魔法少女リリカルなのは SS

デーモン高町との名言を残した少年士官の三日間

一日目 後編







 アストラ・ガレリアン陸曹は、ヴィータにとって不可思議で理解に苦しむ少年である。
 デバイス暴走事件解決後、不足した地上本部の戦力増強・補完の為に本局武装隊からクラナガンの西部に隊舎を置く陸士108部隊に転属。合わせて現在の階級に昇進。下士官の中でもそれなりの地位が用意されたので、一般的に栄転という捉え方もできる。
 歳は現在十三歳。中肉中背と評価するには少々細い体躯で、適当なざんばらの髪は栗色。普段着の趣味嗜好までは知らない。そこまで親しい間柄でもない。
 性格は、四文字熟語にするなら即断即決。恣意的ではないが粗雑で、私生活は怠惰的。口より先に手が出る上に粗暴。知能はお世辞にも高いとは言えず、昇進時に行われた形だけの試験では、その筆記の点数があまりに壊滅的で上官達の間で協議されたほどだった。
 取得している魔導師のランクはB。基礎魔力容量では特別秀でたところはないものの、単純な戦闘技能を考慮した場合、Aランクに相当する実力は保有している。それでもBランクに留まっているのは、彼の現在の上官――陸士108部隊の前線分隊隊長兼捜査官の資格を持つ女性准陸尉の判断である。
 基礎級高速魔法すらまともに運用できない不器用さ。猪突猛進を絵に描いたような戦闘スタイル。女性准陸尉にとって、Aランクへのランクアップは彼自身や周囲への危険度を考慮すれば到底許可できないものだったのだろう。それをなのはから聞いたヴィータはまったく以ってその通りだと、厳かに肯いたものだ。
 ともあれ、以上がヴィータのアストラへの見解である。性格だけなら歳相応の少年なので特別不思議でも、況してや気を惹くような相手でもない。
 では、何故理解に苦しむ存在なのか――。

「んで、お前はそんなの聞きたくて、わざわざこんな所にまで来たのか?」

 肩を並べて歩けば、アストラの身長が二年前と比べて随分と伸びている事に気付く。
 彼が転属となる以前は所属先が一緒だったが、あくまでも書類上の事であり、特別捜査官補佐という肩書きで八神はやてに随行していたのが常。粗暴な少年下士官と肩を並べて戦線に立った回数は、それこそ片手で数えられる。
 ――男ってのは背が伸びるの早ぇんだな。ぼんやりとそんな感想を抱く。

「おう。まぁ、前々から興味あって来てぇなぁって思ってたのもあるけどよ。あのデーモン高町やお前ら、先輩達が住んでる世界ってのは、こう、知的好奇心を刺激されるんだよ」
『紅の鉄騎。帰宅を急がれた方が得策です。我がマスターが小難しい言語を発している。異常気象が発生します』
「……てめぇ本気で俺を敬ってる? 一応俺所有のデバイスだろ?」

 次元世界は広く、また魔導技術等が普及している世界ではミッドチルダ式が最も標準的な術式として広く分布している。故にインテリジェントデバイスの稼働率も割合的に高い傾向にあるが、彼らのようにただの世間話の延長線上にあるような口論を交わす魔導師とインテリジェントデバイスは希少なはずだ。
 インテリジェントデバイスは、純然な魔導の入れ物たるストレージデバイスと一線を画する画期的システムである。自身の心を持ち、感情を秘め、意思を思考し、状況を吟味して咀嚼する。これは陸空に関わらず、戦闘魔導師にとって文字通りの『相棒』足り得る。しかし、時として秘められた意思が枷となる場合もある。問題は単純な意思疎通だけではない。操作する魔導師側に相応の技術や知識が無ければ、デバイスに翻弄される憂き目に合う。
 自身のインテリジェントデバイスと口論が絶えないというアストラは、本来ならそうした不甲斐無い魔導師に分類されるはずだ。それなのに、彼を取り巻く環境はその事実を根本から無視し、少年に陸士部隊分隊の一翼を担わせている。
 それが、ヴィータにとってアストラを不可思議な存在足らしめている原因だ。
 ヴィータはこれまで永い刻を生きて来た。
 道具として使役され、闇の書の完成の為に『敵』と呼ばれる存在を襲い、魔力を強奪し、数え切れないほどの魔導師達を打倒して来た。彼らの技は、身を持って熟知している。
 その視点で吟味した場合、アストラ・ガレリアンは歪であり非常識となる。ミッドチルダ式魔法を行使しながら、射撃魔法らしい射撃魔法を殆ど使用できず、徒手や突撃槍型インテリジェントデバイスを魔力強化して目標に叩き込むという『近付いて直接潰す』的なスタイルは、ミッド式ではなくベルカ式の専売特許だ。フェイト・T・ハラオウンも同様であるが、彼女は如何なる距離でも十二分なパフォーマンスを発揮する資質も経験も知識もあり、近距離で進化を発揮するタイプである。アストラとは本当の意味で次元が違うのだ。
 溜息をつくヴィータの横で、アストラと彼のインテリジェントデバイスの口論は続く。しかし、知性で劣るアストラがその発言の揚げ足を取られ続けるだけなので、果たしてそれを口論と呼ぶべきなのか疑問は尽きないが。

