根性戦記ラジカルアストラButlerS

序:自由待機プレイ ♯.1







 自由待機。オフシフトとも表記される。
 二十四時間勤務体制で運用されている部隊は、通常、複数の実働分隊による交代制で機能している。実務を次隊へと引き継いだ分隊は、隊舎や管轄寮から最大一時間以内に戻れる範囲内での自由行動が認められる。これが一般的な自由待機と呼ばれるもので、多忙な勤務体制を強いられる部隊に於ける休暇である。
 ミッドチルダ首都クラナガンの東南西北に数多と設置されている陸士部隊の多くが二十四時間体制での勤務となっている。時空管理局の地上本部施設が置かれている手前、管理局のお膝元的な土地であるが、同時に各次元世界の中心でもあり、様々な人間や物資が溢れて流通している。それは平穏無事に日々を送る人々にとって歓迎出来ないモノも含む。
 年々増加の一途を辿る犯罪率や未解決事件等に加え、解決宣言から一年以上が経過した今も静かな波紋と不快な余韻、そして無視出来ない衝撃を齎したジェイル・スカリエッティ事件の翳が、巨大な摩天楼に密かに息を潜めている。どこからか流失したAMF技術や故障等によって民間企業の手に渡ってしまったガジェットドローンの筐体等、あの大規模騒乱事件の傷痕を癒すには十年以上必要だろうと、著名な犯罪心理学者が出版した己の学術書に記していた。
 陸士108部隊も、漸増する事件に対応する為に増員され、二十四時間勤務体制に移行した部隊の一つだった。ミッドチルダ西部に隊舎を構えているこの実働部隊は、荒事処理よりも事件捜査等の情報関連に強い。責任者は魔力資質の無い所謂事務屋だが、現場で長年鍛えられた独自の勘と経験と判断能力、豊富な人徳を有し、さらに独自の情報ラインを確保。縄張り意識の強い陸士部隊でも一目置かれている。
 JS事件では地上本部防衛戦に参加。廃棄された都市群で隊内の第一分隊を軸に多くの敵質量兵器を駆逐。その功績を称えられ、事件解決後に部隊長が表彰もされていた。
 地上本部全体を見渡しても、貫禄を見せる部隊。それが、陸士108部隊なのだ。
 その部隊の第一分隊を預かる分隊長は、しかし、とても他所様の手本として表舞台に立たせられるような人間ではなかった。



 ☆



 フェベル・テーターのオフシフトは、特別な事情でも無い限り、その予定は決まっている。
 優秀な事務官として、JS事件の影響で人材不足に喘ぐ各陸士部隊を一時救済の為に渡り歩いた結果、『腕が四本あって脳味噌が二つある少女』という異名を持つに到ってしまった──情報処理能力に関しては地上本部から引き抜きの話が来ているほどに優秀──一等陸士の彼女の108部隊での役割は、第一分隊隊長の補佐官である。交代部隊に業務の引継ぎを終えた後は隊舎敷地内にある局員寮の自室に帰って、共同浴場へ。一日の汗を流した後は、普通なら友達と団欒したり、身体を休める。二十四時間後には再び慌しい仕事が待っているのだから、養生して疲労を抜くのも管理局局員としての大切な任務だ。
 ところが、フェベル・テーターは共同浴場の後は違う。自室に再び戻った後は、濡れた怜悧な黒髪に、一本一本労わるように櫛を通して木目細やかな手入れを施し、身軽ながら可愛らしく自分を飾ってくれる私服をチョイスして袖を通す。姿見の前で最後の身嗜みのチェック。今日も変わらない、十九歳なのに甘く見ても一般校中等部にしか見えない小さく細い体躯と童顔を確認して、溜息を一つ。自動車を運転した場合、陸士警邏隊に停車を呼びかけられない日が無い容姿と相貌は、恐らく今後もずっと付き纏う永遠のコンプレックス。
 最後に愛用の携帯ゲーム機を手に部屋を出て。広い寮内を急く気持ちとは裏腹に落ち着いた足取りで進む。狭い歩幅で女性用区画から男性用区画に入り、階上にある士官向けの区画に。
 一つの部屋の前で足を止める。扉に填め込まれているネームプレートは、アストラ・ガレリアン。

