魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.11 Meteor









 鈍い痛みが最初に来た。自分が撃たれたと自覚した時、その痛みは我慢出来ない激痛に変わった。
 回転式弾倉に装填されていた最後の銃弾がフェイトの左肩を貫通した。背後で水が弾ける音。金網に血飛沫が飛び散った。
 破裂したトマトのように夥しい量の血液が穿たれた肩から流れ出る。たちまち白いワンピースが赤く滲み始めた。
 なのはもはやては見開いた眼を瞬かせるだけだ。何が起こったのか分かっていない様子だった。

「あぁぁぁぁ……!」

 痛みには慣れていた。でも耐えられない痛みだった。
 肩を押さえて呻くフェイトに、レンが散歩のような足取りで近付く。弾切れになったハンドガンに予備弾を詰め込むその顔は、 絶頂を迎えたかのように恍惚としていた。

「つ・か・ま・え・たぁ」

 レンは震えるフェイトの髪をおもむろに掴むと、片手で軽々と持ち上げる。極めて乱暴な手付き。首の軋む音が身体の内側から聞こえた。

「く……ぁ……!」
「ひでぇ顔してるなぁ。美少女顔が台無しだぜ?」

 視界を埋め尽くす狂人の笑顔。
 憎悪と嫌悪感が頭を支配する。節々が痛む身体を無視して、フェイトは右手に魔力を流し込む。指に感覚が戻り、バルディッシュを力強く握り直した。
 力任せに振りかぶる。特定の場所を狙う余裕なんて無かった。
 流血。痛みのあまりに眼を瞑る。
 手応えはあった。でも肉を断つような柔らかなものではない。

「残念〜」

 眼を開ければ、狂人の笑みがあった。
 彼は片手に提げていた大型ハンドガンでバルディッシュの刃を防御していた。金属と金属が噛み合う甲高い音。

「いやぁ、本当に残念だったねぇ〜」
「こ……の……!」
「痛くて痛くて喋れませんって顔してるねぇ〜」
「―――!」

 そうした顔がこの男を愉悦に浸される事を知ったフェイトは、すぐ様顔から苦痛を取り除いた。毅然とした表情でレンを睨み付ける。

「そそるねぇ〜その顔! いやぁもう、僕ロリコンじゃねぇーけど思わず勃っちゃいそう!」

 相変わらずの理解不能の発言。撃ち抜かれた肩の激痛に耐え、脱出案を思案しているフェイトに答えていられる余裕は無かった。リンカーコアに無理をさせる魔力 生成はもう限界を迎えようとしている。このままでは魔力を枯渇させる前に生命が尽きてしまう。
 回避出来ない現実を前にしても、フェイトはこの狂人の打倒を放棄していなかった。無駄な足掻きだとも思わない。必ず、絶対に、喩え首を刎ねられたとしても、 この男を許さない――!
 不動の意思は、しかし、次の男の言葉で驚く程呆気なく瓦解した。

「この金髪。当たり前だけどさぁ、本当にアリシアに似てるよなぁ、てめぇ」

 思案が断たれた。
 何故。
 どうして。
 様々な疑問を顕す言葉が浮かんでは消えた。
 フェイトは呟くように問う。

「どう……して……アリシアを……?」

 アリシアの存在を知っているのは極一部の人間だけだ。いや、それどころではない。フェイトが彼女のクローンであり、出来損ないである事実を知っている人間は 本当に一握りしか存在しない。
 ”生命蘇生”は魔導技術に於ける最大の不可侵領域だ。いや、不可能領域と言っても良い。技術的に擬似的な蘇生は出来ても、それはあくまでも仮初めである。 さらに様々な人徳的理由がある。宗教的に死者への尊厳の妨害、冒涜とも叫ばれ、究極的な人権の侵害とも言われた。
 ”生命蘇生”は”禁忌の法”と言われた。フェイトの存在は管理局で多かれ少なかれ物議を醸し出し、その出生の秘密は口外されず、PT事件の裁判に於いても秘匿 扱いとされた。
 まず知り得ないはずの事実。それなのに、何故この狂人は知っているのか。
 そして、何故アリシアを知っているのか――。

「どうしてか? そりゃ簡単さ。僕があの子を、いーや……お前のオリジナルを知ってるからだよ」

 常識を語るかの如く、男は当然のように言った。

「まだ五歳くらいだったけどねぇ。いや〜、花のように可愛らしい子供だったよ。プレシア女史が眼に入れても痛くないって言ってたのが分かるわマジで」
「母さん……!?」
「おやおや。まだあの人を母と呼びますかねぇ人造人間」
「何であなたが知ってるんですか!?」

