魔法少女リリカルなのは SS

Southern Cross

♯.7 Abhorrence









 焼けるような痛みがあった。視界がぼやけ、眼に入って来るすべてのモノの輪郭が虚ろだ。腹部が重く、胃の中の物を吐き出したい衝動に駆られる。
 そこは大きく開けた会議室だった。幸いにも無人であった為か、壁を突き破って転がり込んで来たシグナムの被害に合った人間は居ない。
 嘔吐感を強靭な意識と自己管理で無理矢理捻じ伏せ、立ち上がる。
 魔力に減衰等のダメージは無い。彼の砲撃魔法は純粋な肉体的損傷をシグナムに与えていた。
 背後からゆっくりと人が近付いて来る気配。散乱した壁の欠片を踏み締める嫌な音が、鈴の音のように耳に残る。

「やっぱり加減が効かないか。威力が弱すぎたらしい」

 彼は振り返らせてはくれなかった。
 シグナムが背を向けたまま跳ぶ。
 クロノが射撃魔法を行使する。
 濁流のような白い弾頭が腰の補助装甲を砕く。それには構わず、シグナムは着地と同時に踵を返し、迎撃向きの性能を持つ射撃魔法シュテルングウィンデを 発動。レヴァンティンを一閃させて生み出された衝撃波は、クロノの射撃魔法を粉砕し、彼に肉迫した。
 クロノが左手を横に振った。無造作に気だるい動作で動いた腕は、レヴァンティンの衝撃波を苦も無く両断した。

「ッ!」

 大きく距離を稼ぎ、壁に背を向けて対峙する。シュテルングウィンデは迎撃色の強い射撃魔法だが、素手で相殺出来る程軽い魔力密度で構成されてはいない。

「この程度か?」

 クロノはそこに佇んでいる。追撃はかけて来ない。ただ一点だけを、シグナムを見詰めている。
 彼と一対一で戦うのは、これが初めての経験だった。何度か合同訓練のような形で刃を交えた事はあったが、純粋な一対一の経験は無い。
 なのはやフェイトが未だに満足に勝てない執務官。シグナムはそんなクロノと一度戦ってみたいと思っていた。研ぎ澄まされた技術を持ち、まだ若いながら多くの場 数を踏んだ彼は、一体どのような手段を講じ、自分と相対するのか、とても気になっていた。
 だから、何度かはやてにそうした話をした事があった。戦ってみたい、と。彼女やフェイトの想い人がどのくらいの力を持っているのか、この眼とこの力を用いて 試してみたい、と。
 だが、現状は望んだモノではなかった。シグナムがしたかったのは、”殺し合い”ではなく”せめぎ合い”であり、”死合”ではなく、”試合”なのだ。

「こんな形で、あなたと戦いたくはなかった」
「君と一対一で戦うのは初めてだったな」
「ええ。テスタロッサや高町が認めているあなたと戦うのを、私は密かに心待ちにしていた。なのにこれとは」
「不満か?」
「大いに不満だ」
「今の僕は、前よりずっと強くなっているが?」

 先程の砲撃魔法や身体を流れを見て、それは理解出来た。

「……力か。力を得る為にすべてを犠牲にしたとか言っていたな、あなたは」

 シグナムは静かに溜め息をつく。
 もう語る事は無いはずだ。クロノを無傷で連れて帰るのは諦めた。後はそれを実行するだけなのだ。なのに、シグナムは胸の奥から込み上げて来る感情と、喉 から込み上げて来る言葉を黙殺する事が出来なかった。

「今まであなたを支え! 強くしていたのは”力”ではない! 何故それを忘れてしまったんだッ!?」
「―――」
「あなたの強さは優しさだ! 咎人である我々ヴォルケンリッターを赦してくれたその心だ!」
「でも僕はアリサを助けられなかった」

