魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.10 Southern Cross









 時空管理局本局に設営されている総合病院は、ミッドチルダのデバイス暴走事件対策本部と同等に多忙だった。
 目まぐるしく収容される患者は、すべてデバイス暴走事件の被害者である。多くは暴走体の無差別な破壊行動に巻き込まれた一般市民であり、その数は病室には 収まらず、エントランスロビーにまで溢れていた。腕や頭部に包帯を巻き、苦しげに顔を顰めた者達が肩を寄せ合っている様相は、敗戦の兆しを見せている軍野営地を 彷彿とさせ、否応無しに悲壮感を見る者に与える。
 本来この病院は管理局局員にのみ開院されている。遍く次元世界に於ける司法機関であり、次元犯罪の取り締まりを始め、古代遺失物の回収、封印、管理、各世界の文化 管理や災害救助、魔法技術の漏洩管理等、とにかく手広い活動範囲の管理局は、その分多くの荒事を起こさざるを得ない。もしくは巻き込まれる。それら任務に従事し、 遂行している局員も毎年殉職者も含めて、相当数の損害を被っている。これに対するケアとして、本局内には大規模な総合病院が居を構えているのだ。
 それがミッドチルダの一般市民に開放されるという事は、それだけ事が異常な方向に突き進んでいるという事の裏返しである。
 ロビーの待合ソファの上には傷付いた武装局員が何人も横たわっていた。重傷患者ではないが、看護士の応急処置を受けているその姿は酷く痛々しい。治療魔法が 行使出来る医療魔導師は、より症状の重い患者の下を奔走中だ。
 広い人造大理石のロビーには、重い喧騒が常に充満している。空気がすでに重苦しく、息苦しさを覚えずにはいられない。業務連絡の館内放送は途絶える事が無く、 時折苦痛を訴える患者が亡者のような呻き声を上げていた。
 ある種の緩慢とした地獄がそこにあった。

「……経過は順調ですね」

 診察を終えたシャマルが言った。安堵しているはずなのに、その声には覇気は無く、明らかに疲弊をしていた。
 多くの医療機材が取り揃えられた、より症状の重い患者用に設けられている個室。現在この病室のベッドの主はユーノ・スクライアと言った。
 ゆったりとした患者用寝間着を着せられたユーノは、疲れた表情のシャマルに申し訳無さそうに頭を下げる。

「ありがとうございます、シャマルさん。疲れてるはずなのに」
「いいえ。診察くらい、何て事ありません」

 優れない顔色で微笑むシャマル。羽織っている白衣も完全にくたびれてしまっている。院内の局員で疲弊していない者など居ない。雰囲気も様相も、病院そのものが 悄然としていた。

「腕以外の傷はもうほとんど完治してます。さすがに若いですね」
「自分でも出来る時は回復魔法を掛けてましたから」
「……それ、あんまり意味ありませんよ?」

 シャマルがおどけて言った。回復魔法は傷治療には有効だが、失った体力や血液等は補完出来ない。
 ユーノは歯切れも悪くして頭の裏を掻こうとしたが、掻けなかった。腕を動かそうとした瞬間、それこそ意識が吹っ飛びかねない灼熱の痛みが来たせいだ。
 長袖の寝間着のせいで隠れているが、ベッドに腰掛けてシャマルの定期診察を受診していたユーノの両腕は、分厚い包帯でグルグル巻きにされていた。多少関節は 動くように緩めに巻かれてはいるのだが、腕を動かそうとすれば、今のような激痛に襲われるので、完全な安静を余儀なくされている。

「すいません」
「謝るくらいなら大人しく寝てて下さい。じゃないと、なのはちゃんに告げ口しちゃいますよ?」
「そ、それは出来れば勘弁していただけると助かるんですが……」
「冗談です」

 少しだけ疲弊が抜けた様子で、シャマル。その表情に釣られて、ユーノは僅かに微笑んだ。
 こうしたあどけない会話が、今の混迷を極めている状況下では一種の清涼剤だ。悲観的になるのは簡単だが、そこから脱出するのは難しい。今よりさらに落下しない ように努めるしかない。
 口許を押さえ、クスクスと控えめな笑いをした後、シャマルがいとまを告げる。

「それじゃ、私は行きますね。他にも回らなきゃいけませんから」
「……事件はどうなってますか?」

 そんな彼女を、ユーノは低くした声で呼び止めた。
 少しだけ明るくなったシャマルの表情が暗澹とした。ユーノは胸の痛みを覚えつつ、それでも訊く事を止められなかった。
 あれから、第二級特殊犯罪者と認定されたクロノを連れ戻してから、すでに四十八時間――二日が過ぎている。
 クロノとの戦闘で重傷を負ったユーノはICUで治療を受けていた。腕以外の傷はそれ程重いものでは無かった為、昨日からこうして一般病棟に移り、半ば” 軟禁状態”で療養中である。

