魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.2 Present









 湯船に浸かっていても、まったく気持ちよくならない。ほとんど初めての体験に、なのはは少しだけ困惑した。だが、隣で同じようにお湯に浸かっている親友の 変貌ぶりと比べれば、取るに足らない小さな戸惑いである。
 フェイトは一言も喋らず、ずっと俯いていた。時々何かを思い出しているのか、しゃくりあげる時があるくらいだ。その度に彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ、 浴槽内のお湯に弾ける。
 シャマルの提案で八神邸に連れて来たまでは良かった。びしょ濡れのフェイトを高町邸に連れて行けば、きっと大騒ぎになるだろう。その点、八神邸の住人 とは気心の知れている仲だったので問題は無かった。
 だが、なのはは崩れそうなフェイトを前にして、何をすればいいのか分からなかった。とにかく身体を温めなければならなかったので、一緒にお風呂に入いる までに至っているのだが。

「なのはちゃん、フェイトちゃん、湯加減はどうや?」

 ドア越しに聞こえたはやての声に、何故かフェイトの肩が震えた。
 車椅子に乗った少女のシルエットが、半透明なドアの向こうに見える。

「うん、バッチリだよ。ありがとう、はやてちゃん」
「ゆっくりしていきや。冷たいお茶用意しとくから」

 はやてが脱衣所から出て行く。
 なのははフェイトを見た。彼女の視線はお湯の一点を見詰めて離さない。
 事情を訊かなければならない。きっとフェイトにすれば、腫れ物に触られるようなもので、心地良いものではないだろう。でも、なのはは放っておく事なんて出来 なかった。
 勇気を振り絞り、最初の一言を切り出す。

「フェイトちゃん。何があったの?」

 天井から水滴が落ちる。ぴちゃりとフェイトの頭の上で弾けた。

「……なのは」

 八神邸に来てから、初めてフェイトが口を開けた。

「私はクロノの何なのかな?」

 質問の意味が分からなかった。それでも、何故彼女が泣き腫らしていたのか、何となく察しはついた。

「……クロノ君と、何かあったの?」

 フェイトが微かに頷く。
 それっきり、二人はまた無言になった。
 水滴が浴槽のお湯に落下する静かな音だけが二人の耳に届く。

「フェイトちゃん、髪洗ってあげるッ」

 唐突に、なのはが笑顔で提案した。

「え……」
「早く早くッ」

 飛び出すように湯船から出たなのはは、戸惑うフェイトの手を取り、浴槽から引っ張り出した。入浴剤で緑がかったお湯が小さな波を起こす。
 なのはは浴室用のプラスチックチェアにフェイトを座らせる。

「何か、こうするのも久しぶりだね」
「……うん」
「もう一人で洗えるようになった?」
「ま、まだちょっと難しい……かな」

 恥ずかしさを隠すように、フェイトは頬を赤くする。お湯に浸かっていた為、あれだけ青白くなっていた彼女の顔色は随分良くなっていた。

「じゃあ、今日は不肖高町なのはが綺麗に洗ってあげるよ〜ッ」
「……何だか、ちょっと怖い気がする……」
「大丈夫大丈夫〜。あ、眼、瞑っててね」

 警告に従って、フェイトはきつく眼を閉じた。なのははそれを確認すると、シャワーからお湯を出す。温度を調整して適正に。
 景気良く頭の頂上からシャワーを掛ける。綺麗な金髪に、無色透明の温かいお湯が降り注いだ。

「熱くない?」
「……うん、大丈夫」

 しばらくの間、シャワーでしっかりと髪を濡らす。何分彼女の髪は長い。頭の左右で二つに結えているが、それを解けばお尻の辺りまで金髪が届く。
 なのはは丁寧に、それこそ一本一本を労わるように髪を濯いで行く。
 一度シャワーを止め、なのはは隅に並んでいる数多のシャンプーを吟味した。女性陣が多い八神邸のバスルームだけあって、コンディショナも含めて各種 シャンプーは充実している。
 取り合えず”シグナム用”と書かれたシャンプーを拝借する事にした。彼女の髪もフェイトに負けじと長く、しかも手入れが行き届いている。きっと質の 良いシャンプーを使っているのだろうとなのはは考えたのだ。
 コックを押して、掌に白い液体を押し出す。

