もっと私を見て


 投げ出したボールペンがコロコロと書類の上を転がり、側にあったマグカップにコツンと当たって止まった。

「う〜」

 卓上のキーボードを無遠慮に叩いて、六時間は連続で使われている仮想ディスプレイを消す。

「うう〜〜」

 淹れて三時間は経っているコーヒーに口を付ける。モヤモヤとした気持ちをぶつけるように一息で飲み干した。

「ううう〜〜〜」

 誰もいない機動六課の中央オフィス。フォワード陣のデスクも用意されているそこは、昼間ともなれば活気も溢れる場所だが、夜十二時を前にした真夜中にもなると ひっそりもする。
 フェイトは一人でオフィスワークを片付けていた。設立されて間も無く、実績も無い機動六課だ。法務関係で整えておかなければならない場所は無数に ある。手書きで処理しなければならない書類も溜まっているし、処理しなければならない電子メールもそれなりにあった。
 そうした諸々のオフィスワークをやっつける為にこうして孤軍奮闘をして早十時間。そろそろ集中力が限界を迎えようとしているし、酷使されている眼は 休息を求めている。
 だが、ここで睡魔と疲労に負ける訳にはいかない。目立たないものの、機動六課のこれからを整備する為に必要な業務である。

「うううぅぅぅ〜〜〜〜〜……」

 我慢し切れずにフェイトは机上に上半身を放った。バサリと書類が舞ってヒラヒラと床に落ちるが、拾おうにも指先一つ動かすのも億劫な気分だった。取り合えず無視 する。
 朝から晩まで高町なのはの苛烈な訓練浸けとなっている前線メンバーは今頃夢の中だろう。彼女達にとって休むのも大切な仕事の一つなのだ。
 なのははというと、夜間訓練が終わってすぐに戦技教導隊の本部に戻っている。教材関係で足りないものがあるから、という事だが、どことなく落ち着かない様子だった。 しかも頬を薄っすらを紅潮させていたのである。どこの世界にそんな初デートに胸を弾ませる中学生のような様相で本部に戻る教導官がいるだろうか。
 という訳で、フェイトは無限書庫に行ったと睨んでいる。誰に会いに行ったのか、というのは訊くだけ野暮である。

「……いいなぁ……」

 スバル達の前では凛とした彼女も、無限書庫司書長の肩書きを持つ青年の前では十九歳の普通の女性である。エースオブエースと囁かれていようが、 確かな実績を残していようが、高町なのはは年頃の女の子なのだ。
 それはフェイトも同じだ。だからこそなのはの気持ちも分かるし、仕事で本局に行ける親友が羨ましかった。
 公私混同をするつもりは無い。これでも入局十年である。
 それでも羨ましいものは羨ましいのだ。仕事にせよ、私用にせよ、好意を寄せている人に会えるのは。
 肘を枕代わりにしたまま、フェイトは首を巡らせる。片隅に置かれていた幾つかの写真が見えた。寮の自室にあるのと同じ物だ。
 子供の頃の物。アリサとすずかが定期的に送って来る何気ない一場面。家族写真。それから――。

「……どうしてるかな、クロノ……」

 その名を口にして、フェイトは眼を閉じた。
 胸がわずかに疼く。エリオやキャロへ注いでいる優しさや愛しさとは違う気持ちが心中でのたうった。
 XV級新造艦船の艦長に抜擢された彼は実に多忙な日々を送っている。フェイトも機動六課に出向してから眼も回るような忙しさだ。
 二人だけの時間が無くなってしまって当然だった。
 それどころか、ここ三週間ほど声すら聞いていない。
 通信や電話の一つでも送れば良かったのだが、クロノも忙しいし疲れているから、と思ってフェイトの方から連絡を断っている。
 寂しいと思う暇なんてお互いに無いだろうと思っていたのだ。
 事実、その通りだった。機動六課でのフェイトには法務関連以外にもライトニング分隊隊長としての仕事もあるし、部隊長であるはやてをグリフィスと共に 支えなければならない。憂いを募らせているゆとりなんて無いはずだった。
 それなのに、ふとした瞬間――一人になった時にやって来るのだ。それも反動をつけて、とびっきりに強くなった寂しさが。
 掌を見詰める。最後にあの人の手を握ったのは何時だっただろう。一ヶ月くらい前かもしれない。

