魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.8 Rejection



−澪音の世界−







 フェイトは雨の中を歩いていた。
 道は細く、どこまでも続いている。背の高いビルは周囲には無く、路上は水浸しだ。
 傘も差さず、走ろうともせず、フェイトは雨に打たれながらその道を歩いている。時折身体が揺れ、その都度近くの街灯に手をつき、何度も肩で息を吐いた。
 寒い。着ているワンピースは生地が薄く、水を吸って氷のように冷たくなっている。湿度の高い梅雨の時期とは言っても体温を奪われてしまう。
 胸を抱き、二の腕を強く掴む。寒さで顎が震える。

「ばるでぃっしゅ……S2U、の……はんのう、けん、さく……」

 雨音が少女の声を押し潰す。
 魔法陣が足元に広がる。その魔法光は薄弱で、寿命を終えようとしている蛍光灯のようだ。
 しばらくして、魔法陣は消えた。フェイトは深呼吸をする。雨水が喉を潤した。汚水という程でもなかったが、不味かった。

「……いない、ね……」

 バルディッシュは何も返さない。

「みっどちるだには……いないの、か、な……?」

 掌にある寡黙な相棒が薄く輝く。

「……そう……だね。くろのなら……そう、する、かも……しれないね……」

 街灯から手を離す。夢遊病者のように歩き始める。
 体力も、魔力も、気力も、何も残されてはいない。身体を動かす活力と呼ぶべきモノは何一つ無い。今のフェイトを突き動かしているのは、一つの思いだけだ。

「はや、く……しらせ、ない、と……いけないよね……」

 左手が重い。雨でグショグショになった包帯は不快でしかなかった。
 立ち聞きするつもりはなかった。でも聞いてしまった。リンディとエイミィの苛立った会話を。それに対するユーノ、アルフ、なのはの言葉を。

「……くろの……どこ……」

 クロノが犯罪者になった。それも、管理局局員――武装隊特別捜査官補佐シグナムを攻撃するという重罪を犯した。逮捕されれば有無を言わさずに裁判に掛けられる だろう。結果は考えるまでもなく有罪だ。その有罪が如何なる刑になるかは分からない。予想はつくが、したくなかった。
 聡明な彼の事だ。自分が起こした行動がどんな結果に繋がるか分からないはずがない。それなのに、どうしてそんな事をしたのだろうか。
 分からない。
 シグナムが心配だった。なのはが親友なら、彼女は戦友だ。どれ程の怪我を負ったのかは分からない。出来ればすぐに病院へ行きたかった。
 でも行けなかった。クロノに対して殺傷設定の魔法の使用を許可するというリンディの言葉に、フェイトは脚を病院へ向ける事が出来なかった。
 クロノを探す。
 早急に。可及的速やかに。誰よりも早く。フェイトは、クロノを見つけなければならない。
 許されるのなら。そう想う事が赦されるのなら。
 ――自分はクロノの恋人だから。

「……くろ、の……」

 通行人が見れば、今のフェイトは亡霊にしか見えないだろう。
 バルディッシュが通信を受信する。良く知った魔力反応が握り締めた金の台座から伝わって来た。

『フェイトちゃんッ! 答えてッ、フェイトちゃん!』

 親友の声。デバイスを経由した強制受信型の通信だった。
 フェイトは何と答えればいいのか分からなかった。
 大丈夫。気にしないで。すぐに戻る。当たり障りの無い言葉が浮かんでは消えた。

『フェイトちゃんッ!』

 雨の中でも、親友の声は良く聞こえた。澄み切った悲鳴のような声だった。
 フェイトは答えようとする。青くなった唇が震えながら言葉を紡ごうとした。だが、ほんの僅か手前で唇は止まった。
 強制受信型通信は、全方位に通信魔法を送信する。オープンチャンネルの無線機と同じだ。返信すれば、逆探知をするように送信側の場所が特定される。
 ここで返事をすれば、親友――なのははすぐにでも飛んで来る。アルフ達も一緒に来るだろう。立っているだけでもやっとな自分を連れ戻しに。
 それではクロノを探せない。彼に事情を訊ねる事が出来なくなる。
 きっと何かがあるのだ。そうでもなければ、理由がなければ、クロノがこんな凶行に走るはずがない。
 なのはの呼びかけが耳に入って来る。フェイトは呟くようにバルディッシュに命令した。

