が周囲に飛び散る。
 返す刃が来た。回避し切れない。横に転がろうが後ろに下がろうが、何をしようが両断される。選択肢はほとんど用意されていなかった。苦肉の策として前へ出た。 影の両腕を掴む。冷えた金属ような感触が掌に伝わって来た。
 影がデバイスを握った腕をじりじりと押し付けて来る。技術も駆け引きも無い、ただの単純な力比べだ。
 だが、実際には力比べにもならなかった。魔力も体力も尽きた少年と暴走体では比較になるはずもなかった。
 身体のあちこちから、みしみしという軋みが聞こえた。骨が唸り、腕の筋肉が異常な過負荷に悲鳴を上げ、痙攣を起こし始める。
 魔力はもうほとんど残されてはいない。使えて魔法一回程度だ。身体の身体能力向上に回せる魔力は一握りとしてなかった。

「何で……だ……!」

 魔力枯渇の原因は分からなかった。現場に於いて、魔力切れという失態を犯した事はこれまで一切無い。如何なる危機的状況下でも、常に冷静に自己点検を行い、 S2U等のデバイスを介して魔力量は管理している。さらに言えば、クロノが行使する魔法の魔力消費量はそれ程大きくはなかった。広範囲射撃魔法のスティンガ ーブレイド・エクスキューションシフトは別だが、攻撃力よりも汎用性や消費魔力を考慮している。魔法の連発で魔力が尽きるという事態は考え難かった。そもそも、 この影との戦闘に突入してから、クロノは派手に魔法は使っていない。

「―――」

 何より、クロノは自身に絶望した。自力で編み上げたスティンガーレイもディレイドバインドも、この影には一切通用しなかった。魔力が尽き、リンカーコアの 機能が低下していた上、デバイスを装備していなかったからと言っても、この事実はあまりにも痛烈だった。
 魔法戦闘は魔力の高さで勝敗、優劣が決まる訳ではない。培われた経験と状況に応じた魔法の選択、その応用が必要なのだ。クロノはそう信じていた。それを信念 の一つにして、今日まで最前線で戦い続けて来た。
 それを、このSランクの暴走体は粉々に破壊した。粉砕してしまった。

「僕、は……!」

 魔力量もそれなりにある方だ。才能は無いと二人の師匠に言われてしまったが、鍛錬と訓練を怠らず、今日まで地道に頑張って来た。それなのに――!
 目前に迫る闇色の凶器は、クロノの視界に入る事は無かった。



 ☆



 外に飛び出すと、最悪の光景があった。

「フェイトちゃんッ!」

 はやての叫び声。しかし、助けを求める声ではない。誰かを助けてという懇願する声だった。
 クロノが居た。S2Uを手放し、膝をつき、ズタズタにされながら、それでも影のデバイスを腕を掴んで止めている。こめかみが血を流し、鎮痛な顔をしている。
 頭の中で何かが弾ける音がした。
 魔力が溢れる。戦鎌となったバルディッシュが唸る。ソニックセイルが倍以上の大きさに膨れ上がり、小柄なフェイトの身の丈を超えた。
 断末魔。

「やめてェェェェェェェェェェェェェッ!!!」

 魔力を凝縮した脚で地面を蹴る。一秒だって、刹那だって我慢出来なかった。
 影に到達するまで、フェイトは何とか我慢出来た。それは即ち、彼女の移動速度が刹那よりも速かった事を示している。
 肩に担いだバルディッシュを繰り出す。金色の刃が影を喰らった。魔力残滓を撒き散らして吹き飛ぶ。
 圧力から解放されたクロノが、糸が切れた人形のように倒れそうになった。何とか抱き止める。
 嫌な感触がすぐに掌を覆った。ぬめりとしたそれは、引き裂かれているバリアジャケットの奥、クロノの身体から来ていた。

