魔法少女リリカルなのは SS

デーモン高町との名言を残した少年士官の三日間

三日目 前編







 闇色の意識が、異変を感じる。常人ならばきっと気付かない、小さな異変。その正体は何者かの気配と、嗅覚が覚えていない甘酸っぱさを蓄えた香りだ。
 アストラは眼を開ける。薄手のカーテンから滲むように朝日が漏れ、視界を埋めていた天井を淡く染めていた。
 鬱蒼とした寝起きの意識は、昨夜の破滅的な疲労を残している身体を感知して覚醒する。

「まだいてぇよこんちくしょう」

 癒しと補助が本領と自他共に認めるシャマルが医務局に出向中なので、八神はやてに治癒魔法を頼んだのは良かったものの、治癒魔法はあくまでも応急処置的に外傷を癒すものであって、内臓の隅々まで行き渡ってしまったダメージには高い効果も望めない。
 全身筋肉痛は今も執拗な痛みを発信している。寝返りを打つのだって剣山の上を素足で歩くような想像を絶する激痛が付き纏うのだ。満足に上半身すら起こせない。情けない事この上無い状況だが、理由はそれだけではなかった。
 何かが、寄り添うように左半身にくっついている。それはちょっと力を入れれば潰れてしまいそうな儚さすら匂わせる柔らかい何かだ。

「な、なんだ?」

 くーくーという規則正しい寝息。同時に寝言。

「にゃはぁ……あすとらさぁんだめぇですよぉ……。野菜だけじゃなくて私も食べてくださぁ……!」

 くっつていたのは他の誰でもない、年下の友達フェベル・テーターだった。お泊りグッズなんて気の利いた物を持って来なかった彼女は、はやての寝間着を借りていた。はやてよりもフェベルの方が一回り以上小柄なので、寝間着は当然のように着崩れを起こして胸元が艶やかにこんにちは状態を披露している。

「色気なんて欠片もねぇけどな……!」

 そこは十一歳というお年頃。鼻腔をくすぐる少女特有の甘い香りに、アストラの胸が高鳴る気配を見せない。何せフェベルの表情は緩みまくっている。煩悩に熱を上げているとしか思えない締まりの無い微笑み。半開きの口からは涎が駄々漏れ中だ。

「取り敢えず離れろ!」

 高速で拳をそのおでこに叩き込む。

「にゃあッ!?」
「にゃあじゃねぇ! てめぇ人の寝床で何してやがる!」

 シーツを蹴り飛ばしてどたばたと暴れるものの、フェベルの腕は解かれない。業を煮やして頭を鷲掴み。そのまま無理矢理にでも引き剥がそうとするが、非力なフェベルにしては珍しく、絡められた膂力は凄まじかった。

「放せぇー!」
「わたしのらいふはぜろなんですよ〜……」
「わ、訳の分からん事を……!」

 フェベルの表情からは幸せが絶えない。その上アストラの腕を放そうともしない。額には少年下士官の硬い拳が作り出した瘤がポコーと出て来ていて、眼も若干の半開き状態。意識もそろそろ起きてもいいのではと思うところだが、未だ睡眠状態だった。寝惚けているにもほどがある。

「しかし何て馬鹿力だ……朝っぱらからいきなりハードな訓練だぜ!」
「そうでぇす、はーどなのです……! あすとらさぁ〜ん……」
「涎だらけの顔を近付けるな汚ねぇー!」

 どれだけ暴れたところで、フェベルは離れない。それどころか、暑苦しいぐらいに身体を擦り寄せて、小さな二つの膨らみの谷間にアストラの腕を押し込めようとする。
 身体を徹底的に酷使して虐め抜く訓練を課して来た結果、アストラの身体は十三歳という年齢からは想像し難い強固になってしまったのだが、それからは想像も出来ない羽毛の如き柔らかさをフェベルの身体は持っていた。今まで使って来たどのベッドよりも暖かい。何より、淡い匂いが思考を鈍らせる。石鹸とシャンプーの匂いが混ざり合った少女特有の香りだった。
 貧血でも覚えたかのように頭がふらりとした。

