魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.10 Southern Cross









 ビルの端に座り、レンは眼を細めていた。

「良〜い感じ良い感じ!」

 眼鏡の奥で動いている双眸は、遥か二キロの南東にあるビジネス街を見据えていた。いや、その中にある小さなオフィスビルを捉えている。数多と建築されている ビル群や、入り乱れて乱立している幹線高速道路のせいで、どうにも不鮮明にしかその姿は確認出来なかった。
 遠近法の影響でオフィスビルは小柄に見えたが、実際にはそれではない。デバイス暴走事件対策本部として一ヶ月程前に時空管理局が潤沢な予算に物を言わせて建設 させた最新設備を有した施設だ。
 それが今、炎を吐き出している。外壁の一部が祭りの提灯のように膨張して破裂――爆発した。対物設定にされた破壊魔法が起こす破壊の光景だ。

「燃・え・ろ! 燃・え・ろ! 燃・え・ろ!」

 レンは幼稚な子供のように手を叩く。脚はリズム良く床を叩く。二つの乾いた音が小雨のぱらつく屋上に響く。補助魔法で徹底強化された彼の視力は、恐るべき事に 二キロ彼方の光景をしっかりと視認していた。数十階立てのビルでもこの距離では豆粒に等しい小ささになって見えるものだ。
 数週間もの間、ミッドチルダに雨を運んでいた頭上の雨雲は、ようやくその勢力を弱めつつあった。記録的な降水量を叩き出していた雨も今は原型も無く、ぱらぱら と儚い抵抗を試みている。
 それでも空は黒一色だった。時刻はすでに夜中を回り、三時を過ぎている。勢力は弱めたものの雨雲は分厚いままのようで、星も月も何一つ見えない。

「燃えろォー!」

 そんな空に手を翳して、レンは吼える。知的な風貌を持つ顔は狂ったように歪んで、口は顎が外れんばかり開いていた。三十も後半に差しかかろうとしている男性が するべき顔でも態度でもない。
 それはレン自身も分かっていた。分かっていても止められなかった。恥も外聞も忘却した行為に没頭し、性交の果てに迎えた絶頂を永遠と味わうように叫び続ける。
 眼鏡がずれて落下する。足元に落ちたそれを、レンは気付かずに踏み潰した。遠くで聞こえる爆音に紛れてばりばりという鈍い音がする。それにすらレンは気付かない。
 眼は完全に血走っていた。まともではない意思が色濃く滲む眼だ。

「暴走はぁーッ! 次元世界を救うぅーッ!」

 デバイスめ。どうだ思い知ったか。道具のお前らが僕を嫌ったからだ。拒んだからだ。
 壊せ。本来守るべきモノを壊せ。
 そして憎まれろ。本来使われるべきモノから憎まれろ。
 忌むべき存在になれ。僕がお前らをそう認識したように。お前らを知るすべてのモノから畏怖されろ。

「そうだ……そうだそうだそうだそうだそうだそうだぁぁぁぁぁぁーッ!」

 聖書型ストレージデバイス”テンコマンドメンツ”は、レンのすぐ側で浮遊して煌々と輝いていた。場所がビルの屋上の為か、その様は小さな警告灯そのものだった。
 一斉同時暴走させたロッティンバウンドの総数はレンすら把握していなかった。何せ現存している全ロッティンバウンドの制御リミッターを解除し、暴走プログラムを 発動させたのだ。数を数えるのすら億劫だ。除装が進んでいたようだが無駄な試みであり、暴走プログラムはシステムの至る所に潜伏している。稼動に失敗したプロ グラムもそれなりに存在したが、実際に暴走している数に比べれば微々たるものだった。
 無秩序に発生させられた暴走体は、テンコマンドメンツが発信している最低限の命令のみを行動原理として動いていた。

「突撃ーッ! 突貫ーッ! 神風ーッ! 管理局ーッ!」

 総数不明の暴走体が突き進む先は、時空管理局デバイス暴走事件対策本部であり、さらにその最奥の時空管理局本局施設だ。
 管理局本局の完全な蹂躙。デバイスが魔導師に忌み嫌われるように仕向けるには最良の手段だと彼は思い、そう信じていた。

