魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.9 Wild fang









 呼吸をするのも苦しかった。
 言う事を聞かない顎を動かして、冷たい空気を吸い込む。衝撃に対する耐久限界値を遥かに超えた身体は、それだけで卒倒しかねない痛みを激発する。脳は 痛みを痛みとして認識し切れず、構築された擬似魔力回路を激震させた。
 肺が膨らむと、ヒビの入った肋骨が鈍痛を訴えた。
 苦労して口を開ければ、映画のように冗談めいた量の血反吐が出た。折れた歯は三本。舌の上の異物に顔を顰め、それを吐き出す。
 血だらけの白い歯が濡れた道路に転がった。
 雨が先程嘔吐した汚物を綺麗に清掃して行く。
 胃はなかなか元の形には戻ってくれなかった。手で直接揉まれている違和感が付きまとい、不快感を感じずには居られない。
 吐き気は猛烈だ。止め処ない。だがもう吐く物は無かった。熱い胃液が込み上げて来る。無理矢理我慢して飲み込むと、鼻がツーンとした。

「僕は君が嫌いだ」

 ぼやけた視界に映っているのはクロノだ。いや、もう彼しか見えない。灰色の街の風景を捉えている余裕は、ユーノには無かった。
 嫌いな友が立ち尽くし、片手に紅い杖を下げていた。吐き出された硝煙が煙草の副流煙のように空に昇って行く。
 そうして得られた途方も無い圧縮魔力は、杖の先端部から超高熱の非実体魔力刃として出現した。刃の長さは一メートルを超え、そして分厚い。突撃槍の槍身を剣のような刃に変え、 バンプレートを排したような形状だった。
 斬撃魔法ブレイズセイバー。魔力消耗率が極端に高い高威力の近接戦用の補助魔法だ。クロノが接近戦時の切り札として温存し、使用を控えていた魔法でもある。
 雨が路面を叩く規則正しい音の中に、モノが焼ける異音が混ざる。ブレイズセイバーの灼熱の刀身が雨を蒸発させていた。

「奇遇だな、僕も君が嫌いだ」

 クロノがS2Uを脇に挟み、軽く腰を落とした。
 彼の表情は戦闘中とは比べ物にならない程変わっていた。
 荒れ狂う激情を、鉄壁の理性で抑制したような顔。いや、隠蔽しているというべきか。

「だから止める」

 脳内に構築した擬似魔力回路に魔力を流し込む。レイジングハートは沈黙しており、何かしらのアドバイスを寄越しては来なかった。先程の出力解放 ドライブ イグニッションで相当な無理をさせたのは間違いない。
 腰のポーチを探り、切り札――レイジングハートに触れると、深い亀裂が出来ているのが分かった。今すぐにでも割れてしまいそうだった。
 これ以上彼女を酷使させる訳にはいかない。これからのなのはの為に、これ以上、決して。頼る事は出来ない――!

「止めるんだ」

 全身の神経という神経を痛みに塗り潰され、それを総受信している脳は、まさに火花を散らした。それ程までに過酷な使い方をユーノはしている。
 潰れた片眼から一滴の血が流れた。眼球が痺れたような感覚があるので、潰れてはいないだろうと安心する。
 脳内で回路が千切れるような音がした。激痛が来る。失禁しかねない破滅的な痛みだ。地団駄を踏んで我慢しようとするが、そんな元気も体力も余力も、今は当然 残されてはいない。

「矛盾しているな。嫌いなら放っておけばいいだろう」

 クロノの困惑が、ユーノには分かった。
 今の彼は、やはり何かの感情を隠している。ひた隠しにしている。

「放っておく、か」

 それが出来ればどれだけ楽か。ユーノは復唱して苦笑を浮かべた。

「最初から気に食わなかった」

 クロノを睨み付ける。

「本当に奇遇だ。僕もそうだ」

 クロノが睨み付けて来る。
 レイジングハートは震えていた。指先から全身に伝わるように、熱く、激しく、止まる事の無い鼓動を発して来る。
 解き放て、と。
 早く使え、と。

