魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.8 Rejection









 声が出なくなった。

「ゃ……て……!」

 やめてという言葉すら出てこない。焼けるような痛みが喉の機能を奪っている。唾を飲み込めば激痛が走り、血の味がした。
 懇願の絶叫で枯れ果てた声で、フェイトは尚も叫ぶ。遥か彼方の海上で行われている殺し合いを止める為に。

「やめ……てぇ……!」

 初めて出来た友達と、
 初めて出来た好きな人が、

「……め、てぇッ!」

 ――殺し合いをしている。
 命の奪い合いの為に放たれる破壊魔法は、一撃で数十人もの人間を殺戮して有り余る。
 フェイトは手摺に捕まり、必死に叫んだ。
 無駄だと分かっていても、止める事は出来なかった。飛行魔法すら行使出来ない程に衰弱しているフェイトには、叫ぶ以外に出来る事は何も無かった。
 海面は静かだった。先程までは嵐のように荒れ狂い、塩水をフェイトに浴びせかけていた海は、今は穏やかな波の音を鳴らしている。
 戦闘は終わった。街一つを灰燼に帰す大規模砲撃魔法の衝突と、その終息によって幕が引かれた。
 戦場となった場所――なのはが居る海上は、砲撃魔法の衝突の余波によって雨雲が吹き飛ばされ、ポッカリと巨大な穴を作ってしまっている。そこから溢れる陽の光が、生存者である満身創痍の少女を照らしていた。
 なのはが勝った。殺傷設定にしたエクセリオンバスターで、クロノを彼の砲撃魔法ごと吹き飛ばした。
 海上に動く影は無い。なのは一人が、足場となった魔法陣の上で蹲っている。傷が痛むのか、彼女も動こうとしなかった。距離が有り過ぎてどうなっているのか 分からない。
 頭が真っ白になった。心を焦がしていた抑え切れない激動の感情が跡形も無く消えている。ただ、クロノが死んだという厳然たる事実だけがあった。

「………」

 手摺を掴んでいる指から力が抜けて行く。脚が痙攣をするように震えた。
 それこそ血眼になって、フェイトはクロノを探した。どこかに居るはずなのだ。彼がそう簡単に死ぬはずがないし、なのはも本気で彼を殺そうとするはずがない。
 藁にも縋る思いで信じた希望的観測は、時間の経過と共に確実な絶望に変わって行った。

「くろのぉ……!」

 身体のどこかでヒビが入る音がした。何かが瓦解しようとしている。
 海上に変化が出たのは、まさにその時だった。
 なのはの前に、黒い影が屹立した。
 クロノだった。フェイトは手摺から身を乗り出して、今にも海に落下してしまいそうになりながら、その姿を眼に焼き付ける。
 涙が溢れた。気を失ってしまいかねない安堵感が胸に広がって行く。
 その嬉々とした感情を、クロノは叩き壊した。

「やめ……!」

 クロノが無造作になのはの胸倉を掴む。
 情けの無い動作。ややあって、クロノはなのはを臨海公園――フェイトに向けて投じた。
 バリアジャケットを半壊させたなのはは動かなかった。したたかに海面を滑る。レイジングハートを抱き締めて身を縮め込ませる少女を、クロノは さらに攻め立てる。”狂器”となったS2Uを待機状態に戻して、嬲るように拳を叩き込む。レイジングハートは穴だらけの魔法防壁を展開するが、彼の拳の前では 無いも同然だった。
 打撃される度になのはの小さな身体は大きく折れた。よろめき、海面を転がって水飛沫を上げる。
 上へ下へ、右へ左へ、無抵抗のままに殴られ続ける。