「頑張れデバイスゥー! 僕は君達を心から全身全霊を懸けて応援しているぞォー!」

 憎悪すべき対象に声援を送るこの男はやはり狂っているのか。
 管理局は魔導師を補佐するシステムツール、デバイスの開発の大元と言っても良い。デバイスそのものの起源は、実の所、謎が多い。残されている文献や記録、当時の 報告書等の資料によれば、デバイスの第一号機――プロトタイプ・デバイスは管理局によって開発され、その後、管理局の魔導師の良き隣人、良き戦友として彼らと共 に時の流れを歩み、徐々に普及したとされている。
 道具としての使い易さを求めた結果、汎用性に富んだ”ストレージ”。
 汎用性を度外視して、自意識を持たせる事で高次元のパフォーマンスを盛り込んだ”インテリジェント”。
 魔力量に劣っていたベルカの民が苦肉の策として考案した圧縮魔力炸裂機構カートリッジシステムを搭載し、武器の形状を取った ”アームド”。
 ミッドのインテリジェントに対抗してベルカの民が創り上げた完全な人格と姿を有した特殊型”ユニゾン”。
 その他にも機能特化型や完全なオンリーワンとして造られたデバイスも存在した。また、ベルカの民が開発したアームドは搭載しているカートリッジシステムも 含めて運用の難易度が高く、ユニゾンは融合事故の多発からシステムとしての完成度を指摘され、製品化には至らず、結果としてデバイスの市場はストレージが シェアの半数を独占している。
 斯様な背景が存在し、デバイスを取り巻く現状が存在している。すべてではないが、ほとんどのデバイスは管理局によって生み出され、各次元世界に普及し、 魔導師の手に渡り、彼らの良き隣人となって良き戦友となった。

「管理局ーッ! 死ねェーッ!」

 ――つまり、管理局が諸悪の根源なのだ。道具であるにも関わらず、使用者を選定をし、魔力資質や瞬間発揮魔力値が一定以上でなければ満足が操作も出来ない。
 凡庸な人間に使えない道具に意味はあるのか。答えは否だ。少なくともレンはそう思っている。
 自分の価値観が絶対的な物差しであり、彼はそこに何ら疑問を抱かない。他人の見解、他人の思想など、彼にとっては愚にもつかない取るに足らない無用の長物なのだ。
 だから、彼は単純にデバイスを憎んだ。魔力の才能が無く、それでも魔導師を志した自分を無碍に足蹴にしたただの道具を憎悪した。
 そして管理局へその憎しみの矛先を向けた。大元の開発元である管理局が初期設計の時点で何かしらの手段を講じておけば、自分はこんな惨めな思いをせずに済んだのだ。
 逆恨み以外の何者でもなかった。レンはやはりそこに疑問を持たない。何故なら彼は逆恨みなどとは思っていないからだ。
 だって憎いのだ。憎い対象に仕返しをして何が悪いのか。

「死・ね! 死・ね! 死・ね! 死・ね! 死・ね! 死・ね! 死・ね!」

 熱狂したスポーツ観戦者のような様相だ。分泌されたアドレナリンの援護を受け、彼はまくし立てる。
 暴走デバイス達は対策施設内にある本局の直通トランスポーターへ進軍していた。そこから本局へ転送し、破壊行動に従事する。 テンコマンドメンツを介してレンが暴走デバイスに出した命令はそれだけだった。
 本来なら、意思ある暴走体となるはずだったクロノ・ハラオウンが陣頭指揮を執り、より円滑に、より狡猾に、より恐怖をばら撒きながら行う進軍だった。

「でもォーッ! そんなのもうどうでもいいんですよォーッ!」

 工程は違えど究極的な目的に変わりは無い。管理局の破壊とデバイスを忌むべき存在に仕立て上げる事が出来ればそれで良いのだ。
 レンは哄笑する。唾を撒き散らして嬉々とした地団駄を踏み、百八十五センチの長躯を折り曲げて暴れる。
 屋上で繰り広げられている狂った独りの宴は終わらない。



 ☆



 やりたい事が決まった。
 望んだ事が分かった。
 後は実践するだけだ。
 フェイトはリンディやメディアに連れられ、隔離病棟から一般病棟へ移っていた。
 フェイトの手を引いて先を歩くリンディが、耳元を押さえて思念通話を交わしている。

