魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.7 Abhorrence









 耳が痛くなる程の静かな時間。それがゆっくりと身体と思考に絡み付く。
 壁にめり込んでいたソファの残骸が、音を立てて剥がれ落ちた。
 床の悲鳴。

「……クロノ君」

 実感するように、なのはは呟いた。
 変わってしまった少年が居た。
 容姿も違う。雰囲気も違う。持っている杖も違う。着ている服も違う。
 すべてが違う。何一つ、彼を彼たらしめていたモノが無い。
 だが、眼前の少年の存在までは変わってはいない。
 時空管理局執務官クロノ・ハラオウン。
 全員が茫然としていた。視線が彼に釘付けとなり、有り得ない光景を受け入れていた。
 誰も動けない中、唯一動ける者がクロノの肩に手を置いた。

「紹介します」

 レンだ。彼は恋人を愛しむようにクロノを抱きかかえる。

「クロノ・ハラオウン君。僕の大切なパートナーです。公私に関わらず、ね」
「――ふざけるな」

 沈黙の束縛を、シグナムが破る。

「クロノ執務官に何をした」
「何もしてません」
「言え。何をした」
「だから、何もしてませんって」
「五秒やる」

 レヴァンティンの刃が分離した。数多の節となり、連結刃を形作る。
 本来の姿である”片刃剣”よりも圧倒的な攻撃範囲と殺傷性能を誇る、炎の魔剣のもう一つの姿。

「疑り深い人だなぁ。で、五秒後にはどうなるんですか、僕は」
「分割する」

 シグナムが腕を振るう。連結刃が円を描き、天井を、床を、壁を抉る。
 死の鎖が室内を蹂躙する。

「それはご勘弁を。痛いのは嫌いです」
「五」
「って聞いてませんか」
「四」
「分割するとなると、随分な残酷描写になりますねぇ。十歳になったばかりの子供達が居ますが、教育上、良くないと思いますよ?」
「三」
「世の中カルシウム不足の人が多いなぁ。不健康な世界になったものです」
「二」
「と言っても、シグナムさんはプログラムでしたねぇ! カルシウムなんてなぁ〜にも関係ないやぁ! あっはっはっ! こりゃ一本取られましたぁッ!」
「一」

 死の宣告が終わりを告げようとする。
 殺意が動く。重い金属音が響く。
 なのはは今まで見た事の無いシグナムを目撃した。
 鬼のような形相。強く結ばれた口許からは、唇を噛み切ったのか、一滴の血がこぼれ落ちている。

「零」
「シグナム」

 連結刃が止まる。

「この男は僕に何もしていない」

 その言葉を、シグナムは真っ直ぐに黙殺した。

「レイン・レン」
「今話しているのはクロノ君ですが?」
「気安くその名を呼ぶな。クロノ執務官に近付くな。今すぐ離れろ。さもなければ半秒で貴様を肉片にしてやる」
「おや。先程は五秒で分割すると言っていませんでしたか? 僕の記憶ではそうありますよ」
「私は貴様を自殺願望者と認識する」
「残念ながら僕は老死を望んでいます。僕の人生設計は自殺という結末を予定していません」
「ならばクロノ執務官を解放しろ。今すぐにだ」

 クロノが告げる。

「シグナム」

 たった一言。ただ人の名を呼んだに過ぎない彼の声は、シグナムに抑制されていた激情を吐露させた。

「何故だあッ!」

 連結刃が踊る。分厚い埃と数多の残骸を撒き散らして、分離した刃が室内を紙のように切り裂いた。

「何故だッ!? 何故だ何故だ何故だ……ッ!」

 蛍光灯が破壊される。絨毯がボロ布になる。調度品が塵になる。執務机が木片となる。

「何故だぁぁぁぁッ!?」

 最後の一振りが石畳を完全に破砕した。軽い地響きが起こり、ビルそのものが揺れる。
 作られた切れ目からは下の階層が一望出来た。
 シグナムは大きく肩で息を吐く。乱れた呼吸を整え、クロノを見る。

「何故、その男の下に居る」
「力が欲しかった」

 即答。

「アリサ・バニングスや犠牲になった魔導師の事か」
「……ああ。遅過ぎたが」
「その髪やデバイスは力の代償か?」
「そんな所だ」

 シグナムの唇から血が流れ落ちる。

「満足か」
「それなりには。試してはいないから何とも言えないよ」
「それなりだと? ……テスタロッサの心を踏みにじって手に入れた力が、それなり……?」

 口を血で汚しながら、シグナムが笑った。背筋も凍るような冷笑だった。
 なのははユーノの手を握る。訳の分からない恐怖が、少女の身体を萎縮させた。

「ふざけるなぁッ!」
「―――」

 激昂と黙秘。
 火と水。

「テスタロッサがどれだけあなたを想い、慕っていたか知っているのか!? 少しでも考えた事があるのかぁッ!?」
「―――」
「何とか言えッ! 言えぇッ! 言って、くれぇ……! クロノ……!」