「ばるでぃっしゅ……つうしん、しゃだん……」

 なのはの声が途切れた。
 雨の音が酷くなる。そう錯覚した。
 クロノはミッドチルダには居ない。管理局に追われる身となった彼に、この都市に居場所は無いはずだ。ならばどこに行くだろう。

「……うみなり……かな……?」

 他に何も思い浮かばなかったのが本当に悲しかった。あの街以外、フェイトはクロノが行きそうな場所を何一つ知らない。分からない。
 ミッドチルダには居られない。
 アースラには戻れない。
 本局には行けない。
 この三つが候補から消えた時点で、フェイトの頭の中には海鳴の街しか残されていなかった。他に彼が頼りにするような場所や人を何も知らない。
 でも、悲しいという感情はすぐに消えた。

「てんい、まほう……」

 悲しんでいる暇なんて無い。なのは達よりも早くクロノと会わなければならないのだ。
 陽炎のような金の光が、少女の姿を雨の中から消した。



 ☆



 分厚い硝子の向こうに、二人の家族が居た。
 Sクラスの暴走体を倒した時よりも遥かに酷い様相で、シグナムがベッドで眠っている。
 シグナムの横にはヴィータの姿がある。全身打撲、頭部裂傷、魔力減衰という容態の彼女は、シグナムに比べれば峠は越したと言っても良い。
 規則正しい電子音を発する心電図。物々しい酸素テントや人工呼吸器。点滴と輸血用血液のスタンド。無味乾燥の集中治療室の中は、さながら白い金属質の密林のよ うだった。
 隔てている硝子は確かに分厚い。だが、通る事は叶わない。はやては硝子に指を這わせながら二人の家族を見詰める。

「シグナム、ヴィータ。……二人とも、私の家族やろ……騎士やろ……心配ばっかりかけて……」

 硝子の向こう側、無菌室に入る事は、家族であるはやてにも許されていない。それだけ危険な状態だった。ヴィータは安定しつつある為、近い内に一般病棟に移される そうだが、シグナムはシャマルの治療魔法を持ってしても回復が難しかった。
 百を超える貫通裂傷。それ程の重傷を負いながらも生きていた方が疑問だ。

「主」

 背後の声に振り向けば、いつもの無表情でザフィーラが立っていた。

「面会時間が終わります。一旦外へ」
「……うん。そやね」

 これが面会と言えるのか。硝子越しに傷だらけの愛する家族を見せられ、心配させるだけさせて、それが本当に面会なのか。
 はやてはザフィーラに車椅子を押され、ICUを出た。
 九時を回れば診療を求める局員で慌しくなる病院内は、早朝という事もあって静かだった。看護士も医師の姿も、今はどこにもない。
 近くのベンチで、シャマルが居眠りをしていた。うつらうつらと舟を漕いでいる彼女の顔色は悪い。特例としてアースラに組み込まれて以来、出撃の度に大なり 小なり傷を負って帰って来るシグナム達の治療を続け、さらについ数分前まで長時間に渡り治療魔法を行使し続けていたのだ。疲れないはずがない。

「ザフィーラ。毛布持って来てあげて」
「承知しました」

 ザフィーラを送り出して、はやては車椅子をベンチの横につけた。魔力の補助を得て立ち上がり、彼女の横に座る。少しなら自力で歩く事も出来たが、やはりまだ 怖かった。
 シャマルに肩を貸す。どこか適当な仮眠室を借りるのが一番良かったのだが、シグナムの容態が急変するとも限らない。即効性の高い治療魔法を行使出来るシャマルの 存在はどうしても必要だった。

「ごめんね、シャマル。無理させて」

 はやての小さな肩に頭を乗せたシャマルは何も答えなかった。すでに眠りに落ちている。静かな寝息を立てるその寝顔に、はやては苦笑を浮かべた。だが、それは すぐに消える。
 家族を傷付け、こんな状況にしたのは、あのクロノだった。
 闇の書事件で自分と守護騎士達がずっと一緒に居られるように取り計らい、処分を保護観察に止め、管理局に従事する形で罪を償う場所を用意してくれた少年。彼が、 シグナムを蹂躙した。

