魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.7 Abhorrence









 等価交換という言葉がある。それは如何なる次元世界でも変わらない。世界に満ちている絶対的な法則と言っても良い。

「何かを得るためには、それと等価値の代償が必要である、か」

 過去に読み耽った小説の台詞を口ずさんでみる。
 実感はあった。あの物語の作者は、この覆す事の出来ない理を良く理解していたと思う。

「この力の代償は……一体何なんだ?」

 金銭は要求されていない。魔導の知識も求められた訳でもなかった。
 あの白衣の男は、まるで慈善を施すようにして、この力を与えてくれた。
 掌を見る。物心ついた頃から戦闘訓練で酷使して来た手は、十五歳の少年のものではない。
 デバイスを握り続けて出来た胼胝。それを潰すように拳を作る。

「こんなに簡単に手に入るものなのか」

 なら、幼少の頃の想像を絶する過酷な訓練は何だったのだろうか。辛い、逃げ出したいと思った事は一度たりとも無かったが、記憶を振り返れば、 無茶な訓練をしていたと思う。
 仕方が無かったのだ。才能が無かったから。恵まれた部分もあったが、限られたものだったから。だから、ああするしかなかった。

「………」

 荒涼とした気分になった。
 夢を叶える為に、子供らしい感情をすべて投げ打った。皆を助けたくて、一度は笑顔を捨てた。
 あれは等価交換だった。求めたモノはあまりにも大きく、自分はそれと等価値になるモノをほとんど持っていなかった。
 様々な代価を支払い続けて手にしたのは、管理局執務官という誇りある役職と、AAA+の魔導師という力だった。

「こんな……簡単に……!」

 荒涼が怒りに変わる。
 才能が無かった自分への純粋無垢の怒りだった。
 こんなにも簡単に手に入る力に、自分は一体どれだけのモノを犠牲にして来たのか。それを振り返れば空虚すら感じてしまった。

 だから守れなかったのだ。
 だから拒絶してしまったのだ。

 すべては才能が無かったせいだ。あれだけ支払った代価は、得たいと求めたモノとは等価値ではなかったのだ。
 だが、今はその力を手にした。等価交換も無しに。何も犠牲にせず、力を身に付けた。
 しかし、手にするには時はすでに遅過ぎた。

「―――!」

 抑えの効かない怒りが、魔力の渦となって全身から放たれた。
 耳をつんざく雑音と共に、室内にあるすべての物が軋む。強力な耐魔性能を持った窓硝子が今にも割れてしまいそうな程に歪む。壁一面にヒビが駆け抜け、 建築材が砂壁のようにボロボロと落下した。

「この力が……どうして、あの時……無かったんだ……!」

 握り締めた指が、込められた力に耐え切れずに折れた。激痛の中で思考する。
 そして思い至った。

「――そうか――」

 この力は何の代価も払わずに得たと思っていたが、違うのだ。充分過ぎる程の等価交換を、自分はすでに行ってしまっていた。
 代価として支払ったのは沢山ある。
 大切な妹の心。
 妹の親友。
 助けなければいけなかった人間。
 自分を支えれて来てくれた者達の信頼。
 それらをすべて犠牲にしたのだ。だからこれだけの力を手に出来たのだ。

「……はは……!」

 怒りが笑いに変わる。顔に掌を押し当て、天井を仰ぎ、腹の底から笑った。

「はははははははははッ!!!」

 もう後戻りは出来ない。今度こそ本当に。
 この力なら、喩えあのSランクの暴走体でも容易に倒せる。でも、そうした所で何の意味も無くなっていた。
 守りたいと思ったすべてのモノを犠牲にしたのだから。自分にはもう何も残されてはいなかった。
 誇りある地位も。
 愛しい家族も。
 大切な友人達も。
 守りたいと思っていたモノすべてを、力と交換した。犠牲にした。恩師たるギル・グレアム元提督の教え”自分を信じてくれた者達を絶対に裏切ってはならない” を破った。

「あははは……はははッ……はッ、はは……!!!」

 意味の無い等価交換。滑稽過ぎて笑わずにはいられなかった。
 白衣の男の誘いを拒否していれば、もしかしたら、まだ取り返しがついていたのかもしれない。
 でももう遅い。すべてが遅過ぎた。
 一度犠牲にしたモノは、どれだけ願おうと戻りはしない。壊れたモノは完全には元に戻らないのだ。
 この力を振るえば、デバイス暴走事件を解決出来るだろう。だが、