 擱座。
 嗚咽。
 嘲笑。

「どうしますかねぇ、クロノ君。烈火の将が泣いてしまいましたが?」
「……黙っていてくれないか、レン」
「はいはーい」

 S2Uが駆動する。油の切れた機械のように、ぎこちない動作でコッキングカバーがスライドした。
 撃発音が鳴り、濃厚な硝煙と魔力残滓が生まれる。

「シグナム。戦ってくれ」
「……断る」

 膝をつき、床を見詰めたまま、シグナムが答えた。振り絞るような悲しい声。凛然としたいつもの態度はどこにも無い。

「あなたと戦う道理は無い」
「僕にはある。僕は強くなりたいんだ。もっともっと。本気になった君と戦えば、もっと強くなれそうなんだ」
「断る。あなたの実験台になるつもりは無い」

 その時、別の声が二人の会話に割り込んで来る。

「おいクロノ」

 室内を紅い光が照らす。残骸で汚れた床に三角形型の魔法陣が現れ、術式展開を意味する回転を始めた。
 なのはは視線を走らせ、魔法陣を形成した少女を探す。

「あたしはあんたにスッゲー感謝してるんだ」

 埃を踏み付け、ヴィータが前へ進んで行く。グラーフアイゼンを肩に担いでいるその横顔は、もう完全に戦闘態勢に入った顔だった。

「はやてを助けてくれて、あんたの家族を殺したあたしらを許してくれた。あんたはスゲー良い奴だ」

 十一年前の闇の書事件で、ヴィータ達守護騎士が蒐集活動を行いさえしなければ、クロノの父クライドは殉職する事はなかった。間接的にだが、彼女達が殺害したも 同義だ。なのに、クロノもリンディも、その事を問うた事は今まで一度として無かった。話題にすら上げなかった。
 ヴィータの言葉はとても不器用だ。だからこそ、そこにはありのままの彼女の本音があった。
 彼女は心からクロノを認めて、そして信頼していた。何も言わずに赦してくれた彼を好いていた。

「だからさ、今はスッゲー悲しい。ギガ泣きてぇ」

 青い瞳から涙がこぼれる。
 頬を濡らして、ヴィータはグラーフアイゼンのハンマーヘッドをクロノに突きつけた。

「もうさぁ……! 訳分かんねぇよォォォオオオオッ!」

 床を弾き、クロノへ飛翔する。
 素早い動作だった。なのはもユーノも言葉さえ出す暇が無かった。
 ありったけの魔力を叩き込んだグラーフアイゼンを、ヴィータはクロノに向け、大上段から振りかぶる。
 クロノは微動だにしなかった。指一本動かさず、無詠唱で防御魔法を展開して防御行動を執る。
 魔力の突風が吹き荒れる。火花が散り、大気を焦がした。
 打撃を弾かれたヴィータは、衝撃の反動を利用して退いた。

「何で関係無いなんて言うんだよォッ!? あたしらは仲間じゃなかったのかよォッ!? なぁクロノォッ!?」

 魔力と魔力の衝突の余韻が消えて行く。風が破壊された窓から吹き込んで来る。

「……そう言ってくれるのは嬉しいが、僕にはそんな資格は無い。もう……捨てたんだ」
「――っざけんなぁッ!」

 金切り声が響く。

「ふざけていないよ。僕には強くなる以外何も無いんだ。力しか、今の僕にはないから」

 ここではないどこか遠くを見るように、彼は言った。
 なのははずっと呆気に取られていた。
 言葉が出て来なかった。何て言えばいいのか、どんな言葉を掛ければいいのか、全く、何も、一切出て来なかった。
 膝を折る事を知らず、不器用な優しさとひたむきな強さを持っていたクロノはどこに行ってしまったのだ。
 この眼の前のクロノは一体何なんだ。
 白い髪は空っぽになった心を現しているようだ。
 包容力のあった深い瞳は、くすんだ小石に成り果てている。
 頭の中で、この少年はクロノではないと現実逃避を目論む声がする。だが、彼から感じた魔力は間違いなくクロノの物だった。

「なのは」

 彼が呼んだ。

「僕は強くなる為なら、君と戦う事にも躊躇しない」
「クロノ君……」
「強くなれるのなら殺し合いだって出来る。いや、違うか。……殺し合いをしよう」

 クロノが得体の知れない化け物に見えた。
 なのはは首を横に振る。ぎこちなく拙い動作。壊れた人形のようだった。

「君は僕と戦ってくれるか? 殺し合いをしてくれるのか?」

 そんなの――。
 口が自動的に答えようとする。それを遮るように、なのはの眼前に小柄な影が飛び出た。
 ユーノだった。いつもの柔和さを捨てた彼は、鋭利にした眼差しと気配を背負って身構える。
 クロノの眼付きが僅かに変わる。
 ユーノが不敵に笑う。

