魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.10 Southern Cross









 クロノは走る。
 素足は無音に近い足音を鳴らし、過疎感のある隔離病棟の通路に響かせる。
 拘束衣の意味も兼ねている寝間着がもどかしかった。これが無ければもっと早く走れるのだが、脱いでいる暇が無い。バリアジャケットを生成、装着すれば払拭出来る だろうが、生憎隔離病棟全域に高度なマジックジャマーが随時展開されていて、バリアジャケット生成すら許されない環境下にある。
 だからクロノは走る。隔離病棟を抜け出す為に。産み落とされて心のどこかに潜伏していた陰気な影から脱出するように。
 哨戒している局員には遭遇しなかった。
 出口が見えた。衛兵のような風情の二名の武装局員が汎用ストレージデバイスを構えて立っている。詰め所もあり、まさにそこは検問だった。
 もちろんクロノに止まる気などない。今の彼は無心なのだ。フェイトを追いかけて守る以外に頭の中には何一つとして入り込むゆとりは無かった。
 局員の一人がクロノに気付く。側の同僚に声を掛けた。大慌てで詰め所からもう一人が飛び出して来る。

「退いてくれ」

 クロノは呟いた。
 局員達はクロノを知っている様子だった。デバイスを彼に向ける事に躊躇っている。震えた声で精一杯の警告を発して来た。

「止まって下さい執務官!」

 まだ僕を執務官と呼んでくれるのか。

「我々はあなたにデバイスを向けたくはない!」

 それは僕も同じだ。
 でも僕は止まれない。君達のように躊躇う訳にはいかない。あの子の為に。僕自身の為に。だから――。

「退いてくれ」
「クロノ執務官!」

 ついに一人がデバイスを向けた。レイジングハートの砲撃形態に良く似た形状の汎用型ストレージデバイスだ。砲口のような硬質感のある金属フレームと、その奥に 秘められた高純度魔石がクロノを捕捉する。
 僅かに震えるその砲口に、やはりクロノは止まらなかった。いや、それどころか速度を上げた。とても拘束性の高い衣服を着ているとは思えない速度だった。

「退いてくれ」

 もう一度呟く。不自由な片手を横薙ぎにして、持っていた待機状態のデュランダルを宙へ放った。独楽のように回転した銀色のタロットカードは魔法光を発して デバイスモードを展開する。
 かしゃりと掴む。高度なマジックジャマーの中でどれ程の魔法が行使出来るか知れたものではなかったが、そんな現状は今のクロノには関係無い。
 武装局員達に明らかな動揺が広がる。その中には悲しみもあった。

「最後通告です! デバイスを放棄して投降を! これ以上罪を重ねないで下さい!」

 これ以上の罪? フェイトを傷付けて来た僕にこれ以上何の罪を犯せと言うんだ。
 一人が詰め所に舞い戻った。応援を呼んでいるのだろう。残された局員は苦悶の表情で逡巡しながら術式を構築した。衛兵である彼らはジャマーキャンセラーの 携帯が許可されている。クロノですらバリアジャケットの生成が出来ないマジックジャマーの中でも魔法行使が出来る。
 デュランダルを構える。術式を構築しようとすればマジックジャマーが親の仇のように阻害して来る。酷い頭痛がする。それでもクロノは疾走を続け、検問突破の 魔法を詠唱した。
 局員達のデバイスの先端に光が灯る。非殺傷設定なのは彼らが出来る最後の心遣いなのか。どちらにしろ直撃すれば何の対抗手段も講じられない今のクロノは膝を つくしかない。リンカーコアの緩慢な動作状況や鈍い反応を考慮すれば、魔力量もそれ程余裕が無いのだ。一発の被弾で途端に魔力が空になる。

「退いてくれ――!」

 ならば直撃しなければいい。一秒の時間すら惜しいクロノは即断即決する。
 射撃魔法が来る。スティンガーレイのように弾速を重視した対魔導師用の攻撃魔法。だが威嚇射撃だった。視認不能の高速の弾丸が耳元を掠める。
 身体を折り、助走の勢いを生かして跳躍。足元を二発目の威嚇射撃が通過した。
 驚く局員の顔面に足の裏を叩き込む。そのまま押し倒して着地。横に居たもう一人をデュランダルの柄の末端で鳩尾を一撃。ほぼ同時に二人を昏睡させた。
 詰め所で増援の手配をしていた最後の局員が慌てて出て来た。腹部に膝蹴りを入れて沈黙させる。
 扉が開きっぱなしになっている詰め所からは、通信機の騒がしいやりとりが聞こえて来た。
 クロノはそれには意を介さず、床を蹴って隔離病棟を脱出した。マジックジャマーの阻害領域を出たのか、魔法行使に必要な四工程が恙無く紡げるようになった。
 走りつつ、軽く眼を瞑ったクロノはバリアジャケットを生成。身体を包んだ紺碧の魔法光が、拘束衣を黒灰色の法衣に変えた。

