魔法少女リリカルなのは SS

デーモン高町との名言を残した少年士官の三日間

二日目 前編







 それは久しぶりに見る夢だった。

 何でもない普通の日。いや、少年にとって、普通ではない日が無かった。
 平穏無事。そんな言葉が良く似合う毎日。不満は無く、そんな日がいつまでも続くだろうと子供らしい無垢な心で考えていた。
 そんなある日、親代わりの老人が起こしに来てくれなかった。とても珍しい事で、そのせいで寝坊をしてしまった。それ以外、いつもの普通の朝と変わらない日。
 老人は大きな人だった。身体的な事ではない、人としてである。
 老化の波に対抗せんばかりに鍛えられた浅黒い褐色の身体には、長い刻を歩んで来た皺と傷が刻まれていた。特に厳つい顔には深い皺が幾重にも掘り込まれている。
 首の後ろで束ねた白い髪には相応の風格があって好きだった。老人はそれを、髪を洗うのが面倒だと、これまた面倒臭そうに呟いていた。ならどうして切らないのかと訊くと、曖昧な答えしか返っては来なかった。
 背中は大きくて暖かかった。一緒に風呂に入る時、決して言葉には出さなかったが、そんな背中を洗える自分が誇らしく思えた。
 そんな老人が、何でも無い朝、死んでいた。
 質素だが、畳が敷かれた温かみのある寝室で冷たくなっていた。
 机に向き合い、正座をして、手紙を書き、書き終えて筆を置き終え、一息をついた所。そんな姿勢で老人は動けなくなっていた。
 老人の心臓は止まり、もう二度と動かないのは分かった。
 老人の勤め先である時空管理局に連絡をした。老人が属していた部署――陸士108部隊というクラナガン西部に隊舎を構える部隊――の局員達がそれこそ飛ぶように現れ、嘆き、悲しんだ。
 だが、アストラは泣かなかった。
 生まれてすぐに両親の死を体験しているので慣れていた。
 葬儀の事前準備は老人に親しかった局員達が何も言わずに進めてくれた。死の告知を多方面にして、それなりの規模の葬儀をしてくれた。参拝者が沢山来た。こんなに沢山の人達に慕われていたのが驚きだった。各陸士部隊の面々だけではなく、ミッドチルダ地上本部の上級局員達の姿もあった。
 老人は遺言や遺産相続といった自らの死後処理をすべて済ませていた。自分の死期を悟っていたのだろう。
 遺産関連の相続人はアストラただ一人。老人は天涯孤独だったのだ。養子として彼に育てられていた年端も行かない少年しか相続人と呼べる人間は存在していなかった。
 独りになった少年の手に遺されたのは、誰も居なくなった粗末な家と、一生を自堕落に過ごしても無くならない金と、思考する道具の三つだけ。
 老人を慕っていた陸士部隊の者達がアストラを不憫に思い、家族にならないかと誘ってくれた。
 嬉しかったが、すべて断った。
 彼らはいつでも力になると言って帰って行った。
 参拝者も全員が帰路につき、葬儀は恙無く終わり、気付けば家に独りになっていた。
 老人の遺骨を前に何をしようかと思案していると、一人の局員が息を切らせて戻って来た。
 その鋭い瞳と無骨で淡々とした表情。身に纏う気配は鋭利な槍を連想させた。陸士部隊の制服姿だったが、違う。気高く、強く、ただそこに立つだけで場のすべてを引き締めてしまいそうな、そんな厳かな人物。
 彼は遺言状だと言って、封書を渡した。何も書かれていない白い封筒を。
 寂しくなったら私の所に来るといいと言い残して、その提督は踵を返した。
 封書を開けて中を見た時、自然と笑ってしまった。遺言状という仰々しい名の割には、たったの二行しか書き込まれていなかったからだ。それも、両方とも常日頃から老人に言われ続けていた言葉だった。

