魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.10 Southern Cross









 三日間。時間に換算すれば七十二時間。
 長い三日間だったと思う。時間にしてみればたったそれだけかとも思う。
 何をしていたかほとんど覚えていない。暗い部屋に閉じ篭もり、ベッドの上で膝を抱え、壁の一点を見詰めていた。考える事に疲れて、 ココロをカラにして、逃げて、呼吸をする死人になっていた。
 ――それが、今終わる。

「やっと着いたか。近いって言っても、やっぱ次元空間の転送は時間かかるねぇ」

 高価な大理石を思わせる端正な天井を仰ぎ見て、メディアが愚痴た。
 フェイトはそんな彼女に手を引かれ、口を噤んだままその後を追う。
 二人が転移した先は、時空管理局が民間用に解放しているトランスポーターホールだった。ビルディングのロビーを思わせる内装の空間は、いつもならば管理局を 訊ねて来る民間人で賑わいを見せているものだ。だが、今はそれが無い。動いている人影はフェイトとメディアしか居なかった。

「あんたの言う、デバイスの暴走事件のせいかしら?」
「……そうだと思います。疎開自体、私が居た頃から始まっていましたから」

 ホールを抜け、出入り口を潜り、時空管理局の本局内へと脚を踏み入れる。
 本局エントランスホールに充満していた風が頬をなぞって行く。どういう訳か、とても生暖かい感触だった。
 そんな嫌な風と共にフェイト達を迎えたのは、圧倒的な音量を誇る喧騒であった。

「……ここ、本当に時空管理局?」

 フェイトとメディアは呆けた顔で眼を瞬かせ、局内の光景を静観した。
 局内のエントランスホールは、いつもなら清楚さすら持っている静かな場所なのだ。開院したばかりの病院の待合室のようにひっそりとしていると言っても良い。
 だが、二人を迎えたホールはそれとは正反対だった。
 荒々しく床を踏み締めて走って行く局員達。彼らの顔に余裕は無い。各所で殺気めいた調子のやりとりが飛び交っている。ホール全体に木霊し、反響している声はただの雑音で、まるで獣の咆哮のようだ。
 一種異様な空気。それがジメジメとした湿気のように充満している。
 フェイトはデバイス暴走事件の対策本部を思い出した。いつもという訳ではなかったが、あそこも酷い時はこうした空気が漂っていた。

「まるで動物園だね、こりゃあ」

 防護服の機能を果たしている上着を仰ぎながら、メディアは皮肉めいた嘲笑をする。彼女は時空管理局全体にあまり良い印象を抱いてはいない。卑屈めいた言葉の 一つや二つ、こぼれてしまっても仕方がないだろう。
 暴走事件に何か進展があったのかと、フェイトは思った。最初は嘱託魔導師として、そして年初めには執務官候補生 として、フェイトはすでに一年以上管理局に在を置いている。その月日の中でも、局そのものがこうした錯乱状態に陥っているのは見た事が無かった。
 メディアは人波から逃れる為、フェイトを連れて壁際に移動する。

「こりゃ連絡もつかないはずだわ。トランスポーターも反応鈍いからどうしようかと思ったけど」

 メディアはジャケットを脱いで小脇に抱える。掌をひらつかせて暑さを凌ごうとするが、健気な抵抗に過ぎない。
 態度や言葉には出さないものの、フェイトもホール内に充満しているある種の狂った熱気に蒸し暑さを感じていた。
 数日ぶりに外の世界に出た少女は、アンバランスな身形をしていた。
 痛んだ感のある白いワンピースに、手足に巻かれた真新しい白の包帯。ボロボロになった金髪は、多くの局員達が走った事で生まれた風に吹かれて靡いている。 その様は穴だらけの旗のようだ。顔色は血色が悪く、病的なまでに蒼白い。頬はこけて肌に瑞々しさは無い。緊張したように引き締まっている唇も同様だ。
 気配そのものが悄然とした少女。見る者は一様に痛々しさを感じるだろう。

