魔法少女リリカルなのは SS

デーモン高町との名言を残した少年士官の三日間

二日目 決着編







 筋肉痛は慣れ親しんだ痛みの一つである。アストラは細身の体躯の持ち主だが、同時にしなやかさを持っている。彼の同僚――歳は二つか三つ上の場合が多いが――の多くは肩幅も広くて重厚な身体付きをしていて、言わば屈強な大型肉食獣。比較して、アストラは膂力よりも身軽さを選択した小型の肉食獣だ。
 力強さよりも躍動的な筋肉。それが、今は痛覚という痛覚を滅多刺しにされているような激痛を脳に向けて猛烈に発信している。打撲だの擦過傷だのの痛みもあるが、そんなのが霞んでしまうほどだ。特に酷使した足周りは洒落にならないレベルで、筋肉繊維が半ば断絶を起こしている。さらに疲労感も酷い。意識が何度飛びかけたか分からないが、痛みで頭の中が嫌でも明瞭となり、倒れようにも倒れられない。まさに生き地獄。

「いてぇ」
「そ……そりゃ仕方ないだろ。スゲェ無茶な魔法なんだからさ」

 水銀灯のぼんやりとした明かりに照らされた夜道を、アストラはヴィータの肩に寄りかかるように歩いていた。そうしなければ歩く事すらままならなかったので仕方がないのだが、外見も中身もお子様なヴィータに肩を借りなければならない自分が情けなく、ついでに格好悪い。

「ったくよ、ああいう魔法なんだったら使う前に教えろよな。極限強化魔法とか、マジ有り得ないだろ」

 なので、そんな不平不満も饒舌に舌の上を転がる。
 ヴィータはどこか罪悪感を滲ませる暗い顔をしていたが、一転して噛み付いた。

「ひ、人のせいにするつもりかよ。大体な、人が説明してる間に勝手に使うお前が悪いんだろ!?」
「ガキんちょ。てめぇ、八神から新しいぬいぐるみを貰ったらどうする?」

 憮然として、ヴィータは彼の言葉を吟味するように口を閉ざす。しばらくの思案の後、言った。

「……遊ぶ」
「説明書は?」
「……読まない」
「つまりそういう事だぁ! いいか、新しい武器が来たら使う! 新しい食い物が来たら喰う! 新しい玩具が来たら遊ぶ! 新しい魔法を覚えたら使う! これが人間の思考摂理だ! 開けるな見るなと言われるほど、人間は開けたくもなるし見たくもなるのだ!」

 人間は自己欲求に素直に生きた方が楽しいのである。色々な条件等が障害として現れるが、そんなものは屁でもない。糞喰らえだ。
 高らかなアストラの宣言だが、反応は実に冷ややかなものだった。

「で、結果がこれか? やっぱり馬鹿だな、お前」
『再認識していただけましたか、紅の鉄騎。我がマスター、魔法の中には使用者に多大な過負荷を与えるものが幾つか存在します。今回は私がリミッター的な役割を務めた為に反動はその程度で済んでいますので、その辺りの認識を改めて下さい』
「……はい……」

 頬を伝う熱い水は悔しさの涙。アストラは静かに肯くのみである。首筋と骨に鋭い痛みが走るが、悲鳴を上げれば今度は肺やら何やらが破裂してしまいそうなので、情けない悲鳴は自粛する。
 アストラはガラクタのような身体を引き摺るように歩くしかない。騒ぐ力も絡む気力も今は完璧に枯渇している。