『後悔だけは絶対にするな』

『出来ない事に挑戦しろ』

 老人はいつも後悔していた。記憶を探っても、皺だらけの顔が笑っている所を思い出す事は困難だ。
 何を後悔していたのか最後まで分からなかった。宝物を無くしたのかもしれないし、出来ないと思って何かを諦めたのかもしれない。
 ただ、その悔しさだけは伝わって来た。
 だから決意したのだ。後悔をするような生き方はしないと。出来ない事に挑戦して、自分がどこまで行けるのかを見極めようと。
 老人がそうしていたように――。
 遺された家を引き払い、遺産管理を親切な弁護士に一任して、アストラは思考する道具のみを携え、時空管理局が運営する陸士訓練校の門を叩いた。
 遺言状を渡しに来てくれた人物を知ったのは、それから随分後――陸士108部隊に転属となり、クイント・ナカジマ准陸尉の部下になってからだった。

 眼に触れると濡れている事に気付く。

「……何年前の夢見て泣いてんだよ、俺」

 陸士訓練校に入学したばかりの頃は何度も見ていたが、それも一年ほどの話だ。本当に久しぶりの、多くの感慨を抱かせる夢。悲しくない訳では決してない、でも、アストラをアストラたらしめている大切な記憶の断片でもある。
 両眼を擦って身を起こす。夢の影響か、身体の動きが弛緩したように緩慢だった。それでも野生動物に勝るとも劣らない神経は敏感に働き、迫る危険を察知する。
 しかし。時はすでに遅かった。
 暗い視界の中で何かが跳ぶ。一瞬の滞空後、万有引力の法則に従って落下。
 腹部に何かが落ちた。人体の急所の一つに直撃。

「ぬぐぅ!?」

 強烈な刺激と鈍痛を受けた臓器がのたうち回る。特に胃には痛烈なダメージだ。鼻の奥がつんとして、喉を奥から胃液が逆流して来る。
 それを必死に我慢して、アストラはこみかみをひくひくと痙攣させた。視線を腹へ移動させ、そこでニヤニヤと『してやったり』な笑みを浮かべている紅の鉄騎を見据える。

「……おはようアンダーソン君」
「誰だそれ?」

 悪びれた様子を見せず、ヴィータ。

「朝っぱらから実力行使たぁ良い度胸してるじゃねぇか……?」
「女は度胸らしいぜ。テレビで言ってた」
「口を慎みたまえ。君は自らを女と言うのかね?」
「……何か、お前がそういう口調で言うと余計に腹立たしいんだけど……」
「だったらもっと言ってや――!? 眼がぁ〜! ああ、眼がぁぁぁ〜ッ!?」

 断末魔の悲鳴が早朝の八神邸に響く。ヴィータの眼潰しの直撃を受けたアストラは、昨日の川原での一幕の如く、両眼を押さえて客室の床を転げ回った。

『我がマスター。どこかの三流悪役のような振る舞いは自重して下さい』

 そんな相棒の言葉も痛みにのたうつアストラの耳には届かない。
 珍しい客人を迎えた八神家の早朝はこうして幕を上げた。



 ☆



 思いの他、見事に反撃の狼煙を上げる事が出来た。苦しみ抜くアストラを前にした胸の透くような気持ち良さは三日間くらい忘れないだろう。山の頂で大声を張り上げたような感じだ。