「なの……はぁ……ッ!」

 それは殺し合いでも何でもない。ただの虐殺だった。

「やめてぇ……!」

 海上に桜色の光が散る。それが徐々に近付いて来る。防壁が砕ける音が耳朶を打つ。しかし、悲鳴は聞こえない。
 一方的な殺戮は、海の上からフェイトの頭上へと場所を移す。
 魔力防壁が破壊される度に、解けた栗色の髪が散らばるように広がる。
 レイジングハートは紫電と黒煙を吐き出している。足りない魔力を魔力回路を酷使して捻り出し、なされるがままになっているマスターを健気に守っていた。
 クロノは戦う力を失った一人と一機を攻撃し続けていた。執拗なまでに殴っていた。
 なのはの顔は見えなかった。だが、クロノの顔は見えた。見えてしまった。
 彼は笑っていた。心の底から笑っていた。拳でなのはの防壁を破壊する度に喜びに震え、少女の身体を弾き飛ばす度に口許に深い歪みを作った。
 覚める事の無い悪夢。それ以外、眼の前の光景を現す言葉は無かった。
 フェイトは叫ぶ。壊れた喉は、やめてという言葉をただの雑音にして吐き出した。
 振りかぶるようにして、クロノが拳を放つ。渾身の力と魔力が込められた情け容赦の無い一撃。その破壊力を察したなのはは、レイジングハートを盾のように突き出 して、極めて粗末な防壁を展開する。
 クロノの拳は、そのみすぼらしい防壁を無視した。無いもののように破壊した。そしてレイジングハートの長柄を捉える。
 レイジングハートが破壊される。一瞬だった。
 リインフォースの猛撃にも耐え抜いた高分子素材が砕け散り、内部構造が人体の内臓のようにぶちまけられる。先端部位の金属フレームにヒビが駆け巡って、まるで 圧壊した木材のように破裂した。

「レイジングハート……!?」
「次は君だ」

 クロノがなのはの顔面を掴む。抗う力を失ったなのはは成されるがままとなり、荒々しく地面へ叩き付けられた。少女の身体は弓なりに折れ、大きく飛び跳ね た後、雨に濡れた石畳の上を転がった。

「なのはぁッ!」

 駆け寄ろうとしたが、フェイトの身体はほとんど動かなかった。撃たれた脚に力が入らず、身体中が軋みのような悲鳴を上げる。
 倒れるフェイト。口の中に泥まみれの水が入って来る。吐き出す事もせず、身体を引き摺ってなのはに近付く。
 近くで見たなのはは、全身傷だらけだった。勇壮だった白い防護服に原型は無く、千切れかけた赤いリボンが荒い呼吸と共に小さく上下している。
その掌からこぼれ落ちたレイジングハートには大きな亀裂があった。ちかちかと点滅を繰り返す様相は、まるで寿命が近い電球だ。

「君の防御はこんなものだったのか……」

 ゆっくりと着地したクロノが、徒手空拳で歩いて来る。硬く握り締めた拳からは、赤い液体が滲んでいる。

「大した事もないな」

 悪魔、鬼、狂人。歩み寄って来る白髪の少年に似合う言葉はいくらでも存在した。
 自身の拳圧に耐え切れず、裂傷だらけになった右手で、クロノはデバイスモードのS2Uを握る。
 何をするつもりなんだ。もう勝負はついた。これ以上は本当になのはが死んでしまう。殺し合いをしようと言っていたが、戦う意思も力も無くした少女にまだ手を 上げるというのか。
 フェイトは唇を噛み締めた。痛みに震える腕と肩に力を込め、何度も転びながら立ち上がる。両手を広げ、クロノの前に立ち塞がる。
 クロノの歩みが止まった。

「……戦う気になったのか、フェイト」

 灰色のワンピースを布のように身に纏ったフェイトに訊く。

「………」

 フェイトは伏せていた顔を上げた。水を吸って顔に張り付いている前髪の隙間からクロノを見詰める。
 なのはを傷付け、彼女の相棒を破壊し、一方的に蹂躙した少年。
 それでもフェイトはクロノが好きなままだった。
 ひたむきに殺し合いを要求して来る彼が大好きなままだった。
 自分を撃って来た彼を愛したままだった。
 彼と殺し合うくらいなら、何もせずに殺された方が良い。大切な、大好きな、かけがえの無い恋人と憎み合うくらいなら――。
 雨音と自分の荒い呼吸の音だけが聞こえる。
 クロノが言った。