 言葉が止まってしまう。

「暴走デバイスに寄生された魔導師を助けられなかった」

 どれだけの綺麗事を並べても、それらは否定出来ない事実だ。

「優しい心だけ何が出来るんだ」
「クロ、ノ……ッ!」
「理想だけで誰が助けられるんだ」

 素朴な疑問だ。理想だけでは何かを成し遂げる事は出来ない。相応しい力が必要だ。

「だからテスタロッサを拒絶して力を得たというのかッ!?」

 何て無意味な事を。
 何て悲惨な事を。

「結果としてそうなった。あの時僕にこの力があれば、アリサも魔導師も助けられた」
「あの男は暴走事件を仕組んだ張本人なんだぞ!」

 レヴァンティンを横薙ぎにして、シグナムは叫んだ。こんなにも感情を爆発させたのは初めてだった。

「あなたはそれを知っているのかッ!?」
「知ってる」

 その即答に、虚脱感を感じずにはいられなかった。あまりの悲しさに涙が込み上げて来る。
 我慢し切れず、情けない泣き声を張り上げる。長い時を生きて来たが、涙をこぼした回数は片手で数えられる程しかなかった。

「無茶苦茶だ! この事件を仕組んだ者に手を貸して、力を持って一体どうするんだ!? それに何の意味がある!?」
「………」
「優しさの無い力はただの暴力だぁッ! 違うかぁ!? あなたならそれくらい分かるはずだろぉッ!?」
「……もう、やめよう。話しても無駄だ」

 すべてを諦めた声で、クロノはシグナムの声を切った。
 彼にはどんな言葉も届かないのだろうか。次に来るだろう攻撃に備えながら、シグナムは思ってしまった。

「僕は強くなるんだ。強くなる為に強くなるんだ――!」

 強い。力。それらの言葉は、もはや呪いカースだった。
 クロノが走る。回避行動を除外したような一直線の軌跡を残し、来る。近接戦闘に特化した烈火の将たるシグナムに接近戦を挑もうとしていた。
 本来の彼ならば真っ先に否定する戦術。敵の土俵で戦う程愚かな戦術は無い。なのはやフェイトとの訓練の後、力押しに偏り気味の彼女達にそう言っていた。
 そんな彼が、背に暴力的な威圧感を引き連れて迫って来る。
 戦術を駆使する必要が無いのか。それとも、力押しで駆逐するだけの自信があるのか。
 どちらにしろ、彼は斬撃魔法を施したS2Uを繰り出して来た。並みの速度でも、捌ける太刀筋でもなかった。
 刹那で鞘を顕現、防御。間一髪の所で刃が止まる。それでも遅かったらしく、シグナムは首筋に鈍い痛みを感じた。
 S2Uの先端に作り出された不透明な白い刃が、薄く首の皮を切り裂いている。

「遅い」

 S2Uが回転する。鋭く弧を描いた長柄が鳩尾に食い込んだ。彼が動いたのが見えなかった。まるで反応出来ない。
 左肩を蹴られる。酷い鈍痛が走り、姿勢が崩れた。脚に力を入れて踏み止まり、レヴァンティンの柄を両手で握ってカートリッジをロード。得られた 魔力を即座に圧縮。魔法選択と術式構築を同時に行い、刹那よりも早く制御解放。
 紫電一閃。

「クゥロォノォッ!!!」

 燃え盛る魔剣を敵の頭上に向けて振り下ろす。
 如何なるモノも一刀の下に両断する斬撃。それをクロノは、

「軽いな」

 忌まわしい物を振り払うようにして、S2Uで弾き飛ばした。予期せぬ力で軌道を逸らした紫電一閃が床に食い込む。圧縮されていた魔力が暴発。派手な爆発が床を 襲い、大気を揺らし、二人を吹き飛ばした。
 黒煙が視界を遮断する。それを払い除けようとした時、黒煙は渦を作って霧散した。広くなった視界の真ん中には、S2Uに魔力を圧縮させているクロノの姿があった。
 魔法光は変わらない。空に近い青。紅く歪になってしまったS2Uに、その色はあまりにも不似合いだった。
 コッキングカバーが駆動する。内蔵されたリボルバーシリンダーが回転し、装填されていたカートリッジをロードした。