「このまま追い出してやる……!」

 グツグツと腹の中を煮やしながら、ヴィータは牛乳ビンと新聞を持って玄関の戸口を潜る。
 午前七時。そろそろ街も眠りから覚める頃だ。あの遠慮という言葉を知らない少年下士官に一発叩き込んでやってから三十分。彼は二度寝はせずに、今はリインフォースを連れて裏庭に出向いている。朝の訓練がどうのと言っていたが。
 ともあれ、八神家の朝は早い。家長たる少女は早寝早起きの常習犯だ。時空管理局に捜査官として属するようになってからもそれは変わらず実施されており、規則正しい生活で大変に素晴らしい。だが、朝がどうにも弱いヴィータには少々しんどい所もある。もっとも、今日は憎たらしい少年下士官に一泡吹かせてやりたくて自然と眼が覚めてしまった。
 胸に二本の牛乳ビンと新聞を抱えてキッチンに戻れば、はやてが朝食の準備を終えようとしている所だった。香ばしい焼き魚の匂いが鼻腔をくすぐってくる。
 あの図々しい少年のリクエストに応え、本日の朝食は鮭のようだ。
 その事実が、ヴィータはあまり面白くない。

「はやて、何であんな馬鹿野郎の食いたいの用意するんだよ」
「ん〜? せっかくいらっしゃったお客様やもの。ちゃんとおもてなしせなあかへん」

 味噌汁の味見をして、はやて。

「……お客様、ね」
「? 何やヴィータ、ご機嫌斜めって感じやな」
「べ、別にそんなのじゃない。はやてが心配なだけだよ」

 新聞をリビングの机に置き、牛乳ビンをゴトンとテーブルに置く。汗を掻いたビンの表面を水滴が伝って行く。

「大体、はやてはお人好し過ぎなんだ」

 どこか責める口調になってしまう。

「確かにあいつには助けてもらった事もあるし、知らねぇ奴じゃねぇけど、いきなり泊めるとかさ」
「困った時はお互い様って言葉があるやないか。ヴィータを助けてもろた時のお礼とか、全然出来てへんかったし」
「そりゃそうだけど」

 デバイス暴走事件後、あの事件の根幹に関わる者や真相を知る一部局員――主に艦船アースラ所属の局員や八神はやて達だ――の立場が非常に危うかった。長期謹慎等の処分は管理局の組織的損傷や、彼女達の行動が結果として事件解決に結びついた為、それらを考慮して見送られていた部分もある。だが一つの不祥事であった事に変わりがなく、迷惑をかけた局員達への謝罪等がすべて後回しにされている。
 そんな嫌な事後処理すべてが終わったのは、事件解決から一年が経過した頃。それまでヴィータは何度かアストラと顔を合わせる機会があったが、超絶的に素直でない紅の鉄騎が一人で暴走事件での礼を出来ているはずがなかった。

「ちょっと無茶な事する人やけど、ええ人やと思うな」

 それは分かる。あの少年下士官は管理局に所属できる者とは思えぬほどに子供だが、人としては十分に信用は出来る。
 だが、これとそれとは別だ。

「……でも、あいつ男だし。はやてに何するか分かんねぇ」

 うつむくヴィータに、はやてはキョトンとした様子で小首を傾げた。それからややあって、嬉しそうに笑った。

「ヴィータはほんまに優しい子やなぁ」
「……?」
「私の心配してくれてるけど、アストラ君を追っ払うような真似はせぇへんだ。あの人の事を信用してる証拠や」

 そう言うはやては人を疑う事を知らない眼差しだった。
 彼女の言葉を正確に把握出来なかったヴィータだが、徐々に飲み込めて来る。
 ――冗談じゃない!

「あたしは信用なんてしてないよ! あんな奴、今すぐにでも追い出したい!」
「でもせぇへん。起こしに行ってって言うたら二つ返事で頷いてくれたし」

 それは昨日の逆襲の為だ、とは口が裂けても言えない。

「ありがとうなぁヴィータ」
「う、あ、う……うん」

 反論出来ず、ヴィータは素直にはやてに頭を撫でてもらう。こうなれば紅の鉄騎も形無しだ。好きな人にはなかなか勝てないものである。

「ヴィータ、そろそろ朝ごはん出来るから、リインとアストラ君を呼んで来てもろてもええか?」
「……うん」

 そしてお願いは拒めない。
 八神邸にはシグナムが素振り等にも使っている広い裏庭がある。風呂場近くにある勝手口から様子を覗いてみると、拍手するリインフォースの背中が見えた。

