魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.13 Can swear only one









 見慣れてしまったなと、クロノはぼんやりとした意識の中で思った。失笑しようと思ったが、顔全体に拭い切れない違和感があり、巧く筋肉を動かせない。
 微かに鼻をつく消毒液の香り。白い天井。無色透明の照明。
 病室だ。ユーノに連れ戻され、眼を覚ました時、同じような天井を見上げた。
 殺風景な部屋だった。点滴と、それを吊るしているスタンド、ベッドの脇に置かれた最低限の医療機材の他には何も無い。白い壁が四方を囲み、どこか息苦しい空間を 形作っている。

「……元執務官として、見慣れてしまうのは拙いな……」

 自嘲気味に呟いて、クロノはベッドを降りた。素足が硬い床に降り立ち、ひんやりとする。
 腕に違和感を感じたので、そちらに視線を向けると、点滴から伸びるチューブが取れかかっていた。寝相が悪かったのか、ガーゼやテーピングも剥がれてしまっている。
 クロノはテープの粘着性を確かめて、ガーゼで点滴の針を固定した。応急処置の一つだ、眼を瞑っても出来た。
 改めて部屋を見渡せば、殺風景な内装の部屋にも変化が見えて来る。
 部屋の半分が全面硝子張りになり、温室のような構造になっている。扉は一つだけで、防音室にあるような無骨なものだった。
 硝子の向こうには監視室らしき施設がある。部屋全体を監視する為の処置だ。
 本局内総合病院、隔離病棟、第一級犯罪者専用収容病室。それがこの部屋だ。

「………」

 時間の経過が薄らいでいた記憶を呼び覚まして行く。
 フェイトと共に放ったプラズマザンバーは、レンの魔力防壁を両断し、彼のデバイスを破壊。制御を失った大量の魔力は破壊性をも失い、一斉に大気中に拡散して 完全に消失した。霞んだ視界で、クロノはその光景を最後まで見ていた。
 倒れ伏すレンもちゃんと思い出せる。でも、それ以降の映像が何も浮かんでは来ない。どうやって、誰の手によってここに連れて来られたのか、それすら不明瞭だ。

「フェイト」

 見下ろした掌に、彼女の温もりは残っていなかった。
 あの時握った細い手の代わりに、点滴のスタンドを握り、クロノは硝子の壁に歩く。
 硝子の枠には、びっしりと魔力防壁の術式書が掘り込まれている。生半可な魔法では傷一つ付ける事も叶わない。
 その強固な硝子の向こうに、クロノは数人の人影を見た。
 数は三つ。
 一人はクロノよりも背が高い女性だった。茜色の長髪に獣の耳と尻尾を持っている。彼女はクロノを見ると、笑ってしまう程の慌て様を見せた。

「元気そうだな、アルフ」

 もう一人は、クロノよりも小柄で線が欲しい。栗色の髪の少女だ。彼女もアルフと同様に大騒ぎをしている。見た所、とても元気そうだった。

「なのは、傷はもう良いのか」

 最後の一人は静かだった。金色の髪を二つに結わえ、こちらに歩み寄って来る。
 分厚い硝子が、その行く手を阻んだ。

「――フェイト――」

 彼女が答えようとする。口も動いている。でも声は聞こえなかった。こちらの音は向こうには聞こえても、向こうの音はこちらには届かないのだ。
 フェイトが硝子に触れる。掌を押し当てて来る。形の良い唇が、何度も何度も同じように動いた。彼女がどんな言葉を紡いでいるのか、クロノはすぐに分かった。

 クロノ。フェイトは彼の名を呟いていた。

 クロノは手を伸ばし、硝子越しにフェイトと掌を合わせる。
 すぐそこに居るのに、絶対に届かない。
 手に伝わって来るのは、ただ、冷たい感触。
 これが、今のクロノとフェイトの距離だった。



 ☆



 時空管理局最高責任者の執務室は、オフィス区画の端にあった。
 どこかひっそりとした感すらある通路を歩き、目的地の執務室の前に到着する。
 リンディ・ハラオウンは軽い深呼吸をした。見ようによっては、それは溜め息にも感じられる。
 彼女は手袋をした手で扉を叩き、中に入った。