 フェイトの声は慟哭となって周囲に木霊する。

「だから言ってるだろうがぁ、ザ・ミスコピー。知ってるんだよ、あの二人の事は」
「な、んで……!?」
「ヒュドラって名前、聞き覚えないか?」

 知らないはずがなかった。
 正式認可が疑問視されていた危険な方法――大気中の酸素を消費する事で魔力を作り出し、それをエネルギーとして稼動する次元航行駆動炉ヒュドラ。 かつてプレシア・テスタロッサが開発主任を務め、最終的には駆動実験中に暴走という最悪の末路を辿っていたシステムだ。その際、アリシア・テスタロッサが暴 走事故に巻き込まれ、フェイトが創られた。フェイトにとっては忌むべき名でもあった。

「あれの開発中、僕はプレシア女史の補佐をしていてねぇ。仕事仲間だったんだよ」
「ほ、さ?」
「そー、主任補佐。プレシア女史は優秀だったけど、どうにも安全第一でプロジェクトの進行が遅かったんだよ。それで僕が入った訳」

 知りたくはない事実だが、PT事件の裁判に必要な資料として、フェイトはその全容を知っていた。
 姉と言えるアリシアが死に、母と言えるプレシアが壊れる切っ掛けとなった事故。未然に防ぐ事が出来たにも関わらず、その悲劇は起きてしまった。杜撰な管理や 無理な計画進行の影響が大きく作用していたが、それ以上に原因と言える存在が確かにあった。
 開発主任補佐。遅延し続ける開発計画に業を煮やした開発元がプレシアの補佐として着任させた研究員である。エイミィが調べでは、実際の計画進行はその 開発主任補佐の手によって行われていたという。

「じゃあ……!?」
「もうあの人マジ遅くてさぁ。僕も大変だったんだよぉー。定時には帰れないし人は辞めてくし。なのにあの人は安全安全! 頭に安全第一ヘルメットでもかぶってろ ってェーの! 僕に意見ばっかりするしよォー! マジ何考えてたんだよあの女ぁッ!」

 開発主任補佐が諸悪の根源という訳では決してない。あの計画そのものに無理があったのだ。閲覧した資料は半分近くが難しい言葉や専門的な知識で埋められており、 飲み込む事は容易ではなかったが、それは理解出来た。
 だが、それでもヒュドラ暴走事故の引鉄を引いたのは間違いなく開発主任補佐だ。彼がプレシアの話を真摯に聞き、駆動炉開発に熟成期間を設けていれば、 暴走事故は起こらなかったのかもしれないし、稼動実験の際の安全点検を怠らなければ、事故は起こったとしても最悪の結果――アリシア・テスタロッサの死亡は防げた のかもしれない。

「燃料注入は防御結界構築まで待てとか、予算ばっかり喰う安全装置を大量に付けろだとか。マジ計画私物化しやがってよォ。もう面倒だったから書類だけ通してた けどさぁ」
「………」
「大体暴走も停止させられるはずだったんだよ? なのに転送だとか訳分かんない事言い出すしィ。大体暴走しないように安全確認するのがあの人の仕事だったのにねぇ。 職務怠慢だよマジでェ」

 男の言い分はどこまでも身勝手で無茶苦茶だった。
 フェイトの耳にはもう男の言葉は届いてはいなかった。ただ突きつけられた事実に震えていた。
 この男がプレシアを狂わせたのだ。この男がアリシアを殺したのだ。
 フェイトは大切な人を二度に渡ってこの狂人に狂わされていたというのだ。

「――うあぁ――」

 意地が決壊する。
 静寂な激情、重く暗い感情が一気に反転する。
 フェイト・テスタロッサは声にならない声を上げた。
 プレシア・テスタロッサが死んでいる娘を前にそうしたように。

「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」



 ☆



「見えた!」
「見れば分かる!」

 何度目になるか分からない怒鳴り合い。思念通話というシステムを介した言葉のやりとりでは満足出来ない感情が、爆音の響く中でも良く通る大声を出させた。
 クロノは喉に痛みを覚え、眉を顰める。何度か咳払いをして喉の調子を確かめた。問題無い。フェイトに会った時、ひとまず普通に言葉を紡ぐ事は出来るだろう。
 夜明けまで後半時間。刳り貫かれた星空が青みを帯びて来た。

「夜明けか」

 眼が覚めた自分には丁度良い空模様だった。
 その空の下に目的地がそびえ立っている。空を貫くようにして建造されている巨大ビルディング。それがクロノ達の前に立ち塞がった。

「大きいな」

 圧巻すら覚えてしまう大きさだった。名の通った大企業所有の物だろう。
 三車線の幹線道路はそのビルを避けるようにカーブを描いている。それだけビルは圧倒的な規模を誇っていた。
 このまま走行を続ければ、ガードレールを突き破って一面強化硝子張りの壁に衝突だ。もちろんクロノはそんなつもりはない。
 デュランダルがフェイトとバルディッシュの反応が間近である事を伝えて来た。言われるまでもなかった。屋上からなのはの物である砲撃魔法が発射されたのを 見ている。
 このビルの屋上になのはとはやてが居る。そして、フェイトが居る――!