「そう。暴走体の狙いは直通のトランスポーター、か。一国家に個人で戦争を仕掛けているようなものね、これは」

 通話相手はレティだろうとフェイトは思った。リンディの歩調はフェイトに合わせられているが、急いでいる様子もある。

「なのはさん達は無事に発令所を抑えられたのね。……ええ、あの子達なら大丈夫だと思うけれど……。ごめんなさい、私は……」

 リンディがフェイトを見る。彼女の事を問われているのだろうか。

「悔いは無いわ。……なのはさん達だけで行かせてしまったのは不安よ。ええ、そうね……。武装隊は間もなく出発するのね?」

 握られている手が少し痛かった。それは手放したくない、手放さないというリンディの無言の宣言である。
 それが嬉しい。とても、心から嬉しい。泣きながら”ただいま”と言ったのもついさっきだ。
 この手の温もりをずっと感じていたい。血の繋がりも何も無い他人を娘として迎えてくれた女性の強さと優しさが愛しい。
 でも、自分は行かなくてはならない。
 ここには居たい。家族に迎えてくれた人達が居るここに。
 でも居られない。
 一番側に居たいと思う人を傷付けてしまうから。
 だから居られない。ここには――。
 フェイトは床を踏み締めるように脚を止めた。掴まれていた手で逆にリンディの手首を掴み、ぐっと堪えるようにしてその手を引く。
 突然掛かった思わぬ力にリンディは驚いて振り向いた。

「母さん」
「……フェイト?」
「どうした、二人共」

 メディアも不思議そうにして止まる。

「メディア。何も言わずに家に置いてくれて、ありがとう。伸びてたけど、素麺美味しかった」
「……いきなり何言い出すんだい」

 怒気すら孕んだ視線に、しかし、フェイトは無視する。
 リンディの視線を感じる。
 これから口にする言葉を思うと、痛くて苦しかった。胸が詰まりそうになる。饒舌ではない口下手な自分がちゃんと言えるか心配だった。
 それでもフェイトは口火を切る。”さよなら”をしないと前には進めないから。

「母さん。私の母さんになってくれて、ありがとう。短い間でしたが、凄く……幸せでした」

 通路の床一面に円形の大型魔法陣が広がった。
 魔法選択――転移魔法。付近で行われている儀式転移魔法を触媒に効果増幅。
 魔力供給――リンカーコアから直接魔力抽出。今身体にある魔力では不十分。
 術式構築――本来得意としていた転移魔法にさらに無詠唱の増幅術式を追加。
 制御解放――撃発音声を入力すれば魔法現象は現実空間に顕現。

「フェイト……!」
「”ただいま”の後、すぐに”さよなら”してごめんなさい」

 ここを去りたくはない。

「ちょっと! ふざけんじゃないよあんたは!」
「……ごめん……なさい……」

 だからこんな言葉しか出て来ない。

「アルフは……全部が終わった後、転移させます。でももしあの子が嫌だと言ったら……」

 自分を想っていてくれている人達を悲しませて、泣かせて、本当に自分は何をしているのだろう。

「その時は母さん。あの子のマスターになってあげて下さい。私と居ると……あの子も、悲しくて辛いだけだから……」

 我侭だという自覚はある。

「私は……フェイト・テスタロッサに戻ります」
「―――」
「暖かいハラオウンの名前を……お返しします」
「――駄目――やめて……フェイトッ!」
「……クロノが眼を覚ましたら……」

 でも、自分はこうしたいのだ。彼の剣だから。
 さぁ笑おう。笑って、この暖かい女性とお別れをしよう。

「ずっと好きですって、伝えて下さい」

 撃発音声トリガーヴォイスは無詠唱。

「さようなら、リンディ提督」

 あの花見以来だろうか、その名で義理の母になってくれたヒトを呼ぶのは。

「このクソ餓鬼ッ! 待てっつってんだよッ!」

 眉間に皺を寄せ、憤激の形相でメディアが怒鳴りつける。

「ありがとう、メディア」

 フェイトは思う。自分は笑えているのだろうかと。さっきから頬が熱くて痛くて仕方が無いのだ。
 リンディやメディアにも笑っていて欲しかったが、それは無理な相談だった。

「バルディッシュ。行こうか?」
『――Yes――sir.』

 いつもより少しだけ緩慢な返事をして、バルディッシュはさらに転移魔法の効果増幅を行った。
 確かにリニスは彼女の力になる事をこの鋼のデバイスに託した。だがそれは未来を切り開く為のものだ。決して、そう。決して死地に赴く為に遺したのではない。