「つッ……! この……馬鹿フェ……!」

 早朝である事も忘れて怒鳴り声を上げようとした時、無遠慮にもノックもされずに扉が開いた。というより、蹴り破られた。
 ぶら下がるようにプラプラと揺れる扉の向こう側には、Tシャツとスパッツという出で立ちのヴィータが腕を組んでふんぞり返っていた。

「オラ起きろアストラ! アクセラレータの巧い使い方を……」

 空気が抜けて行く風船のように、ヴィータは声を小さくして行く。
 沈黙。それは他に例えようの無い静寂。
 アストラは完全に硬直してしまっている。息を呑む事さえ許されず、瞳をピクピクと動かして苦心の末にヴィータと胸元のフェベルを見比べた。
 何故か危機感を感じた。それも並みの危機感ではない。絶対的な、そして回避方法が見つからない超自然災害的な現象を目前にした時に覚えるような危機感だ。
 無駄だと分かりながら、アストラは言った。

「ヴィータ、落ち着け。そう、落ち着け。まずはコーヒーを飲もう。大概の問題はコーヒー一杯を飲んでいる間に、心の中で解決するもんだ。後はそれをどう実行するかだ。どうだ冷静になれたか」
「……あたしは冷静だ」
「そういう事を言っている奴に限って冷静じゃないのが世の常だ。いいか、パニック映画で一番最初にパニックになった奴が第一の犠牲者になるだろ? あの展開はな、落ち着く事の大切さを説いてくれているのさ。知ってたか?」
「そもそもあたしはパニック映画を見ねぇ。はやてがそういうの嫌いだからな」
「そうか。そいつは残念だ」
「ああ、あたしも残念だ。お前は本物の馬鹿だけど、結構良い奴だと思ってたのに……女の寝込みを襲うような奴だとはな……!」

 いつの間にか握られていたグラーフアイゼンが柄を鳴らす。薄暗い早朝の室内で白銀のハンマーヘッドが鈍色の輝きを放つ。

「どこをどう見たらそうなるだ、この節穴アイとミニマム脳味噌! ここは俺の部屋だろーがぁ! そもそもこいつは八神の部屋で寝てたはずだろ!?」
「お前がここに連れ込んだんだろう……?」
「悪徳警官並みの推理ありがとよ! その物騒なモン仕舞え! 俺は無実だ! こいつが勝手に潜り込んで来たんだよ!」
「あすとらさんのうそつき〜……」
「火に油を注ぐような寝言を言うなぁ!」
「アイゼン、カートリッジロード!」
『ja!』

 そうして、静かな住宅街の空気を一掃する衝撃音が鳴り響いた。
 陸士部隊の局員寮よりもずっと騒がしい朝。大仰に言えば『決戦』の日はこうして始まった。



 ☆



「戸締り終わったらマリーとこ行くぞ」

 藪から棒にそんな言葉をぶつけられたのは、朝食の片付けを終えて、八神はやてを送り出してすぐだった。純白のスカートを翻して元気良く歩道を駆けて行く少女はなかなか眩しいものだと、珍しいモノを目の当たりにした感慨に耽っていたところである。

「マリーって、技術局の? おいおい、今日の俺には大切な用事があるんだぞ。そいつの為に今からイメージトレーニングをだな」
「アストラさんはイメージトレーニングの訓練で居眠の常習犯でしたよね」
「何でてめぇがそれを知ってんだ!」
「いたたたたた!」

 一緒に見送りに出ていたフェベルの首根っこを引っ掴み、ヘッドロック。二人の間に歴然とした歳の差がある訳ではなかったが、体躯の差は歴然そのもの。櫛で綺麗に梳かれていたフェベルの艶やかな黒髪はフライパンの隅っこにこびり付いたコゲの残骸のようになった。

『紅の鉄騎。技術局を訪ねられる理由は?』

 収拾のつかない主に代わって、アンスウェラーが訊ねた。

「なのはへの対抗策、かな。昨日教えた三段階のアクセラレータを使って、最高に上手く行っても七対三でアストラが負ける」
『先日までは十対零でした。十分に奇跡的な進歩と言えるでしょう』
「だろうけど、まぁ、そいつを六対四にまで引き上げる方法がある」
『それが技術局にあると?』