「さぁてフェイト。取り合えずあんたが今一番来たい場所に来た訳だけど、これからどうする?」

 意気揚々と、メディア。舌なめずりをして口許を吊り上げている。
 ――これからどうするのか。そんな事はすでに決まっている。

「……アースラに行こうと思います」
「アースラか。確かあんたや坊やの母艦だったね?」

 コクンと頷くフェイト。

「この様子だと……まだミッドチルダに居るのかも知れません」
「デバイスの暴走事件か」
「はい」

 ここに来るまでに、フェイトは事の詳細を掻い摘んでメディアに話していた。一応はメディアは民間人なので、事件の捜査状況等は規則として教える事は許されない。 説明は概要だけに留められている。

「あんたの友達もアースラに居そうかい?」
「……多分。あれから何も変わってなければ……」

 実際には書類上の事実だが、アースラは暴走デバイス鎮圧部隊の旗艦だ。暴走事件が解決されない限り、あの巡航L級八番艦が持ち場たる対策本部から離れる事は無い。 鎮圧部隊に組み込まれたなのはやはやても、きっと居るはずだった。
 フェイトはメディアの手を握り締めた。メディアは少し驚くものの、優しげに微笑むだけで何も問わなかった。
 懸念材料はいくらでもある。クロノに痛め付けられたなのはは大丈夫なのか。身体中に酷い火傷を負っていたアルフは持ち直しているのか。シグナムはまだ眼が覚 めないのだろうか。ヴィータはもう回復したのだろうか。アリサの容態は安定したのだろうか。
 特にアルフが気がかりだった。二日前、心を砕かれたフェイトは無意識に彼女への魔力供給を半ば停止してしまった。それ以降も供給すべき魔力が枯渇しており、 また完全な心神喪失状態にあったのでラインは開放していない。今も小川のような心許ない供給ラインと精神リンクを繋いでいるに過ぎなかった。
 今は皆に会いたかった。会って、迷惑を掛けてしまった事を謝りたかった。

「……なのは……」

 初めて出来た友達は、叩いてしまった私を許してくれるだろうか。恐怖にも似た疑問が浮かんでは消えている。
 それでも今は彼女の顔が見たいと思う。そして、もう一度クロノと会いたいと願う。
 会ってどうするかとか、そんなのはどうでも良い。今はとにかく会いたい。一分でも早く。一秒でも早く。
 それが今のフェイトが望みだった。

「行きましょう、メディア」
「ああ。でもどうやって行くんだい? さっきのポーターは使えないんだろ?」
「艦船に直通している専用のポーターがあります。それで行けるはずです」
「一応、私は民間人なんだけど。使っていいの?」

 眉を顰めるメディアに、フェイトは弱々しいながら笑いかけた。

「これでも執務官候補生です。それくらいの権限はありますよ」
「それ、明らかに職権乱用じゃない?」
「現場では臨機応変な対応を。……クロノが、そう言ってましたから」
「……そっか。なら、未来の執務官様のお言葉に甘えましょうかね」
「はい」

 そうして二人が移動しようとした時――。

「フェイトちゃんッ!」

 忘れるはずの無い少女の声が騒然としているホール内に木霊した。



 ☆



「もう! 暴走事件って本当に前代未聞のオンパレードねッ!」
「エイミィさん、それナイスな喩えや!」
「デパートじゃ駄目か?」
「どっちも同じだよ、ヴィータちゃん」

 エントランスホールへ通ずる通路を、なのは達は脇目も振らずに走り続けていた。いつもは女性局員はお喋りをしながら闊歩している大通りのような場所だが、 それはすでに過去の光景だ。今は各部署に召集される局員や単純に混乱している者達で錯綜している。
 息を乱して走るなのは達は、室内である為にデバイスは展開していないものの、すでにバリアジャケットや騎士甲冑を身に纏っていた。

「百単位の暴走体か。この事件そのものが前代未聞だが、その中でも群を抜いて常軌を逸しているな」

 最後尾を行くザフィーラが言った。彼も出動を前に身軽さを重視した紺碧の騎士甲冑を装着済みである。
 ミッドチルダの中央都市に設営されたデバイス暴走事件対策本部が、一時間前に連絡を断った。そしてつい先程、非転送モニターを用いて通信回路が確保され、現地との 連絡が可能となったのだが、そうして得られた通信途絶の原因は、管理局を震撼させて余りあるものだった。
 大規模な暴走デバイスの出現である。その正確な数は一切不明。観測された魔力反応と非転送モニターの映像から、最低でも百以上と予想はされた。
 まるで一斉蜂起をするテロリストのように現れた彼らは、何かの意思に統一され、従っているように対策本部を強襲。本部施設内で生き残った現地局員が交戦状態に ある。
 現在判明している事はたったのこれだけだった。対策本部の被害状況や負傷者の情報は一切何も入っては来ていない。
 これに対して、時空管理局最高責任者インヘルト・ロイドは大規模な掃討部隊を組織しているのだが――。

