魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.8 Rejection









 肺に溜まった空気を時間をかけて吐き出す。安堵の吐息なのか、それとも疲労による溜め息なのか、それは吐き出している本人のレイン・レンですら分からなかった。
 簡素なパイプ椅子に深く腰掛ける。硬い上に背もたれはギスギスしていて、座り心地は最悪だ。仕事場で悠々自適に軋ませていた執務椅子が恋しくなる。

「結構危なかったですねぇ」

 糖分アップと表記された缶コーヒーを呷るように喉に流し込む。不健康極まりない味だが、彼にとっては意識を冴え渡らせる為に必要不可欠の飲料水だ。
 カビ臭く、薄暗い部屋だ。明かりは情報端末の仮想ディスプレイのみ。音もしない。無音に近い隔離された空間である。

「記憶はそろそろ消去した方が良さそうですね」

 ディスプレイに投影されているのは、幾つかのカメラ映像と人間一人の身体情報だ。三つあるカメラアングルは、どこかの臨海公園の一部分を映し出しており、 身体情報は急激な状態異常発生を示している。
 レンは空になった缶コーヒーを背後に放り投げると、キーボードを操作する。空き缶がクズカゴに入る鈍い金属音がした。
 レンの指に合わせ、身体情報のデータがその数値を平均値へ戻して行く。狂ったように駆動率を上昇させていたリンカーコアが動作を安定させ、脳への甚大な過負荷 を沈める。

「まったく。高町君程度、カートリッジ六発も使う必要は無いでしょうに」

 キー操作に終止符を打つようにエンターキーを押し込む。身体情報はすべて適正数値に戻った。
 S2Uに内蔵装備された回転弾倉型のベルカ式カートリッジシステム”CVK792−R−C”は、ロッティンバウンドの出力増幅をより高出力化したシステムだ。
 ロッティンバウンドは、リンカーコアの出力を強引に高め、大気中の酸素から魔力を生成。ベースとなるデバイス使用者の魔力に上乗せをして出力増幅を行う。 これに対して”CVK792−R−C”は、専用カートリッジを使用する事でリンカーコアを”圧縮”する。さらにカートリッジの圧縮魔力をコアに注ぎ込み、解放 させる事で爆発的な魔力増幅を行う。その動作シークエンスの一部は原子炉を参考にされていた。
 メインOSとなっているロッティンバウンドはバックアップとして機能しており、その総合的な魔力増幅は、異常と言っても過言ではない数値を叩き出している。
 ”CVK792−R−C”を搭載したデバイスを使う魔導師は、カートリッジシステムの圧縮魔力、大気中の気化魔力、リンカーコアを圧縮して生成された高純 度高密度魔力の合計三つの魔力を用いて魔法を行使する。その実際の破壊力は、レンが事前に行った仮想演習のデータを遥かに超えていた。

「お陰でもうボロボロじゃないですか」

 新しい缶コーヒーの栓を開ける。
”CVK792−R−C”搭載デバイスの使用者――クロノ・ハラオウンの身体は、もはやズタズタだ。カートリッジを使用する度に 圧縮を強いられている彼のリンカーコアは圧壊寸前であり、その激痛は発狂してしまってもおかしくはなかった。それをさせない為のロッティンバウンドのメインOS 化である。圧縮の激痛に耐える為、成分を作り換えられた魔力製の脳内麻薬が彼の頭の中を支配しているはずだ。
 強烈な幻覚作用。記憶の混濁。情緒の不安定化。意識失調。彼はもはや自分が何をしているのかさえ分からなくなっているはずだった。

「まぁ、お陰で良いモノが見れた訳ですけどねぇ……!」

 レンは臨海公園の映像に眼を向ける。キーを叩き、拡大表示を行った。
 雨の公園に四つの人影がある。大道芸を惜しげも無く披露してくれた拍手喝采の四人組だ。
 拡大された映像が、地面に座り込んでいる金髪の少女を映し出す。その瞳はどこを見ているか定かではなく、擦過傷や裂傷を身体中に作っている。
 腹の奥底から笑いが込み上げて来た。我慢し切れず、レンは腹を抱え、口を天井に向けた。
 静かな部屋に男の爆笑が木霊する。