「……結構驚いた」

 ヴィータが言った。八神家の近くまで来た時だった。

「何だ、俺の強さにか? 実は俺は才能が後々になって開花するタイプだったのさ!」
『安心して下さい。我がマスターの才能の無さは私が保証します。あなたはAランク相当の実力を保有しながら、その戦術や思考、出動時の危険行為、周辺被害等を考慮され、クイント・ナカジマ准陸尉からAランクへの昇格試験受講を禁止されている極めて珍しい陸戦魔導師です。今後もその方針に変更は無いそうなので、今後六年ほどはBランクのままでしょう。この不動の事実をお忘れなきよう』
「なぁ、ヴィータ。確か本局の技術局のマリーってさ、デバイスマイスターの資格持ってたよな? てめぇの口利きでこいつを俺の言う事には一切口答えしねぇそれはそれは従順なメイドデバイスにできねぇか? もしくはストレージデバイスにしてくれ」

 眼にほの暗い感情をたたえて、アストラ。彼の首から下がっている突撃槍型アクセサリーが真っ先に反論する。

『我がマスター。あなたは私があっての物種である事もお忘れなく。私が無いあなたはチーズバーガーのチーズ抜きと同じような存在です』
「だったら最初からハンバーガー頼むわ馬鹿め! っていうか何だその無意味な食い物!」
『つまり、あなたは意味の無い存在になるという訳です』
「……てめぇ、昨日の事まだ根に持ってんのか? かぁ〜、やだねぇ根暗な奴は。ケツの穴の小さい事で」
『私に排泄器官は存在しません。その比喩は正確ではありません』
「本当に口の減らねぇー野郎だな……!」
『私に口で勝てるとでも?』

 もはや一触触発状態だった。睨み合うアストラとアンスウェラーの間隙には見えない火花が舞い散り、視線の剣戟が開始されている。――待機形態のアンスウェラーのどこに眼の代用品が付いているのか定かではないのだが。

「だから、この世界でそういう喧嘩はすんなっての。夜に変な声上げてりゃ警察呼ばれるぞ?」
「けッ……命拾いしたな、相棒」
『マスターとしての威厳が保てましたね、我がマスター』

 使役する魔導師と使役されるデバイスの関係とは思えない言葉が互いに吐き残される。アストラは鼻を鳴らすばかり。アンスウェラーは自己主張とばかりに電光掲示板のように慌しく明滅を繰り返す。
 嘆息づいて、ヴィータが口火を切る。

「で、さっきの続きだけど……あたしが驚いたのは、お前の順応性だ」
「順応性?」
「さっきお前に教えてやった魔法……アクセラレータだけどな、あれの操作自体はそんなに難しいもんじゃない。デバイスにある程度の処理能力があって、並みの魔導師なら誰でも使える。なのに、どうして普及してないのか。分かるか?」

 声音を変えるヴィータに、アストラは自嘲気味に頬を歪めた。

「……こんなデタラメな強化魔法、真面目に使う奴はただの馬鹿だぜ」

 戦闘に不要な身体機能を強制的に休眠させ、身体を純粋な戦闘用に作り変える極限強化魔法。誇大な表現が用いられているこの魔法は、微妙な魔力と簡単な術式の構築、口頭詠唱による魔法現象の統一と増幅を付属すれば、それだけ成立する簡単なものだ。魔導師としては不器用なアストラでも、デバイスを用いれば構築は容易。だからこそ術式の説明を受けただけでも、ぶっつけ本番的に行使出来たのである。
 そんな簡単に行使出来る魔法の恩恵は、破格の身体能力である。魔導師としては雲の上の存在であるヴィータに対して、アクセラレータを使用したアストラは、紅の鉄騎の反応速度を超える速度で動き、半ば互角の戦闘を展開出来た。
 ヴィータが保有している魔導師ランクはAAA+。ベルカ式には珍しい空戦型で、近距離から中距離まで標準的にこなせる高い汎用性すら兼ね揃えている。これだけ優秀な人材は管理局広しと言えど簡単には出て来ない。
 そんな少女を相手に、実質Aランクでも様々な外部要因が重なってBランク指定なアストラが極々限られた時間内だったとは言え、互角に渡り合えたのである。驚嘆を通り超して異常な戦果であった。