「随分と考え方を変えたみたいだけど、僕に対しては変えてないみたいだね」
「君とは合わない部分が多かったからな」
「僕もさ。性に合わないよ」
「退いてくれ。僕はなのはと話をしているんだ」
「お断りするよ。どうしてもって言うんなら僕が相手になる」
「……君では無理だ」
「やってみなきゃ分からない。これでも防御魔法には多少自信があるんだ」
「防御だけで僕に勝つつもりか?」
「必要なら」

 クロノの眼に変化は無い。絶対零度の視線でユーノを射抜く。
 ユーノの眼に変化は無い。安寧秩序の視線でクロノを見据える。
 絡み合い、ぶつかる意思。
 その時、なのははクロノが思案に耽っている事に気付いた。
 きっと戦いたくないんだろう。何だかんだ言って、ユーノとクロノは仲が良かった。喧嘩する程仲が良いという言葉は彼らの為にあるような言葉だ。
 そんななのはの切望は、二回目の撃発音によって砕かれた。

「ユーノ。君を排除する」

 躊躇無く、クロノがユーノに言った。

「……クロノ」
「言っておくが、歯止めは効かない。恨むなら君の強情さを恨んでくれ」

 気だるい物言いで、彼はS2Uを構える。
 ユーノが半身を引き、臨戦態勢を執る。
 彼の手がなのはから離れて行く。見慣れた少年の背中からは似合わない緊張の匂いが漂っていた。
 なのはがその背中を止めようとした時、別の声がした。

「あらら? スクライア君で初テストですか? それはちょっとやめていただけませんかねぇ」

 レンだった。心底困ったようにこめかみを掻いている。
 クロノは顔をユーノに向けたまま、眼だけを彼に向けた。

「何故だ」
「彼の防御出力は知ってますが、戦闘能力は微々たるものです。データ収集は出来ません」
「確かにそうだが……」
「でしょ? 現状、カートリッジの補充は難しいです。君が自力で作るのも生産性が低いでしょうに。無駄弾は控えるべきです」
「……建設的な意見だ」

 クロノが矛を収める。
 レンが大仰に手を叩く。まるで今日の夕食の献立を思いついたような様子で、人差し指を左右に揺らした。

「提案があります。アースラを襲いましょう」
「なッ――!」

 ユーノが辛うじて呻く事が出来た。
 シグナムとヴィータも顔を上げる。赤くなってしまった瞳でレンとクロノを見る。
 なのはは、ただ、そこに立ち尽くすだけだった。
 この技術者は、クロノに自分の艦を襲えと言っている。冗談としか思えない、狂ったような発言だった。
 いや、狂ったようなではない。狂った発言だ。

「―――」

 それなのに、クロノは小さく息を呑むだけだった。なのはが期待する拒否する言葉に何も出て来ない。

「どうして」

 掠れた声で、なのはが訊く。口の中からは水分という水分が消え、ねばねばとした嫌な感触があった。

「今あの艦は暴走事件の対策本部上空に駐機しています。強襲するにはもってこいな位置です」

 クロノは何も言わない。

「なんで」

 唾液が分泌され、喉を僅かに潤す。

「盾の守護獣が居ます。彼ならテスト相手としてはベストでしょう。まぁ、彼が駄目なら他にもいっぱい居ますし」

 クロノは沈黙している。

「何も」

 声が巧く出て来なかった。

「夜天の王。湖の騎士。フェイト・T・ハラオウンとその使い魔。どうでしょうか?」

 クロノは顔を下げた。だが、それはなのはが求めた反応ではなかった。

「言ってくれないの?」

 アースラはクロノにとって家だ。それを襲えと言われて、何故何も言い返してくれないんだ。
 なのはは問いかけ、切望した。
 クロノが顔を上げた。

「それで強くなれるのか?」
「ええ」
「ならそうしよう」

 絶句。
 沈黙。
 咆哮。

「クロノォォォォォォオオオオオオオオオオオッ!」

 紅い光が閃く。
 展開されたラケーテンフォルムが、ヴィータの小柄な身体を豪速の世界へ誘った。
 甲高い駆動音を響かせ、削岩機となったハンマーヘッドがクロノに迫り――。
 受け止められた。
 眩い火花が生まれる。高速回転している削岩機が防御魔法陣と衝突し、その表面を削って行く。
 クロノとヴィータの間には、聖書型デバイスを開いているレンの姿があった。

