魔法少女リリカルなのは SS

デーモン高町との名言を残した少年士官の三日間

二日目 中編







 時空管理局には有休を無駄に貯蓄してしまう輩が多い。局が定めている労働勤務基準法も半ば瓦解してしまっていて、もはや有って無いような遺物に近い。それでも労務法に従って書類処理するのが各部隊に設置されている事務局を初めとする面々だ。そんな局員達にとって、律儀に有休を申請してくれるフェベルは後光を放つ天使に等しい存在だったのかもしれない。これは決して大仰な表現でも比喩でもない。書類処理とは地味でどうでも良さげな仕事に見えるが、一度でも怠れば、非常に面倒な現実が待ち構えているのだ。下手をすれば上司からのデミグラスハンバーグのようにこってりとした説教が付属される。これによる精神的重圧と苦痛はそう簡単に消せるものではない。
 閑話休題。

「もう、アストラさんはどこに行っちゃったんでしょうか……?」

 フェベルは海鳴商店街の表通りを歩いていた。
 彼女はミッド生まれではなかったが、生まれ育った次元世界はミッドと大差の無い文明レベルにまで達していた為、自然と触れ合う機会に恵まれなかった。周囲は見渡す限りの鋼の摩天楼という訳だ。その影響か、この第九十七管理外世界の光景は新鮮だった。加えて好奇心旺盛な性格なので、アストラを探す線も勝手に小売店や飲食店に行ってしまう。

「うわ〜、綺麗だなぁ……」

 ジュエリーショップのショールームを覗き見て、

「そういえば朝から何も食べてなかったなぁ……」

 甘い香りに打倒されて、フルーツクレープを注文した。

「ビルが少ないと空も広く見えちゃいますね」

 歩きながらクリームとフルーツの甘みに舌鼓を打つ。こうして食べ歩きをするのは数年前に卒業した陸士訓練校以降初めてだった。
 商店街の端から端まで散策する。たっぷりと三時間ほど時間をかけて。
 スタート地点に戻って来たフェベルは、ふと我に帰って手に提げていた幾つかの紙袋を見て絶望した。

「ま、またやっちゃった」

 こちらの世界の通貨を詰め込んでいた財布は、すでに軽くなってしまっていた。
 フェベル・テーター、十一歳。浪費家であり、衝動買いを繰り返す彼女の貯金関連は故郷の家族に握られている。すでに自分で稼いでいるにも関わらず、月の使用可能限度額は両親によって厳しく律せられていた。

「アストラさんも探すの忘れちゃってましたし……」

 彼の捜索の為に来たというのに、現状はただの観光に成り果てている。もっとも、練り歩いた甲斐もあって、この商店街には彼が居ないというのが分かったので、フェベルは自身の衝動買いを正当化させる事に成功した。物事は常にポジティブに思考するべきなのである。
 財布の中を確認する。幸いにも、局内の換金所で両替して来たこちらの世界の紙幣がまだ幾つか入っていた。とは言っても、これで全財産だと思うと非常に心許ない。

「アストラさんはどこに行っちゃったのかな」

 勝手にライバル視している高町なのは打倒の案を模索する為、アストラは彼女が住まうこの次元世界に自分との約束を踏み倒してまで跳んだ訳だが、フェベルはどうやっても無理だと思っていた。
 高町なのは。階級は准空尉。就職、自立年齢共に非常に低いミッドチルダに於いても、この歳でその階級まで達する者は希少だった。中でも十一歳で執務官試験に合格した少年の事は、今でも語り草が残っている。
 将来の夢は戦技教導官。右肩上がりの基礎魔力量や技術はまさに天元突破。限界を知らないレベルだ。手練れの陸戦魔導師を纏めて十人単位でぶっ飛ばすような砲撃魔法をスコールの如く連射し、『全力全開!』と称して本局の頑強な訓練施設を半壊させ、『てへへ』と微笑んでしまうような、それは大変に愛らしい少女である。
 もう意地だとか反骨心だとか、そう言ったものを抱くような対象ではない。射撃魔法どころか、初歩的な拘束魔法すら満足に構築出来ない突撃馬鹿な少年士官が勝てるような相手ではないのだ。

「そうですよ、アストラさんもサッサと諦めるべきです。いつまでもウダウダ言って追いかけ回して、もう」

 その意気込みは賞賛されるものだが、現実は甘くはない。人間には出来る事と出来ない事があって、どうにも超えられない壁が必ずどこかに屹立しているものだ。アストラはそれが分からず、そして理解せず、その壁に全身全霊で神風特攻を仕掛けている。それはもう、健気なほどに。