 ヴィータが肯き、暴れるアストラの胸元で揺れているアンスウェラーを見遣る。

「でも、これにはアストラよりミッドのデバイス、お前にかなり無理が来る。マリーに色々聞いてみないと分かんねぇけど」
『アクセラレータ使用時、私は我がマスターの支援程度しか出来ません。望むところです』
「……なら決まりだな」

 頼もしげに頬を緩めるヴィータ。しかし、彼女の表情はフェベルと愉快そうにじゃれ合っているアストラを前に瞬く間に険悪なものになる。アンスウェラーは間もなく哀れな憂き目に合う最愛のマスターに同情するように本体を壊れた電球のように明滅させ、沈黙。

「やぁめて下さいアストラさぁん! や、変なとこ触らないで下さい〜!」
「頭しか触ってねぇだろう、ドサクサに紛れて変な声出すな馬鹿!」
「今お、お尻触りましたぁ!」
「ああぁ!? 誰が腐った桃みてぇなてめぇの尻に触るか! それに俺は尻より腰派だ!」
「酷い上に変態発言です!」

 変態とは随分な言い草ではないか。二歳も下の子供の癖に大変に生意気である。
 腋に力を込め、抱え込んでいる頭蓋骨をさらに圧迫。いつもふざけ合っている時よりちょっとだけ力を加えてやった。

「アストラさぁんホントに痛いです〜!」
「人を変態呼ばわりしといてこれぐらいで済むと思うなクソガキめぇ〜!」
「クソガキはお前だ馬鹿!」

 背後で飛翔した紅の鉄騎から鋭い蹴りを後頭部に頂戴し、アストラは玄関のコンクリートに接吻をした。



 何が気に入らないのか。この胸の奥底から突き上げて来る訳の分からない衝動的怒りは何なのか。まるで分からない。
 ただ、フェベルとあの馬鹿下士官が面白可笑しくじゃれ合っているのを見ていたら、沸々と形容し難い感情が込み上げて来たのは間違いない。

「ヴィータちゃん、何かあったの?」

 初めて会った二年前と比較すれば幼さがそこそこ抜けて来ただろうか。マリエル技官がキーボードを叩きながら訊ねた。
 本局に本部のある技術局の一室だ。デバイス関連の研究施設もあり、デバイスの修理やメンテナンス等を一手に請け負っている。
 守護騎士達のアームドデバイスは古代ベルカ式に対応した精度も錬度も高いものなので、今のところはここでしかメンテナンスが出来ず、デバイス暴走事件でも色々と世話になっていた関係か、ヴィータとマリエルは個人的にも仲が良かった。
 アストラからアンスウェラーを借用したヴィータは、彼とフェベルと別れてマリエルを訪ねている。二人は陸士108部隊から呼び出しを受けたようで同席はしていない。緊急を要する事件が発生した訳ではなく、何でも直接の上司から話がある、という事らしい。

「別になんでもねぇよ」
「何でもある人じゃないとそういう返事はしないよ?」

 それから、面白く無さそうに唇を尖らせて頭の後ろで指を組み、足を投げ出して予備の座席に座ったりはしないだろう。全身全霊で私は不機嫌ですと意思表明しているような風情だった。
 そんなのはヴィータ自身分かっているが、止められないのだから仕方が無い。自分でも説明の出来ない感情が頭にも胸にも侵食して来て収まらないのだ。
 コンソールに走らせていた指を止めて、マリエルが肩越しに振り返り、手間のかかる妹を見るような眼を向けて来た。

「原因は、このデバイスのマスターかな?」
「や、やめてくれよ。違うって」
「でもなぁ〜。ヴィータちゃんがはやてちゃんやなのはちゃん達以外の事でそんな表情してるのって見た事無いから。色々邪推しちゃうよ」
「邪推どころか妄想じゃねぇか! アストラはただの同僚だ、どーりょー!」

 そう、一昨日まではただの知り合い程度に過ぎなかった、頭も要領も悪いただの仕事仲間だ。そこだけは明言しておかなければならない。さもなければ、この天然ボケが入っている腕の良い技術官は本当に根も葉もない妄想をするに決まっている。