「滑稽滑稽滑稽滑稽滑稽滑稽ェェェェェェッ!!!」

 膝を殴る。痛いが可笑しすぎて止められなかった。ひとしきり笑い転げた後、レンは眼鏡を外して涙を拭う。

「創った人間があんなんじゃあ、まぁこれも仕方ありませんかぁねェッ! もう傑作ですよこの表情ォッ!」

 意思ある傀儡に等しいクロノ・ハラオウンに徹底的に否定され、それでも彼が好きだと言った人造人間。レンにとってはその存在そのものが完全に滑稽であり、 子供の稚拙な落書きが歩いているようにしか見えない。

「あなたみたいな失敗作が人間を好きになろうなんて荒唐無稽なんです。お友達に寝取られて当然なんです」

 レンは暗い天井を見上げた。

「アルハザードから見てますかぁ、プレシアさん? あなたの創った世紀の大失敗作は、次元世界もびっくりな爆笑映像を配信してくれてますよぉッ!」

 新型駆動炉設計に関して対立を続けた魔導師プレシア・テスタロッサ。当時は疎ましい以外の何者でもなかったが、今は同情と賞賛、感謝の念を禁じ得ない。 彼女の墓標を探し出して、この映像を供えたい気分になった。

「まぁそんなの無理ですけどねェッ!」

 カメラを人造人間から横の少女へ切り替える。
 レンの表情が変わる。恍惚。絶頂。それらが統合した強烈な微笑みが彫の深い顔に現れる。

「エゴイスト・高町なのは君も最高の喜劇を演出してくれましたぁ……。そうですよぉ。あなたにクロノ君や僕のような凡人の気持ちは分かりません。ええ、この先 永遠に分かりません。思いあがり、自分勝手、偽善者、向こう見ずのお子様に理解する事など無理であり不可能」

 クロノに蹂躙されるなのはの姿は最高のエンターテイメントだった。胸が透くようだったとは、まさにあの事だ。

「期待はさせていただきましたが、これ程とは思いませんでした。いやぁ、まいったまいったぁ」

 笑い疲れたレンは一息を入れる為、缶コーヒーを口に運ぶ。二百五十ミリリットルの缶コーヒーが三秒で空になった。
 再び室内に甲高い音が鳴る。

「ま、それもそろそろ終わりですね」

 レンが演出したこの喜劇は、クロノ・ハラオウンを復讐の道具に仕立てる為の余興に過ぎない。所詮はあの凡人要努力型執務官が道具に”熟成”するまでの間の暇潰し だった。
 それが今終わろうとしている。圧縮を繰り返したクロノ・ハラオウンのリンカーコアは、寿命を終えた惑星のコアそのものだ。度重なる専用カートリッジの使用で 圧縮されたコアには膨大な魔力が封入されている。これを糧に彼を暴走状態に昇華させれば、Sランクを遥かに超える暴走体の完成だ。さらにロッティンバウンド搭 載型デバイスを一斉に暴走させ、その指揮をクロノに取らせれば、究極的な無差別破壊部隊が誕生する。

「もう一戦くらいやっていただければ、安全値を大きく上回るんですけどねぇ」

 現在でも充分にクロノ・ハラオウンのリンカーコアは圧縮されている。暴走させても問題の無い安全値を記録しており、”熟成時期”を終えたと言っても良い だろう。行動を起こしても問題は無いのだが、それをレンの慎重深い性格が許さなかった。
 レンは微弱な魔力電波を用いて、空間モニターを音声のみで接続した。接続先はS2U。

「クロノ君。聞こえますか?」
『……レ、ン……か……?』

 掠れた声が返って来た。先程の戦闘で彼のリンカーコアと脳はその過負荷に耐え切れず、圧壊間際を迎えていた。レンの処置が遅れていたらコアは潰れ、脳は破壊 されていただろう。今そうなってしまうと非常に困る。

「はい、私です。大丈夫ですか? こちらのデータでは少し異常が出ていますが?」
『な……んでも、ない!』

 発狂しかねない激痛があるはずなのに、意地なのか、彼はそう答えた。

「そうですか。ひとまずミッドチルダに帰還して下さい。休んでいる場合じゃなくなっちゃいましたから。落ち合う座標は今から転送します。いいですね?」

 今度の答えは沈黙だった。恐らくは悩んでいるのだろう。レンは取り合えず肯定として沈黙を受け取り、早々に話を進めた。

「予備のカートリッジは今手元にありますか?」

 現在の数値でも、彼を真の意味での破壊の根源にする事は可能だ。レンの問いは保険の確認である。

『……捨てて、来た』

 まったく予想外の答えが返って来た。

「捨てて来た?」
『ああ』
「それまた何故に?」

 答えは沈黙だった。
 捨てて来たという事は製作だけはしたという事だろう。止むに止まれぬ事情でもあったのか。どちらにしろ、現在のクロノはカートリッジ無しの状態というのは間違い ない。