「なのはに訊いても教えてくれなくて……」

 そう言うと、シャマルは苦笑する。

「ユーノ君がまた無理をするんじゃないかって気が気で無いんですよ、なのはちゃんは」

 ユーノはまともに言葉に詰まった。頬の紅潮具合は、その色白のせいで一目瞭然である。

「……教えてくれませんか?」

 それでも訊ねる。なのはが自分の身を案じてくれているのは、今のユーノは良く理解していた。何せ病室に軟禁状態にしたのは彼女だし、腕の動かない自分を忙しい 中で世話してくれている。
 心遣いは嬉しい。でも、いつまでも休んでいられないのだ。
 シャマルは溜め息をつくと、眼を細める。

「そういう所はクロノ君と似ていますね」
「……あいつに似てるって言われても嬉しくありません」

 あんな人騒がせな執務官に似ているというのは、ある意味侮辱である。ユーノはそう思い、口を尖らせた。
 シャマルはそんなユーノの反応が面白いのか、ニコニコとした。

「そういう反応も良く似てます」
「……それで、教えてくれるんですか? 教えてくれないんですか?」
「もう、そんなに怒らないで下さい。……なのはちゃんから口止めされている訳ではないので、私に出来る範囲でしたらお話します」

 扉越しに忙しない館内放送が聞こえる。ユーノはどの事項から訊こうか吟味した後、口火を切った。

「レイン・レンは?」
「完全に行方不明です。家宅捜索をしたゼニス社にも手がかりになるような物は無かったそうで、今は戦技教導隊の方々数名が捜索中です」

 ほぼ予想通りの返答。ユーノは言葉を続ける。

「……暴走事件の方は?」
「さらに暴走件数は増加傾向にあります。はやてちゃんはほぼ出動しっ放しで……」

 ユーノは現状のアースラの戦力を吟味して下唇を噛んだ。今まともに戦えるのははやてだけだろう。なのはやヴィータも戦闘可能な程に回復はしているが、 無理の効かない病み上がりの身体だ。ザフィーラはアルフに付きっ切りなので、余程の事な無い限り出動は出来ない。というか、はやてが許していなかった。

「アルフは?」
「昨日ようやく落ち着きました。多分フェイトちゃんが持ち直したんだと思います」
「……フェイトの捜索はやっぱり……?」

 ユーノの問いに、シャマルは小さく『はい』と言って俯いた。
 打ち切られたままなのだ。フェイトの捜索は。
 今の状況を垣間見れば仕方が無いと理解出来るが、納得は出来なかった。ユーノは握り拳を作ろうとしたが、痛くて作れなかった。情けないなと思う。

「なのはちゃん達が空いてる時にずっと探してますが、バルディッシュが完全に停止してるみたいで、どんなに呼びかけても応答が無いみたいで……」
「……せっかく……クロノを連れ戻したのに……」
「………」
「シャマルさん。クロノは……まだ……?」
「意識不明のままです。大方の治療は終わってますが……」

 ユーノと共に病院に担ぎ込まれたクロノは、傷らしい傷も無く、意識不明のままで精密検査が実施された。”第二級特殊犯罪者”として認定された以上、 拘束された際には精神鑑定も含めた多くの精密検査を通過しなければならない。
 その結果は、まさに薬物中毒者そのものだった。暴走事件のデバイス被害者と同様に、脳には過度な脳内麻薬の分泌が認められ、魔導師の魔力の源たるリンカーコアには 人為的に強化された痕跡が発見された。その他にも血液中からは夥しい数の筋力増強剤や麻薬の一種が検出され、およそ人間として動く事が出来ない状態だった。

