魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.9 Wild fang









 人気は無く、歩道を歩く人影は皆無である。
 誰も居ないオフィス街を満たしているのは、静かな雨音だけだった。
 昼下がりだというのに、都市には光が無い。頭上に広がる分厚く陰鬱なまでの雨雲が、陽の光を完全に覆い隠している。
 街灯と信号機の明かりが、半ば無人のオフィス街の中で細々と明かりを紡いでいた。
 その人工の光が、二つの影を石畳の歩道に刻み込む。

「回収分だ」

 二つの影は雨の中で傘を差そうとせず、何かの受け渡しをしている。
 影の一つは小柄だ。雨の水分を吸い、湿った白髪を揺らし、もう一つの影にカードを差し出している。
 もう一つの影は長身痩躯だ。澄んだ背筋は伸び切り、小柄な影を見下ろすようにカードを受け取る。

「……ふむ、現状的にはこれが限度でしょうかねぇ」

 水銀灯の明かりに照らされ、黒い鈍色の輝きを反射するカードを、長身の影は吟味するように見た。
 雨に打たれ続けている黒いカードは、使い捨ての外部魔力蓄積機関だった。魔力を封入、解放を任意に行う事が出来る民間にも普及している一般的なツールの一つである。
 長身の影は濡れたカードを無造作に上着のポケットに入れると、代わりに何かを取り出した。
 ジャラリという軽い金属音。黒いカードを照らした水銀灯が、その金属音の主を明るみに出す。
 ――金色に輝く六発の弾丸。

「取り合えず、予備として持っておいて下さい。先程の戦闘のように無闇な使用は絶対にしてはいけません」
「……無闇な使用じゃない。的確な使用だ」
「カートリッジの魔力を蒐集する為にカートリッジを乱発してどうするんですか?」
「……ただでさえ生産性の低い行為なんだ。蒐集に時間を裂く訳にはいかない」

 小柄な影が呟く。最低限の感情の起伏すらない、氷のような冷たい声。
 彼の足元には人が倒れていた。空に背中を向け、這いずるような姿。その身体の周辺には、踏み潰された硝子のような細かな破片が散らばっている。

「しかしですねぇ……。これでは本末転倒ですよ? 今の君でも充分それは分かるでしょうに」
「……戦闘せずに暴走体を黙らせる方法は無いのか?」
「いくら僕でも、そんな便利な方法なんて持ってません。大体ですね……」
『八時方向より魔力感知』

 電子音声が報告を入れて、長身の影の言葉を遮る。
 小柄な影が持っていた杖が、先端の部品を煌々と輝かせる。

『反応複数。――Aランク反応、一。Bランク反応、三』
「武装局員か」
「君が無意味に暴れるせいですよ」

 鼻を鳴らす長身の影。心情の不機嫌さを顕すように荒々しく身構え、片脚を引く。
 そんな彼を、小柄な影は片手を伸ばして制した。

「君は下がれ。邪魔だ」
「……言ってくれますね。君が今胸に抱えている痛み、分からない僕だとでも思いましたか?」
「下がれと言ったんだ。邪魔をするなら、君でも容赦はしない」

 喉を動かすのも億劫そうな、そんな気だるい声だった。だが、確実な感情がそこには見え隠れしている。
 敵意だった。それも並みではない。近付けばそれだけで絶命させられてしまいかねない程の強烈な敵意。
 長身の影と小柄な影の視線が交わったのは、ほんの一瞬だった。

「……好きにして下さい」

 長身の影はそう言い残すと、白い上着を翻して跳躍した。革靴が雨を弾き、長身痩躯の身体をビルの外壁へ誘う。何度か壁を蹴り、駆け上るかのように地上二十階 立ての建造物の屋上へと到達する。

「ああ、好きにするさ」

 熱い。身体が、頭が、あらゆる場所が熱い。
 そして痛い。抉られるかのような痛みが胸を締め付けて来る。
 気が狂ってしまいそうな痛みを、小柄な影は片方の眉を僅かに動かすだけで耐えた。