「………」

 聞けば、はやては仕事の関係でクロノと何度も会っているという。機動六課の後見人の代表なのだから当然かもしれない。はやてが何度か気を利かせて一緒に 行くかと訊ねてくれたが遠慮してしまった。今ではそれなりに後悔している。
 それから、はやての古くからの友達で、六課の後見人の一人であるカリム・グラシアとやたら仲が良いと耳にした。ちなみに情報をくれたのは長年の好敵手である シグナムである。肩を並べてお茶をしている風景は実に様になっていたという。それを事実か否かを調べる術が無いフェイトは、その話を聞いた時は平然としていたものの、 実際には不安で不安で居ても立ってもいられなくなったものである。
 さらに、XV級新造艦船――クラウディアには女性スタッフが多いらしい。もはや完全に姉ポジションにあるエイミィが補佐官に就いてくれているから安心だが、 そもそも彼女そのものが時折信用に置けない。悪ふざけのギアが入った時のエイミィ・リミエッタ通信管制司令は誰の手にも負えない。
 上着のポケットを漁って携帯電話を取り出す。管理外世界の地球にすら通じる優れ物で、仕事でも愛用している一品である。
 着信履歴と発信履歴を見ると、どこにも『クロノ・ハラオウン』という名は無い。
 メールボックスを開いても結果は同じだ。儚い期待を持って新着メールを確認しても、もちろん望んだ名前は出ては来ない。
 簡単な連絡をする時間が無いくらい忙しいのか。
 あったとしても疲れていてしないのか。

「……クロノも遠慮してるのかな……」

 沢山の可能性を考えてしまう。
 彼には無理をして欲しくないと思う一方で、もし時間が少しでもあるのなら、簡単なものでもいいから連絡が欲しいとも思う。
 これでも想い合う仲なのだから。
 何度も新着メールを確認する。無駄な行為だと分かっていても、何となくやってしまう。
 仕事で沢山の女性と会っているクロノ。
 新造艦船の艦長として激務に追われているクロノ。
 でも、恋人のクロノ。
 しなければならない事、やらなければならない事が山積しているのは分かる。目まぐるしい忙しさで忙殺されているのは自分も同じだ。
 でも、いや、だからこそ思ってしまう。

「もっと構って」

 たまにでいい。メールの一つでも欲しい。三日に一回でもいい。返信しても答えてくれなくて構わない。

「もっと私を見て」

 見られている実感が欲しかった。
 出向前は同じ部隊だったのもあるので、公私共に一緒にいる事の方が自然だった。だからそんな風に思った事は一度も無かった。
 それが、彼に想われて大切にされている実感を欲している。砂漠で水分を求める旅人のように渇望してしまう。
 繰り返していた新着メール確認で変化が出た。
 新しいメールを受信したのだ。

「なのはからだ」

 教材を無事に調達できたらしい。ティアナの指揮官訓練で使うものだそうだ。まだ自覚はしていないかもしれないが、あの少女には現場統括の才能がある。 彼女自身は謙遜して指揮官訓練を受けていないが、なのははフォワード陣の指揮を行く行くはティアナに任せるつもりでいる。今の内からそういう備えはしておいても 無駄にはならないだろう。
 これから帰って来るの? とメールを打つと、すぐに返信が来た。

「……時間も時間だから泊まってく……」

 敢えて聞いてみた。

「えっと……どこに、と……」

 次に新着メールを受信したのは五分後だった。
 その五分間になのはの身に何が起こったのか、喩え親友と言えどフェイトにも分からない。しかし、携帯電話を手に頬を朱色の染めて右往左往しているエースオブ エースの姿が何となく想像できてしまった。
 携帯電話の小さなキーボタンを操作してメールを開く。

「……ユーノ君のとこ」

 『ユーノ』と始まる前の『……』の部分が何とも言えない。
 という事は朝帰りか。明日の早朝訓練は自分が代行するべきだろうか。そんな事を思いながら明日について聞いてみると。