「リンカーコアは数時間前に稼動安定が確認されましたから、峠は越えているはずです。近い内に眼が覚めると思います」

 彼が目覚める時は近い。それを訊いて安堵から胸を撫で下ろしたくなるものの、やはり腕が痛んだので出来なかった。
 いや、仮に出来たとしても途中でやめただろう。
 クロノが戻って来た。これを喜んでいない者は居ない。無理をして冷徹に振舞っていたリンディは出来る限り病室に居るようにしているし、エイミィも、なのはや はやてもそうだ。
 しかし、意識を取り戻した彼を待っているのは法廷である。
 正常な判断が下せず、喩え精神操作の類を受けていたとしても、この一週間余りにクロノが行った事は完全な犯罪だ。言い逃れの出来ない罪だ。傷害の被害者である なのはは彼を訴えるような事はしないし、今もベッドの上で医療機材に囲まれて眠るシグナムもそうだろう。フェイトもだ。
 だが、それでもクロノの罪は消えない。本来なら第一級犯罪者――勧告無しに殺傷設定にされた魔法攻撃が許される凶悪犯――に該当する罪を、彼は犯してしまったのだ。
 そして何より、この罪を彼自身が許さないだろう。
 多くの親しい者達を殺害しようとした。強くなりたいという、ただそれだけの理由で。そんな狂った理由で、本当は守りたい、守らなければならない者達を傷付けた。
 自分を好きだと言ってくれた少女を本気で殺そうとした。
 クロノが狂っていた時を覚えている保証は無い。ユーノは覚えていて欲しくないと切望するものの、それは意味の無い願いだとすぐに痛感した。
 暴走事件のデバイス被害者は、そのほとんどが暴走当時の記憶を鮮明に覚えている。半ば暴走状態にあったクロノが、そう都合良く記憶を喪失しているだろうか?
 覚えているだろう。恐らく、否、間違いなく。
 クロノは罪を憎んで人を憎まずの典型例のような少年だ。自身が犯した罪に引き裂かれるに違いない。それは安易に予想出来た。

「クロノは、やっぱり逮捕されるんですか?」

 呟くようにユーノが言った。分かっていても、今は訊きたかった。
 シャマルは眼を伏せる。重ねていた手で白衣をぎゅっと握った。

「意識が戻り次第、リンディ提督が逮捕されるとの事です」

 そう、分かっていた。分かってはいたが、その残酷な決定に憤りを感じる。どこにも向けられない、どこにも吐け口の無い、ただの純粋な怒りを感じる。
 アースラはデバイス暴走事件の暴走体駆逐任務の旗艦だ。駆逐任務の責任者は艦長であり、提督たるリンディ・ハラオウンである。彼女にはクロノを逮捕する権利と 義務がある。この二つを破棄する事は出来ない。他者に譲渡も出来ない。
 ――母が子を逮捕する。これ以上に残酷な行いは、そうありはしない。
 ユーノは口を噤んだ。今は握り拳一つ作れない自分が恨めしく、皆の為と言ってクロノを連れ戻した自分の傲慢さに腹が立った。
 皆の為に、自分の為に。確かにユーノはクロノを連れ戻した。だが結果はどうだ。彼に下された、彼の母に出された命令に対して自分はあまりにも無力だ。それなりの 力はあったとしても、”権限”の前では何も出来ない無知な子供でしかない。

「……他に無ければ戻りますが……?」

 シャマルの声に、ユーノは苛立ちや無力感を伏せた。それらを気取られないように努めて明るく答えた。

「はい、ありがとうございました」
「……いえ。それじゃあまた」

 力無い笑顔でシャマルが病室を出て行こうとした時、扉が軽くノックされた。そうして聞こえて来た声は、どこか期待に満ちた少女の声だった。

「なのはです。あの、ユーノ君居ますか?」
「あ、うん。居るよ、なのは」

 答えると、扉が横にスライドした。お邪魔しますと言ってなのはが入って来る。走って来たのか、呼吸が乱れていた。

「た、ただいま、ユーノ君」
「おかえり、なのは」
「おかえりなさい、なのはちゃん」

 なのはは呼吸を整えながらシャマルに会釈をする。管理局の制服は着崩れを起こしていて、胸元のリボンや白い上着が派手にズレていた。

「なのはちゃん、リボンがズレてますよ?」
「ふぇッ?」
「あ、じっとしてて下さい」

 シャマルがなのはの服装を正す。手付きは慣れたもので、はやてにも同様にそうしていたのだろう。

「はい、直りました」
「あ、ありがとうございます」
「あんまりはしゃぎ過ぎないようにね、なのはちゃん」

 優しくなのはの頭を撫でたシャマルは、お邪魔虫は退散しますと言って病室を出て行った。
 扉が圧縮空気に押し込まれ、閉じる。一瞬だけ大きく聞こえた室外の騒音がまた遠くになった。
 別にお邪魔虫でも何でもないのになとユーノは思いつつ、なのはを見た。連日の暴走体駆逐任務で疲れているだろう彼女の顔は、何故か明るかった。確かに疲労感は 浮かんでいるが、微かに赤くなっている頬が健康的で、とても目立つ。