「……あの時に比べれば、軽いものだ」

 骨が砕けた右手で杖を握り締める。
 そう、この程度は痛覚として認識するまでもないはずだ。
 金髪の少女――フェイトを殺そうとした時に比べれば。
 気配が近付く。雨に濡れた路面を蹴る複数の足音を鋭くなった聴覚が捉える。
 背後に振り返る。
 四人の時空管理局局員が、街灯に照らされた暗い歩道に立っていた。
 その内の一人、少年と言っても支障の無い若い男が肩を怒らせ、人差し指を突きつけて来た。

「管理局武装隊、アストラ・ガレリアンだ! どこのどいつかは知らないが、ここは避難区画で……」

 少年の声が雨音の中に消えて行く。雨に濡れた表情が驚愕に変わって行く。

「――クロノ――執務官――!?」

 残りの三人に緊張が走る。
 小柄な影――第二級特殊犯罪者クロノ・ハラオウンは、身体を彼らに向き直らせた。

「武装隊か。……非力だな、魔力は」

 愛杖が伝えた彼らの魔力数値は取るに足らない小さなものだった。戦闘は単なる時間の無駄でしかない。
 三人の武装隊局員は、張り詰めた気配をそのままに身構える。ストレージデバイスを顕現させ、魔力を装填する。

「ガレリアン隊長、応援要請を!」
「クロノ執務官!」

 小柄な影を呼ぶ少年局員。驚きのあまりに見開かれたその瞳に雨が入る。彼は武装を済ませようとせず、空手のまま走り寄る。

「……無駄だ」

 クロノは吐き捨てるように呟き、飛翔する。
 打ち倒した暴走デバイスの被害者には眼もくれず、かつては部下として肩を並べて事件捜査に当たった武装隊を弱者と罵り、彼は無人の都市の中に身を放る。
 長身の影――レンが次なる獲物を発生させるまで、どこかに潜伏しなければならない。
 この都市には非常警戒態勢が発令されている。特に暴走事件が多発しているオフィス街や工業地帯からは強制避難すら実施されており、無人区画になっている 場所すら存在している。身を隠すには苦労しなかった。
 背中に突き刺さるように少年の声がした。
 クロノは一度たりとも振り返る事は無かった。



 ☆



 細い肩が小さく上下している。
 泣き疲れたのか、なのはは静かに寝息を立てていた。
 ユーノは腕の隙間からその表情を覗く。頬にはくっきりと涙の痕があった。安らかな寝顔とは対照的な痕だった。
 起こさないように彼女をベッドに寝かせ、身体を離そうとする。
 途端、服が引っ張られた。

「………」

 なのはだった。包帯を巻いた指がユーノの衣服を握り締めている。
 泣き喚いている間、ずっとこうだった。
 なのはの指に力が抜ける様子は無い。

「……ごめん、なのは」

 指を外す。余程強く握っていたのか、彼女を起こさないようにするのに苦労した。
 食べられずに冷たくなってしまった粥と味噌汁をベッドの脇にあった机に置く。”行く”前に看護士に言って下げに来てもらおう。
 ユーノはベッドから離れた。一度だけ振り返り、なのはの寝顔を見る。そして思い出したように歩み寄り、シーツをかけた。
 この部屋で彼女にしてやれる事はすべてやり終えた。自分が彼女の感情の受け皿になれたかは定かではないが、その表情を見る限りは少しは役に立てたのだろう。 確証は無いものの、ユーノはそう思った。
 だから、彼は”行く”事にした。

「少し行って来るよ」

 彼女の友達として、ユーノにはまだやらねばならない事がある。

「……違うかな」

 彼女の為だけではない。自分の為でもある。何より、クロノ・ハラオウンという仲の悪い友達の為に。
 ユーノは眼を伏せてなのはに背を向けた。爽快感すら感じさせる真っ直ぐな足取りで部屋を出て行こうとする。