「リンディ・ハラオウンです。失礼します」
「これは提督。ご苦労様です」

 若い女性秘書官が対応する。何度かここを訪れた事があったので、名前と顔も覚えている。
 しかし、今は彼女といつもの世間話をしている時ではない。

「ロイド卿は?」
「中でお待ちしています。……ご子息の裁判結果が出たそうで……」
「ええ。それを伺いに参りました。入っても宜しいかしら?」
「もちろんです」

 リンディは礼を告げ、秘書官が開けた扉からインヘルト・ロイド卿の執務室へと脚を踏み入れた。
 何の事はない、普通の執務室だった。無駄に広くはないが、アースラ内のリンディの執務室よりはゆとりがある。角に置かれた観葉植物以外に目立った装飾品は無かった。
 インヘルト・ロイド卿は執務机で書類を読んでいた。時折、トレードマークとも言える片眼鏡を直している。背負っている雰囲気はおおらかで、 これが民家の縁側なら、老後を静かに過ごしている年寄りに見えるかもしれない。
 事実、彼の退任はそう遠くはない。

「リンディ・ハラオウン提督、参りました」

 背筋を伸ばし、凛として告げる。
 ロイドは書類を机上に放ると、片眼鏡を外して席を立つ。

「忙しい所をわざわざ済まないね、リンディ君」
「いえ、お構いなく。アースラもしばらくはドッグ入りですから、実を言えば時間を持て余している程です」
「そうか。なら、娘と一緒に居てやるといい。報告書を読む限り、今回の一番の被害者はあの子だろう」

 先程まで読んでいた書類に眼をやるロイド。
 クリップで閉じられている数枚の書類。その最初のページには、こう記載されていた。


 事件No.AP0057564200−C736629
 事件種別 デバイスプログラムを用いた無差別破壊事件
 事件名称 デバイス暴走事件
 製作者  巡航L級八番艦アースラ所属エイミィ・リミエッタ執務官補佐


「PT事件や闇の書事件の報告書と同様、厳密な真実が書かれている。だが、同時に製作者の経験と判断、そうした物を感じる内容だったよ」
「……そうですか」
「しかし、早いものだな。時空管理局を脅かした事件から、もう一ヶ月か」
「事後処理に追われて、実感する暇もありませんでした」

 部屋の中央になる応接椅子に案内され、腰掛けるリンディ。
 ロイドは内線電話でコーヒーをオーダーすると、彼女の前に座った。

「守護騎士達は元気かね?」
「ええ。シグナムはまだ入院中ですが、他の子達は元気にやっています」
「それは良かった。ディンゴが少し気にしていてね」
「……あの方は?」
「今回の功績で多少は年期も短縮されるだろうが、向こう五年は出てこんだろう。本人の希望もあった」

 最後となった暴走体との大規模な戦闘は、守護騎士ヴォルケンリッターと一人の老提督の奮闘によって、戦闘開始から六時間後に終了した。全員が即病院送りとなった ものの、彼らは共に戦った武装局員や戦技教導隊に誰一人として死者を出させる事無く、さらに暴走デバイスに寄生された魔導師達を全員救出した。もちろん重軽傷者の 数は甚大で、事件そのものは解決を見たものの、未だに管理局内の機能不全は続いている。

「他の子供達はどうしている?」
「ユーノ君は事務に復帰しました。ただ、まだなのはさんに咎められているようです」
「無限書庫の有効活用の為にも、彼には頑張ってもらいたいものだが……。どうにも尻に敷かれているな。若い時を思い出すよ」

 ノックがされて、コーヒーをトレーに載せた秘書官が入って来た。
 挽き立てなのか、香ばしい匂いが鼻をつく。秘書官はリンディにガムシロップを十個ぐらいを渡して、部屋を出て行った。
 ミルクを適量入れて、続いて十個のガムシップを全部空ける。頬を引き攣らせるロイド卿の視線が不思議だったが、取り合えず何も言わずにスプーンで掻き回した。

「なのはさんとはやてさんは、武装隊と一緒に撤去作業などを手伝っています。本当ならすぐに元の世界に戻してあげたかったのですが……」
「動ける局員の数が圧倒的に少ないからな、彼女達には申し訳なく思っている。……アリサ・バニングスの容態は?」

 管理外世界の人間を魔法戦闘に巻き込み、尚且つ重傷を負わせたという事で、アリサの件はロイドの耳にも届いている。
 リンディはガムシロップそのものとなったコーヒーを上品に飲んだ。