「対策本部に戦力を集中させていた事が裏目に出てしまったわね」

 エイミィの隣を走るリンディが悔しげに呟いた。対策本部への増援と救援を兼ねた第一投入部隊の陣頭指揮は彼女が執る事になっていた。
 爆発的な増加傾向にあった暴走事件に、管理局は保有していた戦力の半数以上を投入していた。それだけ事件そのものが重く見られていた訳だが、その戦力も 暴走デバイスの唐突な強襲に成す術も無く足元を掬われ、音信不通となっている。そもそも連日の鎮圧任務で疲弊していた彼らに、驚異的な質と量の暴走デバイスと 徹底抗戦出来る力は残されてはいなかっただろう。

「対策本部は相変わらず沈黙を?」

 ザフィーラがエイミィに問う。横の通路から飛び出して来た一人の局員がエイミィにぶつかって尻餅をついた。エイミィは適当な謝罪をしつつ、走るのを止めない。
 非戦闘要員だが、彼女もまた現場に飛ぼうとしていた。アースラにも連絡が通じない状況が続いているのだ。アレックスやランディ、ギャレット、残して来た乗務員 の安否も当然ながら不明である。なのは達の反対を押し切った形でエイミィは部隊への同行を決意していた。

「一時間前にあった一方通行の通信以降、完全に音信不通。非転送モニタリングも妨害魔法のせいで不鮮明で……」
「……無事かな、皆」

 はやての独り言に誰も答えない。
 アースラの艦船性能を考慮すれば、恐らく無事だろう。元々が巡航艦船である為に最低限の武装しか艦載されていないが、大出力の魔力炉から構築される強固な広域 バリアを持っている。短時間であれば暴走体の砲撃魔法に晒されても撃墜される事は無い。
 それでも不安の種は尽きない。そもそも対策本部の局員達の状況が完全に不明なのだ。
 先頭を走るエイミィの脚がエントランスホールに向けて通路を右折する。対策本部に直通しているトランスポーターは、原因は不明だが、本部側から機能停止させら れており、なのは達はミッドチルダに通ずるポーターでの転送を強いられていた。

「ヴィータちゃん!」

 正面から立ち塞がるようにして、マリーが現れた。余程慌てていたのか、眼鏡や白衣等の彼女の必需品が無い。

「これ――!」

 乱れた息のまま、マリーが乱暴にヴィータの手の中に何かを押し込む。

「……カートリッジ?」

 握らされたのは見慣れたアームドデバイス用のカートリッジだ。しかし色が違う。従来型の赤に対して、押し付けられたそれは、薬莢部分が白だった。
 艶のある白い金属が、光に反射して覗き込むヴィータの顔を映し出す。

「なのはちゃんにはこれ!」
「……これ、マガジンですかッ?」

 素っ頓狂な声を上げるなのはの手には、手渡された分厚い金属のケースがある。彼女の言葉の通り、それはマガジン――弾倉だ。もっとも日頃からレイジングハー トに差し込まれている物とは違って、一回り大きくなって厚みが増している。何より重量がまさに倍はある代物だった。

「ヴィータちゃんのは試作型のカートリッジです。圧縮魔力の密度はそのままですが、一発で二回ロード出来ます! つまり、一回の再装填作業で十回はロードが出来るはずです!  なのはちゃんのはダブルマガジンで、装填数を六発から倍の十二発に大増加! なのはちゃん次第で、エクセリオンバスターの連射だって可能です!」
「マリー、あんたいつの間にこんな物騒な物を……」

 感心を通り越して呆れるエイミィに、マリーは息巻いて白衣を靡かせようとしたが、肝心の白衣を忘れて来ていたので、彼女の手は空しく空を切る結果に終わった。

「こんな事もあろうかと思って、暇を見て作ってたんです!」
「そんな暇あるなら休みなさいよ、もう」
「と、とにかく! デバイスも身体も病み上がりななのはちゃん達には厳しいと思うんですけど、でも、聞いた話だと凄い事になってるそうですし、気休め程度かも しれないんですが使って下さい!」