「貫け」
『Stinger Snipe Extension.』

 圧縮魔力が解放される。魔力の尾を曳く獰猛な光。
 シグナムはレヴァンティンを下段気味に構え、迎撃態勢を整えた。



 ☆



 レイン・レンが常軌を逸しているのは、何も発言や思考だけではなかった。
 魔導生命体であり、卓越した戦闘能力と経験を誇るヴィータと真正面から格闘戦闘を演じている。補助魔法の恩恵を受けているとは言え、彼はバレルの短い拳銃と 攻撃魔法を登録していないデバイスしか携帯していないのだ。魔法戦闘に於いて、これは丸腰と同義である。
 にも関わらず、攻防に次ぐ攻防は続いている。
 場所は一階のロビーである。下層に移りながら衝突していた二人は、気付けばここに来ていた。
 人気の無いロビーは広大だ。周囲を気にせず戦うには適している。

「うああああああああああああッ!!!」
「だらっしゃぁぁああああああッ!!!」

 打っては払い、払っては打ち込む。繰り出される手数は多く、武装の差はそこには存在しない。
 何十回目かの接触の後、ヴィータは寸前で身を捩る。白い白衣の蹴りが肩を掠めた。
 続けて、執拗なまでに蹴りが放たれる。大振りながら付け入る隙はどこにも無い。あらゆる打撃が立て続けに繰り出される。
 騎士甲冑と防御魔法に身を守られながら、ヴィータも反撃に転ずる。魔力強化されているとは言え、敵は丸腰のような存在だ。引く事はプライドが許さない。それに、

「てめぇはぶっ潰す……!」

 沸騰を続けている憤激が、彼女に後退を許可しない。
 死角から鞭のように襲って来る蹴りを勘で弾き、グラーフアイゼンを横薙ぎに振る。
 レンが軽いステップを踏み、離脱するように跳んだ。右手に握った拳銃の銃口をヴィータの顔面に向ける。
 三連射。銃声と同時に火花が散る。
 いずれも軽い衝撃だけだった。防御した三十八口径の弾丸が地面にパラパラと落下する。
 這うように踏み込むヴィータ。敵の脚を払うように鉄槌を繰り出す。

「チョコレートアイスのようにあまぁいッ!」

 軽い跳躍でそれを避けたレンが、拳銃を再び三連射する。ヴィータの顔面に集中。しかし、一発たりともベルカ式の防御魔法を貫通する事は出来なかった。

「無駄だっつってんだろーがぁッ!」

 魔力で脚力を強化。身を屈め、床を蹴る。右手でグラーフアイゼンを斜に構え、下段気味に放つを見せかけ――。

「鉄拳爆砕ッ!」

 唸りを上げた左の拳がレンの頬を捉えた。白衣を羽織った身体がおかしな方向に曲がり、首は伸び切り、遥か後方に吹き飛ぶ。
 自動車事故の実験マネキンのように、長身痩躯の男は残骸が転がる床を転がる。そのまま壁に衝突するかに見えたが、どういう力の作用か、敵は跳ね起きるように 両脚で着地した。
 ヴィータの小さな身体が急接近する。グラーフアイゼンの柄を両手で握り、全身をバネのようにして、大上段から振りかぶった。

「潰れろォッ!」
「挽肉は大好きですッ!」

 意味不明な返しが来る。
 突き出された聖書型デバイスが防壁を展開して、グラーフアイゼンを弾く。
 反動は凄まじいものだった。骨の芯まで痺れが来る。防壁は咄嗟に構築されたように見えたが、呆れた強固さを持っていた。

「ッのやろォ……!」

 さらに横薙ぎに一撃を見舞う。防壁が再び阻む。
 三撃目を放とうとした時、レンが獰悪な笑みを浮かべているのが見えた。

「僕のターンッ!」

 レンの右脚が伸びた。鮮やかな回し蹴りが風を切り、ヴィータの肩を打ち、真横へ弾き飛ばした。
 脳内が白熱する。補助魔法で身体能力を強化しているとは言っても、生身で騎士甲冑の対衝撃吸収能力を突破して来た。
 痛みと驚きで顔を顰めつつ、ヴィータは次の攻撃手段を講じる。
 空中でくるりと身体を回転させ、壁に着地する。膝を折り曲げて溜めを作り、魔力を凝縮して補助。思い切り蹴り上げる。
 地球の引力を振り切るロケットのように、凄まじい加速を得たヴィータの頭突きが、レンの腹に突き刺さった。