「クロノ! クロノッ! クロノォッ!」

 傷だらけの顔が痛みに歪み、焦点の定まらない黒い瞳がフェイトを映す。

「……大丈夫だ」

 消え入りそうな声が返って来た。顔も血の気が引いているが、五体満足で彼は生きている。フェイトは心中で胸を撫で下ろし、吐息をついた。

「僕は……いい。はやてを、助けるんだ」

 フェイトの腕を振り払い、クロノは何とか立ち上がろうとする。だが、立てない。脚に力が入らないようだった。

「クロノ、でも、でも……!」

 フェイトが言い淀む。
 彼の言う通りだ。はやても相当な危機に直面している。ベルカ式の強固な防御魔法で暴走体の近接攻撃を防御し切っているが、それも長くは持たない。いくらSランク に該当する魔導騎士とは言え、限度があった。
 助けに行きたい。だが、一人では立っていられないクロノを置き去りにする事も出来そうになかった。

「いいから早くしろ! 自分の面倒は自分で見る!」

 クロノの声に怒気が込もる。大声が傷に響くのか、彼の表情が一層険しさを増した。
 フェイトは僅かに混乱した。

「……クロノ……?」

 普段の彼なら、こんな無茶は言わない。確かにはやてを助けるのは急務だ。だが、現状で最も危機に瀕しているのは他の誰でもない、クロノだ。それは彼自身が良く理解 しているはずだ。にも関わらず、未だ四体の暴走体が徘徊している戦場に一人にしろという。
 彼らしからぬ無謀な判断だった。
 そしてフェイトは思った。何故クロノはこんなにも苛立っているのだろう。辛辣な顔で自分を見て来るのだろう。
 茫然とするフェイト。その間を逡巡だと思ったのか、クロノがさらに声を荒げようとした。
 そこで轟音がした。建造物の悲鳴だ。
 ショッピングモールの外壁を突き破り、影が姿を現した。フェイトが一刀の下に薙ぎ倒した一体だった。
 影が襲い掛かって来る。咆哮も何も無い。恐るべき魔力を砲撃魔法に変え、影は沈黙のまま制御解放した。
 黒い魔力の塊が、尾を曳いて二人に迫る。
 回避出来ない速度ではない。フェイトならば容易ではないにしろ、回避可能な砲撃魔法だ。だが、それは一人ならば、だ。今はクロノが居る。

「逃げろ、フェイトッ!」

 クロノの一喝。だが、そんな事は出来ない。自分は逃げられても、擱座している彼に回避する方法は無い。

「僕に構うなッ!」

 そんな事、出来るもんか。
 フェイトは自分を押しのけようとするクロノの腕を掴み、肩を抱いた。もがく彼を無視して、跳躍。危うい所で砲撃から逃れた。
 クロノの身体は思っていたよりずっと重かった。出血も酷く、フェイトのバリアジャケットは返り血を浴びたように瞬く間に赤くなって行く。
 こんな身体で構うなと言うのか、この人は。

「フェイトッ!」
「今一番危ないのはクロノだよッ! 大人しくしててッ!」

 踏鞴たたらを踏んで着地するフェイト。影が踏み込んで来る。
 今接近されてはどうしようもなかった。再び跳躍。繊細な硝子細工を扱うようにクロノを抱き締め、出せる最大加速で後退する。その脚を止めるように、影が 射撃魔法を発動させる。クロノを撃ち抜き、彼のバリアジャケットを引き裂いた黒い弾丸が霧雨のように押し寄せて来た。
 回避は難しい。彼を連れている現状では不可能に近い。ならば防御。

「バルディッシュッ!」
『Load Cartridge.Round Shield』

 カートリッジシステムを使い、足りない防御出力を魔力で強引に補う。
 展開された金色の魔法陣が黒い雨を弾く。視界が白い着弾煙に包まれた。
 衝撃は並みではなかった。

「無茶をするなッ! 僕を無視して回避すればいいだろうッ!」

 クロノが喚く。そう、喚きだった。我侭を言う子供のように、彼は喚いた。
 混乱が濃くなる。いつになく、本当にいつになく彼らしくない言動だった。
 自然とフェイトの口調も荒くなった。