 事態の異常さから、現在時空管理局全域に非常警戒態勢が発令されている。ほとんど前例の無い状況だった。
 なのはは分厚いマガジンを、ヴィータは五発の白いカートリッジをそれぞれアタッチメントポーチに押し込む。

「ありがとうございます、マリーさん!」
「サンキュー!」

 なのはやヴィータは未だ身体が本調子ではない。レイジングハートとグラーフアイゼンも、突貫作業による修復作業の後、応急処置を施されて騙し騙し使われいる 状態だ。それで百体以上の暴走体と正面切って戦うのだ。喩え些細な装備でも増えるのは諸手を挙げて歓迎すべきである。マリーが持ち込んだ物は気休め程度 どころではなかったが。

「今、武装局員用にC型強行防衛装備の準備をしてます。完了するまでにもう少し時間が掛かりそうですが、突貫作業でやってますので、どうかそれまで耐えて下さい!」
「C型の強行装備か。ウチの虎の子ね」

 武装局員用のオプション装備として、幾つか用途に合わせて開発された装備がある。C型強行防衛装備は、その中でも特に防衛能力に長けた対魔法テロ用の装備だ。

「その辺りはあなたやレティに任せるわ。何とか急いで」
「はい! ところで、あの、ユーノ君は……?」

 誰とも無く訊ねるマリーに、なのはは唇を尖らせた。

「ユーノ君は病室に閉じ込めて来ました」
「え!?」
「ユーノ君、あの怪我で自分も出ようとしてたんです。だからなのはちゃんが怒って」

 不機嫌そうに黙るなのはの代わりに、はやてが説明を入れた。
 事件の一報を聞き、なのは達が第一投入部隊に選抜された事を知ったユーノは、自分の怪我も無視して同行を申し出た。結界魔導師としての彼の技術力や魔力は防衛 戦になると予想される暴走体との戦闘に於いて、非常に重宝されるだろう。身体が健康であればの話だが。
 駄目だと言われたものの、それでも食い下がるユーノを、なのはは少々乱暴な手段で病室に叩き込んだ。

「マリーさん。ユーノ君の病室は絶対に開けちゃ駄目ですからね」
「そ、そうします」

 静かななのはの言葉に、マリーは身体を強張らせて屹立した。
 そんな彼女に別れを告げ、なのは達は再び走り始めた。
 人波の奥に通路の終点が見えて来た。空間が広がっているような感覚。通路を支配している騒然とした空気が徐々に大きくなって行く。
 巨大なエントランスホールがすぐそこに控えていた。

「――リンディさん」

 なのはが静かに口を開く。横を行くリンディには視線を送らず、前を向いたままだ。

「クロノ君の側に――」
「そうしたいのは山々ね」

 朗らかな調子で、リンディ。
 事件の一報はクロノの病室前で知らされたのだが、報告に来た局員を、リンディはクロノの逮捕絡みで来たものと思い込んでしまい、ちょっとした騒ぎになっていた。

「艦長。今からでも遅くありません。現場には私も向かいます。だから」
「クロノも大切よ。でも、ギャレット達やアースラをそのままにしておく事は出来ないわ」

 エイミィの言葉を、リンディは反論を寄せ付けない凛然とした声で遮る。
 状況を説明され、陣頭指揮を執るように要求されたリンディは、短い葛藤の末に頷いた。その葛藤は、今彼女の口から告げられた内容だったのだろう。
 非情に徹するのと冷徹に振舞うのは違う。喩え艦長職や提督権を剥奪されようと、リンディはフェイトが戻るまでクロノの逮捕を先送りにすると決意したばかりだった。 そこにこの事件の報告とアースラの危機。そして指揮官としての現場出向命令だ。
 アースラやその乗務員達も、リンディにとってはクロノと同様に子も同然なのである。