「そ、そんな事より出来るのか、出来ないのか?」

 座席を離れてマリエルの横へ。彼女が操作しているコンソールの前方には保護スクリーンが構築されており、その中には突撃槍を模したシルバーアクセサリーが淡い稼動光を灯しながら漂っている。コンソール上には多くの仮想ディスプレイが展開され、デバイスの情報がスクロールされている。
 マリエルはそれらに逐一眼を通して吟味しつつ、誤魔化されちゃったと愉快そうに呟いて作業に戻る。

「出来るよ。元々拡張性が高い構造だから、作業も簡単かな。ただ、これは元々アイゼン用に設計したパーツだから、普通のインテリジェントデバイスだと、デバイス側にかなり負荷がかかるよ。最低限の機能に絞ったとしても、普通のデバイスじゃとてもじゃないけど耐えられないもの。フレーム補強は間違いなく必要だね」
「どれくらいで出来る?」
「搭載自体は半日あれば十分。でも、フレーム補強には最低二週間で試験運用データを反映させて微調整に一週間ってとこかな」
「だとよ。どうだ、ミッドのデバイス」

 保護スクリーンの中の彼――アンスウェラーに問う。もちろん訊くまでもなく、ヴィータは彼の答えが決まっているのは知っていたが。

『データを拝見致しましたが、推進システムの延長線上にあるパーツのようですね。私の耐久精度を超えている部分も多々ありますが、問題ありません』
「……何だかレイジングハートみたいな子だね、この子」

 漠然とだが、アストラとなのはには相違点があるとヴィータは思っている。あの頑固一徹なところは特にだ。 だから、二人のデバイスにも似たところがあるのは必然かもしれない。

「でもヴィータちゃん。無茶な事を頼まれるのは慣れっこだけど、今回のは本当に無茶だよ」

 それはそうだ。何せ今アンスウェラーに搭載しようとしている部品は、ヴィータとグラーフアイゼンのギガントを超える最終フォルムの完成を目指して設計された物だ。その一部分の流用とは言え、インテリジェントデバイスへの装備は無謀以外の何者でもない。

「試験運用もフレーム補強も無し。完全なぶっつけ本番。……模擬戦だよね? そこまでしなくても」

 いいはず。ヴィータはマリエルがそう締め括る前に言葉を挟んで遮った。

「勝たせてやりてぇんだ」

 アクセラレータを教えたのも。
 その効果的な運用方法を一緒に模索したのもの。
 無謀な装備の搭載を頼んでいるのも。
 すべては、高町なのはとの模擬戦でアストラを勝利させる為だ。
 ヴィータの中で、まだ不可能だと正論を並べ立てる理性がいる。アンスウェラーにどんなシステムを搭載しようと、付け焼刃にもほどがある。そして高町なのはは、そんな次元の装備が通用する相手でもなければ、信念や理想がどれだけ気高く力強くとも、それだけで打倒出来るような少女でもない。
 そんなのはとっくの前から熟知している。
 それでもアストラ・ガレリアンは『出来ない事に挑戦する』という言葉を曲げない。彼には当然のような現実は当然ではない。
 絶対不変の事実。超えるには奇跡でも起きない限り不可能だという壁。それらを、ヴィータは打倒してもらいたかった。破壊してもらいたかった。達成した時のアストラの顔が見てみたかった。

『……紅の鉄騎』
「か、勘違いすんなよ。これ以上あいつに付き纏われるのが嫌なだけだ。だから、今日勝ってもらわないと困るんだよ、あたしが」
『そういう事にしておきましょう』
「お、君も言う子だね、アンスウェラー」
『恐れ入ります、マリエル技官』
「てめぇらぁ!」

 アクセラレータを使用して、後は地形を最大限に利用して立ち回れば、運が良くてそれなりの戦いが出来る。しかし、アクセラレータの効果が発揮されている数分間の時間だ。アストラの攻撃力では高町なのはへ有効なダメージを与えるのは難しい以上、彼には極限身体強化魔法以外に切り札が必要だった。
 非常に危険で綱渡り的な方法で、さらになのはに通用するのは恐らく一回だけ。奇襲的な展開で虚を突くように繰り出すしかない。
 それでも武器にはなる。そして、彼にはその武器を最大限に利用出来る勇気もある。
 マリエルにはからかわれ、アンスウェラーには茶化され、ヴィータは必死に二人の誤解を解く為に弁明を始める。
 苛立ちはあるが、不愉快ではない。不思議な感覚にどぎまぎしながら。