「はぐぅッ!?」

 さらに顔面を蹴り飛ばす。全力で魔力強化した脚力がレンを独楽のように回転させ、吹き飛ばした。華麗な放物線を描き、壁に突っ込む。

「つぅ〜……!」

 尻餅をつくように床に打ちつけられたヴィータは、頭を尻を擦りながら立ち上がった。油断無くグラーフアイゼンを構え、こちらに尻を向けて頭から壁に激突 しているレンを睥睨する。
 常識を疑うような相手だ。半ば素手で魔導師と戦おうという行為自体がすでに常識を逸脱している。
 カートリッジシステムさえ使用出来れば一撃で決める事も可能なのだろうが、生憎、ヴィータのカートリッジ使用技は周囲への被害が甚大になるものが多い。結界 が張られていない戦場で気兼ねなく使えるような代物ではなかった。
 ならば、殺傷能力の高いラケーテンフォルムで戦うべきか。あれならば一撃でも入れば決着がつく。
 ヴィータが思案していると、レンが呻き声を漏らしながら身を起こした。

「男の顔面を蹴るとは。可愛げの無い子供ですね、まったく」

 擦り傷と痣だらけの顔面を擦りながら、レン。

「てめぇに可愛く思われてたまるか。つぅーか思うなクソ野郎」
「僕だって思いたかありません。あ〜痛い」

 まったく痛くなさそうな顔で、彼は弾切れになった拳銃の再装填作業を行った。
 ラッチを弾き、シリンダーをスイングアウト。空薬莢が床を打つ。スピードローダーを引っ張り出してシリンダーに叩き込み、ローダーを操作。六発の弾丸が速やかに シリンダー内に納められた。銃を軽く振り、シリンダーを手荒く本体に戻す。
 二秒半という時間内でその作業を行った後、レンはにっこりと微笑む。

「僕はロリータコンプレックスではありません。そうですねぇ、強いて言えばシャマルさんのような奥ゆかしい女性が好みです」
「だから、黙れよてめぇ」
「汚い言葉使いですねぇ。一体どんな教育を受けているのですか? あ、これは失礼。プログラムなんですから教育なんて関係ありませんかぁ」

 痛烈な皮肉にも、しかし、ヴィータは応じない。荒れ狂う怒りを押さえ込み、打倒案を検討した。
 ラケーテンフォルムは止め用だ。敵の魔法防壁は強固である。悔しいが、真正面から突破するのは難しい。その身体能力を考慮すれば、衝突している間に何かしらの カウンターを貰ってしまう可能性の方が高いだろう。
 ならば、牽制を織り交ぜた近接戦闘を仕掛け、隙を作り、そこを叩く。基本的だが、それ故に強力である。
 ヴィータは即座に術式を構築した。魔力を編み上げ、銀の鉄球を四つ生成。術式が完成する。鉄球を宙へ放り、グラーフアイゼンで一撃。

「シュワルベフリーゲンッ!」

 トリガーヴォイスを入力。赤い軌跡を残して、四つの鉄球がレンを包むように襲う。

「燕返し〜ッ!」

 緊張感の欠片も無い叫びを残して、レンは白衣を払った。華のように広がった白衣が有り得ない現象を起こす。
 繊維が伸びたのだ。ゴムのような伸縮性のある伸び方ではない。まさに魔法の繊維で作られているかのように裾が伸びて行く。
 五メートル程伸びて、白衣が止まった。レンは歌舞伎役者のように大仰な動作で裾を振り回した。素材不明の白い布が鞭のようにしなり、鉄球を叩き落す。
 だが、一発だけが白衣を掻い潜り、レンの顔面目掛け飛翔した。ヴィータとグラーフアイゼンの遠隔操作を受けている鉄球だ。回避は容易では――。

「いただきます」

 レンは微動だにせず、あろう事か口を開けて鉄球を受け止めた。摩擦の煙が僅かに上がる。
 あまりにも荒唐無稽な光景を前に、ヴィータは声すら上げられなかった。追撃をかけるつもりだったが、身体がまったく動かなかった。
 レンが顎に力を入れる。鉄球が振るえ、砕けた。

「不味いですねぇ〜。僕の口には合いません」

 口に入った残骸を吐き出して袖で口を拭う。穏やかな微笑みを浮かべ、こほんを咳払いをした。

「終わりですか?」
「てめぇ、本当に人間か?」
「正真正銘、人間です」
「シュワルベフリーゲンを噛み砕く奴が人間な訳ねぇーだろう……ッ!」
「まさかまさか。僕は儚く脆い人間です。君のような戦闘プログラム君の攻撃を一発でも貰えば、そこでジ・エンドです」