「元に戻ってるな」

 調整されたS2Uはこのバリアジャケットすら変えていた。灰色の部分が赤色になっていたのだ。それが元通りになっている。
 視界の上の方で揺れている白い前髪は、やはり変わらなかった。操作され、調整されたリンカーコアの影響で色素が完全に抜け落ちてしまっているのだ。こればかりは 簡単には治らないだろう。
 身軽になったクロノは魔力で脚力を強化して、さらに通路を駆ける。徐々に施設内が騒がしくなる。警報が鳴り響き、区画によっては警告灯は激しく回転していた。 どれもミッドチルダを襲撃しているという暴走体の影響だろう。通路を行く局員達はクロノの存在には気付かない。
 クロノが目指しているのはトランスポーターだ。直通、汎用、ミッドチルダに通ずるトランスポーターであれば何でも良い。エントランスホールから続く民間用か、 対策本部に直通しているものか。それが駄目なら艦船に直結している非常用か。
 瞬きすら忘れて急ぐクロノの前方に、ついに封鎖網が立ち塞がった。

「第二級特殊犯罪者、クロノ・ハラオウン! 速やかにデバイスを放棄して投降しろ! さもなければ、こちらは実力行使にてあなたを拘束する!」

 今度は武装局員ではない。本局内の保安課の者達だ。数は五人。携帯性に優れながら出力の高い局地用のデバイスを携えている。
 彼らの空気は物々しかった。殺気立っていると言っても良い。今の本局の状況を考えれば仕方がないだろう。今度は威嚇射撃ではなく当てるつもりで撃つに違いない。
 クロノは素早く術式を構築する。すでに問答している余裕も無いし、そんなつもりも無い。即効性のある強力な拘束魔法を選定。

「全員構えろ!」

 指揮官らしき男の号令に、残る四人がそれぞれデバイスを構えた。緊迫した空気に周りの局員達が悲鳴を上げて散り散りになる。
 そんな中、白衣を着た少女が勇猛果敢にも飛び出して来た。それも脱走犯罪者たるクロノにではない。保安課の指揮官にだ。

「やめて下さい!」

 少女――マリーが叫びながら指揮官に組みつく。突然の乱入者に他の四人にも動揺が走った。その隙に、クロノが構築し終えていた拘束魔法を制御解放する。

『Hoop Bind.』

 出現した光輪が保安課の局員達を包囲して、次の瞬間に指揮官を含めた全員を同時拘束した。
 拘束魔法から弾かれたマリーが、悲鳴を上げて尻餅をつく。さらに拍子で眼鏡が外れて勢い余って潰してしまった。

「マリー!」

 涙眼になっているマリーを助け起こす。レンズは見事に粉砕されていて、フレームもひしゃげてしまっていた。

「済まない」
「い、いえ、別に構いません。そんな高い物じゃありませんでしたから。それより――」
「居たぞッ!」

 鋭い声がマリーの言葉を遮る。野次馬を押し退けて新たな保安課の人間達が殺到して来た。今度は先程の倍以上、十人は居るだろう。

「マリー。君は関係無い。早く離れるんだ」
「こっちです!」

 デュランダルを構えようとしているクロノの腕を引っ掴んだマリーは、小柄な体躯からは想像出来ない力で彼を引っ張って走り始めた。クロノは抗議らしい抗議が 出来ずになし崩し的に彼女の後を追う。

「マ、マリー!?」
「レティ提督から通信が来たんです! クロノ執務官をミッドに行かせて欲しいって!」

 荒い呼吸の中でマリーが答える。

「今ミッドに通じるトランスポーターはほとんどが使えない状態です。なのはちゃん達が対策本部に直通しているポーターを確保してくれたんですが、そちらは 警備が厳重で今のクロノ執務官では行けません!」
「アースラのは?」
「アースラそのものが破損しているみたいで通信が繋がらないんです! 使用は無理です!」

 唯一の経路は封鎖状態という訳だ。突破は出来るが、恐らく無傷では済まないだろう。保安課の局員総出で迎撃されてはどうにもならない。

「レティ提督は?」
「保安課に出頭されました。時間稼ぎだっておっしゃってましたが……!」
「……済まない。君にも迷惑を……」
「私なんてどうだっていいです!」

 前を向いたまま、マリーが叫ぶ。

「クロノ執務官はフェイトちゃんの事だけ考えてて下さい! そこまでの道は私達が用意します!」
「……ありがとう……」
「お礼もフェイトちゃんを連れ帰ってからにして下さい! ユーノさん! そっちの準備は!?」
「ユーノ?」