「アストラさーん」

 勿論ノックはするが返事は待たない。彼が高音質ヘッドフォンを付けている場合もあるので、過去に最大十五分もの待ちぼうけを喰らった事があるのだ。
 就寝時にすら鍵をかけない無用心な部屋の主は、散らかり放題の部屋で確かな生活圏が約束されていると思われるベッドの上で胡坐をかいていた。ヘッドフォンは、つけていない。
 彼が反応するよりも早く、フェベルは部屋の様相に辟易する。

「もー。この前片付けたばっかりじゃないですか。洗濯物ぐらい纏めて置いて下さいよ」
「努力はしている」
「継続して下さい。ほらー。モンハンする前に片付けましょう」

 洗濯物や雑誌やら漫画やらライトノベルやら同人誌やらDVDやらフィギュアやら玩具やらゴミやらがひしめき合う床を、おっかなびっくりに歩くが、泥酔したサラリーマンの方の千鳥足の方がまだ安心して見守れるほど、その物腰は覚束ない。あらゆる運動神経を母親の胎内に置き去りにして来たフェベルにとって、上司の汚れた部屋は前人未到の未開の地も同然なのだ。

「何だと! 貴様、この部屋は散らかっているようで実は必要な物すべてに手が届く最良の布陣なんだぞ!」
「明らかにスナック菓子の残骸がゴミ箱から溢れ出てるんですけど。これも必要な物ですか……?」

 フェベルは何とかバランスを保ちつつ、丸められていたスナック菓子の包装紙を、ひょいっと掴み上げる。
 陸士108部隊第一分隊分隊長アストラ・ガレリアンが、凄まじく面倒臭そうに顔を顰めた。Tシャツとハーフパンツ姿でベッドに陣取り、携帯ゲームにうつつを抜かしている光景は、一般校中等部の少年そのものと言えようところが、袖から覗いている腕はしなやかな躍動的筋肉を纏い、綺麗な流線を描いた体躯は大きめのシャツの上からでも一瞥で分かる。身長百八十後半の、こんなに鍛えられた男子がいる一般校中等部は、広大なミッドチルダを探しても見つかりはすまい。

「餓えを凌ぐ為だ」

 不適な笑みで口辺を歪める。ふてぶてしいその表情に、フェベルはえいっと包装紙を投げつけた。
 アストラは、それを口でキャッチ。付着している菓子屑を貪る。

「お腹が空いた時は食堂に行って下さい。あ、ほら。制服に御飯粒ついてます!」
「それは緊急時のレーションだ、スネーク」
「苦しすぎる言い訳ですけど、自信満々に即答されると本気みたいに聞こえるからやめて下さい」
「俺はいつだって本気だ! 自分に嘘をつく生き方なんてまっぴら御免よ! 大体な、食堂が午後八時で閉まるだろう! コンビニだって遠いし!」
「……部隊が二十四時間勤務体制になってから、食堂もそうなってます。知りませんか?」
「めんどくさーい。ふぇべるーあいすー」
「晩御飯の後にね〜なんて軽音楽のアニメみたいな発言はしません。アンスウェラーさんも何とか言って下さいよ」

 フェベルが呆れ果ててアストラの胸の上で揺れている突撃槍を相似縮小したようなアクセサリに助けを求める。
 今年で二十一歳を迎えたものの、見た目は大人、頭脳は子供を地で貫く青年士官の相棒を十年以上務めている突撃槍型インテリジェントデバイス・アンスウェラーは、抑揚の乏しい電子音声で、しかしながら、大変に甲斐甲斐しく言った。

『言って伝わるならそうしている。我がマスターは風速四十メートルの大荒れの天候であろうと、石橋の先に己の欲望を満たす何かがあれば、喩え石橋が瓦解しようと泳いで川を渡るような人間だ』
「もう。カサカサ動く黒い悪魔が出ても私は知りませんからね」
「さぁフェベル、片付けよう。掃除機はどこだ?」