「まだ歩ける程の体力は回復していませんが、後半月もすれば自力で歩けるくらいにはなるそうです。月村すずかさんも、それまでは一緒にこちらに居ると言っています」
「……そうか」

 呟くように答えたロイドは、皺だらけの手でコーヒーを口に運ぶ。

「君の娘は?」
「ずっと隔離病棟に居ます。たまに戻って来ますが、すぐにまた行ってしまって……」
「身体は大丈夫なのかね? 報告書を読む限り、あまり優れないようだが」
「随分良くなりました。ただ、元気とは言えませんが」

 曖昧な笑顔で、リンディ。
 ロイドは半分くらいになったコーヒーカップをコースターに戻して、衰えた身体を椅子の背もたれに預ける。
 僅かな沈黙。

「……良い知らせと悪い知らせ、二つがある。どちらから聞きたい?」

 おもむろにロイドが切り出す。リンディはコーヒーを飲み切った後、答えた。

「良い知らせからお願い致します」

 悪い知らせというのは、ほとんど予想出来ていた。だから良い知らせから先に聞く事にしたのだ。

「レイン・レンの裁判結果が出た」
「……それで?」
「虚数空間での幽閉だ。期間は無限。死ぬまで彼には苦しみが与えられるだろう」

 それが良い知らせかどうか、正直、リンディには分からなかった。
 今回の事件の首謀者、レイン・レンは、クロノとフェイトと共に発見されていた。全治半年以上という重傷を負いながら生存し、意識不明のまま管理局に逮捕。 今は本局内の拘置所に留置されている。

「次に悪い知らせだ」

 来た。これが本題だった。
 リンディは無意識に膝の上で握り拳を作る。
 ロイドは焦らすような事はせず、単刀直入に告げた。

「有罪だ」
「―――」
「控訴は受け入れられない。完全な決定だ」

 覚悟はしていた。それでも衝撃は並ならぬものだった。
 息が詰まり、下唇を噛み締める。
 動揺を隠し切れそうになかった。

「今回の事件の重要性と凶悪性を見れば、喩え一協力者に過ぎないと言っても、レイン・レン同様に無限幽閉になるだろう」
「……当然の……結果です」

 自分が裁判官でも、恐らく同じ結果を出しただろう。彼はそれだけの事をしてしまったのだ。弁明も、控訴も、そんな余地はどこにも無い。
 フェイトと共に意識不明で病院に担ぎ込まれたクロノを見た時、リンディは素直に喜ぶ事が出来なかった。
 判決がこうなるだろうと、長い局員経験からすぐに分かってしまったから。
 眼の前が暗くなって行く感覚に囚われた時、ロイドのおどけた声が聞こえた。

「落ち込むのはまだ早いぞ、リンディ君」

 見上げれば、ロイドは孫を可愛がるような眼差しを向けていた。
 長い時を過ごして来た彫の深い老人の顔が、穏やかな笑みに変わる。彼は立ち上がって執務机に歩くと、幾つかの書類を持って、リンディに渡した。
 それは、クロノの裁判に参考資料として提出された書類だった。

「エイミィ君が提出した報告書。高町なのは武装隊士官、ユーノ・スクライア司書、シグナム特別捜査官補佐、その他多くの武装隊、戦技教導隊 達の署名。そして、フェイト・T・ハラオウンの証言。これら多くの声を無視する事は私には出来なかった」
「………」
「レイン・レンの潜伏先を家宅捜索した時、クロノ君が使用していたストレージデバイスの設計図らしき物も押収した。クロノ君が暴走状態にあるという エイミィ君の予測は立証された訳だ。少々特殊な暴走にあったようだが、刑事責任を問えるかと言うと難しくなる」
「………」
「加えて、クロノ君は暴走事件の首謀者を逮捕した。結果としてだがね。彼の直接的な被害に合った者達も、誰一人としてクロノ君を告訴しようとしなかった」

 目頭が熱くなった。
 時空管理局最高責任者の手前だ。リンディは情けない姿を晒す事を自分に許さなかったが、でも、やはり我慢は出来そうになかった。
 静かに嗚咽を漏らす二児の母に、ロイドは続ける。