「頑張る」

 一体何をどう頑張るというのだ、時空管理局の戦技教導隊所属のエースオブエースは。
 真面目で朴訥ななのはの事だ。おかしな事にはならないだろうし、明日の早朝訓練には間に合わせて戻って来るだろう。あくまでも希望的観測であるが。
 取り合えずどう返信して良いか苦慮したが、当たり障りの無い文書を打つ事にした。

「程ほどにね、と」

 何が程ほどなのか。その意味はフェイトにも良く分からなかった。さらに明日の訓練内容を確認して、なのはとのメール交換は終わった。
 パタンと携帯電話を閉じる。嘆息が自然と出て来た。
 一緒にいる時は明らかに恋人同士の雰囲気を振り撒くあの二人だが、その仲に関して訊ねると、なのはもユーノも口を揃えて『もう家族みたいな友達だよ』という 良く分からない答えが返って来る。二人の関係は十年来の友人であるフェイトやはやてにも理解できないものらしい。

「ユーノはともかく、なのはは自覚無いんだろうなぁ」

 こと魔法技術に関しては天賦の才能を持つ彼女も、恋愛模様では陸士訓練学校入りしたばかりの訓練生以下だろう。
 椅子の背もたれに背中を預ける。背骨の軋みがはっきりと聞こえた。思い切って伸びをしてみると、背後の窓が逆さまになって見えた。
 ブラインドが下げられていないせいか、夜闇に包まれた空が見えた。輝く星空を従える二つの月。

「一人で見る月って、何だか寂しい」

 クロノと二人で見れたらと思って、フェイトは苦笑を浮かべた。机上に置いた携帯電話に手を伸ばして、無駄だと分かりながら新着メールを確認する。
 小さなディスプレイに表示された文字は『新着メールはありません』。

「………」

 寂しかった。
 一ヶ月近く会っていない。
 三週間も声すら聞いていない。
 最後の触れ合ったのは何時かも覚えていない。
 確かに仕事も大切だ。特にクロノが担っている重責は理解しているつもりだ。
 自分もそうだ。新設された部隊の分隊長の責任は重いが、日々充実している。エリオやキャロの成長を側で見守れる事もできる。
 でも、心が寂しいと叫ぶのだ。
 こうしたふとした瞬間でもなければ決して感じないだろうし、気付かないだろう。

「クロノは寂しいかな」

 自分と同じ気持ちでいてくれたらいいなと、フェイトは苦笑を浮かべたまま思った。
 でも、そう思うのならメールの一つも送って欲しい。
 それが自分の子供のような我侭だと自覚できるが、やはり思ってしまうし、願ってしまう。
 もっと自分を見て欲しい――。
 携帯電話が震えた。

「電話?」

 メールではなかった。こんな時間に誰だろう。
 携帯電話を開いて、フェイトは息を呑んだ。
 『着信 クロノ・ハラオウン』

「は、はい!」

 緊張のあまりに声が裏返ってしまった。心臓が爆発的に心拍数を上げて、呼吸が瞬間的に荒くなる。

『フェイトか? 夜遅くに済まないな』

 三週間ぶりに耳にするクロノの声には疲労感が滲み出ていた。

「ぜ、全然平気だよ。クロノは? 声、凄く疲れてるけど」
『徹夜三日目だ。疲れもするさ』

 くぐもる声。どこかに座ったのだろうか。本当に無茶ばかりする。

「ちゃんと休まなきゃ駄目だよ?」
『休める時間があれば休んでる』
「本当に?」
『本当だ。そういう君はどうなんだ? はやてからあんまり休んでないって聞いたが』
「クロノと同じ。休める時間があれば休んでる」
『今も仕事中か?』
「うん。あ、でももうそろそろ終わりそうだから」

 慌てて言い直した。こんな時間だ、仕事なんて残業に決まっている。クロノはそこに遠慮して電話を切ってしまうかもしれない。
 切りたくなかった。このままずっと話したかった。いや、彼の声を聞きたかった。
 でも何を話していいか分からない。咄嗟の事で頭が回らなかった。