「おい、デバイスと喧嘩するなら他所でやれよ。ここはそういうのが無い世界なんだからさ」

 ここはミッドチルダ首都クラナガンではなく、魔法文化も魔導技術も無い第九十七管理外世界『地球』の極東地区『日本』である。さらに、海鳴市は凶悪事件とは縁の無い平穏無事な街。道路のど真ん中でシルバーアクセサリーに怒鳴り散らす少年というのは、そんな街では少々目立つもの。奇妙な視線の的になる。自転車を走らせて行った中年主婦が丁度そんな眼をしていた。
 少年下士官は、そんな値踏みをするような眼差しに気付きもしない。手を打ち、忘れていた現実を諭されたような神妙な面持ちとなる。

「そういやそうだったっけ。アンスウェラー、つー訳でお前黙っとけよ」
『我がマスターが不審な視線に晒されるのは愉快痛快ですが、心得ました』
「……なぁ相棒。俺さ、本当の敵ってのが今見えたぜ」
『そうですか、それは良かった。それでは』
「………」

 アストラは沈黙した相棒をおもむろに掴むと、眼線の高さまで持って行って睥睨。にんまりと笑った。最高の悪戯を思い付き、それを実行に移そうとした瞬間の子供を連想させる表情だ。

「くっくっくっ……俺を無視した事を後悔させてやる!」

 手首のスナップを効かせ、思い切り振り回す。それは激しく、情熱的に。砲丸投げの世界記録に挑む屈強なアスリート宜しく、十三歳の少年下士官は己が鋼の相棒を遥か彼方へ投擲せんと遠心力を与えて行く。
 ヴィータはもはや呆れ果てて言葉も無かった。デバイスに逆ギレした挙句、頭の悪い笑顔で待機状態のデバイスを振り回す陸戦魔導師とは存在していいのだろうか。
 その時――。

「あ」

 『スポーン』という擬音が最高に似合う勢いで、アンスウェラーがスッ飛んだ。華麗で優雅な放物線を描いたシルバーアクセサリーは、吸い込まれるように道路の脇にある小川に落下。せせらぎに身を任せてどこまで流されて行く。

「相棒ォォォォオオオオッ!」

 夕暮れ時の赤い空に、悲痛な叫びが空しく響く。

『何をされるのですが我がマスター!? 救援を要請します! げ、下水道が!?』
「くそ、待ってろよ相棒ッ! 今行くぜェェェェェッ!」

 勇猛果敢な海兵隊のように、アストラは何の躊躇も無く小川へ飛び込み、激しい水飛沫を撒き散らした。水を掻き分けて相棒を探し回るその様は、沈んだ戦友を救おうと必死になっている海兵隊そのものだ。
 水浸しになりながら、苦渋の面持ちで小川の底を蹂躙する時空管理局所属の戦闘魔導師を、ヴィータは絶句して眺めるだけだ。
 時空管理局は、喩え魔導資質の無い者でも、その訓練校に入学する事すら容易では無い。一般教養の他にも多くの知識が求められる。その中でも戦闘魔導師となれば、言わば精鋭だ。資質や才能に恵まれ、そして選ばれた者だけがその狭き門を潜り、制服に袖を通す事が許されるのだ。
 それなのに眼前の少年と来たら、行動も発言も、先ほどまでヴィータが大喧嘩していたガキ大将達と何一つ変わらない。一緒に遊んでいれば違和感なんて無いはずだ。