「リンディさん……」

 彼女の決定と葛藤に、なのはは切なさを覚えずにはいられなかった。彼女の気持ちが分かるとはおこがましくて言えない。でも、数日前の雨の公園で、クロノと フェイトの間に起こった凄惨な出来事を体験し、”どうにもならない悲しさ”は何となくだが理解していた。
 せめてフェイトが戻って来ていたら。そう思うが、彼女がここに居たとしても状況は何も変わらなかっただろう。むしろ逆かもしれない。先送りにされたクロノの逮捕 が母親であるリンディの手によって執行され、彼女は息子を逮捕したやり切れない感情を胸に抱いて救出部隊の指揮を執る。
 胸が締め付けられた。バリアジャケットのリボンをぎゅっと握る。首から下げた待機状態のレイジングハートが心配そうに明滅した。
 ――この事件は、一体どこまで人を悲しませれば気が済むのだろう。
 なのは達は沈黙したまま、エントランスホールに出た。予想していたよりも遥かに混乱した広大な空間が彼女達を迎え入れた。
 耳を塞ぎたくなるような雑音。雑踏と化したホールは嵐の海のように荒れ、まさに人の波が流れている。
 それを前にしても、なのは達は少したりとも速度を緩めなかった。
 突っ切るように人ゴミを押し分け、トランスポーターのあるもう一つのエントランスホールへ突き進む。分別の付いた局員が道を開けようとしたが、それもなかなか 巧く行かなかった。
 それでも何とかホールを走破する。
 なのははリボンを握るのをやめた。代わりにレイジングハートを握る。主同様に全開を出すには無理のある状態だが、彼女は力強い呼応をしてくれる。それを感じ取り ながら、密かに決意する。
 ――この事件を終わらせる為に、あの人を……レイン・レンを逮捕する。喩え何が起ころうと。
 その時だった。視界に”彼女”が映り込んだのは。
 気付いた時、なのははホール内を支配している喧騒をものともしない大声を張り上げていた。
 親友の名が紡がれる。

「フェイトちゃん!」

 出入り口に程近いの壁に、彼女の姿はあった。



 ☆



 行き来する局員達が視界を遮る。二人の少女の視界が重なる瞬間はあまりにも短い。距離もある。
 それでも二人はお互いの姿をしっかりと認識していた。網膜に焼き付けるように瞳を見開いて、片時も視線を逸らそうとはしない。
 なのはが肩と唇を震わせ、再び呼ぶ。

「フェイトちゃんッ!」

 周辺の音が一瞬だけ消えて、彼女の呼びかけを通してくれる。もちろんそれは錯覚だったが、フェイトは確かにこの騒音の中でなのはの声を明瞭に聞き取った。

「なのは」

 独り言のように紡がれた親友の名。それに呼ばれるように、なのはが人波を掻き分けて近付いて来る。沢山の局員に肩をぶつけ、でもそれには構わず、怪訝顔をする 彼らを一顧だにせず、こちらに近付いて来る。彼女らしからぬ行動の後を、エイミィやリンディ、はやて達も追って来た。
 バリアジャケットや騎士甲冑を装着した彼女達は、制服ばかりの局員達の中でとても目立った。必死の形相で人を押し退けて走ろうとしている彼女達の存在に、冷静さを 失っていなかった局員達は道を開け始めた。その先に居るフェイトとメディアの周りからも、蜘蛛の子を散らすように局員が遠ざかり、閑散とした空気を作り出す。
 円になった野次馬達の隙間から、最初になのはが姿を現す。

「フェイトちゃん」
「なのは」

 荒波を泳ぐようにして辿り着いたなのはは、それが幻であったかのように脚を止め、肩を上下させている。
 彼女の後ろから、はやて、ヴィータ、ザフィーラが現れた。全員が一様に同じ表情だった。まずは驚きがあって、そして嬉しさがある。

「はやて、ヴィータ、ザフィーラ」

 最後に姿を見せたのは、リンディとエイミィだった。

「エイミィ。――母さん」

 意を決したようになのはがフェイトに向けて一歩を踏み出そうとする。その脇を、颯爽とした足取りでリンディが通り抜けた。
 靴音を静かに鳴らして歩む。握り締めた手は腿の横を振子のように行く。しっかりと伸びた背筋は清々しさすら含んでいた。
 不意に背中を押された。慌てて振り返ると、メディアの笑顔が見えた。彼女は手を小さく振って、後ろへ下がって行く。
 つんのめるように、フェイトはリンディの前に立った。
 周りのざわめきが完全に止み、息を呑むような静寂に包まれた。

「……母さん……」

 期待、不安、恐怖、謝罪。そんな沢山の感情と気持ちと込めて、フェイトはリンディを見上げる。彼女の表情は厳しく引き締まっており、唇は黙して何も語らない ようにきつく閉じている。
 何を言われるのか。どんな態度を取られるのか。それを思うと一秒一秒の経過が緩慢になった。