「やらせませんよおチビさんッ!」
「どけェェェェェェェッ!!!」
「退きませ〜〜〜〜〜んしィッ! 退くのは君だぁ〜〜〜〜〜ッ!!!」

 風を唸らせ、疾風の如き回し蹴りがヴィータの側頭部を一撃した。小さな身体がボールのように弾かれる。
 レンは彼女に悲鳴を上げる時間すら与えず、さらに空いている右手でその胸倉を掴んだ。一拍の時間を置き、力を溜め、シグナムが作った床の切れ目で放る。
 物を投げる時でも、もう少し気を使って投げるだろう。放り投げられたヴィータの身体は、人形のように下の階層に消えた。
 耳障りな騒音。硝子の割れる音。それらが残響となってなのはの耳朶を打つ。

「ヴィータちゃんッ!」
「イヤッホォ〜ッ!!!」

 奇声を上げ、レンが高らかに地を蹴った。切れ目に入り、ヴィータの後を追う。

「それじゃあクロノ君〜! 予定通りで行きますかぁ〜!」
「……ああ」

 短く答えたクロノの気配が変わる。倦怠感すら漂わせていたそれは、確かな敵意に姿を変えた。
 S2Uがまっすぐに振り下ろされ、なのはとユーノに返り血を浴びたような紅い先端を向ける。
 なのははどうしていいか分からなかった。つい先程まで胸を焦がしていた大きな憎悪は影も形も無く、忘却の彼方だ。
 クロノにデバイスを向けられるのは、何もこれが初めてではない。訓練で何度も手合わせしていたし、その度に彼の熟練した魔法と技術に敗北を喫している。
 だが、塊のような敵意と殺気を向けられたのは初めてだった。
 研ぎ澄まされたナイフを首元に突きつけられたような気分だ。生きた心地がしない。思考が完全に麻痺して動かない。
 指一つ動かす事も出来ない中で、シグナムとユーノが同時に床を蹴った。
 腕を思い切り引かれ、なのはは転がるようにユーノの胸に飛び込む。部屋の隅まで一気に後退。
 シグナムが悲鳴とも咆哮とも区別の出来ない声を上げ、シュベルトフォルムに変形したレヴァンティンを一閃させた。
 金属の破音。

「戦う気になってくれたのか」
「……ああ。待たせて済まなかった」

 二人の武装がせめぎ合う。魔導師の杖と炎の魔剣が小刻みに震え、鈍い音を立てて噛み合った。
 クロノが頬を緩めた。浮んだ表情は静かな歓喜だ。

「諦めるのに時間がかかってしまった」

 涙を流しながら、シグナムも頬を柔らかくした。鼻先が触れ合うぐらいに顔をクロノに近付け、淀んでしまった黒曜石の眼を覗き込む。
 半年前は頭二つ分以上差があった身長差が、今はそれ程無かった。

「あなたを無傷で連れて帰るのは諦めよう。手足の一本や二本、覚悟してもらう」

 頬が硬くなる。涙が止まる。レヴァンティンを持つ両手に緊張が走る。

「言ったはずだ。僕は戻れない。そんな資格は無いんだ」
「ならば、その力を断つ」
「……そうは……させない……!」

 クロノの声に明確な意思が宿った。空虚だった表情に覇気が戻る。瞳がはっきりとシグナムを捉えた。

「今の僕のすべては力だ。力なんだ……!」
「寝言は寝てから吐いていただきたい、クロノ執務官。テスタロッサやハラオウン提督から何と言われようが、私はあなたを再起不能にしてでも連れて帰る」
「……やれるものならやってみてくれ」
「命が尽きようとやってみせよう」
「だったら」

 クロノは頬を歪めた。凄まじい獰悪な笑みだった。

「殺すまでだ」

 拮抗が破られる。
 クロノがしゃがむように身を低くして、シグナムの足元に侵入した。レヴァンティンを魔力を付随した一撃で跳ね返す。掌でS2Uを回転させ、その軌跡を切り返し、先端を腹部に押し付けた。

『Blaze Cannon.』

 太く、低く、歪な電子音声。元のS2Uの面影は何も残されていなかった。
 灼熱の閃光がシグナムを飲み込んだ。熱は衝撃波を伴い、彼女を吹き飛ばし、壁に叩き付けた。鉄筋コンクリート製の壁一面にヒビが駆け巡り、三秒と置かずに崩壊する。
 通路に投げ出され、さらに向こう側の壁の破り、転がって行く。
 クロノはなのはとユーノを軽く一瞥すると、シグナムの後を追った。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。一話かけての会話。シグナムとヴィータがクロノに絡むのは”罪と罰”の影響。
 では次回も。

 2006/5/20 誤字修正
 2006/7/03 一部改稿 加筆




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