「邪魔だよ、フェイト」

 答える気力も体力も無い。
 クロノがS2Uを向けて来る。息を呑むゆとりすら、彼はフェイトに与えなかった。
 白い弾丸が二の腕を掠める。

「退け、フェイト」

 頬が裂かれる。

「退けと言ってるんだ、フェイト」

 腿が貫かれる。鮮血が吹き出る。

「フェイト」

 少女の身体がよろめく。だが倒れない。穴の空いた脚で立ち、亀裂だらけの手を広げ、そこに立っている。もう十歳の少女の姿ではなかった。
 発する声も酷いものだった。がさがさで何を言っているか分からない。

「くろの」

 健気な少女の呼びかけに応えるのは、白い弾丸。
 風を貫く音がした。

「―――」

 左手に巻かれていた包帯が焼き切られ、地面に落ちた。
 弾丸が止む。

「……何だ、その傷は」

 包帯の下にあったのは、少女の手首にはあまりに大きく、醜い傷痕。

「なんでも……ない、よ」
「そうか」

 その傷痕を、弾丸が貫いた。

「うあぁ……!」

 悲鳴を上げ、背中を丸めようとする。それでもフェイトは手を広げたままだった。
 弾丸が再び止む。S2Uを地面に向け、クロノが呆れたように口を開けた。

「なのはを守りたいのなら、どうして僕と戦わない?」
「たた……かえない、よ……。そ、ん、なこと……できる、わけない……よぉ……!」
「どうしてだ」
「だい、すきなひと……と……たた、か、えるわ、け……ないよ……ッ!」
「………」

 クロノはS2Uをフェイトに再度構える。その表情には明らかに不快の色があった。苛立ちを隠そうともせず、彼は言った。

「僕は嫌いだ」

 その言葉に、フェイトはまだ安心した。まだ彼は自分を憎んではいない。自分を否定しようとはしてくれていない。嫌いになるくらいならまだ良いのだ。存在を 疎まれて罵倒されてしまうよりも、ずっとずっとマシだ。マシだと思いたかった。そう思わないと、心のどこかに入った亀裂が大きくなって、もう元の形を保てそうに なかった。

「どうして……!」

 そう言ったのは、フェイトでもクロノでもなかった。
 フェイトが振り返る。
 無残なバリアジャケットのまま、なのはが身を起こしていた。火傷を負った左手を地面につき、悲痛な面持ちでクロノを睨み付ける。彼女はその姿からは想像も出来ない 怒鳴り声を張り上げた。

「どうしてそんな事が言えるのォッ!?」
「……そんな事?」

 身に覚えの無い罪を罵倒されたかのように、クロノが疑問符を打つ。

「クロノ君はフェイトちゃんが好きだったんでしょッ!? なのに何でそんな酷い事が言えるのッ!? ねぇなんでッ!? どうしてェッ!? どうして嫌いなんて 言えるのォッ!? なんで……なんで死ねなんて言うのォッ!?」

 慟哭のようななのはの言葉。決壊したダムが貯水している数億トンの水を吐き出すように、なのはは声を絞り出す。

「恋人なんでしょうッ! フェイトちゃんはクロノ君が好きで、クロノ君はフェイトちゃんが好きでェッ! 二人とも大好きだったんでしょォッ! 違うのッ!?」

 それが、この事実は、今のフェイトを根底から支えている。崩れてしまいそうな少女の心を仮初めだが固めている。
 クロノに感情の変化は見られなかった。そして、何の迷いも無く、彼はこう答えた。