「だが、私はクロノ君を無罪にするつもりは無かった」
「……当然……です……」
「クロノ君は歴然とした罪を犯した。確かに刑事責任を問うのは難しいが、同時に、暴走状態の彼に明瞭な意識があったのは確定している。彼は自らの意思で犯罪に 加担したのは間違いない」
「……は、い……」
「捜査妨害、局員への傷害、及び殺人未遂、レイン・レンへの加担。それも現役の執務官がこれを行った。繰り返すが、これは本来なら虚数空間への幽閉という極刑に該当する。 分かるね?」

 涙を押さえて何とか頷く。

「フェイト君達がどれだけ庇おうと、私は彼を無罪にする事は出来ない。他の局員だけではなく、時空管理局そのものに示しがつかないのだ。故に私は有罪判決を 出した」
「……刑は?」

 そう問うのが恐ろしくて仕方なかった。
 ロイドの表情が引き締まり、厳かになった声が判決を告げた。

「891号次元に於ける懲役だ。期間は無期とするが、受刑者の服役態度次第で、最短二年で仮釈放を許可する」
「無期……懲役……」
「……これが私に出来た最大の譲歩だ」

 甘過ぎる。寛大過ぎる。だが――。

「……ありがとう、ございます……」

 リンディはそう思いながらも、その甘さと寛大さに心から感謝した。どれだけしても足りなかった。

「……執行は……いつから……」
「クロノ君の意識が戻り次第、すぐにでも。データを見る限り、身体はほぼ完治している。……こればかりは私の一存ではどうにもならなかった。済まない」

 謝罪をされても、リンディには交わす言葉が見当たらない。
 もしかすれば、クロノとは満足に家族らしい言葉を交わす事も出来ないかもしれない。眼を覚ましてから即刻移送にはならないだろう。刑執行にはそれなりに手続きを 踏む必要がある。それでも、意識の回復した翌日には”刑務所”となる別次元に移送される。
 最短で二年とロイドは言ったが、実質的な無期懲役という判決なのだ。二年で仮釈放は考えられない。短くとも十年は施設を出る事も無い。
 成長期に入り、可愛い盛りの息子を十年も見る事が出来ない。母親にとって、これ以上の苦痛は存在しない。
 そして、そんな息子と想いを交わした義理の娘は、さらに辛いはずだ。
 この結果を彼女に伝えねばならない。それはあまりにも辛過ぎる作業だった。
 不意に机上のインターフォンが鳴った。ロイドはリンディに断りを入れ、受話器を取る。

「私だ。……そうか。室内に居たのは誰だ?」

 一瞬険しくなった老人の顔は、すぐに元の柔和なそれに戻る。

「……その心配はない。記録した映像があるだろう、それで充分だ。ああ、そうだ。……保安課にはそう伝えろ。心配無いとな」

 それから数回言葉を交わした後、ロイドは受話器を机上に戻した。彼はわざとらしい溜め息をつき、リンディに言った。

「クロノ君が眼を覚ましたらしい」
「本当ですか!?」
「ああ。すぐに……。いや」

 応接椅子から立ち上がろうとするリンディに、ロイドは少し考えるような素振りを見せた。

「五分ぐらいしてから行くと良い」
「五分、ですか?」
「ああ」

 多くを語ろうとせず、ロイドはコーヒーを美味そうに啜った。



 ☆



 収容されている患者――クロノの意識回復がロイドの耳に届く十分程前。

「……フェイト……」

 眼の前の光景を、アルフは素直に喜んで迎える事が出来なかった。
 分厚い硝子を挟み、手を重ねるフェイトとクロノ。
 二人は互いの名を呼び、すぐそこなのに決して届かない間隙を感じていた。
 魔法という言葉と力が無ければ、彼女達は普通の少年と少女であり、この間隙を埋める術等あろうはずも無い。
 なのに、フェイトは決して離れようとしなかった。
 すぐそこなのに。
 すぐ側なのに。
 姿も声も聞こえるのに。
 でも、届かない。
 アルフは怒りを感じて、それを吐き出す事が出来ずに苛立ちを募らせる。
 なのはは辛そうにフェイト達を見ていた。親友の為に何か出来ないかと思案して、でも何も思い浮かばず、肩を落とす。頭の両側で結った二つの髪が力無く揺れた。