「黙っててッ!」

 黒い弾幕が薄くなりつつあったが、安心は出来なかった。むしろその逆だ。敵は高速の射撃魔法で足を止め、隙を突き、一気に至近距離に肉迫して来るつもりなのだ。 すでに術中に、戦略に囚われてしまっている。
 逃れる手段は少ない。客観的に見て最善なのは、クロノの言葉通り、彼を見捨てて離脱する事だ。だが、その選択は最初からフェイトの頭の中には無い。考える事すら否定される。
 何とか二人でこの状況から逃れる手段を講じなければ。
 弾幕がさらに薄くなる。着弾煙で視界はゼロだが、何かが近付いて来る気配がする。未だ発展途上だが、根付きつつある戦闘の勘が警告を告げていた。
 着弾煙の奥から影が飛び出して来た。デバイスで荒々しくフェイトの防御魔法陣を一撃する。
 甲高い音を立てて、魔法陣が粉砕された。飛び散る金色の欠片。フェイトは再び防御魔法を展開しようとしたが、数瞬の差で、影の行動が速かった。 抱き合うフェイトとクロノを両断せんとデバイスが――。
 その直後だった。

「ディバインバスタ――ッ!!!」
『――Extension!』

 二つのトリガーヴォイスが見事に続く。そうして生み出されたのは尋常ならざる砲撃だった。
 上空から撃ち込まれた超高密度の魔力が、問答無用で影を押し潰した。闇よりも尚黒い影の姿が、眩い桜色の光に飲み込まれ、その奥で薄くなって行く。
 クロノを支えて後退したフェイトは、咄嗟に空を仰いだ。
 ショッピングモールの屋上に、白い服を着た少女が佇んでいた。携えた魔導師の杖が吐き出している硝煙と魔力残滓が、その姿をぼかす。
 見間違えるはずがなかった。

「なのはッ!?」

 助かった事も忘れ、フェイトは親友の姿を傍観した。彼女はアリサとすずかに付き添い、二人の避難場所に居るはずだ。なのに、何故ここに居るのだろうか。
 なのはが跳躍する。白い靴に桜色の翼を広げ、慌しくフェイトの側に降り立った。

「フェイトちゃん、クロノ君、大丈夫ッ!?」
「なのは、どうして……」

 どうしてここに戻って来たのか。どうしてあの二人をあんな悲惨な場所に置いて来たのか。
 なのはは呟くように、しかし、しっかりとした声で答えた。

「……アリサちゃんに言われたの。行けって」
「アリサに……?」

 レイジングハートがカートリッジをロードする。硝煙が鼻をつく。

「レイジングハート、非殺傷設定解除。魔力回路再起動!」
『All right my master』

 狙撃形態シューティングモードのレイジングハートが復唱する。本体である赤い宝石が数瞬の間、点滅した。
 なのはは機能切り替えを行っている相棒を振りかぶり、雄々しく翳す。

「アンチマテリアルシステム起動ッ!」
『OK.Anti material system.stand by ready set up』

 非殺傷設定、及び対物衝撃設定を解除。再起動された魔力回路が、主の有り余る魔力を新たに解放された回路に流し込んで行く。
 完璧な対魔導師戦闘用の調整が終わった。
 それを待っていたかのように、なのはの主砲の直撃を受けた影が立ち上がった。先程の攻撃は純粋な対魔力設定であった為、影に損傷らしい損傷の痕跡は見当たらない。 いや、喩え非殺傷設定になっていたとしても、この影の装甲を抜く事は出来なかっただろう。
 刃のような緊張感が周囲を包み込む。
 なのはが前に出る。傷付いたクロノを庇い、闇の書事件の時にフェイトに告げた”盾になる”という誓いを遂行する為に。

「この人達を、デバイスを元に戻す事が、アリサちゃんとすずかちゃんを安心させてあげられる一番良い方法なんだと思う」

 なのはが影を見る。その瞳に宿っているのは、どうしようもない悲壮感だった。

「すずかちゃんは凄く心配だけど、でも、アリサちゃんが着いてくれてる。だから、私は来たんだ」
「なのは……」

 本当は一緒に居てあげたかったはずだ。残して来た二人の親友がどれだけ心細いか、分からないなのはではない。それでもここに戻って来たのは、言った通り、 暴走体を鎮圧する事があの二人を救う最善の方法だからだ。
 だが、分かっていても来る事はなかなか出来ないだろう。自分よりも他人を優先するなのはなら尚更だ。そんな彼女の背を押したのはアリサなのだろう。

