魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.8 Rejection









 食事を終えてから、半日が経過しようとしていた。
 時計上では今は早朝だった。午前五時。明け方と言っても良い。
 室内には明かりが無く、分厚いカーテンが窓を覆っている為に景色も見えない。体内時計は完全に狂っていた。
 雨が建物を打つ音だけが聞こえた。
 空腹感は無い。眠気もあるのかどうか定かではない。むしろちゃんと眠った記憶が霧のようにあやふやだった。

「………」

 少女は一人、ベッドに座っている。何かをする訳でもなく、何かをしたい訳でもなく、ただそこに居る。壁に身を寄せ、背中を丸め、膝を抱え、紙袋のような物を 抱き、そこに顔を埋めている。
 長い金色の髪は結わえられていない。少女の小さな身体を包み込むように広がっている。しかし、そこに可憐さはない。何か強い力で引っ張ったような跡があった。
 左の手首は包帯が巻かれている。処置の仕方は的確で、少女の細い手を圧迫してはいない。
 少女――フェイトは動かない。

「………」

 室内には誰も居ない。いつもなら必ず誰かが顔を見せていたのに。
 名前を呼び合える親友達。
 愛情を惜しげもなく注いでくれる義母。
 支えてくれる仲間達。
 彼女達には感謝をしてもしたりない。世間を騒がせ、未だ衰える兆しを見せていない暴走事件で身も心も憔悴しているというのに、必ず様子を見に来てくれる。
 質実剛健の好敵手は、義母と同じように、痛み切った髪を綺麗に梳いてくれた。不器用に笑いながら。
 口の悪い少女は、精一杯言動に注意をしながら話しかけてくれた。元気出せよなどと、そんな気安い言葉ではなく、何かして欲しい事は無いか訊いてくれた。
 優しくほんのりとした女性は、入浴を手伝ってくれた。度重なる自傷行為で傷だらけになってしまった左手を優しく洗ってくれた。
 無口で寡黙な男性は、特に語りかける事はなかった。食事を用意してくれたり、何か足りない物があればすぐにでも持ってくれたり、静かに見守ってくれた。
 親友達が、家族達が、仲間達が支えてくれている。とても嬉しく思うし、暖かく感じる。そんな彼女達に迷惑を、心配をかけたくない。自傷行為を止めた理由の一つ がそれだった。
 フェイトは虚脱感が抜けない身体に鞭を入れ、抱えていた紙袋から箱を取り出した。
 飾り気の無い真っ白の箱。中心には有名ブランドのロゴマークが印刷されている。
 そっと蓋を開ける。
 中には装飾品のようにも見える梱包材が敷き詰められていて、それらに守られるように赤い靴が入っていた。
 クロノに買ってもらった靴だった。
 胸が満ち足りて行く。心が充足感を覚えて行く。頬がほんのりと赤くなって行く。
 でも、それはすぐに枯渇した。
 胸がからっぽになり、心が虚脱感を覚え、頬が白くなって行く。
 靴はほとんど履いていなかった。選んだ時にクロノに履かせてもらっただけだ。
 フェイトは手を足首に伸ばした。一週間前、クロノに触れられた所を思い出すように指を這わせる。
 温もりなんて、残っていない。あるはずがない。
 フェイトは一人ではない。だが、その心は独りである。世界で一人だけになってしまったような絶望的な孤独感が付きまとって来る。
 靴を箱から取り出す。
 ベッドから降りて、靴に脚を入れる。
 フェイトは立ってみた。軽い眩暈がした。無視する。
 履き慣れない赤い靴。慎重に、足元を確かめるように、ゆっくりと、室内を歩く。

”帰ったら履いて見せてくれないか? とても似合っていたから、また見てみたい”