「ごめんね、リニス」

 謝る人がいっぱいだった。

「ごめんね、バルディッシュ」

 死にに行くつもりはない。

「ごめんね、アルフ」

 でも帰って来るつもりもない。

「フェ――イト――!」

 リンディが抱き締めて来る。フェイトの身体は転移がすでに始まっていて、半透明になっていた。存在そのものが希薄なように。
 笑うんだ、今度こそ。笑って――!
 そして転移魔法が発動した。
 金髪の儚い少女は、くしゃくしゃな顔を遺して虚空に消えた。



 ☆



 発令所というには狭い部類に属する部屋で、エイミィは立ったままコンソール上に広がったキーボードや計器類を操作していた。眼は壁に展開されている大型仮想 ディスプレイを離さず、指は尋常ならざるスピードでキーを叩いている。

「残っていた付近の民間人は?」
「三キロ圏内の民間人の避難はすでに終了している。それ以降も人が残っている形跡、反応は無いはずだ」

 すぐ近くで同じような体勢でコンソールを操作していた男性が答えた。この対策本部発令所所属の通信担当の局員だった。

「にも関わらず、外には明らかに局員以外の暴走体も居る……。最初の暴走は?」
「武装局員の汎用ストレージだ。五分でロッティンバウンドを搭載していた全デバイスが暴走した。その時外部に転移魔法を感知したのだが」
「どこからか転移して来たって訳ですね」
「そう考えるのが妥当だな。質の悪いテロだよ、これは」

 頬を歪めて強烈な皮肉をこぼす。
 はやてと共にこの発令所を訪れたエイミィを迎えたのは、この男性局員ただ一人だった。本部指揮官も含めた他の局員達は暴走を起こし始めたデバイスの鎮圧に向かった まま通信途絶となり、彼は健気にも上官と同僚達の帰還を信じてこの発令所で篭城していたのだ。
 二人の操作に合わせ、仮想ディスプレイが次々と本部施設内の現状を知らせて来る。監視カメラが捉えた映像には、通路や無人となった室内を徘徊している 暴走デバイスの姿しか映っていない。アストラを初め、ロッティンバウンドの搭載を見送っていた局員がか細い防衛戦闘を展開していたが、暴力的且つ不公平とも 言えるデバイス達の数の前にほとんどが敗北を喫していた。なのはとヴィータに救出された局員達は、動ける者は戦線に復帰して今も尚施設のどこかで戦っている。

「はやてちゃん! そっちはどう!?」

 エイミィと残されていた局員を守る為、発令所外の通路で戦っているはやてに呼びかける。

『数は減って来てるっぽいですけど……! やっぱり多いです!』
「ザフィーラは!?」
『主と同じだ。多少減らした感はあるが』
「アストラ君は大丈夫?」
『ああ。強情な奴だが悪運が強い』
『おいエイミィ! これキリがねぇーよッ!』

 通信に割り込んで来たのはヴィータだった。苛立ちを押さえない声だったが、その中には焦燥もあった。
 エイミィは素早くヴィータの位置を把握する。二秒置いて、彼女がエントランスホール付近に居る事が判明した。すぐ近くにはなのはの反応も出る。

『ヴィータちゃんッ、そんなに突っ込んじゃ駄目!』
『分かってるけどよ! くそ……!』

 舌打ちが聞こえる。仮想ディスプレイには施設内の見取り図が大きく表示されているが、どこも暴走体を示す赤い光点がひしめき合っている状態だ。なのはやヴィータ 等の僚軍を示す青い光点は本当に微々たる勢力で、今にも飲み込まれてしまいそうだった。

「なのはちゃん! さっき本局から来た通信だけど、行けそう!?」

 エイミィは無理を承知で問う。

『本部と直通してるトランスポーターを手動で動作させるって奴ですよね!?』
「そう! 第二投入部隊は儀式転送魔法でこっちに来るんだけど、一度に転送出来る人数が少ないの! それで第三以降はそのトランスポーターで転送させるって形に なってるんだけど……!」
『む、難しいけどやってみます!』
「ごめんね! 無理だけはしないで!」
『分かりました! ヴィータちゃん! 後ろ!』
『こぉのッ!』

 そこで通信が途絶えた。

「……第二投入部隊が来るまで保つか?」
「保ちますよ、ウチの子達は」

 不安そうに問うて来る局員に、エイミィは振り向かずにおどけた口調で答えた。
 エイミィがなのは達にしてやれる事は、ここで生存者を発見して彼女達に知らせ、それを安全な場所に避難誘導させてやる程度だ。それが彼女にしか出来ない 仕事――戦い方――であると言っても良かったが、今は前線に出て直接支えてあげられない自分に歯噛みするしかなかった。