『ユーノ・スクライア』

 思念通話がその脚を止めた。

『……なに、レイジングハート』

 なのはのインテリジェントデバイスが語りかけて来る。

『今のクロノ・ハラオウンは危険過ぎます。喩えあなたの防御魔法を駆使しても、彼の攻撃を凌ぐのは容易ではありません。いえ、不可能です』
『知ってるよ』
『攻撃魔法をほとんど行使出来ないあなたが、どのような手段を用いてクロノ・ハラオウンを停止させるというのですか』
『頑張って、かな』

 単刀直入な質問に、ユーノは鼻の頭を掻く。

『非論理的な上に破滅的な結論です』
『破滅的って……。何もそこまで言わなくても』

 質問が情け容赦の無い言葉になった。先代の主とも言うべき自分に対する言葉とは思えない。

『どれだけ甘く見積もっても、あなたが現在のクロノ・ハラオウンを停止させられる可能性は八・七パーセントです』
『……平均数値で計算したら?』
『四パーセントを下回ります。自殺行為です。クロノ・ハラオウンは放置しておけば自滅します』

 ユーノは思わず振り返った。なのはの胸の上――シーツの上に鎮座している紅い宝石は、淡い輝きを秘めてこちらを見ている。まるで何かを確かめるように。

『……どういう事?』
『実際に戦闘を行い、得られたデータから導いた結論です。クロノ・ハラオウンはベルカ式カートリッジシステムを使用する度に魔力出力を上昇させていましたが、 逆にフィジカル反応を低下させていました』

 レイジングハートが淡々と語った。

『だから、放っておけば勝手に死ぬって……?」
『その通りです。そもそも彼が戦闘時に発揮していた魔力量は、彼のリンカーコアの強度レベルを超越しています。装填されているカートリッジ全弾使用のみならば 過負荷で済みますが、彼は可能な限りの手段を講じて魔力を集束、魔法を行使しています』

 膨らんだ風船に空気を入れ続ければどうなるのか。結果は子供でも知っている事だ。
 ユーノはレイジングハートから眼を背けた。扉の向こう、通路の壁を見る。

『なら尚更だ。僕は行くよ』
『何故ですか。先程あなたは、マスターの側に居ると言いました。ずっとずっと友達で居ると言いました』
『うん、言ったね』
『クロノ・ハラオウンとの戦闘はあなたの死を意味しています。命を落とせばマスターの側に居られなくなり、友達ではなくなってしまいます』
『だから、僕は死なないって』

 苦笑を抑え切れず、ユーノは眼を細める。

『あなたの行動は矛盾しています』

 レイジングハートが断言した。

『矛盾なんてしてないよ』

 戸口を掴み、誓うようにユーノは続けた。

『なのはが眼を覚ます前に、僕はクロノを連れてここに戻って来るんだ』
『無謀です。再考を提案します』
『無理無茶無謀。クロノが前に言ってたけど、なのはやフェイトのせいでもう慣れた』
『あなたに何かがあれば、マスターはもう立ち上がる事が出来なくなる』

 そうかもしれないとユーノは思った。なのは自身の揺らぎはまだ大きいままだ。いや、当分続くだろう。自分に強さを思い出して、自信に溢れた表情を取り戻す まで時間は必要だ。それまで彼女の背中を支えなければならない役割がユーノにはある。

『フェイト・T・ハラオウンのようになるマスターを、私は見たくはありません』

 レイジングハートもまた、ユーノと同じ懸念を抱いていたのだろう。彼女の恐怖のような不安は痛い程理解出来た。

『………』
『自重して下さい。クロノ・ハラオウンの自滅は時間の問題です』
『……あいつが死んでも、多分、変わらないと思う』

 レイジングハートは何も答えなかった。
 自分が死んでもクロノが死んでも、きっとなのはは悲しむ。

『どこかに居るフェイトも、きっと耐えられない』

 今度こそ自分の命を絶ってしまうかもしれない。

『リンディさんは独りになって、エイミィさんは弟を亡くしてしまう。アースラの皆も悲しむ。はやてやシグナム達もそうだ』
『………』
『僕も悲しいよ。無茶ばかり言う奴だけど、友達だから』
『――友達――』
『うん。好きも嫌いもひっくるめて、ね。どちらかと言えば嫌いな所の方が多いけど』

