片付けるべき物が片付けられた机は、いつも使っている時よりも遥かに広く感じられた。
 いつもこうあるべきだと整理整頓をする度に思ってしまうのだが、思うだけなら誰でも出来る。恒例化してしまった感想だった。
 今は散らかった机上を毎日片付けていられる程、時間は無いのだ。
 溜め息をついて席を立つ。最後に電子端末を操作して電源を消した。そのまま離れようとすると、ペン立ての横に置き去りにされていた小さな金色に気付いた。

「行こうか、バルディッシュ」
『Yes sir.』

 ポケットの中に仕舞う。最近は模擬戦以外で使う機会がめっきり減ってしまった。要は前線に積極的に立つ事が少なくなってしまったのだ。
 魔導師ランクAAA+に該当する執務官が現場に直接出向かなければならないというのは、それなりに重い事態である。つい二、三年前まではそういう事件が多かったが、 ここ二ヶ月ばかりは目立った事件も起こってはいない。特殊性の濃い事件や、ロストロギア絡みになると話も変わって来るが、そういう事件ではもっぱら捜査に回っている。
 明かりを消して、部屋を後にする。脚はそのまま通信管制室に向いた。
 事件が回って来ないのは、単純に優秀な人材が増えつつある影響だ。常日頃から人手不足が嘆かれている時空管理局だったが、二年程前に起こったデバイス暴走事件で 単純な人手という面で不手際が暴露された。士官学校と言った人材育成面で強化が図られ、今年は相当な数の執務官、捜査官、戦技教導官、武装局員がそれぞれの部署に 配属されている。
 通路を行く足取りは軽かった。凶悪事件は減っていると言っても、仕事量の減少には繋がっていない。明日から一週間は休暇を取り、落ち着いて学校に通う予定だった。
 通信管制室に入ると、軽やかなキータイプの音が聞こえた。

「エイミィ、それじゃあ私はあがるね」

 声を掛けると、音が途切れた。

「うん、お疲れ様」

 座席を回して、彼女――エイミィが柔らかな笑みを向けた。
 二年前にはあった少女の面影も薄くなり、あどけなさが抜けた顔立ち。伸びた髪は首の後ろで束ねられ、大きなリボンが揺れていた。ちなみに癖っ毛は未だ 頑固に徹底交戦の構えを見せており、旋毛からぴょんと天に伸びている。

「必要なデータはそっちに送っておいたから、後で確認しておいてね」
「了解〜。前みたいに間違ったファイルとか送信してないよね?」
「うん、ちゃんと確認したから。大丈夫だよ」

 書類との格闘は問題無かったが、電子端末を使った作業にはまだ戸惑いがあった。会議に必要なデータや、事件捜査に必要なファイルを間違えて送信してしまう時が 何度かあった。

「明日から一週間休暇だっけ?」
「うん。母さんに有休溜まってるから使えって言われちゃって」
「事務課のエルちゃんだね。そういえば前にも来てたよ? たまには遊べ〜ってさ」
「遊びたいのは山々なんだけどなぁ……」

 学業と執務官の両立は予想していたよりも遥かに多忙だったのだ。幸いにも学業に影響は出ていないが、同い年の子達に比べて、遊んでいる時間は本当に少ない。
 自分で選んだ道だ。不満は無い。だが、それでもたまには羽目を外してみたいと思う。そういう意味で母の小言はありがたかった。有休を使うきっかけがなかなか 無かったのだ。

「分からない部分があったら連絡するかもしれないけど、良い?」
「うん。授業中だとすぐに出れないかもしれないけど、気にしないで」
「オッケー。じゃ、後はやっておくから」
「うん、ありがとう。それじゃお疲れ様」
「お疲れ様〜」