「凄いです〜!」
「凄いだろ凄いだろ!? 質量を持った残像だって出来るぜ!」

 体育座りをして、リインがパチパチと楽しそうに手を叩いている。まるでサーカスを楽しむ子供だ。そんな少女の眼前で、親指をグッと立てたアストラが猛烈な速度で反復横飛びをしているのだ。
 速い上に無駄が無い。キレのある動作。地面を蹴る力は最小限で、まさに舞うように飛び続けている。

「……朝から何やってんだ、お前」
「あ、ヴィータちゃん。おはようです〜」
「さっきも言っただろうが! 早朝訓練だ!」

 額から汗を飛び散らせて、アストラ。
 早朝からの運動には全力反復横飛びは少々度が過ぎているような気もしたが、ヴィータは黙っている事にした。
 まったく、無駄に元気である。この暑苦しい笑顔を見ていると腹立たしさが消えて空しさが溢れて来た。それ以前に、はやての誤解でどうにも毒気が抜かれてしまっていた。

「……まぁいいや。リイン、それから馬鹿野郎、朝飯だって」
「わぁ〜い! ご飯ですご飯〜!」
「あ、待てリイン! 俺はまだノルマに達成してねぇ!」

 伸ばされたアストラの手がリインの背に到達する事は無かった。勝手口の通路に消える蒼髪の少女は、融合騎の管制人格とは思えないほどに無邪気だった。

「戦友を見捨てるのか!? くそ、俺は一人でも戦う! ぬおおおおおおおおおおおッ!」

 置き去りにされた悲しみに健気に耐えたアストラは、ギアをさらに上げ、反復運動に没頭する。残像が現れてしまいそうな勢いだ。蹴る度に土が盛り上がり、あちこちに土砂が積もって行く。これは後で直しておかないと、素振りをしようとしたシグナムの逆鱗に触れる事間違いなしだ。

「……何か、あの白衣変態野郎を思い出して来た」
「なに!? 何か言ったかヴィータ!?」

 訊ねるアストラだが、ヴィータを一瞥もしない。集中が深くなって来ているのか、その瞳は眼前を見据えて離そうとしなかった。
 こめかみから流れて来た汗が顎から地面に落ち、茶色の土を僅かに湿らせる。全身汗だくで、袖の無いシャツはぴったりと張り付いているという有様だ。髪もシャワーでも浴びたかのように水浸しだった。

「……朝飯、行かねぇのか?」

 そんな必死の横顔を、ヴィータはいつか見た事がある。

「ノルマ達成したら行く! てめぇは先に食っててくれ!」

 怒鳴り声に近い返事だった。だが、腹の虫は納まったままで感情は静かなままだった。

「ノルマって、お前いつも朝からこんなのしてるんのか?」
「爺ちゃんが言ってたんだ! 今日の努力が明日の自分を強くするってな!」

 だが、ヴィータの眼から見てもアストラの運動量は明らかに過剰である。トレーニングとは大量のメニューを漠然と消化すれば良いという訳ではない。行う人間の尺に合う内容でなければ、それは身体を酷使し続けているだけだ。実際の身体能力向上には繋がらない。

「ふ〜ん。じゃ、お前の鮭もあたしが食っても良い訳だな?」
「なに!?」
「だって、お前はメシよりそのノルマってのを優先したって事だろ?」
「違う! 断じて違うぞそれは! 朝飯は一日の元気の素! 抜く事なんぞ愚の骨頂!」

 それでも猛スピードの反復横飛びを止めないアストラには、ある意味敬意を払える。
 ヴィータはにんまりと意地悪そうにして鼻を鳴らした。

「ふ〜ん。んで、ノルマ達成まで後何回跳ばなきゃいけないんだ?」
『後百五回です、紅の鉄騎』

 勝手口のドアノブに引っ掛けられていたシルバーアクセサリー――待機状態のアンスウェラーが電子音声で答える。これだけの速度で反復横飛びをしていれば、回数を数えていられる余裕が無いだろう。