「フェイト」
「……はい」
「少し痛いと思うけれど、我慢しなさい」

 鋭く乾いた音が響いた。
 左の頬にリンディの掌を受けて、フェイトは無言のままよろめいた。何の事はないただの平手打ちだったが、衰弱している少女の身体には重く酷な痛みだった。
 床に倒れそうになる。白い人造大理石のような冷たい床が近付く。
 それを抱き留めるように支えたのは、他ならぬリンディ・ハラオウンだった。

「おかえりなさい、フェイト」

 リンディの胸に抱かれたフェイトは、叩かれて赤くなった頬を触るに触れず、茫然とその横顔を見た。
 そこには、頬を大粒の涙で濡らした義理の母親が居た。心の底から義理の娘の生還を喜ぶ母親の顔があった。
 染み渡るような頬の痛みが心地良くモノに変わって行く。心地良さは形容出来ない感情に変化して、すぐにフェイトは我慢の限界を迎えた。

「た……だぁ……い、まぁ……!」

 娘は思い切り、母は静かに、それぞれ同じ理由で涙を流した。
 抱かれた母の胸の中はとても暖かかった。人肌とか、気持ちとか、そんな簡単な言葉で表現する事は出来ない暖かさだった。フェイトはリンディにしがみ付くように しながら、その暖かさを貪る。雨の街を彷徨い、雨の公園に辿り着き、心を砕かれた時の冷たさを癒すように。
 でも、この母の暖かさを持ってしても、フェイトの心のすべてを癒すには足りなかった。
 どれくらいそうしていたか。すぐ側まで来ていたなのはが声を掛ける。

「……フェイトちゃん……」
「……なのは……」

 言葉は続かなかった。ただ、視線だけが二人を繋ぐ。
 拒絶してしまったフェイト。
 拒絶されてしまったなのは。
 悲しい偶然と誤解の末に擦れ違ってしまった二人の少女の隙間には、やはりなのか、それなりに大きく深い溝があった。
 リンディが涙を拭いながらフェイトを解放して、その肩にそっと手を添える。顔を上げれば、”頑張れ”と語りかける母の笑顔が見えた。

「……あ、の……私……!」

 たどたどしく、でもしっかりと。フェイトは胸の内に横たわる気持ちを紡ごうと努力した。伝えたい事や言いたい事は沢山あった。でも、何より伝えなければ ならない言葉と気持ちが、今はちゃんとある。そして自覚している。
 それを告げる為の勇気がどうしても、後一歩、もう少し、足りない。もしかしたら時間があれば、その勇気をフェイトは捻り出す事も出来たのかもしれない。
 時間の経過は止める事が出来ない。如何なる魔法を用いようと、如何なる科学を導入しようと、それは万物が不能と決定付けた世界の理だった。
 鼓膜を圧迫する爆音と、施設を揺るがす衝撃が全員を襲った。
 その正体が何なのか調べる余裕は誰にも無かった。壁の一部――トランスポーターのホールに通ずる出入り口――が黒煙を吐き出して吹き飛んだのだ。複合装甲の扉 が空中で真っ二つに裂け、甲高い轟音を上げて床に落下する。野次馬に呈していた局員達は揃って悲鳴を上げ、壁に寄り集まり、各通路に殺到した。

「何や!?」

 はやてが反射的に身構える。ザフィーラとヴィータが彼女を守るようにその前に立ち、鋭い眼光と気配を持って黒煙を巻き上げて出火しているトランスポーターホール の出入り口を睥睨する。
 リンディはフェイトを抱き、なのははレイジングハートをデバイスモードで起動させて有事に備える。下がっていたメディアにも緊張が走った。
 小規模の爆発が断続的に続く。その度に濛々とした黒煙が厚みと濃度を増してエントランスホールを満たして行く。けたたましい非常警報が鳴り響き、天井の照明が 非常灯に切り替わった。スプリンクラーと空調施設が一斉に作動して有害な黒煙の駆除に取り掛かる。
 エイミィが耳に忍ばせていたイヤホン型通信機に連絡が入ったのは、まさにその時だった。