 手を振るエイミィに見送られて、通信管制室を後にする。
 向かったのは自宅たる海鳴のマンションに直結しているトランスポーターである。






 フェイト・T・ハラオウン。十二歳。時空管理局執務官兼私立聖祥大学付属小学校六年生。執務官暦はまだ一年と浅いが、周囲に支えられながら、元気に日々を 過ごしている。














魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.14

innocent starter














 アースラにある執務官室と比較すれば、マンションにあるフェイトの机は平地である。喩えるなら、密林と舗装された道路くらいの差がある。
 昨日は溜まっていた疲労との格闘に敗北し、入浴の後にすぐに眠りに落ちてしまった。なので今日の学校の用意は手付かずだ。
 顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、左の手首に黒いリストバンドを巻く。通学用の鞄に必要な勉強道具を詰め込んで行く。今日は体育もあるので、体操着もしっかりと押し込める。
 忘れ物が無いか確認していると、ベッドの枕元に灰色のタロットカードを見つけた。革紐が設えられており、首から下げられるようになっている作りだ。
 だが、十二歳の少女がアクセサリーとして付けるには些か無骨な風貌だった。装飾品に眼を引き付けるような可愛い所は無い。
 それはそうだ。これはただのタロットカードではない。ストレージデバイス、S2Uの待機状態なのだ。
 大切な人から預かった、大切な品なのだ。
 フェイトはカードを手に取ると、革紐を首に通し、カードを胸に下げた。

「……おはよう、クロノ」

 机上を見れば、二年前に撮られた彼との写真があった。
 あの時よりも、少しだけフェイトの身長は伸びている。手足もそうだ。だが、本当に少しだけだ。まだ成長期前なので大した変化は無い。
 クロノの身長は伸びているかなと、フェイトは写真を見る度に思った。
 制服の下にカードを引っ込めようとした時、扉がノックされた。

「おはよう、フェイト」
「はい、おはようございます、母さん」

 現れたのはリンディだ。管理局の制服の上からエプロンを引っ掛け、片手にお玉を持ったその姿は、すっかり板に付いている。

「アルフが待ちくたびれてるから、朝ご飯にしましょうか?」
「つまみ食いとかしませんでしたか、アルフ」
「ああ、大丈夫よ。アルフのつまみ食い用に一品作っておいたから」

 さすがはハラオウン家の家長だ。ぬかりはない。ある意味で潔い選択である。
 リンディと揃ってリビングに向かうと、アルフがテーブルに付いて胡坐をかいていた。相変わらず行儀が悪い。

「アルフ〜」
「あ、ごめん……」

 子供を嗜めるようなフェイトに、アルフは愛想笑いを浮かべてすごすごと脚を下ろす。最近はどうにもやり過ごす事を覚えてしまったらしい。

「もう。お行儀悪いとご飯抜きにするよ?」
「う……。べ、別に構いやしないよ。自分で作るから」
「母さん、冷蔵庫にバインド掛けてもいいですか?」
「そうね。飛び切り強力なのを二人でやっておきましょうか」
「……ごめんなさい」

 こうして、ハラオウン家のいつものと変わらない朝が過ぎて行く。
 朝の団欒を終えたフェイトは、朝食の後片付けを手伝える所まで手伝って、時間が来たら学校に向かう。
 アルフは今日のワンコに夢中だ。ちなみに、先日ゴールデンタイムに放送されている動物愛護番組にザフィーラと共に強制的に出演させられ、今ではすっかり街の 人気モノだったりする。本人は散歩途中にもみくちゃにされる事が多くなってしまい、不満そうにしているが。

「それじゃ、母さん、アルフ、行って来ます!」

 最後に昼食の弁当を鞄に入れたフェイトは、リンディとアルフに見送られてマンションを出た。
 エレベータを使って一階に下りて外に飛び出す。今は七月、梅雨の時期だというのに、見上げた抜けるような青空が広がっていた。
 携帯電話で日付を確認すると、七月二日という表示が見えた。

「……二年、経っちゃったな……」

 デバイス暴走事件発生から丁度二年。
 クロノと離れ離れになってから、約二年。
 長いようで、短いようで。そう思うと、やっぱり長い二年だった。
 フェイトは携帯電話を仕舞うと、軽い足取りでなのはの家に向かった。
 途中で見知った背中を見つけた。地面を踏み締める脚は力強く、真新しいスニーカーを履いている。同じ聖祥小学校の白い制服を着た少女だった。

「おはよう、はやて」
「あ、フェイトちゃん。おはようさ〜ん」

 八神はやてがにっこりと笑った。

「それ、新しい靴?」
「うん。まだこの前の全然履いてへんのやけど、シャマルとヴィータがぎょうさん買って来てしもて……」
「はやてが歩けるようになって嬉しいんだよ、きっと」
「その気持ちは嬉しんやけど、靴ばっかり増えしもてなぁ。なぁ、リイン」
「はいです、マイスター」

 はやてが背負っていた鞄から、小さな少女がひょっこりと顔を覗かせた。まるで忍び込んでしまったハムスターのようだ。
 頭上に広がる空のような蒼い髪。複雑な服装。無邪気な笑顔。掌に乗ってしまうような身体。何も知らない人間が見れば卒倒するか、妖精等の類と勘違いしてしまうだろう。