 そう言ってくれた彼は、もう居ない。
 フェイトは歩くのを止めて、クローゼットを開けた。中には少量の洋服がある。どれもフェイトが好きな黒を基調色にしたものばかりだ。
 白いワンピースは、そんな中で一際大きな存在感を持っていた。
 可愛らしい服だ。所々にアクセントとして黒いリボンが付けられている。
 一度は爆発の煤やら何やらで酷く汚れてしまったが、クリーニングに出され、つい先日戻って来た一着である。
 クロノが可愛いと言ってくれた服。
 着ていた寝間着を脱いだフェイトは、下着も”あの時”のものを選び、ワンピースに着替えた。クリーニングされたばかりのワンピースは、一週間前の汚れが嘘だった かのように新品同様の輝きを持っていた。
 チェストの上にある鏡を覗き込み、自分を見る。違和感はすぐに感じた。
 髪は結わえられていなかった。小物入れからお気に入りの黒いリボンを取り出して結わえようとするが、なかなか巧くいかない。
 髪がボロボロになっていた。枝毛とかそう言った次元の痛み方ではない。
 クロノが好きだと言ってくれた髪ではなくなっていた。
 それでも何とか一つに纏めた。痛みの酷い髪は中に入れて誤魔化して、綺麗な髪で包んだ。
 鏡を覗き込み、おかしな場所が無いか一望する。チェスト上の鏡は姿見程大きなものではなかったので、身形すべてを確認するのは苦労した。
 一週間前のあの時とほぼ同じ身形になった。
 こんな事をして何になるのか。彼に買ってもらった靴を履いて、あの時と同じ格好をして、どうなるのか。フェイトは自問自答する。
 ただの自己満足だった。それ以上の意味なんてあるはずもない。
 そう、無意味な行動なのだ。そんな事は分かっていた。部屋に閉じ篭り、クロノとの楽しい思い出に縋り、親友達に心配をかけ続けているのもいけない事だとは分かって いる。
 でも駄目なのだ。自分が許せないのだ。
 自分への憎悪は未だに健在だ。悲しいという感情は枯渇しつつあるが、憎しみは湧き水のように心を満たして止まない。
 鏡を見詰める。一週間前とほとんど変わらない姿の自分がそこに居る。
 左手の包帯だけが、この着飾った少女にはあまりにも不似合いだった。
 包帯の下には大きすぎる傷痕がある。二日前、一緒になのはと入浴をした時、彼女はその傷痕から眼を逸らした。正視出来るようなものではなかったのだ。リンディ とアルフが何度も消そうと言って来てくれたが、フェイトは拒否した。
 クロノを傷付けてしまったのだ。本当だったら、こんな傷の一つや二つでは帳消しには出来ない。するつもりもない。
 ベッドに腰掛けて、フェイトは包帯の上から左手を抱いた。
 クロノは今どうしているのだろう。
 リンディ達はフェイトに聞かれないように話していたようだが、ちゃんと聞いていた。一週間前のあの時を境に、彼は行方を暗ませた。今は本局の捜査課が捜索している が、その足取りは掴めていない。
 何故アースラを去ったのか。責任感の強い彼の事だ、アリサを救えなかった事に責任を感じたのだろう。そして、自分ともう会いたくないからなのだろう。
 そこでフェイトはアリサの事を思い出した。
 思考が切り替わる。頭の頂上が妙に冷たくなって行く。

「アリサ」

 胸を押し潰して来たのは自己嫌悪だった。クロノの事で頭がいっぱいで、彼女の事をほとんど忘れてしまっていた。
 何が親友だ。死にかけるような大怪我をしたアリサを忘れていたなんて。クロノに罵倒されて当然だ。
 フェイトは部屋を出た。
 倒れてしまいそうな眩暈がして、天地がひっくり返った感覚がした。見慣れたはずのアースラの艦内通路が別の空間に見える。
 壁に手をついて歩く。とても自力で立っていられなかった。
 アリサがどこに居るのか分からなかった。取り合えず医務室に向かう。その道がとてつもなく長く感じた。歩けど歩けど先が見えない。
 自分にアリサと会える資格があるとは思えなかったが、その顔を見たかった。無事をこの眼で確認したかった。
 鉛のように重い脚を引き摺り、本来なら一分程度の道のりを五分かけて進む。
 体力が落ちているというレベルではなかった。ほとんど無い。まるで自分の身体ではないようだ。
 医務室に着く。僅かの逡巡の後、扉を開けた。