「やっぱり痛むか?」
「見りゃ分かるだろ? この魔法を開発した奴はよっぽどのマゾだぜ」

 いつもの強がりも軽口もさすがに出て来ない。
 簡単に行使出来る上に圧倒的な戦闘能力を獲得できるアクセラレータだが、そのデメリットも破格だ。
 戦闘に必要な筋肉や神経、その他の機能を強制的に向上させられる為、魔法効果が途切れるとその過負荷が反動となって身体に返って来る。同時に休眠状態だった身体機能すべてが復帰するので、その反動を正常に認識して脳に伝達。使用者は指先一つ動かすのも億劫になるような倦怠感と虚脱感に苛まれる。
 殺傷設定や対物設定の魔法が飛び交う実戦に於いてそうなった場合、周囲に同僚が居ようが何が居ようが、やって来るのは敗北や平凡の危機ではなくて死だ。
 ハイリスクと呼ぶには足りず、もはや退路を断った自殺魔法。それが極限身体強化魔法アクセラレータなのだ。

「てめぇは使った事あんのか?」

 使用後の危険性を考慮すれば、あまりにも実用的ではないこの魔法を、戦闘中は冷静な判断能力を持つヴィータが使うとは思えない。そもそも、こんな自爆魔法に頼らずとも、この赤毛の勝気な少女は十二分に強いのだ。それなのに、どうしてアクセラレータの術式を知っていたのか。

「いや、あたしはねぇ。そもそもこいつはミッド式だ。あたしには使えねぇ」
「そうなのか? じゃてめぇ、この魔法どこで知ったんだ?」
「デバイス暴走事件の時。レンって白衣変態野郎が使ってたんだよ」

 アストラの頬が見えない手で抓られたかのように歪む。

「つー事は何か!? こいつはあの極悪人の魔法かよ!?」
「まぁな」
「マジで!? うわ、何か胸クソわりー! あのさ、これ切り札にしてデーモンに喧嘩売ると余計にボコられそうな予感がするんだが!」
『我がマスターは目的の為ならば手段は選ばないと公言をされていました。問題は無いでしょう。そもそも、アクセラレータを使わずとも我がマスターは常に満身創痍です』
「いちいち突っ込まんでいいわぁッ!」

 そんな話をしている内に、二人は八神家に到着した。洋風な佇まいの民家には明かりが灯り、中からは少女達の喧騒が聞こえて来る。

「誰か来てんのかな?」
「……この声、はてどこかで聞き覚えが……」
『―――』

 ヴィータが扉を開けて、アストラは怪訝そうにしつつ、アンスェラーは沈黙を守り、三者三様で二人と一機は帰宅の声を告げた。



 ☆



 なかなか不思議な光景が眼の前で展開されている。フェベルはオレンジュースで満たされたグラスを両手で支えるように持ち、ソファの上にちょこんと腰掛けて傍観者に徹していた。
 五人の少女達が仲良さ気に遊んでいる。時刻的にそろそろ帰宅を進めるべきなのだが、それに気付かない彼女達ではないだろう。月村すずかは先ほど家の方に電話をしていたし、迎えの手配は終わっているようだ。アリサ・バニングスもそうである。
 問題は、残りの魔導師三人組だった。
 史上最年少での教導隊入りが囁かれている少女。
 五つ年上の義兄とのバカップルぶりが局内でも名物化している執務官の少女。
 十二歳の細腕で五人の家族を養っている――正確には違うが――特別捜査官の少女。
 勉強会を早々に終わらせた彼女達はリビングでテレビゲームに熱中していた。いや、正確に言うならば、アリサ組とすずか組に分かれているというべきか。アリサはなのはとフェイトの三人で携帯ゲーム機で遊んでいるのだが。

「はわわわわ! アリサちゃん回復お願い〜!」
「あんたヘビーボウガン使ってるんだからもうちょっと下がりさいって! もう! 何の為のラオ砲よ!」
「私が前に出るからその隙に回復を!」