「おはよう、リイン」
「おはようございます、フェイト」

 元気な子供宜しく、リインフォースはおーっ、と手を伸ばした。
 フェイトはそのぷにぷにの頬を指で突付いてやる。すると、リインフォースは嬉しそうに喉を鳴らした。

「リイン、いつもの事やけど、学校じゃデバイスの中に入ってないとあかんで?」
「それならご安心下さいマイスター! シャマルに偽装スキンを教えていただきました! これでリインはバッチリ姿の見えない妖精さんになれます!」
「……魔力切れて眠くなっても知らへんよ? そうなったら置いて帰るからね?」
「ごめんなさいマイスタ〜!」

 母と子の会話に、フェイトは毎朝の事だが苦笑を禁じ得ない。
 なのはの家にはすぐに着いた。ベルを鳴らすと、廊下を走る微かな音が聞こえて来る。
 ガラリと玄関の戸口が開いて、なのはが顔を見せた。

「おはよう、なのは」
「うん! おはようフェイトちゃん!」
「なのはちゃん、おはよう〜」
「おはようございます〜、なのは〜」
「はやてちゃん、リインちゃん、おはよう! 今日もリインちゃん、学校行くんだ」
「はい! ヴィータに学校の怪談の原因究明をお願いされまして!」

 はやてが思わず額を抱えた。彼女の頭の中では、すでに理化準備室で骸骨模型と激闘を繰り広げるリインフォースの勇士が描かれたらしい。
 肩を揃えて、フェイト達は通学路を歩き始めた。

「おはよう〜!」

 元気な呼び声に振り向けば、黒いリムジンの窓から顔を覗かせているアリサが見えた。綺麗に短く切り揃えられたプラチナブロンズの髪が、青空の太陽に反射して 輝いて見えた。
 リムジンがフェイト達の横で停車する。運転席から颯爽とした足取りで黒スーツの執事、鮫島が現れた。彼はうやうやしくフェイト達に一礼をする。これまた無駄の無い 動作である。フェイトは、シグナムが彼の動きには隙らしい隙が無いと絶賛していた事を思い出した。
 鮫島が後部座席を開け、アリサを降ろした。彼女と一緒にすずかもひょこりと顔を出す。

「おはよう、なのはちゃん、フェイトちゃん、はやてちゃん」
「おはよう、すずか、アリサ」

 鮫島は一礼を残すと、運転席に戻って静かにリムジンを走らせて行った。
 ちらほらと同じ制服を着た少年少女の姿が増えて行く。その中に混ざって、少女達五人は学校に向かう。

「フェイト、なのは、はやて、今日は管理局は休みなの?」
「うん。今日から一週間お休み貰ってるんだ」
「私は特に予定無しだよ」
「一日大丈夫やで」

 異口同音の如く、フェイト達三人が答える。

「ん、宜しい。じゃあ……いつものゲームセンターに行かない? この前のリベンジを果たさせてもらうから」
「いいよ。いつものゲームセンターだと……あのロボットゲーム?」
「そうそう。あ、なのは。あんたはあの白い砲撃ロボット使うの禁止ね。あれ使うと反則臭いのよあんた」
「別に構わないよ? あれから私も結構練習して、一通り使えるようになったから」
「くッ、いいわよ! その自信、私がへし折ってやるから!」
「リインもゲームやりたいです〜!」
「リインはもう少し大人になってからなぁ〜。今はまだスティック握れへんし、無理や」
「すずか〜! マイスターが最近とっても意地悪なんです〜!」
「よしよし。はやてちゃんはリインちゃんが可愛くて仕方ないんだよ?」
「ツンデレですか!? マイスターはツンデレになってしまったのですか!?」
「ちょ、リイン! どこでそんな言葉覚えたんや!」
「シャマルです〜」
「シャマルさんは何でも知ってるんだね、はやてちゃん」
「………」

 学校はすぐそこに見えた。
 五人は全員同じ教室だ。それぞれの席に着き、鞄を下ろして一時間目の準備を済ませる。はやては鞄から出たいと駄々を捏ねるリインと密かに格闘中だ。
 チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。特別な事は何も起こらず、一時間目の授業が普通に始まった。
 この二年間で漢字もほぼ克服した。フェイトは黒板に書かれて行く文字を綺麗にノートに写し、教師に当てられたら問題なく答えを言えた。
 ただ、ちょっとした事件と言えば、はやての予想通り、リインが理化準備室に突撃して一騒動を起こした。模型の頭蓋骨を面白半分でかぶって、ふらふらと飛んでいた 所を教師の一人が目撃し、卒倒してしまったのだ。はやてに激怒されたのは言うまでもない。
 得意の理化系の二時間目が終わり、これまた得意の算数系の三時間目が始まる。特に問題はなく、順調に授業は進んでいた。
 何の前触れもなく接続された思念通話が来るまでは。