「……健気……」

 唐突にだが、思った。あそこまで高町なのはに固執しているのは、本当にただ彼女に勝ちたい為だけなのか。
 容姿端麗。勇猛果敢。謹厳実直。大変に才色兼備である。
 なるほど、人としての形はとても良く出来ている。フェベルも高町なのはとは友達関係なので良く知っている。男の子が夢中になってしまってもおかしくはない少女だ。
 それらの情報とアストラの彼女に対する熱意っぷりと吟味してみると、

「アストラさん……もしかして、なのはさんが好きなのかな?」

 そんな疑惑を抱えるに至ってしまった。
 そうだ、それなら大いに納得が行くではないか。あれはアストラなりの愛情表現なのだ。男の子の中には、好きな子に悪戯をしてしまうタイプも居る。彼の性格から考えて見事にこのタイプに合致するではないか――!

「うう、相手が悪すぎです」

 『ずうん』と肩と胸が重くなる。アストラの心は彼女に首っ丈という訳だ。誰よりも猪突猛進という言葉が似合う彼の事だ、その心が誰かに靡く可能性は非常に低い。
 そこまで考えて、フェベルは慌てて首を横に振った。馬の尻に鞭を打ち込むように、挫けてしまいそうな心を叱咤する。

「大丈夫! なのはさんはすっごく鈍いらしいですから、アストラさんなんかに振り向くはずないです! そもそも、アストラさんの荒唐無稽な我侭っぷりに最後までお付き合い出来るのは私ぐらいなんですから……?」

 独り言が喉の奥に落ちて行く。
 昼下がりののどかな商店街の一角。そこを、とても見覚えるのある少年と少女達が歩いていた。
 少年は突撃馬鹿こと、アストラ・ガレリアン。一方で少女達は――。

「ヴィータちゃんと……リインちゃん?」

 赤髪の少女は遠眼から見ても分かってしまうぐらいに不機嫌そうで、空色の髪の少女は無邪気にアストラにくっついて、とことこと歩いていた。



 ☆



「運動音痴……体力無し……反射神経良いけど活かせねぇ……」

 それが高町なのはの数少ないウィークポイントだが、それは知人の中では周知の事実だ。彼女の私生活を覗いてまで確認するような事でも無かった。
 眼の前を歩く少年下士官は、似合いもしない顎を抱えた思案姿で黙然としている。腰にくっついている人懐っこいリインなんてまるで眼中に無しだ。

「だからさぁ、諦めろっての」

 その諦めの悪さには感服するが、無理なものは無理だ。ヴィータですら彼女との模擬戦の勝率はあまり宜しくないのだ。元々戦闘行為そのものを好かないヴィータだが、悔しく思う。
 アストラは何も返しては来なかった。何やらブツブツと愛用の突撃槍型デバイスと密談をしている。

「フェイトみたいに高機動で引っ掻き回す……?」
『理想的にして唯一の対応策でしょう。我がマスターが高町なのは准空尉に勝っている部分は運動神経と近接のみです。ならば、自ずとやれる事とやれない事は区別されます』
「でもよ、あいつの防御はやっぱキツいぜ」
『何も一撃で突破する必要はありません。近接での手数で魔力を削り、押し込むように攻めれば勝機はあるでしょう。こちらの攻撃さえ通れば、我がマスターの近接攻撃力ならば相当なダメージを期待出来ます』

 アストラは納得した様子で感慨深げに肯く。

「ゴキブリのように舞い、蚊のように刺すんだな」
『あなたはまず語学関連から勉強をするべきです。第四陸士訓練校に戻りましょう。いえ、高町なのは准空尉の小学校で充分です』
「誰が戻るか! むしろデーモンの小学校で充分ってのはどういう事だ!?」
『そういう事です。そもそも、あなたは脳の容量からして一般人に大きく劣っています。語学関連とは言わず、そこから自覚する事を始めましょうか?』
「……てめぇ、ほっっっんとに俺のインテリジェントデバイスか? 俺の硝子のように繊細な心は今や引っ掻き傷だらけなんスけど? そこんとこ自覚ある?」
『防弾硝子のように堅牢な心の間違いでしょう?』
「……決心したぜアンスウェラー。今すぐ隊舎に戻って、クイントさんのナックルでてめぇをボコボコにしてもらおう」
『魔導師とデバイスは一心同体。その時はあなたも満身創痍となる訳ですが、宜しいでしょうか?』