「どうやって昇るの!?」

 ユーノがクロノの肩を掴み、乗りかかるようにして聞いて来た。ここに至るまでのクロノの無謀な運転で、どうやら彼もこの単車の速度に慣れてしまったようだ。
 現場に程近い場所まで来た。後は遥か頭上の彼方にある屋上に昇るだけだ。
 飛行魔法を使う以外に選択肢は無い。一度幹線道路を下り、そこからビルに突入するというルートもあるが、それは効率が劣悪だ。セイクリッドデスに乗車したまま では迂回路を選択せざるを得ない。

「いや」

 あった。セイクリッドデスに乗車したまま、速度を落とさず、尚且つ迂回しなくても良い方法がある。
 クロノは不敵に微笑むと、術式を構築した。必要とされる場面は少ないと思っていたが、それでも修練を絶やさずに積み上げて来た術式が瞬く間に展開される。 備え有れば憂い無しと言えば聞えも良いが、無駄な努力だと一蹴する輩も居る事だろう。

「ユーノ! このまま乗り込むぞッ!」
「はぁ!? 本気で言ってるの!?」

 クロノは返事の代わりにセイクリッドデスに魔力を装填する。明らかに異音を立てるエンジン。ユーノが悪態なのかどうなのか分からない悲鳴を上げた。エンジンの 狂った駆動の振動がタンデムシートを直撃したらしい。

「遠隔設置でチェーンバインドを詠唱しろ! 出来るだろう!?」
「い、一応出来るけど……!」
「凍らせて直接乗り込む!」
「やっぱり無茶苦茶だ!」

 非難がましい絶叫を上げながらも、ユーノの表情は面白そうに綻んでいた。
 ビルが迫る。セイクリッドデスは駆け上がる為の加速を得るべく、過剰な助走を始めていた。

「やるよ、クロノッ!」
「ああ、行くぞッ!」

 友人の言葉は如何なる強力な魔法、デバイスツールよりも力強い。
 あの屋上の向こうにフェイトが居る。傷付けてしまった少女が居る。
 身体の熱さはもう限界だった。頭の中が沸騰してしまいそうだ。もう一分一秒だって待っていられない。
 ユーノはタンデムシートの上で足場作成魔法を行使。飛行魔法を詠唱してその場に屹立した。凄まじい風圧が一斉に彼の身体を殴る。線の細い少年が 潰されそうになった。
 暴風の中でユーノは手を翳す。瞑目は一瞬。展開された術式は彼が慣れ親しんでいた拘束魔法。遠隔設置型である為に細部に違いは見られるが、基礎となる術式構築 は刹那で終了した。

「チェーンバインドッ!」

 裂帛のトリガーヴォイスが術式の制御解放を発生させ、魔法現象を現実空間に顕現・維持した。
 前方のガードレールの上に大型の魔法陣が描かれる。優しくも力強く明滅するミッドチルダ式魔法陣。そこから二本の鎖が放たれ、ビルの屋上へと伸びて行く。
 鎖はいつもの彼の魔法よりも堅牢な印象があった。平時の二本分の規模はある。ビルの外縁に到達した所で、二本は一本となり、それこそ単車の大型タイヤを載せるに 相応しい逞しさを形成した。
 間髪入れず、クロノがデュランダルを横薙ぎにして、その切っ先をチェーンバインドへ向けた。
 術式展開。制御解放――!

「凍て付けェッ!」

 それをトリガーヴォイスとして、高難易度を誇る操作温度変化魔法が発動した。攻撃対象特定が困難、発動の遅延、消費魔力の多さから使い手を選ぶ魔法だが、今の クロノにとってはそれら問題は霞んで見えた。
 放たれた魔法は不可視となってチェーンバインドに殺到する。高質化した魔力の鎖を構成している術式に強制割り込みを仕掛け、周辺気温に影響が出るようにプログラム を書き換える。同時に局地的に気温を低下。駆け出しの魔導師ならば、魔法学院と管理局発行のマニュアルを開いて数十分以上唸り続けなければならない工程を、 クロノは僅か二秒で終了させた。
 幹線道路とビルの屋上を繋いだチェーンバインドが完全に氷付けにされた。靄を吐き出しているその様相は、極寒の地にそびえ立つ氷結の吊橋のようだった。
 ハンドルグリップのスロットルを絞り込む。これ以上はスピードは出ない。魔力も流し込めない。それでもクロノは加速を求めてスロットルを絞る。
 天に向けて伸びる氷結の吊橋目掛けて、セイクリッドデスの車体が跳んだ。
 ガツンと派手に揺れる。ハンドルが暴れる。意地と腕力で無理矢理捻じ伏せた。
 マフラーから煌めくような排気ガスを大量に吐き出してセイクリッドデスが氷結に吊橋を駆け上る。
 空が近付いて来る。ビルの外壁が見る見る近付いて来る。