 かつてゴキブリに肩に乗られて以来、あれが死ぬほど嫌いになった青年士官が、足を小刻みに震わせながら先導する。
 随分昔にアストラが台所を我が物で闊歩する害虫と遭遇して命乞いをした現場に居合わせた経験のあるフェベルとしては、その情けない姿に嘆息を禁じ得ない。部屋を菓子の食べ残しで汚れた洗濯物で不衛生な環境に仕立て上げているのは、他の誰でもない彼自身なので同情の余地は皆無だ。
 寮の管理部から掃除道具一式を調達して片付ける。たかが掃除でも、二十四時間勤務の後だ。割と重労働。これを毎度毎度救うのは──。

『我がマスター。どこの世界に掃除機にデバイスを装着させて掃除を手伝わせる魔導師がいますか?』
「あぁ? 高町んとこのデーモンハートなんて子守してるぐらいだぜ。凡骨代表にはカメラ機能だの電子マネー機能だの付いてるって洟垂れその2が言ってた」
『あやすだけなら情報処理機能と言語機能だけで何とかなるでしょう。カメラや電子マネー等といった生活に必要な機能を搭載している場合も、多々あります。しかし、これは明らかにおかしい』

 掃除機のノズルが独りでににょきにょきと象の鼻のように動いて、器用に床の埃を吸い込んでゆく。吸引力が落ちない唯一つの掃除機との触れ込みでしばらく前に大ヒットを飛ばした業務用の大型筐体のそれは、ノズルのリモコン部に装着されたアンスウェラーが操作していた。熟達した動作に無駄は無く、フェベルに頼んで吸引口を床上用から棚用に取り替えてもらい、天井や戸棚の清掃を開始。

『清掃に関する経験値が無駄に蓄積しています。それに比例して、私の矜持に傷がついています』
「んー……容量に余裕ある?」
『はい。私はインテリジェントデバイス群の中では容量にかなり余裕のある方ですから』
「じゃ今度動画データ移すか。HDDがいっぱいになっちまったんだけど、焼くの面倒でさ」

 床に裸で山積みにされているDVDを指差すアストラ。

『戦闘魔導師としての最低限の自尊心すら無いのですか、このアニオタ』
「あ。ついでだからこの前手に入った仮面ライダーブラックの動画も保存してくれよ。RXのもあるから百話以上でハイビジョン画質だからHDDを圧迫して圧迫して」
『フェベル。早く掃除を終わらせよう。このままではストレスで我が中枢機能がマッハ的速度で破損する』

 すでに言語機能に致命的な破損を抱えていると、フェベルは疑惑を抱く。勿論口には出さない。この突撃槍型インテリジェントデバイスが、他の同系統のデバイス達とは比較にならない強烈猛烈熾烈なストレスに日夜晒され続けているので、何気ない一言がトドメにならないとは誰も否定出来ない。
 ついでに。アストラの所為で鬱蒼とした疲労感を持っているのは彼だけではない。

「私もお仕事上がりで疲れてますから、もう切り上げます……」
「何だと! 俺だって仕事上がりだぞ!」
「どこがですか! 今日の業務引継ぎ、全部私に丸投げして先に上がったのは誰ですか!」
「通りすがりの陸戦魔導師だ! 覚えておけ! ちゃーんちゃーんちゃーん♪ ちゃちゃちゃちゃーんちゃーんちゃーん♪」
「ええもう覚えましたから! ギンガちゃんにお願いして、またナカジマ・ストライクを決めていただきます!」

 両手を握り拳に。それを思い切り振り回して宣言すると、アストラは特撮ヒーローの風情で天井近くまで飛び上がり、戦闘用デバイスが操作する掃除機で塵一つ残らない綺麗な床に土下座着地。

「大変申し訳ありませんでしたもうあれは勘弁して下さい全治二ヶ月マジ震えて来やがりました……! くそ、顔と性格だけじゃなくてあの暴力性までクイントさんになりやがって……!」
「だったら無理矢理退院して来た時みたいに真面目にお仕事して下さい! ギンガちゃんがどれだけ苦労してたか、最近身に沁みて分かります!」
「洟垂れーズ長女はワシが育てた」

