04.あなたしか見えない


 目覚まし時計が鳴っている。絶望的に少ない休日を無理矢理合わせて、クロノと久しぶりのデートを満喫した時に買った一品だ。
 それは、手を伸ばせばすぐに掴める場所にあるはずだった。

「………」

 なのに、指は空を切るばかりだ。
 明確にならない頭の中を引っ掻き回す騒音。寝惚け眼もさすがに覚めて来る。
 視界に入ったのは妙に小さな手。

「……?」

 次にその手がくっついている腕。戦闘魔導師としてはかなり線の細い方だと自覚はしているが、今年で二十歳を迎えた自分の腕はこんなにも細かっただろうか。

「……え?」

 違和感に突き動かされて身体を見下ろすと、何かに足を取られて思い切り転んでしまう。
 ベッドのスプリングが揺れる。昨晩脱ぎ散らかしたタイトスカートやら下着やらがバラバラと床に散らばった。ちなみにストッキングはそのまま着けている。何故 かその方が彼が喜ぶのだ。意味は理解しかねるが、それが分かってからというもの、制服から直行便の際にはストッキングを着けたままと行為に及んでいる。
 閑話休題。
 氷の上を滑ったかのように、フェイトは床に熱い接吻を果たす。勢い余って腰が海老反りに。昨夜は激しいピストン運動にさらされた背骨の悲鳴が聞こえた。

「いたたた……」

 整った鼻先が潰れてしまった。苦労して身を起こすが、とにかく動き難い。ストッキングが纏わり付いた足は濡れたタオルで縛られたように縺れて、不自由極まり なかった。
 そんな自分の身体ではなくなったような感覚は、ようやく見渡す事ができた自分の身体を前にして吹き飛んだ。

「ち……縮んでる……?」

 これはもう見事にだ。
 ずり落ちたシーツで申し分ない程度に隠されているフェイト・テスタロッサ・ハラオウンの身体は、もはや幼馴染約二名から羨望の眼差しを向けられていた滑らか な曲線を描いたラインではない。なかなかにまな板な変貌を遂げている。申し訳無さそうにこじんまりと膨らんでいる乳房は、もはやクロノ・ハラオウンの無骨な掌 を受け入れるには明らかに力不足に成り下がっており、括れていない腰には指先を這わす事もできないだろう。それはヴィヴィオにも同質の行為に及べるという事だ。 それは犯罪だ。時空管理局が定めた管理局法と現地の法律によって厳しく罰せられる。さらに尻もだ。ストッキングを着けている時、彼に『核爆弾』と言わしめた 一種の芸術性を秘めたそこは、丸みこそ帯びているものの、ボリュームは皆無に等しい。

「え……あぁ……なにこれぇッ!」

 自身の身に起こった異常事態の前に、聡明な執務官は悲鳴を上げるしかなかった。
 頭を抱えて壊れたテープレコーダーとなっていると、微かに足音が聞こえた。機動六課の隊舎や管理局施設とは違って、海鳴市にある自宅マンションの床は、そろそろ 年季も入って来て痛んでいるのだ。
 ストッキングやシーツをもがもがしていると、扉が開いて、

「どうした、フェイト」

 明らかにシャワーから出てきて、昨夜の汗やら何やらを綺麗サッパリ洗い流したクロノ・ハラオウンがひょっこりと顔を見せた。
 ひとかけらの冷静さを保っていた頭の片隅が、どうして一緒に行こうって甘い囁きをしてくれなかったんだ! と抗議するが、もちろんそんなのは無視だ。
 二人仲良く、フェイトとクロノは停止した。

「……フェイト?」

 出会って間もない頃と変わらない、ほぼ九歳の頃に逆行した身形となってしまったフェイトを、クロノが震える指で指す。

「う、うん……クロノ」
「……何で縮んでるんだ?」
「わ、分かんないよ、そんな事。私の方が聞きたいよぉ……」

 匍匐前進するような間の抜けた姿のフェイトに歩み寄ったクロノが、ひょいっと小さな彼女を抱き上げた。愛しの女性を抱き寄せるような甘美な様子ではなく、 親戚の生後一年ほどの赤ん坊に高い高〜いするような感じだった。
 目線がクロノと同じ位置に来た。足元がすーすーするのが何とも落ち着かない上に情けない。それ以前に、昨夜はあれだけ鳴かされた人に赤ちゃん扱いされるのが 切な過ぎた。ついでに脱皮した蛇の抜け殻のように足から抜けたストッキングが非常に格好悪い。

「クロノ。あの、格好悪いから降ろして」
「え。あ、ああ、済まない。何だか懐かしいなって思って。でも、何で小さくなってるんだ……?」
「だから、それは私が聞きたいって!」

 こんな怪現象に襲われる心当たりなんて、もちろんフェイトには何も無かった。何せ昨日から実家――と言ってもいい海鳴市のマンションである――にクロノ と一緒に仲良く帰省中の身だ。堆積していた事件関係も二日徹夜で片付けで、後は私達でやっておきますよ〜というシャーリーとティアナのお言葉に甘えて、 こうして帰って来れた訳である。その地獄のような忙しさの中で、幼児化してしまうような原因に繋がる事件は無かったし、怪しげなロストロギアにも触れていない。 こうした騒ぎで引鉄となっている確率の高いシャマルとも会っていない。
 やはり、どう考えてもおかしい。

「身体に何かおかしなところは無いか?」
「ううん、特に。何かこう、遠近感が変な感じはするけど」
「……ユーノやシャマルの所にでも行くか。一回は検査してもらわないと」
「う〜……」

 そんな当然な提案に、フェイトは素直に従えなかった。降ろしてと言っても一向に降ろす素振りの見せないクロノに不満があった訳ではない。
 見詰めて来るクロノの視線から逃れるように顔を横へそらして、居心地を悪そうにうーうー唸ってみせる。自由な足をぱたぱたさせて、ついでに脇に挟まれている 彼の片手を両手で掴んだ。

「フェイト?」
「……管理局、行くの?」
「ああ。いや、まさかこのままで過ごす訳にもいかないだろ」
「そりゃそうだけど」

 渋るフェイトを、クロノが訝しみ、眼を細める。

「病院が嫌いな歳じゃないだろう」
「……クロノ。どうして私達があんなに苦労して仕事終わらせて海鳴に戻って来たか、覚えてる?」
「そりゃもちろんだけど。それで管理局に戻るのを渋る理由にはならな……」
「なるもん」