 非常に切羽詰った緊張感を漂わせながら、ひたすら手元の小さな画面に全神経を総動員している。多人数で遊ぶ事も出来る内容らしく、ジャンルは『モンスターハンティング』だそうだ。
 一方ではやてとすずかはというと、大型のプラズマテレビに釘付けだ。息を呑み、そして殺し、全身を強張らせているその様は、見ているこちらが手に汗握りたくなる。

「あかん見つってまう!」
「はやてちゃん、ダンボールだよここは!」

 こちらのゲームジャンルは『潜入』らしいが、フェベルがふと手にとった説明書には『男は隠れるのをやめた』と書いてあった。まったく以ってよく分からない。
 いや、それ以前に生まれてから十一年、フェベルはテレビゲームには一切触れた事が無い。苛烈な銃撃戦のように飛び交う言葉は異国語にしか聞こえなかった。

「………」

 フェベルは一人で完全に蚊帳の外状態だが、敢えて踏み込む勇気も持てないし、持とうとも思わなかった。級友と無邪気に笑い合っているなのは達に違和感を感じてしまって、どうしてもそれが払拭出来ないのだ。大企業の不正でも見てしまったかのような衝撃である。

「フェイトさん達もこっちじゃ普通の人なんですねぇ」

 縁側で茶を啜りながら老後を楽しむ老人のように呟いてみる。級友達と和やかに遊ぶフェイト達は、どこからどう見ても普通の十二歳の少女である。
 何となく羨ましかった。フェベルも同年代の友達がいない訳でもないが、こうして眼の前の少女達のように気軽に遊ぶのは難しかった。そこは目指すべき場所に時空管理局を選んでしまった以上、犠牲にして差し出さなければならない青春という奴だろう。

「フェベルちゃ〜ん」

 小休憩に入ったらしいなのはがにっこりと微笑みながら隣に腰掛ける。アリサとフェイトは難しい表情で携帯ゲーム機を手放す気配を見せない。

「フェベルちゃんもやる?」
「え!? い、いえ、その、私は反射神経とか無いんで、この手のはちょっと」
「そう? 面白いのになぁ。じゃあさ、今度一緒に遊ぼうよ」
「そ、それは、は、はい、もしなのはさんが宜しければですけど……」

 ニコニコと天使のような微笑を振り撒く十二歳の准空尉。フェベルは眼を合わせる事が出来ず、もじもじと身じろぎするばかりだ。
 なのはとは知らない仲ではない。フェイトを通して何度も話をしているし、遊んだ経験だって何度もある。
 少なくとも、昨日までは軽い友達であると思っていた。

「あの、なのはさん。質問があるんですけど、いいですか?」
「うん、なに?」

 将来を有望視されている未来のエース。優しくて強くて、尊敬出来る友達。彼女との関係は同じオペレータの友人達にちょっとだけ自慢出来るかもしれない。なのはと顔見知りになってから、そんな風に思って来た。
 でも、今はちょっと違う。
 複雑な気持ちが心中で鎌首をもたげている。親しかったはずなのに、何故かとても遠い世界に行ってしまって、見えない隔たりが出来てしまったような、気負いしているような、そんな感覚。

「………」

 無謀な挑戦ばかりを繰り返して、ただ前だけを見詰め続けているあの少年下士官を、この人はどう思っているのだろうか――?

「……アストラさんの事……なんですけど」

 何に対しても馬鹿みたいに一途な彼が、ただ勝てないからという理由だけで模擬戦を仕掛けているとは思えない。
 あの人はなのはに好意を持っている。振り向いてもらいたくて、彼女の気を惹きたくてあんな無謀な事ばかり繰り返している。その考えはすでに予想や想像の域を超えて、フェベルの中で確定事項として成立してしまっていた。
 だって、そうでもなければ説明がつかない事が多いのだから。