「そっかそっかぁ。……後五分くらいは終わんねぇなぁ、それじゃ」
『現状の速度で行けば、終了は四分と三十秒程でしょう』
「あ、てめぇら何結託してんだ!? おいコラ相棒!」
『昨日の暴挙を私は忘れた訳ではありません。紅の鉄騎、我がマスターの分まで朝食を摂られると良いでしょう』
「おーおー。悪りぃなぁー」
『お気になさらず。ごゆるりとお楽しみ下さい』

 頭の後ろで指を組んだヴィータが踵を返す。
 すると、背後で凄まじい騒音がした。振り返れば、アストラが『くはっ』と両眼を開眼させてさらに速度上昇をしていた。
 速い速い。魔力は感知出来ないので身体能力だけの様子だが、とてもそうは思えない。ロケットスタートをするスケート選手のように両腕を大きく横に振り、身体を左右に振り回す。

「シャァァァァァァケェェェェェェェェェッ!」

 何とも浅ましい形相だった。眼許に涙を浮かべているところなんて同情を誘うには充分過ぎる。きっと今の彼は自身に課した早朝訓練のノルマと、本日の朝食を胃に納めたいという自己欲求に板ばさみとなり、想像も出来ない恐ろしい葛藤に襲われているのだろう。

「………」

 ただ、どんなに情けない理由であったとしても。

(……二年前も、こいつ、こんな顔してたよな)

 弱い癖に。敵わないと、勝てないと分かっているのに。この少年下士官は緊張感の無い不敵な笑みを浮かべて、額に脂汗を滲ませ、大量出血をしている状態でヴィータを助けた。血だらけの腕で守るように抱き締めてくれた。
 その時の顔と、今の彼は同じ表情をしていた。真剣で、ここではない遠いどこかを睨み据えている。押し寄せて来る見えない理不尽な何かと必死になって戦っている。その何かとは、ヴィータには予想も出来なかった。ただ、きっと自分では思いもつかないだろうと漠然と感じる。
 ヴィータの足は戸口の所で止まってしまった。

「……いいよ、待っててやる」

 そう言って、その場にしゃがんだ。

「何だ!? 何を考えてやがるてめぇ! 一体どんな風の吹き回しだ!?」
「別に。気が向いただけだ」

 そうだ。気が向いただけである。別に――そう、別に、決して、何が何でも否定するが、その顔をもっと見ていたいという衝動に駆られた訳ではない。
 しばらくの間、アストラが土を蹴る音だけが辺りを包んだ。

「おいヴィータ」

 出し抜けにアストラが呼ぶ。

「な、なんだよ」

 何故か急に恥ずかしくなって、尖った声で答えた。身体の内側から正体不明の熱が溢れて来る。白く細いうなじに薄っすらと汗が滲んで来た。頬や耳の先までが絶頂期の鮮やかな紅葉のようになる。
 アストラがチラリとヴィータを一瞥する。鼻の下を擦り、荒い呼吸の後、決心したように言った。

「俺的に縞パンはポイント高いぜ。こう、何つーかな、グッと来るって感じ?」

 その日の夜のワイドショーは、海鳴市の一角で巨大な金槌が観測されたという話題で持ちきりになったという。



 ☆



 はやてが登校して教室に着くと、フェイトがポツンと自分の席で独りになっていた。彼女の周辺からは何故か生徒達が引いており、奇妙な空間と空気が生まれている。一番の友達であるなのはやアリサ、すずかも、フェイトが全身から発している近寄り難い雰囲気に敗北し、離れ気味のすずかの席に退避していた。