「もう、どうでもいい」

 そう思ってしまった。

「考えるのをやめてしまおう」

 考えるのをやめてしまえば楽になる。かつて、妹とその親友に告げた言葉だった。
 管理局の仕事は精神的に苦痛を伴う事が多い。
 人を守り、法を守る。イコールに見えてそうではない。
 これは大きな矛盾だった。人を守るには法が邪魔となる時があり、法を守るには人が邪魔になる時もある。この二つを守って戦い、事件に向き合って行くには、永遠に この矛盾と向き合って行かなければならない。
 クロノは思考を破棄した。もう何もかもが疎ましかった。自暴自棄になっているのは分かった。でも止められなかった。
 空虚と荒涼。滑稽と怒り。

「僕にはもう何も無い」

 守りたいと思ったすべてのモノは、彼の手にはもう無い。世界を満たしている理、等価交換に使ってしまった。
 可笑しかった。死ぬ程可笑しかった。
 だから彼は笑った。腹が痛くなる程笑った。狂ったように笑った。
 頬を熱い何かが伝って行く。

「―――」

 残されたのは力だ。あれだけ欲して、守りたかったすべてのモノと等価交換を行った力だけだ。
 笑いが止む。

「もっとだ」

 折れた指を握り込む。凄まじい痛みが今は心地良く感じられた。

「もっと強くなろう」

 磨り減った心で決意する。
 何があってもこの力を手放さない。ただひたすらに強さを求めようと。そこに意味があろうと無かろうと、それこそ知った事ではない。
 心が水に浮くボールのように身軽になった。

「強く……強く……!」

 強くなりたいから強くなる。簡潔で明瞭な理由だ。充分過ぎる理由ではないか。
 心に灯った黒い炎は瞬く間に広がって行く。理性を焼いて思考する術を破壊して行く。

「誰よりも強くなってやる……!」

 白衣の男の下に来てから三日目の出来事だった。



 ☆



 雨はまだ降っている。
 ここ一週間程ずっと降り続いていた。季節的には梅雨に当たる為、降って当たり前なのかもしれない。
 レイン・レンは煙たい物を見るような眼で空を見ていた。
 彼に与えられた個室。彼以外の入室が半ば禁止されているこの執務室は、会社という社会に於いて異質以外の何者でもない。
 砂糖とミルクを過剰投下されたコーヒーに口を付ける。豆の風味など欠片も無い。

「そろそろ、ですか」

 時刻は四時半。普通の社員なら帰り支度を考え始める時間だった。デバイス暴走事件の渦中にあるこの都市では、すでに退勤している社員も居るだろう。
 レンは空になったコーヒーカップを机上に置くと、キーボードを操作。ハードディスク内に保存されているあらゆるデータを消去する。重要且つ機密性の高い データ関連――例えば、先日”彼”に渡したCVK792−R−Cに関するデータ――はここ一週間で消去を行っていた為、手間はかからない。喩え管理局の手 に渡っても問題は無いような小さなデータもすべて消す。管理局の捜査官は無能ではない。些細な手がかりからでも、こちらの動きを補足して来るだろう。

「僕の欲しいモノはまだ完成してないんでねぇ。追いかけられるのは勘弁ですよ、はい」

 数分で彼の情報端末はただの端末となった。
 卓上のインターフォンが鳴った。レンはたっぷりと十回目のコールを聞いて受話器を取る。

「はい、レイン・レンです」

 一階の受付からだった。受話器からは困惑を隠そうとしない社員の声が聞こえて来る。

『一階受付です。あの、時空管理局のシグナムというお方がお見えになっているのですが』

 予想通りの人名が出て来た。彼女以外、現場の指揮官を務められる人材は居ない。

「分かりました。僕の部屋まで通して下さい」
『しかし、査察などの話は一切聞いていませんが』

 査察。いや違う。これは強制捜査だ。
 暴走体が捕獲されてから一週間。レンの予測では、管理局が暴走の原因を解明し、何かしらの動きを見せる頃だった。だが、行動に移すまではもう二、三日かかる ものだろうと思っていた。
 シグナムを初め、守護騎士ヴォルケンリッターは今アースラに駐留し、リンディ・ハラオウンの指揮下に入っている。この強制捜査は彼女の独断だ。本来なら正式 な捜査令状も無しに民間企業に立ち入る事は出来ない。
 思い切った判断を下したものだが、正解である。なるほど、聞いた話と見た情報の通り、優れた人物のようだ。