「あ……」

 ユーノの視線を感じたのか、なのはが視線を逸らした。そわそわと落ち着かない態度で、腰の裏で指を繋ぐ。頬の赤みがその濃さを増したのがすぐに分かった。
 照れているのだ。ユーノはすぐに理解して、自分も眼を彼女から逸らした。
 ユーノの無茶な強行軍は、結局すぐになのはに知れてしまった。
 両腕の大怪我や身体中の擦過傷、打撲を目の当たりにすれば誰だって怪訝に思うだろう。なのはに強い態度で追求されたはやてが黙秘を守れずに吐露してしまったのだ。

「ユーノ君」

 気付けば、なのはがベッドに腰掛けて、こちらに笑いかけていた。どこか照れ隠しをしているような、そんなはにかみ。
 距離は少し遠かった。やはり恥ずかしいのか。

「腕とか、まだ痛む?」
「……まぁ、少しだけ」

 ユーノの無茶を聞いた後のなのはは、泣きながら怒った。嗚咽やら怒鳴り声やら、とにかく聞き取れないくしゃくしゃになった声でユーノを怒った。そんな彼女に、 エイミィが”アースラに関わる魔導師は揃いも揃って無茶好きなんだよ”とフォローにならないフォローを入れて、さらに一悶着。忙しい看護士が怒鳴り 込んで来るまで、ユーノの病室は笑い声すら混ざった喧騒に包まれた。
 なのはが、はやてが、エイミィが、そしてユーノが。四人が本当に久しぶりに笑う事が出来た日だった。
 ユーノとなのはの隙間が徐々に狭まって行く。なのはがちょこちょこと縮めて来るのだ。

「もう無茶しないでね?」
「うん、しないよ」
「ホント?」
「しないって」
「ホントにホント?」
「ホントにホント」
「……うん」

 なのはが満足そうにして頷いた。ここ二日、彼女に会う度に交わされる会話だった。シャマルの言葉通り、ユーノが無茶をしないか心配でならないのだ。その為の確認 の言葉。ある意味で不毛なのかもしれないが、ユーノの退屈な軟禁状態にある入院生活に於いて、唯一の楽しみであった。

「診察に来てたの、シャマルさん」

 二人の距離は、もうほとんど無くなっていた。遠くにあるなと感じていたなのはの顔が、今は視界の大半を埋めている。間近で見た少女の顔色はお世辞にも良いとは 言えなかった。精神的にも肉体的にも艱難辛苦な暴走体の鎮圧任務を、病み上がりの身体で連日連夜遂行しているのだ。その上、なのははフェイトの捜索も行っている。 心身共に休息を得る暇はあるはずもない。
 ユーノはそんな彼女を支えられない自分に歯がゆさを感じ、腕一本まともに動かせない事に苛立ちを募らせる。

「うん、定期診察。腕以外はほぼ完治したって」

 もちろん、そんな背景は億尾にも出さない。シャマルから事件の事やクロノの容態を聞き出したのも話さない。
 なのはが唯一休める場所。それがこの病室で、ユーノの側なのだ。ユーノ自身、それは分かっていた。
 病室から出ようと思えば、ユーノはいつでも出られた。アースラに戻って、エイミィから状況を聞き出す事だって出来た。
 でもしなかった。腕がほとんど動かない状態では、喩え魔力があっても魔法印を結べず、高出力の補助魔法の行使に支障が出る。それでは暴走体の鎮圧任務に出てた としても、ただの足手まといになるだけだ。

「腕はまだ……?」
「うん、ちょっと難しいかな」

 だったら大人しく治療に専念するべきだし、なのはの休息場になって彼女を待っていた方が何倍も有意義だ。

「じゃあ、ご飯とかまだ一人じゃ食べられないんだ」
「当分先だよ。もうもどかしくて」
「……治るまで、私が……なのはが、食べさせてあげるから」

 細い顎に人差し指を添え、なのはは薄っすらと笑った。頬を染めたままの無邪気な微笑み。一人称を言い直す辺りがいじらしかった。
 両腕がまともに動かないという事実は、一人で食事が摂れないにイコールで繋がる。未だ二日目だが、その間、ユーノはなのはに食事を食べさせてもらっていた。もちろんなのは が事件発生で居ない時もあったので、その際は看護士の手を借りていた。仕方がなかったとは言え、それを知ったなのはは妙に不貞腐れてしまい、再び一悶着を起こして いる。