「ああ、違う」

 それが崩れてしまった時、一体どうすればいいのだろうか。
 視界が暗転した。今度は錯覚でも何でも無い。本当に眼の前が真っ黒になった。
 心に致命的な亀裂が生まれる。
 あの時。今と同じような雨の日。はやての家で、クロノとフェイトは想いを通じ合った。
 クロノに拒否されてしまうのが怖くて想いを伝えられなかったフェイト。
 フェイトを妹としてしか見ず、その想いにずっと気付く事のなかったクロノ。
 遊園地で不器用なデートを楽しんでいた二人。
 クロノがフェイトに買った紅い靴。
 フェイトがクロノの為に作ったお弁当。
 芝生の上で穏やかな食事をした二人。
 眠気を覚えたクロノに、フェイトは膝を貸した。
 二人は今まで近かったようで遠かった距離を埋めるように、同じ時間を共有した。
 誰が見ても、二人は恋人だった。好き合っている者同士だった。
 フェイトが好きな人はクロノで。
 クロノが好きな人はフェイトで。
 二人は想いと心で結ばれた。そのはずだった。

「何を勘違いしているんだ、なのは」

 クロノの言葉が鋭利な刃となってフェイトを貫く。

「僕が好きなのはフェイトじゃない。フェイトはただの妹だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 ――嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。

「うそだ」

 一度は夢だと思った光景。クロノと恋人になった数日の思い出。フェイトが縋り付いていた楽しい記憶。
 離れないように手を握ってくれた。
 紅い靴を履かせてくれた。
 優しく笑ってくれた。
 不器用な優しさはすべて自分だけに向けられ、自分だけの物になった。
 そう思っていた。
 でも違った。
 勘違いだった。ただの思いあがりだった。
 それを悟った時、フェイトの心は折れた。

「僕が好きな子は」

 なのはは眼を見開き、言葉を失っている。そんな彼女に、クロノは声を柔らかくして言った。

「君だ、なのは」

 ――ウソダ。

 折れた心は、砂城のように瓦解した。



 ☆



 びしゃりと音を立てて、フェイトが座り込む。どれだけ撃たれようと決して膝をつかなかった少女が、たった一言の言葉によって擱座した。
 なのははフェイトに近付く事が出来ない。身体の痛みもあった。でもそれ以上に麻痺した思考が動く事を許してくれなかった。クロノに対する怒りの炎は、冷水を 浴びせられたかのように消え去った。

「……何で……」

 そう返すのがやっとだった。

「誰かを好きになるのに理由が要るのか?」
「………」
「君はどんなに辛くても、どんなに悲しくても前進を止めない頑固者だ。それを側で支えたいって思った時、君が好きだって気付いた……」

 言葉を失ったなのはは、無意識にフェイトの背中を見た。
 フェイトは顔を上に上げ、クロノを見上げている。傷だらけの肩が震えているのが分かった。

「フェイトちゃん……」

 胸が引き裂かれそうだった。あの時、あの遊園地で心から楽しそうにしていたフェイト。それらはすべて勘違いだった。都合良く自分達が”二人は両想いだったのだ” と解釈してしまっただけなのだ。

「なのは、君はどうだ?」

 その問いに、なのはの消えたはずの怒りが狂ったように再熱を始める。噛み締めた歯がぎりっと音を立てた。

「勝手……過ぎるよ……!」

 勝手過ぎる。酷過ぎる。

「クロノ君なんて……!」

 エゴイストとか何だとか、もうどうだって良かった。
 拒否? 拒絶? 傷付けた?
 憤怒に支配されながら、なのはは思った。
 自分の事が好き? どうして今そんな事を言うの? どうしてフェイトちゃんの前で、フェイトちゃんの気持ちを否定して、フェイトちゃんを傷付けて言うの?
 酷い。
 酷い!
 酷い――!