「母として彼が心配だっただけかもしれませんがね」
『は?』
「ああ、何でもありません。構いませんから通しちゃって下さいな。部長には僕から話を入れておきますから」
『分かりました。では』

 釈然としないものを残して、受付が電話を切ろうとする。

「あ、すいません。管理局の方はお一人ですか?」
『いえ。女の子二人と男の子をお連れになっています』
「……女の子は茶色の髪の子が二人、ですか?」
『一人は茶髪ですが、もう一人は赤毛の子です』
「茶髪の子は髪を二つに結えていますか?」
『ええ』
「分かりました。ありがとう」

 レンはインターフォンを切った。
 情報端末の電源を落とし、机の一番下の引き出しを開ける。中は空に近かった。仕事に必要なファイルと言った事務用品が何一つ入っていない。
 あったのは、会社ではまず間違いなく必要の無いモノ――回転弾倉型拳銃だった。
 黒塗りのシンプルな形状。バレルは短く、携帯性を重視した作りをしている。弾倉であるシリンダー内にはすでに六発の弾丸が装填されていた。
 レンはリボルバーを手に取ると、机の上に置いた。一緒に保管されていた弾丸ケースやクイックローダーも取り出す。ローダーの数は二つ。合計十八発の弾丸 が支障無く携帯可能な弾丸の数だった。
 彼は入念に愛用の銃のコンディションを確認する。仕事の片手間だが、日頃から欠かさず手入れをしていただけはあり、リボルバーは淀み無く稼動した。クイック ローダーの動作確認も怠らない。チェックを追え、彼は白衣の下に武装を詰め込んだ。再装填している暇は無いだろうが、ひとまず弾丸ケースも忍ばせておく。
 自衛手段を整えた彼は、次にスーツに仕込んでいたカードを取り出した。
 複雑な幾何学模様が掘り込まれた銀色のカード。タロットカードを連想させる作りをしていた。

「烈火の将と紅の鉄騎。それに」

 カードをスーツに戻す。これを使うのはどれくらいぶりか。

「高町なのは君か。男の子というのはユーノ・スクライアでしょうか。う〜ん、ベストな人選ですねぇ」

 前線要員としてはあの二人は強力だ。彼女達を砲撃支援する少女も未だ発展途上だろうが、洒落にもならない火力を持っている。そんな三人を広く支援可能な技術と 才能を秘めた少年も充分に脅威だ。

「まぁ、今の”彼”では物足りたいかもしれませんか」

 レンは首の間接を鳴らす。軽く準備運動を始めながら、思念通話を接続した。

『あ〜。こちらレイン・レン。聞こえますか?』
『ああ』

 帰って来た声には、感情の起伏が無かった。

『感度良好絶好調』
『ああ』

 鉄のような声が続く。

『何のコメントも無しですか』
『何も無いなら連絡を寄越すな。切るぞ』
『まま、そう言わずに。皆さんが来ました』

 沈黙。

『予定していたより早いですが、S2Uのテストをしましょう。CVK792−R−Cはもう馴染みましたか?』
『それなりに。カートリッジの予備は?』
『ロッカールームの中に入っています。クイックローダーに装填済みの物が十二発』
『――相手は?』
『シグナム君とヴィータ君』
『――シグナムは僕がやる』
『ほぅ? 君は年上好みでしたか』
『殺すぞ』

 声に感情は表れていない。それ故に、今の発言は嘘偽りの無い本音だった。
 息を呑むのも苦労するような緊張感が発生する。しかし、レンは顔色一つ変えず、愉快そうに眉を動かした。