「……?」

 誰も居なかった。整然と並んでいる白いベッドはもぬけの殻だ。用意されている最先端の医療設備も沈黙している。
 まだ集中治療室に居るのかもしれない。経過はよくないのだろうか。
 そう思ってすぐ近くの集中治療室に行ってみたが、やはり誰も居なかった。
 どこに行ったのだろう。
 ふと通路を見渡す。
 妙だった。人の気配がまったく無い。
 アースラはL級艦船の名に恥じぬ規模を持ち、艦内は広大に出来ている。それに似合う乗員が随時乗艦しているが、艦の航行そのものに多くの人手を必要とせず、 特別危険度の高い任務でもなければ増員もされないので、艦内は静かな場合が多かった。
 だが、人の気配がしないというのはあまりなかった。
 胸騒ぎがする。胸の奥が不思議とざわついている。
 ブリッジに行ってみようとフェイトは思った。姿の無いアリサの事は、リンディやなのはに直接訊けば済む話だ。
 医務室からブリッジは遠くはない。同じ区画にある。
 壁を伝いながら、フェイトはブリッジに脚を向けた。



 ☆



 悩み、考え、動けなくなる。本来、高町なのはという少女はそういう子である。
 考えれば考える程、頭の中が騒然として来る。物が散らかった部屋のようにゴチャゴチャだ。
 デバイス暴走事件。
 意識の戻らないアリサ。
 部屋に閉じ篭ったフェイト。
 変わり果てた姿で、デバイスを向けて来たクロノ。
 重傷を負ったシグナムとヴィータ。
 自分をエゴイストと非難して来た白衣の男。
 どれから考え、どれから解決して行けばいいのか、まるで見通しがつかない。だから考える。でも答えは出ない。足掻く。
 絡まった紐は解けない。解こうとすると余計に絡まる。
 悪循環だった。

「それじゃ、レティ。そちらはお願い」
『任せて。……野暮だと分かってて言うけど、ちゃんと前を向きなさい』
「……ええ、分かってるわ」

 コンソール上に投影されていた空間モニターが消える。考え込んでいたなのはは、どんな会話がされていたのかまるで分からなかった。
 半日前に訪れたばかりのリンディの執務室。だが、そこに居る人間の数は激減している。今はエイミィとなのは、ユーノ、アルフ、部屋の主であるリンディの五人しか 居ない。

「艦長。シグナムとヴィータちゃんは……?」

 エイミィの質問に、リンディは辛そうに笑って答えた。

「……ヴィータちゃんは傷は重いけど、大丈夫。ただ、シグナムさんがかなり危険な状態だわ。一命は取り留めたから大丈夫だそうだけど……」
「そう、ですか……」

 クロノとの戦闘で百を超える貫通裂傷を負ったシグナムは、現場から直通で本局内の総合病院に搬送された。ヴィータも同じくである。待機命令が出されていたもの の、リンディは、はやて達を病院へ向かわせた。

「なのはさん、ユーノ君」

 リンディが首を巡らせ、なのはとユーノを見る。

「ゼニス社での一件、詳しく聞かせてもらえないかしら?」
「……帰って来た時にお答えしたのがすべてです……」

 ユーノが呟くように答える。

「なのはさんも、同じ?」
「………」
「なのはさん」
「艦長」

 言及しようとするリンディを、エイミィが止めた。
 なのはは床を見詰めていた。何度もリンディの質問に答えようとしたが、口が動かなかった。

「……エイミィ、対策本部へ報告を。また、現場総責任者権限を行使します。デバイス暴走事件の首謀者として、レイン・レン技術長の緊急逮捕を許可します」
「艦長」
「ユーノ君。悪いのだけれど、後で私と一緒に対策本部へ来て下さい。報告書だけでは事実を伝え切れません」
「艦長……ッ」
「なのはさんは部屋で休んで下さい。現状、動ける魔導師はあなたしか居ません。いつでも出動出来るよう、体調を整えておいて下さい。アルフもよ。いい?」
「どうしてそんなに冷静なんですかッ!?」

 エイミィの顔は、激しい怒りと悲しみに耐え、強張っていた。

「昨日からおかしいです! 艦長は……艦長はそんな冷たい人じゃないはずです!」
「………」
「クロノ君が心配じゃないんですかッ!? クロノ君は殺すなんて絶対に言いません! シグナムにあんな酷い事するなんて……! レインって人に何か されたに決まってます! それを調べろとか、どうして言ってくれないんですかッ!?」