 胸元で揺れているシルバーアクセサリーに怒鳴り散らしている少年の姿は、やっぱりどう見てもお近づきにはなりたくない光景だった。ヴィータは溜め息をついて、その尻に蹴りを入れる。

「っつ!? てめぇ、何しやがる!」
「表出てデバイスを話すなって言ったじゃねぇか」
「売られた喧嘩を買ってどこが悪い!?」

 すでに話の論点が違う。ヴィータはさらに一発蹴飛ばした。股間を直撃。勇猛果敢な少年下士官は白眼を剥き、股の間を押さえて悶絶した。

「アースラ! レッグフライヤーを射出してくれ! シルエットはソードだ!」
『お気を確かに。我がマスター』

 苦し紛れの戯言を慣れた調子で切り捨てるアンスウェラー。もはや阿吽の呼吸の域だった。

『紅の鉄騎も怒りの矛を納めていただきたい。愚かで救いようのない阿呆ですが、これでもまだ将来の見通しが立っていない少年です。若くして不能になってしまうのは心苦しい』
「……ミッドのデバイスって大変なんだな」
『ご理解、感謝します』

 馬鹿な主を健気にフォローするミッドチルダ製のデバイスに本気で同情するヴィータ。誰かに使役されるという経験は彼女にもあるので、何だか他人事のように思えない。
 その経験や、自分やグラーフアイゼンとの関係を考慮しても、この一人と一機には違和感を感じずにはいられなかった。
 アンスウェラーはアストラを。
 アストラはアンスウェラーを。
 彼らは互いに互いを信じている。決して言葉や態度に出さないだろうが、誰よりも信頼している。漠然とだが、確かにヴィータはそう感じた。本当に仲が悪ければもっと殺伐としているものだが、彼らの間にはそれが無い。むしろ、どこかくつろいだ雰囲気があった。仔猫や仔犬が戯れにじゃれ合っているような、親友同士がふざけあって互いを馬鹿にし合うような、そんな関係。

「お前らってさ」

 魔導師とデバイスがそんな関係を築いているのは異例だった。
 なのはとレイジングハート。
 フェイトとバルディッシュ。
 そして自分達とアームドデバイス。
 互いに絶対的な信頼を寄せ、互いの命を預け合っている。要は相棒だ。アストラとアンスウェラーも相棒同士という点に於いては変わらないが、やはり違う気がする。

「あ? 何だよ」
「何か友達みたいだよな」

 その違いを表す言葉は、間違いなくそれだった。
 アストラは大袈裟に嫌そうな顔をする。

「何言ってんだお前。友達じゃなくて相棒だ、相棒。魔導師とデバイスなんだか、友達ってのはおかしいだろ?」
「それは分かるんだけどさ。でも、何か違うなって思って」
「? 良く分かんねぇけど、こいつと友達なのは嫌だね。事ある毎に噛み付きやがって」

 シルバーアクセサリーの形をしている相棒を摘み上げる。

『遺憾ですが同意します。私も我がマスターと一般的な友好関係を結ぶのは遠慮させていただきます。私と彼はあくまでも使役する者とされる者です』

 妙に毅然とした口調だった。意識してそう言っているのは、探りを入れなくてもすぐに分かった。

「素直じゃねぇな、お前ら」

 そう言って、ヴィータはケラケラと笑った。デコボココンビな彼らが今は猛烈に可笑しかった。
 こんな奴らと時間を共有するのも悪くない――。
 眉を顰めるアストラと沈黙するアンスウェラー。すると、ずっと黙っていたリインが指を口に咥えて物欲しそうに口を挟んだ。

「アストラ〜。リインはお腹が空いたです」
「あ? そういやもう昼過ぎか」

 思い出したようにヴィータの腹も鳴った。ぎゅぎゅ〜という、なかなか盛大な音だった。
 ニヤリとアストラの頬が邪悪に歪んだ。

「いい音だな、ガキんちょ」
「う、うるさい!」

 何故か急に恥ずかしくなった。別にこんな奴に腹の虫を聞かれても何も困らないというのに。
 その視線に耐えられなくなって、ヴィータは彼に向かって思い切り背を向けた。

「家に帰るか?」
「なのはの『てーさつ』はもういいんですか?」
「ん〜。まぁ、改めて見る必要も無かったけど、色々再確認出来たし。後はこの頼りにならねぇ相棒と相談するまでだ」
『ならば得意の徒手空拳で高町なのは准空尉打倒を目指して下さい。不可能でしょうが』