「僕にばっかり強く当たるし、無茶な仕事ばっかり押し付けるし、未だにフェレットもどきとか、なのはの使い魔だとか言うし」

 だが、これ以上の稼動は致命的な破損に繋がりかねない。喩え出力増幅という補助的な稼動方法であったとしても、その危険性は変わりはしないだろう。
 あの猛撃に共に晒されたからは分かる。震える脚を支えているユーノとレイジングハートは、本当に満身創痍だった。

「僕は君が嫌いだ」

 噛み締めるように、もう一度告げる。
 ああ、そうだ。僕は君が嫌いだ。
 でも好きだ。だって君は――。

「嫌いだけど、友達だ」

 かけがえの無い友達なんだ。

「………」

 クロノは顔を伏せる。一体どんな顔をしているのか、それを伺う事は出来なかった。
 構えているS2Uが小刻みに震え始めた。すでに痙攣をしているようだ。
 彼は耐えていた。自分の内から来る荒波のような感情に。爆ぜる気持ちに。
 そして、彼は歩き出した。雨がその足元で弾く。
 歩行は徐々に熱を帯び始める。数歩で歩行は走行になり、次の瞬間に疾走になった。
 雨風を切り裂くクロノが顔を上げる。その顔は喩えるモノが何も無い程、悲惨で、悲痛で、悲しかった。
 裂帛の絶叫も、
 獣じみた咆哮も、
 何も無い。
 白い刃が振るわれる。水蒸気を纏う一刀を回避する術を、ユーノは残してはいない。
 そう、回避は出来ない。
 だが、防御は出来る。
 残された魔力量は僅かだ。レイジングハートの補助も受けられない以上、構築出来る魔法術式は限られている。魔法を行使出来る回数は、どれだけ死力を尽くそうが 三回程度が限界だろう。
 充分だった。それ以上望むモノは何も無い。
 バリアジャケットを除装。解放された魔力を身体機能保持と擬似神経構築に回す。

「ラウンドシールド」

 まずは一つ目。使い慣れた防御魔法を行使する。
 皮膚も肉も神経も裂けた腕で防御魔法陣を展開。火花を舞わせて白い刃を受け止める。紙一重だったらしく、頭上で嫌な音がした。なのはも気に入っている髪が黒い 煙を上げて焼けている。

「帰ったらなのはに謝らないと。そうだ、君も一緒に謝ろう、クロノ。なのはを傷物にしてくれたんだしね」

 クロノが刃を下げ、背後に飛び退った。二メートル程の後方に着地し、同時に身構える。
 次に二つ目。彼に教えてもらった特殊拘束魔法を行使する。

「ストラグルバインド」

 今まさに跳ぼうとしたクロノの身体を、路面から出現した蒼い帯状の光が絡め取った。帯の数は四つ。右足と腰。右腕。胸部。まさに雁字搦めとなり、決して解ける 事の無い戒めとなって彼を完全に拘束する。
 バランスを崩して、クロノは路面に転がった。

「こんな……使い道の、無い魔法で……!」

 ストラグルバインドは大半の魔力リソースを”強化魔法の強制解除”に振り分けた拘束魔法だ。その拘束力は他のバインド系魔法と比較して決して強くはない。むしろ薄弱 だ。今のクロノならば、半秒で脱出する事が出来るだろう。
 なのに、クロノはしない。苦悶の表情で魔力光の中で七転八倒を始めた。

「リソースは拘束力に振り分けてあるから、君なら保つと思う」

 S2Uが暴走デバイスの原因たる補助OS”ロッティンバウンド”を搭載している以上、それを携えているクロノも暴走状態にあると見て良かった。
 暴走は強化魔法の遥か延長線上にあると言っても良い。魔力で生成された強力な脳内麻薬が魔導師の脳を犯し、デバイスの傀儡にする。ストラグルバインドの”強化 魔法の強制解除”は、その脳内麻薬を消去する事を可能としていた。
 身悶えるクロノに、ユーノは最後の三つ目の魔法を行使する事にした。これでS2Uを破壊されなければ後が無い。
 ポーチの中でレイジングハートが輝く。音声機能に障害が出たのか、彼女は黙したまま、自分を使えという訴えをして来た。
 クロノのデバイスを破壊するには、彼女が代行して構築した術式をユーノが制御解放する必要があった。