「痒い所があったら言ってね」
「うん……」

 まずは指を使って軽くマッサージをしながら、シャンプーを髪に馴染ませる。次に爪を軽く立て、頭皮を掻く。
 フェイトの肩が気持ち良さそうに震えた。

「気持ち良い、フェイトちゃん?」
「……うん」

 しばらくの間、湯気が立ち込める浴室に肌を擦る音が木霊する。

「……さっきのフェイトちゃんの言葉だけど……」

 指を止めずに、なのはは躊躇いながらも言った。

「クロノ君にとって、フェイトちゃんは凄く大切な子だよ」

 沈黙。

「家族として……? それとも嘱託魔導師として……?」
「……え……?」

 困惑がなのはの指を止める。

「好き……なんだ。……クロノの事が……」

 はっきりと、フェイトの言葉はなのはの耳に届いた。

「好き……?」
「……家族じゃなくて、私は……クロノの事が好き……」

 混乱する頭の片隅で、なのははフェイトの言葉を慎重に吟味する。
 家族として好きなのではない。ならどういう好きなのか。答えは、意外にもあっさりと出て来た。

「フェイトちゃん、クロノ君が好きなの?」

 お湯のせいで紅潮としていたフェイトのうなじが、明らかに別の理由でさらに赤みを増した。
 フェイトがクロノに異性としての好意を抱いている。特に驚く事でも無い出来事に、なのはは言葉を失う程に驚いていた。今まで恋愛に関してはまったく無縁で 過ごして来た彼女にとって、こうした想いを目の当たりにするのは初めてだったのだ。学校の友人、主にアリサやすずか達だが、彼女達がたまに恋愛話に興じていた のを特に感慨も無く聞いていただけだ。
 異性を好きになる。なのはにとっては未知の感情であり、良く分からない感情でもあった。同性異性関係無く、”友達”なのだから、好きとか嫌いとかは関係無いと 思う。
 長いようで短い沈黙の後、フェイトが不意に言った。辛いのを我慢するように、抑えの効かない想いを吐露する。

「でも、クロノは私なんか見てくれない」

 なのはは何も言えない。何と言ってやればいいのか分からない。

「クロノにとって、私なんかただの家族なんだ。ただの妹なんだ……!」

 頭を抱え、フェイトは身を縮める。震わせる。
 なのはは唇を噛んだ。悲しくて、寂しくて、腹が立った。

「私なんか……私なんか!」
「フェイトちゃん、ごめん」

 なのはは桶を浴槽に突っ込んだ。そして容赦なく、汲んだお湯を彼女の頭の上からぶちまける。
 派手にお湯が撒き散らかされ、泡立っていたシャンプーが一気に流されて行く。
 突然の事に、フェイトは声を上げる事も出来なかった。呆けた眼差しで髪から滴り落ちるお湯を見詰めて、ゆっくりと振り向く。

「……なのは……?」
「”私なんか”なんて悲しい事、言わないで」

 そっ、とフェイトを抱き締める。

「好きとか、嫌いとか、私そんなの分からない。でも、クロノ君はフェイトちゃんを凄く大切にしてくれる。それは分かるんだ。前にユーノ君が話してたよ、”クロノ と会うと、決まってフェイトの話をするんだ”って」

 フェイトの肩が震える。触れ合っているなのはには、それが手に取るように分かる。

「クロノ君にとって、フェイトちゃんはとっても大切で、とっても特別な子なんだよ。それじゃ……駄目なのかな?」

 返事は返ってこなかった。
 しがみつくように、フェイトはなのはの背中に手を回す。痛いくらいの力で。
 そして、彼女は声を上げて泣いた。



 ☆



 リビングには、テレビの音声と外の雨音だけが響いていた。
 眠るように床に伏せているザフィーラの青い毛並みを撫でながら、はやては目的も無くテレビを眺めていた。時間的にゴールデンタイムを回った辺りだが、 今日に限って興味を引くような番組は放送していない。
 はやてはリモコンを操作して、耳障りなテレビを消した。