『ここ数日、随分と短気になりましたねぇ。カルシウム足りてますか?』
『ヴィータは君に任せる』
『僕は幼女趣味ではないんですがねぇ。あんな粗暴なお子様は御免です』

 準備運動で解れた肩を竦める。

『君に選択権は無い。――テストの相手が彼女なら不足は無い』
『彼女はSランクのロッティンバウンドを二機も黙らせてますからね。ま、あんまり張り切り過ぎないで下さいな』
『彼女達が来たら呼べ』
『はいはい。あ、ちなみに言っておきますが、来ているのは彼女達だけではありません』

 訝しむ声。

『高町なのは君とユーノ・スクライア君も来ています』

 答えは無かった。レンは十秒待った後、言った。

『フェイト・T・ハラオウン君は来ていません』

 答えはやはり無く、鈍い音をたてて思念通話が切断された。
 レンは眼を細めながら、手首の間接の解しにかかった。

「まだ思考力は残ってますか。まぁゆっくりやってますから仕方ないですね」

 ”彼”のデバイスに搭載された”ロッティンバウンド”の最新バージョンは、緩慢な速度で”彼”の生命を喰らっている。その力を育んでいる。リンカーコアの補強も済んでおり、現状の”彼の性能”はAAA+を遥かに超えていた。Sに到達し、乗り越え、S+に届くかどうかというくらいだろう。仮想空間を用いた起動実験の際、レンすら戦慄する程の魔力を”彼”は惜しげも無く披露している。

「暴走領域に達した時どうなるか、全く見当もつきません」

 心底嬉しそうに呟いて、レンは準備運動に没頭した。



 ☆



 がらんとした社内を誘導されながら、なのははシグナムを思念通話で呼んだ。

『シグナムさん』
『どうした、高町』

 彼女は社員の後に続いて黙然と歩いている。凛然としたその態度は、管理局の制服も相まって、威風堂々という言葉が否応無しに似合っていた。

『これから会うレイン・レンって言う人はどんな人なんですか?』

 リンディの執務室で行われた会議の際、なのは達には事件資料として、問題の補助OS”ロッティンバウンド”の製作者であるレイン・レンの情報が渡されていた。
 書類を横から覗き見たものの、なのはには良く分からない経歴ばかりで小首を捻るばかりだった。

『経歴を見る限り、優秀な技術者のようだ。ロッティンバウンドを独力で開発、設計している。大したものだ』
『そんなに凄い人なんですか?』

 プログラム関係の構築が難しい作業である事は漠然と知っているものの、それを一人でこなしてしまう事がどこまで凄い事なのかは今一理解出来ない。
 ユーノが感心したように口を挟んで来た。

『凄いよ。デバイスやそれに関わるプログラム構築は本当に大変な作業なんだ。本当なら大きな設備を使って数十人の人間が取り組む作業なんだよ。それを一人で やってしまうなんて、異常と言ってもいい』

 やはり実感が来ない。

『シグナム。殴り込みに来た訳だけどよ、そのレンって野郎に会ったらまず何するんだ?』

 シグナムの横を歩いていたヴィータが訊く。
 なのはもそれが気になっていた。
 強制捜査という名目でゼニス社を訪れ、問題のOSを開発した技術者にして責任者、レイン・レンに面会を求めている訳だが、やんわりとした事情聴取をするのか、 そのままアースラに強制連行するのか、それとも別の行動に出るのか、それは彼の返答次第だろう。こちらには正式な捜査令状は無いものの、 捕獲した暴走体という消しようのない証拠があり、搭載されていたOSには暴走を起こすプログラムが仕込まれていたという事実がある。黙秘しようが知らぬ存ぜぬを 通そうが、彼には逃れる術は無い。

『まずは事情聴取だ』

 誘導する社員の前に扉が立ち塞がった。扉に取り付けられたネームプレートには”Lane Ren”とある。

『その上でこちらの話を聞かせ、向こうの出方を伺う。素直に白状すればよし』
『しなかったら?』

 社員が脚と止める。

「こちらです」

 扉のドアノブを掴んだ。静かにノックをする。

「レイン・レン技長。管理局の方をお連れしました」
「通して下さい」

 若い男の声がした。社員がドアノブを捻る。

『しなかった場合は――』

 豪奢な樫製の扉が滑らかに開く。

『殴り込みらしく、手荒に行く』

 握り拳を作って、シグナムが告げた。
 通された部屋は一社員に与えられる仕事部屋とは思えない整った内装をしていた。部屋の中央には応接用のテーブルセットが置かれ、壁沿いにある棚には仕事には 無関係な高価そうな調度品が納められている。シンプルなデザインのコーヒーメーカーが唯一この部屋がオフィスである事を細々と示しているが、それすらも霞んで 見えてしまった。
 なのははテレビドラマで見た社長室を思い出しながら、シグナムやヴィータの後を追って部屋に入った。床は綺麗に磨かれた石畳だ。その上に敷き詰められた絨毯も高価な 品に見える。
 そうしたインテリアに眼を取られていると、奥にある執務机についている白衣の男性を見落としてしまった。