「一体どなしたんや、クロノ君」

 家族を殺されかけた怒りと悲しみはある。だが、それよりも戸惑いの方が大きかった。
 クロノがアースラを出てから一週間。その間、彼に何が起こったのか。知る術はもちろん無い。シグナムとヴィータが病院に搬送されたという話を聞き、飛ぶように ここに来ていた為、なのはやユーノから詳しい話を聞く事が出来なかった。
 心が重くなる。何とも言えない倦怠感が身体を締め付けて来る。

「クロノ君」

 何かの間違いだと思う。そうあって欲しいと願う。だが、現状がそれを否定する。シグナムを半死人にした攻撃魔法は間違いなくクロノのモノであったし、ユーノが そう証言している。
 はやては天井を眺めた。シャマルの身体は少し重かったが、肩から伝わって来る彼女の体温が心を落ち着かせてくれた。
 どれくらいそうしていたか。ザフィーラが毛布を抱えて戻って来た。

「お待たせしました、主」
「ありがと」

 受け取った毛布をシャマルにかけてやる。
 ザフィーラは腕を組み、壁に背中を預けた。

「ザフィーラ」
「はい」
「もし、クロノ君がほんまにシグナムをこんなにしたんなら……ザフィーラ、どうするん?」

 問われた彼は、思案するように眼を瞑る。
 しばらくして、口を開けた。

「質問を質問で返すのは不本意ですが」
「……うん」
「主はどうなされるのですか」

 それは分からない。仮にクロノに会えたとしたら、何を訊いて、どうすればいいのか。

「ハラオウン執務官は我らが恩人の一人。可能であれば話し合いで解決をしたいと思います。ただし」

 ザフィーラの声に険が籠もる。揺るぎない決意を持ち、彼は続けた。

「仮に彼の刃が主、あなたに向けられた時、私は盾の守護獣として戦います。喩え彼を殺す事になろうと」

 自身の命を投げ出し、主に仇なす存在を駆逐する。それが守護騎士だ。彼の発言は守護騎士として当然だ。だから、はやては家族として言った。

「あかん。それは絶対にあかんで」

 ザフィーラはあくまでも守護騎士として答える。

「今回は助かりました。ですが、次も助かるとも限りません。シグナムをこのような状態に追い込んだ者は過去にもほとんど存在しません。今のハラオウン執務官―― クロノ・ハラオウンは危険です」
「それでもあかん」
「何故ですか。クロノ・ハラオウンに好意を持っているからですか」

 ザフィーラの言葉は辛辣だった。今、彼は静かに憤怒に胸を焦がしている。家族を傷付けられた事に。信頼を裏切られた事に。
 はやては僅かに躊躇った。ザフィーラがこんな物の言い方をしたのは初めてだったからだ。

「確かに、私はクロノ君が好きや」

 過去の闇の書事件で家族を失った提督が、その怨恨から、闇の書の力を引き継いだはやてを殺害しようとする事件が起こった。憎悪に駆られた提督から、クロノは 闇の書事件の遺族として、はやてを守り抜いた。満身創痍になりながら必死に守ってくれた彼の姿に、はやては強く心を惹かれた。

「でも、シグナムをこんな風にしたのを許す訳やない」
「………」
「クロノ君と皆を天秤にかけるような真似はせぇへん。どっちかしか助けられへんのなら、どっちとも助けられる方法を考える。それが私や」
「……失言でした。お許し下さい」

 壁から離れたザフィーラが、大きな身体を折ってはやてに頭を垂れた。

「ええよ。私がクロノ君が好きなのは事実やし」

 照れ隠しをするように、はやては力無く笑う。
 その時、静かだった廊下の空気を一変させる声が響いた。

「はやてちゃんッ!」

 騒がしい足音がする。驚いて見渡すと、なのはが走って来る所が見えた。

「なのはちゃん?」

 はやてとザフィーラが見守る中、なのはが脚を止めた。余程慌てて走っていたのか、彼女は膝に手をついて荒い呼吸を繰り返した。言葉がなかなか出て来ない。
 普通ではない親友の様子に、はやては嫌なものを感じた。