「思いだけでも、力だけでも……!」
『ふざけている場合ですか!? ああ、ゲル状の汚染液体がッ!?』

 アストラ・ガレリアンは馬鹿である。馬鹿でありながら、時空管理局に属し、クラナガンの陸士部隊で陸曹の階級を得ている陸戦魔導師である。これが、不思議でならなかった。



 ☆



 ヴィータまで手伝わされたアンスウェラーの捜索は、開始から数分で終わった。青苔やら粘着性のある正体不明の液体に絡まり、地下の下水道へ通じる洗浄用フィルターに引っかかっているところを無事に救出されたのだ。

「いやぁ、マジで良かったぜ」
「良かったぜじゃねぇ! 何であたしまで探さなきゃいけなかったんだよ!?」
「んだよ、そんな冷たい事言うなって」

 ずぶ濡れの少年と少女は川岸に上がり、石垣の上にへたり込んだ。氾濫の時には防波堤になるだろうそこは、夕焼けに照らされ続けた結果か、冷えた尻を暖めるには適任だった。
 頭上を飛んで行くカラスの群れが、濡れ鼠と化した二人を馬鹿にするように甲高く鳴いて去って行く。

「ちくしょー、はやてに買ってもらった新しい靴が……!」
「そんなの履いて喧嘩してたのかよ……」
「うるせぇ! 向こうから仕掛けて来たんだよ。こっちだって喧嘩なんかしたかねぇけど、友達がいじめられてたんだかさ」

 唇を尖らせたヴィータは気だるげに立ち上がり、湿ったTシャツの裾を掴んで雑巾のように絞り上げる。

「へぇ。じゃあ、てめぇは新品の靴が汚れるの分かってて友達助けたのか?」
「靴も大切だけど、友達はもっと大切だ」
「……なるほどねぇ」

 アストラもヴィータを見習い、水分を吸って重くなった上着を脱いで絞ってやる。水分を大量摂取していたのか、壮大な水音を響き、足元の石垣が黒々と濡れて行く。
 夕暮れに向けて屹立し、肩を並べて服を絞る少年と少女の姿は、何と言うか愚鈍だった。
 ヴィータと出会ったのは二年前のデバイス暴走事件である。事件の末期、クラナガンの地上本部に大量の暴走デバイスが雪崩れ込み、アストラは問題のOS――その辺り、今では直接の上司となった女性准陸尉から何度も説明を受けたが未だに理解も把握もしていない――の搭載を見送った首都防衛隊や戦技教導隊員達と迎撃戦を展開。追い詰められた所を増援部隊として送り込まれたヴィータ達に救われたのだ。それ以降からの付き合いである。
 付き合いとは言っても、共同で任務に就いた回数は数えるほど。戦友と呼べるほど深い関係でもない。顔見知りの知り合いという表現が適切だ。眼の上の瘤のなのはの方が濃密な付き合いである。
 そうした希薄な間柄ではあったが、アストラにはヴィータがただの顔見知りのようには思えなかった。言動も行動も、何となくだが自分と似ているという認識があった。

「ニヤニヤするな、気持ちわりぃなぁ」

 Tシャツを絞り終えたヴィータが、今度はスカートの裾を掴む。夕日の下に晒されるのは健康的な脚線。ほっそりとしつつ、しなやかな二つの足は水分で濡れ、淡い茜色の光をキラキラと反射する。しかし、そこに煽情的な感覚は皆無。
 故にアストラは一切意を介さなかった。彼は別の事象でその頬を皮肉げに歪め、頭一つ分以上の身長差のある赤毛の少女を見詰めた。

「ベルカの騎士様はお優しいんだなぁ」

 それは、アストラの本心。変な他意は無かった。
 ヴィータの顔が面白いように変わる。耳の先からうなじまで、西の空を灼熱色にしている太陽だって尻尾を巻いて逃げ出すような真紅に染め、頬が硬直したり痙攣したりした。

「だ! 誰が優しいだ!? この野郎、ニヤニヤするなって言ってんだろぉッ!?」
「ニヤニヤニヤニヤ」
「声に出すな馬鹿ぁッ!」

 高らかと跳躍するヴィータ。翻るプリーツスカートの奥には汚れを知らない純白の下着があり、『のろいウサギ』の何とも可愛らしくもない面が刻印のようにプリントされていた。
 それを目撃した次の瞬間、アストラの視界は暗闇に支配される。赤毛少女の鋭い蹴りが彼の顔面に炸裂したのだ。最近大好きな主に買ってもらって一番のお気に入りになっているという靴の踵は容赦無く少年下士官の頭蓋を圧迫。鼻の骨を砕く鈍い音が確かにした。