「――大丈夫、僕に任せてくれ」

 両手を握り拳に変える。裂けた肌から血が噴水のように吐き出された。
 ユーノが構築した術式は稚拙であり、基礎魔法の内にも入らない簡単なものだった。飛行魔法の方がまだ難易度が高いかもしれない。
 魔力を拳部に集束、同時に圧縮して拳を保護。
 激痛に苛まれる頭を歯を食いしばって黙らせる。傷による痛みと出血の疲労が身体を軽く揺さぶった。
 その僅かな間を、クロノは見逃さなかった。焦点の定まらない眼を肉食獣のように見開き、背筋のみで飛び跳ね、無理矢理に立ち上がった。刹那の間も開けずに地面を 蹴り、苦も無くストラグルバインドを引き千切る。
 枷から解放された狂犬の如く、クロノが走る。距離が瞬く間に詰められ、次の瞬間に零となった。

「でも……なのはは渡さないから」

 すぐそこまで迫っている死の刃に、ユーノは苦笑を浮かべたままだった。


 さぁ、紡ごう。撃発音声トリガーヴォイスを。

 終わりにしよう。この狂った時を。


 振り下ろされる魔力の刃に向けて、ユーノは倒れるように身体を前に押し込んだ。自分の血液と水溜りでぬかるんだ道路に脚を取られそうになったが、何とか堪えた。
 S2Uのコッキングカバーが、ユーノの左肩に食い込む。
 肩に重い衝撃が走り、新たな激痛が背骨を貫く。鎖骨が砕かれたと他人事のように認識した。
 限界まで魔力強化した左手でS2Uを掴んで固定した。同じく強化を施し、血を噴出し続けている右手を放つ。

「――!?」

 クロノに確かな戸惑いと驚きが走った時、ユーノの華奢な拳がS2Uのコッキングカバーを捉えた。
 猛烈な反動に、今度こそ失禁しそうになる。それはあまりにも情けないので必死に我慢する。
 S2Uに破損の兆しは無い。だからユーノはさらに右手を酷使した。

「――戻って来いよぉ――クロノォォォォォォォォォォオオオッ!」

 限界を迎えた身体を支えたのは、その思いだけだった。
 叩き付け、振り抜くようにユーノは右の拳を再びS2Uへ放つ。
 甲高い金属音が、雨音に支配されたオフィス街に木霊した。

「―――」
「―――」

 二人は動かない。組み合ったままの姿勢で、互いの瞳を睨み付けていた。
 ――だが、ユーノには手応えがあった。拳圧と衝突時の衝撃に耐え切れずに砕けた骨が、痛みと共にユーノに報告をして来る。
 圧縮されていた魔力が霧散して行く。
 変化はすぐに訪れた。陶器が割れるように、S2Uが全面に亀裂を走らせたのだ。
 表面の構成材が脱落して行く。二つに分割されたコッキングカバーが路面に転がった。内蔵されていた回転型弾倉は空中分解をするように保持部品から解放され、 周囲にばら撒かれる。先端部位と柄部位を連結させていた部分を失ったS2Uは、そのまま崩壊した。
 残骸となったデバイスを足元に従えたクロノは、ここではないどこかを見ていた。ただ、S2Uを振り翳した姿のまま、完全に固まってしまっていた。
 ユーノは左手を伸ばし、クロノの襟首を掴み上げる。右手を再び握る。

「これ、皆に心配かけた分だから」

 くつろいだ声音から放たれる拳にどれだけの重みがあったのか。それは、頬を殴られたクロノにしか分からないだろう。
 糸の切れた人形のように宙に放り出されたクロノは、水飛沫を上げて路面を滑り、その先にあった街灯に衝突した。
 空を仰ぎ、湿った空気を吸い込む。深い呼吸をしながら、脚を引き摺るようにクロノに歩み寄る。
 仰向けになって動かない友達へ、ユーノは右手を差し出した。