「アストラさんの?」

 アストラの気持ちは分かった。
 なら、なのはの気持ちはどうなのか。

「はい。あの、なのはさんにとって、アストラさんってどんな人ですか?」

 訊ねる声がわずかに震えていた。

「う〜ん、どんな人って言うと……無茶な人、かなぁ」

 顎に指を添えたなのはは、天井を見遣りながら言葉を選ぶ。

「研修先で一緒になってるから、訓練もお仕事も一緒だけど……こう、すぐに何にでも突っ込んでくから、色々とフォローするのが大変で……」
「……すいません。あの人馬鹿なので……」

 あの少年下士官は、周囲に迷惑をかけるという才能だけは図抜けて高いようだ。
 なのはは苦笑いを浮かべると、こう言った。

「でもね、凄く一直線な人だよ」
「……一直線、ですか?」
「うん。巧く言えないけど、自分で出来ない事を探して、それを見つけたら、無理でも何でもそこに向かって走り出してる。どうしてそうしてるか私には分からないんだけど。でも、それって凄いなって思ってるの」

 それはフェベルも思うところだった。そして、そんな無茶な行動に出ている時のアストラの横顔が好きだった。

「何度か友達になりたくてお話しようとしたんだけど、どうしてかすっごい睨まれちゃって、まだただのお仕事仲間なんだ」
「た、ただのお仕事仲間なんですか?」
「うん。友達になりたいんだけど、何だか嫌われてるみたいで」

 そう言ってなのはが寂しげに笑った時、開きっ放しだったリビングの扉から少女の声が聞こえた。
 ヴィータである。それにくっついて、少年の気だるい声もした。どたどたと廊下を歩く音が響き、やがて二人がリビングにやって来る。

「ただいまぁ、はやて」
「八神、メシッ! あ〜、疲れたぁ。風呂沸いてる……!?」

 何故か千鳥足でソファに座ろうとするアストラ。身体を引き摺るような仕草だが、勝手知ったる他人の家とばかりな態度は大変に彼らしい。そして、リビングで円陣を組むようにテレビゲームをしていた少女達に気付いてピタリと停止する。
 口をあんぐりと開けてソファを見遣った彼は、そこが高町なのは准空尉によって占拠されている現実に慄然とした。

「デ……デーモン高町ッ!」

 わなわなと震える指先で彼女をガッと指差す。そのまま鼻息を荒くして、バッと力強く腕まくり。首から下げていた待機状態のアンスウェラーを引き千切らんばかりに掴んだ。

「ここで会ったが二十四時間目! 表出ろ! 昨日の雪辱戦を今ここで晴らすッ!」
「え、ちょ、ちょっと待って下さい!」
「やかましい! てめぇは今まで『お話を聞いて!』とかぬかして、何人もの罪の無い犯罪者を亡き者にして来たんだろ! 待ったもクソもあるか!」
「……罪のない犯罪者ってどーいう意味?」

 アリサの呟きなどもちろんアストラの耳には届かない。ソファの肘かけに片足を乗せた彼はすでに臨戦態勢を取っている。

「俺を昨日までの俺と思うなよ! そしててめぇの弱点をケツの穴まで知り尽くした! やるぞ相棒! アンスウェラー、セェットォ――!」

 高らかな宣言と共に、アストラが跳躍した。力強い、高い跳躍だった。屈強な翼を羽ばたかせる猛禽類。自身の何倍もあろう巨大な草食動物に牙を剥く肉食獣。それら髣髴とさせる獰猛な動作。
 だが、それは標的をなのはに定めた瞬間に一転した。合掌した手を前方に突き出し、まるでプールに飛び込むような姿勢になった。完全なルパンダイブだった。
 なのはは動けない。人の話を聞こうとしない唯我独尊少年の恐るべき猛襲を前に、彼女はいたいけな一人の小学六年生だった。
 誰もが息を呑んだ瞬間、

「グラーフアイゼン!」
『ja!』

 鉄の鉄槌が閃いた。側頭部にハンマーヘッドのフルスイングの直撃を受けたアストラは、時速百八十キロの自動車に跳ね飛ばされたように、激しいきりもみ回転をしながらキッチンに突っ込んだ。甲高い騒音。軽い衝撃。テーブルを薙ぎ倒した少年下士官は後頭部を壁にしたたかにぶつけて、そのまま昏倒する。