『エイミィ・リミエッタ執務官補佐。応答して下さい』

 通信は本局の中央通信センターからだ。ミッドチルダのデバイス暴走事件対策本部が沈黙してから、すべての捜査権と命令権はこちらに移動している。

「こちらエイミィ・リミエッタ執務官補佐。何があったんですか!?」
『詳細は不明です。ただ、エントランスホール内部の多目的トランスポーターの半数が、外部から異常な魔力過負荷を掛けられて爆破されました』
「魔力過負荷?」
『対物設定にされた攻撃魔法と推測されます』
「その外部って言うのは、もしかして――」
『ええ、ミッドチルダです。対策本部の直通ポーターは変わらず沈黙していますが――』
「生き残ってるホール内のポーターの数は?」
『四つです。現在も過負荷は――』

 それ以降の報告を聞き流して、エイミィがなのは達に向き直った。その顔に浮かぶのは険の表情だ。

「ミッドチルダの各方面に設置されているトランスポーターが破壊されています」
「……暴走デバイスか?」
「十中八九、間違いなくね」

 ヴィータの質問にエイミィが答えた時、二度目の大きな爆発が起こる。局員の悲鳴と爆音が入り混じり、残響のようにホール内に轟いた。天井や床に埋設 されているスプリンクラーが吐き出す消化水が健気な消火活動を続けているが、爆発はそれを嘲笑うような激しさで発生し、壁は爆ぜ、炎は勢いを増して焚けって いる。

「母さん、なのは。あの……これは……!?」

 リンディの胸の中で、フェイトは困惑顔で彼女達の顔を見渡していた。
 管理局の変貌ぶりは、エントランスホールに出た時からメディアと揃って驚いていたが、それに正体不明のトランスポーターホール爆破が拍車を掛けていた。 暴走事件絡みなのは安易に予想はついたが、ざわつくような不安ばかりが募って来る。母が居なければ、肩を抱いて縮こまり、無様に震えていた事だろう。

「大丈夫」
「フェイトちゃんはここに居て」

 リンディがフェイトの顔を抱いて、優しく頬擦りをする。
 なのはは緊張感を残した不器用な微笑みを浮かべた。

「管理局で爆発って、かなり有り得ない事態じゃない?」
『残りポーター数二つ! 第一投入部隊は急いで現場へ!』

 メディアの皮肉めいた言葉に、エイミィのイヤホンから漏れた警告が続いた。
 はやて達が弾かれたように飛び出した。灼熱の空気で支配されているポーターホールへ向け、一直線に駆け出す。

「は、はやて!」

 フェイトが手を伸ばすが、はやての背中は遥かに遠い。彼女は脚を止めず、僅かに振り返って笑ってみせた。

「パッパと片付けて戻って来るから。そしたら、私も怒らせてもらうで。心配掛け過ぎや、ホンマに」
「はやて……」
「あたしもだ、テスタロッサ。ったく、散々振り回しやがって」
「ヴィータ……」
「アルフだが、無事に持ち直した。後で会ってやってくれ。ずっとお前を呼んでいたぞ」
「ザフィーラ……」

 夜天の王とその守護騎士達は、何の躊躇も見せずに炎と黒煙を上げている出入り口に飛び込んだ。補助魔法で防衛策は講じているだろうが、危険が無いはずがない。
 彼女達に続いて、エイミィが踏み出す。マリーから渡された耐圧耐熱耐魔性のダッフルコートのような防護服を羽織り、なのはに持続性の防御魔法を掛けてもらって はやて達の後を追う。彼女も迷う事も無く炎の中に飛び込む。これから彼女が向かう場所はただの捜査現場ではない。生と死が背中合わせで存在している壮絶な戦場だ。 炎程度に戸惑っていては、現場で彼女を待っているのは一方的で理不尽な死だけだろう。

「なのはさん、私達も!」
「はい!」

 フェイトは震えを止められずに居た。リンディが離れた事で抑圧されていた恐怖が一気に表に出て来たのだ。
 暴走体。すべてを狂わせた元凶。不公平へ不条理で暴力的な存在。
 無様に噛み合って止まらない歯。不健康だった顔色はさらに青く、白くなる。その様子は、ただ痛々しいのではなく、滑稽だった。
 堪え切れず、一度立ち上がっていたリンディが再び両膝を床につけ、フェイトをぬいぐるみのように抱き締める。その表情は苦痛そのものだ。この事件が発生してもう 何度目になるのか、彼女の中で再び提督たる自分と母親たる自分が激突している。そしてその葛藤は、母親としての感情が勝とうとしていた。