「――なに?」

 局員が唸りにも似た声を上げて、エイミィの黙考を妨げる。

「どうしたんですか?」
「人が……人が残っている!?」

 冷静さを保っていた局員が驚きを露にした。何度もキーボードを叩き、自分が見た情報の真意を確かめようとする。
 エイミィは持ち場を離れ、局員の背中から仮想ディスプレイを食い入るように見上げた。
 ぼんやりとした光の壁には、避難が終了しているという本部施設から半径二キロ圏内の大まかな立体地図が投影されていた。背の高い高層ビルやマンション等が所狭し と並んでいて、その内の一つに黄色の光点が表示されている。

「誰か分かりませんか!?」
「民間人なのは間違いない! ちょっと待ってくれ!」

 そう言って待たされた数秒はとても長かった。
 反応のあった生体反応からリンカーコアの情報を習得し、区役所に登録されている住民個人情報から適合するデータを摘出。
 長かった数秒が個人情報の表示と共に終わった。
 氏名、年齢、血液型、身体的特徴、職業、簡潔な病歴。そうした情報が一斉にスクロールされる。

「―――」

 エイミィは絶句する。瞬きを忘れて流れて来る個人情報を受け入れる。情報を取得した局員も同様に口を開けて茫然としていた。
 取り残されている民間人の名はレイン・レンという。本部施設より二キロ離れた無人ビルの屋上に、彼は今居る――。

「どう……する……?」

 辛うじて局員が問う。その言葉がエイミィを現実へ引き戻した。
 唇を引き締めてエイミィは思案する。いくつかの希望的な予想等を考慮してみるが、ただの現実逃避だったのですぐに結論に至った。

「逮捕します」
「し、しかし、一体どうやって?」

 今の戦力では、第二投入部隊が来るまで生存者を守るので精一杯だ。誰かを向かわせるにしても人手が不足している。
 第二投入部隊の到着を待つべきか? だがまだ掛かる。それに到着すれば戦況はそれなりに変わるだろう。レイン・レンが別行動――逃亡を図る可能性も出て来る。

「なのはちゃん」

 だからエイミィは彼女を呼んだ。現在の現場指揮官はなのはなのだ。

『はい! 何でしょうか!?』
「問題って言うのかな、これは。とにかくちょっと事態が変わったの」
『……何があったんですか?』

 なのはの声音が変わる。エイミィの深刻で影のある声に状況を察したのだ。

「対策本部から三キロ圏内の民間人の避難はもう終わってるんだけど、反応が出たの。ここから二キロぐらい行ったビルに」
『逃げ遅れた人ですか!?』
「検索結果は……レイン・レンって出たわ」

 息を呑む声がした。

『どうしてあの人が……!?』
「それは分からない」

 報告や事件の過程を見ていれば嫌でも分かる事だが、あの男は完全に狂っている。何故こんな場所に居るのか見当もつかない。

「でも、レンがすぐ近くに居る事に変わりは無いの。なのはちゃん、どうする?」

 沈黙は一瞬だけだった。

『私が行きます。私が……レンさんを逮捕します』
「……第二投入部隊が来た後っていう手もあるけど?」
『暴走事件を起こしているのはあの人です。あの人なら、暴走したデバイスを停止させられる方法を知っているはずです。逮捕してそれを聞き出します』

 現状の戦力不足が分からないなのはではない。少数精鋭で投入された彼女達の目的は、あくまでも現状の確認と取り残されている局員の安全、及び発令所の確保だ。 それ以外に割り当てられる戦力はどこにもない。質的には全員がAAAを超えるが、量的にはたったの四人しか居ないのだ。一人抜ければ、未だ施設内を闊歩している 百近くの暴走体を三人で相手にしなければならない。さらに言えば、施設外にも敵は有象無象のように存在する。
 逮捕に向かうのは、やはり得策ではない。だがなのはの言う事も一理ある。首謀者であるレイン・レンを逮捕出来れば、暴走体を停止させられる可能性があるのだ。
 それを吟味した上で、エイミィも同意しようとした。第二投入部隊が来るまで行動範囲を狭めれば、恐らく三人でも何とかなるだろう。
 そこへ、ヴィータが意見して来た。