「この人達も、好きでこんな酷い事をしてる訳じゃない……。だから、早く止めてあげたい。デバイスを助けてあげたい……!」

 柄の先端部位に差し込まれているカートリッジマガジンを逆手で掴み、照準を整える。

「行くよッ、レイジングハートッ! 狙いはデバイス! 魔導師さんは出来るだけ狙っちゃ駄目だからねッ!」
『Yes.my master』

 復唱と同時に二つの帯状魔法陣がレイジングハートを包み込んだ。魔力が渦を作り、槍のような先端に集束して行く。
 影が地を蹴った。なのはの魔力に危険を感じたのか、まっしぐらに真正面から彼女に襲い掛かる。
 恐るべき速度。だが、なのはは焦らない。呼吸一つ乱さず、異常なまでに冷静に照準を定める。
 砲撃魔法の術式が完璧に構築された。魔法陣が足元に描かれ、魔力の集束と圧縮を補助する為に回転を始める。
 反撃の狼煙は、彼女の主砲の発射と同時に昇った。



 ☆



 なのはの砲撃は、フェイトとクロノだけでなく、離されてしまったはやてをも救出していた。
 展開した防御魔法をデバイスで強打し続けていた影の気配が、一瞬だけはやてから逸れ、なのはが立っているショッピングモールの屋上に移ったのだ。
 掴めるかどうか、定かではない一瞬の隙。だが、はやてはそれを掴むしかない。早くこの影を退け、フェイト達と合流しなければならなかった。
 クロノの安否がとにかく気になった。唐突に膝をつき、苦しげな顔で影のデバイスと斬り結んでいた彼。無事だろうか。
 考えながらも、はやては動いていた。防御魔法を解除。シュベルトクロイツの操桿を握り、ボルトアクション。ミッドからベルカへ魔力回路を切り替える。 さらに操桿を捻り、魔力回路をベルカで完全固定。ソフトウェアの最適化作業が専用化作業に変化した。
 ”汎用”から”最適”へ。さらにその上の”専用”へ。
 影が注意をはやてに戻したが、その時には彼女の準備は完璧に整っていた。
 仕上げとして、シュベルトクロイツを左手に持ち換える。空になった右手。人差し指、中指、薬指、小指の順にゆっくりと握り込んで行く。最後に親指を人差し指に 添えた。
 完成された拳を、完成された術式と魔力で強化、保護。”最適”から”専用”になった事で、シュベルトクロイツは回路が焼き切れる勢いでベルカ式魔法の術式を 構築し、制御解放した。

「もろたでッ!」

 ほぼ零距離。シグナムとザフィーラから教授された型を可能な限り再現して、はやては拳を影の顎目掛けて繰り出した。
 シュヴァルツェ・ヴィルクング。リィンフォースが近接戦闘時に多様していた打撃魔法だ。強力だが、近接戦闘技術が無いはやてにとっては持て余す魔法だった。
 それが今、近接戦闘に特化した影の顎を砕いた。完璧に決まった、見事なアッパーカットだ。
 仰向けに吹き飛ばされた影は、驚異的な身体能力で脚から着地するものの、その足元は酷く覚束ない。千鳥足そのものだ。いや、マットに沈みかけているボクサーが近いかも しれない。
 暴走体は、デバイスが魔導師の身体に寄生して、その魔力を餌に成長を繰り返したモノだ。本体はデバイスだが、主体となって動くのは魔導師である。得られた魔力 で身体能力を無理矢理強化し、対魔導師戦闘に最適な肉体を作る。その一つの結果がSランクの暴走体である影達だ。その肌はすでに”装甲”と呼んで差し支えの無い レベルであり、データリンク機能を使って、戦闘した相手の技術等を取り込む事も出来る。
 だが、どれだけ特化させようと、魔導師という人間が主体になっている事は変えられない。強化しようとも、人体の急所等はカバーし切れない。
 はやてが繰り出した拳は、人体の急所の一つである顎を完全に捉え、砕いていた。衝撃は脳に直接響き、まともに立っている事でさえ出来ないはずだった。
 影がデバイスを振りかぶる。先程と全く変わらない鋭利な動きだが、動きべき身体本体は逆だった。まともな踏み込みがまったくされない。