 それは誰だって不可能だ。
 再び愚にも付かない口論を始める一人と一機。ヴィータは見向きもせずに憮然と言った。

「家に帰ってもメシは出ねぇぞ。シャマルは居ないんだし。はやては学校だし」
「そういえばそうだっけ。……だったらお前ら、八神もシャマルも居ねぇ時はどうしてんだ?」
「シグナムと一緒の時はお寿司を食べてます! この前ザフィーラとお留守番してた時は出前でウナギを頼みました!」
「……このガキ、ヤリすぎ」

 頬をまともに引き攣らせたアストラが、某最強オヤジ格闘アクション映画のキャッチコピーのような台詞をこぼした。ヴィータは知る由も無かったが、彼は局内のコンビニ弁当を主食にしている節がある。ウナギだの寿司だの、そんな高価な外食は今までほとんどした事が無いのだ。

「ん〜、じゃあどうするか。帰って出前でも取るか。……その前に、てめぇら金持ってねぇよな?」
「持ってる訳ねぇだろ。こっちの世界の金なんてはやてからお小遣いで貰ってるぐらいだ。ゲートボールの爺ちゃん婆ちゃんからも貰ってるけど」
「リインは一ヶ月千円生活です!」

 リインフォースはともかく、ヴィータは武装隊所属の特別捜査官補佐として管理局に雇用されている身分である。シグナム達と同様に給与は支給されているが、使う宛も無ければ使うつもりも無いので、全額が管理局が運営している金融機関にほとんど手付かずで残されている。
 これは何も彼女達だけに言える事ではなく、なのはやフェイトもそうだ。彼女達の場合、入局してから二年近くも貯金しっ放しなので、こちらの世界で換算すれば庭付き一軒家を購入出来るぐらいの金額が口座にあるはずだった。なのはの口座はこちらにあるので高町夫妻が管理しているのだが、その通帳残高にあの仲の良い夫婦が揃って嘆息づいていたのは、誰も知らない事実である。
 何はともあれ、そんな金額を引き出して持ち歩く訳にもいかず、ヴィータははやてから月々のお小遣いを貰って過ごしているのだ。

「……マジでお子様だな、お前ら」
「そういうお前はどうなんだよ?」

 問い返すと、彼は尻のポケットを探って財布を取り出した。使い古された感のある大きな財布だった。

「出て来る前に局の換金所で換えて来たから多少あるぜ」
「リインは焼肉がいいです!」
「あたしもあたしも!」

 こんな時は現金になっておくものだ。今や複雑な感情を抱く対象になってしまった少年下士官が輝かしい救世主に見えた。
 雛鳥のように群がる二人の少女に、アストラは財布の中身を確認して意見を吟味する。

「焼肉かぁ、まぁそれもいいかもなぁ。でも晩飯は八神のオムライスだし……食べ過ぎてオムライスを食べれなくなっちまうのは拙い……」
「食後の運動なら付き合ってやるから、焼肉だ焼肉!」

 すると、アストラの胸でシルバーアクセサリーがチカチカと輝いた。

『紅の鉄騎、それは模擬戦の仮想敵を申し出てくれているのですか?』
「おう! 焼肉驕ってくれるんならやってやってもいいぜ?」
『我がマスター。これは素晴らしい提案です。安い投資で紅の鉄騎が模擬戦に同行するのです。是非焼肉屋に駆け込みましょう』
「……安い投資で済むのか、こいつら相手に焼肉が?」
『あなたもそれなりの額を口座に持っているでしょう。ここは躊躇するべき場面ではありません。ご決断を』

 そう言うアンスウェラーは、アクション映画で大統領に核兵器使用を迫る国防省長官のようだった。ヴィータはこの前見た『インデペンデス・デイ』を思い出した。
 考えあぐねたアストラは、十秒間ほどヴィータとリインの眼差しに晒された結果、折れるように肯いた。