 土下座のまま顔を上げて、真顔で語るアストラ。

「古いネットスラング出さないで下さい! 捜査官だけでも大変なのに、アストラさんの補佐までやってたなんて考えるともう想像するだけで胃潰瘍になります!」
『戦闘機人で無ければ長期療養が必要だったと、マリエル技官がおっしゃっていた』
「……私も、その内そうなるんでしょうか……?」
『そうならない事を、私は切望している』
「おいアンスウェラー。窓の溝もしっかり掃除機かけてくれよ?」

 身勝手もここに極まっているモンスター・マスターに、心を持つデバイスの堪忍袋は何時まで保つだろうかと、心配半分興味半分で思案しつつ、フェベルはゴミ袋を纏め終えた。アンスウェラーも不平不満を呟きながら隅々まで掃除機をかけて不名誉な任務を無事完遂する。アストラには娯楽関係一式を戸棚に収納させていたが、サボって漫画を読み耽っていたので、アンスウェラーと結託して、掃除機のノズルで思い切り殴り、ついでに蹴り飛ばした。
 借りていた備品を管理部に届けると、いつも大変だねぇご苦労様と寮母に微笑まれた。腰がすっかり曲がってしまった老婆が、陸士108部隊の局員寮を一人で切り盛りしている。フェベルよりもさらに小柄で風に吹かれればどこかへ飛んでいってしまいそうな老婆ではあるが、不思議な貫禄を備えているところは、本局統幕議長ミゼット・クローベルに通ずるものがある。部隊長ゲンヤ・ナカジマの若い時も知っているそうで、彼も頭が上がらない。

「ホントですよ、大変ですし苦労も苦労です。どうしてお仕事上がりに人様の部屋を二時間もかけて床板が輝くぐらい綺麗にしなきゃいけないんですか」
「不満があるならやらなきゃいいのに」
「誰かがやらないといけない事ですから。一番にやらなきゃいけない人がやらないですし」
「フェベルちゃんは、嫌じゃないのかしら?」
「まぁ……嫌じゃ、ないですけど」
「フェベルちゃんは、良いお嫁さんになれるわよ」

 どうにもこの寮母と話していると会話が成り立たない。何だか一方的に話されているような気がする。
 けれど、不思議と不愉快にはならない。心を見透かして来るような言動だけど、知られたはずの心は、何故か暖かい。
 ありがとうございましたとぺこりと頭を下げて足早に管理部の部屋を出る。頬が火照って熱を持っているのが分かった。照れている自分を見られるのが恥ずかしくてたまらなかった。
 急ぎ足で来た道を戻ろうとすると。

「あ。丁度良かった」

 そんな声に足が止まる。管理部の詰め所は男性区画と女性区画の境にあり、正面玄関の眼前にある。その正面玄関に、フェベルが羨む長身の女性が立っていた。短く切り揃えた茶系の髪と小振りの眼鏡と鋭い切れ長の瞳、その知的な風貌は、仕事の出来る秘書官風情。
 だが、彼女の装いは陸士部隊のブラウンの制服では無く。本局所属を示す紺碧のそれ。さらに肩に羽織る白衣が医務官である事の証左。

「ラナさん……と、テンペちゃん?」

 彼女の名を呼んで。ふと、その頭に小さな人影を認める。
 それは、燃えるような赤い長髪を背に流した文字通り小さな女の子。医務官とお揃いのように見える丸い眼鏡と肩から提げたクマさん型ポシェットがアクセントの、端整な人形のような相貌の少女だった。
 頭にミニマムな女の子を乗せた長身の医務官は、はい、と小脇に抱えていたクリップボードをフェベルに渡した。近付いて分かったが、眼の下には大きな隈が出来ていた。物腰にも覇気は無く、白衣も力無い様子。疲労が溜まると色々とボロが出る──そう言ったのは、彼女がこの陸士108部隊に出向して来た当日に色々と火花を散らして犬猿の仲になってしまったアストラだ──ラナ・フォスター医務官は、明瞭な怒気を込めて言った。