「はやてちゃん、お茶、飲みます?」

 麦茶で満たされたグラスを片手に、キッチンからやって来たシャマルが訊いた。
 はやては努めて笑顔を返す。

「うん、いただきます」

 差し出されたグラスを取る。少しだけ喉に流し込むが、あまりおいしいとは思えなかった。
 四分の一を飲んだ辺りで、グラスをテーブルに置いた。

「フェイトちゃん、どうしたんでしょうか?」
「うん……。そやね……」

 シャマルが不安そうに廊下を見る。はやては曖昧な相槌を打つしか出来なかった。
 フェイトに何があったのか。予想がつかない程、はやては鈍感ではない。
 街から一緒に帰って来る時に見せた彼女の暗澹たる表情。クロノと何かあったに違いない。クロノは一体フェイトに何を言ったのだろうか。
 疑問に思った時、ザフィーラの耳が僅かに動いた。直後、インターホンが鳴る。こんな雨模様の中、しかも夜遅くに誰だろう。シャマルが壁の受話器を取る。

「はい、八神でございます」
『クロノ・ハラオウンだ。夜遅くに済まない』

 離れた場所に居るはやてにも、彼の声はしっかりと聞こえた。風が鳴る音も一緒に聞こえる。はやてはそれが風ではなく、彼の荒れた呼吸だとすぐに分かった。

『フェイトがこっちに来ているとなのはに聞いたんだが』
「え、えっと……」

 困惑して答えに窮したシャマルが、助けを求めるようにはやてを見る。だが、その時にははやては自力で車椅子に乗り、すでにリビングの扉を潜り掛けていた。

「今行くから、ちょっと待っててぇッ」

 大声を張り上げ、乗り慣れた車椅子を操作する。不安そうに見詰めるシャマルに目配りをしてリビングを出たはやては、真っ直ぐに玄関へと向かった。
 雨のせいなのか、七月であるにも関わらず、廊下の空気は冷たかった。
 玄関に着く。障害者用の設計なので、玄関と廊下は緩やかな下りで繋がっていた。ブレーキを掛けながら降りて、鍵と施錠を外し、ドアノブを捻る。
 くぐもって聞こえていた雨音が大きくなり、湿気が室内に侵入して来る。一緒になって、頭の上から脚の先までずぶ濡れになったクロノが姿を見せた。ずっと走って 来たのか、息を荒くて肩を上下させている。

「ク、クロノ君ッ!? どうしたのその格好ッ!? 傘はッ?」
「邪魔だったから持って来なかった。ずっと走り回っていたから」
「風邪引いたらどうするのッ!? ああもうッ、シャマル〜ッ! 悪いんやけどバスタオル持って来てくれへんかぁ!?」
「はやて。そんな事はいいからフェイトは……」
「そんな事やない! クロノ君、執務官なんやから自己管理はしっかりしなきゃいけへんよッ! 取り合えず早く入って!」
「あ、ああ」

 気圧されて、クロノは玄関のドアを閉めた。彼の身体から滴り落ちた雨の雫が、瞬く間に床に水溜りを作って行く。
 ぱたぱたとスリッパを鳴らして、バスタオルを腕に引っ掛けたシャマルが廊下を走って来た。びしょ濡れのクロノを見て絶句する。

「クロノ君!? どうしたんですかッ!?」
「シャマル。何かあったかい飲み物ッ」
「は、はい」

 シャマルはタオルをはやてに渡すと、慌しくリビングに飛んで行った。

「取り合えずこれ使って。ホントに風邪引いてしまうわ」
「……ありがとう」

 バスタオルを受け取ったクロノは、わしゃわしゃと髪を拭き始めた。続いて顔も拭く。乾燥していたタオルはすぐに水分を含み、ぐっしょりとした。

「……フェイトは来ているのか?」
「今なのはちゃんと一緒にお風呂入ってる。クロノ君と一緒でびしょ濡れやったから」
「すまない。迷惑を掛けた」
「構わへんよ。迷惑なんて思てへんし」