 現場はミッドチルダの一角にあった。

『フェイトちゃん、注意して。近くに反応がある』
「了解。結界は?」
『展開完了まで後百二十秒。犯人と遭遇した場合は足止めメインで戦って』
「ロッティンバウンドの反応は?」
『取り合えず今の所は無し。でも警戒は怠らないで』

 二年前のデバイス暴走事件以降、ミッドチルダを根城に動いている一部の犯罪組織に補助OSロッティンバウンドの技術が流失し、物議を醸し出している。
 管理局が日頃から取り扱っているロストロギア関連の事件に比べれば、確かに危険度は低い。だが、それでもロッティンバウンドは一度は管理局の機能を麻痺寸前 まで追い詰めている。関わっていると予想される事件は慎重に扱われ、捜査はデリケートに行われた。

『それにしても、まさかこんな所に逃げ込むなんて……』
「あの事件で廃ビルは増えちゃったからね」

 使われなくなって数年は経過しているビルに、フェイトは音も無く忍び込む。明かりは乏しい。武装局員が構築している結界の影響だ。
 窓から入って来る僅かな明かりが、踊るように駆けて行くフェイトの姿を床に映す。
 手に提げている長柄の戦斧に変化は無かった。バリアジャケットだけが変わっている。今は執務官用に管理局が支給している専用の黒灰色のバリアジャケットを 装着していた。
 女性用として細部が異なるが、シルエットはクロノが愛用していた物と大差が無い。動く度に闇に溶け込むような耐魔性の外套が舞った。
 人の気配を探りながら、フェイトは高らかと跳躍した。ふわりと埃が渦を巻く。壁沿いのキャットウォークに着地し、足音を消しながら視線を走らせる。
 この廃ビルは、ビルというよりも倉庫に近い構造をしていた。中身が不明のコンテナがあちこちに置き去りにされている。

『……ホント、ごめんねフェイトちゃん。せっかく有休取ったのに』

 壁に背を預けて、通路の奥を伺う。

「気にしないで。事件なんだから仕方ないよ」

 三時間目が始まってすぐ、エイミィから長距離通信が届いた。内容は、ロッティンバウンドの技術を不正に利用したと思われる不審者の捜査である。武装局員が このビル一角に追い詰めたのだが、思わぬ抵抗を受け、急遽フェイトが召集されたのだ。

「なのはとはやては?」
『なのはちゃんは別件で移動中。はやてちゃんはB+級ロストロギアの封印に行ってる。もう、非常事態のオンパレードなんて嬉しくないなぁ、まったく』

 はやてのロストロギアの件は取り合えずとして、戦技教導隊一歩手前のなのはが追っているのは、フェイトと同様にロッティンバウンド絡みだった。二年前のような 狂った暴走には至らないが、突然変異の如く暴れ出すデバイスは後を絶えない。万全を期して、ロッティンバウンド関連の事件にはAAA以上の魔導師が捜査 に付けられた。
 キャットウォークを伝って、二階に向かい、さらに三階に進む。どこも埃臭く、人が踏み入れたような後などどこにも無かった。
 三階の捜査を終え、四階に向かおうと階段の手摺に手を伸ばしたその時。

『sir!』
『フェイトちゃん、サーチャーに反応!』

 二つの報告に、フェイトは弾かれたように身体を投げた。刹那、彼女の軌跡を何かが貫く。
 肩から床に落下した。透かさず身じろぎをして跳ね起き、上を見上げる。
 微かな足音が聞こえた。足元を見れば、黒い穴が出来ている。

「……対物設定の射撃魔法……」
『フェイトちゃん、ビンゴ! ロッティンバウンドだよ! すぐに確保して!』
「了解! やるよ、バルディッシュ!」
『Yes sir.』