 唇を尖らせてクロノの言葉を遮ったフェイトは、ぷいっと顔を背けてしまった。この場合、彼が言っている事が正論だが、だからと言って、はいそうですかと素直 に首肯できるほど、フェイトは割り切れなかった。何せ今日はとても大切な日なのだ。一年の間で、フェイトが密かに一番楽しみにしている日なのだから。だから、 この日だけは時空管理局の事や事件も綺麗サッパリ意識の外へ押しやって、ゆっくりと二人だけで過ごしたかった。
 こう思うのはいけない事だろうか。罪深い事なのだろうか。
 クロノは苦笑いを浮かべて、何とかフェイトを説得する言葉を探っている様子だったので、フェイトは先手を打つ事にした。自分のお願いには彼も甘い部分が多々あるのだ。 たまにはそんな弱点心理を突いたって罰は当たらないだろう。

「今日はクリスマスイブ。だから絶対にこっちにいる」

 これだけは曲げるもんか。二ヶ月の前から計画していたのだから。
 意固地になったフェイトは、どれだけの条件を散らつかせても交渉には応じず――今度二人だけで温泉旅行に行こうと切り出された時は振り切る事の難しい 邪欲に駆られたが――結局はクロノが妥協する形になってしまった。
 しかし、一体どうしたものか。



 ☆



 子供の頃の衣服が何着か残っていたので、シャワーを浴びた後に着替えを済ませてリビングに行くと、クロノが電子ボードを使って次元間の通信回路を開いていた。 民間にも普及されている次元電子通信機材を、管理局が開発会社から技術提供を受けて、管理局用に調整改良したものだ。小型で高出力。中継基地を結べばかなりの 距離がある世界ともリアルタイム通信な優れ物だった。
 通信相手は、どうやらユーノのようだ。姿を見せたフェイトがモニターされたようで、驚きつつも表情を和ませた。

『本当に小さくなってるね、フェイト。何だか懐かしいな』
「あのユーノ……今日、お休みじゃなかったっけ……?」

 今日が特別な日になっている時空管理局局員は多くはない。事実はその逆で、数的には天然記念物級に少なかった。何せクリスマスなんて行事は第九十七管理外世界 にしかないのだ。ここの出身者なんて、それこそ管理局には数えるほどしかいないのである。その一人がフェイト。もう一人ははやて。守護騎士達も数には入るだろう。 で、もう一人、管理局戦技教導隊が誇るエースオブエースはというと――。

『うん。一応休みを取ってはいたんだけど、なのはが』

 誤魔化すように頭の裏を掻くユーノ。どうやら約束をしていた彼女は別件で駄目だったらしい。

「でも、クリスマスの約束はなのはからしてると思ったんだけど」
『そうだったんだけど、昨日連絡が来て、教導隊で抜き打ちの武装隊の模擬戦があるらしくて、人手不足だからって招集されたんだって。今はヴィヴィオと一緒に 家でのんびりしてるよ』

 ユーノが横に手を振ると、ヴィヴィオが彼の胸に元気良く飛び込んで来た。モニター越しにフェイトを見付けてフェイトママ〜と可愛らしく手を振るが、すぐに不思議そうに 眼を瞬かせてしまう。

『あれ……フェイトママ、小さくなってる……?』

 取り合えず曖昧な笑みで手を振るしかなかった。
 頃合を見計らって、クロノが口火を切る。

「それでユーノ。無限書庫や今まで君が携わった事件調査の中で、こうした事例はあったか」
『どうかな。人間が退化するって現象は何度か資料で見た事あるけど、どうもそれとは違うような気もするし』
「やはりロストロギア絡みか?」
『そうとしか思えないよ。聖王のゆりかごなんて物騒なものから、封印不要の日用雑貨品まで何でもありなのがロストロギアだから』
「しかし、人間を退化させるロストロギアなんて何の意味があるんだ……?」

 クロノが呆れ果てたように肩を落とすと、ユーノは猫がそうするように、膝の上で甘えるヴィヴィオを撫でながら失笑した。

『常人には理解できない趣味人御用達の代物、だったり?』

 ゆっくりと首を巡らせるクロノ。フェイトを見て、それからモニターの中のヴィヴィオを見て、最後にユーノを睨み付けた。

「今すぐなのはに連絡をつけて君の所に急行してもらった方が良さそうだな。ヴィヴィオが心配だ」
『……あの、クロノ。冗談でも言って良い事と悪い事があるんだけど……』
「割と本気で心配だがな。で、その意味不明なロストロギアの資料は?」
『有用性が認められなかったから戻したけど、それが原因とは思えないな。だって君達は昨日から海鳴に戻ってるんだろう? 戻る前もクラウディアに 詰めっ放しだったんだから、そういうジャンルのロストロギアに抵触する機会は無かったはずだ』
「抵触……」

 何か引っかかるものを覚えたのか、クロノが神妙な顔付きで顎を抱えた。彼にしては珍しく歯切れの悪い態度だったので、気になって覗き込んでみる。

「どうしたの? 何か心当たりでもあるの?」
「……いや。まぁその可能性は無い。何でも無いよ」

 小首を捻るフェイトを置き去りに切り上げたクロノがユーノに言った。

「休日中に済まなかったな、ユーノ」
『別に構わないよ。僕も今手が空いてるから資料を漁ってみる。検査には?』
「それがその……」
「管理局には行かないから。何の為に昨日と今日、それに明日まで、三連休を取った意味が無いもん」

 フェイトがご立腹な様子で腕を組んだ。取り合えず異常が出ない限りはこの意地を貫くつもりだった。身体が縮んでしまった点以外はすべて問題無かったのだ。 魔法も十九歳になるまでに身に付けたものすべてが行使できたし、真ソニックフォームだって顕現できた。バルディッシュにも手伝ってもらって身体の隅々まで広域 検索で身体機能をスキャンしたが、これも異常無し。気持ちが悪いほどに縮んだ以外に問題なんて無かったのだ。
 だったらゆっくりと彼と過ごしたいと思うのが女の子である。