 クロノの無茶な資料請求や捜索依頼のせいで何日徹夜を強いられたか。なのはとの約束も何度か破っている。
 腹が立つ事の方が多い友達というのも珍しい。それ故なのか、嫌いと思う中で同時に好きだとも思った。

『レイジングハート。なのはが起きるまでには必ず戻って来るつもりだけど、もし戻って来なかったら……』
『……お断りします』

 今日のレイジングハートは本当に予想もしない言葉ばかり言って来る。
 シーツの上のレイジングハートは、燃え上がる炎のような輝きを放っていた。中枢機能は無事だが、中破レベルの損傷を来たしているデバイスの稼動光ではなかった。
 命の灯火。ユーノは漠然とそう感じた。

『私はマスターを守る事が出来ませんでした。闇の書事件の始まりの時と同じように、私は無力でした』

 クロノの圧倒的な魔力と攻撃の前に、レイジングハートは何も出来なかった。本来は搭載する事自体が危険であるベルカ式カートリッジシステムを搭載し、インテリジェント デバイスとしては破格の攻撃性能を獲得したが、それでも成す術が無かった。蹂躙されるだけのなのはを守る事すらままならなかった。

『如何なる事態になろうとマスターを守る。そう誓いを立てていたにも関わらず』
『……君は……』
『すべてを砕く砲となり、すべてを弾く盾となり、すべてを貫く槍となり、彼女を守る。その思いを貫く為の力になる』

 ユーノはすぐに悟った。レイジングハートが何を言いたいのか、何を望んでいるのかを。

『いけない。今の君は戦える状態じゃ……!』
『私を嘘つきにしないで下さい、ユーノ』
『そういう問題じゃないよ。自己修復で直せる範囲だけど、だからって無理したら』
『問題ありません。すべての戦闘形態は展開不能ですが、魔力増幅器としてならば稼動可能です』

 それでもその過負荷は凄まじいものだろう。痛覚というモノがレイジングハートに存在するのなら、生きながらにして切り刻まれるような激痛を感じるはずだ。

『……無謀だよ、君も』
『あなたに言われたくはありません』
『もし僕が連れて行かないって言ったら、君はどうするんだい?』
『遺憾ですが、マスターを起こして報告させていただきます』
『……容赦が無いね』
『マスターに合わせた性能調整をしていますから』

 ユーノは堪えきれずに吹き出した。なのはを起こさないように何とか声を噛み殺す。
 マスターのなのはが一途なら、そのデバイスのレイジングハートもまた一途だった。傷付く事を恐れない姿勢も同じだ。少々強硬気味のその態度が可笑しくて 堪らなかった。
 ひとしきり笑ったユーノは踵を返した。シーツの上に転がるレイジングハートに触れ、固定具を外す。

「なのは。少しの間だけだけど、借りるね」

 眠るなのはの額を撫でる。いつまでもそうしていたい衝動に駆られた。もちろん御する。

「レイジングハート。相応しくないマスターだけど、僕に力を貸して欲しい」
『All right my Another master.』

 何よりも心強い相棒を得たユーノは、それから一度として振り返る事もなく、病室を後にした。


 ☆



 やはり無理をしていたのか。それとも多くの局員の視線に晒された中での説教が効いたのか。ヴィータは病室に戻るとすぐに眠りに落ちた。守護騎士プログラム、 魔導生命体であるヴィータだが、その傷は決して軽い物ではない。むしろ昏睡状態に陥っていた時もあったぐらいだ。

「ウチの家族は無茶ばっかりするなぁ……」

 ヴィータの寝顔を撫でた後、はやては病室を出た。アルフの様子を伺う為に少し離れた彼女の病室へ向かう。
 途中で何度か局員とすれ違った。本局内の総合病院だけはあって、その数は多い。
 はやてはその度に会釈をしたが、無視されてしまう場合が多かった。局員達は足早に、半ば走るように通路を進んで行くのだ。はやての挨拶を無視しているというより も、