「帰ろう、クロノ」



 ☆



 リンディとエイミィの間に落ちているのは、張り詰めた嫌な緊張と空気、それから沈黙だった。
 会議室を後にして、装備課や事務課に行っている間も、それは変わらなかった。今はこうしてミッドチルダのデバイス事件対策本部の通路を歩いている。
 二人は目線を合わせようともしなかった。ただ、リンディは時折、盗み見るようにエイミィの横顔を見ている。
 彼女らしくもない、余裕の無い引き締まった表情。唇は横一線に閉じられ、いつもの軽口は一切出ては来ない。
 無理も無かった。リンディは改めてそう思い、見つからないように苦労して溜め息をつく。
 今は冷水を頭からかぶせられた気分だった。
 クロノの事、フェイトの事、事件の事、自分の事。様々な出来事でぐちゃぐちゃになっていた頭は、今はとても澄んでいる。理路整然として、物事が良く見えた。

「――非情になるのと冷徹になるのは意味が違う、か」

 小さな声が呟きを紡いだ。
 エイミィが、ふとリンディの瞳を覗き込む。見張られた眼が時折瞬く。

「朝、あなたが連絡をくれた時、悩んでいたわ」
「……悩み、ですか?」
「最良の選択は他にもあるんじゃないかって、ね。クロノも助けられて、アースラやあなた達を危険に晒さずに済む方法があるんじゃないかって」
「……見つかったんですか?」

 リンディは眉尻を下げて、肩を竦めて見せた。

「そんな便利な方法は無いって思って、クロノを逮捕する事が最良だって自分に言い聞かせてた」
「言い聞かせてたって……?」
「……前にも言ったわね、私には次元犯罪を取り締まる権利と義務がある、私情を持ち込む事は許されませんって。それよ」

 エイミィが歩みを止める。
 リンディは数歩先を行った所で脚を止めた。困った笑みを浮かべて、まだ若い部下に振り返る。

「L級艦船を預かる者として、デバイス暴走事件の前線指揮官を任せられた者として、私はクルーや部下達の安全を守らなくてはいけなかった」
「……艦長……」
「だから自分に言い聞かせた。クロノを……諦めなさいって」
「………」
「あなたの言う通り、無理をしていたわ」
「あの、艦長」

 エイミィが、小脇に抱えていたカートリッジ関連の書類を胸に抱き締める。何かに耐えるように、ぐっとリンディを見詰める。
 彼女が何を言おうとしているのか、すぐに分かった。そして、自分の決定に強く反発したランディ達、アースラクルーの心情が痛い程理解出来た。

「エイミィ、今からマリーの所に行って」
「マリーの……ですか?」
「ええ。装備課に出向して、回収されたカートリッジの解析作業を手伝ってあげて。部署は違うけど、あなたなら問題無いはずよ」

 いつもの落ち着いた口調だった。でも、そこには静かな力強さが満ち満ちている。
 リンディは、眼の前の執務官補佐の少女を羨ましく思う。彼女は威厳に満ちた多くの提督達と管理局最高責任者を前に、堂々とクロノを助けたいと断言した。リンディはとてもそんな勇気は無い。クロノを助けたいと思って いても、局員としての経験と提督としての重責がそれを許さなかった。
 母親なのに。エイミィよりも、もっとクロノに近い、愛していなければいけない所に居るのに。

「……それはご命令ですか?」

 皮肉にも取れる言葉を返すエイミィの顔に浮かぶのは、嬉々とした笑み。
 久しぶりに見た覇気ある部下の表情だった。

「いいえ、命令ではないわ。お願いよ。時空管理局提督としてではなく、クロノの母親としてのお願いね」
「……分かりました。では、私はクロノ君のお姉さん役として、そのお願いを聞きます」

 果たして、自分が選んだ道に求める最良の手段があるかは分からない。
 でも、この選択に後悔は浮かばない。自分に嘘をつくのはもう止めだ。
 クロノの亡骸を抱いて、クライドの墓に赴くのだけは絶対に嫌だった。
 出来る限りの事をやってみようと思う。息子を信じてくれた最高責任者の気持ちに応える為にも、絶対に諦めず、彼を救おうと誓う。