「分かったよ。ただし、食い放題のとこだけだ。てめぇらの喰いっぷりは大体予想がつくからな」

 二人の少女は異口同音で綺麗に『はぁ〜い』と答える。
 アストラという厚かましい異邦人に抱えていた苛立ちは、もうヴィータの心中からは綺麗サッパリと消えていた。それどころか、新しい遊び相手に巡り会えたような、高揚感にも似た不思議な感情が芽生えていた。
 人影の少ない商店街を見渡せば、道路を挟んだ向かい側に立っているファミレス風の焼肉屋が眼に止まった。幸いにもタイムサービス実施中の看板が立っている。ナイスタイミングだ。
 協議の必要もなく、三人は横断歩道を渡ってその焼肉屋の扉を開けた。ピンポーンと来客を告げる呼び鈴が鳴り、すぐに店員が駆けつけて――来なかった。
 今は平日の昼下がり。それほど客入りは宜しくはないものの、昼食を楽しむのどかな風景も――どこにも無かった。
 代わりにヴィータ達を迎えたのは、

「誰だ!?」

 緊張に震えた荒々しい怒号だった。
 床に捻じ伏せられた客と店員。
 割れた皿や肉が飛び散ったテーブル。
 張り詰めた絶望的な空気。
 その中心に、ニット帽とサングラスという強盗の典型的な身形をした男が、握り締めた拳銃のような物を振り回していた。
 硬直するアストラとヴィータ。一方、リインと言うと。

「ああああ〜! お肉が床に落ちてます〜!」

 涙眼になってとことこと店内に入り込み、

「クソガキ、動くなって言ってんだろうがぁ!」

 そのまま強盗の手によってひょいっと捕まってしまった。
 偶然か必然か、ヴィータ達は強盗現場に遭遇してしまったようだ。



 ☆



 その一部始終を窓硝子から覗いていたフェベルは今にも倒れてしまいそうだった。

「ど、どどどどどーしましょうー!?」

 警察に連絡する等と言った当然の行動は頭が錯乱しているせいでほとんど浮かばない。そもそも、フェベルはこちらの世界の警察組織というものがどう言ったものなのかも分からないので、冷静であっても連絡のしようが無かった。
 アストラ達に強盗犯は思い切り取り乱していたが、リインを小脇に抱えて彼女を人質に取ると、イニシアチブを取り戻したようだ。拳銃をアストラとヴィータに突きつけて、二人を無理矢理跪かせた。大の大人が子供二人を脅している光景は滑稽だったが、そう思えるほど、フェベルは冷静でもなかった。

「フェ、フェイトさん達に連絡を……!」

 ここで頼りに出来るのは彼女達ぐらいだ。相変わらず警察という公務員達の存在は頭のどこにも浮かばない。
 思念通話の準備をして、さっそく接続しようするが、

「届かない……!?」

 残念ながら、フェベルの魔力資質は最低レベルだ。尚且つ運動神経も最低レベルであった為、陸士訓練校のコースは魔法資質の無い内勤組である。有効距離数百メートルが限界の思念通話くらいしか使えない。
 窓硝子の向こう側では、強盗犯が何やら喚き散らしている。拳銃の発砲はまだ無いようだが、その余裕皆無な形相を見る限り、いつ人質となっている人間達にその引鉄を絞るか分からない。
 リインは状況が飲み込めていないようで、キョトンとした顔で男の脇の中。ヴィータは頭を抱えて膝をつき、アストラは額に汗して微動だにしない。普通の無茶を無茶だと思わない彼とは言え、さすがに現状は手の出しようが無いと理解しているようだった。
 そんな二人に銃口が向く。照明に反射した無骨な短バレルがギラリと黒光りした。
 思案している時間はほとんど無かった。今動けるのは自分だけだ。ならば自分がやらねば他に誰がやる――!?
 思念通話をアストラへ接続。程無くして通話可能となる。

『アストラさん! アストラさん!?』

 店内のアストラが途端に挙動不審になった。キョロキョロと辺りを見渡して、犯人に怒鳴られている。

『フェ……フェベルか!? てめぇ、はぁ!? こっちに来てんのか!?』

 はい、と答えようとしたが、すぐに止めた。どうして来ているのかと訊かれて、『アストラさんが気になって着いて来ました』なんて赤面ものの返事をしなければならなくなる。
 フェベルは咳払いをすると、用件のみを伝える事にした。

『今から助けます。ちょっと大人しくしてて下さい』
『……やめとけ。自分の運動音痴っぷりを忘れたのか?』

 冷めたピザのようなシケた口調だった。

『ちょ! もっと言い方があるんじゃないんですか!? 『敵は銃で武装している! 注意しろ!』とか!』
『いや、それ以前の問題だ。いいか、絶対に来るなよ。死んでも来るな。てめぇが来たら百二十パーセントの確率で事態が悪化する。下手をすれば死人が出る。てめぇが危険に晒されるのは勝手だが、俺達をこれ以上危険な状態にさせるな――!』