 肩を竦めるレン。
 ヴィータはグラーフアイゼンを構え直すと、表情を険しくする。

「さっきからあたしの攻撃を受けてるはずなんだけどな、てめぇは。何で死んでねぇーんだ……!?」
「毎回紙一重ですが、何とか浅く受け止めさせていただいてます。それに僕はまだ死ねません。復讐は終わってませんから」
「だったら殺す」
「まったく。本当にせっかちな子だ。なら、こちらも相応の自己防衛策を執らせていただきましょうかねぇ」

 教科書を開く教師のように、レンはテンコマンドメンツを開いた。ページを下にして、ヴィータに向ける。途端、彼の足元にミッド式魔法陣が描かれた。色は黒。 暴走体の魔力光と同様のどす黒い闇の色だった。
 魔力が溢れ、術式が構築、展開される。ヴィータは詠唱されているその魔法が肉体強化の補助魔法である事を察した。
 妨害に入らなければならない。だが、遅かった。
 口頭詠唱が開始された。

「――我は突撃す超人・我は突貫す鉄人・刹那の間・我は欲す――」

 口頭詠唱は高位、大出力、大型魔法を行使する為に必要な工程だ。構築された術式にさらなる術式を絡ませ、増幅を行う。その結果、行使される魔法のレベルは 数段階跳ね上がり、効果、効力を倍増させる。
 ベルカ式魔法は、カートリッジシステムという外部魔力供給方法の恩恵を受けている為、手間隙のかかる口頭詠唱を必要とせず、高出力の魔法を行使出来る。

「――我は猛攻の狩人・我は猛襲の獣・すべてを粉砕し・足元にひれ伏させる・奇跡を起こせ――!」

 過去の経験から、口頭詠唱を用いた魔法の火力は知っている。ヴィータはやらせまいと踏み込もうとした。
 そこで、詠唱を締めくくるトリガーヴォイスが入力されてしまった。

「――アクセラレータ――!」

 魔法が発動する。
 骨が、肉が、魂が軋む音を、ヴィータは確かに耳にした。常に拡張と収縮を繰り返している心臓のように、レンの身体が異様に膨らみ、そして縮んだ。
 白衣の袖から血が滴り落ちた。極限まで強化された筋肉が毛細血管を破壊したのだ。
 瞳から血の涙が落ちる。彼は舌なめずりをするようにその血を舐め採ると、壮絶な笑みを浮かべた。
 テンコマンドメンツが重い音を立てて閉じられる。

「お待たせしました」

 腰を曲げ、レンはワルツを踊るかのように優雅な一礼をする。

「さぁ、始めましょうか」

 その後の攻撃は、まさに洪水のような激しいものだった。



 ☆



 容赦の無い攻撃。右の手甲が砕かれる
 仮借無い攻撃。胸部が引き裂かれる。
 苛烈極まりない攻撃。腰の外套が焼かれる。
 退く事の出来ない攻撃。左手の騎士甲冑が吹き飛ぶ。
 捌き切る事が出来ない攻撃。こめかみを裂かれ、鮮血が舞う。
 Sクラスの暴走体を相手にした時よりも尚凄惨な姿で、シグナムは膝をついていた。
 彼女の前には、クロノが立っている。呼吸はまったく乱れてはいない。運動をした形跡がほとんど無かった。

「君の力はこの程度なのか、シグナム」

 痛烈な一言。シグナムは何も言い返せなかった。レヴァンティンを杖代わりに血を吐き出しながら立ち上がる。
 強い。そして、暴走体同様に容赦が無い。ひたむきにこちらの命を狙い、攻撃を繰り出して来る。使って来る魔法も、効率や付随効果を重視していた以前の物は 比較にならない火力を秘めていた。搭載されたカートリッジシステムの恩恵だ。彼本来の技量を考えれば、これだけのレベル向上はむしろ当然かもしれない。
 シグナムも当然全力だった。魔法も殺傷設定に切り替えている。魔力も解放している。
 それなのに歯が立たない。手も足も出ない。