 思念通話を始めたマリーの口から飛び出た名に、クロノは眉を顰めた。
 施設内を全力疾走する二人は装備課区画に達していた。比較的本局施設内の奥に位置している為、混乱も喧騒も酷くはない。
 背後からは保安課の局員達が追跡を続けて来ていた。人数に変化は無いが、恐らくは増員されているだろう。このままでは退路の無い通路で挟撃される可能性 がある。クロノ一人なら突破は容易だが、非戦闘員のマリーを連れては難しい。
 こんな所で無駄に時間を浪費している場合ではない。一刻も早くミッドチルダに行かなければならないというのに――!
 その時、不意に開きっぱなしの扉が見えた。

「クロノ執務官! こっちです!」

 苛立ちの物思いに耽るクロノの腕を、マリーが再び強く牽引した。もつれ合うようにして開放されていた扉に飛び込む。二人の入室と同時に鋭い音を立てて扉が閉鎖 された。
 薄暗い闇が視界を支配した。照明はほとんどなく、非常灯しかない足元が非常に危なっかしい。暗闇に慣れて来た視線を走らせれば、ここが備品保管庫のような 場所だという事が分かった。

「ここは?」
「ウチの保管庫の一つです」

 見向きもせずに答えながら、マリーはさらにクロノを部屋の奥地へ引っ張り込む。保管庫という割には室内はだだっ広く、備品を格納しておくべきケースやラックが ほとんど見当たらない。部屋の壁には用途不明のロッカーがズラリと並び、小型ラックには工具箱が保管されていた。保管庫というよりも何かのガレージを連想させる 内装である。
 違和感のある広い部屋の先を進むと、小柄な線の細い少年と何やら黒い塊が現れた。

「……ユーノ……」

 彼は悄然としていた。顔は絆創膏や脱脂綿だらけで、腕には分厚い包帯が施されていた。誰に負わされた傷なのか、クロノは誰よりも分かっている。

「ユーノ。本当に済まなかっ――」
「僕に謝ってる暇なんて君には無いはずだろう?」
「………」

 闇の中でもユーノの視線は痛い程分かった。彼は言葉にはせずに瞳で語りかけて来る。
 言葉なんて聞きたくない。行動で示せ。君の過ちを取り返せ。
 だからクロノも言葉には出さなかった。深く、強く、彼は頷いた。これから先はすべて行動で返して行かなければならない。そうやって想いを現して行かなければ ならない。
 フェイトを追いかけて、そして守る。今のクロノを突き動かして、今のクロノの心を支配している行動原理。単純にそれを全力で実行して遂行すれば良いのだ。
 静寂な室内の空気が鈍い音で破壊された。封鎖された扉が殴られる重い音だ。追跡していた保安課の人間だろう。部屋の扉は堅牢だが、高出力の攻撃魔法の直撃には 当然だが長くは耐えられない。

「ユーノさん、準備はもう終わってますか?」
「もちろん。細かい作業はちょっと難しかったけど、まぁ何とか出来てます」

 痛みで顔を歪めながら、ユーノは包帯だらけの指で黒い物体を掴んだ。いや、正確に表現すれば、黒い物体を覆っているシーツの掴んだ。
 バサリと音を立ててシーツが剥ぎ取られる。その奥に潜んでいた物を前に、クロノは思わず息を呑んだ。

「執務官用に装備課が試作開発した現地高速移動用大出力自動二輪駆動車”セイクリッドデス”です」

 それは大型のバイクだった。
 形状はレーシングタイプだ。全体的に無駄を極力削ぎ落とし、装飾品の類は完全に皆無だ。まさに質実剛健と言うべきか。エアマネージメントを積極導入した ボディラインは航空力学を応用した賜物で、アッパーカウルは優雅さすら覚えてしまう曲線を描いており、テールカウルに向かってボディそのものは引き絞られている。 それが無骨にしてシャープな印象を見る者に与えていた。

「原型はなのはちゃんの世界の自動二輪で、ウチの装備課が色々とアレンジしてます。水冷・4ストローク・DOHC・直列四気筒の千五百ccの大型エンジンを搭載。 ボディは軽量複合素材のスティルバースを採用して、強度もそうですが柔軟性と軽量化を図ってます。振り分け式のアップマフラーを搭載して、その恩恵で総合的な車体の バランスもバッチリです」

 意気揚々と興奮気味で話すマリーは、切迫した危機的状況を忘れたように熱を帯びた説明を続ける。

「独自の大出力・大型魔力回路も搭載してまして、一種のデバイスとしても運用可能です。エンジン出力は物理的には千五百ccが限度ですが、運転する魔導師の魔力 次第ではかなり上限が効きます。リミッターは当然搭載してますから事故対策も大丈夫です。元は上層部からの要請で――」
「マリー。これは使っても良いのか?」