「……クロノ、元気?」

 震える声が情けない。

『どうだろうな、元気だと言えば嘘になるかもしれないが……それ以上に、ちょっとね』
「ちょっと?」
『……寂しくなったんだ』

 逡巡を挟んで、クロノが言った。
 トクンと胸が静かに脈打つ。
 試すようにフェイトが訊く。

「寂しいの?」
『ああ、寂しい』
「どうして?」
『だから電話したんだ』

 はっきりとした答えではなかった。

「はっきり言って。どうして寂しかったの? 私分からないよ」
『分かって言ってないか、君は』

 溜息交じりの声はどこか嬉しそうだ。

「言って」

 クロノの口から聞きたかった。寂しかった理由を。そうじゃないと、先ほどまで感じていた喪失感にも似た感覚を拭えそうにない。
 答えを待った。それはきっかり十秒後だった。

『君に会えなくて寂しかった』

 顔の温度が急激に上昇するのが分かった。囁くような声音に背筋がわずかに震えた。

「私も寂しかった」
『何度も連絡しようと思ったんだが、はやての様子を見てると忙しそうだったから』
「それは私も。何度も電話しようと思ったんだよ?」
『お互いに遠慮してた訳か』
「だね。……それから不安だった」

 椅子を離れて窓に背中を預ける。

『不安?』
「カリムさんと仲良いんだってね?」
『……はやてめ』

 毒づくクロノ。可笑しくて笑ってしまった。

「カリムさんって美人なんだってね。あ、それからクラウディアには可愛い子沢山いたよね」
『僕はどんな色魔だ』
「どうだか」
『連絡しなかったのを怒ってるのか?』
「こういうのは男の人からするものかなって思う」
『次からは気を付ける』

 眼を閉じて、携帯電話の音に集中する。窓に寄り添い、ひんやりとした硝子の感触を味わう。

「……女の子はね、いつも見られてるっていう実感が欲しいんだよ……?」
『女の子という歳でもないだろう、君は』
「あ、そういう事言うんだ?」
『……悪かった』
「本当にそう思ってる?」
『ああ、思ってる。連絡を取らなかった事も含めて反省してる』
「じゃ、我侭言ってもいい?」
『僕が叶えてあげられる範囲なら』

 沢山の候補が浮かんだ。でも、どれもが違うような気がした。

「………」

 何だろう、何だろう、何だろう――。

『フェイト?』

 そうして頭に浮かんだのは。

「会いたい」

 無茶でも何でも会いたかった。
 声だけでは嫌だ。
 顔を見たい。指を絡めたい。温もりを感じたい。
 六課で見せる怜悧な表情でもなく、エリオやキャロに向ける母性の表情でもなく、十九歳の女性の表情で、フェイトは言った。

「今すぐ……会いたい」
『なら会うか?』
「え?」

 クロノが平然と訊ねて来た。
 何を言うのか。管理局の本局と六課の隊舎ですら相当な距離があるというのに、今のクロノはクラウディアで艦長業務の真っ最中のはずだ。

「もう、冗談でもそんな事言わないで」
『なら試してみようか?』

 子供のようにおどけた声音でクロノが言うと、どこからか乾いた音がした。
 それが扉をノックしている音だと気付くまで五秒くらい必要だった。
 閉じられたオフィスの扉。それがコンコンと鳴った。

『お邪魔する』

 扉が開かれる。独りぼっちのオフィスに静かな駆動音が響く。
 携帯電話を耳にしたクロノが、相変わらず似合わない本局制服を着て現れた。
 茫然と見守るフェイトの前まで歩いて来たクロノは、照れ臭そうに携帯電話を切ると、不器用に微笑む。

「半日休みを貰ってね。時間も時間だったが、寂しかったから来てみた」
「……休めば……いいのに」
「迷惑だったか?」

 安心したクロノは酷い顔だった。充血した眼に濃い隈。顔色だって決して良好とは言えない。
 そんな疲れた身体を押して会いに来てくれた事が嬉しかった。

「……ありがとう」

 久しぶりに額を預けたクロノの胸は暖かかった。
 その温もりが、疲労の色が濃い彼の表情が、大切にされているという事を実感させてくれた。
 携帯電話が掌から滑り落ちる。フェイトは気にせずにクロノの制服を掴む。はぐれた親と再会した子供のように力一杯に。

「まだ仕事は残ってるのか?」
「後ちょっと」
「なら二人で終わらせて、外で月見でもしよう」
「……うん」

 微かに肯いて、フェイトは微笑んだ。
















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