 もう無茶苦茶である。しかし、彼のありありとした必死さが充分に伝わって来た。その表情に張り付いている懸念と恐怖の色を見れば一目瞭然である。
 もちろん、フェベルはそれが面白くなかった。せっかく危険を顧みずに助けに行こうと思ったのに。

『もう! 素直に助けて欲しいって言って下さい!』
『だから要らんと言ってんだろ! 素直もクソも、これぐらい俺一人で何とかする! ガキんちょも居るしな』
『……ガキんちょ?』
『ああ、ヴィータだよヴィータ。適当にやるから、てめぇはとにかくじっとしてろよ?』

 思念通話が向こうから切られた。聞こえるはずのないツーツーという酷薄な切断音が聞こえたような気がした。
 じっとする事五秒。フェベルはおもむろに立ち上がり、店の後ろに回り込む。勝手口はすぐに見つかった。

「私だってやる時はやります」

 もう友達以上になっていると思っていたのに、彼は自分よりもヴィータを信頼していた。身体能力を考えれば当然かもしれないし、フェベルも納得は出来たが、腹は立ったし嫉妬も浮かんだ。それは制御が難しい感情的衝動だった。
 ここは何の問題もなく彼らを助け出して、アストラを見返してやるのだ。頼りになれる所を見せて――。

「んにゃ!?」

 開いた勝手口の床は濡れていたらしく、フェベルはさっそく派手に転倒した。



 ☆



 強盗犯はいくらか落ち着きを取り戻したらしい。鼻息は荒いままだが、注意深く店内を見渡して、女性店員を小突いている。どうやらレジ内の金を鞄に詰め込ませているようだ。ここまで来てリインフォースは自分を抱えている男が友好的ではない事を知ったようで、泣き出してしまいそうな顔で大人しくしている。

『誰だったんだよ、今の』

 ヴィータが背中を足蹴にして来る。

『フェベルだよ。訳分かんねぇけど、こっちに来てるらしい』

 二人はテーブルソファに背中を向けて、強盗犯から数メートルほどの距離に居た。飛び出せばすぐにでも組み付ける位置だが、リインフォースが人質代わりになっている以上は下手に動けない。拳銃などという物騒な武装が敵の手中にはあるのだ。

『で、どうするんだ?』

 ヴィータの表情は硬い。妹分のリインフォースが危険な目に合っている現状が我慢出来ないのだろう。
 それはアストラも同じだった。付き合いの短い長いに関係なく、彼女達は友達である。ついでに床で無残な姿を晒している精肉が哀れだった。

『爺さんが言ってた。野郎にはやっちゃいけねぇ事が二つある。食べ物を粗末にする事と、女の子を泣かす事だ』

 こっちは本局内のコンビニ弁当か、カップメンか、出動現場で支給される些細なレーションが主食だというのに――!

『あたしが出るから、お前がぶっ飛ばせ』
『いや、俺一人でやる。てめぇはリインを頼む』

 慎重に、ゆっくりと、アストラは気配を殺して動いた。レジスターの中の売上金を搾り出した強盗犯は、事務所にある金庫の予備金も持って来るように喚き散らしている。

『何カッコつけて……』
『てめぇはこっちじゃお子様その一だろ? 黙って見てな』
『あたしはお子様じゃねー!』
『知ってる』
『じゃあ――!』

 思わず立ち上がろうとするヴィータを、アストラが振り返って制する。
 この非常事態にも関わらず、彼は笑っていた。

『でも女だろ? こういう時は野郎に任せとけって』

 アストラはヴィータに背を向けると、魔力を体内に循環させ、身体能力を強化する。陸士訓練校で徹底的な格闘訓練を叩き込まれている少年下士官にとって、一般人が拳銃を一つ持とうがまったく関係無い。魔力強化の必要も無く、完璧な独力で取り押さえる事も簡単だ。だが、そこに人質が関わって来ると話が変わる。最悪の事態は常に想定して動きべきだと、彼は徒手空拳による近接戦闘術と共に教わった。
 背後でヴィータが座る気配がする。彼女と共に取り押さえた方が効率は良いが、何かあって怪我をさせては八神はやてに合わせる顔が無い。