「――魔導師さん、堪忍な――ッ!」

 このチャンスを逃す訳にはいかない。
 はやてはデバイスを弾き、深く踏み込む。シュヴァルツェ・ヴィルクングは展開、維持済みだ。
 腹部に右の拳を叩き込む。闇色の肌が変形した。くっきりと拳の痕が刻まれる。影は僅かに肩を痙攣させながら、それでも攻撃を仕掛けて来た。デバイスでは なく、貫手だった。鋭利さは見る影も無い。緩慢な攻撃だった。
 シュベルトクロイツを両手で持ち、思い切り弾く。よろめく影。それでも攻撃を続けようとしていた。仰向けに倒れそうになりながら、デバイスを衝きとして繰り 出して来た。

「しつこいで、暴走デバイスさんッ!」

 はやては鮮やかなステップを踏み、勢いと遠心力を付けるようにその場で一回転した。余勢をすべて右の拳に集め、投げ出すように放つ!

「シュヴァルツェ・ヴィルクングッ!」

 はやての拳が暴走体のデバイスの切っ先を捉えた。
 右腕を凄まじい激痛が貫く。圧縮した魔力で防護、保護しているとは言っても衝撃を完璧に緩和させる事は出来なかった。
 だが、はやては歯を食い縛って痛みに耐える。拳をデバイスにぶつけた体勢のまま、暴走体を睥睨している。
 暴走体も同じだった。ぐらぐらと動く足腰だが、倒れる事無く立ち、デバイスを放った体勢を維持している。
 どれくらいの時間をそうしていたのか。僅かな音が二人の間を引き裂いた。
 はやての拳の先――闇色のデバイスの先端に、小さなヒビが入った。本当に小さなヒビだった。だが、それは間違いなくヒビだった。
 後は決壊したダムと同じだ。ヒビは瞬く間にデバイス全体を包み込み、駆け巡る。それに合わせて、影が背中から地面に倒れた。
 闇の装甲が剥がれて行く。その下にあったのは、間違いなく人の肌だった。
 これで三体目。残り三体。
 拳をゆっくりと戻して、はやては吐息をついた。緊張の糸が一気に切り落とされる感覚。だが、すべてを断つ訳にはいかなかった。
 戦闘はまだ続いている。ザフィーラが傷付いたヴィータやアルフ、戦う事が出来ないシャマルを守って孤軍奮闘している。
 フェイトとなのは。二人共無事にアリサとすずかを避難させ、戻って来た。残り三体、手強い相手だが何とかなるだろう。
 そしてクロノ。

「どないしたんやろ、クロノ君」

 気がかりだった。苦戦はしていたが、彼は戦闘に入った時から始終互角の戦いを繰り広げていた。使用魔力の少ない魔法を行使して、大きな傷を負う事も無く。 なのに、何故いきなり膝をついてしまったのだろう。顔色も優れてはいなかった。
 考えれば考える程、不安が募った。とにかく合流しなければ。
 その時、思念通話が届いた。