「シミュレーションである程度分かってはいたが、少し拍子抜けした。……弱いな、君は」

 飽きた玩具を捨てる子供のように、クロノが言った。
 圧倒的な力の差があった。今の彼から見れば、確かに自分は非力だろう。それは認める。だが、違うとも言える。
 シグナムは鼻を鳴らし、馬鹿にするように笑った。

「今のあなたにだけは言われたくない」
「……また優しさか」
「ええ」

 笑うと傷に響いたが、それでも笑わずにはいられなかった。

「先程、あなたは言ったな。すべてを犠牲にして手に入れた力だと」

 クロノの気配に変化が生まれる。黒い塊のような感情が周囲の空気を凍り付かせた。
 これ以上ないぐらいの明確な殺意が、シグナムを叩く。数多の戦場を経験し、数え切れない程の死線を潜り抜けて来た彼女でさえ、本能的に死を覚悟してしまう程 だった。
 それでも言葉は止めなかった。

「それがこの程度だとは。失望したぞ、クロノ執務官?」

 シグナムは掠り傷さえクロノに与える事が出来なかったが、この一言が、何より彼の心を抉った。

「……言いたい事はそれだけか、シグナム」
「ええ」
「そうか」

 S2Uがコッキングカバーを連続で駆動させる。一度再装填がされていた為、リボルバーシリンダー内には六発のカートリッジが納められていた。
 六発連続ロード。
 咽るような濃い硝煙が吐き出され、空気中に四散した。
 静寂。

「これを喰らってもまだそんな事が言えるか?」

 死ぬかもしれんな。シグナムは地を蹴るクロノを見て思った。彼が如何なる攻撃を仕掛けて来るのか見当もつかないが、カートリッジ”フルロード”から生み出される 破壊力は街一つ吹き飛ばすに充分事足りる。それを個人に撃ち込もうと言うのだ。過剰殺傷であり、直撃は必殺以外有り得ない。
 だが、彼を如何なる状態にしようと連れて帰ると決めたのだ。騎士の誇りにかけて、その決意を曲げるつもりも諦めるつもりもない。それに、八神はやてという一生 仕えるべき主が居る。彼女の許しなくして死ぬ訳にはいかない。
 まったく、ここ最近、連続して死ぬ覚悟を強いられるな。
 シグナムは場違いな苦笑で頬を歪め、脚を広げた。同時にレヴァンティンを鞘に納め、腰を落とす。帯刀するようにレヴァンティンを左の腰へ。

「ベルカ式抜刀術――紫電両断」

 カートリッジをロード。根元から空薬莢が排出された。
 シグナムの最大魔法は、ボーゲンフォルムから放たれるシュツルムファルケンだ。カートリッジも三発使用する。規模と火力が大きい分、隙も大きい。術式も複雑で 構築に時間がかかる。このクロノ相手に出す余裕はまず無い。喩え出す事が出来たとしても、回避されてしまう可能性の方が遥かに高かった。
 ならば、保有している斬撃魔法の中でも最大の破壊力を持つこれで勝負に挑むのが賢明な判断と言えた。

「殺さずに済ます自信は無い」

 バルディッシュ・アサルトを手にしたフェイトに告げた言葉を、そのまま言った。

「この身の未熟を、許してくれるか?」

 フェイトに、はやてに、なのはに、エイミィに、リンディに、彼を知る全員に問う。何より、クロノに訊く。
 地面を踏み締める。倒れてしまいそうな前傾姿勢を取る。限界まで研ぎ澄ませた集中力が、今まで満足に見えなかったクロノの姿を捉えた。

「烈火の将シグナム、参るッ!」

 柄に手を添える。鞘の内部では、カートリッジから得られた魔力によって片刃の長剣は変形を起こしている。敵を両断するに最適な形状になろうとしている。
 単分子の厚みになる刀身。同時に構成素材の原子配列を魔力で変更。摩擦係数が零に近い素材になる。
 レヴァンティンが鞘から疾った。
 両断出来ないモノなど存在しない。すべてを断ち、燕をも斬り落とす最速の一刀は、空間に軌跡を刻み、クロノのS2Uに突き進んだ。
 確かな手応えが刃を伝って来る。S2Uを断った。シグナムはそう確信した。
 だが、刃を振り終える事が出来なかった。