「これはこれは。お忙しい所をようこそ」

 白衣の男が両腕を広げ、執務机を離れる。その仰々しい態度はまるで舞台役者のようだ。
 男の風貌は、やはりこのオフィスに見えない執務室に不似合いだった。
 分厚い白衣とシーツ。フレームの無い眼鏡。整髪剤で整えられた銀髪。緑色の切れ長の双眸。細いものの、虚弱さを感じさせない彫の深い顔付き。背筋はしっかりと 伸びており、力強さすら感じさせる足取りでなのは達に歩み寄って来る。
 顔に浮んでいるには、人懐っこい微笑み。なのははその表情に言いようのない違和感を感じた。

「あなたがレイン・レンですか?」

 警戒心を解かず、しかし、それを表には出さず、シグナムが訊いた。すると、白衣の男は派手なリアクションを取った。おもむろに天井を仰ぎ、額に掌を当てる。悲哀 さすら漂わせながら、彼は首を横に振った。

「大変失礼致しました」

 彼は役者だった。仰々しく一礼をする。

「ご挨拶が遅れました。私がレイン・レン。僭越ながら、ゼニス社の技術長を任されている者です」

 手をシグナムに差し出す。
 だが、シグナムはその手を握る事無く、長ったらしい役職を告げた。

「時空管理局武装隊特別捜査官補佐、シグナムです」
「同じくヴィータ」
「時空管理局資料課、無限書庫司書、ユーノ・スクライアです」

 なのはの番が回って来る。だが、なのはは名乗らない。

「こちらの小さなお嬢さんは?」

 レンがにこりとする。虫も殺さないような無害な笑顔。
 寒気が走った。おかしい。直感が忠告をして来る。この表情は、この男は明らかにおかしい。この笑顔は本物だ。彼は自分達の訪問を心から喜んでいる。だが、この 笑顔の裏には何かが蠢いている。自分やシグナムでは謀り知る事の出来ない論理が、この男の頭の中にはあるのだ。
 そう感じていたのはなのはだけではなかった。

「レイン技長。本日は少々お聞きしたい事がありまして参上しました」
「お聞きしたい事? ええ、僕で答えられる事でしたら何なりと」

 そう言いながら、レンはなのは達を案内して来た社員を部屋の外へ出した。扉を閉め、室内を闊歩し、四人にソファに座るように進める。

「立ったままも何でしょう。どうぞ、おかけになって下さい。何かお飲みになられますか?」
「お構いなく。長居するつもりはありません」
「これは残念。管理局の方と交友を深められるかと思ったのに」

 本当に残念そうに、レンはその広い肩を落とした。なのははこの態度にも違和感を感じる。

「残念ながら、我々はあなたと交友関係を築く為に来た訳ではありません」

 レンの心遣いを一刀両断して、シグナムは彼を睥睨した。
 室内の密度が増した。胸を押さえつけて来るような圧迫感。後頭部を締め付けるような緊張感。それらがなのはを包み込む。
 レンが脚を止めた。部屋のほぼ中央、執務机の眼の前だ。白衣が重そうに翻った。