「……だ、そうなんだ」
『なるほど。まぁ、それなら仕方ないね』
「仕方ないって、君までそんな悠長に納得するのか?」
『そりゃフェイトの身に何か起これば話は別だけど。何かあれば君が無理矢理連れて行くだろうし、そうしないって事は今は問題無いんでしょ?』

 身体の調査はクロノも一緒に行った。行かない事に今も内心で納得していない彼が、ひとまずという事で行ったのだ。結果は白だったので、余計に不承不承な 様子が濃くなっている感じもする。
 心配してくれているのは嬉しかったが、そこまで管理局に連れて行かせようとしているのを見ていると、何となく自分とここにいたくないのかなと探りを入れたくなって しまうのだ。

『一応シャマルさんにも連絡取っておいた方がいいよ』
「ああ、それならもうしたさ。なるべく連れて来るようにとは言われたが、身体機能に問題無いと言ったら、割とすんなり許可してくれたよ。母さん達にも報告は したし……」
『だったらいいんじゃないかな。一緒にいても』

 肩を竦めるユーノ。その表情がどこか寂しげなのはフェイトの気のせいではないだろう。管理局の任務が優先されてしまうのが実情でどうしようもない現実だが、 約束していたなのはとのイベントが中止になってしまったのだ。まず他人優先な彼でも溜息をついて当然である。
 そんな友人の心中を察したのか、クロノは難しそうに眉間に皺を寄せる。それから、ややあって嘆息づいた。

「分かった。取り合えず今日明日はこっちで過ごすよ」
『うん、そうした方がいい。何かあれば連絡して。僕も明日まで家にいるから』

 その後通信はすぐに切られて、宙に投影されていたモニターが消える。クロノは電子ボードをテレビの横にある充電機材に戻すと、う〜んと背伸びをした。
 我侭を言っている罪悪感は多かれ少なかれあった。無意味に心配を募らせている自覚もある。冷静な自分も然るべき機関で然るべき処置や検査を受けるべきだと言っている。
 でも、今日は一年に一回だけの日だ。好きな人と一緒にいたいという願いが許される日なのである。
 彼も自分も多忙な身だ。一緒に過ごせる時だって一ヶ月に一度あればいい方で、職場が同じ場所でなければきっと寂しくて辛くてどうしようもなくなっていたと、 フェイトは胸を張って自信満々に言い切れてしまう。

「で、今日一日どうする? 予定は何か決めていたんじゃないのか?」

 だから、今日も明日も譲るつもりはない。せめてこんな時くらい我侭になって彼を束縛したかった。
 それが理由も分からずに小さくなってしまって、邪魔されるのは大変に嫌だ。
 クロノに歩み寄るフェイトの身形は子供の頃の黒いワンピースドレスだ。所々に赤いアクセントのリボンがある。お気に入りの服だったのでタンスの奥に取っておいた のだ。冬場では少々心許ないものの、薄着という訳でもないので室内ではこれ一枚で大丈夫だった。

「懐かしいな、その服」
「うん。これピッタリって事は九歳くらいかな?」
「十歳以上の後退だな」
「……元に戻るかな?」
「調べに管理局行くか?」
「……い、行かない」
「でも休日明けには連れて行くぞ」
「分かってる」

 近付いて、いつもなら丁度クロノの顎下辺りに額が来るので、甘える時の癖で顔を埋めるように身じろぎしたのだが、どう頑張っても腹辺りで顔がくっついてしまう。 背伸びをしても胸が限界だった。
 あの心地良さが味わえないと思うと急に寂しさが込み上げて来た。ズボンと服を乱暴に掴んで唸ってやる。

「ん〜!」
「ムキになっても背は戻らないぞ?」
「じゃ抱っこ」
「ヴィヴィオみたいな事を言うな」

 屈託の無い笑顔で、クロノ。
 管理局という一つの世界を離れて、二人だけのささやかな時間を共有する時、クロノは艦長として艦橋の中心に立っている時には想像もできない柔らかな表情で、 フェイトを受け入れる。そして、家族や同僚にも見せない表情をするのだ。

「だめ?」

 フェイトにしか見せない、偽りの無い表情だ。少年時代の背伸びをしていた、どこか違和感のあった余裕ではなく、大人になってから本当に出て来た余裕を持って、 彼は大切な女性と接する。
 それが他に喩えようがないほどに嬉しくて、クロノを独占している優越感と満足感に浸る事ができる。今日と明日、クリスマスという祝日を誰にも邪魔されず、 後ろ髪を引かれる思いも抱かず、彼と二人でゆっくりと過ごせる。
 そんな現実と、理由は分からないが小さくなってしまった事で、フェイトの思考は徐々に日頃の凛然さを失っていく。

「小さくなってるから抱っこしやすいよ?」

 手を伸ばせば届いたクロノの頬に、今はどんなに背伸びをしても決して触れる事もできない。それでも諦めないフェイトの姿は父親に抱っこを強請る子供のようだった。

「君はどちらかと言うと子供を抱く方だと思ってたけど」

 抱き上げられたフェイトは、クロノが腕と胸の間に作った隙間にすとんと納まった。なのはがヴィヴィオを抱き上げた時のようにはいかないのは残念だったが、 あの甘えん坊な少女の気持ちが痛いほど分かった。
 これはなかなか。ベッドの中とは違った幸せを満喫できる。

「たまには逆転してもいいかなって」
「たまに、な。いつも小さくなられると僕が困る」
「私も困るかな」

 こんな思考と理性に麻痺症状を与えて来るシチュエーションが続いては、こちらの身が持たない。クロノの服を摘んだフェイトは、頬をほのかに赤くして彼の 胸に頭を預けた。



 ☆



 誰にも邪魔されずにゆっくりと時間の経過を楽しむというにも、一つの趣向であろう。多忙な二人には、むしろそんな時間の方が貴重なのだ。こんな時でもなければ まず取れないし、それぞれに重責を担っているのだ。憂いを募らせているゆとりがあまりに少ないのである。
 怠惰的に、自堕落に、それこそそれぞれの体温に溺れるように過ごすのも存外悪い事ではないなとクロノは思案していたが、昼を目前にしたところでフェイトが不満そうに 身じろぎをした。
 自分でさえ本当に見ているかも疑わしいテレビの前。リビングのソファの一つだ。背中を抱かれるようにクロノに納まっていたフェイトが、ひょっこりと顔を覗かせる。