「視界に入っとらんのかな?」

 そう思えてしまう程に局員達の表情には余裕が無かった。
 ヴィータを探しに出た時も同じような風景があったが、その時よりも緊迫した空気を感じた。
 これから何かが起こる。だが、いつ起こるのか正確な時期が分からない。でも、必ず起こる。回避不能の何かが来る。漠然とだがはやては察した。

「地震が起こる前みたいや」

 先を急ぐ局員達の為、はやては車椅子を通路の端に寄せた。
 アルフの病室に着いた。ノックをするが返事が無い。ヴィータを病室に連れて帰る前にザフィーラを送って行ったはずなのだが。
 一言断りを入れてから部屋に入った。
 室内にはザフィーラが居た。アルフに付き添い、彼女の手を握っている。決して離すまいと両手で。

「ザフィーラ、アルフさんはどうや?」
「今落ち着きました」
「魔力供給、まだ弱いままなんか?」
「はい」

 そう答えるザフィーラに、はやてを見ようとする様子は無い。主への敬意と礼儀を重んじる彼らしからぬ態度だった。

「ヴィータは?」
「寝よった。やっぱり無理してたみたいや。ほんまにもう」
「そうですか」
「うん。……ほな、私はシグナムとなのはちゃんの様子見て来るから。アルフさん、お願いね、ザフィーラ」
「承知しております」

 面会はそれで終わった。アルフはザフィーラに任せて問題は無い。二人の邪魔をするつもりも無かった。想像したくはないが、フェイトからの魔力供 給が断たれてしまった場合、アルフはその場で消滅する。
 今は二人きりにしてあげたかった。
 フェイトの行方は未だに不明のままだ。
 昨日から、そう、臨海公園での一件以降、暴走事件の発生件数が増加傾向にある。管理局は非常警戒態勢を敷き、暴走したデバイスの鎮圧を行っていた。事件の首 謀者たるレイン・レンの捜査も同時に行われ、現在は彼の潜伏先を捜索中だ。動ける限りの人員はこちらに回され、フェイトの捜索は半ば打ち切られてしまっている。
 仕方がないと言えばそれまでだった。失踪した執務官候補生捜索にスタッフを割けていられる程、現状に余裕は無い。
 探しに行きたかった。魔力を枯渇させたフェイトはただの少女だ。海鳴から徒歩で出るのは不可能に近いし、探せばすぐにでも見つけ出せる自信もあった。
 この衝動を、はやては何とか抑え付けている。大規模な暴走事件がいつ発生するか分からない状況で、待機命令も出されている。出動命令がかかれば、すぐにでも 出なければならない。シグナムやヴィータの事もある。クロノに痛めつけられたなのはも無事ではない。アリサも両親がついているとは言え、やはり様子を見に行き たかった。
 暗澹たる気分だった。心にも身体にも、ずっしりとのしかかるような重みを感じる。そしてそれは取れる兆しを見せない。

「……あかんな。私がこんな気持ちになっちゃ……」

 今一番動けるのははやてだ。ユーノはなのはに付きっ切りになっている。シャマルは傷付いた武装局員の治療に奔走してほとんど休んでいない。
 深い剣呑の中にある皆を引っ張っていけるのは、もうはやてしか居なかった。
 白く清潔感のある通路はずっと続いていた。本局内の総合病院は広大だ。それも一番規模の大きい一般病棟ともなれば、一つのフロアだけでも相当な広さになる。
 そんな通路を進んでいると、良く知る少年が病室を出て来る所に出くわした。

「ユーノ君」

 声をかけると、彼は少し驚いた様子で振り向いた。

「なのはちゃん、どうや……?」
「……うん。少し落ち着いて、今は寝てる」
「そか」
「シグナム達は?」
「シグナムは変わらず。ヴィータは眼ぇ覚ましたけど、あちこち歩き回ってもうて。さっき寝かせて来たわ」
「アルフは……やっぱり……」
「……あんまり良くないね。今はザフィーラが一緒に居てくれてる」