「フェイトォッ!」

 手を伸ばせは届きそうな位置。屋上は、フェイトは、すぐそこまで迫っていた。



 ☆



「ギャーギャーうるさいなぁ。こんなとこまでプレシア女史に似なくても」

 狂人が顔を顰める。心底ウンザリとしている表情だった。

「あなたが……あなたが母さんを……! アリシアをッ……!」
「ああ、だからあれは事故だって事故事故。業務上過失致死じゃねぇよありゃ。まぁお陰でてめぇは造られた訳なんだから感謝しろよ?」

 悔しさが、憎しみが、そうした感情が喉を通ろうとする言葉を潰した。

「そうそう、感謝しろー人造人間君。僕が居たからてめぇは造られた。で、愛しの愛しのクロノ君に出会えた訳だぁ」
「クロノの名前を……言わないで……ッ!」
「嫌ですゥ〜。クロノ君クロノ君クロノ君クロノ君クロノ君クロノ君〜〜〜〜〜〜!」

 怒りのあまりに顎が震えていた。悔しくて涙で濡れた眼は血走っていた。少女には絶対に相容れぬ憤怒と憎悪に満ち満ちていた。

「どうだ悔しいかぁ!? だったら何とか言ってみろォッ! 何とかしてみろ失敗作よぉぉぉぉぉ〜〜〜!」

 母を狂わせ、クロノを狂わせ、自分のこれからを狂わせた狂人は唾を撒き散らして声高らかに喚く。
 身体が沸騰した。覚えているのはそれだけだった。
 バルディッシュを投げ捨てる。邪魔だったのだ。躊躇は無かった。
 髪を掴んでいるレンの腕にしがみ付き、その手の甲に思い切り噛み付く。口の中に血の味が広がった。構わずに引き千切るつもりで何度も歯を立てた。
 絶叫が響く。レンが地団駄を踏んで腕を振り回した。
 痺れていた指では無理だった。塵のように地面に叩き付けられる。硬いコンクリートにぶつけた頭が跳ね返った。
 意識が真っ白になる。それでも感情が身体を再起させる。心臓を鷲掴みされた感覚に襲われながら、素手で狂人に立ち向かう。 攻撃方法なんて知った事ではなかった。

「ひっじょぉぉぉにぃ! うっーーとぉぉぉぉしぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 後頭部を蹴り飛ばされ、フェイトは再び地面に倒れ伏す。顔面から衝突。額と鼻先に激痛が走った。視界が白くなったり赤くなったりする。意識はあるのか無いのか 分からない。頭が割れそうな程痛いはずなのに、痛いと思えない。
 それでも立ち上がろうとするフェイトの頭を、レンが無造作に踏み潰した。革靴の下敷きにされた耳が聞えなくなり、感覚が消えた。
 頭蓋骨が軋む。今にも砕け散りそうな鈍い音だった。

「死ね! 死ね !死ね !死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!死ね 死ね! 死ね!」

 見上げても男の顔は見えなかった。黒い薄汚れた靴底しか見えなかった。
 もう限界だ。頭が痛い。骨が痛い。後三秒もすればフェイトの頭は踏み潰された果物のようにグシャグシャになる。脳髄が噴出し、眼球が転がり、頭部を失った身体は 解剖された蛙のように無様に痙攣を繰り返すだろう。そんな自分の姿を想像して、フェイトはきつく眼を閉じる。
 まだだ。まだ死ねない。この狂った科学者を倒すまでは。クロノの剣として、最初で最後の刃を振るい切るまでは――!

「し……ぬ……もん、かぁ……!」

 脚を持ち上げようとする。でも駄目だ。壁のように動かない。力を弱める事も出来なかった。
 頭蓋の軋みが酷くなる。次の瞬間にでも頭が砕ける。痛みを痛みとして知覚出来ずにフェイトは絶命してしまうだろう。
 駄目なのか。自分は剣としてクロノを守る事も出来なかったのか。そうなのか。このまま、こんな所で殺されてしまうのか――!
 その時、知らない音がした。





 爆音が遥か上空に木霊した。
 昇れ。昇れ。昇れ――!