「お腹空いたね」
「騒いでて朝食を食べ損ねたからな。何か作るか?」

 食材の刻みはフェイトがこなして、味付けはクロノがする。二人きりのわずかな時を、そんな風に料理をして過ごす事もあった。
 空腹も感じ始めていた頃でもある。なるほど、良い選択肢だ。
 ソファを離れようとするクロノだが、同意してくれると思っていた肝心のフェイトが首を横に振って難色を示した。

「外に食べに行こう」
「クリスマスだからか?」
「……クロノと一緒にご飯作るのもいいけど、それは何度もしてるし。せっかくのクリスマスなんだから、違う事したいなぁ」

 つまり、外食にしようという事だ。フェイトとキッチンに立った経験は多いが、二人だけでどこかに食事に出かけた回数は決して多くはない。恋仲になって一体何年 が経っているのか。何とも情ない気持ちに駆られてしまう。そんな風に感じたのはクロノだけではなく、もちろんフェイトもそうだった。

「分かった。じゃあ外に出ようか」
「うん!」

 そんなこんなでそそくさと外出の準備を済ませた二人は、仲良く手を繋いで繁華街へ繰り出した。
 平日だが、クリスマスイブという祝日を迎えていた街は賑やかだった。街中に作られた巨大なクリスマスツリーには、昼間だというのに煌びやかなイルミネーション に彩られ、店先に作られている幾つもの露店もあり、街全体にいつもと違った雰囲気が漂っていた。ちなみに、歩道を歩くのは、もちろん男女が多い。

「どこに入る?」
「クロノと一緒ならどこでも」

 等とどこか初々しさの残るやりとりをしつつ、カップル通りを化した歩道を歩くクロノとフェイト。寄り添うような二人は、何も起こっていなければ仲睦ましい 恋人同士なのだが、今はそうでもない。何せ二十五歳のクロノを手を重ねているフェイトは九歳なのだ。
 歳の離れた兄妹では無理があるし、かと言って父親と娘で通すにも少々強引だった。一歩間違えれば変質者扱いされかねない感じではあるが、黒いレザージャケット を羽織ったクロノに幼女を誘拐してあれこれしてしまうような危険な雰囲気は皆無である。清潔感溢れる凛とした顔立ちに、スラリと伸びた長身。思わずフェイトが 人目も気にせずにベッタリしてしまうほどだった。
 街そのものが浮いているので、変な視線に晒されるような事は無かったが、どうにもクロノは生きた心地がしなかった。

「フェイト。もう少し離れてくれないか……?」

 恐る恐る言うと、途端にフェイトはむくれてしまう。小さな両手で、クロノの手をしっかりと掴んで離さない。

「……くりすますいぶ……」

 そんな風に上目遣いで見られてしまっては、クロノとしてはどうする事もできない。縮んでしまったフェイトは、無垢な小動物が持つ形容し難い可愛らしさを持っているのだ。 思わず人目も憚らずにはぐはぐしたい衝動に駆られる。
 溜息をついてグッと堪えたクロノは、ひとまず近場のレストランに入る。もちろん全国チェーンのファミリーレストランではない。喫茶店にも見える、 落ち着いた空気を持つ店だった。たまの休日に海鳴に戻って来た時、いつかフェイトと二人で入りたいなぁと、ワーカーホリックな彼にしては珍しい想像をしていた 場所である。

「クロノ、こういう所知ってたんだ」
「前から眼をつけてた場所だよ。ほら」

 小さなテーブルにつき、椅子を引いてやる。ちょこんと腰掛けるフェイト。向かいの席に座ると、ウェイトレスがメニューを持って来た。

「……結構高いね」
「今更気にするような事じゃないだろう。どれにする?」

 ウェイトレスは二人の事を歳の離れた兄妹と思ったのか、メニューと格闘するフェイトを微笑ましく見守っていた。
 取り合えずオーダーを終える。ウェイトレスがメニューを持って下がると、店内BGMのクリスマスソングだけが二人を包んだ。硝子越しに歩道を歩いて行くカップル達が見える。 待ちに待っていた日を迎えているのか、皆が一様に幸せそうに笑っていた。
 頬杖をついて外の様子を傍観していると、フェイトがまたむくれている事に気付いた。

「今度はどうした?」
「こっちも向いてよ」
「……?」
「綺麗な人でもいた?」

 そういう事か。喉を鳴らそうとする可笑しさを、クロノは必死に抑える。
 赤い双眸には露骨な不機嫌さが漂っている。こう見えてフェイトはとても寂しがり屋だ。元々が遠慮がちな性格なので形を潜めているところもあるが、クロノに対しては 割と容赦が無くなる。独占欲とまではいかなくても、何とか自分だけを見てもらうようにあれこれと努力をするのだ。こういうプライベートな時でもなければお眼にかかれ ないが。
 嫉妬するフェイト。そんな彼女がいつもよりずっと可愛らしく思えて、思わずいじめたい衝動に駆られてしまう。

「さぁ。どうかな」

 わざと曖昧な答えを投げてやると、フェイトはキョトンと眼を瞬かせた。否定されると予想していたのだろう。うろたえた少女は身を乗り出して訊ねる。

「ど、どんな人?」
「どんな人だろうなぁ」
「は……はっきり、してよ……」

 沈む声。視界いっぱいに広がっていたフェイトの顔が泣き顔になっている。
 今度はクロノが慌てる番だった。

「もちろん嘘だって」
「……ほんと?」
「外を眺めてただけだよ。凄い人だなって。女の人は見てない」
「……じゃ、こっち向いてて」

 両の頬を左右から挟まれて強制的に前を向けさせられて、その場で強制固定。フェイトは満足げに肯いて腰を戻すと、テーブルに頬杖をついてにっこりとクロノを 見詰めた。背の高い椅子なので、フェイトは足をぷらぷらさせて、ご機嫌な様子で赤い瞳を細める。
 単純に可愛いなぁと思ってしまう。普段のフェイトには凛然とした大人の雰囲気を持っているが、こちらの小さなフェイトは儚い硝子細工のように思えた。触れたら 壊れてしまいそうだ。そんな錯覚も本気で信じてしまう。
 手が勝手に彼女に伸びて行く。ぷにぷにの頬に指を這わせて、感触を味わう。