「彼氏に渡しておいて」
『わたしておいてほしいですー』

 眼鏡を額に押し上げて眠そうに眼を擦りながら、三十センチほどの少女。こう見えてナカジマ姉妹の数名が運用しているローラーブーツ型インテリジェントデバイスの最後発の四女テンペストキャリバーという名称を持っているのだから、世の中には不可思議が溢れている。
 紆余曲折の果てに八神はやて二等陸佐のユニゾンデバイスであるリインフォース・ツヴァイ空曹長のプロトタイプ・ボディを稼動体とし、マスターはノーヴェ・ナカジマであるが、殆ど自身の趣味で彼女を完成させてしまった本局技術局四課主任が社会見学の為にと、勝手知ったるこの部隊に送り出したのがつい先日。以来隊内のマスコット化して、さらに妙にラナに懐き、彼女の頭を永住の地にしていた。

「あの童貞馬鹿、電子書類だと後回しにして絶対サインしないんだから」
「あ、あの。アストラさんは彼氏じゃないです」
『はわ? ラナねーさま、かれし、って何ですか?』
「恋人の事」
『ほわ? じゃ、どーていばかはフェベルねーさまのこいびとなのですか?』
「ち、違いますよ、違いますからねテンペちゃん。というか、その、ラナさんの言葉を真似しちゃ駄目ですからね」
『ふわ? どうしてですか?』

 倫理的に宜しくないから──と、この未熟で未発達なデバイス少女に説明したところで、説明が疑問を呼んで解説が質問を齎すだけだ。眼鏡の下でくりくりと動くテンペストの大きな瞳は、好奇心が結晶化したようなものだった。
 代わりに、ラナに釘を刺す事にしよう。ちなみに渡されたクリップボードに挟まれている紙書類にもザッと眼を通す。
 どうやらアストラが指揮する前線第一分隊の健康診断のチェックリストのようだ。彼自身の診断書もある。健康優良悪戯男児を相似拡大したようなあの准陸尉殿は、部隊内どころか、比較対象の範囲をミッドチルダ中の航空・陸戦魔導師に広げても、間違いなくダントツの負傷率を誇る問題児だ。それなのに、定期健診を毛嫌いして有耶無耶の内に受診を見送る。これで部隊長の下に本局の福祉保険業務局からクレームが来たぐらいだ。

「ラナさん。変な事教えたらサイクロンちゃんが怒りますよ?」
「教えてないわよー。この子の知的好奇心の成せる技ね。ねーテンペちゃん」
「はい。はやくいちにんまえのデバイスになって、マイマスターをおたすけしたいです!」

 拳を天井へ掲げて意気込むユニゾンデバイスのようなインテリジェントデバイスの少女。その健気な姿勢には素直に共感を持つし応援も援助も惜しむべくも無いが、些か懐く対象を間違えてしまったのではないかと、儚い同情心も持ってしまう。
 と。いつもならラナの斜め上発言を咎める彼女個人のデバイスが今日は雨季前の蛙みたいに沈黙している。アストラのアンスウェラーのような形状を待機形態にしていない彼女の愛用のデバイスは、その姿を確認する事が出来ず。取り敢えず問うてみる。

「今日はスカイトラストさんはご一緒じゃないんですか?」
「うん。この前の事件の所為で、暫くぶりに無茶させたからね。マリーさんとこでオーバーホール中。お陰で耳元が静かでいいわ。快適快適」
「はわ? さっきもおしごとちゅうに、スカイトラストーってスカイトラストさんをおよびして、そういえばいないんだっけーってしょんぼりしてましたですよ?」

 頭上で小首を傾げるテンペストキャリバーを、むすっとおもむろに鷲掴みしたラナは、無言でデバイス少女の小指の先ほどの額を容赦無くデコピンし始める。女児型掌サイズサンドバックは左右上下に面白いように弾む。