「なのは、大丈夫か?」
「……う、うん、大丈夫っていうか何と言うか。……その言葉はアストラさんに言ってあげて欲しいなぁと思うんだけど……」
「あぁ? これで死ぬようなタマじゃねぇよ、こいつ」

 呆れてモノも言えないといった様子で、ヴィータ。その傍らでは、フェベルが大慌てでアストラの介抱に走っていた。

「ア、アストラさん! 大丈夫ですか!?」
「もう何も……怖くはないよ……結んだ視線、外さずに〜……♪」
「できれば怖いものを何個か作っておいた方がいいです!」

 夜も深まって来た住宅地に、少女達の悲鳴と怒号が響き渡った。



 ☆



 とんとんと地面を爪先で蹴ったなのはがくるりと向き直る。

「じゃ、また明日ね、はやてちゃん」
「おーおー、サッサと帰ってクソして寝ろデーモン」

 はやてが答えるよりも早く、アストラが言った。敵意を隠そうともしないふてぶてしい態度に、アリサが柳眉を顰める。

「誰もあんたに言ってないわよ。ちょっとはやて、こんなヤクザみたいなの一緒で大丈夫なの?」
「ヤクザ? ヤクザって何だ、相棒」
『暴力や非合法を基本とする社会に身を置く者を指す用語です』
「クックックッ。学の無い奴だなぁ、アリサとやら。残念だが、俺は法と合法を基本とする組織に身を置く者だ。お前の喩えは実に不適切だな」

 腕を組んだアストラが勝ち誇った顔でアリサを見下した。気の強いアリサならすぐにでも売り言葉に買い言葉となりそうな展開だが、彼女は呆れて肩を竦めるだけである。この時点で人としての勝敗は決しているのだが、その事実に少年下士官が気付いた様子は無かった。

「馬鹿に付ける薬は無いって、昔の人は巧い事言ったもんね」
「ちょっと、アリサちゃん。会ったばかりの人に失礼だよ」

 小声で話す少女達の声は、残念ながらふんぞり返っているアストラの耳には届かない。彼は小さ過ぎる勝利の余韻に浸り切っているのだ。
 そんな彼に、もじもじとしていたフェイトが申し訳なさそうに言った。

「アストラ。あの、昨日はごめんね、その……」
「あぁ? 先輩とイチャついてるとこに乱入した事か? そうだな、あれ以上はいくらなんでも抑えた方がいいだろ。お前は先輩をロリコン犯罪者に仕立て上げるつもりか? 先輩を尊敬する者として、それは許せんな」
「……プラズマスマッ……!」
「ちょ、フェイトちゃんタンマ! ここでやるのはあかん!」
「アストラさん! もう少しオブラートに包むっていうか、歯に衣着せない物言いはやめて下さい!」
「常に本音でぶつかり合う事で信頼関係は生まれるものなんだ! 覚えておけ、フェベル!」

 自信満々に語るアストラ。羞恥心と憤怒で頬を紅潮させたフェイトがはやてとフェベルに取り押さえられてモガモガと暴れているが、もちろんアストラは気にも留めない。

「なのは、管理局って本当に大丈夫なの? 人手不足みたいなのは知ってたけど、こんなのいるようじゃ底が知れてるわよ?」
「……自信、ちょっと無くなっちゃった……」

 なのははガックリと肩を落として、爪先を扉の外へ向けた。静まり返った住宅街の道路へと出て行く。すると、八神家の前に黒い服の青年が佇んでいた。
 彼を見たアリサが、未だ怒り心頭中のフェイトの後頭部をペシリと叩いて言った。