 カートリッジをロードして、フェイトは一気に階段を駆け上がる。一段飛ばしなんて大人しい真似はしない。手摺に蹴り飛ばし、身軽な動物か何かのように 階段を駆け上がる。何度か敵が牽制弾を送って来たが、カートリッジで増幅したフェイトの防御魔法を貫くには軽過ぎた。
 最上階に到着する。壁の反面が硝子張りの空間だった。
 殺気と魔力が迫る。視界は利き難く、勘を頼りに回避行動を取った。カーテンのように舞った金髪に孔が開き、千切れた一房が床に落ちる。
 素早く敵の姿を確認する。

「……管理局か?」

 硝子に背を向けて、男が立っていた。顔は逆光気味なので分からない。服装はジャケットだ。魔力で構成されているらしく、恐らくはバリアジャケットである。

「はい。時空管理局執務官、フェイト・T・ハラオウンです。ロッティンバウンド技術不正流用の疑いで、あなたを逮捕します」

 いつでも防御魔法を展開出来るように術式を構築して、フェイトはバルディッシュを男に向けた。
 男から返答は無かった。彼はロッティンバウンドを搭載したデバイスを振り翳し、肩を僅かに震わせていた。

「ハラオウン。あの生意気な餓鬼の家族か?」
「……生意気な、餓鬼?」
「クロノ・ハラオウン。あいつさ」

 フェイトは混乱した。それ以上に戸惑いを覚えた。
 この人はクロノを知っている――? でもどうして?
 その時、本能が騒いだ。ざわりと肌に嫌な感覚が走り抜ける。
 男が射撃魔法を行使し、フェイトを銃撃する。

「くッ――!」

 バルディッシュが構築されていた術式を読み取り、防御魔法を発動させた。眩い火花が散り、暗いビルの一室を照らす。
 重い衝撃だった。階段での牽制弾が水鉄砲に思えてしまう。
 フェイトは室内の障害物を盾にして銃撃から逃れ、エイミィに訊ねた。

「エイミィ、この人――!」
『魔力からデーターベースで照合中! ……あった!』

 敵の射撃は苛烈だった。放置されていた分厚いロッカーが被弾の衝撃で塵屑のように宙を舞った。構築されている敵の射撃魔法の術式は極々簡単なもので、射撃魔法の 基礎のようなものである。本来はこのような破壊力は無い。ロッティンバウンドの恩恵を受けているのは明白だった。

『こいつ――!』

 聞こえたエイミィの声には、彼女にしては珍しく嫌悪感があった。

「分かったの!?」
『三年前にクロノ君が逮捕した魔導師だよ! 容疑は殺傷設定魔法による傷害と殺人! 今年の頭に脱走してる!』
「それがどうして――!?」
「いつまで隠れてるつもりだ!?」

 男の射撃魔法が激しさを増した。背中を隠していた事務用デスクが木材のように粉々になる。
 床を転がったフェイトは素早く立ち上がり、バルディッシュを構えた。

「その格好、クロノを思い出すな。あいつはどうしたんだ?」
「……答える必要はありません」
「ケチるなよ」
「……武装を解いて下さい。今ならまだ弁護士を呼ぶ権利が与えられます」

 声が震えていた。
 それ以上、クロノの名を口に出すな――!

「なぁ、話してくれよ」
「……武装解除の意思が無いと判断します。残念ですが、力尽くで武装を解かせていただきます」
「……クロノは出て来れなくて当然か」

 やめろ。

「あいつは無期懲役になった。そうだろ? 今はどこぞの次元で服役中。だから出て来れ――」

 黙れ――!

「バルディッシュッ! バリアジャケットパージッ! ソニックフォームッ!!!」
『Yes sir.Sonic form stand by ready Get set.』

 一瞬で執務官用バリアジャケットが魔力残滓になった。黒灰色の法衣の下に現れたのは、身体のラインがくっきりと浮き彫りになった機動性のみを求めた 黒一色のバリアジャケットだ。
 手足の鈍色の装甲から金色の翼が伸びる。抑えの効かなくなった激情が魔力を無尽蔵に供給させ、その大きさは平時の倍近くはあった。
 魔力が室内に吹き荒れた。無事だった硝子がすべて破砕され、残骸になっていた事務用品が外に吹き飛ばされて行く。建物そのものが軋みを上げて揺れた。
 男はフェイトの魔力に戸惑いながらも、余裕の笑みを崩そうとしない。ロッティンバウンドの力を過信しているのか、フェイトを侮っているのか。
 どうでも良い事だった。フェイトはさらにカートリッジを二発連続でロードする。得られた魔力をそのまま術式へ。