「クロノ君なんて……大嫌い……!」

 石畳の地面に叩き付けた小さな拳が、空しく水溜りを殴った。
 吐き捨てるような拒絶に言葉。だが、クロノは眉一つ動かさず、なのはの答えを受け入れた。

「そうか。まぁそうだろう。僕は君達を裏切ったんだ。そう言われても仕方が無い」

 フェイトの眼の鼻の先にS2Uの切っ先を突きつける。抑揚の無いその声とは裏腹に、苛立ちをぶつけるように。

「フェイト。君と話すのはもううんざりだ。眼の前に立たれるのも我慢出来ない」

 魔力が集束する気配。

「だめェ! フェイトちゃん逃げてェッ!」

 レイジングハートは大破した。独力で防御魔法を展開出来る程、魔力も残されてはいない。我を忘れて放射したエクセリオンバスターに体内の魔力をほとんど持って 行かれてしまった。
 フェイトは微動だにしたなかった。輝きを放つS2Uと、それを持つクロノを見詰めて離さない。

「くろの」
「死んでくれ、フェイト」
「やめてえッ!」

 身体は動かない。どうして動かない。どれだけ願っても腰が持ち上がらない。術式を構築しても魔力は尽きている。これまでなのはを救って来た魔法は沈黙を守って いる。
 一秒が一時間に思える時の流れの中、なのはは自分を呪った。時空管理局武装隊士官という肩書きは何の力にもならなかった。好きな人に殺される親友を見ているし かないのか。絶望の中で親友が死んで行くのを見守る事しか出来ないのか。
 誰でもいい。誰か助けて。フェイトちゃんを助けて。誰でもいいから――!

「チェーンバインドォッ!」

 どこからか伸びて来た四本の光の鎖が、S2Uに絡まった。その先端に集束されていた魔力が、封鎖されたように大気中に霧散して行く。
 クリーム色の髪の少年が、肩で息をしながら拘束魔法を行使していた。四本の光の鎖は、翳された彼の掌から放出されている。
 少年は、ユーノ・スクライアだった。
 クロノが不愉快そうに眉間に皺を寄せようとした瞬間、ユーノが吼えた。

「アルフッ!」

 チェーンバインドが爆発的な力で振り解かれるのと、茂みから人影が飛び出して来たのはほぼ同時だった。
 人並み外れた跳躍で空を駆けた影は、拳を突き出し、落下するようにクロノに襲いかかる。

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォッ!」

 影――アルフの拳がクロノの防壁によって停止する。視界を焼く閃光が生まれ、魔力と魔力の摩擦が起こす雑音がアルフの絶叫を掻き消した。

「ちくしょおッ! ちくしょおッ! ちくしょうちくしょうちくしょうォォォォォオオオオオッ!」

 構築されているのはアルフの得意技たるバリアブレイクだ。防御魔法の術式に介入して、そのプログラムを破壊。防壁を無効化する魔法だ。実質突破出来ない防御 魔法は無い。だが、それを持ってもクロノの防壁を破るには時間が必要だった。

「うぅぅぅううぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁあああああああッ!」

 その必要な時間を、アルフは涙を流しながら強引に短縮した。クロノの防壁に二つの拳を突き立て、バリアブレイクを二重で行使する。強引な術式構築と防壁の 魔力反発がアルフの補助手甲を破壊して行く。
 クロノに僅かに驚きが走る。その瞬間を見逃さず、ユーノが地を蹴った。水溜りを蹴散らしてなのはとフェイトに駆け寄り、魔力で強化した腕力で二人を抱きかかえて 離脱。
 時を見計らったかのように、アルフの拳が防壁を砕いた。補助装甲が音を立てて砕け散る。
 焼けただれたアルフの手が、クロノの襟を掴む。その顔面へ、真っ直ぐに拳を叩き込んだ。
 殴り飛ばされたクロノの身体は、手摺を破壊して海面に投げ出された。背中から海面に落下し、凄まじい水の轟音を鳴らす。
 騒がしくなった海面に、アルフは絶叫した。

「私はあんたを許さないッ! 絶対に殺してやるッ!」

 アルフの背後にユーノが着地する。二人の少女を支えるように膝をつく。なのはは崩れ落ちるフェイトを支え、アルフの背中を見た。
 強い憤りで震える肩。だが、それだけではないような気がした。
 クロノを飲み込んだ海面が徐々に静かになって行く。塩水の雨が止まり、湖面は小波となった。