「……ちくしょう……!」

 クロノが憎かった。雨の止まない臨海公園で胸を焦がし、支配した憎悪は未だに息づいたままだ。命よりも大事な主を、その心と身体を蹂躙されたのだ。今も彼を 殺したいと頭のどこかで考えている。
 許す事は当分出来ないだろう。いや、死ぬまで許せないかもしれない。
 だから、アルフはこう呟く。

「それ以上、フェイトを泣かせるなよ……」

 愛しい主の細く小さな背中。先程からずっと震え続けている。顔は見えないが、彼女が泣いているのは誰が見ても分かった。

「泣かせないでくれよ、フェイトをさぁ……!」

 硬く、きつく、自慢の拳を作る。
 アルフは病室に続く扉に近付く。複合素材製の扉には、硝子と同様に魔力防壁展開用の術式書が掘り込まれている。素手にしろ魔法にしろ、破壊するのは困難だ。
 フェイトがアルフに気付いた。
 涙で濡れた顔と、不思議そうな眼差しを彼女に向けた。

「あたしはさぁ、リニスに言われたんだよ。フェイトを守ってさぁ、道に迷った時は導いてやれって」

 教師として、そしてある意味で母として、尊敬していた女性から教わった術式を展開する。使い込み、熟成させた魔法を構築する。
 バリアブレイク。フェイトのサポートの為に何より練度を高めて来た補助攻撃魔法。それを、ありったけの魔力と共に拳に乗せ、制御解放した。

「だからさぁッ!」

 アルフの拳と魔力に反応して、扉が魔力防壁を展開した。

「もう迷わすなよッ! お前が守ってやれよッ! この子をさぁッ! この――!」

 防壁のプログラムに割り込みをかけ、術式を解析。内部から引き裂くようにして魔力防壁を破壊した。

「クソ生意気なクソチビのクソ坊主ッ!」

 防壁を突破したアルフの拳は、勢いを落とさずに扉に突き刺さった。複合素材製の堅牢な扉がぐにゃりと飴のように変形して、部屋の奥に吹き飛び、激しい騒音を 響かせて転がった。
 肩で荒い呼吸をしたアルフは、フェイトとクロノに背を向けるように背後に振り返り、呆けているなのはに言った。

「なのは、ちょっと手伝いな」
「え? な、何をですか?」
「警備の連中を足止めするの。今のですっ飛んで来るだろうから」

 なのはは何度か眼を瞬かせた後、満面の笑みで頷いた。

「はい!」

 駆け出そうとしたアルフの脚を、フェイトの声が引き止める。

「アルフ、あの」
「……五分か十分くらいだと思う」

 通路に繋がる扉を開ける。すでに騒々しい足音が聞こえた。

「ありがとう、アルフ」

 アルフは振り返らず、主に背中を見せたまま、言った。

「あんたを幸せを願ってるのは、バルディッシュだけじゃないんだ。私も、そうだから。フェイトの幸せが、私の幸せだから」

 なのはと通路に出る。答えは聞かなかった。いや、必要無かった。
 胸の中の苛立ちが少しずつ消えて行く。完全には消えそうにもないが、それでも随分とマシになった。
 痛む拳を擦りながら、アルフは駆けつけて来るだろう保安課の局員を出迎える準備をした。



 ☆



 フェイトは破壊された戸口から、白い監獄のような病室に脚を踏み入れる。
 恐る恐る、ゆっくりと。でも、確かな足取りで。
 そこには、当然だが、クロノが待っていた。

「あ、あの……」

 すぐにでも飛んで行けない自分の意気地無さに悲しくなる。
 眼を覚ましてから三週間。レイン・レンとの戦いから一週間後に、フェイトは意識を回復した。
 それからずっと、クロノが眠る病室を見詰めて来た。
 近い内に意識を取り戻すと医者やリンディから聞かされてはいたが、眠り続ける彼の姿に心配ばかりが募っていた。外傷も完治して、リンカーコアも正常作動レベル にまで回復しているのに、何故か眼を覚まさない彼にやきもきしていた。
 長い三週間だった。
 クロノが起きたらどんな事を話そうと考え続けた三週間だった。
 同時に、分厚い硝子に絶望し続けた三週間だった。