「ほら、フェイト。あんたの旦那が来たわよ」
「……旦那という言い方はやめて欲しいな」

 暗がりの中からクロノがひょっこりと顔を出す。フェイトがピタリと静止して、急にしおらしくなった。

「時間も時間だったから迎えに来たんだが……どうした、フェイト。難しい顔をして」
「べ、別に何でもない」
「だったら不貞腐れた顔をするな。君は笑っていた方が可愛いぞ」

 フェイトの側に歩み寄ったクロノが、その頭を愛撫するように撫でてやる。ただでさえ赤くなっていた彼女は、暗がりの中でも分かってしまうほど、顔面の血の巡りを良くした。

「そ、そういうのは……できれば、二人の時に……もっと……い、言って下さい」
「分かった、次からはそうする。じゃ、帰るか?」
「……はい……」
「なのは達も送って……って」

 ここに来てクロノは、アリサやはやてが忌むべきモノを見据えるような眼差しを自分に向けている事実に気付いた。

「どうしたんだ、皆?」
「……アストラさんに同意したくなっただけや」
「クロノさんも警察に通報されないようにね」

 困惑するクロノの脇を通り過ぎて、アリサとすずかが道路に出る。釈然としない様子で、クロノはフェイトの手を引いて彼女達の後を追った。
 最後のなのはにはやてが声をかける。

「夜道は気を付けてな、なのはちゃん」
「うん。クロノ君もいるし、大丈夫だよ。またね」

 駆け足気味で道路に向かうなのは。ぴょこぴょこと可愛らしく揺れているツインテールが徐々に遠ざかって行く。

「高町」

 その足を、アストラが止めた。
 驚いたようになのはが振り返る。

「アストラさん?」

 全身筋肉痛でガラクタのようになった身体を酷使して、なのはに歩み寄る。眼を何度も瞬かせている彼女からは、管理局の怜悧な一面など欠片も感じられなかった。
 こんな子供に好き勝手にボコボコにされ、勝ち星どころか満足な戦闘すら展開できない自分。
 最初の内は、そのあまりにも高い格差が理解出来ずに彼女を侮り、ささやかな自尊心を満身創痍にさせられた。何故負けたのか分からない内に敗北し、気が付けば医務室のベッドの上だった。
 そんな思い出も、今では笑って話せる。常に壁を見つけ、全身全霊を懸けてぶつかって行ったアストラにとって、高町なのははこれ以上無い挑戦し甲斐のある壁となった。
 そう、挑戦すべき壁。
 強くなる為に。今よりもっと大きくなる為に。出来ない事に挑戦する、
 そうしなければ、祖父の『後悔をするな』という遺言を守る事は出来ない。
 強くなければ、大きくなければ、後悔をしない生き方はで出来ない。

「明日、学校終わった後さ、てめぇ暇か?」
「そのまま管理局でお仕事予定ですが……」
「終わったらでいい。模擬戦、付き合ってくれ」

 こんな模擬戦の申し出を、アストラは未だかつてした事が無かった。訓練の後、上がろうとしている所をいつも強制的に付き合せていた。
 なのはが戸惑うように口を開く。その大きく澄んだ瞳を、アストラは無言で見詰めた。
 背後でフェベルが不安そうにしているのが分かった。ヴィータも気配にこそ出していないが、似たような様子だった。

「二つだけ……確かめたい事があります」

 静かになのはが言った。

「何だ?」
「訓練は……模擬戦は、遊びじゃありません」

 通告をするような、どこか冷たさすら漂う声音だった。
 数瞬で、眼前の少女はその雰囲気を豹変させる。無邪気さを称えた瞳は形を潜めるどころではない。その姿を完全に消し去り、近付く事すらままならない鋭利な精悍さが幼い表情に浮かんでいた。