 呼び出された理由は、予想通り、高町なのはとの模擬戦闘に関してだった。
 要は説教である。始まった頃は怒り狂っていた二児の母の前線分隊隊長も、徐々にその矛を収めてアストラに説明を求めた。何故そこまでするのか、と。

「こうでもしないと強くなれないんスよ。あ、文句あるならデーモン高町に行って下さいね?」

 何て極めて真面目に答えたつもりだったのだが、上司にはなかなか伝わなかったようで、彼女は何度も眼を瞬かせてポカンとしていた。
 どう言えば上司は納得してくれるか思案をしていると、同席していた男性局員が口を挟んで来た。
 見た事の無い人だった。大柄で鍛え上げられた体躯には軽い緊張感が滲み、切れ長の瞳は澄んだ刃のように鋭利で隙は皆無。それでも近寄り難いという印象を受けないのは、双眸に優しさが見え隠れしているからだった。
 男性は名乗ろうとせず、短く問うて来た。

「その生き方を今後も続けるつもりか?」

 即答してやった。

「もちろんです」
「相当な茨の道だぞ」
「俺はマゾじゃないですけど、苦しさも痛みも無い道なんてまっぴら御免です」
「何故だ」
「成長出来ませんから。それで、多分後悔します。何も無い毎日じゃ、俺自身、何も無いまま終わりそうで」

 それで男性は納得したのか、口元をわずかに緩めてアストラの頭をポンと叩き、分隊長室を出て行った。
 一直線な少年の言葉に満足した笑みなのか。ただの若者らしい向こう見ずな考えを失笑したものだったのか。分かるはずもない。
 分隊長はそれから特に何も言わず、好きなようにしていいと私闘じみた高町なのはとの模擬戦を許可してくれた。元々無くともやる気満々だったのだが、これで晴れ晴れとした気持ちで望めるというものだ。
 どういう心変わりか分からないが、結果良ければすべて良し。アストラは文字通り説教から解放された子供の爛漫な足取りで分隊兆室を後にして、待っていたフェベルと合流。部隊長にも顔を出して一応報告しておくべきだという彼女の提案を採用して部隊長室へ足を伸ばすと、小さな二人の少女がいた。二人とも大人しそうな青い髪で、姉妹のようだった。まだ十歳に手が届いていないくらいだ。
 フェベルはどうしてこんなところに子供がいるのか――彼女も社会一般的には十分過ぎるほどの子供だ――分からないようで困惑していたが、一方でアストラにとってはその二人の少女が部隊長室にいるのは慣れ親しんだ情景の一つだった。
 別に迷い込んだ訳でもない。時々こうして遊びに来るのだ、部隊長と分隊長の二人の子供が。
 二人とも、この隊舎内ではすっかり顔見知りで、暇な局員達が良く遊び相手をしている。アストラもその内の一人だった。最初は隊舎内を半べそ状態で放浪していた妹の方を、なのはに負けた腹いせに虐めていたら、勇猛果敢な姉に股間を蹴り飛ばされて悶絶し、それ以降の関係である。

「アストラさんって本当に子供ですよね……。こんな小さな子を虐めて遊ぶなんて……」

 泣き喚く妹を必死に守ろうとする姉を邪悪な笑みで追い掛け回すアストラは大変に頭の悪い生物然としており、フェベルはそんな彼を止める手立ても無く自身の無力感を噛み締めて眼前の凶行を傍観するしか出来なかったという。



 ☆



 誰もいないオフィス街。
 歩道を行く人影は無い。疾駆する自動車も無い。夕闇に染まりつつあるというのに、常夜灯には明かりが灯らない。満足な手入れをされていない街路樹は荒み切っている。そして、鉄筋とコンクリートの集合体である高層ビルディングは日没を迎えようとしている夕日の光を浴びて、燃えるような茜色を全身に灯していた。
 崩れる事の無い摩天楼である首都クラナガンにも、廃墟と呼ばれる区画は存在する。
 元は多くのオフィス街と同様の機能を果たしていたものの、何らかの事情によって荒廃し、都市機能を遮断されてしまった場所だ。汚染物質等は確認されていないものの、建築物の自然崩壊による危険性も示唆されており、民間人の立ち入りは禁止されている区画でもある。クラナガンの中央区にある地上本部が管理しており、平時は陸戦魔導師達の訓練場所として開放されている。もちろん、破壊が進行していない場所までであるが。