「うきゃううきゃきゃきゃうきゃきゃうきゃうきゃきゃっきゃっうきゃ!」
「今日得た教訓は、口は災いの元。いいかしら?」

 蟲も殺さぬ極上の微笑みで、ラナ。
 これは酷い明らかな児童虐待だ止めないと、と思った矢先。フェベルはそれじゃ確かに受け取りましたから後日アストラさんのサイン貰って持って行きますね〜と壮絶な早口で相手の同意も肯定も何も待たず得ず、母親の腹の中にうっかり忘れて来た運動神経の残滓を振り絞り、その場から脱兎となって逃走した。
 刹那。背後で二十五歳ほどの女性の甲高い悲鳴と、耳を塞ぎたくなる派手な騒音が鳴り響く。一瞬遅れて、寮施設が微かに揺れた。鼓膜の奥がキンキンなるが、変わらず走る。
 ユニゾンデバイスに肉薄する言語機能や、発展途上ではあるものの、優れた自律意識を持つあのデバイス少女は、音速の名を持つキャリバーナンバーのマスターの振動粉砕を擬似的に模範再現出来る。無論、殴るなんて野暮で野蛮な行為には及ばない。その感情が極限まで高められた時、固有振動パターンは泣き声に付与されて全方位に解放されるのだ。その破壊力は圧して知るべし。ゴキブリ並みの生命力を誇るアストラが、テンペストに無理矢理見せたホラーゲームが原因でその直撃を受けて三日間昏睡状態になったのだ。普通の人間なら一ヶ月は聖王教会の医療施設で栄養食を食べる羽目になる。
 ラナ・フォスターの逞しい生存能力なら、きっと一週間ぐらいで済むだろう。ああ、その間はうちの医療班も大幅な戦力ダウンだ。訓練でも下手な怪我人を出せないのでアストラに言及しておかないと。

「お前が代わりに行ってくれ」

 部屋で携帯ゲームに夢中になっていた上司に伝言を告げると、根本的に意味不明で、アホな事を言われた。

「ジャイアンみたいな無茶言わないで下さい。注射が怖いなんて歳じゃないですよね?」
「馬鹿かお前!? 馬っ鹿じゃねぇのか!? またアホか!? 怖いに決まってるだろ!? 誰が好き好んであんな鋭角な突起物を腕だの足だの尻だのに刺すか! お前さてはマゾか!? 貴様の尻の穴はノーチラス号のスペースチタニウム並みに硬いのか!?」
「憚らずに断言しますか、二十一歳の准陸尉の陸戦魔導師。後、壮大にセクハラです」
『我がマスターは、その昔巷で流行した急性感染症の予防接種の時、恐怖心から全身の筋肉を硬化させて注射器の針をヘシ折る暴挙に出た事もある』
「……本当に子供ですね、もう」

 溜息を一つ。彼への第一印象である『こんな人でも戦闘魔導師が出来てしまうのだから、果たして管理局の人材不足も危険領域だ』は、今も昔も変わらない。
 この印象、そして感想は、きっと間違っていない。こんな人格崩壊者みたいな人間が次元世界の法と秩序の番人たる時空管理局に属し、陸戦魔導師というカテゴリーに入り、規模こそ小さいが分隊長を務め、さらには准尉なんて肩書きを持っているのは、何も知らない人間からすれば由々しき事態以外の何者でもないだろう。
 実際、彼の分隊長としての事務能力は壊滅的だ。いや、仕事そのものは局員歴十年以上は伊達ではないらしく、こなせる事はこなせるが、とにかくすぐにサボる。隊舎の分隊長室に大量の私物を持ち込んでは、前任の副官であるギンガ・ナカジマと殴り合いの口論を起こした回数は一回や二回ではない。無論、すべてアストラがぐうの音も出ないほどに敗北しているが。
 フェベルに情報通信処理業務の基礎を授けてくれたかつての上司が、柔軟思考が服を着て歩いていると比喩されていたのに対し、アストラは怠惰と惰性と倦怠がバリアジャケットを構築しているようなもの、という喩えが成立してしまう。
 それでも部隊内から不満らしい不満が噴出せず、また部隊長であるゲンヤ・ナカジマが小言の一つや二つで半ば容認してしまっているのは、一つの理由がある。

「アストラさーん」
「お。遊ぶか?」

 携帯ゲーム機の画面から、視線をフェベルに移すアストラ。

「はい」

 笑顔で肯いて。フェベルは持参した同機種の携帯ゲーム機を手にアストラのすぐ側に腰掛ける。彼の自室は趣味の代物で埋め尽くされているので、ソファなんて洒落た家具なんて無い。
 板張りの床に座り込み、ベッドに背中を預けて、自然と肩を並べて、服の袖が触れるか否かという距離感で、二人はひとときの休息である自由待機を謳歌する。