「どうしたんや、なのはちゃん」
「……イトちゃんが……」

 顔を上げ、苦しげに言葉を紡ぐなのは。巧く聞き取れなかったので、はやては耳を澄ます。

「フェイトちゃんが……! い……居なくなっちゃって……!」



 ☆



 眼を覚ます。襲って来たのは倦怠感と吐き気。正体不明の耳鳴りだった。

「ぐ……!」

 意識は曖昧模糊だ。寝起きだからなのかもしれないが、それとは違う。もっと根が深い。
 薄暗いリビングが眼の前に広がっている。見慣れたはずの内装。自分の自宅の部屋。それなのに、何故か余所余所しく感じた。
 海鳴のマンションに戻ってから半日が経っていた。
 ふらつく脚でソファから離れる。途端、足元にあった硬い何かに躓き、クロノは派手に倒れた。
 カートリッジケースだった。レンから予備弾薬を作っておけと言われて渡されたものだ。
 床には魔力が装填されていない空薬莢が散乱している。その光景は、瓶からこぼれ出た薬剤を連想させた。
 テーブルに眼をやれば、完成した六発のカートリッジが綺麗に列を成している。カーテンから差し込んで来る僅かな明かりに反射して、薬莢が鈍く輝いた。
 眠りに落ちる前の記憶を辿れば、六発目のカートリッジを製作した所で力尽きたのを思い出した。元々ここで眠るつもりはなかった。管理局の捜査官が自分の捜索に 訪れていた形跡があったし、居心地が悪かったからだ。
 そう、居心地が悪い。この空間は物言わぬ口となり、クロノを責め立てて来る。

「……くそ……」

 こんな部屋で眠ってしまった事に悪態をつきながら、クロノはキッチンへ向かおうとする。その時、フリルのついたピンク色の可愛らしいエプロンが眼に止まった。
 何の事はない、ただのエプロンである。それなのに、クロノはしばらくの間、ずっとそのエプロンを見ていた。
 誰がつけていたのだろうか。思い出すのに五秒かかった。

「フェイトか」

 強くなる為になのはやシグナムを殺そうと決めた時、彼女の事も考えた。その時からだった。原因が分からない体調不良に襲われたのは。

「……どうしてだ」

 苦痛に顔を歪める。
 フェイトの事を思い、考えれば、その度に頭痛が酷くなった。
 痛みから逃れる術はただ耐える事。彼女の事を忘れて、考えないようにする事だった。
 そうだ、考えないようにすればいい。考えないように――。

「忘れればいいんだ」

 薬物中毒者のように呟いたクロノは、忘れるべき思い出を探る。
 頭痛が爆発したように酷くなった。脳を掻き回されているような感じだ。耐え切れず、クロノは壁に額をぶつける。何度もぶつける。痛みを痛みで和らげるとい う歪んだ行為に没頭する。
 雨の音に満たされているリビングに、重い音が響く。
 肌が割れ、潰れ、血が流れた。それでもぶつけるのを止めない。中から来る痛みは未だ和らいでいないのだ。こうでもしていなければ、本当に狂ってしまいそうだった。
 壁が歪み、血痕が現れた頃。クロノは額をぶつけるのを止めた。

「………」

 頭痛は止みつつある。代わりに生まれたのは恐怖と焦燥だ。
 クロノは震える手で懐からS2Uを抜いた。赤いタロットカードになったS2Uは確かに存在している。視界に入る前髪は色素を完全に失い、 雪のように白くなっている。
 あらゆるモノを犠牲にして手に入れた力の証拠だった。そう、フェイトの心を犠牲にして――。
 クロノはリビングを見渡した。相変わらず他人の家にしか見えない。その風景が、聞こえない罵声をクロノに浴びせて来る。

 ――お前の大切なモノは力なんかじゃない。ここに居た人だ。

 言い知れぬ恐怖に駆られたクロノはキッチンに振り返る。
 そこには誰も居なかった。薄暗いキッチンには人影一つない。
 それなのに、クロノは確かに目撃した。壁にかかっているエプロンをつけた金色の髪の少女が、はにかみながら食事を作っている光景を。

「ああああああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁあああああああああ!」

 慟哭が響く。予備のカートリッジを無視して、椅子を蹴り倒し、何もかもかなぐり捨てて、クロノはリビングを飛び出した。廊下に飛び出して靴に踵を叩き込む。 紐を結ぶのは出来なかった。
 背後から何かが来ている。形容不能の恐ろしい何かが。
 扉を乱暴に開け、共通廊下を走る。エレベータを待っていられず、非常階段を下る。雨のせいで階段は濡れており、途中で派手に転倒した。全身をぶつけながら 転がり落ちる。
 痣だらけになって一階に到着したクロノは、下って来た階段を仰いだ。
 誰も居ない静かな非常階段。恐ろしくも何でも無い風景。
 四つん這いになり、走り出す。何とか二本の脚で立ち上がり、エントランスホールを突っ切り、外に出た。
 小雨が降る外には誰も居なかった。この空模様にして今日は平日だ。用も無いのに外に出る酔狂な住民は居ないのだろう、人の気配もしない。
 だが、クロノは再び見る。金髪の少女の幻を。彼女は満面の笑みでこう言った。

”ただいま、クロノ”

 理性が破裂した。



 ☆



 ミッドチルダの天候に呼応するように、海鳴も雨だった。
 探せる範囲を探し終えたフェイトは海鳴臨海公園に来ていた。
 ほぼ半日歩き詰めの脚は、もう感覚が無い。長時間雨に打たれたせいで、体温は下がりに下がっている。倒れないのが不思議なくらいだった。

「ここで……たおれたら……しんじゃう、よね……」
『sir.』

 咎めるように、バルディッシュ。フェイトは苦笑しようと思ったが、冷え切った体温で顔の筋肉が満足に動かなかった。

「じょうだんだよ……」

 クロノが行きそうな場所はすべて探した。だが、海鳴でも彼が行きそうな場所は多くはない。脚を引き摺るように歩いても充分に探し切る事が出来た。
 しかし、どこにも捜し求める少年の姿は無かった。
 海鳴臨海公園は、彼が行きそうな最後の場所だった。マンションという候補もあったが、管理局から追われる立場になったクロノが行くとはあまり思えなかった。
 公園は静かだった。当たり前だ。雨の日に公園で遊んでいるような人間が居るはずがない。
 裏側から入り、生い茂っている小さな森の中を進み、中央に当たる整理された広場に出る。やはり誰も居ない。
 重い瞼を擦って、フェイトは広場に視線を巡らせる。見通しは悪いが問題は無かった。

「……いない……」

 縋っていたモノが離れていく感覚。

「……ばるでぃっしゅ。S2Uのはんのう、けんさく……」
『Yes sir.』

 求めていたモノが遠ざかって行く感覚。

『No reaction.』
「……そう……」

 足元から崩れて行く感覚。

「……くろの……」

 求める彼はどこにも居ない。知っていたようで、まるで知らなかった彼の行動範囲を可能な限り探した。でも居なかった。
 フェイトは歩き出す。広場から離れ、海が見える場所へ出る。
 空を支配している灰色の雲が一望出来た。濃く、分厚く、晴れる気配をまるで見せない雨雲だ。
 空虚になっていたフェイトの心に思い出が浮かぶ。
 ここはジュエルシードを巡って、なのはと何度もぶつかった思い出の地だ。彼女から”友達になりたい”と告白された場所であり、その名前を呼んだ場所である。
 そして、クロノと初めて出会った場所。
 灰色の空を見上げる。あの時は日が沈みかけていた。茜色の空は今でも良く覚えている。二年も前の事でもないのに、随分昔なような錯覚を覚えた。
 バルディッシュとレイジングハートが衝突しようとした時、彼は空間転移をして現れた。
 左手を擦る。自傷の傷痕を隠す包帯はもうただの雑巾になっている。
 あの時、フェイトはアルフに言われるままに撤退しようとした。体力と魔力の消耗が激しかった上に、状況がどう見ても悪かった。だが、封印した ジュエルシードは回収しなければならない。その行く手を、彼は殺傷設定の魔法攻撃で阻んだ。手加減はされていたが、それでも痛みは酷かった。