「艦長」

 僅かな躊躇いを残して、エイミィは深く頭を下げた。

「すいませんでした」
「……いいのよ」

 部下というよりも、もはや娘のような存在の少女の髪をそっと撫でる。

「私の方こそ、ごめんなさいね、私の無理に付き合わせちゃって」
「……ちょっと考えれば分かったのに。艦長は私よりずっと責任が重くて、クロノ君の事だけ考えていればいい訳が無いのに……!」

 エイミィの肩が上下する。泣いているらしく、鼻を啜る情けない音がした。

「私が不器用過ぎただけよ。気にしないで」
「でも……!」

 顔を上げるエイミィの眼前で、リンディはおどけた表情で手を叩いて見せた。
 赤くなった瞳を瞬かせるエイミィ。多くの提督達の前で静かな啖呵を切った少女とは思えないあどけない顔だった。

「私達に謝り倒してる暇は無いわ。今は動きましょう。ロイド卿の心遣いを無駄にする訳にはいかないわ」

 頬を流れる涙を拭ってやり、旋毛から伸びている頑固な癖っ毛を優しく撫でる。
 エイミィは一瞬だけ顎を震わせた後、晴れ晴れとした満面の笑みを浮かべた。

「――はい!」
「私は本部長に協力を要請します。そちらは頼むわね、エイミィ」
「任せて下さい! パパっと終わらせて、すぐに戻って来ますから!」

 覇気に溢れた笑顔を残して、エイミィが駆け出そうとした時、見知った少女が車椅子を一人で操作して、こちらに向かって来るのが見えた。
 八神はやてだった。今では戦技教導隊や武装局員に混ざり、真っ先に暴走デバイスの鎮圧に向かう少女である。
 彼女は、和やかな空気のリンディ達を見て、驚いたように眼を瞬かせた。

「やほ〜、はやてちゃん!」
「あ、ど、どうもです、エイミィさん」
「どうしたの、何かお化けでも見たような顔してるよ?」
「そ、そんな顔してません!」
「してるしてる〜。ほらほら〜」

 はやての頬を餅のようにこねくり回し、好き勝手に引っ張るエイミィ。先程までの陰鬱な暗さなどどこ吹く風だった。
 リンディは苦笑しながら、やられ放題のはやてに助け船を出す事にする。

「ほら、エイミィ。遊んでいないで」
「はいはい、分かってますって。じゃね、はやてちゃん。無理しちゃ駄目だぞ?」
「は、はい……?」

 はやてが呆気に取られた時、不意に男の声が辺りに木霊した。
 通路の奥から、一人の武装局員が走って来る。余程慌てているのか、その足元は覚束ない。顔は見事に青ざめていた。

「誰かッ! 誰でも良い、医療スタッフを連れて来てくれッ!」

 飛び出そうとしていた脚を武装局員に向けるエイミィ。リンディもその後を追う。
 武装局員は全身ずぶ濡れだった。近付いてみれば、何度か見かけた事のある人だと気付く。本部施設前で衛兵をしている一人だ。

「リミエッタ執務官補佐! ハ、ハラオウン提督!」

 眼を丸くした武装局員が、慌てて背筋を伸ばして敬礼をしようとした。リンディは片手を伸ばしてそれを制する。

「落ち着いて。何があったの?」
「それがその……ク……クロノ・ハラオウン執務官と、ユーノ・スクライア司書が……!」

 うわ言ような言葉だった。
 気付いた時には、リンディは走り出していた。
 脇目も振らず、無我夢中で通路を駆け抜ける。すれ違った将校など無視して、それどころか弾き飛ばす勢いで走る。
 靴が床を打つ甲高い音が響く。後ろからエイミィが同じような勢いで走って来た。もどかしそうに車椅子を押すはやてもついて来ている。
 出入り口が見えた。病院のエントランスホールのような受付を抜け、自動ドアを潜り、雨の止まぬ外へ飛び出す。
 目まぐるしい脚はすぐに止まった。上がった呼吸も自然と収まって行く。