 申し訳ないと思いつつ、クロノはマリーの説明を聞き流した上に遮った。
 ミッドチルダにも自動車技術はもちろんだが存在する。特に捜査官や執務官向けに、現場への迅速な移動や離脱等に使用される特殊車輌が幾つも開発されて現場に 投入されていた。トランスポーターへの強行突破が必要な今、この手の車輌は頼れる足となるはずだ。施設内ならば飛行魔法も満足に使えない。ならば恐ろしい排気量 を誇るこの自動二輪に追いつける者など存在しないという事になる。

「は、はい! もちろんです!」
「駆動スイッチは?」

 暗闇のせいもあるが、ハンドル周りを確認してみてもキーを差し込むような穴もスイッチも見当たらない。

「デバイスがキーになります」

 マリーは前輪近くのフレームに手を滑らせ、そこに仕込まれていたと思われるボタンを押し込んだ。
 圧縮空気が吐き出され、フレームの一部が横へ展開した。中には待機状態を思わせる駆動光が走っており、デバイスを納めるような空洞にも見える 一つの穴がポッカリと穿っている。
 クロノはデュランダルをそこへ納める。一定だった駆動光が慌しく輝き出した。デュランダルに登録されているクロノの個人情報や魔力資質等をすべて読み込み、 ハンドル部分に装備されている管制システムへ送信している。
 デュランダルを飲み込んだまま、フレームが閉鎖する。圧縮空気が機密性を保つ為に注入され、フレームは切れ目の無い綺麗な状態へ戻った。

「後はエンジン駆動に必要な魔力を流してやれば駆動します」

 マリーが告げた時、扉を殴る音が止んだ。間髪入れず一際大きな異音がして、堅牢な扉が内側に歪む。熱膨張でもしたかのように扉の歪みは酷くなって行く。 対物設定の攻撃魔法に晒されているのだろう。業を煮やした保安課が実力行使に打って出て来た訳だ。
 クロノはバイク――セイクリッドデスに跨り、ハンドルグリップを握った。車輌免許は士官学校ですでに習得済みだが、これまで運転らしい運転などした事が無い。
 それでも恐怖心は一切感じなかった。現状は強行突破が望まれる。それにはこのセイクリッドデスの力が必要なのだ。
 ハンドルグリップを通して、クロノはセイクリッドデスに魔力を流し込む。シャープな車体はすぐ様腹に響くような重低音を響かせ始めた。千五百ccという 大排気量を誇るエンジンだ。フレームの奥に隠されたそれは、檻の中で息を潜めて静かに鳴いている獣のようだ。

「セイクリッドデス、頼む」

 クロノの言葉に答えるように、セイクリッドデスは内蔵された二本のアップマフラーから排気ガスを吐き出した。エンジンが暖まって行くのが嫌でも分かった。 早くフェイトを追いたいと思うクロノが心を焦がしているのと同じように。
 扉がさらに歪む。次の一撃で間違いなく吹き飛ばされる。

「マリー、ありがとう。ユーノ、君は――」

 言いかけた言葉はすぐに喉の奥に戻って行った。
 ユーノは無言のまま、タンデムシートに腰掛けていた。不服そうな仏頂面でクロノの肩を掴んでいる。

「何のつもりだ?」
「僕も行く。君だけじゃ不安でオチオチしてられない」
「降りろ。邪魔なだけだ」
「君がフェイトを心配してるみたいに、僕もなのはが心配なんだ。なのはもまだ怪我が治り切ってないんだよ。それなのに僕にばかり無茶するなって言って」

 討論している時間も思案している時間も無かった。扉が破壊されれば、殺気立った保安課の局員が雪崩れ込んで来るだろう。

「……振り落とされても見捨てる。それでも構わないか?」
「僕も君が運転をミスって事故を起こしても一人で逃げるから」
「上等だ」
「お互いにね」

 睨み合いながらも、二人は不敵に頬を歪めて笑っていた。
 扉が突破される。甲高い悲鳴と重い衝撃。強引に破壊された扉が派手に転がって行く。通路の照明が侵入して来る。それと同時に数十人にまで膨れ上がっていた 保安課の局員が殺到して来た。
 クロノはクラッチを上げ、右脚のステップを弾き、タイヤのロックを一斉に解除する。続けて左脚のステップを押し込み、ギアを一気に叩き上げた。グリップを掴み、 エンジンを全力駆動。
 大型で無骨なタイヤが床に噛み付き、白い煙を吹き上げながら激しく空回りをする。二秒の溜めの後、ブレーキを解除。
 背中を突き上げるような衝撃。甲高い悲鳴のような音。後輪が煙を身に纏うようにして床を弾き、前輪を持ち上げたまま車体が前へ進む。
 クロノとユーノと乗せた大型二輪駆動車セイクリッドデスは、曲芸的な走法を行いながら急発進した。