 リンディは無言のまま腕時計を見た。

「現時刻を持って、クロノ・ハラオウンから管理局に関わる全権を剥奪します」

 弾かれたようになのはは顔を上げた。

「彼はもう執務官ではありません。捜査妨害、捜査官への傷害罪、殺人未遂、さらにデバイス暴走事件の重要参考人として発見次第逮捕して下さい」

 滔々と他人事のように、リンディが言った。

「抵抗の意思を示した場合、殺傷設定による魔法攻撃を許可します」
「……見損ないました、艦長」
「ではあなたは私にどうしろと言うのですか? エイミィ・リミエッタ執務官補佐」
「S2Uに”ロッティンバウンド”が搭載されている以上、クロノ君もすでに暴走している可能性があります。なら、管理局には彼を助ける義務があります」
「ユーノ君。クロノは他の暴走体と同じような状態だったのかしら」

 ユーノは少しだけ躊躇した後、首を横に振る。

「今までのクロノとは明らかに違っていましたが……暴走体のようにデバイスに操られているような様子はありませんでした。彼は自分の意思で……シグナムや僕を 敵だと言っていました……」
「で、でも、S2Uが変わってたって……!」
「ベルカ式カートリッジシステムを搭載していましたし、色も変わってましたが、原型はありました。暴走したデバイスのような形では……なかったです」
「………」
「再案の余地はありません」

 リンディがエイミィを見た。その表情には苦悩が無い。何も悩んではいない。執務室になのはとユーノを呼び出した時から、リンディの顔は一切変化していなかっ た。
 なのはは悩みを忘れ、リンディを見詰める。
 だが、彼女の真意はまったく読み取れなかった。

「私は時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです。私には次元犯罪を取り締まる権利と義務があります。私情を持ち込む事は許されません」
「……どうして無理するんですか」

 呟くエイミィ。

「無理?」
「言えばいいじゃないですか! クロノを助けたい、だから力を貸してくれって!」
「………」
「無理して冷徹にならないで下さい!」
「私は無理なんてしていません」
「してます! クロノ君を助けたいなら助けたいって……!」
「私のせいです」

 言い争いを止めたくて言った訳ではなかった。
 リンディとエイミィが押し黙る。辛そうにしていたユーノも、ずっと口を閉ざしていたアルフも、全員がなのはに視線を注いだ。

「あの時、私がクロノ君に酷い事を言ったせいで、クロノ君は……」

 そんなつもりはなかった。自分の無力を噛み締め、我慢出来ず、好きな子フェイトを責め立てたクロノが許せなかった。
 後悔が押し寄せて来る。そんなつもりでなかったにしろ、傷付いたクロノを拒絶し、否定し、追い討ちをかけてしまったのは間違いの無い事実だ。
 あの時、どうして冷静になってクロノと話が出来なかったのだろう。”クロノ君らしくない”なんて、今にして思えば無神経な言葉だ。
 友達として、なのははクロノを知っていたつもりだった。
 生真面目で妥協を知らず、ぶっきらぼうで愛想を知らないが、とても優しい。愚直な程に真っ直ぐで、自分やフェイトの事を無茶だ無謀だとか言いながら、 もっと無茶をする。魔法戦闘はとにかく強く、模擬戦闘では勝った事がほとんど無い。圧倒的な攻撃力を持つエクセリオンモードを発動させても、卓越した技術と経験 で巧みに返して来る。
 厳しいけれど、優しくて、とても頼りになる少年。それがなのはの知るクロノ・ハラオウンだった。
 これで、なのははクロノを知ったと思っていた。だからこそ、”クロノ君らしくない”という言葉が出て来た。

「違うでしょ、それ」

 アルフが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「あいつは、あいつ自身が思っていたよりも、私達が考えてたよりも、ずっと弱かった。ただそれだけだよ」
「……クロノ君は弱くない」
「は。可愛い弟を庇いたい気持ちは分かるけどさ、エイミィ。あの餓鬼、フェイトにどれだけの事言ったか聞いてるだろ?」
「………」
「リンディ。私は手加減抜きであいつと戦うよ。構わないだろ?」

 指の関節を鳴らすアルフ。打撲と擦過傷だらけだった腕はすでに完治していた。獰猛なその動作に、エイミィは言葉を失う。

「ええ。ただし、殺害は認めません」
「……まぁ、気をつけるよ。手元が狂ってっちまっても知らないけどさ」

 手を振って、アルフが部屋を出て行こうとした。エイミィが彼女の肩を掴む。

「アルフ!」
「……エイミィ。あんた、フェイトの気持ちが分かる?」

 肩越しに振り向いたアルフの眼が、エイミィを威嚇した。
 眼光だけで人が殺せるのなら、この瞬間、エイミィは死んでいる。アルフの眼には、それだけの禍々しい感情が渦巻いていた。