『Haken Slash and Blitz Rush.』

 二メートル近くの戦鎌を携えて、フェイトは視認不能の速度で男に突進した。加速を刃に乗せて繰り出す。
 喩え優れた戦闘魔導師でも簡単には回避出来ない一刀だった。にも関わらず、男は身を捻り、最低限の動作で回避した。
 魔力刃が空を斬り、床を裂く。フェイトは床に魔力刃を突き刺したまま宙で一回転をして、男の顔面に脚の甲を叩き込んだ。
 これも避けられる。それも紙一重。一瞬だが口許に冷ややかな冷笑を浮かべた男の顔が見えた。
 頭の裏が熱くなる。自分だけではなく、クロノも馬鹿にされたような錯覚を覚えた。

「笑わないで――ッ!」
「笑ってなんていない。少なくともお前はね」

 挑発している。それは分かった。でも我慢出来なかった。
 魔力刃を引き抜き、横薙ぎに。フィンブースターが刃を加速させる。
 男は軽いステップを踏み、首を引っ込めて刃をやり過ごした。余力さえ感じさせる、むしろ気だるい動作だった。

「大した事も無い、ただの力押しか」
「くッ……!」
「しかし、ロッティンバウンドは凄いな。眼で追えない攻撃も魔力で教えてくれる」
「あなたはそれの恐ろしさを知らないんだ! 早く捨てて下さい! 暴走してからじゃ遅いんです!」

 二撃、三撃がいずれもギリギリで回避される。ソニックフォームで圧倒的な加速力を得ているというのに、眼の前の男は涼しい顔をして受け流して来る。優れた 闘牛士でもこうは巧く行かないだろう。
 苛立ちが募り、それが大降りの一撃を放ってしまった。外れた魔力刃が男の足元を抉り、下の階層が見えてしまうような亀裂を走らせた。
 しまったと思った時には遅かった。
 胸を押し潰すような衝撃が走り、痛みを感じる暇も無く、フェイトは背中から壁に叩き付けられた。呼吸が完全に詰まり、頭の中が真っ白になった。
 魔法でも何でも無かった。単純に魔力強化した腕力で、男がフェイトを強打しただけだった。
 魔力刃を失ったバルディッシュが床を転がって行く。思念通話でエイミィが呼びかけて来るが、何を言っているのか聞こえなかった。
 男がゆっくりと近付いて来る。彼は不思議そうに小首を捻る。

「……死んでないな。どうしてだ?」

 薄くなっていた意識が戻って来る。だが、激しい痛みでまた意識が遠くなる。背中を丸めて痛みに耐えようとした時、膝の上で輝くタロットカードが見えた。
 待機状態のS2U。

「何だそれは」

 男が手を伸ばす。フェイトはまだ鈍い身体を動かして、必死にその手から逃れようとした。
 だが、薄い意識が満足な逃走を許さなかった。男は塵でも扱うような手付きでフェイトからS2Uを奪う。

「デバイス? しかし、随分と古い型だなこれは」
「――返して――!」
「誰が敵に武器を返すか。……なるほど、これで助かった訳だ」

 ソニックフォームには防御性能が無い。緩い攻撃でも一発の被弾が命取りになる極端なバリアジャケットだ。偶然にしろ何にしろ、S2Uが無ければフェイトは 胸を潰されて死んでいただろう。

「劇的な偶然もあるもんだ。映画の中だけだと思ってた」

 男がS2Uを持つ指に力と魔力を込めた。待機状態のデバイスは最低限の能力しか備えてはいない。普通の衝撃でも充分に破損してしまう可能性があった。 普通以上の過負荷なら、間違いなく粉々にされる。

「だめ! 返して!」

 痛みで身体が動かない。手を伸ばす事も出来なかった。
 男が眼をフェイトに向けた。無感情な眼差しだった。昆虫の眼と言っても良い。

「これ、クロノのか?」
「………!」
「後、お前はあいつの何だ? 妹か?」
「……違います……私は……!」
「恋人か? 随分と可愛い恋人だな」

 男は鼻を鳴らすと、S2Uをデバイスモードに変化させる。

「これで死ねるなら本望だろう」

 冷笑を浮かべて、男はS2Uに魔力を装填する。射撃魔法術式が刹那で構築され、フェイトに照準を定めている切っ先に魔力を凝縮させて行く。
 フェイトは思わず後ずさりをした。ここに来てようやく痛みが引いて来る。冷静になった頭が現状の最悪さを教えて来た。
 何より最悪なのは、彼に預かって欲しいと頼まれていた大切なS2Uを犯罪者に奪われてしまった事だ。
 クロノを汚されたような気がした。言い知れぬ罪悪感が胸を焦がして行く。