「行けェェェェェェェッ!!!」

 最初から予定されていたかのように、大型二輪駆動車セイクリッドデスは蛇行運転の一つもせず、氷結の吊橋――氷結魔法で氷付けにされたチェーンバインド の上を駆け抜けて行く。
 屋上の外縁が眼前に迫った。吊橋は垂直に近い傾斜だ。それでも速度は落ちない。バランスも崩れない。強固な防弾タイヤはしっかりと氷付けになったチェーンバインドに 噛み付いて車体を上へと押し上げて続けている。
 前輪が外縁に到達した。ガクンという衝撃。構わずに乗り上げる。猛烈な重力に引っ張られる感覚。無視してハンドルグリップのスロットルを絞る。鈍い金属音がして スロットルが捻じ切れた。
 乗り上げた車体は止まらない。後輪と破損したテールカウル、ランプを騒々しい騒音を鳴らし立てて削り、派手な火花が散った。
 巨躯を誇る自動二輪駆動車が屋上の空を舞う。
 床から数メートル程の高さに到達した。広大な屋上の一望出来る高さだ。
 四人の人間を確認する。四つ角の端で身を丸めているのはなのはとはやてだ。その彼女達から少し離れた位置――滞空中のセイクリッドデスの進行方向上に薄汚れた 白衣を羽織っている科学者が立っている。

「レン――!」

 そして見つけた。

「――フェイト――」

 その足元に人形のように潰されている少女を。
 クロノは叫んだ。
 全身全霊を持って、
 喉が裂ける程の大声で、
 想いをぶつけるように、
 クロノは少女を呼んだ。

「フェイト――!」





 始めて聞く音が何なのか、フェイトには分からなかった。
 頭を踏み潰さんと振り下ろされていた脚が緩む。でも脱出出来る程でもない。
 その時、緩んだ靴底の隙間から確かにその声が聞こえた。
 嘘だと思った。有り得ないと思った。幻聴だと決め付けた。
 でも、その声は確かに彼のものだった。
 聞き間違えるはずがない。

「――クロノ――」

 身体に力が入った。どこにこんな力が残されていたのか分からないが、魔力ではない不思議な力が腕に力を宿してくれた。
 片手で脚を払い除ける。どんなに頑張っても、足掻いても決して動かなかった敵の脚がアッサリと退いた。
 空を仰ぐ。吹き抜けて行く夜風が擦過傷の頬を額に響く。
 星空に黒い塊が浮いていた。いや、飛翔していた。それが何なのか、フェイトには分からなかった。でもそんな事はどうでも良かった。
 フェイトは呟いた。
 噛み締めるように、
 消え入りそうな声で、
 想いを告げるように、
 フェイトは少年を呼んだ。

「クロノ――!」





 すぐにでも抱き締めたい。彼女との距離はもうほとんど無いに等しい。
 もどかしくて気が狂いそうだった。
 一秒が異常に長くなる。一分、一時間、それ以上に感じられた。
 狂った科学者――レイン・レンは信じられないモノを見るような眼差しで、クロノと大型二輪駆動車セイクリッドデスを見上げていた。滑稽な程に呆けた顔付きだった。
 クロノはアクセルの利かなくなったハンドルグリップを弾き、風に吹かれて傾き掛けていた車体の向きを修正した。レンを轢き殺すつもりで前輪を前方へ。

「――ぉぉぉぉおおおおおおおおおおッ!」

 自分の物とは思えない獰猛な咆哮が喉の奥から競り上がって来た。
 恐るべき加速慣性を秘めた重量二百五十キロオーバーの大型二輪駆動車の前輪が、立ち尽くす男の顔面を直撃した。
 ハンドルグリップに嫌な感触が返って来る。それに顔を顰める事もせず、クロノはユーノの襟元を掴んでセイクリッドデスを蹴り飛ばした。加速慣性にクロノの蹴り を上乗せして、さながら巨大な砲弾となった単車は、レンともつれ合い、眩い火花を残しながら床を滑走する。人の悲鳴とは思えない怒号めいた絶叫が遠ざかって行った。
 一瞬の滞空の中、クロノは無言のままユーノをなのは達に向けて投げ飛ばした。極めて乱暴な方法だったが、ユーノはそうされるのが分かっていたのだろう。 非難の一言も無く、飛行魔法を行使してなのは達の下へ急ぐ。
 甲高い雑音が響いた。同時に硝子が砕ける清音。レンを巻き込んで転がって行ったセイクリッドデスが外縁に衝突したのだ。高分子エンジンの力強い駆動音ももう 聞こえない。
 クロノは胸中でマリーとセイクリッドデスに謝罪と礼を告げ、屋上に着地した。
 周囲が一気に静かになる。セイクリッドデスの駆動音が如何に爆音だったのかを思い知らされた。
 色素が抜け切った髪が静かに揺れる。
 クロノはデュランダルを片手に提げ、床にしゃがみ込んでいるフェイトへ歩いて行く。