「大切な人から拒絶されるの、あの子二回目なんだよ。その気持ちがあんたに分かるのかい?」
「………」
「私は分かる。精神リンクなんて関係ない」

 エイミィの手を振り払う。

「だから、私はあいつを赦さない。喩えフェイトが赦してもね」
「アルフ」
「エイミィ、あんたがあいつを大切に思う気持ちは分かるけど、私は我慢しないから、あいつをぶっ飛ばすの。躊躇いもしないからね、殺すのも」

 なのはは思案する。次にクロノと会った時、自分はどうすればいいのだろうか、と。
 戦う? それとも話し合う? 彼やフェイトの為を思えば話し合いで解決すべきだ。
 だが、本当にそうしてもいいのだろうか。自分にはそんな資格があるのか。

”エゴイスト”

 思う通りに行動をして、障害が出て来たら排除する。
 一度決めたのなら、どんな小さな事であっても、必ず貫き通す。なのはを支え、なのはの行動を決定付けていた信念。
 それが今揺れている。足場を失った家のように。
 クロノの心境を察してあげる事が出来なかった。だって彼は強い。身体的にも精神的にも、自分よりもずっとずっと強い。支える側の人間のはずなのだ。
 それすらも自分勝手な価値観だ。
 価値観の押し付け。レイン・レンの言う通り、それはエゴである。
 なのはは自問自答する。クロノと話し合いが出来る資格が自分にはあるのか、と。
 答えは出る。
 資格は、無い――。



 ☆



 フェイトはリンディの私室に入った。ここ以外、探しているモノの保管場所が思い当たらなかった。
 扉は閉鎖されていたが、家族の声紋に反応してロックが解除されるシステムが備わっており、フェイトにとっては扉は存在しないも同然の部屋だった。
 室内には使った形跡があまり見られなかった。綺麗に整理整頓され、整然としている。盆栽や日本の風景画など、些か良く分からない私物が眼につく。
 静かに歩を進め、机を探す。一段目の引き出しを開けると、探していた物が見つかった。
 金色の台座。
 手に取って優しく握る。

「バルディッシュ」

 少女の手の中で、微かな電子音声がした。

『Yes sir.』
「ごめんね、本当に……ごめんね……」

 一週間前、フェイトはバルディッシュを使って左手を切り裂いた。それがこの心ある鋼のデバイスにどれだけの苦痛と悲しみを与えたか、想像は難くない。

「もうあんな事しないから……」
『―――』
「私みたいなマスター、嫌だと思うけど……。でも、私一人じゃ何も出来ないから」
『sir.』
「だから、力を貸して。バルディッシュ」

 鋼のデバイスにとって、マスターは生涯ただ一人である。如何なる事態が起ころうと、如何なる障害が発生しようと、それは変わらない。
 フェイトという少女の為に作られた完璧なオンリー・ワン・デバイス。
 答えは決まっているのではなく、一つしかない。選ぶ選ばないという選択肢など、バルディッシュには存在しない。
 彼はいつものようにこう答えた。

『Yes sir.』

 マスターは何をしたいのか。それは分からないが、喩えこの身が朽ち果てようと力を尽くそう。彼女を拒絶したクロノ・ハラオウンを守る為でも、そうしたいのなら 死力で望もう。

「ありがとう、バルディッシュ」

 久しぶりに聞いたフェイトの感情のある声に、バルディッシュは安堵を覚えた。
 フェイトは微笑みを浮かべると、待機形態のバルディッシュに魔力を注ぎ込む。彼女の魔力は驚く程に弱々しく、細い河のように心許なかった。

「広域探索魔法。S2Uの反応を捜索」

 要求された命令を忠実に実行。
 魔法陣が床に描かれ、金色の光が室内を照らす。
 捜し求めたモノは見つからない。

「……見つからないね」

 ジュエルシード回収の為、バルディッシュには高位の捜索魔法が搭載されている。それでもS2Uの反応は発見出来なかった。捜索範囲を絞り込めば見つかる可能性 はあるかもしれない。