「で、そいつがてめぇの新機能か」
『はい。試験運用も無ければ私の構造上の耐久値を超えており、あらゆる意味を以って切り札です。我がマスターのアクセラレータの三段階目同様です』
「間違いなく使わねぇと駄目だろうけどな」

 一つの影が、今にも崩れてしまいそうな幹線道路のど真ん中に佇んでいる。

『クラナガンに行かれた際、フェベル・テーターと何かありましたか?』
「別に何もねぇけど。変な事訊くな」
『搭載作業中、紅の鉄騎が気が気でない様子でしたので。それでは後ほど報告しておきましょう』
「訳分かんねぇ。フェベルの奴もな〜んかやたらくっついて来やがって。ヴィータと仲悪いしよ」
『……その辺りに関してはクロノ・ハラオウン殿に意見を求められた方が良いかと』
「何でそこで先輩が出てくんだ?」

 首を傾げて、アストラは改めて周囲を見渡した。

「……デーモンから場所指定して来たと思えば……本局じゃなくてこことはねぇ。懐かしいな、おい」
『我がマスターがBランク試験を受講された場所ですね』

 感慨深げに、アンスウェラー。

『試験官が訓練校時代の恩師でなければ、あなたはスタートから十六秒後にマイナス百ポイントで失格扱いだったでしょう』
「何だよ、大体な、人質が目標スフィアの後ろにいるのが悪いんだろ?」
『そういう試験なのですから、そうあって当然なのです。あなたは災害救助系には絶対に回らないで下さい』
「災害救助ねぇ。まぁ、俺もそういうのは苦手だなぁ。手加減できるほど器用じゃねぇし』

 夕日に照らされている頬が不敵に歪んだ。

『先代が聞かれたら嘆かれるでしょう』
「どうして?」
『……先代が生前どこの部隊に属されていたかご存知ですか?』
「ここ……陸士108部隊だろ? 面白ぇ偶然だよなぁ」

 荒れ果てた情景と、それを飲み込む赤い太陽と、時折吹き抜けて行く冷たい風以外に何も無い都市跡。
 アストラ・ガレリアンは、相棒のアンスウェラーをデバイスモード――身の丈ほどもある超重量突撃槍に可変させ、逆手に携えていた。
 身形は着古した武装隊の制服だ。ネクタイは皺だらけで、第二ボタンまで外れており、喧嘩っぱやい学生を連想させるだらしのない姿である。

『その前の所属先はご存知ですか?』
「……いや、知らねぇ」
『南方面の魔導師部隊、陸士386部隊です』

 熱さの残滓を残す季節とは思えない冷たい風が頬を掠める。

「……陸上警備隊、だっけ」
『記憶されていて何よりです。先代はそこで災害救助部隊に所属し、現役時代の多くをこの部隊で最優秀前衛者として過ごされました』
「前衛者って……ポイントマンじゃねぇか。あの爺さんがか?」

 寡黙で無愛想だった祖父は尊敬すべき対象であるが、魔導師としての技術力や強さを、アストラはあまり知らない。生前は良く本人に訊ねたものだが、納得の行く答えが返って来る事は一度として無かった。ただ、皮膚が高質化してしまった掌や、古傷で埋め尽くされた身体を思い出すと、どれだけの魔導師であったか想像は難しくない。
 そんな記憶が、分隊長室にいたあの大柄の男性局員を思い出させた。撫でるように頭に乗せられたあの掌は、祖父と同じで皮膚が硬くて無骨そのものだった。
 見遣った先――バンプレートに填め込まれた宝玉が明滅する。

『先代の魔導師ランクは最高でAAです。災害救助部隊には惜しい逸材だと何度も転属話が浮上しましたが、先代はすべて拒否し続けました』
「そんな爺さんが、どうして最後にゃ事件捜査やらドンパチやらで忙しい108部隊に行ったんだ?」

