魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.6 Pain









 もつれそうな脚を何とか動かして、ユーノは通路を走る。これだけ大慌てで走るのは久しぶりだった。お陰ですぐに呼吸が荒くなった。最近はずっと無限書庫で資料や 棚整理に追われる日々だったのでそのせいかもしれない。
 飾り気の無い白い通路を何度か曲がる。身体が走る事を思い出し始めた頃、視界に四人の少女の姿が映った。なのは、フェイト、はやて、すずか。四人とも、ユーノが よく知る少女達だった。
 なのは達は除装していなかった。魔力で編まれたバリアジャケットを装備したまま、分厚い扉を見詰めている。埃と傷にまみれた少女達は、片時も扉から 眼を離そうとしない。

「なのはッ!」

 通路にユーノの声が響く。なのは達が一斉に首を巡らせ、彼を見る。
 少女達の視線の中、ユーノは脚を止めた。物凄い勢いで動いている心臓を抑えながら呼吸を整える。酸素を取り込もうと躍起になる肺のせいで、言葉が巧く出て来な かった。

「アリサがッ! アリサが……巻き込まれたって……聞いて……ッ!」

 激しく肩を上下させるユーノ。そんな彼になのはがゆっくりと近付いて行く。不意にがしゃんという重い音が通路に木霊した。なのはの左手からレイジングハートが こぼれ落ち、床を打った音だった。
 その音に引かれ、ユーノが顔を上げる。すぐに眼の前になのはが居た。

「な、なのは……?」

 久しぶりに間近で見た彼女の顔は酷いものだった。健康だった顔色は青く、精気が全く感じられない。大きな双眸には涙が溜まっており、形の良い小さな唇は 震えていた。

「ゆー、の……くん……ッ!」

 瞳に溜まっていた涙が頬を伝って床に落ちた。弾ける小さな水滴。
 なのはがユーノに飛びつく。彼の服を力一杯掴み、頼りない胸板に頬を押し付け、額をぶつけ、嗚咽をこぼす。
 乱れていた呼吸の事を忘れ、ユーノはなのはを受け止めた。初めて見る彼女の弱々しい態度に思考が着いてこないが、辛うじてその小さな肩を支える事は出来た。
 言葉は必要無かった。肩に手を添えた時、彼女が受けた衝撃の大きさを計り知る事は容易に出来た。今のなのはは管理局武装隊士官、AAAランク魔導師ではない。親友の 安否に心を引き裂かれているただの十歳の少女だ。

「……そんなに、酷い、の……?」

 口の中から水分が急激に失われて行く不快感を覚えながら、ユーノが他の三人に訊いた。
 誰も言葉に出して答えようとしなかった。はやてもフェイトもすずかも、全員が口を閉ざしている。ただ、その無表情が物言わぬ返答になっていた。
 何故こんな事になったのか。なのはを抱くユーノの手に徐々に力が籠もり始める。

「どうして……! どうしてアリサがこんなッ! 何でッ!?」

 事件の経過はアリサの負傷と共に聞いていた。これが偶然と不幸が重なった結果なのも理解はしている。だが、納得は出来なかった。何とかならなかったのか。どう にか巻き込まずに戦う事は出来なかったのか。
 ユーノにとってアリサはただの知り合いではない。大切な友達だ。フェレットの時は彼女の過激なコミュニケーションが苦手だったが、その不器用な優しさは知って いる。
 そんな彼女が、事件とは何の関わりも無い彼女が、どうして死にかけなければならない。どうして巻き込まれなければならない。どうして、どうして――!

「どうして……!」

 搾り出すような彼の言葉に、やはり誰も答えられなかった。全員が同様の事を思っているからだった。
 沈黙は続く。



 ☆



 眼の奥が重い。緊張の持続で眼球の神経が弱っている。休ませる為に眼を深く瞑り、瞼の上から瞳を優しく揉んだ。十秒後に瞼を開けた。
 時計はミッドチルダ標準時間で十八時を指そうとしている。Sランク暴走体全員鎮圧から、すでに四時間近くが過ぎていた。