「その……」

 緊張して舌が回らない。あの屋上での出来事が嘘のようだ。今日まで何度か思い出して、死ぬ程恥ずかしくなったりもしていた。
 もじもじと服の裾や胸元で指をいじるフェイト。顔を少しだけ伏せて、覗き込むように、伺うようにクロノを見詰める。
 彼は苦笑していた。

「アルフの奴、相変わらず無茶をするな」
「そ……うだね。でも、だからアルフなんだよ」
「主の君に似てるって事か」
「そ、そんな事無いもん。私は無茶なんて……」

 話そうと思っていた言葉や思いが何も出てこない。頭の中は真っ白で、胸の鼓動は高鳴る一方だった。
 こうしていられる時間はほとんど無いというのに。
 この期を逃せば、次はいつ話せるか分からないのに――。

「フェイト」

 クロノが近付いて来る。

「おいで」

 その優しい笑顔を見ていられなかった。微かに頷いたフェイトは、クロノに寄り添うと、額をその胸に軽くぶつけた。

「どれくらい僕は眠ってたんだ?」
「……一ヶ月、くらいかな……?」

 その時の暖かさが蘇って来る。沢山の力と想いをくれた、クロノの体温が。

「フェイトも?」
「ううん、私は一週間くらいで眼を覚ましたから……」
「……身体は、もういいのか?」
「うん。元気いっぱい」
「……左手は……そのままなのか?」

 フェイトの左の手首をなぞりながら、クロノ。包帯ではなく、黒いリストバンドが覆いかぶさっている。

「……うん」

 自傷の痕は、少女の身体にはあまりにも目立つ。そして酷だった。それなのにどうして消さなかったのか。

「見せて、フェイト」
「……はい」

 リストバンドを外して、手首を掲げる。
 とても恥ずかしかった。この傷痕はあまり人には見せたくなかった。あの時の自分がどれだけ盲目的だったのかを否応無しに思い知らされるし、本当に馬鹿な事をしたと 自覚させられるからだ。
 裸体を見せているような錯覚に陥る。特にクロノに見せるのは本当は嫌だった。

「どうしてこれだけ消さなかったんだ?」

 もうこれを残しておく必要はなかった。クロノに対する罪滅ぼしだとか、そんなのはフェイトのただの空想、思い違いでしかなかった。だから、残しておいても仕方が ない。

「……どうしてかな。私も分からない……」

 ただ何となく。そうでもないような気がした。誰にも見せたくない傷痕をこうして残していたのは、そんな曖昧な理由ではないはずだ。
 クロノが手首を取って来る。
 焼け爛れたような酷い抉り傷が、溺れてしまいそうな暖かさに包まれた。

「あの時、バルディッシュに言われたんだ。君のこの傷の責任も取らずに死ぬのかって」

 その言葉と、手首の暖かさが、不意に答えをくれた。

「……我侭、言ってもいいですか?」
「ああ、いくらでも」

 右手をクロノの手に伸ばす。

「クロノが消して下さい」
「………」
「この……私の傷痕を、クロノが消して下さい」
「……我侭じゃないぞ、それ」

 苦笑をするクロノ。
 フェイトは驚いて彼を見上げる。自分では精一杯の我侭を言ったつもりだったのだが。

「え……そう、かな?」
「ああ。もっと無茶を言ってくれて構わない」

 無茶。無茶ってどんなのだろう。今すぐ強く抱き締めろだとか、好きだと言えとか、キスをしろとか、そんなのでもいいのか――。
 真赤になって俯くフェイトを、クロノは不思議そうに見詰める。

「どうした?」
「い、いえ……。何でも……何でも、ない……です」
「……この傷痕は、僕が消す。絶対に……消してみせる」
「………うん」

 アルフとなのはが出て行った扉が開いた。しかし、入って来たのは彼女達でもなければ、保安課の局員達でもなかった。
 すらりと背筋を伸ばして、その女性は靴音を鳴らして白い病室内に姿を見せる。

「母さん」
「こうやって話すのは、何だか久しぶりね。……元気そうで何よりだわ、クロノ」

 いつもの柔和な声で、リンディ・ハラオウンが言った。
 クロノが答えようとする。それよりも早く、フェイトが口を開けた。

「あ、あの、これはその! わ……私が……!」

 第一級犯罪者として病室に収容されるように治療を受けていたクロノ。彼と話すには、本来なら何十という手続きを踏む必要があった。考えるまでもなく、今フェイトが しているのは規定違反であり、懲罰の対象となる。この状況を作り出したアルフには、さらに重い罰則が課せられる。見ていただけで止めに入らなかったなのはも同様だ。
 しどろもどろになって、必死に言い訳をしようとするフェイトを、リンディは笑顔のまま撫でた。