「それでは、何故?」
「一ヶ月前から、とある事件が起こっています。ご存知ですか?」
「ええ。これでも毎朝新聞を三回読みますから」

 手に力が籠もる。ほとんど勝手にだ。なのはは自分に戸惑った。

「デバイス暴走事件」
「まったく不可解な事件ですねぇ」

 リンディの執務室で感じた正体不明の感情が大きくなって行く。

「失礼ですが、あなたの経歴や社内での担当等をすべて調査させていただきました」
「ああ、別に構いません。人様に自慢出来るような経歴ではありませんから」

 動けと、何かをしろと自分を脅迫して来る感情。ほの暗い、ねばねばとした気持ち。

「本来はチームを編成して行うデバイス開発を一人で行った。デバイスに関する技術、知識に精通されている」
「恐悦至極です」

 シグナムは言った。お前には憎悪は似合わない、と。

「あなたが独自に開発したのは、ストレージデバイス向けの補助オペレーティングシステム”ロッティンバウンド”」
「ええ。私の自慢の一品です」

 この感情が、この気持ちが――。

「搭載するだけで基本性能を三十パーセント引き上げる事が出来る優秀なOS」
「時空管理局局員の方にもご愛好していただいています」

 ――憎い、というものなのか。





 なのはの様子がおかしい。誰よりも先にユーノはそれに気付いた。
 別にここに来た時からおかしいかった訳ではない。一週間前。クロノを叩き、叱責し、フェイトの自傷行為を見てから、彼女はおかしかった。
 口数が減った。
 俯く事が多くなった。
 顔色が悪くなった。
 そして、笑わなくなった。
 あんな事があったのだ。ユーノは数日間は仕方が無いと思っていた。狂ったように自分の手首を掻き毟っている親友を見れば、誰だってそうなるだろう。元気を出せ という方が残酷だ。
 だから、ユーノは彼女を支え、その心を守って行こうと心に誓っていた。自分にはクロノのような知識や技術、経験も無ければ魔力も無い。防御や結界等の補助魔法 には自信があったものの、それでどこまでなのはを支えて行けるか疑問だった。それでも、彼は彼女を支え、守ろうと思っていた。
 そんな思いは、時間が経つに連れてぶれ始めた。
 なのはの辛そうにしている時間が減ったのだ。喜ばしい事だったが、むしろユーノはそこに妙な焦燥を覚えた。
 なのはは思い詰めている。何かを抱え、背負い、それに戸惑っている。
 フェイトの事なのか。クロノの事なのか。もちろん両方あるだろうが、それだけではないように思えた。
 ユーノの焦燥心を駆り立てて止まない”何か”。これを紐解き、理解しなければならない。そうしなければ、何か良くない事がなのはの身に起こる。ユーノは漠然 とだが、そう確信していた。
 なのはは瞬きを忘れ、レンを見ている。その瞳は痛ましい程に見開かれている。
 表情は硬い。頬の筋肉は完全に固まっている。彫刻のように動かない。
 ユーノは一瞬で理解した。分かってしまった。なのはの中に息づき、自分を煽るように焦らせている”何か”の正体を。
 なのははレンを憎んでいる。死ぬ程憎んでいる。恐らく彼女に自覚は無い。自覚が無い故に、突如胸の奥に生まれた正体不明の感情に戸惑い、思い詰めている。
 誰かを憎むなどという感情は、高町なのはという心優しい少女には本当に似合わない感情だ。

(でも、当たり前かもしれない。なのはがこの人を憎むのは)

 幸せの真っ只中にあったフェイトとクロノを引き裂き、二人を傷付け、さらに親友のアリサを殺しかけた。自分が傷付くのは耐えられるが、他人が傷付くのは許容 出来ない少女にとって、あまりにも衝撃的な出来事だっただろう。レンがあのOSに暴走の為の処置をしたという確かな証拠は無いが、殺意を抱いてしまうぐらいに 憎悪してしまうのは、ある種当然の結果なのかもしれない。

(でも、こんなのなのはらしくない)

 一週間前、フェイトを罵倒していたクロノに”クロノ君らしくない”と言っていたなのは。そんな彼女が、彼女らしからぬ、彼女にはどこまでも似合わない感情を 抱き、胸を焦がし、囚われている。
 なのはらしくない。こんなの、本当になのはらしくない。シグナムが言った通り、なのはには憎悪は似合わない。不似合いというレベルではない。相容れぬ存在と、 感情と言っていい。
 ユーノはなのはの手を取った。彼女は驚いてユーノに視線を移す。乾き切った瞳を瞬かせた。
 こうやって手を握るのは初めてだった。照れ臭くなって、ごまかすように笑った。