「艦長」

 役職で呼ばれて、リンディは伏せていた顔を上げた。エイミィがお茶を持って立っている。その表情は暗い。少なくとも、リンディはここまで沈んでいる彼女を見た 事が無かった。
 いや、彼女だけではない。ブリッジの空気そのものが沈痛としていた。アレックスを初めとするブリッジ内のスタッフ達の顔には深い悲愴感が張り付いている。
 提督となって艦長席に就き、アースラという巡航艦を預かるようになって数年、初めて味わう底の無い悲しみ――。

「ありがとう」

 覇気の無い声で礼を言い、リンディはお茶を受け取る。好物の日本茶で、これに砂糖を大盛り三、四杯入れるのがリンディの飲み方だったが、今はとてもそんな気に なれなかった。口をつけると、苦くも味気無い風味が口の中に広がった。

「皆の様子はどう……?」
「一応、その報告になります」

 現地民間人の避難誘導を終えて現場に急行したリンディが見た光景は、想像を絶するものだった。
 Sランク魔導師に該当する程の過剰成長を果たした暴走体は全員鎮圧されていた。だが、その被害はあまりにも酷かった。多くの現地民間人が巻き込まれて死亡。 重軽傷者、行方不明者の総数は把握出来なかった。魔法知識が皆無の世界に於いて、これ程までに魔法による被害が出たのは時空管理局が設立されて以来初めてだった。
 リンディは鎮圧に当たった魔導師達――クロノ達をアースラに収容した後、身を引き裂かれる思いでミッドチルダに転送した。今は虚数空間を最大速力で航行中である。 もう数時間もすれば到着する見込みだ。
 暴走体を鎮圧したクロノ達はほぼ全員が傷を負っていた。なのはやフェイトやはやては軽い怪我で済んでいたが、クロノとシグナム、ヴィータは重傷だった。 今は乗艦している医療魔導師達が総出で治療に当たっている。三人とも容態は安定しているが、眼を覚ます気配は未だ無い。

「アルフは?」
「両腕の怪我以外は大した事が無かったそうです。今は医務室で眠っています」

 リンディは安堵したように吐息をつく。

「そう。フェイトやなのはさん達は……?」
「――ICUの前で、ずっと――」

 収容された者達の中で最も深い傷を追っていたのは、フェイトやなのはの親友の一人、アリサ・バニングスだった。背中に暴走体の攻撃を受け、大量出血 によるショック症状を起こしていた。収容と同時に本局内の総合病院に搬送させようとしたものの、とても転送に耐えられる状態ではなかった為、今はアースラ内の 集中治療室でシャマルが治療に専念している。だが容態は安定せず、危篤状態が続いていた。
 なのはやフェイト、はやては傷の治療も後回しにして、すずかと共に集中治療室前の廊下に居る。

「半年前もそうだったけれど、最悪な形であの子達を巻き込んでしまったわね……」
「……はい」

 エイミィは今にも泣き出してしまいそうな顔だった。屈託の無い性格とは裏腹に才女的な所がある彼女だが、まだあどけなさが抜け切っていない十七歳の少女だ。 しかもアリサとは知らない仲ではない。一緒に遊んだ事が何度もある。しかも彼女を戦闘現場に誤って転送してしまったのは彼女だ。責任を感じないはずがない。
本当ならなのは達と一緒に集中治療室の前に居たいはずだ。
 リンディもそうだった。懸念事はアリサだけではない。我が子であるクロノが重傷を負い、出向扱いとなっていたシグナムとヴィータをある意味で死の淵に追いやって しまった。現場を預かる総責任者として、また親として、今は彼女達に会いに行きたかった。
 だが、提督という名がそれを許さない。エイミィも然りだった。
 リンディが重い口を開ける。生活に疲れた女性のような声で言った。

「クロノが捕獲した暴走体は?」

 大量の犠牲者を出したこの事件だが、それでも不幸中の幸いというべき事が起こっていた。クロノが暴走体を捕獲したのだ。デバイス暴走事件 対策本部からクロノ個人に出されていた禁止行為を無視して。結果としてリンディ達は被害者である魔導師一人を廃人にして、最高の事件資料を手に入れた。この 成果は喜ぶべき事だが、アースラスタッフで諸手を挙げて喜んでいるような者は誰一人として居ない。