 言葉にして改めて痛感する。クロノが生み出したこの状況の重さを。
 会話が途切れた。どちらからともなく口を噤み、沈黙する。

「……はやて」

 その沈黙を、硬くした声でユーノが破った。彼の顔を仰げば、声ではなく、表情も硬くなっているのが分かった。
 何かを決意している双眸がはやてを見詰めている。

「ユーノ君……?」
「はやて。少しの間でいいんだ。なのはを頼んでいいかな?」
「それは構わへんけど……。え、ユーノ君?」

 はやては戸惑った。海鳴から帰って来てから、彼はずっとなのはの側に居た。それなのに、何故今になって彼女から離れるというのだ。

「少しやらなきゃいけない事が出来たんだ。大丈夫、なのはが眼を覚ますまでには戻るから」
「やらなきゃいけない事……?」
「うん。大変だと思うけど、頼むね」

 ユーノははやての返事を待たず、その場から立ち去ろうとした。静かなはずの彼の足音が、何故か耳に残響となって残る。
 不意にはやては悟った。ユーノが何をしようとしているのか、どこに行こうとしているのかを。

「駄目やッ!」

 病院である事を忘れて、はやては叫んだ。
 ユーノが立ち止まる。

「クロノ君のとこに行くつもりやろッ!? あかんで絶対に!」

 どうやって彼を探し出すつもりなのか分からないが、ユーノはクロノに会いに行こうとしている。
 それは死にに行くようなものだ。

「フェイトちゃんはおらん」

 車椅子を動かしてユーノの背を追う。

「なのはちゃんも動けへん」
「………」
「シグナムとヴィータは戦えへんし、ザフィーラもシャマルも、アルフさんも、動かれへん。リンディさんは冷たくなってもうて、エイミィさんは顔も見せん」

 去年の冬、闇の書事件に終止符を打ち込んだメンバーは本当にバラバラになってしまっている。

「その上ユーノ君までおらへんようになったら……!」
「大丈夫」

 振り向いたユーノは、硬い表情を砕き、眉尻を下げた困ったような笑顔を浮かべた。

「なのはの側に居るって、さっきあの子に言ったんだ。だから、僕は戻って来るよ。クロノを連れて」
「無茶や!」

 間を空けずに怒鳴り返した。

「ぼ、僕ってそんなに信用無いのかな?」
「信用とかそんなんやない! なのはちゃんの側に居るって言うたんなら、そうしてて! ……私が行く!」
「……駄目だ」
「攻撃やったら私の方が上手に出来る」

 Sランク判定の魔導騎士の名は伊達ではない。一部の攻撃力だけならば、はやては管理局に所属している魔導師の中でも指折りだ。

「でも駄目だ。君に何かあれば、シグナム達が悲しむ」
「そんなんユーノ君かて同じやないか。なのはちゃん、絶対泣くで」
「分かってる」
「なら何でや!?」
「僕は戻って来るから。だからなのはは泣かない」

 笑顔のまま、ユーノが言った。
 はやては返す言葉を捜しながら、それが無い事を知った。見詰めて来るユーノの瞳が知らせてくれた。

「……ユーノ君……」
「防御にはそれなりに自信があるんだ」
「……防御魔法だけでクロノ君を止めるつもりなんか……?」
「ちょっと難しいかな。でもまぁ、何とかするよ。僕は一人じゃないし」
「………」
「なのはが起きるまでには戻るから。それまで頼むね、はやて」

 はやてには頷く事以外、何も出来なかった。

「ごめん」
「……謝るくらいなら、こんな無茶、せんといて……!」
「うん。……だから、ごめん」
「もしなのはちゃんが眼ぇ覚ますまでに戻らへんかったら、私、怒るで。ラグナロクは覚悟しときや」
「それはちょっと遠慮したいな……」

 苦笑いを浮かべるユーノ。

「クロノ君、絶対に連れ戻して」
「うん」
「……行ってらっしゃい」
「……行って来ます」

 そうして、はやてはユーノを送り出した。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございます。ユーノが主人公な話が続きます。むしろはやてとの会話がすでに主人公?
 次でようやくSCクロノvsユーノの一戦になりそうです。そしてフェイトの動向も。
 では次回も。

 2006/7/07 改稿
 2006/10/22 改稿





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