「想像以上だった」

 少しだけ驚いた声がした。
 シグナムの斬撃は、クロノの掌で止まっていた。いや、掌が止めているのではない。注視してみれば、極々小さな防御魔法陣が単分子の刃を受け止めていた。
 こちらが驚くしかなかった。紫電両断には対防御魔法の効果も付随されている。それも基礎となっている紫電一閃よりも強力なものだ。

「ラウンドシールドをピンポイントで展開した。狙って来る場所さえ予測出来ていれば防御は可能だ」

 感慨を含まない声でクロノが説明をする。もちろんシグナムは聞いていなかった。
 愕然とする彼女へ、クロノは続けた。

「これでも君は僕を弱いと言うのか?」
「―――」

 レヴァンティンを戻せ。防御に集中しろ。頭の中で本能が鬼気迫る勢いで警報を鳴らす。

「答えてくれ、シグナム。もしそれが出来ないのなら」

 防御魔法陣を打ち消し、クロノは硬直しているレヴァンティンの刃に手を添えた。ゆっくりと下へ降ろす。
 彼はS2Uを左手に持ち替えた。
 警報が最大限になる。ちりちりとした何かが脳裏に生まれた。

「死んでくれ」

 クロノの右の拳が輝く。集中、凝縮、圧縮された魔力は常軌を逸する密度を誇り、空間を当たり前のように歪める。
 本能がシグナムの身体を突き動かす。レヴァンティンを本来の姿に戻して、盾として機能する鞘を構えた。
 構わずにクロノが右脚を踏み込む。腰を捻り、右の拳を鞘に叩き込んだ。
 鞘が粉砕される。
 術式構築を行いながら、クロノは左手のS2Uを右手に投げ渡した。
 空いた左手が、右手と同じように輝き、繰り出される。
 シグナムは鞘を即座に破棄すると、レヴァンティンの刃で防御姿勢を取る。魔力を最大発揮して防御魔法を行使。
 如何なる攻撃をも防御し、弾く事が出来るはずだった。
 クロノの左の拳が刀身を叩く。
 綺麗な亀裂が、傷一つ無い炎の魔剣を貫いた。

「―――!」

 硝子の砕ける音がする。
 刀身は細かな破片となって、音も無く落下した。
 半身と言うべきデバイスが破壊された。その事実がシグナムの思考を停止させてしまった。
 クロノが動く。右手のS2Uを下から突き上げる。シグナムの腹部目掛け。
 衝撃。

「……あ……」

 先端に構築されていた灼熱の刃――クロノの斬撃魔法ブレイズセイバーが、深々とシグナムの腹に突き刺さり、背中に抜けていた。
 発狂してしまいそうな痛みが来た。身体を貫かれただけではなく、貫かれたまま、傷口を焼かれているのだ。
 悲鳴は我慢出来なかった。喉を裂く絶叫を上げる。

 悲鳴。

 シグナムの絶叫の果てに、クロノは術式を構築し終えた。
 制御展開。
 トリガーヴォイス。

「アヴァランチスティンガー」

 串刺しにされたシグナムが天井へ掲げられる。その周囲に光の剣が顕現する。環状魔法陣に保護されているその刃は、数瞬で百は下らない群れを成した。
 切っ先が一斉に一点を向く。
 シグナムの声は、すでに声でなくなっていた。

百を超えし処刑の刃。咎人を砕けエクスキューションシフト

 死刑宣告が百の光の刃を解き放つ。
 悲鳴が途切れる。
 静寂が訪れた。
 クロノの右手に血が落ちて来る。手だけではない。頬や白くなった髪にも返り血のように血が滴り落ちた。
 返り血のようにではなく、それは実際に返り血だった。
 S2Uに腹部を貫かれたまま、シグナムはその身に百の刃を受けていた。
 彼女は動かなかった。それからずっと、動かなかった。





 to be continued.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。SCクロノのえげつない技は、以前格ゲーネタで思い付いた零距離スティンガーブレイドESです。
 レンの肉体強化魔法”アクセラレータ”は、本当にそのまんま流用。だが私は謝らない。
 では次回も。

 2006/5/30 修正
 2006/7/03 改稿



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