「ひでぶッ!?」

 きりもみ回転して、運悪く後頭部から石垣へ突っ込む。

「死ね!」

 如何なる品行下劣な言葉よりも直接的な罵声だ。心の底からそう願ってやまないほの暗い呪詛がありありと込められている。
 何と可愛げの無いガキだろうか。こっちは褒めてやっているというのに。

「まだだ! まだ終わらんよッ! 高町なのは打倒の為、てめぇからコツを聞かせてもらうまではなぁ!」
「そんなもんねぇ!」
「なにぃ!?」
「あいつの防御はマジでギガ硬いんだよ! あたしだってカートリッジ二発ぐらい使わないと突破出来ねぇんだ。てめぇじゃ一生かかっても無理だ!」
「レイジングハートと同じ事言うなよ! なんだよそれ! マジでねぇの!?」
「ありゃ、あいつと模擬戦やる時にもうちょっと楽になるって!」
「ちくしょぉぉぉぉぉおおおおおおおおおッ!」

 悲しみの奈落に突き落とされたアストラは、その絶望に耐え切れなかった。恥も外聞もかなぐり捨てて、顔面を涙と鼻水で水浸しにして石垣を爆走。川岸に沿って続く歩道へ飛び出した直後、散歩を楽しむ老夫婦を撥ねそうになる。

「あああああああ! ごめんなさい申し訳ございません生まれて来てすいません!」

 背骨を砕く速度で腰を曲げ、頭を下げまくって謝罪したアストラは、再び号泣しながら何処へと走り去る。
 走る事でしか、彼は絶望を処理する方法を思いつかなかった。フェベルとの約束を棒に振って遠路遥々ここまで来たというのに。これは酷い。あんまりだ。神は自分に怨恨でもあるのか。このまま、あの高町なのはを一生打倒出来ないというのか?
 ――否。断じて否。

「発想の転換だ! 物事を平面に捉えるな! 立体的に見ろ! 頭を捻ろ!」

 一度決めたら最後までやり遂げる。それがアストラが誇る美徳でもあり、諦めが悪いという欠点だった。

『我がマスター。意味を承知して言っていますか?』
「もちろんだ相棒! 押して駄目なら引いてみろって事だろ!?」
『……先代。あなたはこの少年の育成方針を間違われた……』
「原点に立ち帰ろう! クロノ先輩を捕まえる!」

 土埃を残しながら街中を爆走する。たちまちハラオウン家のマンションが見えて来た。

『ハラオウン執務官のお話では、クロノ殿は本局との事ですが?』
「フェイトに頼んで帰って来てもらおう!」

 何て厚かましい陸曹だ。階級無視もここまで来ると清々しいレベルだ。

『さすがに妹君でも、それは無理でしょう』
「甘いな相棒。あの二人はな、ラブラブなんだよ」
『相思相愛なのは知っています。しかし、だからと言って……』
「爺ちゃんが言ってた。目的の為なら手段を選ぶなって!」
『先代はそんな事は言っていません。それはどこの悪徳幹部ですか』

 暴走する少年下士官は、荒れ狂う猛牛すら仔豚と思えてしまう速力のまま、マンションの非常階段を駆け上がり、ハラオウン家の玄関を破壊する勢い――いや、かけられていた施錠を破壊したので、実質扉を破壊して室内へ上がり込んだ。

「フェイト! 帰ってるか!? クロノ先輩を……!?」

 言葉が勝手に喉の奥へと飲み込まれる。乱暴で粗暴でデタラメで無遠慮なアストラには珍しく、急転直下で失速して行く。
 玄関とリビングを繋ぐ廊下で、クロノとフェイトが抱き合っていたのだ。
 クロノは照れた様子で頬を掻いて、胸に顔を埋めるフェイトの髪を撫でている。
 そんな二人が、ゆっくりと玄関に立つアストラに視線を移した。
 沈黙は一瞬。脳裏を過ぎるのは、いつかフェベルが持って来た第九十七管理外世界の刑事ドラマの一幕。

「本局統幕議長が誘拐されました! クラナガン封鎖できません!」

 何故そんな映像が浮かぶのか、それを改めて思案するゆとりは無かった。



 ☆



 大乱闘をやらかして身体の節々が痛い。季節は夏間近でも川に飛び込めば身体も冷える。
 満身創痍で帰宅してみれば、傷だらけの上に水浸しという酷い有様に激怒した主から、制裁の拳骨を頭頂部に頂いた。
 何一つ自分が望んだ結果ではない。胸を渦巻く憤怒は一入だ。今なら、クロノの『世界はこんなはずじゃない事ばっかりだ』という言葉の意味を髄から理解する事もできる。