「死ね」

 死にたくない。こんな所で死にたくなかった。
 クロノと約束したのに。一緒にまたどこかに遊びに行こうって、約束したのに――!
 後ずさりを繰り返すが、背中に分厚い壁が立ち塞がった。退路はどこにも無かった。
 バルディッシュも遠くの床にある。痛みが引いたが、まだ麻痺感覚のある身体では辿り着く前に銃撃される。

「クロノが使っていたスティンガーレイを撃ってやる。感謝してくれ」

 ただ、無様に泣き叫んで命乞いはしたくなかった。
 震える顎で、濡れた瞳で、男を睨め付ける。
 凝縮された魔力光が溢れ、次の瞬間に高速で発射される。フェイトの視界は光に支配され、そのまま永久に――。











「誰かと思えば、懐かしいな」











 光が止んで行く。

「だが済まない。名前は忘れたよ」

 視界を埋めていた光の代わりに、鈍色の輝く手甲が見えた。

「ロッティンバウンドに頼ったのか。愚行だぞ、それは」

 聞き慣れない声。でも、どこかで聞いた事のある声。

「後、S2Uを返してくれ。一度ロッティンバウンドでやられていてね。あまり近づけないでもらいたい」

 フェイトは茫然と上を見上げた。

「お前、クロノか?」

 そこには黒い外套があった。

「他に誰に見える?」

 手足に無骨な手甲。腰に紅いベルト。

「お前は今幾つだ?」

 伸びた脚は長く、長身の背丈をしっかりと支えている。

「十七だ」

 腕はしなやかで、男が持ったS2Uを完全に押さえ込んでいた。

「そんな事はどうでもいいだろう」

 吹き込んで来る風が、艶のある黒髪を揺らした。

「僕のデバイスを返してもらう」

 黒い瞳で男を見据え、彼――クロノ・ハラオウンは蹴りを叩き込んだ。
 槍の如き蹴りを鳩尾に貰った男は、呻く事も許されずに床に背中を打ちつけた。咽返りながら全身に埃を纏い、事務用品の生き残りに衝突して止まる。

「これを預けたのは君じゃないんだ」

 ゆっくりと、クロノは味わうようにして振り返った。
 視線が交わった。あの時と、最後に見た二年前とまったく同じ瞳が見えた。
 それが、フェイトには信じられなかった。

「フェイト、怪我は無いか?」

 差し伸べられた手を握り返して立ち上がると、クロノの身長に驚いた。どんなに背伸びしても、顔が彼の胸辺りに来てしまうのだ。
 呆けたように眼を瞬かせるフェイトに、クロノは苦笑した。

「この身体か? あれから一気に伸びたんだ。これでエイミィに見下ろされなくて済むよ」

 その仕草、その声、その表情。どれもがクロノだ。クロノ以外の何者でもない。クロノでしかない。
 繋いだ手から、彼の温もりが全身に伝わって来た。二年前の最後の日、ずっと感じていた温もりだった。

「――クロノ――」

 実感が来る。
 ありとあらゆる感情が複雑に絡まって、実感と共に溢れて来る。
 今すぐ叫びたかった。あらん限りの大声で彼の名を叫んで、その胸に飛び込みたかった。
 ずっとずっと待っていた。この二年間を待ち続けて来た。思い出してしまうと辛いから、意識して忘れようとした時もあった。でもそんなの無理だった。
 修理が終わったS2Uをリンディから預けられた時、怖かった。もしかしたら、クロノが戻って来ずに、ずっとS2Uと共に彼を待たなければいけないのでは ないのかと恐怖した。
 彼と会う夢を何度も見た。眼が覚めた後、声を押し殺して何度も何度も泣いた。
 そんな待ちぼうけが、今、終わった。
 なのに、身体が動かなかった。胸に重い鈍痛が残っている。身体はまだ麻痺していて、彼がすぐそこに居るのに飛び込めない。そこでようやく気付いた。自分は今、 とんでもなく情けない姿をクロノに晒している事に。

「ク、クロノ……」

 クロノはフェイトの頬をそっと撫でると、囁くように言った。

「力押しは良くないって教えなかったか、フェイト」
「………」
「少しだけ待っててくれ」

 クロノは優しくフェイトを座らせると、S2Uを滑らかに操作した。二年ぶりに扱うとは思えない程の熟練した手捌きだ。瞬く間に術式が紡がれ、先端に装備された 翠の魔石が輝く。活性化された魔力回路がクロノの魔力を余す事無くデバイス全域に循環させる。
 咳込みながら、男が腹を抱えて立ち上がった。足元は酒に酔ってしまってるかのように覚束ない。