「おはよう〜」

 人当たりの良いフェイトが学校でこのようになっているのは珍しいというか、はやてが知る限りでは初めての事だ。

「あ、おはようはやてちゃん」
「どないしたんや、フェイトちゃん」
「それが分かれば苦労しないわよ。一緒に登校した時からずっとアレよ? なのはも何も知らないみたいだし」
「フェイトちゃ〜ん」

 寂しそうに親友の名を呟くなのはは、自分の席で水分を失った植物のように『へなっ』としていた。
 あのフェイトが不機嫌になって、尚且つそれを隠していない。確かに異常事態だが、はやてはすぐに悟る。むしろ昨日の夜にその原因を直接聞いて知っているのだ。

「クロノ君絡みやね」

 と、探偵のような口調で言ってみる。

「なに? また何かしたのあのヘタレ」
「ヘタレやない。クロノ君はちょこっと不器用なだけや」
「世間一般じゃ、それをヘタレって言うのよ、はやて」

 一応は初恋の人である。直球で貶されれば愉快にはなれない。

「はやてちゃんはやてちゃん、それでクロノ君が何かあったの?」

 興味津々そうに首を突っ込んで来るなのは。大好きな友達が不貞腐れていては彼女も楽しくないに決まっている。

「えっと、クロノ君には問題無かったと思うんやけど、その、何と言うか……」
「……はやて。さてはクロノ君の浮気相手を……!?」
「ち、違うわ! そら……まだちょこっと好きやけど……そ、それは別に関係あらへんもん!」
「ちぇ〜。血で血を洗う愛憎劇に期待したのに〜」

 アリサが唇を尖らせる。愛憎劇なんて、二年前のあの事件でお腹いっぱい状態だ。二度と御免である。

「でも、クロノさんが何もしてないって言うなら、どうしてフェイトちゃんはあんなに怒ってるの?」

 すずかが視線でフェイトを指し示す。彼女はピンと背筋を伸ばして、それこそ微動だにしていない。何も書かれていない黒板を睥睨し続けている。そのせいか、彼女の前には誰も居ない。睨み殺されてしまいそうなのだ。

「アストラ君って子がね、昨日フェイトちゃんとクロノ君の邪魔したらしいんや」
「アストラ君って、あのアストラ君!?」

 がばっと席を立ったなのはが教室中に響くような素っ頓狂な声を上げた。アストラという人名にピクリとフェイトが反応した。ホラー映画顔負けの演出で、ギリギリと首を横にして肩越しに振り返って来る。エクソシストも裸足で逃げ出してしまいそうだ。
 はやて達は慌てて教室の隅っこに退避した。

「そのアストラってのは一体何をしたのよ!? どこの光の国の戦士!?」
「アリサちゃん。それはアストラ違いだよ」
「ま、まぁ、そりゃそうようね。でも、あのフェイトは尋常じゃないわよ……?」
「二人が、こう、【ほーよー】してる所に割って入ったみたいで」
「ほ、抱擁!? ちょ、クロノさん、フェイトの歳ちゃんと考えてるの!? 七夕の時もあったはずよ!」
「愛に歳は関係無いんだよ、アリサちゃん」
「すずか、あんたは少女漫画読み過ぎ! 新条まゆはやめなさい! 池山田剛とか藤崎真緒にしなさいよ!」
「アリサちゃん、どっちもどっちだと思うなぁ、それ」
「なのはは種村好きよね〜。現役魔法少女としてどうよあれ?」
「フェイトちゃんとクロノさんも、僕は妹に恋をするみたいになっちゃうのかなぁ」
「すずか!」

 話が大いに脱線したまま、四人はホームルームの開始を告げる予鈴を迎えた。



 ☆



 学校とは学び舎だ。人生に必要な知識、生きて行く上での人間性形成に必要不可欠な環境を提供してくれる現場である。それはどこの次元世界でも共通事項らしい。ミッドチルダでも普通の子供達が通う一般校と、魔法資質のある子供達が通う魔法学院と二つある。
 そんな常識くらい、アストラも知っている。知っているが、彼が想像していた第九十七管理外世界『地球』の学校と、今眼の前にある学校は、あまりにも違っていた。