『おいなのは! あたしも行くぞ!』
『ヴィータちゃん!?』
『あの変態野郎にはデカい貸しがあるんだ! あたしも連れてけッ!』
『駄目や。ヴィータはここに居残りや』

 今度ははやてだ。ヴィータを嗜めるように彼女は続けた。

『行くのは私となのはちゃん。ええな?』
「はやてちゃん!?」
『戦力足らへんのは分かります。でも……我慢出来へんのですわ。シグナムとヴィータを傷だらけにして、クロノ君とフェイトちゃんをあんな風にしたあの人が 許せへんのです。……一発ブン殴りたいんです』

 凄まじいまでの個人的理由だったが、理解は出来た。エイミィだって可愛い弟と妹をズタズタにされたのだ。顔面に一発叩き込みたい衝動は心の中で燻っている。

『ええかな、なのはちゃん?』
『……ヴィータちゃん、ザフィーラさん。第二投入部隊の方々が到着するまで、ここをお任せしてもいいですか?』
『おいコラ。俺も一応まだやれるぞ?』

 不機嫌そうな声で通話に参加して来たのはアストラだ。
 すると、彼を皮切りにそこかしこで暴走デバイスに応戦していた局員達が嬉々として通話して来た。

『そうだ! ここは俺達だけでも保つ! 行ってくれ!』
『仕方が無いとは言え、これ以上仲間を傷つけたくはない……! 頼む!』
『私はただの武装隊員に過ぎないが、意地がある。やって見せよう!』

 彼らはなのはとヴィータが救出して来た生き残りだった。アストラ同様にロッティンバウンドの搭載を見送った為に暴走せずには済んだのだが、結果として仲間 を撃つ最悪な戦闘を強いられていた。

『つぅー訳だ。……サッサと行け』

 締め括るようにアストラが告げた。

『……エイミィさん。ここをお願いします』
「オッケー。これでもアースラの通信管制主任ですからね、臨時指揮官務めましょう! トランスポーターには……そうだね。ザフィーラ、行けそう?」
『手動操作とやらは分からんが、現場に向かうのは造作も無い』
「それでいいわ。操作の説明は私がするから、着いたら教えて!」
『承知した』
『ヴィータちゃん、ここをお願いね!』
『お、おいなのは!』
『ヴィータはお留守番! ザフィーラ、お願いね!』
『主もどうかお気をつけて』
『はやて!』

 次の瞬間、軽い振動が発令所を襲う。施設内の状態を示している仮想ディスプレイに変化が起こり、天井の一部が破壊された事を知らせて来た。なのはが対物設定に 切り替えた砲撃魔法で天井をぶち抜いたのだ。
 揺れと共に埃が落ちて来る。エイミィは手でそれを払うと、座席に腰掛けた。邪魔な防護服を脱ぎ捨て、腕捲くりをする。ヘッドセットの位置を付け直して、口許の マイクを摘んだ。

「皆! 気合入れて行くよ!」

 歓声のような復唱が返って来た。
 事態を茫然と眺めていた局員も慌てて行動を開始する。エイミィと同じようにヘッドセットを付け直して座席に腰掛けた。

「火災用の防壁を使おう! それで暴走体を隔離して各個鎮圧が出来るはずだ!」

 心強い相棒を得たエイミィは、すぐ様隔壁の制御システムの操作に当たった。



 ☆



 声を上げて泣いたのはどれくらいぶりだろう。記憶を探っても出て来なかった。
 初めてだったかもしれない。そうやって無心になって泣いたのは。完全な防音設備を持ったこの部屋に感謝したくなった。
 それ程までの号泣だった。
 眼が痛い。

「……フェイト……」

 何をしてやればいい? どうすればいい?
 あんなに想っていてくれた少女に対して、自分は何をしてやれる?
 指が掌に食い込む。

「………」

 見上げた天井は何も答えてはくれない。
 どんなに泣かせただろう。
 どんなに傷付けただろう。
 それを言えば、自分はこの半年以上、七ヶ月あまりの時を彼女を傷付けて生きて来たのかもしれない。
 好意に気付かずに接して来た。鈍感だとかそんなのは理由にはならない。気付いてやらなけばならなかった想いのはずだ。