「フェイト」





 名前を呼ばれて、フェイトは震えた。撃ち抜かれた腕に激痛が走ったが、少女の表情は変わらなかった。
 少年が歩いて来る。
 もう会わない、もう顔を見ない、もう声も聞かない。そう決意させた人が近付いて来る。
 フェイトは脚を引き摺るように後ずさりをした。
 いや、してしまった。
 決意が揺らいで行く。もう瓦解寸前だった。もう会わないと決めたのに、その顔を見たら、そんな誓いなんて無いも同然だと思い知らされた。
 本当はずっと側に居たくて、
 ずっと一緒に居たくて、
 好きで、好きで、堪らない人。
 でも、ずっと傷付けて苦しめて来た人。
 二度目の後ずさり。どうしてそんな事をするのかが分からないが、フェイトはクロノから逃れようと必死に足掻いていた。
 クロノの脚が止まった。
 二人は無言だった。無言のまま、その瞳を見詰め合った。

「……フェイト……」

 クロノの顔が崩れる。今にも泣き出してしまいそうな悲しみの表情。
 やっぱりだ。やっぱり自分は彼を傷付けている。傷付けてしまっている。近くに居るだけで、自分は何もせずとも彼に傷を負わせているのだ。
 だからフェイトはこう言った。

「――近付かないで――」





 如何なる辛辣な言葉よりも、遥かに残酷が響きが少女の声にはあった。
 熱かった身体が急激に冷えて行く。滝にでも打たれているような気分になった。奈落の底に突き落とされ、もう這い上がって来れない絶望的な気持ちになった。
 フェイトは脅えていた。その充血した紅い眼を見れば分かる。
 心から彼女は脅えている。
 何に脅えているのか、自分なのか。また攻撃されてしまうかと思って恐れているのか。

「………」

 クロノは必死に考えた。彼女が何に脅えているのか。自分に脅えているのかもしれないと思ったが、少し違う気がした。
 震える少女の瞳。それを見た時、クロノは驚く程に簡単に答えを見つけた。
 フェイトは誰にも脅えてはいない。自分がまたクロノを傷付けてしまうのではないかと思い込んでいるのだ。

「……ごめん……」

 自身でも聞き取れない程の小さな声で呟く。デュランダルを握る手が震えた。
 傷付ける? 傷付けていたのは僕の方だというのに。
 どれだけこの少女を傷付けていたのか。どれだけその気持ちを踏み躙り続けていたのか。
 如何なる言葉でも彼女の傷を癒す事は出来ないだろう。
 ならば、行動で示せば良い。ここまでの無茶な強行軍を起こす原動力をなった思いと言葉を、そのまま行動に変えればいいのだ。
 クロノはデュランダルをその場に突き立てた。硬いコンクリートの床を貫いて氷結の杖が屹立する。
 フェイトの肩がビクンを跳ねた。クロノの一挙手一投足に過敏なまでの恐怖を抱いている様子だった。
 胸が締め付けられる。どうしようもない感情が胸中の奥底で渦を巻く。
 クロノはフェイトを脅えさせないようにゆったりとした足取りで彼女に近付く。

「こ……ない、で……」

 脅えから歪んでしまったフェイトの頬を、涙を粒がぼろぼろと伝って行く。
 引き裂かれる思いだった。それでもクロノは歩みを止めなかった。
 フェイトが下がるよりも、クロノの脚の方が速かった。

「フェイト」

 膝を折る。数十センチ先にフェイトが居る。酷い顔だった。血と埃と疲弊の痕が色濃く出ていた。濡れたように艶のある金髪には、その面影も無かった。左肩には 大きな弾痕。その手首には分厚い包帯。遊園地に遊びに行った時に着ていたワンピースはもう原型が無い程に痛んでいる。
 擦過傷のある頬に指を添える。彼女が小刻みに震えているのが分かった。傷が痛むのではない。クロノの触れられて怖がっているのだ。
 一握りの逡巡が生まれた。理性が頭の中で、現実逃避を企てる理屈と都合の良い理由をダラダラと並べ立てようとする。
 それを蹴散らすのに半秒も掛かった。
 情けなかった。
 その悔しさを振り払うように、クロノはフェイトを抱き締めた。





 眼の前で白髪が揺れている。色こそ違うが、匂いは変わっていなかった。
 クロノの匂いが胸いっぱいに広がって行く。彼の暖かさが身体を包み込んで行く。
 何もかもを吹き飛ばしてくれる温もりだった。身を任せてしまいたくなる。その胸に顔を埋めて泣き喚きたくなる。あんな決意なんて忘れて、この温もりと匂いに 溺れたくなる。それはあまりにも恐ろしい誘惑だった。

「だ……め……ぇ……!」

 そう、駄目なのだ。フェイトは自身に言い聞かせるようにして、彼の腕を振り払おうと暴れた。穴の空いている右肩から大量の出血が起こる。痛みが脳を焼く。それでも 温もりから逃れようと足掻いた。