 ☆



 転移した先は、小雨で濡れた幹線高速道路の上だった。
 金色の魔法陣が消える。同時にフェイトは身体を折り曲げて膝をついた。胸を抑え付け、嗚咽のような呼吸を繰り返す。
 リンカーコアが握り潰されているような痛み。

「―――」

 その痛みに耐えながら、フェイトは立ち上がる。
 高速道路は無人だった。自動車という自動車が一台として走っていない。ゴーストタウンに向かう道のように濡れたアスファルトはどこまでも続いている。

「バルディッシュ。レイン・レンの反応は辿れる?」
『Yes sir.』

 もう二度とあの暖かな場所に戻らないというマスターの要望に、バルディッシュはインテリジェントデバイスとして仕え、そして答えた。

「良い子だ」

 アルフがフェイトの元に戻る事を拒めば、恐らくバルディッシュは一生フェイトと二人きりで過ごすだろう。

「もう皆に会えなくなっちゃったね、バルディッシュ」

 別にそれでも構わない。

「シグナムに追いつけなかった」

 それが主の望みならば、バルディッシュはそれが叶うように死力を尽くす。

「バルディッシュもレヴァンティンに勝てなかったね」

 心残りが無いと言えば嘘になる。あの好敵手と二度と合間見える事が出来ないと思うと寂しく感じる。

「ごめんね、バルデッシュ」

 だがそれも些細な事なのだ。

「こんなマスター、嫌だよね?」

 この子が苦しみから解放されるのなら。

「でも最後まで一緒に居て。お願い、バルディッシュ」

 この子が――楽になれるのなら――。

『Yes sir.』

 待機形態からデバイスフォームに変形する。
 バリアジャケットは現状のフェイトの状態からして生成不可能だ。魔力も今の転移でほぼ底をついた。後は最低限の肉体強化程度しか出来ないだろう。 ザンバーフォームどころか、ハーケンフォームへの変形すら不可能だ。
 防護服無しで魔法戦闘は完全な自殺行為である。フェイトのバリアジャケットには高速機動時の衝撃や加速を中和・緩和する機能が備わっているが、それが無い以 上、残された微々たる魔力で肉体を強化したとしても無理が出来ない。レイン・レンとの戦闘は事実上フェイトの体力勝負だ。

『反応確認。前方二時方向、距離千二百メートル』

 長柄の戦斧を握り締めた金髪の少女は、白いワンピースを翻し、赤い靴で道路を歩き始めた。



 ☆



 本来なら人間が歩く専用通路を、二人の少年を乗せたバイクが爆走して行く。
 もはや冗談としか思えない光景だった。
 ベースとなった車輌がレーシングタイプであった為か、セイクリッドデスの加速力は凄まじいものだった。車体が軽い為に慣性も働き難いが、排気量が異常と言っ ても差支えが無く、そのせいで細かいハンドル操作が要求される。僅かでも気を抜けばハンドルグリップが暴れてしまいそうだった。
 ほとんど運転経験の無いクロノにはとても扱える代物ではない。にも関わらず、彼は逃げ惑う局員を器用に回避し、先回りをしていた保安課を蹴散らし、狭い通路を 走り抜けて直角のコーナーを無難に捌いて行く。
 エレベータは追われている都合上使えなかった為、階段を使用。ウイリーとジャックナイフターンを併用して強引に走破。案の定ユーノが振り落とされそうになったが、 そこは彼が気合で乗り切った。
 一歩間違えれば死傷者の出る大事故に繋がるような危うい状況が続くが、クロノはアクセルもギアも絶対に緩めようとしない。狂ったような走行だった。

(フェイト)

 通路を曲がると、二人の局員が腰を抜かして座り込んでいた。騒ぎを聞きながらも逃げ遅れていたのか。
 クロノは素早くグリップを操り、さらに加速する。風を貫いて二人の隙間の縫うように走り抜けた。ユーノの言葉だけの謝罪は風とエンジンの駆動音で掻き消されて しまう。もちろんクロノは一顧だにしない。

(フェイト)

 角から保安課が飛び出して来る。ハンドルグリップに仕込まれたスイッチを弾き、デバイスの格納カバーを強制開放。悲鳴を上げて数人の局員が弾き飛ばされる。
 そのまま走行。開きっぱなしのカバーがガリガリと壁を削る。無数の火花が散り、壁とカバーの塗装が剥がされて行く。
 行く手にさらに保安課が立ち塞がる。今度はバリケードを築き、さらに膝をついて射撃体勢を取っていた。総数は十人弱。脅威ではないが、今射撃魔法で撃たれては 退路が無い。さらに回避も不可能だ。

(フェイト――!)