「まぁいいでしょう。ただ、仮に管理局の人間と戦闘になる場合、あまり派手に戦闘はしないで下さいよ? 君のS2Uはカートリッジの圧縮魔力に火力依存をして いるのですから」
『……分かってる』
「お願いします。では合流する座標を転送します。そちらに従って転移して下さい」
『……ああ』

 通信が切断された。
 パイプ椅子の雑な背もたれを軋ませる。レンの長身の身体には、この椅子そのものが小さすぎた。

「予備のカートリッジを一応用意しておくべきですね。面倒ですがやりますか」

 何事も保険は必要だ。悲観的に計画して楽観的に行動する。レイン・レンは行動する際に必ずそう心がけている。
 そうなると、まずは高純度の魔力が必要だ。ロッティンバウンドを適当に二、三機暴走させてやれば事足りるだろう。管理局によってミッドチルダに在を置く魔導師 全員にロッティンバウンドの即時除装が通達されているが、一度搭載されたロッティンバウンドは暴走プログラムをデバイスの管制システムの根底に定着させる。 除装した所で無駄であり、暴走を止める術は無い。
 レンがキーボードに指を走らせようとした時、ディスプレイの中に変化が生まれた。

「おや」

 笑みを含んだ声。レンは指を止めると、カメラが捉えていた臨海公園の映像を見詰めた。



 ☆



 クロノが好きだったのは自分ではなく、なのはだった。たったそれだけの事だった。
 だから拒絶された。当たり前だった。彼にとって、自分はただの妹だったのだから。
 心には何も無かった。折れて形を失った心には何も浮かばなかった。

「――フェイトちゃん――」

 すぐ側で聞こえる友達の言葉が、今はとても遠くの世界の音に聞こえる。

「あの……」

 フェイトは独りになってしまった。

「―――」

 何も浮かばない心にのしかかる現実。

「大丈夫……?」

 探るような友達の声。

「―――」

 耳に蘇る彼の言葉。ただの妹だという言葉。

「フェイトちゃん」

 ――僕が好きなのは君じゃない。

「―――」

 ゆっくりと首を巡らせたフェイトの瞳に、傷だらけの友達が映る。

「どこか痛い所無い?」

 高町なのは。友達になりたいと言って手を差し伸べてくれた少女。

「アルフさんはユーノ君が診てくれてるよ」

 初めて出来た友達。

「―――」

 彼の心を奪っていた友達。

「大丈夫だって、アルフさん」

 フェイトは立ち上がった。自分でも驚く程普通に立ち上がる事が出来た。

「あ。座ってて。怪我が……」

 支えようとしてくれる友達。

「―――」

 自分から支えを奪っていた友達。

「フェイトちゃん」

 自分が本当に欲しかったモノを拒絶した友達。

「―――」

 彼を拒絶した友達。

「……フェイトちゃん」

 なのはの瞳が、心配そうに覗き込んで来る。

「……なのは」

 そして、フェイトは右手を上げた。
 無意識だった。手が勝手に動いた。頭も心も空っぽで、絶望的な虚脱感と倦怠感にある身体は、それが嘘のように、彼女の意思を 無視して一つの行動を取った。
 雨音の中に小さな音がする。

「―――」

 フェイトがなのはの頬を叩いた音だった。

「――あ――」

 瓦解した心が、右手の微かな痛みに少しだけ形を取り戻す。自分が何をしたのか、フェイトは理解した。
 息を呑んでなのはを見る。
 彼女は茫然としている。フェイトを非難しようともせず、右の頬を押さえていた。

「ち、ちがうのなのは」

 震える声でフェイトは言った。

「なのはちがうの。わたしちがう。ちがうの。ちがうちがうちがう……!」

 何も違わなかった。ぼろぼろになって自分を助けてくれた友達を、フェイトは平手打ちをして拒絶した。どんな言葉よりも遥かに残酷で、圧倒的に辛辣な行動で 拒んだ。
 フェイトは何度もなのはと自分の右手を見比べる。呼吸が乱れてしまう程、心臓が早鐘を打ち、頭の裏が急激に熱くなる。身を焦がさんばかりの罪悪感が津波のよう に彼女を襲った。