『聞いて、なのは』

 思念通話で言った。

『負けないで』
『え……』
『その気持ちに負けないで。押し潰されちゃ駄目だ、なのは』
『ユーノ君?』
『君はこのレンって人を恨んでる。憎んでる』

 なのはの顔に動揺が浮ぶ。だが、ユーノの言葉を否定しようとはしなかった。

『正直、僕も憎い。アリサを、フェイトを、クロノを傷付けた人が憎い』

 フェレットの姿をしていた時、アリサには過激なスキンシップを散々仕掛けられ、相当酷い目にあった。そのせいか、実は苦手だったりする。だがPT事件の際、 彼女がどれだけなのはの事で頭を悩ませ、心を痛めてていたかは知っている。本当に心の優しい少女なのだ。
 フェイトの境遇はPT事件の体験者にして解決の功労者の一人なので、すべて知っている。母だと信じていた女性に拒絶され、一度はすべてを失った。それでも自分 を取り戻し、新しい自分を始めた。なのはという親友を得た彼女は、家族を得て、夢を得て、恋人を得たはずだった。
 クロノは正直に言って嫌いな人間に入るのかもしれない。未だにフェレットもどきだとか、なのはの使い魔だとか言って妙に絡んで来る。司書官と執務官という仕事 上の間柄で口論は絶えない。それでも自然と憎む事は出来なかった。時々、心の底では好きなのかなと思う。
 そんな友人達を、暴走事件の黒幕はズタズタにした。

『でも駄目なんだよ。この気持ちに潰されちゃいけないんだ』
『ユーノ君……』
『乗り越えて、なのは。僕が憎いって気持ちを半分もらうから。だから、潰されないで』

 今の彼女には辛辣な言葉なのかもしれない。初めて感じる感情に戸惑い、どうしていいか分からなくなっている少女には厳しいのかもしれない。
 でも、高町なのははそれが出来る少女だ。辛くても苦しくても、必ず乗り越えられるはずなのだ。
 ユーノは祈るような気持ちでなのはを見詰める。その瞳は、いつも彼女の瞳になっていた。
 強く、気高く、玲瓏な瞳。

『――うん』

 硬直していた頬を緩め、彼女は笑った。一週間ぶりに見る微笑だった。
 笑い合うなのはとユーノを、ヴィータは怪訝そうに見る。

『おいお前ら。何ニヤニヤしてんだ?』
『あ、ごめん……』

 ユーノは慌ててなのはの手を解放した。なのはが少し物足りなそうな顔をしたものの、気付かない。
 シグナムの質問は大詰めを迎えようとしていた。
 ヴィータが緊張の度合いを高めて行く。待機状態のグラーフアイゼンを掌に納め、さり気に臨戦態勢を整えていた。
 ユーノもそれに倣う。脳裏に仮想魔力回路を生成。魔力供給。魔法選択、広域防御魔法を選定。増幅魔法陣を使わず、術式を構築、展開。

「OSが市場に出回ったのは一ヶ月前。奇しくもデバイス暴走事件が発生し始めた時期と同じです」
「世の中、面白い偶然があるものです」

 相変わらずレンはオーバーリアクションだ。白々しさすら感じられる。
 シグナムもすでに気配を戦闘用に組み替えている。切れ長の眼は鋭い眼差しとなり、レンを捉えている。

「はっきりとお訊ねします」
「はい。あ、最初からはっきり言っていただいても良かったのに」
「そうするべきでした」

 軽い後悔の念が籠もった溜め息の後、シグナムは口調をがらりと一変させた。

「暴走事件の黒幕は貴様だな、レイン・レン」

 長い沈黙の後、レンが笑った。穏やかな笑みだった。
 答えは無かった。だが、その沈黙と笑みが何よりの答えだった。





 to be continued.





 続きを読む

 戻る







 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。このお話から♯7となります。黒幕レイン・レン。よくも悪くも当初のキャラ像よりも面白い奴になりました。 世の中この手のキャラは多いですが、結構極端な人になる予定です。
 さりげになのは×ユーノ。意外と初(滝汗)。そして台詞のみ登場のもう一人のオリキャラ。次回、大暴れ。暴れた数だけ優しくなれる〜♪ ……orz

 7/3に加筆した前半部は某有名な錬金術漫画から言葉を借りております。何かを得る為には何かを犠牲にしなければならない。何かの法則なのか。

 2006/7/03 加筆





inserted by FC2 system