「来いよォッ! 一発で死ぬようなタマじゃないだろォッ!」

 悲痛な挑発が静かな公園に響く。それに応えるように海面が盛り上がった。その頂点が食い破られ、黒い影が躍り出て来る。
 頬に大きな痣を作ったクロノが、海水を滴らせながらアルフを見下ろす。S2Uを片手にぶら下げて、無防備に浮遊している。

「使い魔風情が……!」
「殺してやるゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」

 茜色の髪がふわりと広がった。魔力余波ではない。怒髪だった。尻尾が地面を殴るようにいななく。
 アルフが跳躍する。彼女の脚力と魔力が衝撃波となって抉られた石畳の残骸を震わせた。同時にクロノが動く。アルフの跳躍は衝撃波を生み出したが、彼のそれは何も 生まなかった。歩くように静かだった。
 アルフの向かう先からクロノが消える。転移魔法を行使したかのように消失した。

「アルフッ、後ろッ!」

 ユーノの叫び声。クロノの出現。アルフの背後に現れた敵への防御。それら三つがすべて同時に起こった。
 S2Uの一閃がアルフの鳩尾に食い込む。展開された防御魔法はなのはの時と同様に意味が無かった。身体をくの字にする彼女の背中を、軌跡を返したS2Uの末端 が殴り付け、地面へ叩き落す。
 吐血しながら四肢で着地したアルフは、獣そのものの機動を行い、荒々しく攻撃魔法の術式を構築する。疾駆する身体の前方に、扇状の光球が発生した。
 フォトンランサー・マルチショット。制御解放。
 凄まじい連射速度で射出された光の槍は、しかし、クロノの防壁を突破するには程遠かった。彼に突き刺さる前に爆発、霧散して行く。それでもアルフはフォトンラ ンサーの詠唱を止めない。咆哮を上げ、地面を抉り、敵へ飛びかかる。
 上段蹴りが炸裂する。防壁に阻まれる。脚の装甲が弾けた。
 回し蹴りへ繋げる。防壁に弾かれる。最後の装甲が砕け散った。

「アルフさん……! だめ……!」

 駄目だ。勝てない。勝てるはずがない。アルフと言えど、今のクロノに勝てる道理は無い。
 防壁に組み付いたアルフは、零距離でフォトンランサーを連射し始めた。さらにバリアブレイクを再び二重で発動。両腕の火傷が酷さを増して黒く変色し始めた。
 クロノはただ佇んでいるだけだった。虫でも見るような視線で襲いかかって来るアルフを眺めている。

「主同様に目障りだ」

 展開している自身の防壁に向け、クロノがS2Uを翳した。
 アルフはそれには気付かない。いや、気付いていたとしても攻撃を止めるつもりは無かった。

「アルフさんッ!」
「アルフッ、引くんだッ!」

 悲鳴のような警告は徒労に終わった。
 爆発。
 激しい黒煙がアルフとクロノを中心に発生した。殺傷設定の攻撃魔法が起こすものだった。回避出来るような状況ではなかった。極至近距離でアルフはクロノの攻撃 魔法を浴びたのだ。
 飛び出そうとするなのはを、ユーノが後ろから抱き締めるように止める。
 フェイトは呟き一つ漏らさず、黒煙の動向を見守っていた。
 黒煙が晴れて行く。
 アルフが落下して来た。受身を取る事も無く地面に倒れる。
 肉が焦げる匂いがした。

「アル――!?」

 言葉が止まる。

「バリアブレイクは面白い技だが、発動が遅い」

 全身に火傷を負ったアルフの側に、黒煙の尾を曳いてクロノが降り立った。
 頬の痣以外に傷は見当たらなかった。他には黒と赤のバリアジャケットの所々に小さな汚れがついている程度だった。
 ほぼ無傷。