「外に出て、もう一度探そうか」

 マスターの提案に、バルディッシュは無言で同意した。
 通路に出ると、少し慌しい空気が流れていた。

「行こう」

 後にして思えば、この時のフェイトの笑顔に違和感を覚えるべきだった。そして止めるべきだった。この事を、バルディッシュは悔いる事になる。



 ☆



 明け方であるにも関わらず、空は未だに暗い。ミッドチルダを一週間の間、水浸しにしている雨雲は未だその気象を変える兆しを見せない。
 陰鬱で、憂鬱で、暗雲とした空。雨脚はそれ程強くはないが、さりとて小雨でもない。
 クロノはビルの屋上から摩天楼を見下ろしていた。暴風のようなビル風が雨と一緒に殴りつけて来るが、彼は気にせずに佇んでいる。

「さぁて、これからどうしましょうかぁねぇ」

 背後から声がした。振り向くと、レンが缶コーヒーを片手に立っていた。傘は差しているが、焼け石に水状態で、彼の下半身は雨に浸っている。
 クロノは特に関心を示さず、視線をビル街に戻した。
 胸の中には何も浮ばなかった。
 烈火の将シグナムは相手にならなかった。つい先日まで勝てるかどうか微妙な所だった相手は、しかし、あまりにも弱かった。
 新しく得た力の試し相手にもならなかった。言ってしまえば雑魚。クロノの身体は無傷だ。
 にも関わらず、シグナムはクロノの心に大きな傷を残している。

「レン」
「何ですかね?」
「僕は弱いか?」
「今の君が弱かったら、時空管理局は根底から戦力の見直しを図るべきでしょう。君は分かり切った事を良く聞きますねぇ」
「そうか」

 だが、この傷は何だ。
 予想以上に弱かったとは言え、あの烈火の将を打倒したというのに、胸には何も浮ばなかった。
 高揚感も、充足感も、何も。強くなった気もしない。
 相手が駄目だったのか。それならまだ説明はつく。だが、シグナムを超える使い手はそう多くはない。提督クラスの古株――喩えるなら、数ヶ月前、八神はやてを 怨恨から殺害しようとした初老の提督――ぐらいだろう。
 だが、彼らと戦うのは難しい。現場を退いている者も多い。

「君の言う通り、アースラを襲うべきか」

 フェイトやなのは。はやて。残りのヴォルケンリッターを同時に相手にすれば、まだ手応えのある戦闘が出来るだろう。
 そうしたら、この空虚な心を満たす事が出来るかもしれない。
 何より、強くなれるかもしれない。

「ああ、それでしたら自粛して下さい」

 飲み干した缶コーヒーを投げ捨てる。雨の音に紛れて、甲高い音が響いた。

「……君は襲えと言っていたはずだが?」
「昨日の戦闘で、君は十二発ものカートリッジを消費しました。現状、自由に使えるカートリッジは残り六発です」
「六発あれば充分だ」

 シグナムとの戦闘は手応えが無かったが、能力確認はする事が出来た。六発のカートリッジがあれば、乗艦している魔導師の撃破から艦船の撃墜まで可能だ。

「まぁ、アースラを落とす程度なら六発で事足りるでしょうが、それからが大変ですよ。何せ管理局の艦船を墜とすんですから」
「………」
「AAA+を超える魔導師に追われるでしょう。そんな時にカートリッジが無いとさすがに苦労すると思いますよ」

 今のクロノの魔法は、カートリッジに依存して威力を向上させているものがほとんどだ。カートリッジが無ければ思うような戦闘は出来ない。

「アースラを襲った時、保管されているカートリッジを奪えばいい」
「残念。君のS2Uのカートリッジシステムは特注品なんです。薬莢に色々と仕掛けがありましてね。最初に言ったでしょう? 似て非なるものだって」
「……では僕自身が作れば済むのか」
「現状、それがベストな方法ですねぇ。ただ、今言いましたが、薬莢には特殊な処置が施してあります。従来型に比べて魔力封入には時間も手間もかかります」
「生産性が低いな」
「仕方ないでしょ〜う。試作品なんですから。古来から試作品と名の付く物はすべて使い勝手が悪いと相場が決まってるんですよ。まぁ、その分強力なんですけどね」
「そんな事は知らない。薬莢を貸してくれ」
「せっかちな人が多いなぁ、世の中」