「……あのときのくろの、ちょっと、こわかったな……」

 もしあの時に戻れるのなら、最初からすべてやり直したい。クロノとの関係すべてをリセットしたい。そうした上で、もう一度最初から関係を築きたいと思う。 そしたら、彼を傷付けずに幸せになれる自信がある。
 かつて母と慕っていた女性の気持ちが、今は痛い程分かった。仮にクロノを失えば、きっと自分も同じような行動に出てしまうだろう。夢の中でアリシアが言って いたが、優しいだけであのヒトは壊れたのではない。アリシアを本当に愛していたから。それが失われた悲しみに耐えられなかったのだ。
 フェイトは手摺に手をつくと、それに沿って歩き出した。



 ☆



 無我夢中で走って来たせいで、臨海公園に入った事に気付かなかった。
 肺が酸素を求めて暴れる。しばらく無視し続けていたがもう限界が来た。整地された広場を抜け、海が見える道に出た所で、クロノは倒れるように脚を止めた。

「―――」

 恐怖は追って来ない。
 雨水に構わず、クロノは深呼吸を繰り返した。肺を酸素で満たし、心を偽りの空虚で満たし、感情を白くする。
 メンタルトレーニングの経験が、焦燥と恐怖を消して行く。だが、完全には消えない。消えるはずもない。
 あの子は僕を恨んでいるのか。裏切り、傷付けた僕を恨んでいるのか。
 背中が異常に冷たくなって行く。恐怖が戦慄となり、背筋を突き抜けた。顎が震え始め、ガチガチというみっともない音を立てる。

「フェイト」

 許して欲しいとは思わなかった。今更それは虫が良すぎる。
 ならどうすればこの焦燥と恐怖から逃れる事が出来るのだろう。
 その方法は思っていたより簡単に出て来た。簡単過ぎて笑ってしまった。

「なんだ。あの子を殺せばいいんじゃないか」

 脳裏と記憶にこびり付いているフェイトという少女の記憶をすべて消す。その末に彼女を殺害する。そうすれば、この身を焼くような焦燥と恐怖から逃れられる ような気がした。
 実に簡単な事だった。爽快感が身体を駆け抜けて行く。
 赤いタロットカードを握り締める。
 今よりももっと強くなる為にも、あの少女と本気で殺し合うのもいいだろう。技術的に未熟だが、シグナムも認めるモノをあの子は秘めている。自分もそれは知って いた。
 マンションに帰ってカートリッジ製作を続けよう。今日一日使って作り込み、一晩休んだ後、レンの下へ戻ろう。そしてアースラを強襲してフェイトを殺す。

「多少ハンディキャップもつけるべきか。その方が面白いな。いや、やっぱりなのはと組ませるべきだ」

 その方がより緊張感に満ちた殺し合いが出来るだろう。そうだ、そうしよう。





















 白髪の少年が息を整えている。
 人の事を言えたものではなかったが、雨なのに傘も差さず、必死に呼吸を繰り返している。
 少しすると、その少年は顔を上げた。落ち着いたような顔で、何やら呟いている。

「……え……」

 雨の中だったので、良く見えなかった。だから最初は戸惑った。眼を瞬かせ、少年を凝視する。
 髪が白い所以外、少年は彼だった。その顔付きと黒い瞳を見間違えるはずがない。

「――くろの――」

 フェイトは呟くように彼を呼んだ。





















 呼ばれたので、クロノは視線を巡らせた。
 六、七メートル先に少女が立っていた。雨の中で傘も差さず、着ているワンピースは水を吸いに吸って、下着が半ば透けて見えた。一つに結わえられた金の髪は所々 が解れ、頬に張り付いている。
 マンションで見た幻の少女が、今眼の前に居る。だが、恐怖も焦燥も浮かばない。心は驚く程に真っ白になっている。

「――フェイト――」

 クロノは呟くように彼女の名を呼んだ。





















 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。もう一つの修羅場というか、SCラストの修羅場が近付いております(汗)。半ばクロノがヘタレてますが、まぁ 気になさらず(滝汗)。
 何気なくサブタイトルをつけてみました。Sound Horizonの”澪音の世界”です。なのはのMADムービーで初めて見たフェイトオンリーのMADでして、何かと 印象深かったもので。
 次回、SCクロノvsなのは。R−S2UvsRHエクセリオン。捨て去った少年vs迷う少女。





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