 セットされているデュランダルを抜刀するように引き抜く。カバーが閉鎖する。
 素早く術式を構築。選定魔法は氷結系拘束魔法。”凍らせる”という事に特化した最新型ストレージデバイスは驚異的な速度で術式を制御開放する。

『Icicle Bind.』

 指定した座標の一定範囲の気温を急激に低下させ、凍結させる広範囲高位拘束魔法が発動する。床の一部が巨大な氷と化し、天井からは見事な氷柱が生え、気温の 低下を如実に現す霜が保安課局員達を含めた周辺を包み込んだ。

(フェイト!)

 霜の中へ突っ込み、半ば氷漬けになっている局員達をジャックナイフターンで一掃する。さらにその場でアクセルターン。ギュギュとタイヤが床を噛み、車体は 意思を持った生物のように走り出す。
 対策本部に直結しているトランスポーターは近い。だがそれに合わせて保安課も戦力を充実させつつある。先回りをされる回数も増えた。目的地が完全に知られて いると睨むべきだ。

「フェイトォッ!」

 そんな事は知らない。
 そんな事はどうでもいい。
 前に立つな。
 道を開けろ。
 そして――。

「邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

 飛び出して来た保安課をデュランダルで殴り飛ばして、クロノは吼えた。
 直通トランスポーター施設の扉が見えた。保安課の防衛線は見られない。

「クロノ、罠だ!」

 知っている。
 見れば分かる。
 だがそれがどうした?
 クロノは答えずにセイクリッドデスにさらに魔力を流し込んだ。エンジンが絶叫する。マフラーから黒煙のような排気ガスが噴出。
 限界を超えるかどうかという加速だが、セイクリッドデスの車体は堅牢だった。加速を続けて施設の扉に真正面から突っ込む。
 前輪で扉を蹴り破る。
 一瞬の滞空。
 着地の衝撃。
 サスペンションが震える。首がガクンと曲がって尻に激痛が走った。

「そこまでだ、クロノ君」

 高らかな宣言がセイクリッドデスのエンジン音に負けじと施設内に木霊した。
 小さな講堂ぐらいの規模のある室内は、完全武装を整えた保安課の局員達で固められていた。数は分からないぐらい多い。向けられているデバイスも当然同じ 数だけ存在した。
 背後で騒がしい足音がする。壊れて閉鎖しない扉の前に重武装の局員達がズラリと一糸乱れぬ列を作り、見事なバリケードを築いた。

「僕を追いかけている暇があるのなら非戦闘員の局員の避難をしたらどうだ」
「しているさ。これでも半数以上はそちらに向かっている。クロノ君、君は本来なら第一級犯罪者に該当する危険人物なんだ。それを――」
「退くのか退かないのか。どうなんだ、君達は」

 右手でハンドルグリップを掴み、左手でデュランダルを構える。
 徹底抗戦の姿勢のクロノに、リーダー格らしき髭の男は苦渋の表情を作った。

「……本当に狂ってしまったのか、クロノ君」
「かもしれない。でも、僕はあの子の為なら狂っても構わない」
「……ならば、我々もそれに相応しい態度で臨もう。総員に告ぐ。クロノ・ハラオウンを第二級特殊犯罪者から第一級犯罪者に変更する。殺傷設定魔法の行使を許可。 最悪の場合は殺害も認める」

 だから、それがどうしたって言うんだ。
 第二級特殊犯罪者?
 第一級犯罪者?

「ユーノ、捕まってろ。強行突破する」

 あの子とまた会えるのなら。
 あの子の顔がまた見れるのなら。
 あの子を守る為ならば。

「何にだってなってやる――!」
「総員、構えろ!」

 室内という状況だ。砲撃魔法は来ないだろう。だが、対物破壊性能に優れた射撃魔法が来る。これだけの人数に一斉射撃されれば被弾は必至だ。 強行突破は無理であり不可能であり無謀だ。
 クロノは保安課が使用するだろう射撃魔法を想定し、この包囲網を突破するに必要なシミュレートを殺人的速度で行う。
 突破する手段はあるはずだ。それに被弾したとしても止まるつもりはない。
 セイクリッドデスが大破しても行く。
 脚が撃たれても這って向かう。
 腕が撃たれても顎の力だけでも進む。
 何が何でもフェイトを追う。
 魔力が集まる。射撃魔法の術式が構築される。それは瞬いた瞬間に制御開放されて――。