「拍子抜けだぜ、こいつは」

 校舎の影に背中を預け、静かになったグラウンドを一望する。平らの茶色い大地には人影一つ居ない。校舎そのものが無人のようにひっそりと息を潜めている。授業中なのだから当然なのだが、アストラにはそんな認識は無い。
 そもそも、授業中の学校とは総じてこのようなものだ。個人の采配にもよるが、半分以上の生徒は集中して授業を聞いている。小学生なら――もちろんその学校のレベルにもよるが――大体は静かに教師の話に耳を傾けているはずである。
 期待と予想が裏切られている。アストラは、この世界の学校が高町なのはのような恐ろしい魔力資質を秘めた子供を密かに集め、魔導師としての英才教育を施す場所だと頑なに信じていたのだ。
 それがどうだ。窓から覗き込めば、馬鹿なアストラでも辛うじて理解出来る算数やら科学関連の授業をしているではないか。

「この環境で一体どうすればデーモン高町みたいなのが出来上がるんだ? いや、待てよ」

 掻き集めた情報を吟味、咀嚼し、彼は一つの結論に至る。

「ただの学校なのか、ここは」
「あったりめぇだろ」

 真後ろからの冷たい声はヴィータである。あからさまに不機嫌そうに眉を顰めて、アストラの脇からひょっこりと顔を出す。
 ちなみに、お気に入りのミニのプリッツスカートの下はアストラの視姦防御の為にスパッツになっている。力強く大地を蹴る草食動物のような細くもしなやかな大腿部はぴっとりとした黒い生地に包まれていた。

「移動するぞ」

 唸るように告げて、アストラが壁沿いに校舎の奥に進んだ。彼の後を嘆息づいたヴィータが着いて行く。そんな少女が手を引くのは妹分のリインフォースだ。瞳を爛々と輝かせて校舎を見渡すその表情は、外見通りの快活な子供である。どうやら学校に憧れを抱いているらしい。
 校舎を東に行き、体育館付近に到達する。アストラが単独ならば苦労は無かっただろうが、今は小さな女の子を二人連れている。巡回している用務員のおじさんに見つからないようにするのは意外と骨が折れた。

「男は隠れるのをやめた」
『ならば散って下さい』
「何の話してんだ、お前ら……」

 アストラの独り言に透かさず突っ込むアンスウェラー。彼らの間で取り交わされている情報が理解できず、ヴィータは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。

「あ〜、気にすんな。にしてもよ、何でお前らが着いて来るんだ?」
「お前一人にしておくと不安なんだよ。お前が無茶するとはやてに迷惑がかかるんだ。大人しくしてるかどうかの監視だ」
「……朝っぱらからあんなデカイ金槌振り回すガキに言われたかねぇんだが?」

 そのせいで朝から死に掛けた。はやてが呼びに来てくれなかったら、アストラは天に召されていたに違いない。
 うるさいと小声で呟くヴィータを無視して、アストラは体育館に気配を探る。ワックスの効いている床を蹴る小気味の良い靴音が微かに聞こえた。同時に子供達の歓声。だが、内部を覗く為の窓硝子が付近には無いので中の様子を窺う事ができない。

「おい馬鹿野郎。本当になのはの弱点探す気か?」

 名前では呼ばず、馬鹿野郎呼ばわりである。昨日の夜からなのでアストラもすでに耐性が出来いる。そもそも、フェベルやアンスウェラー、上官にまで日頃から馬鹿呼ばわりされるのもとっくに慣れているのだ。