「―――」

 雨の中を、二人の少年が歩いて来る。見ているだけで危なっかしい足取り。ふらつく身体は陽炎のようだった。
 あまりの光景に、リンディとエイミィは言葉を失って絶句した。
 少年達は重なり合うように歩いていた。無傷の白髪の少年を、満身創痍のクリーム色の髪の少年が背負っている。
 遠眼から見ても、満身創痍の少年は凄惨だった。立っているのも不思議な程なのに、一人の人間を背負い、雨の中を黙然と歩いているのだ。

「ユーノ君!? ……クロノ君!?」

 息を切らせて追いついたはやてが、雨音に負けない悲鳴を上げた。それがとリンディ達を戒めから解放する。

「クロノッ!」
「ユーノ君ッ!」

 雨を弾いて駆け寄る。眉を寄せる血の匂いが三人の鼻腔をついた。
 満身創痍の少年――ユーノは、傷だらけの顔で微笑んだ。

「……ただ、いま」
「ただいまって……何してるの君は!? どうしてこんな無茶を……!」
「それは、後で……あ、やまり……ます。あ、の……出来れば……クロノを、受け、とって……もらえません、か……?」

 骨すら見え隠れしているユーノの腕は、小さく震えていた。リンディが慌てて彼からクロノを受け取る。
 細腕に掛かって来た重みは、予想していたよりもずっと軽かった。久しぶりに抱いた息子の軽さが、母としてのリンディの心を締め付けて行く。

「ユーノ君、あの、大丈夫――」
「じゃあ……クロノは、頼みます。……僕、は、なのはの……病室に……」

 ユーノが両膝を突く。意識が朦朧としているのか眼の焦点は合っていない。うわ言のように何かを呟き、彼は突っ伏すように水溜りの中に顔面から落下して倒れた。
 下水溝に流れて行く水の中に血が混ざる。もはや血だまりだ。引き裂かれた腕からは夥しい量の血液が狂ったように流れ出ている。いや、腕だけではなかった。身体の あちこちから、それこそ全身から流血していた。

「ユーノ君ッ!」
「いけない! エイミィッ、本局の病院に連絡して! シャマルに準備を! 急いで!」
「りょ、了解しました!」

 ユーノを抱えて本部施設に駆けて行くエイミィ。リンディもクロノを抱き上げ、その後をはやてと共に追う。
 水を吸った白髪が揺れた。眠るように閉じている瞼に動く気配は感じられない。
 それでも、クロノ・ハラオウンは戻って来た。今はこの事実を素直に喜ぼうと思った。



 ☆



 それは夢だと、なのはは思った。
 夢は都合の良いものだ。欲望や願望が映像となり、それを体験出来る。まさに微温湯に浸るような、そんな居心地の良さがいつまでも続く。
 照れ臭そうに笑い合うクロノとフェイトが居て。
 それを冷やかすエイミィとアルフが居て。
 微笑むリンディが居て。
 フェイトに嫉妬するはやてが居て。
 そんなはやてに困るシャマルが居て。
 些細な事から喧嘩を始めるシグナムとヴィータが居て。
 可愛らしい子犬の姿でまどろむザフィーラが居て。
 そして、自分の側にはすずかとアリサが居て。
 皆と色々な会話を交わしながら、でも誰かが居ない事になのはは気付く。
 居心地が良すぎて忘れてしまっていた。それに酷い罪悪感を覚える。でも居ない人が思い出せない。罪悪感は酷くなる。
 夢なのに。都合の良い映像のはずなのに。なのに、あの人が居ない。
 泣きそうになった時、その人は現れた。

「なのは」

 その人は顔が見えなかった。顔にだけ濃霧がかかったように良く見えない。
 どうして見えないのか。それが悲しくて、なのははまた泣く。

「なのは」

 名前も顔も思い出せないのに、その人は優しく名前を呼んでくれた。
 涙が止まる。
 その人の顔から霧が消え始めた。記憶も明瞭として来る。その人の名前がすぐに脳裏に浮かんだ。
 なのはの顔に笑みが浮かぶ。無邪気で、淀のみ無い、歳相応の可愛らしい笑顔だった。