「ご指示通り、本局へ転送しました。転送には対策本部の戦技教導隊が同伴しています。……現在の状況は以上です」
「……ありがとう、エイミィ。あなたも少し休みなさい」

 肉体的な疲労はあまり無い。ただ精神的疲労があまりにも酷かった。エイミィは弱々しい笑みを浮かべる。

「いえ、大丈夫です。艦長こそクロノ君やフェイトちゃんの所へ行ってあげて下さい」
「……そうしたい所だけど、そういう訳にはいかないわ」

 言葉を切ったリンディは、座り慣れた艦長席の背もたれに背中を預ける。ブリッジの窓からは、どこまでも続く虚数空間が見えた。

「多分、これから忙しくなるわね……」

 原型を留めた暴走体は、これまで遅々として進んでいなかったデバイス暴走事件に大きな進展を齎すだろう。様々な情報が暴走体――犠牲になった魔導師――から 収集する事が出来る。暴走のメカニズム。その原因。そして予防策。直接的に事件解決に繋がらなくとも、暴走件数を減らす事は可能なはずだ。
 リンディは頭を振り、唇を噛んだ。艦長席のシートを強く握る。捕獲した暴走体から得た情報で、何が何でも早急に暴走事件を解決しなければならない。そうしなければ、 廃人になってしまった名も知らない魔導師にどう詫びればいいのか――。
 エイミィがこくんと頷いた。表情は悲しみのままだが、瞳には強い光が宿っている。

「艦長。私はこれからマリーと連絡を取ります。シグナムとヴィータちゃんのアームドデバイスの修理の事もありますし」
「ええ、お願い」

 エイミィは軽く会釈をすると、踵を返してブリッジを後にしようとする。その彼女の背中を、リンディは不意に呼び止めた。

「エイミィ。クロノは、どうしてる?」

 彼女が振り向く。

「まだ眼を覚ましません……」
「そう。ありがとう」

 エイミィはさらに何かを言おうとしたが、止めた。項垂れるような会釈を残し、ブリッジを出て行った。
 残されたリンディは、一度大きな溜め息をついた。眼を瞑って座席に深々と腰掛ける。瞼の裏に移る映像は我が子の事だった。
 クロノが人を殺害してしまったのは、これが初めてのはずだった。正確には殺害ではない。それよりも遥かに重い罪を彼は背負ってしまった。犠牲になった魔導師の 身元はすぐにでも調査され、この事件は彼の家族の下へ隠される事も無く伝えられるだろう。彼が植物人間になってしまった事実と共に。そうなった時、家族はどんな 感情を抱くだろうか。リンディには痛い程それが分かった。
 十一年前の闇の書事件の時の記憶が脳裏に蘇った。夫の殉職を聞いた時の衝撃と悲しみ。途方に暮れた。どうしようもない感情が、激情な胸を抉り、何をどうしてい いのか分からなくなった。
 あの思いを、犠牲になった魔導師の家族はこれから体験するのだ。
 痛む胸を押さえ、リンディは身を丸くする。胸の奥が張り裂けてしまいそうだった。

「……クロノ……」

 家族を失い、こんなはずじゃない人生を歩む人を無くす為、彼は今日まで全力で走り続けて来た。直向に、不器用に、止まる事をせず、足踏みもせず、彼は走り 続けて来た。これからもそうだろうとリンディは思っている。彼女は今年中には艦長職を辞職する。その後を継ぐべく、クロノは提督資格習得を目指していた。背伸び ではなく、彼はしっかりとリンディの仕事を引き継ごうとしている。彼女はそこに頼もしさを覚えながら、同時に危うさも感じていた。
 何かの拍子で走り続けている脚が止まってしまった時、彼はどうなってしまうのだろう。もう一度走り出す事が出来るだろうか。膝を折って倒れてしまうのではない だろうか。
 今回の事件は彼にどうしようもない感情を与えるだろう。こんなはずじゃない人生を歩む人を自らが作ってしまった事実。妹の親友を守る事が出来なかった事実。今 日まで盲目的に走って来たクロノにとって、あまりにも大きな壁だった。
 彼なら大丈夫だと、リンディは心中で思う。だが、それを自分に言い聞かせるように呟いている事に気付き、彼女は愕然とした。
 クライドと自分の子はこのくらいの事では膝をつかない。大丈夫だ。そう思えば思う程、不安は山を作って行く。
 希望的観測。そして切望。リンディはしばらくの間、ずっと胸の痛みに耐えていた。