「う、うん。ありがとう、なのは。……なのはは身体大丈夫?」
「うん。元気いっぱいだよ」

 側頭部のツーテールを揺らして、なのはは胸を張って見せた。
 もちろん嘘である。すぐ近くで見た優れない顔色が何よりの証拠だ。
 それを分かりながらも、ユーノは言及しなかった。彼女の心遣いが良く分かったから。代わりにこう答えた。

「……もし我慢出来なくなったら、また言って」

 なのははキョトンとして、それから俯き、小さく頷いた。
 心配。迷惑。そんなのは幾らでもかけて欲しい。自分と彼女は”友達”なのだから。辛い事も、悲しい事も、嬉しい事も、全部、すべて、何もかもを共有し、分け合いたい のだから。
 膝の上にあったなのはの手が、ユーノの頬を伝い、髪をくしゃりと触った。心地良い人肌の感触に、ユーノはくすぐったさを覚えて眼を細める。

「ユーノ君も、もうこんな無茶しないでね」
「うん。出来ればもうしたくない」

 死に直結する無茶は、今後なるべく控えたい。

「無茶する時は、なのはも一緒だから」
「……じゃあ、その時はなのはを守れるよ」

 すると、なのはは頬を膨らませた。外見通り、子供らしい不貞腐れ方だった。
 何か拙い事を言っただろうかと思って、少しだけ慌てるユーノ。

「なのは?」
「なのはがユーノ君を守るの」
「でも、僕は攻撃魔法とか、全然使えないし……」
「なのはが守って、なのはが戦う」

 剥れた顔のまま、なのはが言った。
 それではユーノがやる事が無く、ギブアンドテイクではない。

「いや、でもそれだと……」
「いいの。ユーノ君はもう危ない事しちゃダメ」

 言う事を聞かない子を嗜める親のように告げるなのは。剥れるのはやめて、口許に笑みを浮かべる。
 女の子に守られるのは、男として情けない。相手が好きな子なら、そう思う気持ちは尚更だ。

「なのは。その」
『そうです。あなたは大人しく守られていればいいのです、ユーノ・スクライア』

 容赦の無い辛辣な言葉が割り込んで来た。声の発信場所は、なのはが首から下げている紅い宝石からである。

「レイジングハート」
『あの行動は勇気と無謀を履き違えた所業でした。仮に次回があれば絶対に協力を拒否します』
「あれは君が勝手に……」
『再計算しましたが、私が居なければあなたは百パーセント死んでいました。今後は自分の技量を考慮して動いて下さい』

 有無を言わず断言されたユーノは、何とか言い返す言葉を捜すが、やはり見つかるはずもない。単独でクロノを止めようとしたのは、当時から充分に無茶であり、無謀 であり、無理であったというのは知っていた。
 ちなみにユーノとクロノが病院に収容された後、レイジングハートも装備課のマリーの下へ搬入された。ユーノと比較すれば軽傷と言える破損具合だったが、 半ば中破している状態で無茶な魔力増幅やら何やらを行ったのだ。過負荷を考えれば当分稼動は控えるべきだったが、状況が状況だけに、エクセリオンモードの使用を 封印して現状は戦い抜いている。

「レイジングハート。あんまりユーノ君をいじめないで。いい?」
『Yes master.』

 本来の主には従順らしい。傷だらけの紅い宝石は即答を返して点滅した。
 ユーノの憮然とした視線を理解したのか、なのはが苦笑いを浮かべた。

「にゃはは。ごめんね、ユーノ君」
「……さすがにムカッと来たけど、まぁ事実だし……」

 そう、事実だ。クロノを止め、本来居るべき場所に連れ戻すには、レイジングハートの力が必要不可欠であったというのが間違いない。
 しかし、あの一言多い性格は何とかならないものだろうか。戦闘中もいちいち食ってかかって来たし。アナザーマスターとか言っていたのに。
 腹を立てると、胃が刺激されたせいなのか、腹の虫が活動を活発にし始めた。一日目はクロノに散々殴られたせいでまともに食物を摂る気になれなかったが、今は そうでもない。
 ユーノの腹の音を聴いたなのはは、ツーテールをぴょこぴょこ揺らして、元気良くベッドから飛び降りた。