「ちくしょ、あの馬鹿野郎は……!」

 入浴剤入りのお風呂は格別だったが、それでも毒づきは止まらない。ヴィータは暖まった身体を乱暴に拭き終えると、湿ったバスタオルを洗濯機に叩き込み、パンツに脚を突っ込んだ。もちろんのろいウサギのプリント付きだ。
 苛立ちの原因は、当然あの腹立たしい下士官である。理難題を押し付けて来たと思えば、突如閃いた思いつきに従って、疾風のように去って行った。いや、彼が残した迷惑の爪痕はなかなかにして大きい。台風と言い表すのが正しい。
 干したてだったTシャツに袖を通して、赤髪は無造作に背中へと流して脱衣所を出る。
 見慣れた廊下には、食欲を刺激する良い香りが漂っていた。

「この匂いは……ハンバーグ!?」

 暴食家としての嗅覚が即座に香りの元を解析した。どうやら今日の夕食はハンバーグらしい。
 沸々と煮え滾る憤怒は、自分でも驚くほどあっさりと矛を収めた。

「ハンバ〜グ〜ッ!」

 この切り替えしの良さが美点なのか汚点なのか。付き合いの長い烈火の将ですら気難しい顔をして、首を横に振って言葉に窮するだろう。
 だが、砂糖に群がる蟻のように走り出そうとしていたヴィータの足はすぐに止まってしまった。思い出すのは、握り拳を作っていた時のはやての形相である。
 ヴィータが近所の子供と喧嘩をするのは何も今日が初でもなかったが、水浸しで帰宅したのは本日が初である。
 擦り傷だらけの痣だらけ。その上、新品の靴諸共全身ずぶ濡れである。はやてが怒るのも無理は無い。大抵の出来事はにこやかな笑顔で『あかんで〜』と許してくれるが、その慈愛の精神にも限界があるのだ。

「ぐッ……!」

 大好きな人の怒鳴り声を思い出して、ヴィータは軽く身震いをする。大好物のハンバーグの匂いが彼女の意識とは別に、その二本の足をキッチン目がけて全力で動かしてしまいそうだった。
 事実、形振り構わず己が食欲に従ってしまいたいところだが、阿修羅の如き怒りを迸らせているはやてと顔を合わせる勇気が無い。
 何故だ。何故こうも腹立たしい事が多発している時に限ってハンバーグなんだ――!?
 実に理不尽な現実だった。沸点に達したお湯のように心中でのた打ち始めた怒りは、超特急でアストラへ向けられる。

「今度会ったら絶対にギガントしてやる!」

 高町なのはの打倒は並大抵の戦闘魔導師では不可能である。高出力の防御出力。理不尽な攻撃力。機動性や近接能力の低さを補って余りあるこの二つは、時々やっている模擬戦や共同訓練でヴィータを惨憺な状態に追い込んでいるのだ。もちろんやられた分はキッチリと仕返ししているが、反骨精神を無駄に刺激されてともかく疲れる。倒せるコツがあるのなら、こちらが訊きたいぐらいなのだ。
 苛立ちに任せてそこまで思案した時、ふと思い至る。

「……あいつ、何でなのはに勝ちたいんだ?」

 単に負けず嫌いなだけかもしれない。事実、アストラ・ガレリアンという下士官は眼には眼を、歯には歯の精神の持ち主だ。負けん気に関しては一つの資質を持っていると言っても過言では無い。高町なのはに敗北を続けている以上、蓄積されている鬱憤もかなりのものだろう。
だが、それを晴らす為の方法を知る為に、わざわざ第九十七管理外世界の極東地区くんだりまで来るだろうか。
 三秒ぐらい思案してみたものの、急に馬鹿らしくなったので止めた。あの迷惑千万な馬鹿が何を考えて行動しているのかなんて、それこそ知った事ではない。適当にやって、誰の眼も届かない場所で自爆していれば良い話である。むしろ、なのはにメタメタのギタギタにやられた方が胸が透くように気持ちが良い。清々する。

「そうだよ。あんな馬鹿の事よりもハンバーグだ!」

 紅の鉄騎ヴィータ。物事の優先順位はどこまでも自己の欲求順の少女である。
 そんな時だ。来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