 言葉を切る。

「……フェイトちゃんに何をしたの、クロノ君」

 クロノが何かを言おうとする。だが、結局言い出せず、彼は顔を伏せた。

「……僕が悪いんだ」

 彼らしくもない、深く、どこまでも沈んだ声だった。

「あの子の気持ちに全然気付いてやれてなかったんだ。君の言った通り、僕は鈍感だ」

 ちくりと、はやては胸が痛むのを感じた。

「………」

 フェイトの親友として、はやては喜ぶべきだと思う。クロノがようやく彼女が抱いていた想いに気付いたのだから。だが、素直に諸手を上げて喜んであげる事が どうしても出来なかった。
 複雑な思いがはやての心中を渦巻く。自分も彼の事が好きだから。
 クロノを見上げる。車椅子という環境が、覗き込もうとしなくても自然と彼の顔を見せてくれた。

「兄として、僕は失格だと思う。あの子が居なくなった時、どこに行ったのか見当もつかなかった」
「……うん」
「我侭も分かってあげられなかった」
「……そうやね」
「親に甘えたい年頃なのに、全然意識してやる事も出来なかった」
「………」
「それでも、フェイトは僕を許してくれるだろうか……?」

 顔を上げたクロノには、執務官としての面影は欠片も無かった。親と逸れた子供のように不安で不安で消えてしまいそうな顔だった。
 はやては無言のまま、彼の頬に手を伸ばす。ずっと雨に打たれていた為か、彼の肌は凍える程冷たかった。

「――大丈夫」

 はやては言った。彼に言い聞かせるように。自分に言い聞かせるように。

「フェイトちゃん、きっと許してくれる。ううん、絶対に許してくれるよ」
「そうだろうか……」
「当たり前やって。泣き腫らすくらい、クロノ君の事が好きで好きでたまらんかったやんから。……大丈夫」

 不意に後ろから物音がした。振り返ると、脱衣所から出て来たフェイトとなのはが廊下に立っていた。二人とも、はやてから借りた服を着込んでいる。
 クロノとフェイトの眼が合う。二人とも、まったく同じ感情を瞳に浮かべていた。
 一握りの恐怖と大きな剣呑。

「フェイト」

 クロノが呼ぶ。フェイトはびくっと肩を震わせる。俯き、手を握ったり離したりして逡巡する。
 そんな彼女の背中を、なのはが静かに押した。結えられていない金髪が羽毛のようにふわりと舞う。
 最初はただのよろめきだったが、途中からフェイトはぎこちない足取りだが、しっかりと歩き始めた。
 はやては車椅子を操作して、フェイトに道を作る。
 向かい合う二人。

「……済まなかった。ずっと……気が付いてやれなくて」

 言葉一つ一つを選ぶように、クロノが慎重に言葉を紡ぐ。

「く、ろ――の――」
「はやてにも言われたんだが、その、僕は鈍感らしい。……な、何と言うか……」

 頭の裏を掻く。言葉が出て来ないらしい。視線が宙を彷徨う。しばらくして、クロノは頭を振った。

「……それでも僕は……君が好きだから。その、前にも何回かいっ――」

 言葉が最後まで出る事は無かった。
 クロノの視界を、金色の髪が覆う。気持ちの良い香りが鼻腔をくすぐった。
 水浸しのクロノの胸に、フェイトは飛び込んでいた。無言のまま、何も答えずに。

「フェ、フェイトッ? やめろ、僕はずぶ濡れだぞッ?」

 引き剥がそうとするが、しがみついたフェイトの力は意外にも強く、まったく離れようとしなかった。額をぶつけ、頬を押し付け、身体を摺り寄せる。
 あまりにも唐突な彼女の行動に、クロノはひたすら慌てるだけだった。
 はやては、そんな二人をずっと見守っていた。胸の痛みを顔には出さず、笑顔で。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 難しいですはい。ただその一言orz というかSC書いてたらフェイトやなのは、はやてが九歳である事をフツーに忘れます。伏線残りながら書くのは辛い…。
 これから少し短編集風になります。
 読んでいただきましてありがとうございました〜。






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