『主はやてッ!』

 シグナムだった。寡黙な彼女からは想像も出来ない焦燥した声だった。

「どないしたシグナムッ!?」
『交戦していた一体がクロノ執務官の所へ向かっていますッ! 恐らく高町の魔力を感知した為だと思うのですが……!』

 はやてが戦っていた暴走体もそうだった。なのはの砲撃魔法の魔力に注意を奪われてしまった。結果としてはやては何とか勝利を掴む事が出来た。

「私が行く! シグナムは休んでてッ!」
『しかし!』
「皆ぼろぼろや! 無理したらあかん! ええか、絶対来たらあかんでッ!」

 返事を待たずに思念通話を打ち切り、はやては魔力を背中に集中させる。六枚の黒い翼が広がり、羽ばたいた。

「スレイプニールッ!」

 弾かれたようにはやては飛翔した。



 ☆



 彼を避難させていられる時間は無かった。

「なのは」
「うん」

 短いやりとり。だが、それで充分な意思疎通が出来た。
 クロノを追い詰め、フェイトに吹き飛ばされた影が復帰して来たのだ。なのはの砲撃を掻い潜り、何とか肉迫しようと迫っている一体と共謀して、挟撃をするように 近付いて来る。
 この二体に加えて、もう一体が姿を現した。ザフィーラとシグナムが交戦していた一体だった。
 合計三体の影がフェイト達を取り囲む。なのはとレイジングハートの砲撃精度は威力と伴い、非常に高い。だが、激しい上に複雑な軌道を描き、回避行動を取る影を 三体同時に捉える事は不可能だった。

「クロノ、しばらく我慢してね……?」

 ほとんど動けない彼を、大きめの障害物の裏にそっと座らせた。
 クロノは何も答えず、伏せた顔を頷かせる。
 全くと言っていい程、覇気が感じられなかった。やはり傷が相当響いているのだろう。先程まであった剣幕も今は形を潜めていた。
 フェイトは血に濡れた彼の頬に触れる。出血が酷いのか、近くで見た彼の顔色は青かった。そして僅かに震えていた。

「クロノは、私が守るから」
「……フェイト……」
「だから、ここで待ってて」

 フェイトは彼の返り血で汚れた顔に微笑みを浮かべた。
 踵を返し、立ち上がる。微笑を断ち、三体の影を砲撃で牽制しているなのはに向かって叫んだ。
 多くの関係の無い人達を巻き込み、仲間を傷つけ、彼を殺そうとした暴走体達。その存在を許す事は出来そうになかった。

「なのはッ、私が切り込むッ! 援護をッ!」
「任せてッ!」

 その時、新たな声が二人の会話に割り込んだ。

「フェイトちゃんッ、なのはちゃんッ!」

 はやてだった。六枚の黒い羽を羽ばたかせて着地する。あちこちに擦り傷があるが無事なようだった。

「二人とも無事ッ!?」
「何とかッ」
「はやてちゃんはッ!?」
「私ならぴんぴんしとるわ。フェイトちゃん、クロノ君はッ?」
「怪我はしてるけど、大丈夫」

 深い吐息をつき、はやては胸を撫で下ろした。

「……はやて、まだ魔力は残ってる?」
「当たり前や。さっきも言うたで、ぴんぴんしてるって」

 心強い言葉と共に、はやてが笑った。
 フェイトは戦鎌となっているバルディッシュを握り直す。ちらりと自分の姿を確認してみると、なかなか凄惨な格好をしていた。自分はそれ程重い傷を負っては いないが、全身ほとんど血塗れだった。クロノを抱き止めた時に浴びた彼の出血が付着していたのだ。

「フェイトちゃん、それ……」

 はやての言葉に、フェイトは何も言わずに頷く。
 思っていたよりもクロノの傷は深いらしい。むしろこの戦場で負傷していない者はほとんど居ない。直接戦闘に参加出来ないシャマルと、今まさに駆けつけたなのは 以外、全員大なり小なり怪我をしている。アリサとすずかの事もある。これ以上の長期戦闘はあまりにも危険だ。

「なのは、はやてッ! 行くよッ!」

 速攻だ。速攻で三体の暴走体を鎮圧、駆逐する。この悪夢のような遭遇戦に終止符を打ち込む。
 二人がそれぞれ頷いた。
 暴走体、残り三体。戦闘は終息に向かう。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 多少プロットが狂って話数が増えたものの、何とか次回で終わりそうです。読んでいただきましてありがとうございました。
 ようやく本文に登場らしい登場をしたなのはさん。As十一話の影響で台詞がアレですが(汗)。そしてはやてが漢続行中。シェルブリッドォ! フェイトも 取り合えず叫ぶ。結果、クロノがヒロインにorz
 しばらく戦闘は遠慮したいケインです。

 2006/4/28 一部改稿





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