「離して……! 離してクロノッ!」

 傷付けるだけなのに。
 苦しめるだけなのに。
 私はクロノを傷付けていたのに。
 どうして離してくれないの。
 我慢してもう会わないって決めたのに。
 お別れをしたのに。
 弱々しくもがき続けるフェイトを、クロノは決して離そうとしなかった。
 彼女の血でその黒灰色のバリアジャケットはどんどん赤く染まって行く。
 その光景が、フェイトには自分が再びクロノを傷付け、汚しているように見えた。

「離してぇッ!」





 張り上げられるフェイトの悲鳴に耳が痛んだ。ジンジンと響いて来る。だが、それ以上に胸はもっと痛かった。

「ずっと気付いてやれなくてごめん」

 耳と耳とを擦りつけ、傷付いた少女の頭をそっと撫でながら、クロノは言った。

「君の気持ちに気付いてやれなかった」
「………」
「ずっと妹として見てた」
「………」
「ずっと傷付けていた」
「………」
「フェイト。僕は君に謝らなきゃいけない事が本当に沢山ある。どれだけごめんって言っても足りないと思う。でも言わせて欲しい事があるんだ。聞いてくれるかな?」

 夢中だった。クロノは自分でも驚く程、無心になっていた。嫌だと言われたらどうしようという懸念は浮かばなかった。

「僕は、”こんなはずじゃない人生”を与えられる人を無くしたくて管理局に入った。母さんや僕みたいな人間を一人でも多く救いたくて、防ぎたくて戦った。でも、一番 守りたいって思う人は曖昧だった。皆を助けたいって、悲しい思いをする人を無くしたいって思ってて、一番守りたいって思う人が分からなかった」

 出来る事なら、もし可能ならば、眼に入るすべての人を守りたい。それは偽りの無い事実だ。
 でも自分は弱い存在だ。極々限られた人間しか守れない。
 ”こんなはずじゃない人生を歩く人を無くす”という理想を掲げ、これまでの短い人生を止まろうとも振り返ろうともせず駆け抜けて来たが、そんな事は無理なのだ。 それはクロノ自身が良く知っていた。

「フェイトも、母さんも、なのはも、はやても、シグナム達も、エイミィやアルフ達も、皆々守りたい」

 それが自分という弱い存在が守れる限られた人間達。

「でも、もし誰か一人しか守れなくなったら」

 この結論にリンディ達はどんな顔をするだろうか。
 寂しがるだろうか。驚くだろうか。蔑むだろうか。悲しむだろうか。――喜んで、くれるだろうか。
 やっと見つけた、自分が守りたくて悲しませたくないヒト。

「僕は君を選ぶ」





 言葉が身体の奥底にまで染み渡る。耳にした言葉ではなく、そこに込められていた感情を知る。
 どうしてと思う。
 何故と思う。
 なのはでもはやてでもなく。ましてや唯一の肉親であるリンディでもなく、姉弟のような関係のエイミィでもない。
 ただ傷付ける事しか出来なかった自分を、彼は誰よりも守ると言った。
 嘘だと思う。
 信じたいのに信じられなかった。

「だ、め……だよ……」
「……どうして?」
「だ、って……クロノは……なのはが……好き、なんでしょ……?」
「………」
「なのはを、守ってあげないと……だ、め……だ……よ……」
「………」
「私なんか、守るなんて……言っちゃだめ」

 苦しい。フェイトは息苦しさを覚えて嗚咽を漏らす。
 クロノに拒絶されてから、今までずっとずっと苦しかった。
 辛くて、痛くて、悲しくて、どうしようもなかった。
 でも、今が一番苦しかった。
 守ると言ってくれているクロノを、拒絶しなければいけないのだから。

「私、誓ったんだ」

 崩れて溶けてしまいそうな誓いを思い出す。

「私は……フェイト・テスタロッサは、世界中の誰からも、どんな出来事からも、あなたを……クロノを守るって……」
「……知ってる」

 彼の静かな答えに、フェイトは言葉を失った。
 クロノが知っているはずがなかった。だってあの時、彼はベッドで眠っていた。知る由が無い。
 誓いが瓦解する。返事を得ぬまま去ったからこそ、あの誓いは永遠に成立するはずだった。少なくともフェイトはそう思っていた。
 その誓いの返答が――。