「くすぐったいよぉ」
「昨日の夜より柔らかい」

 一瞬にして朱色になるフェイトの頬。

「ち、小さくなってるからだよ!」

 大声を張り上げる少女。他の客達が何事かとこちらを見て来たので、慌てて手を引っ込めると、フェイトが残念そうに息を漏らした。

「くろの、もっと」
「……早く大人に戻ってもらわないと拙いな……」

 変な気が起こらないのは不幸中の幸いだが、事ある毎に赤い瞳を潤ませられてはこちらの身が持たない。その上街中だ。身体を突き動かす『小さなフェイトをはぐはぐ したくなる』衝動を抑制するのも一苦労である。
 悪戯は拙いと反省して、クロノは料理が来るまでの間、フェイトの頬をいじり続けた。その度に何故か艶のある呻き声を上げられるので、内心冷や汗ものだったが。 やめようとするとトライデントスマッシャーよりも強烈な視線攻撃が来るので、クロノには拒否のしようが無かった。
 注文の品を運んで来たウェイトレスが、ちょっと怪しげな二人に小首を傾げつつ伝票を置いて行く。そこいらのファミリーレストランでは食せない料理を、フェイトは 小慣れた手付きでナイフとフォークを操る。執務官には高い社交性も求められるのだ。テーブルマナーも大切なのである。

「くろの、あ〜ん」
「そう思った側からこれか」
「何が?」
「……何でもない」

 小さく切られた子羊のソテーがフェイトの手によってクロノの口に納められる。近くの客の眼が若干気になったが、まぁ他もやっているので問題無いだろう。ほとんど 投げやり的な判断だった。
 味は料金的にも納得のものだった。店の雰囲気もいいので、今度は家族連れで来ようかと思案してみる。すると、三度不機嫌そうな顔をしているフェイトと眼が合った。

「くろの。私も」
「あ〜ん?」
「うん、あ〜ん」

 小さくなるのは外見だけにして欲しい。そんな事を強請るような女性ではなかったはずなのだが。
 そんな疑問は、隣の席で男女が同じような食べさせ合いをしているのを目の当たりにして納得した。魔法に於いても法に於いても潤沢な知識と高い素養、経験を持つ フェイトも、こと男女間の事柄に関しては新米魔導師である。それは一重に仕事に忙殺されていてクロノとゆっくりしていられる時間が無かった事が最大の原因なのだが。
 甘え方が良く分からないフェイトとしては、そうやって側から情報を収集するしかない。そしてそれを即座に実行に移す。クロノが困ろうがどうしようが、彼女には その他の甘え方が良く分からないのだ。

「同じのでいいか?」
「うん♪」

 そんな愛する女性の不器用な甘えを拒絶できるはずもない。気恥ずかしさを覚えながら、クロノも子羊のソテーを小さく切り、控えめに開かれているフェイトの口に 納めた。
 そうやって、二人はゆっくりと料理を消化していく。これだけ苦労する食事は管理局次元航行部隊の上層部が開催した将校パーティー以来だ。救いだったのは、常に 満面の笑みでいるフェイトが唯一無二の相手だった事であろう。
 ただ、一つ気がかりだったのは、フェイトが時々店内のカップルを遠巻きに見ていただった。声をかけると何でも無いと首を横に振り、少し寂しげに微笑むだけ。
 不思議に思いつつも、クロノは特に聞くつもりは無かった。



 ☆



 今の生活に不満がある訳では無かった。
 管理局史上に残る騒乱となったJS事件も、その事故処理も完全に終わっている。機動六課も試験運用期間を経た末に解散し、あの時は初々しい新人だった構成 スタッフ達は、今はそれぞれの現場で立派に勤めを果たしている。ナンバーW以降の戦闘機人の社会復帰カリキュラムも順調に消化していて、スバル達の近況と共に ティアナが色々と報告してくれていた。
 八神家はアギトという新たな家族を迎えて、これまで以上に騒々しくなっている。家長たるはやても、JS事件以降は憑き物が取れたように生き急ぐような事は 無くなった。最近はそろそろ彼氏が欲しいなぁと言ってシグナムを悩みの渦中に放り込んだぐらいだ。
 懸案事項としてはなのはがまた無茶をしないか、ぐらいである。ヴィヴィオという娘を得た今なら、自分の身が危険に陥る事態からは遠ざかるだろうが、やっぱり不安だ。 その辺り、ユーノをせっついて何とかしなければとフェイトは思っている。要は早く身を固めてしまえ、という事だ。ヴィヴィオの父親として、ユーノならば誰よりも 安心できる。
 そこまで考えると、フェイトは何となく寂しさを感じてしまう。胸の奥に隙間風が吹き込み、何故か言いようの無い孤立感がすとんと落ちて来るのだ。それを止める術 は残念ながら無い。
 一体どうしてだろう。仕事に追い回されている最中は気にも止めない事なのだが、ふと手が止まった瞬間や、わずかな休日の時に痛感させられてしまうのだ。
 そんな時、決まって側にはクロノがいた。用事があってクラウディアの艦長室を訪ねた時や、プライベートで休日を合わせて二人だけで過ごしている時だった。
 順風満帆な皆に置き去りにされている。大切で大好きな人もいてくれる。被害妄想も甚だしいと呆れてしまうのだが、そんな風に考える自分を止められない。
 今もそうだった。レストランを出て、ウィンドゥショッピングを楽しんでいるこの瞬間に、フェイトは言い知れぬ不安を抱かずにはおられない。
 どうしてこんな時に、この訳の分からない寂しさを感じてしまうのだろう。自分は一体何が不満なのだろう――。

「疲れたか?」

 映画館を出た時に、クロノが言った。

「ちょっとだけ」
「体力まで落ちてるか?」
「う〜ん、どうかな。昨日クロノに沢山泣かされちゃったからかな?」
「……すまない」
「うそ、冗談。半分本気だけど」
「……自重する」
「し……しなくてもいいって。くろのの、その……してくれること、は……恥ずかしいけど……すき、だよ?」
「……い、いや、まぁほら。君も小さくなってるし」