 ☆



 簡単な処置を受けて、フェイトは医務室を出た。訓練や任務で日常茶飯事的に怪我を負う彼女にとって、医務室は見慣れた部屋であり、医療魔導師とも顔馴染み だ。いつもなら世間話の一つや二つを交わす所だが、今はとてもそんな気にはなれなかった。恰幅の良い医療魔導師も今のフェイトの心情を察して無理に会話をしよう としなかった。
 通路に出たフェイトは少年の姿を求めて歩き出した。
 アリサは危篤状態を脱している。シャマルの治癒魔法のお陰だった。だが、彼女の魔法では傷の治療出来ても体力や失われた血液まで補充、補完する事が出来ない。 特に血液の不足は危険だった。なのは達とミッドチルダの住人であるフェイトやエイミィは血液の成分が微妙に違う。輸血可能な血液はストックとして相当数があった が使う事が出来なかった。幸いにもなのはがアリサと血液型が同じだった為、何とか事無きは得られた。楽観視は出来なかったが、それなりに安心しても良い状況では ある。
 すずかはアリサの容態が安定したと聞いて気を失ってしまった。遊園地の惨状を目撃した挙句、親友が倒れ行く様を眼前で見たのだ。極度の緊張状態で精神的にあまり 良い状態ではなかった。今は医務室ではやてが付き添っている。
 フェイトは治療を受ける片手間でベッドで眠っているすずかを見守っていた。守り切れなかったという自責に駆られて。あの時の自分の判断は間違っていたと噛み締め ながら。
 医務室にはすずかだけではなく、アルフやシグナムやヴィータも眠っている。包帯と脱脂綿だらけになった家族と友人達。側に居てあげたかったが、でも、そう出来な かった。
 空になった一つのベッドが眼に留まったのだ。主を失ったそこは、クロノが昏睡していた場所である。彼も酷い有様だった。魔力と体力を使い果たし、ほとんど死人と 大差の無い身体となっていた。アリサの無事が分かるまでの間、フェイトは集中治療室と医務室の間を十回以上往復している。最後に見た時は寝顔までちゃんと確認 していた。彼のベッドが物気の空になっているのは不意に気付いた事だった。
 眼を覚ましたのだろうか。あの傷で身体を動かしているのだろうか。

「クロノ」

 一定の間隔だったフェイトの歩幅が徐々に大きくなって行く。歩きはすぐに小走りになり、そして軽い疾走になった。
 胸がざわついた。心細い感覚。世界で独りになってしまったような感覚。肩が寒い。
 身体には目立った傷は無かったが、心には充分過ぎる大きな傷を追っていた。自分の判断が親友を殺しかけたのだ。守り切れなかったのだ。平気で居られるはずがない。
 なのははユーノの胸で嗚咽をこぼし、はやてはすずかの手を握りながら静かに涙を流した。だがフェイトは泣いていない。二人を支える為にも泣く訳にはいかなかった。
 だが、それももう限界だった。
 泣きたい。誰かに縋りたい。大好きなヒトに抱き締めて欲しい。空虚な心を、震える肩を包んで欲しい。
 通路を曲がる。居住区に向かう通路だった。

「クロノッ」

 彼の背中が見えた。胸いっぱいに安堵感が広がり、フェイトの表情は自然と緩んだ。
 駆け寄ろうとした時、クロノがゆっくりと振り返った。途端、フェイトは脚を止めた。いや、脚が勝手に止まった。
 彼は額に分厚い包帯を巻いていた。執務官の制服を着ているが、いくらかくたびれて見える。その風貌はPT事件の時と全く同じだった。
 フェイトは彼の眼を見た。黒曜石のように澄んでいるはずの双眸。しかし、今は違う。砂利の中の石のようだ。何を考えているのか分からない。
 そんな眼で自分を見て欲しくはなかった。フェイトは小さく、本当に小さく後すざりをした。