「は〜い」

 夕食の事はひとまず置いて、ヴィータはとことこと玄関に向かった。背伸びをして覗き穴から外を窺う。

「………」

 情景がぐにゃりと湾曲して見える魚眼レンズの先には、アストラ・ガレリアン陸曹がいた。ガクガクと顎と肩を震わせ、青ざめた顔で身じろぎしている。当然だが水浸しで、風呂をいただいたヴィータとは雲泥の違いだった。
 ヴィータはそっと扉から離れると、素知らぬ顔で踵を返す。
 直後、二度目の呼び鈴が響いた。

「………」

 もちろん無視だ。こいつと関わるとロクでもない出来事に巻き込まれてしまう。そのまま震えて死んでしまえ。

「いや、はやての家の前で死なれるのは困るなぁ……」

 顎を抱えて思案していると、業を煮やしたのか、呼び鈴が凄まじい勢いで連射され始めた。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!

 十回目が鳴らされようとした時、ヴィータの有って無いような堪忍袋の尾が切れた。
 刹那にしてグラーフアイゼンをデバイスフォルムで顕現。玄関の扉を破壊する勢いで開ける。

「うっせぇ! 一回鳴らしゃ聞こえる!」
「ピンポォォォォーン! ダァァァァシュッ!」

 百八十度方向転換をしたアストラが、土煙を上げて走り去って行く。タイミングを見計らっていたかのような無駄の無い動作。背中はみるみる遠ざかり、頭の悪い高笑いも夕闇の中に消えて行く。
 取り残されたヴィータはややあって――。

「アイゼンッ! ラケーテンフォルムッ!」
『――主。ここはミッドでは――』
「ラァケェーテェンフォルゥムゥッ!」
『――ja――』

 不承不承な鉄槌を引っ提げて、ヴィータは傍迷惑な少年下士官の追跡を開始する。跳躍と同時にカートリッジロード。可変はまさに数瞬。直後、推進器点火。
 轟々とした爆音が夕食時の平穏な住宅街に木霊する。風呂上がりのヴィータは風を切り、音速の世界へと旅立った。
 コースは直線。進路を妨害するような障害物は皆無。視界良好、システムオールグリーン。
 豆粒くらいになっていたアストラの背中へ、凄まじい速度で肉薄する。

「FULL FORCE 昨日より早く〜♪ 走るのが条件〜♪ 自分の限界いつも抜き去って行くのさ〜♪」

 訳の分からない戯けた歌を歌っていたので、その歌詞の通りに抜き去ってやった。

「な、なにぃ!?」

 鉄の相棒を滑らかに操作して方向転換。飛翔するブーメランのような放物線を描いたヴィータは、小型削岩機となって耳障りな駆動音を響かせるグラーフアイゼンの切っ先をアストラへ向けて、さらに速度上昇。その様は大口を開けて獲物に突撃する鮫そのものであった。
 底知れぬ馬鹿下士官も危機感を覚えざるを得なかったのか、足を突き出し、路面を削って急停止。脱兎のように別方向へ駆け出す。

「馬鹿かてめェ!? 余所の迷惑を考えろッ!」
「お前にだけは馬鹿って言われたくねぇ!」
「1500×114は!?」
「171000だッ!」
「あ、ちくしょう、即答しやがった!」
「死ね!」
「死ぬか! ええい、逃げてても駄目だ! たかがガキの一人! アンスウェラーで押し出してやる!」
『残念ですが我がマスター。現在の私はただのアクセサリーに過ぎません』
「こんな情けないデバイス!」
「ぶち抜けェェェェェェェエエエエッ!」

 結局、騒ぎを聞きつけたはやてが現れるまで、ヴィータはアストラを追い回し続け、ご近所を騒がせた。



 ☆



 椅子の上でふんぞり返ったアストラは、満腹感に満たされた腹を撫で回した。
 彼の前には中身を綺麗に片付けられた皿が山を築き、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。軽く見積もっても一般的な四人家族が一回の夕食で完食できるか否か、という量であろう。