 別に構わないのだけど。そんな言葉はそれこそ自重しておいた。
 手を組んで歩いて行くカップルが眼につく。小さくなるという予想外なアクシデントがあれば、自分もああやってクロノと腕を組んでいたはずだ。今は手を繋ぐのが 関の山である。その上でほとんどしがみ付くような、些か格好の悪い姿勢で歩道を練り歩くのが限界だった。
 空の色が少しずつ変わり始めていた。日はゆっくりと傾き、快晴だった青い空には白い色が落ち始めている。小一時間も経てば茜色が覆いかぶさり、ライトアップ されたクリスマスツリーや商店街が年に一度の時を迎えるだろう。
 そろそろマンションに戻る頃合だろうか。夕食は家で摂る事になっている。帰り道に良く使うスーパーに寄って、クロノにワゴンを押させて買い物をするのだ。実は フェイトのささやかな夢であり、心も踊っているはずだった。

「………」

 でも、今は緩やかな湖面のように心は落ち着いていた。それどころか、徐々に気持ちが重くなって行くのを感じてしまう。
 明日もクロノと一緒に過ごして、明後日からはまた忙しい日々が待っている。穏やかに年越しができればいいと願いつつ、抱えている事件の量やら何やらを思えば、 それは無意味な事だと思い知らされてしまった。
 所属艦が同じな以上、クロノと離れ離れになる事は無いだろうが、逆にそれが辛くなってしまう場合もある。
 すぐ近く、すぐ側にいるように、構ってもらえない。
 手を伸ばせば届く場所にいるように、なかなかその手を取ってもらえない。
 大好きな彼を、仕事に独占されてしまう。自分だって似て非なる状態だが、まだマシだと言えた。
 なかなか会えないなのはやユーノより、ずっと恵まれているのは分かっている。でも、辛いものは辛いし、寂しいと弱音を吐くのは本心だ。
 漠然と感じた不満は、もしかしたらこれなのかもしれない。いや、そうだ。クロノが側にいる時に軋みすら感じてしまうほど胸を締め付けられる不安感の正体は、 きっとこれだ。

「やっぱりどこか調子でも悪いんじゃないのか」
「そんな事無いよ。クロノと一緒だもん、元気いっぱい」

 今の生活に不満なんて無い。無いが、満たされていない自分がいる。
 それは、今こうやって手を繋いでいるはずなのに、どこか遠くにいるように錯覚してしまうクロノという存在が原因だ。
 もっと近くで。もっと強く。離さないように抱き締めて欲しい。仕事なんて放り出して、ずっと自分とだけ過ごして欲しい――。

「……私ってこんなに我侭だっけ……?」

 何せフェイトは無欲な性格だ。今まで欲しいと思ったモノは決して多くは無い。それに、それらは物ではなく者だった。
 そして、そのほとんどが今は側にある。だから、これ以上のモノを欲しがるのは自身の我侭以外の何者でもないと思った。

「何か言ったか?」
「ううん、何でもない」

 でも、欲しい。昨日の夜みたい。

「今日は早めに休むか」
「クロノがそうしたいなら。……身体は小さいけど……頑張るから、ね」
「……君は僕を犯罪者にしたいのか……?」
「ふぇ?」

 言葉の意図が分からずに首を捻ると、大きな掌が覆いかぶさるようにして頭を撫でて来た。

「しかし、心配だな、小さくなったままというのも」
「取り合えず身体は何とも無いけど」
「それは分かるけどね。病院に行ってもしばらく一緒にいるから」

 トクンと心臓が鳴った。喜ぼうとする表情を理性が無理矢理残念そうにさせる。

「え……そ、そういう訳にはいかないよ」
「艦長職と君の身体。どちらが大切だと思う?」
「そ、そんなの私には分からないよぉ」

 泣きそうになりながら、フェイトは後者であって欲しいと願う自分に自己嫌悪を覚える。
 クロノはどんな事情があっても職務を放棄するような人ではない。誰かの我侭に付き合って疎かにするような人でもない。
 フェイトだから。誰よりも大切に思う子だから、そんな風に言ってくれるし、後者を選ぶ事を確信できる。
 自分は何て嫌な子なんだろう。フェイトは思う。生真面目なクロノが仕事よりも自分を優先してくれた事を嬉しがっている。女の子としては当然かもしれないが、 彼を想うのなら、心配無いよと突っぱねるべきだ。
 そうできない――いや、そうしない自分が嫌になる。制御の利かない心中がクロノを独占したがる。クリスマスなんて関係無い。自分だけをずっと見ていて欲しい――。

「君に身体に決まってるだろ」
「……う、ん……」
「元に戻るまで安心できないさ」
「……じゃ、もし元に戻らなかったら?」

 ずっと一緒にいる。そんな答えを期待して訊ねてしまった。

「それは僕も色々と困るが……まぁ、今までと変わらないさ」
「小さいと……一緒に……いてくれるの?」

 もしそうだとすれば、一生このままでもいい。そんな身勝手極まりない事を、フェイトは思わざるを得ない。
 握った手にぎゅっと力を込める。緊張で汗ばんで滑ってしまう。そんな震える手を、クロノは笑顔で握り返してくれた。

「小さくても小さくなくても変わらない」
「……?」
「僕が……君が好きだって事は変わらない。絶対にね」



 ☆



 目的地も決めずに見慣れた街を闊歩して、露店やブティックを冷やかし、買い物をして、帰路につく。
 何の変哲もない、逆に言えば面白味の無いデートだ。我侭な女の子なら、センスが無いだの何だのと唇を尖らせるに違いない。
 そんなデートを、フェイトは楽しんだ。昼食を摂った後から渦巻いていた鬱蒼とした感情はどうにもない。
 ――僕が……君が好きだって事は変わらない。
 その一言で十分ではないか。
 確かに一緒に過ごせる時間は限られている。顔を合わせるどころか、声を聞けずに数週間経ってしまうのもある。そんな時、彼はどうしているだろう。自分と同じように 会えない事に心を締め付けられているだろうか、鳴らない携帯電話にほのかな期待を抱いて見詰めていないだろうか。沢山の可能性と切望を持ってしまう。
 でも、クロノは言ったのだ。君が――フェイトが好きだって事は変わらない。絶対にという断言を付けて。小さくても、小さくなくても。きっと、何があっても。