「ク、ロノ……?」
「何だ」

 疎んじる声。石のような瞳に何かが宿る。それが何なのか、フェイトには分からない。

「どこに行くの。駄目だよ、寝てなきゃ」

 自分でも驚く程に抑揚の無い声で言った。

「いい。もう動ける」
「駄目。リンカーコアの事だってあるんだから。お願いだから戻って。ね?」

 勇気を振り絞り、一歩を踏み出す。
 クロノの表情が変わった。眼もそうだ。フェイトはそんな彼をどこかで見た事があった。
 それは初めて彼と出会った時。なのはとジュエルシードを巡って何度目かの衝突をしようとしていた時。転送して来た彼はフェイトを射撃魔法で威嚇した。その時の 表情だった。
 胸が痛かった。抉られるような衝撃があった。
 ――どうしてそんな眼で見るの――。

「クロノ」
「何だ」

 同じ問答。だが何を続けていいのか分からず、フェイトは口を閉ざした。すると、クロノが口を開ける。

「アリサは?」
「……持ち直したって、シャマルが……」
「そうか。良かった」

 言葉とは裏腹に、彼の表情には安堵の色は全く浮ばない。
 一体どうしたというのだろう。彼らしくなかった。そう、酷く、どこまでも彼らしくない。今の彼はクロノではないような気がした。自分の事を切り捨てて、 他人を助けようとして傷付き、周囲を心配させるクロノではない。
 緩んでいた頬が固まって行く。胸をいっぱいにしていた安堵感はもう欠片も残ってはいない。

「クロノ。戻ろう」
「嫌だ」
「どうして?」
「僕はもうここには居られない」

 訳が分からない。

「君の親友を守れなかった」

 違う。

「僕があの魔導師を殺した」

 違う。

「僕に力が無かったせいだ」

 違う。

「僕がアリサを殺しかけたんだ」

 否定する。

「違うッ!」

 叫ぶ。

「絶対に違うッ! アリサが、アリサが怪我をしたのは私のせいだッ! 絶対にクロノのせいじゃないッ!」





 少女の否定は、クロノにとってただの慰めにしか聞こえなかった。だから余計に腹立たしかった。荒涼としていた心中に消す事の出来ない激情の炎が宿った。

「やめてくれ……!」

 苛立ち、煮詰まり、正常な判断が下せなくなった思考は完全に磨耗していた。強靭な理性というブレーキに常に歯止めされていた感情が、想いが、すべてが止まら ない。止まるはずもなかった。
 吐露してしまえ。洗いざらい、晒してしまえ。誰かが諭すように告げる。
 悪魔の囁き。

「僕のせいだぞ!? 僕に……僕に力が無いせいで、アリサは! 君の友達が、なのはの友達が傷ついたんだぞ!?」

 声代わりしつつある少年の声が、広い通路に木霊する。
 フェイトは何が起こったのか全く分からないという顔で立っていた。赤い瞳を何度も瞬かせ、口を開けている。思いがけない相手に殴られたような、そんな顔だった。

「クロ、ノ……?」

 もう限界だった。悪魔の囁きが再び告げる。
 認めてしまえ。あの時痛感させられた事実を。

「才能のある君に、才能の無い僕の気持ちは分からない……ッ!」

 八つ当たりのような言葉だった。同時に決して言ってはならない言葉だった。
 フェイトの顔が歪んだ。
 気持ちが良かった。まるで山の頂で腹の底から声を張り上げたような晴れ晴れしさがあった。
 なのに、それを彼女が破壊する。無様に、どこまでも無様に震える声で細い細い言葉を紡いで行く。

「さ……才能なんて、関係ないよ。だって、だってクロノいつも言ってるじゃない。訓練次第で、う、埋められない溝なんて無いって……」

 そのあまりの体たらくに失笑を堪える事が出来なかった。

「君やなのはと出会うまで、僕もそう思ってた。アリアやロッテに教わって、同じ事を何度も反復して、何週間も掛けて魔法を覚えた。魔力の制御を学んだ。一つずつ確実 に。それなのに君達は……!」

 視界が狭くなって行くのが分かった。麻痺した思考が消息して行く。

「ク――ロ、ノ――」
「僕が一ヶ月で覚えた魔力操作を、君は数日で身に付けた。僕なんかより遥かに巧く! なのはに至っては、僕が九年間で培って来た技術を僅か半年で半分以上習得した!  しかもほとんど無意識で!」