 自分を養子として引き取り、不器用な愛情を注いでくれた一人の老人の事を、アストラはあまり知らない。
 彼がどこで何をして、どうして魔導師となり管理局の陸士部隊に所属したのか。
 日々何を思い、自分を拾い、最後を見取る者としたのか。
 何故――『家族』がいなかったのか。
 そんな諸々の過去を、その遺言を引き継いだはずのアストラは何一つして知らない。興味も関心もあまり無かった。
 過去は過去でしかない。そこに何かを見出そうとしても、それは無駄に等しい行為だ。過ぎた事を、終わってしまった事を引き摺っても何の意味も生まれない。
 肝心なのは今であり、さらにその先にある未来である。もちろん過去を蔑ろにする訳でもない。思い出は大切なものであり、祖父と過ごした少ない時間は、アストラにとって他には変えられない唯一無二の大切な思い出だ。

『ある時、大規模な次元災害が発生しました。ミッドチルダに隣接する別次元世界に於いて発生したこの災害は、空間干渉型ロストロギアの影響によるものだったと現在では推測されています』

 良くある話だ。古代文明や過去の魔法技術は、現代世界に於いて迷惑千万な遺産を有象無象のように遺してくれたものである。

「……で」
『救助部隊として先遣された先代は、崩壊する都市で生存している一組の家族を発見。救助しようとされましたが、その次元世界の完全崩壊は目前に迫っており、予断を許さない状況でした』

 今度は苛立ちが来た。腹の奥底から沸騰した湯のように沸々と湧いて来る。

『それでも先代は家族に向けて手を差し伸べました。先代に感化された若い陸戦魔導師が応援に駆けつけ、二人は家族を救出しようと尽力しました』
「………」
『ですが救助は難航。後わずかという所で世界が崩壊。先代は小さな少年と引き換えに、その少年の家族と若い魔導師を見捨てました』

 赤みがかった空には何も無い。白い雲も、飛んで行く鳥の姿も、何も無い。

『先代は自問自答を繰り返し続け、そして後悔し続けました。家族を最初から見捨てれば、先のある若い魔導師は死ぬ事は無かった。もしくは、自分が魔導師の代わりに死ねば、全員を助けられたのではないのか、と』
「……で、逃げるみたいに普通の武装隊に転属したって訳か?」
『その通りです』
「……爺さんの自問自答ってのには結論は出たのか?」
『それを私が知る前に、先代は逝ってしまわれました。最後に救出した少年……あなたに遺言を遺して』

 出来ない事に挑戦しろ。
 後悔だけはするな。
 それは、大き過ぎる後悔を覚えてしまった祖父が、アストラには自分と同じ道を歩んで欲しくない為に遺した言葉なのだろう。不可能に挑戦して自身を高め続ければ、きっと後悔を覚える事は無い。そう思い、伝えたのだろう。
 頬が歪む。皮肉でも、嘲笑でも、安堵でも、何でもない微笑。
 それは苦笑だった。

「あの頑固な爺さんも、またケツの穴の小せぇ事で悩んでたんだなぁ」
『……先代の懊悩を、そのように比喩されますか』

 アンスウェラーの声に険が宿る。ほんの些細なもので、付き合いの長いアストラだからこそ分かるぐらいのものだった。

「珍しいな、てめぇが怒るってるのは」
『そうでしょうか?』

 見上げた空は気持ちが良いほどに赤い。

「俺は爺さんじゃねぇから分からねぇよ、爺さんの気持ちなんてよ。でもまぁ、爺さんの悔しさってのかな、そういうのは分かるさ」
『……悔しさ、ですか』
「ったく、自分ができなかったからって無茶な遺言遺してくれたもんだぜ、あの無愛想ジジイ」

 ずしゃりとアンスウェラーをアスファルトへ突き立てて、思い切り伸びをする。首をコキコキと鳴らして、手首や脚の関節を解し始める。模擬戦の前のストレッチは瞬く間に熱を帯び、アストラの額にはシャワー上がりであるかのような汗が幾つも浮かんだ。