「当たり前だぜガキんちょ。無防備に過ごしてる所に穴ってのはあるもんなんだよ」

 自慢げに語ったアストラは、邪悪な笑みを口辺に浮かべて喉を鳴らす。

「くっくっくっ……! 覚悟してろデーモン高町。てめぇの弱点、ケツの穴の底まで調べさせてもらうぜ」

 下品な言葉を少女達の前で平然と口にする少年下士官。デリカシーの欠片も存在しない。

「おいリイン、本当にデーモン高町はこの中に居るんだろうな?」
「はいです。マイスターの時間割では、この時間帯は体育のはずです。マイスターも、今日は体育館でバスケットボールをすると言ってました」
「よぉし、上出来だリイン。後で何でも欲しい物を買ってやる」
「リインはPS3がいいですぅ〜! メタルギア4がやりたいですぅ〜!」
「……すまん、それ無理」

 嘘つき〜! と喚くリインの口を誘拐犯よろしく掌で押さえ、アストラは忍び足で体育館の外側の出口に近付いて行く。

「アンスウェラー、用務員のおじさんに注意しろ」
『了解しました。しかし我がマスター。この次元世界では八神はやてや高町なのはぐらいの少女を狙った悪質な変質者が多いと聞いています。今のあなたがそのような輩に見えないか、私は凄まじく不安です』
「安心しろ、俺は幼女趣味じゃねぇ」
『紅の鉄騎の縞模様下着を覗き見た男が言う台詞ですか?』

 ヴィータががばっとスカートの裾を押さえた。下はスパッツを履いているので覗かれる心配は無いというのに。
 アストラは苦しげに唸ると、そのまま沈黙してしまった。防火扉も兼ねている頑強な扉を開けようと悪戦苦闘を強いられる。数秒で何とか覗き込めるぐらいの隙間を確保した。
 そろりと中に視線を巡らせる。すると、体操着を着た少年少女達がバスケットボールをしていた。これは報告通りであるが、ミッドチルダにはバスケットボールなんてスポーツは無いので、アストラとしては彼らが一体何をしているのかサッパリ分からない。
 取り敢えず高町なのはを探す。すると、ゴール下でパコーンと頭にボールをぶつけられている彼女を発見した。

「……何だ、あのドンクサぶりは」

 フェイトやアリサが走り寄り、親友達に手を貸してもらいながら立ち上がる。すぐに戦列に加わるものの、明らかに動きが緩慢だ。ギクシャクしているというべきか。

「あいつ、体力訓練苦手だなぁと思ってたけど、こんなボール遊びも出来ねぇのか?」
「そうじゃねぇの? あいつは反射神経いいけど、後はてんで駄目みたいだから」

 壁に背中を任せて、大きな欠伸をするヴィータ。心底興味が無さそうだ。
 アストラは一度扉から離れて、今の言葉と高町なのはの身体レベルの低さをじっくりと吟味してみる。
 体力は無し。運動神経もゼロ。反射神経はあっても他が駄目だから潰されている。この欠点に反比例するかのように、彼女の魔力資質や魔力量は図抜けて高い。

「……長所で短所を無理矢理補ってるって事か」

 だから彼女は近接戦闘が苦手なのだ。技術力や駆け引きは出来ても、それを全力で発揮出来るスペックが無い。
 しかし、それは遥か以前からの周知の事実だ。今更改めて認識するような事柄でもない。高町なのはが近接戦闘が苦手といっても、その近接距離に近付くだけでもこちらは命懸けなのだ。加えて、超高出力の防御魔法がある。突破は困難と超越して不可能。
 そこまで思案を巡らせたところで、アストラは手詰まり状態である事に気付いた。

「駄目だ! 運動神経なくてもあいつには魔力がある! だぁ、畜生。他に弱点はねぇのか!?」
「アストラ〜。私にも見せて下さい〜。マイスタ〜」
「押すなリイン! 見つかる!」

 騒がしい二人を脇から眺めたヴィータは、似合わない嘆息をついた。





 continues.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 オリキャラには良くある両親との死別ですが、うちの子の場合はこんな感じでした。





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