 これが本心。惨めで格好悪い、どうしようも無い身勝手な嫉妬。

「僕に君達のような才能があれば、アリサはあんな傷を負う事も無かった! そうさ、僕の責任だ! 君も僕を責めれば良いだろう! 無力だって! 何故執務官をやって いるのかってッ!」

 自分でも驚く。こんな大声が出せるなんて。
 最高に気持ちが良い。
 この怒鳴り声も。
 今まで溜め続けて来た感情を吐露するのも。
 唇さえ震え始めた義理の妹の顔を見ているのも。

「それだけじゃないッ! 僕は魔導師を一人殺したッ!」
「し、死んでない、よ……!」
「ならこう言えばいいのかッ!? 廃人にしたッ! 被害者で、家族だって普通に居る魔導師から僕は未来を奪ったッ! どうだ満足かッ!?」

 妹の顔から血の気が引いて行く。
 堰を切って吐き出される言葉は止まらない。

「僕は無力だッ! デバイスを強化した所でどうにもならなかったッ! 魔力を使い果たして、無様に君に助けられたッ! 何が状況に応じた魔法の選択とその 応用力だッ! 所詮は魔力量だったんだよッ!」
「クロノは……無力なんかじゃない……。アリサは……私のせいなんだ。アリサを助けたのはクロ」

 ああ。この子は。

「黙れえッ!」

 絶叫。喉が裂けた。血の味がした。

「僕は何もやっちゃいない! 僕の魔力じゃどうしようもなかった! 技術や努力だけじゃ、あの暴走体を止める事は出来なかったんだッ!」

 どれだけデバイスを強化しても魔力の供給元である魔導師が非力ならば意味が無い。戦闘力の抜本的な向上には繋がらない。
 フェイトの瞳から一粒の涙がこぼれた。
 何を泣いているのだろう。哀れんでいるのだろうか。
 忌々しかった。煩わしかった。邪魔だった。
 クロノは背を向ける。これ以上、フェイトの顔を見たくは無かった。

「……僕はしばらくアースラから離れる。無駄だと思うけど、リーゼ達に頼んで、一から鍛え直す」

 有事の事態の最中で、執務官が所属艦から離れるなど、あってはならない事だった。
 だが、もうどうでもよかった。これ以上ここには居たくなかった。
 執務官という仮面が剥がれて行く。

「だ、駄目だよ! クロノがアースラから離れたら、誰が事件を!」

 フェイトが振り絞るように言う。
 鈴の音のような足音をたてて遠ざかるクロノの手を、フェイトが掴んだ。遊園地と公園で感じた少女の温もりが掌を包む。
 あれだけ心地良かった温度が今はどこまでも鬱陶しかった。
 力任せにその手を振り払う。

「誰でもいいだろう! 暴走体を止めていれば、その内管理局の分析班が暴走の原因を掴む。僕のような非力な執務官なんて居なくても、君のように優れた魔導師が居 た方が遥かに戦力になるッ!」
「クロノは非力なんかじゃない! どうしてそんな事……!」
「君が……君が悪いんだろうッ!」

 喚き散らす子供のように、クロノが叫んだ。
 ああ、言ってやった。ここまで感情的になったのはどれくらいの事だろう。クロノは肩で乱れた呼吸を整えながら思った。

「―――」

 今度こそ、フェイトは何も言っては来なかった。言えるはずがなかった。思い掛けない相手から殴られたような顔どころではない。大好きな人から金槌で頭を殴られ たような表情で立ち尽くしている。
 精々した。

「さようなら、フェイト」

 吐き捨てるようにクロノは告げて、歩みを再開した。フェイトがぼそぼそと何かを言っているが、本当にどうでもよかった。
 クロノの前に人影が立ちはだかった。頭一つ分小さなその人影は良く知る少女だった。

「なのは」

 頬に痛みが走った。じんわりと身に染みるような痛みだった。
 人影――なのはは、クロノの頬を叩いた左手を胸に抱いて、そこに立っていた。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございます。中盤戦突入。予告編では隠していた部分を出せて胸撫で下ろしてます。
 では次回も是非。





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