「ご飯貰って来るね。何がいい?」
「何でもいいけど、出来れば油物は避けてもらえると嬉しいかも」
「りょうかいです!」

 可愛らしい敬礼を残してなのはが病室を後にしようとする。
 その行く手を、駆け込んで来たシャマルが止めた。

「ユーノ君ッ、なのはちゃん!」

 白衣を乱して飛び込んで来たシャマルは、普通の慌て様ではなかった。全力疾走でここまで走って来たのか、扉の戸口を掴み、もたれるようにして立っている。

「……どうしたんですか、シャマルさん」

 なのはとユーノが見守る中、シャマルは苦労して言葉を紡いだ。

「――クロノ君が、眼を覚ましました――!」



 ☆



 意識して、科学者は大きな深呼吸をした。硬く鍛えられた胸を使い、しなやかな無駄の無い筋肉が発達した両腕を広げ、海を思わせる程の深い息をする。
 肺が膨らみ、萎んで行く。それを五回繰り返す。取り入れられた空気は淀んでいて、カビの臭いが漂っていた。
 それでも状況を飲み込み、落ち着いて吟味し、受け入れる為の精神的準備を整える事は出来た。

「奪われちゃいましたねぇ」

 口に出してみる。そして実感しようとしたが、巧く理解出来なかった。
 いや、これまで支障らしい支障を来たさず、恙無く遂行されて来た計画が根底から崩れてしまった現実を直視出来ないで居るのだ。
 肩が、唇が、思考が、すべてが震え始める。制御不能の自然の脅威のように、一つの感情が彼の中で荒れ狂う。
 気が狂わんばかりの憤怒。
 科学者は冷静に努めようとした。冷静さを失えばすべてに盲目となる。彼はそれを知っていた。
 理性と感情は別に存在している。本能もだ。だが、同時に密接に繋がっていると言っても良い。
 鉄のように冷たく硬い精神で憤怒を説き伏せようと躍起になる。抑制の効かないほの暗い激情が暴れた。
 気分を鎮めよう。科学者はそう決意して、場所を移動した。
 彼が今居た場所は、街中にある一種のセーフハウスだった。非常時に備えて押さえていた安物件の廃墟ビルディングの一つで、未だ摩天楼の開発が進んでいる ミッドチルダの中央都市に於いては、珍しくもない半ば放置された建造物である。
 安物件とは言っても、その価格は一般家庭では一生を費やしても返済不可能な金額だ。多くの最高位企業の本社施設が軒を連ねている中央都市に建造されているのだ。 管理費も含め、廃ビルを前提としても異常な費用がかけられている。それでも科学者がここを根城の一つにしてストックしていたのは、管理会社や関係者のほとんどが すでに存在しておらず、脚が付き難くなっている為だ。
 それ程までに古い建築物なのである。
 付近には大きな主要高速道路が入り乱れていた。廃ビルはそれらに挟まれるように佇んでいて、地上二十階、地下三階の規模を誇っている。
 科学者は最上階にある居住区を出た。ジメジメとした不快指数の高い通路を抜け、下層へ移る。眉を顰めざるを得ない湿度だった。
 雨音が遠くで響く世界に、床を打つ足音が割り込みをかける。
 居住区の一階下は、魔法の模擬戦闘も含めた総合的なトレーニングルームとなっている。
 埃が層を作った広大な部屋に入る。カビの臭いもそうだが、スポーツジムのような内装だった。
 天井からは痛んだサンドバッグが吊り下げられ、隅には大型の冷蔵庫が静かにモーター音を響かせている。その横には無骨だが実用性一点張りの鋼のロッカーがあり、 何かを厳重に保管していた。幾つかのベンチがあって、綺麗に折り畳まれたタオルが荒れた室内で酷く浮いた存在となっている。
 レンはベンチに歩み寄ると、羽織っていた対魔性のディフェンスコートを脱いだ。ハンガーに引っ掛ける。

「どうしましょうか」

 相変わらず科学者は理解出来ずに居た。予想し得なかった現状を。教科書や参考書に記載されている高名な科学者でも、きっとこんな事態は予想出来なかっただろう。
 サンドバックはどこからか吹き抜けて来る風に揺られ、錆びた金具を軋ませた。

「人生は予想出来ない。故に面白い、か」

 いつか読んだ本に、そんな事が書いてあった。
 科学者はサンドバッグに近付くと、何の音沙汰も無く、唐突に上段蹴りを叩き込んだ。振るわれる刃の如く鋭く、放たれる拳の如く重い蹴りだった。 使い古されたサンドバッグは綺麗に入れ曲がり、赤いカビだらけのマットが変形する。
 鮮やかな蹴りは、そのまま回し蹴りに移行した。左脚、右脚。人間ならば側頭部を抉られているだろう。
 サンドバッグが激しく揺れた。金具が千切れてしまいそうな嫌な音を上げる。