「……フェイト……」

 ずっと剣で居る事を告げた少女。
 側に居ると傷付けてしまうからと言った少女。
 どんな事があっても守ってくれると告白してくれた少女。
 最後に別れを告げて去って行った少女。
 自分に出来る事はすでに知っていた。でもそれを実行に移す勇気がクロノには無かった。
 疑念があるのだ。彼女を追い掛け、そのボロボロの背中を抱き締める資格が自分にはあるのかという疑念が。

「無いよな、そんなもの……!」

 自嘲気味に、クロノは自らの考えを一笑した。
 フェイトの事が好きなのか。それは正直な所良く分からない。何せずっと妹として見て来たのだ。
 なのはに抱いた好意も今は分からなくなってしまった。彼女にも酷い事をしてしまった認識はある。
 好意。
 人を好きになるというのは、つまりどういう事なのだろう。クロノは考える。
 ずっと一緒に居たい?
 独り占めにしたい?
 抱き締めて唇を重ねたい?
 それ以上の行為に及びたい?
 それとも――。
 ただ、大切に思う気持ちは同じなのだと思った。フェイトもなのはも、クロノにとっては他には替え難い存在だ。
 大切に思う気持ちに何か違いがあるのか。
 その存在を支えてあげたいと思う感情に何か違いはあるのか。
 分からない。
 彼には何も分からなくなっていた。
 このままではいけないという気持ちはある。でも行動を起こす権利も資格もクロノには無い。少なくとも、彼はそう思っていた。そしてそれに疑問を 持とうと思わなかった。
 その時、無機質な乾いた音が二つ重なって響いた。分厚い扉を封鎖している物理と魔力の二重の施錠が解除されたのだ。
 ノックも無く、その人は部屋に上がり込んで来た。

「……レティ提督……」

 乱暴な入室者の名を呟く。
 母たるリンディ・ハラオウンの学生時代からの同僚は、険しい表情でベッドの側に立った。

「……まずはあなたに対して感想があるんだけど、訊きたい?」

 答える気力も無く、クロノは俯く。レティはそれを肯定と解釈して言った。

「落胆したわ。というか、見損なった。あの子……フェイトちゃん、ここに来てたんでしょ? 知ってるでしょうけど、この病棟は常に監視されてるわ。音声も全部記録されてる。悪いと 思ったけど聞かせてもらった」
「………」
「どうして追わないの? あなた、起きてたはずでしょ?」
「………」

 レティは腰の近くで腕を組むと、肩を使って嘆息づく。

「あの凛としたクロノ・ハラオウン執務官はどこに行ったのかしら。心まで冷たい犯罪者になってしまったというの?」
「………」
「あなた男でしょ? あんな良い子、他には絶対に居ないわよ。それなのにどうして追わなかったの」
「………」

 レティの眼差しが変わる。切れ長の瞳に宿ったのは軽蔑の二文字だ。

「今のあなたに言っても無駄だと思うけれど、フェイトちゃんが居なくなったわ」

 彼は僅かに顔を上げる。

「一緒に居たリンディや、あの子をここまで連れて来てくれた女性の制止を振り切ってね。どこに行ったと思う?」

 今のフェイトがどこに行くのか、クロノにはまるで見当がつかなかった。

「転移魔法の座標と触媒から考えて、間違いなくミッドチルダよ。今ミッドチルダは大規模な暴走事件で大騒ぎになってるわ。なのはちゃんやはやてちゃんが救援に 行ってるけど、旗色は悪いままね。そんな所にどうして行ったのかしら、あの子……?」

 レティの声に徐々に怒気が含まれて行く。

「あなたをこんな風にした元凶を潰す為よ、クロノ君」

 予想だに出来なかった答えに、今度こそ彼は顔を上げた。
 レティは道端の小石でも見るような無感情な眼差しだった。

「あの子は……あの子自身の誓いを守るつもりなのよ。あなたの邪魔をするモノすべてを薙ぎ払う剣としてね」
「……そんな……!」
「今のフェイトちゃんはまともに戦える状態じゃないわ。転移魔法に必要な魔力だってリンカーコアから無理矢理捻り出したとしか思えない。身体だって、 どこかの誰かさんのせいでボロボロ。対してレイン・レンの戦闘能力はウチのヴィータが歯が立たなかったくらい。……確実に殺されるわよ、あの子」
「どうしてそんな無謀な事を!?」