「そうね。面会にしてはちょっと派手過ぎるわね」
「……ごめんなさい……」
「外でアルフとなのはさんを見たわ。あの子達……アルフがしたんでしょう?」

 フェイトは何も答えない。

「……後で始末書、いい?」
「……はい」
「クロノ・ハラオウン」

 そう呼ぶリンディの声音は一変していた。クロノをフルネームで呼んでいる時点で、彼女はすでに切り替わっているのだ。
 もう母親としての顔はなく、時空管理局提督としての顔があった。
 自然とクロノの身体に緊張が走る。フェイトから手を離して、直立不動の姿勢を取る。

「体調はどうですか?」
「完璧ではありませんが、特に問題はありません」

 どこまでも他人行儀な会話だった。フェイトはそれが無性に悲しくなった。
 一瞬だが、リンディの表情に影が差す。

「そう」

 しかし、それはすぐに無くなった。

「あなたの裁判結果が出ました」

 あまりにも容赦の無い切り出しに、フェイトは眼の前が暗転するのを感じた。

「有罪です。891号次元に於ける無期懲役を言い渡します」

 それは、母親の口から語られるにはあまりにも残酷な言葉だった。

「そんな……! 母さん、どうして!?」
「寛大な措置、感謝します」
「クロノ!?」
「……フェイト。本当なら僕は極刑モノの犯罪を犯してる。それが管理内世界での無期懲役になったんだ。……これで、いいんだ」
「良くない! こんなのちっとも良くないッ! 私は……!」

 言葉は、しかし、途中で終わった。
 リンディが、クロノを抱き締めたのだ。

「ごめんなさい、クロノ。ごめん……なさい……!」

 何とか嗚咽を噛み殺そうとするリンディに、先程までの凛然とした態度は無かった。
 有罪。そして無期懲役という判決。
 愛する息子に、上司として、毅然とした態度でその結果を伝えなければならなかった母の心中は、一体如何なるものだったのか。
 フェイトにそれを推し量る事は出来なかった。

「……刑執行は何時からですか?」
「……手続きに少し時間がかかるから、明日ね……」
「明日って……!」

 早過ぎると言いかけて、フェイトは執務官候補生として得て来た知識から、その判断は妥当だと思ってしまった。
 特殊性のあったPT事件ならばいざ知らず、闇の書事件等の裁判は一日で判決が下された。扱う事件によって、時空管理局の裁判は非常識とも思える速度で判決、刑 の執行まで到達する。

「……ごめんなさい、クロノ。ごめんなさい、フェイト……」

 泣き崩れる母を前に、不服を訴える事は出来なかった。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 そんな訳でエピローグです。しんみりお通夜ムード。全員が心底笑って終われるハッピーエンド……ではなかったり。さすがにそれに持って行くにはクロノが犯した 罪が重過ぎる。
 ロイドさんの判決は、実は初期プロットと微妙な差があります。最初は”禁錮二年”でした。ただ、プロットで書いたクロノの罪状と、いざ書いてみた後のクロノ (要はSCクロノ)の罪状が微妙に違い、どう見ても禁錮じゃおかしいだろうと思い、無期懲役に。これ書くに当たって刑法を調べたのですが、どうにも言葉程の重み がない無期懲役という刑。短くても十年で仮釈放可能って…。描写でもありますが、二年で仮釈放なんて絶対有り得ません。重々承知ですが、ロイドさんの言っていた 「服役者の態度次第で」という便利な言葉で取り合えず片付けてみました。
 余談ですが、891次元というのはマンガ版なのはのエピローグでクロノがユーノに資料請求していた管理内世界の事です。ここでまた異性にフラグ立てたりするのが 二次創作クロノの性なのか。そんなどうでも良い服役中のクロノも考えたり。
 レンが生存していたという結果に眉を顰めた方もいらっしゃったようですが、死ぬより苦しい目に合っていただこうかなと。
 後三話でSCも完結です。では次回も。








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