「喧嘩でもありません。アストラさんは、それが分かっていますか?」
「ああ、分かってる。てめぇほどガキじゃねぇよ、俺は」

 そんな詰問に、アストラは鼻を鳴らして即答した。
 高ランクの魔導師による模擬戦や訓練は、扱う魔法の種類や訓練内容にも左右されるものの、些細なミスが重大な事故に直結する。教導隊や教官資格を持つ局員は、この事実を十二分に把握し、理解し、生徒達を指導していかなければならない。教導隊入りを目指すなのははもちろん、猪突猛進だからこそ身を以って経験して来たアストラは、本当の意味で熟知している。

「訓練通りにやって、練習通りにやって、基礎を何度も何度も反復する。基礎があって、発展がある。訓練校時代から今に至るまでずっと叩き込まれてるさ」

 魔導の才能も無い。物覚えも悪い。基礎級拘束魔法すら満足に行使出来ない不器用さすら持っている。
 そんな自分が出来る事は本当に些細なものだった。
 苛烈な基礎訓練を黙然と消化し、唯一の武器である身体能力を鍛えた。時には厳しく、時には優しく、容赦なく指導してくれた訓練校の教官達には感謝してもし切れない。
 その経験が無理無茶無謀を好むアストラに魔法を扱うという事の恐ろしさを伝えてくれた。身体を痛めつけて、その恐怖を自ら吸収した。その乱暴過ぎるやり方を咎められ、諌められたのは一回や二回ではない。今の上官からは特に厳しい指導を受けている。
 だが、アストラはこの行動を改善するつもりはない。
 こうでもしないと、自分は祖父の遺言を守れない。
 何より、自分が望む生き方が出来ない。
 いつの日か、この無謀な行動の反動が来るだろう。それは明日かもしれないし、一年後かもしれないし、十年後かもしれない。
 そんな『しれない』という言葉に脅えて何もしないのは嫌だった。だから、教官の心配そうな顔に後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、今日までやって来た。
 穏やかな湖面のように静かになる周囲。アストラは口を一文字に閉じ、なのはを見詰める。眼の前のモノすべてに挑むかのようないつもの視線が、今はわずかな不安で揺れていた。

「それを聞けて、ちょっとだけ安心しました」

 そう言って、なのはが頬を緩めた。

「……安心、ねぇ。俺はてめぇにどんな眼で見られてたのかスゲー興味あるんだけど?」
「にゃはは。それはその……凄い人だなぁって」

 誤魔化すように、なのは。
 アンスウェラーが言った。

『ご迷惑をおかけしております、高町なのは准空尉。我がマスターの愚行、心労でしょう』
「やかましいわ、相棒。……で、もう一つってのは何だ?」

 訊ねてからややあって、なのはは言葉を選ぶように言った。

「アストラさんは、私が嫌いなんですか?」

 友達の機嫌を窺う様子で、不思議な事を訊ねて来た。その表情はすっかり十二歳の少女に戻っている。
 返答に困る質問だな、とアストラは思う。誤魔化そうか告白するか、わずかな思案の後、言った。

「嫌いな奴にこんなの頼まねぇよ。俺にとって、てめぇは壁なんだよ。だからこそ挑戦する。出来る事に挑戦してても意味ねぇからな」
「………」
「爺さんが言ってたんだ」

 言葉を切って、空を見上げる。なかなかの夜空だ。吸い込まれそうな星空と眼が眩むような巨大な二つの月が眺望出来るクラナガンの沿岸部には負けるが、この次元世界の夜空も、そう捨てたものではなかった。

「出来ない事に挑戦しろって。後悔だけはするなって。だから挑戦させろ、高町なのは」

 わずかな沈黙の後。

「分かりました。明日お仕事が終わりましたら連絡します」
「悪いな」
「いえ。ただ……ちょっと安心しました」
「安心?」
「アストラさんに嫌われてるのかなって思ってたんで」
「……まぁ、好きじゃねぇってのは確かだな」

 アストラはなのはの頭にグリグリと拳骨をぶつけて、苦笑した。





 continues.





 続きを読む

 前に戻る






 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 改稿したら何故かモンハンとメタルギア。まぁ許して…。





inserted by FC2 system