「そんな風に言われたら……もう何も言えないよ」

 心を支配して軋ませていた独占欲も我侭も、その矛を収めた。もしかしたらまたひょっこりと顔を出すかもしれないが、その時は遠慮を無くして携帯電話を鳴らして やればいい。寂しかったら、悲しかったら、辛かったら、電話の向こう側から聞こえて来るクロノの声と息遣いに耳を澄まして、言葉だけでもいっぱいいっぱい甘えれば 良い。
 自分には、その権利があるのだから。

「何か言ったか?」
「何でも。クロノはなかなか我侭言わせてくれないなぁって思っただけ」
「そうか? 君は昔から遠慮気味だから、そのせいじゃないか?」
「あ。私のせいにするんだ」
「そうとは言ってないだろ」

 二人はささやかな口論を交わしながらマンションの共通廊下を行く。手はずっと繋ぎっぱなしだ。暖かな手は仲良くくっついて離れない。如何なる瞬間接着剤も勝てない 結合力を絶賛発揮中だ。

「先にご飯にする? お風呂?」
「君の意見は?」
「……くろのと……ぉおふろ……」
「いや、今日は別々に入らないか?」
「……何も即答しなくてもいいんじゃないかな……?」

 苦笑いをして逃げ出したクロノが家の扉に鍵を差し込もうする。

「……空いてる」

 出る前にしっかりと施した戸締り。その大元である正面扉が普通に開いた。
 マンションにとしては広々とした玄関には、見慣れたパンプスと子供用のスニーカーが二足揃っている。

「母さん?」
「アルフもいるのかな……?」

 パンプスはリンディ。子供用のスニーカーは省エネモードで少女の姿になったアルフの外履きだ。
 二人とも仕事で明日までは戻らないという話だった。もちろんそれが建前で、実はクロノとフェイトを実家となった海鳴で二人きりにさせてやろうという気遣いだ。 時空管理局の提督と執務官の恋愛は、その辺りの遠距離恋愛が可愛くて仕方が無いほどに難しい。
 ともあれ、リンディとアルフが戻って来ているのは事実。二人は顔を見合わせて靴を脱ぎ、リビングへ行った。

「おう、お帰りフェイト〜。それとクロノも〜」

 省エネフォームなアルフがとことこと寄って来た。十九歳のフェイトとの背丈の差は九歳の頃は真逆も良いところだが、今は九歳くらいの身長になっているので 目線はほぼ同じだ。
 リンディはキッチンで夕食の支度に追われていた。彼女は挨拶も早々にクロノが手に提げている買い物袋を見てポンと掌を合わせた。

「あら。今丁度お買い物に行かなくちゃって思ってたとこなのよ。冷蔵庫の中に良いものが無くて」
「母さん、あの、夕食の用意なら私がしますから。えっと……」
「仕事はどうしたんだ、二人とも」

 唖然としてそう言うクロノに、リンディとアルフは難しそうに表情を緩めながら、そんな顔を見合わせて、

「いえね、本当は今日一日私もアルフも戻って来る気無かったんだけど」
「フェイト、小さくなっちゃったんでしょ? 黙ってても私の精神リンクで分かっちゃうもん」
『――あ』

 喩え現役を退いてフェイトの返る場所を守るという選択を取った今のアルフでも、精神リンクは当然立派に維持されている。互いのプライベートを尊重して随時接続 という事は無くなったが、何も無ければ普通に繋がっている。今朝も、フェイトは出掛ける前に日常の一環で昨夜切ったリンクを再接続させていた。その時にフェイト 側の異変がアルフに伝わったのだろう。

「何か魔力の流れがいつもより鈍いというか、こう、おかしいなぁって思ったんだ」
「で。丁度ユーノ君に用事があって、二人で彼の家に行ったの。そしたらヴィヴィオが」

 アルフが感じたフェイトの違和感を、ヴィヴィオがポロリとこぼした話が補完したというところだろうか。

「もう、フェイト。いくらクリスマスだからって、無理してイチャつく事ないでしょ?」

 ビシッとフェイトの鼻先を指差すアルフ。まったくの正論で反論の余地は無いが、それでもフェイトは健気に言い訳を思案して、

「か、身体に異常とか、そういうの無かったから、休み明けでもいいかなって……」
「クロノもクロノよ? あなたの可愛いフェイトに何かあったらどうするの?」
「あの、母さん。注意してるはずなのに何でそんなに嬉しそうに言うんですか?」

 頬を朱色にするクロノ。ただ弄られるだけなら、彼も幼少の頃から望んでもいないのに慣れている事だろう。そこにフェイトという異物が混ざると状況はガラリと 一変する。恋仲になって数年、未だに彼女との事を冷やかされるのは慣れない青年提督である。

「まぁいいわ。危険があればあなたが本局へ連れて来たでしょうし。ただね、こちらでユーノ君やクラウディアのエイミィに連絡を取って色々原因について調べた んだけど……」
「私がこうなった原因をですか?」

 服の裾を摘んで見せて、フェイト。
 リンディは十年前に戻った娘の頭をひと撫でして、クロノに言った。

「クロノ。あなたが先日ユーノ君に資料請求したロストロギア、覚えてる?」

 すると、クロノは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。

「……今朝ユーノと話した時、もしかしたらと思ったんですが……」
「そういう事。原因はほぼそれだろうというのが、私やアルフ、ユーノ君、エイミィ全員の一致よ」
「クロノー、あんたちょっと迂闊過ぎだよー。こんなんじゃ安心してフェイトを任せらんないから」
「いや……済まない。弁解の余地は無いな」

 唇を尖らせて仁王立ちのご立腹ポーズを取るアルフ。リンディは苦笑を浮かべて頬に手を当てて溜息。子供を嗜めるような二人に、クロノは頭が上がらない様子へ 項垂れるばかりだ。
 一人事態についていけないのは、当人であるフェイトである。

「ク、クロノ。あの、結局どういう事なの? ロストロギアって……?」
「ああ。まだ本決定じゃないから君にも伏せていたんだが、ジュエルシードを一つ、指定の次元世界に輸送する事になったんだ」

 これはまた懐かしい名前が出て来た。JS事件の折、管理局の古代遺失物管理部の下から数機が流失して、ガジェットドローン三型の主動力に流用された事があった。 その後は再回収されて、本局内に厳重な管理体制で封印されている。
 フェイトのはじまりであり、あれが無ければ、今彼女はこうしてはいない思い出の品だった。