「所詮は使い魔だな」

 クロノの無表情は、アルフからなのは達へ移った。
 氷のような黒い瞳。ほの暗い感情のうねりが垣間見える瞳。
 ユーノの腕の中でなのはは震えた。
 S2Uがカートリッジをロードする。鈍い撃発音。微風と雨が硝煙を消し去る。

「次は誰だ?」

 沈黙。
 なのはには震える事しか出来なかった。この狂った友達を止める術はもはや無い。止められる人も居ない。
 身じろぎ一つしないアルフを跨ぎ、クロノがゆっくりとした足取りで近付いて来る。
 その時、耳元で囁くような声がした。

「なのは」

 ユーノだった。

「僕が時間を稼ぐから、フェイトと逃げて」
「ユー――!?」

 振り返ろうとすると、彼が顔を抱き締めて来た。これでは振り向きたくても振り向けない。

「アルフは何とか助ける。だから、逃げて」

 声を出そうとした。でも、今度は口を封じられてしまう。

「僕は攻撃はほとんど出来ないけど、他は得意だよ。忘れた?」

 僅かに首を横に振る。
 だが、いくら防御や補助魔法が得意な彼でも、今のクロノを相手にすれば五分と持たない。防御に徹したとしても三分でアルフやシグナムと同じ末路を辿る。
 クロノに蹂躙されるユーノを、なのはは見たくない。絶対に見たくない。

「僕を信じて、なのは」

 どれだけ優しく、安心出来るように言われた所で、頷けるはずがなかった。
 だが、ユーノは行動を起こす準備を進めて行く。

「僕が合図したら動いて。いい?」

 駄目。やめて。
 ユーノの瞳を苦労して覗き込む。
 彼は苦笑していた。

「行くよ、なのは――ッ!」

 ユーノの身体に力と魔力が籠もる。彼の脳内に創られた仮想魔力回路が魔力供給と使用魔法選択を行い、術式を構築した。
 だが、それは解放される事は無かった。

「―――」

 何の前触れも無く、クロノが身体を左右に揺らした。こぼれたS2Uが乾いた音を立てて地面を転がる。
 額を掌で覆い、クロノは膝をついた。

「――え――」

 彼が倒れた。
 一体どうしたというのか。アルフの攻撃が通っていたのかと思ったが、彼に外見上での傷は無い。それに、その苦しみようは内から来る苦痛に耐えているようなもの だった。
 呻き声は無い。クロノは打ち震えながら何かに耐えている。
 場違いと思えてしまう程の長い静寂が辺りを満たした。雨の音だけが耳朶を打つ。

「クロノ君……?」

 なのはが呟く。その瞬間、

「があああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 泡のような唾液を吐きながらクロノが絶叫した。
 フェイトが短い悲鳴を上げる。
 なのはとユーノは思考が停止したように動けない。
 三人の視界の中でひたすらに吼えたクロノは、何度も拳で地面を砕いた。砕いて砕いて、指の骨がすべて折れてしまいそうな勢いで砕き続ける。その果てに、彼は S2Uを引っ手繰るように拾うと、逃げるようにして飛翔した。
 みるみる内にその背中が遠ざかる。雨を降らせ続けている雨雲の向こうに消えて行く。
 あまりにも突発的な、予想すら出来なかった幕引きだった。
 残されたなのはは、クロノを見送るしかなかった。
 ユーノはなのはを抱き締めている。
 二人の足元には、半壊したレイジングハートが転がっている。
 アルフは倒れたまま動く気配を見せない。
 フェイトは、空の向こうをずっと見詰めていた。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございます。次で♯8も終了。SCの中で最も鬱度の高い話にようやく終止符が打てる…。
 第一稿版ではアルフがさらに凄い状態になっていたのですが、明らかにやりすぎだったので大幅カット。何事もやりすぎはよくない。
 次でSCの坂は終了。ここから全員で登山開始。…エベレストより高けぇや…orz
 では次回も。

 2006/6/16 誤字修正
 2006/7/07 改稿
 2006/10/19 改稿




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