『リイン、もうちょい大人しくしてろよ……?』

 アストラの位置からでは、リインフォースは可愛らしい尻しか見えないので、お決まりの台詞も全く締まらなかった。
 一歩一歩を確実に進め、強盗犯との距離を詰めて行く。強盗犯は厨房奥にある事務所をチラチラと窺って、アストラの接近に気付いていなかった。
 絶好の機会がすぐそこにあった。静かに息継ぎをして、他の客や店員達が見守る中でアストラは飛びかかるべく身を低くする。
 強盗犯の悪態が聞こえたのは、まさにその時だった。

「何で店長が居ないんだよ……!」

 踏み込みかけていた脚が止まった。
 強盗犯が血走った眼で床に伏している店員達を見遣る。

「おい! どうして今日に限って店長が居ないんだ!?」

 誰も答えなかった。店員達は一様にお互いの顔を見合わせてざわめき立つ。

「答えろ! 今日はどこに行ってんだ!?」
「か、会議だよ。定例の店舗会議に行ってる……」

 拳銃を突きつけられて、店員の一人が脅えたように言った。
 強盗犯は憤怒した様子で舌打ちをする。

「畜生……! どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだよあの野郎……!」
「お前、もしかして」
「うるせぇ黙れ!」

 発砲。耳をつんざく乾いた音が店内に木霊した。
 短い悲鳴が響き渡る。僅かな硝煙の香りが鼻をつく。天井に撃ち込まれた弾頭は建材と埃をパラパラと床に撒き散らした。

「俺に出来ない仕事ばっかり押し付けやがって……! 失敗したらダラダラ怒る癖に、ちゃんとやっても当たり前みたいな顔だぞ! 人を舐めるのも大概にしろってんだクソッタレ!」

 そこで二度目の発砲。再び悲鳴。脇に物のように抱えられているリインが脅えたようにビクンと身体を震わせた。
 体裁を維持するのを止めた犯罪者の姿に、アストラは無言だった。どうやらこの男は金銭目当ての強盗ではなく、怨恨を晴らす事が目的らしい。

「俺はてめぇのパシリか!? ああ!? 俺を過労死させるつもりかよ!? てめぇの仕事はてめぇがしろってんだぁ!」
「で。てめぇは逃げ出した訳だ」

 口にしてしまったら最後、もう後の祭りだった。
 強盗犯が振り返る。すぐ背後に立っていたアストラに情けない悲鳴を上げて飛び退いた。
 震える黒い銃口が眉間に突きつけられる。
 迂闊過ぎる行動だろう。誰もがそう批難するに決まっている。それはアストラも重々承知している。しかし、自身の行動が間違っているとは思わなかった。告げた言葉にも後悔を覚えない。
 アストラは卑屈げに口元を歪めると、頭一つ以上の身長差がある眼前の男を、挑むような眼差しで見上げた。

「仕事ってのはな、ちゃんとやるのが普通なんだよ。やって当然で当たり前なんだ」
「……な……!?」
「やらなきゃならねぇ事をやらないから怒られるんだよ。仕事の内容も、責任問題も、そんなの何にも関係ねぇ」
「んだとコラぁッ!?」

 男の悲鳴がにわかに殺気立つ。眼の前に浮かんでいる銃口の震えが酷くなる。何が切っ掛けで引鉄が絞られるか分からないが、アストラに恐怖心は欠片も無い。
 今は、ただひたすらにこの男の被害妄想を叩き壊したかった。

「出来ない事に挑戦していかなきゃ、人間は成長しねぇんだよ。その店長って人は、てめぇを信頼して、てめぇに成長してもらいたくて仕事任せてたんじゃねぇのか?」
「そんな訳あるか! そんな綺麗事で……!」
「まぁ、全部が全部そうとも限らねぇ。嫌な上司ってモンはどこにでも居るもんだから」

 肩を竦めてみせる。それは否定しようの無い事実だ。悪質で粘着質な嫌味ったらしい上司はどこにも居る。無論、管理局にも。
 人情人事すら容認する懐の広さを持つ時空管理局という組織は、クラナガンにそびえ立つ地上本部を始めとして、複数の次元世界に支局を持ち、関連施設や組織の総数は数えるのも馬鹿らしいほどに存在する。そこで業務に追われる者や、任務に従事している局員の数はそれこそ星の数だ。それでも慢性的な人手不足は解消される兆しは無く、陸士訓練校等の訓練施設には、人を小馬鹿にしたような時空管理局局員に相応しくない輩がゴロゴロとしている。