 歩み寄るクロノに、レンはカートリッジケースを渡した。銃火器用の弾薬ケースに良く似た形状の正方形のケースだった。

「ダース単位で作っておいて下さい。今後は管理局から追われる立場ですからね。備えあれば憂いなしです」

 捜査妨害、シグナム、ユーノへの傷害、デバイス暴走事件の実行犯への加担、すでにクロノは三つの犯罪を犯している。
 別に何も思わなかった。どの道執務官としては不適合だったのだ。今更管理局への未練は無いし、かつての仲間達を傷付けた事にも罪悪感は無い。むしろ強くなる 為ならば、彼女達を殺す事に何の感慨も浮かばなかった。だからシグナムも殺そうと思えた。
 悲しいとも辛いとも感じない。仲間達と殺し合って強くなれるのなら、ひたむきな殺し合いをしたいと切望する。
 シグナムがまた来たら、今度こそ殺してしまおう。彼女の説教はうんざりした。
 ヴィータもだ。あの少女は頑丈に出来ている。レンに手酷くやられていたが、きっとまたやって来るだろう。ああ、殺そう。
 ユーノ。煩わしい奴だ。何の足しにもならないが、邪魔だから殺そう。
 なのは。彼女の砲撃魔法と撃ち合いをしよう。あの冗談のような魔力砲を負かせれば、きっともっと強くなれる。そして殺そう。好きだけど、殺してしまおう。
 フェイト。あの子は――。
 途端、耳鳴りがした。眼の前が白と黒に満たされ、凄まじい吐き気が来る。思考が纏まらず、濃霧のように掴み所が無くなった。
 大切だった妹。
 傷付けた妹。
 守りたかったモノ。
 知らない。
 そんなのは知らない。
 知らない。
 しらない。
 シラナイ。

「おやおや、どうしましたか?」

 カートリッジケースを床に落とし、頭を抱えるクロノを、レンは満面の微笑みで見守る。

「何でも……ない。ただの頭痛……だ!」
「そうですかそうですか。まぁカートリッジを一度の戦闘で十二発も使ったんです。疲れてるんでしょう」
「僕は……疲れてなんて……な、い」
「いえ。君は疲れている」

 レンはケースを拾うと、クロノの手の中に押し込む。彼の肩を抱き、続けた。

「どうせカートリッジが無ければ派手には動けません。管理局は君を犯罪者として捜索し始めるでしょう。一度身を隠す事を提案します」
「………」

 正論だ。反論はしない。

「ミッドチルダを離れ……そうですね。地球の海鳴に行かれては? あそこなら派手に動かなければ管理局の眼も届きませんし、幸い、君のマンションもある。寝泊りするのは 拙いでしょうが、あの近辺なら丁度良くありませんか?」
「……そう……だな」
「ええ、そうです。さぁ、決まったのでしたら準備をしましょう。善は急げです」
「………」

 あまり気乗りはしなかった。あそこには向こう側の自宅とも言えるマンションがあり、潜伏するには適した場所なのは間違いない。だが、何故か酷く嫌だった。嫌だと 思う理由を探ろうとしたが、頭痛が酷くなるので止めた。

「お前はどうするんだ、レン」
「僕は会社を追われた身ですからねぇ。まぁあんまり未練は無いんですけど。やりたい事がまだあるんで、そっちの準備でもしてますよ。何かあれば連絡を下さいな」
「……分かった」

 このデバイス暴走事件の実行犯はまだ何かを起こすつもりらしい。
 別にどうでも良かった。そもそも、デバイス暴走事件そのものがもうどうでもよかった。なら、それに関わる事もどうでもいい事になる。そう思えるからこそ、 クロノはこの科学者の側に居る。
 いや、本当はどうでもいいはずがない。
 おかしい。何かがおかしい。
 そこで再び頭痛。頭を振って考えを一度リセットする。
 頭痛は戦闘以外の事を考えると決まって襲って来た。シグナムとの戦闘以降、特にそれが顕著だ。
 レンの言う通り、疲れているか。潜伏ついでに身体を休めるのも、案外、悪い考えではない。
 クロノはカートリッジケースをポケットに押し込むと、転移魔法を使い、屋上から消えた。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。そろそろ予告にあったシーンが近付いてます。むしろ次回辺り。
 なのはが地味に目立たない…orz そして地味にディンゴ・レオンの存在がほのめかされている…。
 では次回も。

 2006/6/05 誤字脱字修正
 2006/7/05 改稿





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