「いやぁ、生き返ったぜぇ」

 出て来た億尾を我慢せず、むしろ誇らしげにして、楊枝で歯を綺麗にする。

「……全部食べちゃいましたね……」
「男の子はよう食べるけど、ちょっとビックリや」

 腕を振るって夕食を作ったはやてとリインフォースは眼を丸めて感心するばかり。ヴィータに至ってはハンバーグのソースで口元を汚したまま、放心状態で硬直している。夕食開始から十分後の光景とはとても思えなかった。
 緊迫感に欠けたアストラとヴィータの海鳴ドッグファイトは、八神はやての武力介入で強制的な終止符が打ち込まれたものの、封鎖結界も展開せずに好き勝手な魔法公使をしてしまった影響は計り知れず、通報を受けて出動した警察やら、どこからか嗅ぎ付けたマスコミやらが今も街中を闊歩している。行き場が無かったアストラは、はやてに誘われるまま彼女の自宅に転がり込み、こうして図々しくも夕食にありついている訳だ。

「いやぁ、八神、美味かったぜ。あんたのハンバーグ。良い腕してんなぁ」
「お粗末様です。これだけ沢山食べられると、作った方としても嬉しいですわ」
「ったりめぇだろ。はやての料理はいつだってギガうまなんだ」

 不機嫌そうに鼻を鳴らしたヴィータは、気を取り直して食事の手を再開する。

「本当にてめぇは可愛げがねぇな」
「お前に可愛いなんて言われたくねぇ。思われたくもねぇっての」
「安心しろよ。てめぇは俺の趣味じゃねぇよ」
「そりゃ安心だ」

 頬を皮肉げに歪ませ、口元を吊り上げ、静かな嫌味を叩き付け合った二人は、身体ごと明後日の方向を向いて顔を背ける。すっかり犬猿の仲だ。
 はやては困ったように微笑み、楊枝で歯の掃除を続けているアストラに問うた。

「それで、これからどうするんですか?」
「あ〜。まぁそれなんだがよ」

 楊枝を空になっている皿に置いたアストラは、テーブルに肘を付き、唇を尖らせた。
 この家に来た時、大体の事情ははやてに話している。というか、物凄い剣幕で状況説明を求められてしまい、唯我独尊のアストラも拒否出来なかったのだ。
 魔法が認知されていない次元世界に於いて、封鎖結界を展開せずに大型魔法を行使する事は非常に大きな問題である。それが現役の時空管理局局員なら殊更。訓練で飛行魔法や補助魔法を使うのとは訳が違うのだ。さらに、この次元世界――要は海鳴市――には、執務官や提督職といった役職に就いている現役局員がゴロゴロしている。彼女達に知られれば大事だ。

「一応三日間はこっちにいるつもりだったんだけどよ……三日経っても帰れそうにないんだわ、クラナガンに」
「何でですか?」

 食後のデザートのプリンを頬張っているリインが問うと、アストラは言葉を濁して苦々しく表情を歪めた。

「元駐屯地のトランスポーターが使えなくなっちまったんだ。俺が使えるのはあそこのシステムを間借りした転移装置だけだからさ」
「使えなくなったって、何でだよ?」
「だからメシ食う前に言っただろうが、この食欲幼女。……フェイトを怒らせたんだよ」

 青ざめた様子で、アストラは恐怖に慄く様子で肩を抱き締める。思い出された記憶は戦慄となり、恐れを知らぬ少年下士官を恐怖のどん底へと誘う。

「忘れてたぜ。フェイトの奴がデーモン高町の友達だってのを」
「……何をやったんですか?」
「クロノ先輩と抱き合ってる所に乱入してしまったのさ」
「夕方に何してんのや、あの二人……」

 溜め息をつき、額を抑えるはやて。

「何だっけ、プラズマスマッシャー? 真赤な顔してあれ撃ちやがってよ。俺の優れた反射神経が無ければ黒コゲになるとこだったぜ」
「なっときゃ良かったのに」
「生憎だったな、食欲幼女」
「変な名前で呼ぶな! あたしはヴィータだ!」

 いきり立つヴィータを、はやてがよしよしと頭を撫でて宥めてやる。八神家には何やら複雑な事情があると聞いていたが、なるほど、どうやらこの赤毛金槌少女は八神はやてに対して頭が上がらないらしい。

「でも、非常用もありますから。帰れないって事は無いと思うんですけど」
「まぁな。でもよ、非常用だろ? 私用で使うと減俸で済むかな? 始末書とか書くのダルいし。いや、それ以前にクイントさんのリボルバーナックルで鉄拳制裁されそうで嫌だ……!」