「ちがうの。ちがう、なのは。ちがうんだ。わたしは、わたしは、なのは。ちがう」

 壊れたレコーダーのようにフェイトは繰り返した。他に言うべき言葉が何も出て来なかった。
 でも、本当は何も違わないのだ。フェイトの身体は、彼女の意思で動いたのではなく、本能で動いた。心の底でなのはを拒絶したのだ。
 フェイトは右手を伸ばした。子が親に手を伸ばすように。
 その手から逃れるように、なのはは肩を小さくして後ざすった。

「―――」

 なのはは黙っていた。どうして叩いたのか、フェイトに問おうともせず、口を噤んでいる。
 当たり前の反応だった。今しがた平手打ちをして来た相手が、またその手を伸ばして来た。条件反射のように身体が動いてしまうのは当然だった。

「なの、は」

 純真故の曇りの無い双眸が、無言で訴えかけて来る。無言の抗議をして来る。

 ――どうして叩くの? 私は何もしていないのに。

 なのはを拒絶した心の底が囁くように答える。

 ――何もしていない? そんなの嘘だ。なのははクロノの心を奪っていた。クロノが私を嫌ったのはなのはのせいだ。

 その囁きを、フェイトはすぐさま否定する。悪いのは自分なんだ。なのはもクロノも悪くない。

「ちがう……の……」

 それでも囁きは収まらなかった。眼前の友達を非難して拒絶して来た。
 なのはの視線が突き刺さる。一秒たりとも耐えられなかった。
 初めて好きになった人から拒絶され、初めて出来た友達を拒絶したフェイトは、その場から逃げ出した。






 友達の背中が小さくなって行く。
 だが、なのはは追いかける事が出来なかった。叩かれた頬を押さえ、立ち尽くす事しか出来なかった。
 一週間前のあの時。なのはがクロノを平手打ちしたように、フェイトがなのはを叩いた。
 右頬が熱い。そして痛い。クロノの如何なる攻撃よりも遥かに痛かった。

「フェイト……ちゃん……」

 どうしてこんな事になってしまったんだろう。
 なのはにはもう分からなかった。


 デバイス暴走事件。

 クロノとフェイト。

 引き裂かれた二人。

 死に掛けたアリサ。

 敵になってしまったクロノ。

 半死半生の傷を負ったシグナム。

 レイン・レンという首謀者。

 エゴイスト。

 自分を好きと言ったクロノ。

 クロノに拒絶されたフェイト。

 フェイトを拒絶された自分。


 分からない。自分は何をすればいいのか。何がしたいのか。
 混濁した考え。濃霧のような思考。
 どこで狂ってしまったのだろう。この狂いを戻すにはどうすればいいのだろう。

「誰か教えて……」

 呟きが引鉄となって、身体中に痛みが走った。クロノに容赦無く攻め立てられた腹部が焼けるように痛む。痣だらけの腕が千切れそうだった。
 肩を抱いたなのはは、その場で崩れた。半壊していたバリアジャケットが消失して管理局の制服が現れる。
 意識が薄くなって行く。雨に打たれている地面が近付いた。
 ばしゃりと音をたてて、なのはは床に転がる。
 霧散する意識の中、ユーノの呼びかけが聞こえた。暖かな光を感じる。彼の治療魔法だろう。だが、なのはの意識を繋ぎ止めるには足りない。

「フェイトちゃん……クロノ君……」

 友達だと思っていた。いや、間違いなく友達だった。友達に好きも嫌いも関係ない。友達は、友達なんだ。
 雨に濡れた路面が、フェイトに叩かれた頬を冷やして行く。今はその感触がどうしようもなく心地良かった。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。♯8終了です。同時にSCの坂道もここが終点。前話のあとがきの通り、ここから上昇が始まります。
 フェイトに拒絶されたなのは。なのはを拒絶してしまったフェイト。崩壊するクロノ。最後の行動に出ようとするレン。”♯9 Wild fang”は 予告でやっていたSCクロノvsユーノです。そしてクロノが戻る話です。シグナムやなのはを一方的に倒した彼にユーノがどうやって勝つのか。この辺りの プロットが若干適当気味なので頑張ります(汗)。
 では次回も。

 2006/10/18 改稿





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