「そしてロジックでは謀り知る事が出来ない」

 科学者は、今自分が痛感している感情を分かり易く解釈するとすれば、如何なるモノになるのか思案してみた。

「……子を奪われた親、ってとこでしょうかねぇ」

 そんなものだろう。
 つい先日まで共に居た少年を思う。
 自分と同じ凡庸な人間。自分と同じ才能の無い人間。自分と同じひたむきな努力を怠らなかった人間。
 彼が、クロノ・ハラオウンが奪われた。正確に言えば連れ戻された。
 科学者は踵を返すと、高ぶりを続けている己が神経と感情を沈める為、ベンチ上にあったデジタルオーディオの電源を入れた。ボリュームを最大に上げ、鼓膜の振動 が分かる程の大音量をスピーカーから流す。
 流れた曲は女性アーティストによる洋楽だった。アーティスト名は忘れた。管理外世界にふらりと出かけた時、そこで耳にして気に入った曲だった。覚えているのは ”赤い断片”という曲名のみ。
 梅雨の空気をどよもす曲を聴きながら、レンは冷蔵庫横のロッカーに歩み寄る。カードリーダーにキーとなるカードをリリースして、ロックを解除。重い金属音を 鳴ってロッカーが開放された。
 中に保管されていたのは銃火器だった。中からお気に入りの一つを手に取る。
 見事な黒の光沢を放つ大型ショットガンだった。重厚な作りで、見る者を否応無しに威圧するシルエットを誇っている。バレルの下部にはショットシェルを薬室内部に 装填するポンプが備わっており、トリガー等の機関部には片手発砲用の保持ストックが装備されている。
 名はSPAS12。手動装填発射のポンプアクションとセミオートマチックの切り替えが可能な特殊部隊向けの散弾銃である。無骨で比較的大型に分類される銃火器 だが、屋内では優れた制圧力を発揮し、何より装填される弾薬の種類によっては凶暴な肉食獣をも一撃で引き裂く攻撃力を持っている。

「どうしましょう」

 実感の無さが、他人事のように科学者に呟かせた。
 クロノ・ハラオウンは計画の要たる存在だった。自分を裏切り、嘲笑し、蔑んだただのデバイスへの復讐の計画の中核となるべき存在だった。彼という逸材がロッテ ィンバウンドを購入した時から、科学者は長年温めていた計画を実行に移し、クロノに合わせた変更も行った。
 今更それを調整する事は出来ない。
 すでにロッティンバウンド搭載型デバイス、もしくは搭載した経緯のあるデバイスの暴走準備はすべて整っている。後はクロノが蒐集して来た魔力で専用カートリッジ を大量生産して、彼にそれを使わせ、究極の暴走体へ昇華させるだけだったのだ。
 言わば後一歩。締め括るべき場所ですべてを取りこぼしてしまったと言える。
 完全な予想外の出来事としか表現のしようが無かった。失敗する要因が何一つとして無かったのに。
 ――否。あったとすれば、それは自身が慎重になり過ぎていた事くらいだろう。用心に用心を重ね、クロノ・ハラオウンという計画の要に熟成期間を置き過ぎた。
 振り返って後悔をしても、すでに後の祭り状態だ。取り返す手段は無い。
 ――こんなはずではなかった。
 科学者はロッカーから幾つかの銃火器を取り出して行く。どれもが黒一色に塗り固められた実用性一点張りの風情を漂わせている。
 大型ショットガンの後に取り出したのは、拳銃を一回り大きくしたサイズを誇るサブマシンガンだった。あまりにも小型で、弾倉であるマガジンの方が尺が長い程だ。 携帯性と連射性能、さらに生産性を徹底的に追求されて設計された銃火器で、開発者の名が取られ、イングラムと呼ばれている。
 次にロッカー内のガンラックから引っ張り出したのは、ロングバレルのリボルバー型ハンドガンである。円筒型バレルではなく、オートマチックハンドガンの無骨な 平面型バレルを採用しているその銃器は、一瞥で過剰殺傷可能な火力を秘めているのが見て取れた。呼称名はレイジングブルという。
 三つの銃火器を選定した科学者は、次にそれぞれに対応した弾薬の補充に入った。
 大型ショットガンは近接距離での制圧用に選んだ。肩と腰にガンベルトを巻き、用意しておいたショットシェルの中でも最大の火力を誇るスラグ弾を押し込む。
 サブマシンガンは中距離から近距離の牽制用に選んだ。九ミリ弾頭をクイックローダーで予備弾倉へ詰め込む。
 大口径リボルバーは牽制、制圧を兼用して選んだ。開発暦は恐ろしく古いが、未だその火力健在である454カスール弾をシリンダーの五つの穴へ装填し、予備弾を スピードローダーへ。ローダーはそのまま五つ程製作。
 陰鬱としたトレーニングルームには、相変わらず爆音の洋楽が流れ続けている。
 その他予備兵装を選択して、ガンホルダーを装着する。