「そういうのから逃げ出すのは別に悪い事じゃねぇよ」

 身寄りも無く、大した魔力資質も無く、気合と根性で厳しい陸士訓練校の訓練メニューを消化していたアストラは、そうした信頼に値しない上官達と何度も衝突して来た。訓練と称して私刑にかけられた回数は両手の指で数えても足りない。

「俺だって嫌だった。結構……しんどかった」

 それでもアストラは逃げなかった。物覚えの悪い訓練生だった自分を見放さず、最後まで手を差し伸べてくれた教官もいてくれた。背中を叩いてくれた同僚もいた。何度も挫けそうにもなったが、その度に祖父の遺産が愚直なまでの真っ直ぐな言葉で叱咤してくれた。
 すべては、親代わりをしてくれた老人が遺した言葉を貫く為に。自分が納得できる生き方をする為に。
 アストラは鼻を鳴らす。

「でもよ、てめぇ、逃げ出してどうすんだ?」
「俺は逃げてねぇ!」
「逃げるぜ。上司が嫌で、何か訳分かんねぇ事してるじゃねぇか。文句があるなら向かい合って対等に言えよ。そんな物騒なモン持ち出してどうすんだ?」
「黙れ……!」
「嫌な現実に喧嘩売るか、尻尾巻いて逃げ出すか、そいつはてめぇの勝手だ。でもよ、てめぇのその行動に他人の俺達を巻き込んでもいい理屈なんてありゃしねぇぞ?」

 アストラの言葉は耳を塞ぎたくなるような正論だ。自暴自棄になった者には特にそうだ。正論とは時にただの綺麗事にしかならない。それはアストラ自身も分かっていた。これで犯罪者の興奮は最高潮を迎えるだろう。どんな凶行に走るか分かったものではない。
 それでも口にしたのは、やはり腹が立ったせいだ。
 見る限りの大人が、子供で、馬鹿で、後先考えずに行動していると自覚しているアストラ・ガレリアンでも理解している事実を分かっていないのだから。
 一瞬の沈黙の後、強盗犯は喚き散らしてアストラの横っ面を薙ぎ倒した。大人の膂力が十代半ばの少年の身体を人形のように吹き飛ばす。テーブルに背中から突っ込み、アストラは騒音を上げて床に転げ落ちた。
 口の中にじんわりと血の味が広がる。背中に激痛。意識が軽く飛んだ。それでも言ってやった。笑って、鼻で笑った。

「キレるって事は自覚ありか。じゃあ、てめぇはまだ戦えるぜ。嫌な現実から逃げてるって自覚してるんなら、出来ねぇ事に挑戦出来る」

 立ち上がろうとするが、何の防御手段も取っていなかったせいか、完全に腰に来ていた。打ち所が相当に拙かったようだ。足元が覚束ない。膝が完全に笑っている。
 強盗犯がリインフォースを乱暴に投げ出して、獰猛な唸り声を上げて突っ込んで来た。咄嗟に魔力を循環させて役に立たない腰と膝を無理矢理動かす。
 男の体格はそれなりに良かった。どちらかと言えば細身の部類に入るアストラを比較すれば、まさに大人と子供。迫るその身体は闘牛そのものだった。

「ったく、せっかくの昼飯タイムを邪魔しやがって」

 伸びて来た男の手から逃れ、横に回り込む。横眼でヴィータがリインフォースを助け起こしているのを確認して、強盗犯の腕を思い切り蹴り飛ばした。握り締められていた拳銃が放物線を描いて厨房の中に飛んで行った。

「なぁ……!」

 血相を変える強盗犯。次の瞬間、その顔面にアストラの手加減抜きの拳が突き立てられた。
 店員や客達が息を呑む中、男は千鳥足を踏み、ソファを押し倒すように突っ伏した。手足が二、三回揺れて、それっきり彼は動かなくなった。

「脅えて、怖がって、それで行動してるって事は、てめぇのどっかに不安もあったって事だ。不安は後悔に繋がる。それで、自分を駄目にする。ま、てめぇの場合はもう遅いだろうけどさ」

 哀れむように、アストラは言った。





 continues.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 後半辺りアストラに怨恨を持つ犯罪者辺りに変更しようと思ったんですが、何か書き直すのもあれかなと思いこのままに。ちなみに唐突に生々しい部分がありますが(色々と…)、 僕は大変に素晴らしい職場に三年間ほど働かせて頂きました。





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