「こう騒がしいとオチオチ眠ってもいられんな、まったく」

 低い女性の声がした。クロノも含めた全員の視線が開放されたままの扉に集中する。

「ヴィータには感謝するべきだな。お守りだと修理が完了していないレヴァンティンを枕元に置いて行ったのだから」

 刺すような視線の中で、シグナムは肩を竦めて見せた。
 桜色の髪は結わえられてはいなかった。騎士甲冑も中途半端な生成で、装甲の役割を果たしている白い外套が無い。アンダーの赤い服のみで彼女はそこに立っていた。 ユーノ以上に手や足に包帯が巻かれている。それは首にまで至っており、否応無しに痛々しい。
 それでも彼女は笑っていた。爽快感すら感じられる満面の笑みを浮かべていた。

「武装隊所属特別捜査官補佐シグナム。義によって助太刀する」

 そう言って、手に提げていたレヴァンティンを抜刀した。つなぎ目だらけの酷い剣だった。
 その剣を手にシグナムは地を蹴る。峰を返し、扉の前を固めていた保安課を片っ端から薙ぎ倒し始めた。状況が飲み込めない局員達は立ち所に床に崩れ、シグナムを 敵と認識出来た者達も反撃するゆとりすら与えられずに倒される。
 局員がフルオートの射撃魔法を発射する。シグナムはレヴァンティンを突き出して防御魔法を構築。射撃魔法が霧散。消えたと錯覚してしまうような鋭い跳躍。そして 肉迫。交差際にレヴァンティンの峰で局員の首元を一撃して昏倒させた。

「許せ」

 シグナムは軽やかなステップを踏むと、クロノに背を向けるようにしてレヴァンティンを構えた。
 クロノは信じられないモノを見るようにして、まさに疾風のように現れた女性を見詰めた。

「クロノ執務官。あなたもこの騒ぎで眼を覚まされた口ですか?」

 彼女は肩越しに振り返り、先程見せた微笑みもそのままに問う。
 何とも皮肉めいた言葉だった。だが、本当にその通りだった。

「ああ。奇遇だな、シグナム」
「ええ」

 まともに動ける身体ではないはずの長身の女性は、覇気に満ち溢れた物腰で保安課の局員達を見詰めた。
 たったそれだけだ。折れてしまいそうな片刃の剣を構えているだけで、何か特殊な魔法を行使している訳でもない。身も竦み上がってしまいそうな敵意や殺意も 発してはいない。
 なのに、保安課達は指先一つ動かせなかった。こめかみに汗を流して、銃口のように携帯性に優れたストレージデバイスをクロノ達に向ける事しか出来なかった。
 現場が硬直する。数の上では圧倒し、包囲しているはずの保安課は踏み込む事が出来ず、クロノ達に攻め込む隙を見つける事が出来ない。

「優秀だな、彼我の戦力差を悟ったか」
「……シグナム捜査官補佐。君は自分が何をしているのか、分かっているのか?」

 リーダー格の男が厳かな声で確認をする。
 シグナムは不敵な笑みを返した。

「ええ。友を助けています」
「では、君も犯罪者逃亡に加担する者として拘束させてもらう。構わないか?」
「……あなたはお優しいな。だが、指揮官としては失格だったかもしれませんね」
「なに?」

 訝しむ声がした時、甲高い声がした。

「クロノッ!」

 提督の制服で身を固めた女性が、長い髪を従えて室内に飛び込んで来る。
 巡航L級八番艦アースラ艦長リンディ・ハラオウン提督。保安課の局員達も含め、室内に居る全員が知っている女性だった。
 シグナムを除いた全員が茫然とする中、リンディは姿勢を崩しながら走り、クロノに駆け寄る。

「母さん――!?」

 ややあって、保安課にざわめきと動揺が走り、互いに顔を見合わせて困惑した。そんな部下達を、リーダー格の男が雷のような一喝で叱責する。

「馬鹿者! 騒ぐな! リンディ提督は無視! クロノの確保を優先しろ!」
「し、しかし――!」

 息を切らせた母親の顔には、いつか見た表情が刻み込まれていた。
 クロノは言葉を見失い、どう接していいか分からず、静かに苦悶する。
 こんな顔にはもうさせない、そう心に決めていた。なのに、母はまたあの顔をしている。
 物心がついたかどうかという頃。記憶にもほとんど残されていない父親が殉職した翌日。

「間に……合った……!」

 泣き腫らした眼で微笑んでくれていた母。その時とまったく同じ顔で、彼女はクロノに立っていた。

「母さん」
「これを……!」

 リンディが一枚の黒いカードをクロノに押し付けて来る。
 それは待機状態のデバイスだった。デュランダルやS2Uよりも遥かにシンプルで、中央に填め込まれている赤い宝石以外はすべて黒塗りという徹底ぶりだ。