 叫ばずにはいられなかった。無謀どころではない。ただの自殺行為だ。

「………」

 彼を見下ろすレティの眼はどこまでも冷たかった。軽蔑し切っている。そんな眼だ。

「あなたが好きだからよ、クロノ君」
「―――」
「フェイトちゃん、多分あなたの為なら何だって出来るのよ」

 つまり、死ぬ事さえ出来るというのか。

「リンディはショックでパニック起こして。今は落ち着いてるけど、あまり良い状態じゃないわ。ここ最近ずっと無理してたから」
「母さんが……?」

 あの気丈な母が錯乱するなんて、とても想像出来なかった。

「あなたが執るべき行動は二つあるわ」

 気取った様子も無く、レティが切り出した。

「一つはこのまま悲劇のヒーロー風情で裁判を受けて死ぬまで投獄されるか」

 レティは懐から一枚のカードを抜いた。真新しい輝きを放つ銀色のカードだった。飾り気は少なく、中央の翠の宝石が填め込まれている。
 最先端の技術力と意欲的な機能を盛り込まれ、予算を度外視して開発された超高性能ストレージデバイス”デュランダル”。二つの名は氷結の杖だ。

「これを受け取って、フェイトちゃんを追うか」

 まさに生か死か。究極とも言える選択肢だった。
 クロノは迷った。
 この事実に素直に驚いた。まだ自分は迷う事が出来たのだ。今も捨て鉢な感傷はある。多くの仲間を傷付け、好きだと言ってくれた少女を殺そうとした罪の意識と 悔恨に責め苛まれ、それらは泥のように蠢いている。手足に絡み付き、思考に覆いかぶさって束縛して来る。
 歯噛みする。決断出来ない自分に腹が立った。吐け口の無い憤激が悔恨と衝突して、凄まじい感情の火花を撒き散らして暴れている。
 背中で噴出した冷や汗が滝のように流れて行く。それに引き換え、身体は寒さに震えていた。
 頭が熱い。限界を振り切って稼動しているエンジンのようだ。今にもオイルを撒き散らして爆発炎上しそうな勢いだった。
 ――自分は何がしたいのだ。
 川の流れに身を任せるようにこのまま現状を享受していれば楽だろう。だがそれを良しとしない自分がすでに出来上がっていた。
 それでも、レティが差し出している銀色のカードを受け取る事が出来ない。
 踏ん切りがつかない。
 踏み込めない。
 決断出来ない。
 それもそのはずだった。今の彼はかつて彼を支えていた行動原理を見失っているのだ。
 悲しい思いをする人を、こんなはずじゃない人生を歩く人を無くしたい。
 なのに、彼は守りたかった者達にどうしようもない悲しみを与えてしまった。
 奥歯を噛み締める。

「……僕、は……!」

 その時、扉がノックされた。吸音性に優れた壁の材質が乾いた音をすぐに取り込んでしまい、破裂するような音だった。

「あらいけない。すっかり忘れてたわ」

 苦悩するクロノに背を向けたレティは扉に歩み寄ると、開閉パネルのスリットにIDカードを走らせ、扉を叩いた人間を招き入れた。
 姿を見せたのは二人の少女だった。
 一人は車椅子に乗った短髪で勝気な雰囲気がある子だった。もう一人は、車椅子の少女の側に寄り添い、不安そうにこちらを上目遣いで覗き込んで来る。
 二人とも見覚えのある少女達だった。いや、忘れるはずもない。特に車椅子に乗った短髪の子は。

「……アリサ……すずか……?」
「久しぶりって言うのかな。クロノさん」

 そう言って、短髪の少女――アリサがはにかんだ。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 長いなぁ。読んでいただきましてありがとうございます。通常よりも二百行近く長いです。
 エイミィの場面を書くのに大元の元ネタになっている機動警察パトレイバーの劇場版を借りて見てました。ある意味そのまんまな会話をしていますが、だが私は謝らない。 パージシーンはありませんが、アルフォンスVSゼロのラストバトルは否応無しに再現されそうです。誰が再現するかは秘密ですが。むしろバレバレか。
 アリサ登場。次回でようやくクロノが復帰します。ちなみにプロットの時点ではレティさんは登場してませんでした。色々考えたらこの人出した方が締まるかなぁと 思って。何せアニメやらマンガで出番ほぼ皆無でサウンドステージで大暴れしてたような人なので性格が良く分からず好き勝手に出来るので…。
 では次回も。

 2006/11/13 改稿







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