「JS事件での流失の原因は今も特定されていない。輸送に関しては遺失物管理課所属の信頼できるメンバーに任せて秘密裏に行うつもりだった。 計画としては週明けにクラウディアに積んで出発予定なんだが」

 言葉を切ったクロノは、場を濁すように後頭部を掻く。彼らしかぬ煮え切らない態度。
 アルフが肩を竦めて口を挟んだ。

「何か懐かしくなったらしくてさ、本局に用事ついでに見て来たんだって」
「ジュエルシードを……?」
「ああ。ユーノと一緒にな。あれは……君やなのはのはじまりで、ハラオウン家にもなかなか忘れ難いものだから」

 少年時代から座右の銘は質実剛健と揶揄されて来たクロノにしては感傷めいた行動だろう。でも、それは小さな頃の話だ。提督としても艦長としても、倍以上生きている 歴代の勇士達に負けない貫禄をクロノは身に付けて、背伸びをしていた子供はとうに卒業している。態度は硬さを無くして、思考は包容力を手にしてずっと柔軟になった。 不器用な優しさや愚直さは殆ど変わりないのだが、そこがフェイトが好きなところだった。
 ジュエルシードの名を聞いて、記憶の片隅に大切にしていたセピア色の過去を追想し、もう一度眼にしたいとクロノは思うかもしれない。
 だが、クロノが思い出を偲ぶ為にジュエルシードを自身の眼で確かめた事と、フェイトの身体が十歳前後に退化してしまった事に関連性があるとは想像も予想も難儀だ。 今の輸送に関する計画にしても、クロノが総責任者なのだろうが、厳重封印されている古代遺失物を易々と眼にはできない。民間への技術供与的な観点で開放が 認可されたロストロギアでも、ジュエルシードの性質は次元干渉型の高純度高エネルギー結晶体。しかも一度は次元犯罪に利用されている。見るだけでも相当面倒な手続き 等が必要なはずだ。
 そう考えていると、フェイトの頭の中で漂っていた点と点が線で結ばれ始めた。雑然になった思考を理路整然とさせて、じっくりと情報を吟味する。
 小さくなった自分。
 直前にジュエルシードを望んでいたらしいクロノ。
 【願いを成就させる】という触れ込みを持っていたジュエルシード。
 しかしながら、その願いは使用者の思い描く形では決して現実にはならない。
 フェイトはクロノとそっと見上げる。
 もしそうなら、小さくなってしまった理由が想像した通りなら――。

「クロノ、ジュエルシードにお願い……しちゃったの?」

 フェイトと、自分と一緒にいたいと、彼はジュエルシードに渇望したのかもしれない。
 少女に手をぎゅっと握られた青年提督は視線を宙に泳がせる。こめかみに光る一滴の汗。喉仏がコクンを鳴ったのをフェイトは見逃さない。
 らしくもない黙秘を選択したクロノに代わって、リンディが言った。

「それ以外にフェイトが小さくなる理由が思い当たらなくて」
「ロリコーン」
「……それはロストロギアに言ってくれ。僕はフェイトともう少し一緒にいたいと思っただけだ。小さくしてくれとは頼んでない」
「ほんと〜? あ、もしかして私このままでいるの危険かな?」
「危険かもしれないわね〜アルフ」

 どうやら予想は的中のようだ。
 クロノはフェイトと一緒にいたいと、そう願った。喩え賽銭箱に小銭を投げ込むような酷く気軽で小さな思いであろうと、彼がそう思ってくれた。
 自分だけでは、なかった。
 やりたい事ができて、守りたい人達に囲まれて、充実した順調な日々の中であっても満たされていなかったのは自分だけではなかったのだ。
 大好きなクロノもそうだったのだ。
 もっと時間を共有したいというクロノの願望がどういう形でジュエルシードに伝播したか不明だが、身体に何らかの異変が起これば日々の仕事に支障が出るのは明白だ。 身体の縮小はその異変なのだろう。

「朝、ユーノと話した時にまさかとは思ったんだが」
「昔、仔猫がジュエルシードで大きくなった事があったんだ。それの逆って感じ……なのかな?」
「そういう事。それも懐かしいねぇ」

 それも仔猫のサイズが数十メートルサイズに巨大化するという歪な形だった。思えば大人の身形のまま縮小しなくて済んで良かった。

「過去の経験上、ジュエルシードの魔力余波が消えれば元に戻るのは分かってるから、特に問題は無いでしょう」
「残念だったね〜ロリコン提督。多分今日限りだよ〜小さなフェイトたんは〜」
「アルフ。君はどこでそういう言葉を覚えて来るんだ……?」
「あ? ん〜無限書庫で色々整理してるとね、そーいう本とか出て来る。最近ヴィヴィオの出入りが激しいから隠すの大変でさ」
「淫獣め……!」
「そりゃあんたもでしょ?」

 毒づくクロノの脇に容赦の無い打撃を見舞うアルフ。青年提督は苦悶の表情で身体をくの字にして背中を震わせる。
 ジュエルシードの魔力余波の影響は非常に強力だが、フェイトが知る限り、今は封印処理が施されて微弱になっているはずだ。リンディの言う通り、放置しても 問題は無い。明日には元の身体に戻るだろう。
 クロノと一緒にいられる時間も終わる。また慌しく寂しさを感じるのも難しい忙しい日々が待っている。近いようで遠く感じてしまう距離が、また二人の間に寝転ぶ。
 このままなら、クリスマスを終えた翌日からの仕事も体調不良を口実に休める。身勝手だと無責任だと自覚しながら、一度は儚くも想像した。

「……でも、いいよね」

 そんなのは想像だけにしておこう。それで時々ふって湧いて来る寂しさを紛らわせば良い。
 クロノも同じ思いでいてくれる。一緒にいたいと、そう願ってくれている。
 距離と時間がすれ違おうとも、想いはすれ違わない。
 それで十分ではないか。

「何か言ったか、フェイト?」
「ううん、何でも」

 ――予定していたのとはちょっと違ってしまったクリスマスだったけど。

「明日、また一緒に街見て回ろうよ。元の私と、ね?」

 クロノのその想いが、ジュエルシードからのちょっと変わったクリスマスプレゼントだ。





 Fin.











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