 日頃から己の直感に従って恣意的且つ無駄な行動力を発揮する彼も、後々に面倒に繋がりそうな時だけは悪知恵が働き、先を見通す広い視野を保つ事ができる。人間、好きな事には恐ろしいまでの情熱と知力を発揮するものなのだ。
 その他にも、転属先である陸士108部隊の前線分隊隊長の一人で、今のアストラの上官は、彼のその性格を直そうと躍起になっている。なのはとの私闘じみた模擬戦にももちろん渋面を作るばかりなので、今回の騒ぎを聞き付ければ、あの近代ベルカ式に対応したナックル型デバイスで顔面が変形するまで殴られる恐れがある。――それはアストラの被害妄想であるが。

「ったく、三日間の連休を棒に振った上に帰れねぇってのはねぇぜ……」
「自業自得だろ馬鹿」
「いや、ありゃ不慮の事故ってもんだ」
「事故というより、フェイトちゃんとクロノ君が破廉恥なだけや」

 溢れる母性を潜めさせ、年相応な仕草で可愛らしくむくれるはやて。

「取り敢えず、当面は野宿だな……」
「……野宿ですか? でも、今は雨季ですよ?」
「つっても仕方ねぇだろう。俺はまだ死にたかねぇし」
「ほんなら、ウチに泊まったらどうです?」

 ガタンと椅子が蹴り倒された。もちろんヴィータである。

「何言い出すんだよはやて! こんな非常識野郎、あたしは絶対にやだからな!」
「でも困ってる人を放っておく訳にはいかへん。それに、アストラ君にはヴィータもお世話になっとるやろ?」
「そーそー。デバイス暴走事件の時に誰が助けてやったと思ってんだ? もう少しで隻腕になるとこだったんだぜ?」
「てめぇも助けられてたじゃねぇか!」

 ヴィータに指を差されたアストラは、完全に素知らぬ顔。いや、彼の頭の中では八神家滞在が確定事項となり、ヴィータの反対意見は完全シャットアウト状態なのだ。

「八神〜。明日の朝飯は鮭にしてくれ! 一回だけ爺さんに喰わせてもらったんだけどよ、これが美味いの何のって」
「ええですよ〜。他にもリクエストとかありますか?」
「オムライスゥッ!」
「ほら、明日の夜ご飯に用意しますわ」
「よっしゃあ!」
「アストラ〜。後で一緒にゲームしましょうゲーム!」
「お、いいぜ。何するんだ?」
「ゲームするのはええけど、お片づけ終わってからなぁ〜」

 アストラ滞在反対派は、どうやらヴィータただ一人のようだ。完全な孤立無援とはこの事だろう。

「シグナム達は? いねぇのか?」
「はい。シグナムとザフィーラが昨日から遠出してまして。シャマルは医療局に出向中です」

 はやてがテーブルに広がった食器を片付けながら答える。テキパキとした仕草は小慣れていて、無駄は無い。リインフォースも小さな手でよちよちと主を手伝っていて微笑みを誘った。
 アストラも二人を倣う。棚から餅状態で当面の宿泊先を得た訳だが、言わば居候のような身分になる訳だ。これで何もしないで暇を貪るような真似は彼の流儀に反する。

「子供三人で大変じゃねぇか?」
「だから、あたしは子供じゃねぇ!」
「ヴィータちゃん。口の回りをハンバーグのソース塗れにして言われても説得力が無いです」

 妹分のリインに鋭い突っ込みを喰らったヴィータは、何か言い返そうと考えあぐね、最後には悔しそうに残ったハンバーグを膨れっ面で胃に詰め込んだ。
 アストラは小馬鹿にしたようにニンマリと笑い、はやての後を追ってキッチンに汚れた食器を持ち込む。

「別に大変じゃないですよ。この子らが来るまでずっと独りでしたし」
「……そうだったのか。悪りぃな、あんまり詳しい事聞いてねぇんだ」
「別にええですよ。今はこの子らが居ますし」

 肩を並べて後片付けに入るはやてとアストラ。リインがとことこと足音を鳴らして食器を持ち込んで行く。
 ヴィータは三人を眺めながら、密かに握り拳を作っていた。





 continues.





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 □ あとがき □
 改稿二話。主に連ザネタとか削りつつ、描写増やして作り直した設定を反映させただけです。
 史実でもこの時(Asより二年後弱後)はクイントもメガーヌもゼストも全員生存しているので(史実ではこの直後辺りに戦闘機人事件が起こるそうですが)、まぁ クイントは以前までの設定通りアストラの上官という形で。





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