「―――」

 フェイトは恐怖の為に込み上げて来た涙を必死に堪えながら、今までで見た事の無かった母親の顔を垣間見る。
 職務を放棄し、今にも崩れてしまいそうな娘の側に居る。リンディはその選択を選ぼうとしていた。その結果を咎められる者は居ないだろう。
 だが一歩が踏み出せない。長年の提督としての経験と責任感が邪魔をして、アースラに残して来た多くの部下達を思って決心出来ないのだ。
 三度、耳をつんざく爆音。これで残されたポーターはただ一つになる。これが破壊されれば、機械的な転送はほぼ出来なくなる。ミッドチルダと時空管理局の次元距離 は確かに近いが、それでも機械的な補助を受けた専用のトランスポーターを介さなければ気軽に行ける距離ではない。現地へ転送する為には大規模な転送儀式魔法が 必要となる。時間が押している現状、それは完全な手遅れを意味していた。

「母さん、私は……!」
「……フェイトちゃん、すぐに戻って来るから。ちょっとだけ待っててね?」

 フェイトの言葉を遮って、なのはが告げた。学校でいつも眼にしていた無邪気な笑みを湛えて。
 答えを待たずして、なのはが駆け出した。真っ直ぐに。そして、その強い意志を現すように。

「なのはさん!」

 幾度の爆発の熱と衝撃で変形してしまった出入り口を前に、なのはは脚を止める。仰ぐように振り返って、力強く告げた。

「リンディさんは残って下さい! 現場の指揮は私が執ります!」
「無理です! あなたではまだ……!」
「出来る出来ないじゃありません! やるかやらないか、それだけです!」
「なのは!」

 状況はまったく掴めない。でも、なのはが如何に危険な場所へ身を投じようとしているのかは分かった。
 震える身体に腹が立った。笑っている膝に絶望した。アルフの維持が限界となっている魔力の無さに嘆いた。
 忘れていた自分自身への憎しみが、再び暗い炎となって燃え始めた。
 自分は何も出来ない。大切な人を傷つける事しか出来ないんだ――!

「フェイトちゃん! クロノ君、戻って来てるから!」

 その暗い炎を、なのはは一言で吹き消した。

「――え――」
「クロノ君! ユーノ君が連れ戻してくれたの!」

 異国語のように、なのはの言葉が頭の中で響く。反芻するまでも吟味するまでもない、とても簡潔な言葉だった。
 クロノが戻って来ている。ここに。この建物の中に、今彼が居る――!

「クロノ君は自分の意思で、あんな事してた訳じゃないの! 全部……全部違ったんだよ、フェイトちゃんッ!」
「な……のはぁッ!」

 叫ぶが、なのははもう何も答えなかった。無邪気な笑みを消して、代わりに武装隊士官の引き締まった顔を作った。表情だけではない。雰囲気すら一変した。
 十歳の少女は、自分に精神制御を施すようにして、鮮やかに、そして素早く、過酷な訓練と試験を突破した武装隊士官となった。
 そこから彼女の意図を悟ったリンディが、制止する為に叫ぶ。

「駄目です、なのはさん! 許可は――!」
「武装隊所属、高町なのは! 命令を無視して勝手な行動を執ります!」

 雰囲気もそのままに、会心の笑みを残してなのはは背後へ向き直り、床を蹴った。踊るように宙を舞う。白いバリアジャケットはすぐに黒煙の中に隠れてしまった。
 フェイトが叫ぼうとする。リンディが追おうとする。
 直後、四回目の爆音が重なり、出入り口が派手に吹き飛んだ。戸口が粉砕され、炎がさらに勢いを増して燃え盛る。スプリンクラー程度では、もはや鎮火不可能な程だ。
 フェイトはそれを茫然と見詰める。心の中に渦巻く言葉を口にした。

「――クロノが、ここに――」

 身体が震えが、止まった――。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 アルフの動向。そして現場に迎えなかったユーノ。二人は次回。次回の話は何やら書いていると激しく鬱になりそうですが、そろそろそれにも終止符打つ事にもなりそうです。
 では次回も。

 2006/11/13 改稿






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