『重みに感じられますか、先代の遺言が』
「まさか」

 片手の指一本で腕立て五十回を完遂する。休み間も無くもう片方の腕で同じメニューを消化する。

「確かに爺さんに言われたからってのもあるけど……この爺さんが遺してくれた道ん中で、自分がどこまで行けるのか、何ができるのか、見極めてぇんだよ」
『……だから無謀な挑戦を繰り返し、その度に周囲に多大な迷惑を被り続ける訳ですね』
「そういうこった。さすが俺のデバイスだな、良く分かってるじゃねぇか」

 屈伸運動で下半身の筋肉を揉み解して、深呼吸を繰り返す。
 身体が熱かった。ストレッチというよりも、ただの苛烈な運動を経験した身体は熱と共に発汗をし、火を入れられたエンジンのようだ。
 潤滑油は汗。オイルは血液。シリンダーは心臓。すべてが次の瞬間にでも最大のパフォーマンスを発揮できるように調整されている。
 呼吸が整って行く。頭を左右に振り回して汗を拭い去ったアストラは、アンスウェラーの柄を掴む。柄尻から連結されている特殊合金製の鎖が重い金属音を鳴らした。

「つー訳だ。見極められるまで、俺が俺自身に納得できるまで……この生き方に付き合ってもらうぜ、相棒」
『良いでしょう。インテリジェントデバイスとして、あなたの行き当たりバッタリな人生を最後まで監督致します』
「行き当たりバッタリねぇ。まだまだこんなもんじゃねぇぞ?」

 音が聞こえた。風を切る鋭い音だ。それは徐々に近付いて来る。
 アストラが背後を振り返り、空を仰ぐ。

『私がいる限り、あなたに擱座は有り得ません』
「毎回デーモンに負けてるっての」
『しかし、あなたの心は一度たりとも折れた事は無い』

 茜色の空に鳥が飛んでいる。
 いや、鳥ではない。それはもっと繊細な形をしている。
 アストラは眼を細めて、それを視認する。
 白い法衣を纏った栗色の髪の少女――高町なのは。

『あなたの心と、行こうとする道。それを照らし、守り、歩む為のすべてに……私はなります』
「……従順な萌えっ子メイドもいいが、てめぇみたいな冷徹金属無愛想野郎もいいな」
『そのような如何わしいモノを引き合いに出さないで下さい』
「わりぃわりぃ」

 瞳を閉じて、防護服の姿を強くイメージする。想像は微細な魔力となって柄を通してアンスウェラーに送信され、バリアジャケットの生成が開始された。
 上半身は柔軟性を重視した軽装型のノースリーブ。
 下半身は対照的に防御性能に重点を置いたズボン。腰周りには任意展開可能な外套が鋭角な装甲によって取り付けられており、魔力の通過の度に明滅するラインが幾つも走っている。
 赤と黒で彩られたアストラ・ガレリアン専用バリアジャケット『ベルセルク』。緊急用として貯蔵されているアンスウェラー内部の備蓄魔力をジャケットの表面と特定場所に供給し、アストラに不足している出力面を補う機能を有する特殊防護服だ。

「それじゃまぁ」

 白い少女がゆっくりと降下して来る。音も無く静かに着地した彼女に、長距離を飛行して来た疲労の色は欠片も見えない。
 左手には相棒が握られている。曲線を描く金色の部品と本体である赤い宝玉を備えた、ベルカ式カートリッジシステム搭載型高出力インテリジェントデバイス。
 少女との距離は十メートル弱。二人を隔てるモノは何も無かった。二人を近場で見守る者もいなかった。
 広大な訓練所となった廃墟で、少年と少女は、その歳には似合わない緊張感を発露させ、互いに見詰め合う。
 これが模擬戦であるという認識はすでに無い。それはアストラだけはないだろう。彼は眼前の少女が、なのはもそうであって欲しいと望んだ。
 そう、これは模擬戦では無い。フェイトとシグナムが暇を見つけてはやっている『決闘』だ。
 強張る空気。凍て付く気配。命の危険に晒される実戦すら問題にならない、息すら詰まる緊張。
 そんな中で、アストラは宣言をする。どこまでも気軽に、肩の力を抜き、相棒を握り締める。

「やるぜ、相棒ォ!」
『Yes master』

 高町なのは准尉は無言のままレイジングハートを両手で構え、身構えた。





 continues.





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 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 途中色々捏造。そういうの駄目な人は駄目なあれで申し訳ないです。





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