「フェイト」

 ――今、出される。





 無心の心が、フェイトを守りたいという感情が、その言葉を告げた。

「守ってくれ、フェイト」

 情けない言葉だった。でも、口下手で不器用な自分が表現出来る精一杯の言葉だった。

「弱い僕を……守ってくれ」

 深呼吸をする。

「僕の剣で居て欲しい」
「………」
「僕もフェイトを守るから。弱いけど、守るから」

 呟きのような告白と共に腕に力を込める。
 冷え切った少女の体温を感じる。擦り合わせている頬を通じて、確かに伝わって来る。
 胸の中でじっとしている金髪の少女。その紅い双眸の中に、クロノは一つの感情を抱いた。
 初めて感じる感情だった。身体が再び熱を帯び始める。耳が熱くなり、訳が分からなくなる。
 ふと見詰めたその先には、フェイトの瞳があった。

「……僕は……」

 病室でアリサに。
 単車でユーノに。
 クロノは二人から問われていた。フェイトが好きなのか、どうなのか。
 分からなかった。恋愛という言葉からずっと遠ざかり続けていた反動なのか、愛だとか何だとか、そうした想いそのものが分からなかった。
 危なっかしいなのはを支えていたいと思った時、訳の分からない胸の高鳴りに襲われた。動悸が荒くなって、身体が今のように熱くなった。彼女の顔が直視出来ず、 逃げるように顔を背けてしまった。
 今も同じだった。だからこそ理解する。うるさい鼓動と熱に冒された頭が教えてくれる。
 この感情が、誰かを好きになるという事だと。
 そしてまさに今抱いた感情の昂りは、なのはの時のそれに比べれば、我慢が効かない程に強い。

「く……ろ、の……」

 自分を制御出来なかった。試みたが、それは空しい抵抗に終わった。労わらなければいけない壊れてしまいそうな少女を、クロノは想いをぶつけるように抱く。 想いの赴くままに、強く、きつく。
 それは未熟で稚拙な抱擁だった。

「好きだ、フェイト」

 その言葉に躊躇いは無かった。発露するのに躊躇いを覚えるような小さな想いではなかった。一刻も早く、彼女に伝えたかった。
 クロノはフェイトの答えを待った。強固な自制心を奮い立たせ、何とか腕の力を弱め、少女に窮屈な思いをさせないようにする。でもそれが限界だった。
 長いのか、短いのか、それすらも分からない沈黙の後――。





 あの時立てた誓いが。決意した思いが。すべてが濁流の底に流されて行く。
 クロノが守って欲しいと言っている。そう、自分に言ってくれている。
 そして――好きだと言ってくれた。
 クロノを苦しめていただけの自分を、剣として彼の行く手を邪魔した狂った科学者一人打倒出来なかった自分を、彼は必要としてくれている。
 実感が沸かなかった。
 でも先程のように嘘だとは思わなかった。
 身体を包んでくれているクロノの温もりが、言葉を真実だと告げているのだ。
 いいのだろうか。本当にいいのだろうか。
 そう訊ねるにはとてつもない勇気が必要だった。

「……いい、の……?」

 クロノが力を緩める。

「何が?」

 優しげに微笑む彼が視界を埋める。

「ずっと……側に居ても……いいの?」
「ああ」
「ずっと……一緒に居ても……いいの?」
「居て欲しい」
「……私が……好きで……いいの?」
「好きだ」

 クロノは飾ろうとしなかった。
 思いはそのままの言葉となってフェイトに届く。
 嬉しかった。
 フェイトは軽く俯くと、傷付いた額をクロノの胸板にコツンとぶつけた。背中を丸めて、肌触りの良いバリアジャケットをきつく握り締めた。
 もう離さないように、決して離れないように、フェイトはクロノの胸に身体を押し付ける。
 猛烈が激痛が身体を苛んだ。撃ち抜かれた肩が痛い。無理をさせていたリンカーコアが鈍い。全身が重い。
 でも、ずっと悲鳴を上げ続けていた胸は、もう痛くなかった。

「苦しかった」
「……ああ」
「辛かった」
「……ごめん」
「悲しかった」
「……すまない」
「クロノ」
「ああ」
「くろの」
「……ああ」

 最初は思い出すかのような泣き方だった。
 それがすぐに号泣に変わる。周りの状況を顧みず、フェイトは泣きじゃくる。
 悲しいから泣いているではない。辛いからでもない。苦しいからでもない。
 嬉しいから。
 その感情とクロノの思いだけを抱き締めて、フェイトは声を上げて泣き続けた。
 歳相応の号泣が夜明けの星空に木霊した。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 クロノとフェイトがやっと再会出来ました。自分でここまで引き裂いておいて言うのもなんですが、ああ、良かったなと。
 でもここからが本当の戦いか。クロノvsレン。さぁ、どうなるか。ちなみにレンが連戦なのに連戦しているように見えないのは何故だろう…。
 ヒュドラの設定が一部資料によって違うので、ひとまず小説版を参考にしてます。”開発主任補佐”の存在があるのは小説版だけですし。
 三話構成で終わると思っていた♯11が倍の六話構成に。次回で終わりです。
 では次回で。

 2006/11/15 改稿





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