「僕は一体何をしているのでしょうかねぇ」

 最後に最も信頼している2.5インチのリボルバーを腰の裏に忍ばせて、最強の盾たる聖書型ストレージデバイスを手に取り、科学者は独りごちた。
 ザッと自分の姿を見渡してみる。戦争にすら参加可能な過剰武装の男が一人、準備を整えて佇んでいた。
 半ば無意識にこなしてしまった行動だった。科学者は思わず腕を組み、顔を顰めて思案に耽る。
 こんな重武装をして、自分は一体何をするのだろう――?
 計画は破綻した。再起は恐らく不可能だ。しかも事件の首謀者として管理局から追われている。今は暴走を誘発させる事で混乱を招き、時間を稼いでいるが、それも 恐らくは長く保たないだろう。
 やりたい事が出来なくなった。あれだけ焦がれ、待ち望み、渇望し、心の底からそうしたいと望み、長い時を準備期間として費やして来た夢が叶えられない。
 そればかりか、これからの先の人生が完全に闇に閉ざされてしまった。多次元に手を伸ばしている管理局から逃れるのは容易ではない。逮捕されれば、間違い なく極刑が待っている。
 ――後にも先にも進めない。
 それを理解した時、科学者は自分の不可解な行動も理解した。

「ああ……そういう訳ですかぁッ!」

 簡単な結論だった。科学者は堪えきれずに拍手をしてしまう。まるで舞台かコンサートが終わった後に起こる喝采のような拍手だった。
 そして、それに狂ったような哄笑も付属される。

「ああああ〜ッ! なるほどォなるほどォッ! いやぁ〜、さすがは僕ですッ!」

 額を覆って天井を仰ぎ、腰を曲げて弓なりになり、科学者はさらに笑う。
 鼓膜が破れてしまいそうな大音量の洋楽をも蹴散らす、気持ちの良い程の笑いだった。
 ――後にも先にも進めないのなら、横に道を作ればいいのだ。
 進んで来た道は、言い換えればこれまで築いて来た準備の道だ。このまま何もせずに閉じてしまうにはあまりにも勿体無く、意味が無い。

「まぁ、破壊するには代わりありませんしねぇ」

 自暴自棄を起こす訳でもなく、科学者の理路整然とした頭がさらなる結論を提示する。
 どの道破壊が目的だったのだ。別に部隊の中核を担う者が居なくとも構わないではないか。

「最低限は僕が指揮すれば良い話です」

 科学者が無意識に自分に施していた武装は、彼が前線に赴く為のものだったのだ。頭が自動的に状況を熟知し、解析し、その中で最も優れた結論を出して、その為の 準備を行った。
 つまり、そういう事だったのだ。
 科学者は鼻歌を歌いながらベンチに戻って白衣を羽織った。スキップをしてロッカーに向かい、あちこちに設けられたアタッチメントポケットに予備弾倉やその他 の武装を手際良く詰め込んだ。
 あたかもデートに向かう前の男性のようだ。
 すべての準備を整えた科学者は、冷蔵庫から滋養強壮剤を箱ごと取り出して、納められていた十二本のビンをすべて空にした。
 重くなった白衣を引き摺るようにして、科学者は――レイン・レンは、”赤い断片”という曲名の洋楽に送り出され、灰色の街へ繰り出した。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。♯.10 Southern Crossの一話。
 まず色々失敗していた事。ユーノが中盤辺りでヴォルケンを呼び捨てにしている事が失敗一。…普通さん付けですよね。早急な修正が…。
 ユーノとなのはのイチャつきをもう少し書きたかったのですが(あ〜んも含めて)、クロノとフェイトの入院話に被るので敢え無くボツ案に。ただでさえ場面が被る 事の多いSCに於いて、これ以上被らせるのは如何なものかとの結論。でも敢えてやってみたかった…orz
 ここからシャマルの出番が増え始めます。やっとか!? …orz シャマれ! 俺シャマれ!(錯乱気味)。
 レイン・レンの武装はすべて俺好みです。スパスとかイングラムとか大口径リボルバーとか、全部大好物です。そしてやってみたかった”銃火器vs魔法”がついに 出来る! ”赤い断片”はある意味そのままですね。彼の過剰武装とかも割とそのままです。まぁアレに登場する火器はマイナーなモノが多いので、スパスとかイングラ ムは有名火器使ってる俺は失格なのかorz
 では次回も。






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