「……無期懲役じゃなかったのか……!?」
「ああ、無期懲役だった」
「それじゃあ何で二年で出て来てるんだぁッ!?」

 悲痛に表情を歪めながら、男が床を蹴った。ロッティンバウンドを内蔵したデバイスが弧を描き、クロノの頭上に迫る。

「確かに。普通は有り得ない」

 S2Uで斬り結ぶ。金属の悲鳴。魔力と魔力が衝突する磨耗の音。

「罪の清算が二年でいいのか、仮釈放だけど、それが決まった時、僕はずっと疑問に思ってた」
「だったら戻れ……!」
「母さんに、皆に……フェイトに会う自信が無かった」

 男のデバイスを弾き、無防備になった懐をS2Uの末端で強打する。さらに返す刃で顔面を殴り飛ばす。

「その時、ロイド卿に言われたんだ」

 呻きながら、男はそれでも交戦の意思を示した。四つん這いになって射撃魔法を構築、制御解放する。
 クロノは慌てた素振りも無く、防御魔法を展開した。魔弾が跳ね回り、壁や天井に跳弾する。

「後は、フェイトを一生守って清算しろって」

 防御魔法を支えながら、クロノはさらに術式を構築した。正確には、構築されていた術式に増幅詠唱を施し、顕現させる魔法現象をより強固にしたのだ。

『Delayed Bind.』

 鋭い電子音声が響き、男を取り囲むようにして魔力の鎖が放出された。分厚く堅牢な魔力で構築された鎖は、男に身じろぎ一つ許さずにその身体を完全に拘束する。

「設置型のバインド……!?」
「フェイトを助けた時に構築しておいた。増幅詠唱付きだ、君の魔力じゃ暴走しても恐らく解除出来ない」
「この……!」
「でも暴走されるのは厄介だから……」

 静かに男に歩み寄ったクロノは、S2Uで鳩尾を一撃する。三度目の打撃に、さすがの男も耐え切れなかった。
 項垂れるように男が魔力の鎖に身体を預け、沈黙した。

「ロッティンバウンドの技術流失か。聞いていたよりも危ないな。エイミィ、クロノだ。目標は抑えた……? どうした? なに?」

 思念通話をしているのか、クロノの表情は面白いように変化する。フェイトはそっと聞き耳を立ててみると、エイミィが本気で泣いているのが分かった。
 クロノは最後に頬を掻いて、わざとらしい咳払いをする。

「後で行くから。ちょっと待っててくれ」

 思念通話を切り、クロノがフェイトに歩み寄る。S2Uを待機状態に戻してポケットに仕舞った。
 フェイトは胸に激しい痛みを感じた。殴られた時の痛みもある。でもそれ以上に沢山の感情で胸が詰まり、痛みを覚えてしまったのだ。
 何も考えられなかった。
 デバイス暴走事件は、二年前に終わっていた。
 でも、フェイトの中ではまだ終わっていなかった。
 クロノが居なかったのだから。

「少し伸びたか、身長」

 意地の悪い微苦笑で、クロノが言った。
 少しだけ伸びたよと、そう言いたいのに言えなかった。
 クロノに買ってもらった赤い靴もまだ履けるよと、言いたいのに言えなかった。
 クロノがフェイトを抱き締めた。
 十二歳の少女の身体は、十七歳の少年の身体に埋まってしまった。
 クロノの体温が、力強さが、匂いが、二年前から時を止めていたも同然のフェイトを包み込み、あらゆるモノを氷解させて行く。
 泣きたくなった。
 嬉しくて、どうしようもなくなった。
 感情は止まらない。すぐそこまで号泣の時が迫っている。
 一度泣き出せば、きっと何も言えなくなる。
 だからフェイトは、そうなる前に言った。

「お帰り、クロノ」

 彼は涙でぐしゃぐしゃになっているフェイトの顔を覗き込み、こう答えた。

「ただいま、フェイト」

 フェイトのデバイス暴走事件は、この日、ようやく終わりを迎えた。





 Southern Cross fin






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 □ あとがき □
 え〜。ひとまず近い内に統括あとがきを書きます。今はただこの一言を。
 ありがとうございました。








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