「ん……」

 自分の呻き声が意識を覚醒させるのに一役を買った。
 眼を開ける。視界が白い天井をぼんやりと映した。何度か手の甲で擦ると、今度ははっきりと見えた。
 上半身を起こす。かけられていたシーツがはらりと落ちた。
 覚醒はしたが、なのははまだ半ばまどろんでいた。元々朝には弱い体質で、起床後はなかなか頭が働かない。無理もなかった。
 周囲を見渡す。そこが昨日から入院している病室のベッドの上である事に、なのはは五秒後に気付いた。

「あ……」

 眠る前の記憶が、先程の夢の映像と一緒に浮かんだ。
 初めてだった。家族以外のヒトの前であんなに泣き叫んだのは。迷惑をかけるのが嫌で嫌で仕方がなく、辛い事があってもグッと我慢して来たなのはにとって、本当に 初めての体験だった。
 罪悪感と申し訳無いという気持ちがごっちゃになって入り乱れた。でも同時に軽い解放感を感じずにはいられなかった。

「……ユーノ君……」

 こんな自分を抱き締めて、優しく語りかけてくれた少年。
 今まで通りでいいよと言ってくれた少年。
 フェイトと友達になりたいと思った気持ちを忘れないで言ってくれた少年。
 なのはは額に触れた。泣き疲れて眠ってしまう前に、なのはは額を彼の胸に押し付けていた。
 温もりは残っていなかったが、でも、心は温かかった。
 貸してくれた胸はちょっと頼りなくて危なっかしいと思ったが、でも、心は満たされた。
 彼を追い求め、なのはは視線を移動させる。
 居なかったらどうしよう。そんな不安はすぐに消えた。
 ユーノは椅子に腰掛けて、ベッドに突っ伏すように眠っていた。健やかな寝息を気持ち良さそうに立てて、静かに肩を上下させている。

「ユーノ君」

 不安は無くなったが、疑問が生まれた。
 眠る前のユーノと今のユーノは随分と様変わりしていたのだ。両腕は包帯がグルグル巻きになっていて、そこだけミイラ男のようになっている。寝顔を覗き込んで みると、絆創膏やら脱脂綿やら、酷い有様だった。髪も湿気をたらふく含んでいるのか覇気が無い。とにかく首を傾げざるを得ない姿だった。その上、ヒビ割れたレイ ジングハートがどういう訳か自分の掌に納められている。

「……まぁ、いっか」

 気にはなるが、こんな気持ちの良さそうな寝顔を壊してまで訊ねようという気は無かった。
 なのはは彼を起こさないように気を使いながら、指をその髪や頬に這わせる。いつまでも触っていたい衝動に駆られた。初めての事だった。
 それからなのはは、ユーノが起きるまで、ずっと彼の頬を撫で続けていた。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。♯.9 Wild fang、これにて終了です。
 散々悩ませてくれたSCクロノもこれにて終了。なのはは立ち直り気味ですが、次回からはクロノとフェイト、メインの二人の復帰話になります。うわ、シンドイ…。 ♯10はメインタイトルにもなっている”Southern Cross”がサブタイトルとしてついているので、終盤に向かう為の昇り道。ある意味フェイトよりも クロノがヤバスな状態になりそうです。
 ちなみに♯.9 Wild fangを書いてる時、イメージBGMをずっとたれ流しにしてました。一番かかってたのはもちろんジャンヌダルクの”Wild fa ng”だったのですが、次に仮面ライダー龍騎三期EDのRevolutionだったりします。これ結構合うんですよね。ファイナルベントでスティンガーブレイドエクスキュー ションシフト! 特に”たった一人守れないで生きて行く甲斐が無い”とか、大好きです。
 ちなみに最後のなのはの夢ですが、中の人繋がりで夢という言葉を出してみました。分かる人いるかな。
 では〜

 2006/8/6 改稿
 2006/10/19 一部文書削除 一部文書追加修正 改稿




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