「きっと必要になるわ。持って行きなさい」
「母さん、これは」
「試作型のS2U……L4U。あなたのお父さんが使っていた物よ」

 軽い衝撃だった。そんなものがあるなんてまったく知らなかった。

「型自体は古いけれど、本来の出力は相当なものよ。それで……それでフェイトを連れ戻して!」
「クロノ!」

 ユーノの緊迫した声が響く。同時に軽い衝撃が走り、閃光が視界を焼いた。
 ユーノが展開した防御魔法陣が、リーダー格の男の射撃魔法を弾いたのだ。肩を怒らせている彼は怒号めいた命令を下す。

「撃てェッ!」
「やめろ! 母さんは無関係だ! 狙うなら僕を――!」

 罪を犯したのは自分だけだ。誰も巻き込むな。裁きたければ僕を裁け――!
 そう叫びたいクロノを、リンディが凛然とした声で遮った。

「シグナムさん! 息子を頼みます!」

 術式が構築される。淡い魔力の光が床一面に描かれた魔法陣から溢れ、室内を満たして行く。
 その中心に立っているのは、背中から六枚の魔力の翼を広げたリンディだった。
 誰もが何も出来ない中、次の瞬間、構築された術式が制御解放される。

「母さんッ!?」

 室内を眩い魔力の暴風が吹き荒れ、保安課の局員達を薙ぎ倒して行く。Sクラスの女性提督が生み出した暴風はもはや視認可能な衝撃波だった。鍛えられた屈強な 戦闘魔導師達は誰一人として立っていられず、壁に叩き付けられ、床に平伏した。
 デュランダルをユーノに押し付けたクロノは、託されたL4Uを抱いてハンドルグリップを握った。何とかタイヤから着地。グリップを操作してクラッチを作動させて ブレーキを踏む。すぐ横にはシグナムの姿があった。
 衝撃波が止む。眼を開けてみれば、そこには道が出来ていた。トランスポーターへ続く無人の道だった。

「母さん!」
「行きなさい!」

 リンディはクロノ達に背を向け、保安課の局員達を睥睨する。両腕を広げ、大の字になって彼らの前に立ち塞がる。
 彼女の身体からは夥しい量の魔力が溢れていた。彼女を提督たらしめている要因の一つだ。魔法に少しでも触れた事のある者ならば、その途方も無い量の魔力に脅え すら覚えてしまうだろう。恐怖の眼差しすら向けてしまうかもしれない。
 リーダー格も含めて、保安課は誰一人として動けなくなっていた。確かに魔力量に気圧されているのもある。だがそれ以上に今のリンディには近寄り難い畏怖すべき 何かがあった。

「行きなさい! クロノッ!!!」
「―――シグナム!」

 声でクロノの意図を読んだシグナムは、彼の肩に捕まってセイクリッドデスに片脚を乗せた。ユーノがデュランダルを大切そうに抱えてクロノの脇に腕を回す。
 三人乗りという無茶な状態だったが、セイクリッドデスのモンスター級の排気量と性能を考えれば問題など何も無かった。
 クラッチを解除してギアをトップへ。アクセル全開。
 爆音を轟かせて、セイクリッドデスは駆動中のトランスポーターへ突撃した。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。勢いだけの10−9。この話の展開はSC構成当初から思い描いていたものです。場面のネタを思いついたのは、 パトレイバーと並んでSCの元ネタになった某フラッシュでバイクに乗っている流石兄弟兄を見た時。やっぱりバイクはいい。
 バイクですよバイク。ケインは免許なんて持ってませんがバイクには憧れます。ちなみに登場したバイクの原型はKAWASAKIの今年のモデルで、何やら色々と意欲的な技術を導入して作られていた ものです。セイクリッドデスにはオプションとして駆動キーとなるデバイスを格納しておくカバーがありますが、これは某有名なゲームのCGアニメに出て来たアレが 元ネタ。当初は汎用ストレージデバイスをアレと同じように大量格納して、ユーノとクロノが交互に使って行くというトンデモ設定でしたが、ある意味でそのまんま過ぎた のでボツに。地味にデュランダル一本です。L4Uを使っても良かったのですが、このデバイスの出番はラストのラストまで取ってあるので使えなかった…。ちなみに 名前の元ネタはもう言わずもがな。名前の由来的にも今のクロノには丁度いいかなと思ってこんな名前に。なのはのセイクリッドモードとは何の関係もありません。
 これで♯10は終了です。次回♯11 Take a shot は結構短いというか、多分三話とかで終わりそうです。
 今回の話から個人的に盛り上がるBGM聴きながら読まれる事をお薦めします。Brave phoenixはまだとっておいて下さるといいかも。
 では次回も。

 2006/11/13 改稿





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