「どこ行く?」
「ん〜とですね。成金装備が作りたいので、雌火竜の天鱗が欲しいです」
「つーと……竜王の系譜で地道にやるか、双獅激天でクリア報酬四パーセントの天の山菜券に挑むか」

 許されている範囲内で娯楽を求めて外出するとか、そういう発想は無い訳ではないが、彼と連れ立って街を散策する自分が想像出来なくて、フェベルは提案した事が一度も無い。
 この距離で。静かな部屋で。二人だけの時間を満喫する方が、ずっと有意義で、心地良くて、愉しいから。
 健康的とは言えないだろうし、これぐらいの歳の男女がやるには色気も何もあったものでもないのは、分かっている。
 でも、この時間の共有方法に頭の天辺まで浸って溺れるのが、フェベルは好きだった。ラナから近場のデート・スポットを幾つか紹介してもらったが、そんなところに行く方が、きっと自分達には違和感でしかない。

「竜王の系譜は閃光漬けで一人でも何とかなりますけど、双獅激天は分断が苦手なのです」
「じゃ後者だな。弓?」
「はい。殲滅と破壊の剛弓Uと、火事場+2辺りで」

 この関係のままで。そんな言葉に甘んじ続けるつもりもないが、何となく、この肩口が触れ合うほどの距離感に満足してしまっている自分もいる。
 アストラ・ガレリアンの受け皿になれる人間なんて、無限に等しい広さを持つ次元世界に於いて、自分ぐらいだ。あの赤毛の口の悪い少女が好敵手と言えば好敵手だが、彼女は彼女で戦技教導官の仕事でちょっと前に顔を見せたぐらいだ。以来、連絡を取り合っているところを見た事が無い。
 慌てる必要も、焦る必要も、無い。この微温湯のような心地良さに身を委ね続ける事に異存は無かった。いつかきっと距離がもっと近付くと、何の根拠も無く漠然と思ってしまう。

「そんなガチじゃなくても大丈夫だろ。体力低いし」
「アストラさんはガンスですか?」
「倉庫にガンス以外の武器が何も無い俺に愚問だな」
「アストラさんだけで三死してクエスト失敗とか、嫌ですからね」

 携帯ゲーム機に電源を入れて起動を待っている間、ふと視界の片隅にアストラの左腕が入り込む。フェベルの腕の二本分以上はあろう鍛えられた浅黒い肌の、鋼鉄を連想させる腕。魔導師というより、己の身体そのものを武器とする騎士のような腕。
 そこが、傷だらけだった。眼を細めて視力を高めれば、細かな裂傷や擦過傷、打撲の痕跡が肌を埋めている。無傷な箇所を探す方が難しいほどに、夥しい量の古傷。
 隊内でアストラの公私混同を目ざとく注意する人間が少ない理由が、これだ。容認と言っても度が過ぎれば放任主義な部隊長も顔を顰めるので、周囲を一切省みないアストラも一応のボーダーラインを設けてはいる。
 ともすれ──この青年士官は、実戦に於いて真価を発揮する。
 突撃槍型インテリジェントデバイスの補助を受けながら、理論や理屈では説明の出来ない野生動物的直感と、今日まで培った経験と感覚で、的確に分隊を運用して目標を達成する。
 己の被害は、一切厭わない。それを勇敢か蛮行か判断する材料は、共に出動した同僚や部下や他の部隊の被害状況である。

「じゃ天鱗出たらラオ行っていいか?」
「ラオの天鱗ですか。ソロじゃ討伐面倒ですからね。いいですよー」

 すべては結果論なのかもしれない。アストラにその意図は無いのかもしれない。彼がしたいようにやった結果がそうなっただけだと切り捨てるのは簡単だ。
 けれどアストラは、一度出動すれば、ラナ・フォスター医務官が舌打ちして愛用のデバイスでぶん殴ってしまうほどの傷を拵えて、引き換えに部下達がほぼ無傷なのは、事実だ。
 緊迫した現場での指示は、鋭く適切。しかし、自身はすべてのセオリーを否定するが如く真正面から突撃する。それでも重傷を負わずに済んでいるところは、A+認定を受けている陸戦魔導師の技術が成せる業だ。それでも今までに何度か遥か格上の相手を敵に大立ち回りを演じて、首都防衛隊に助けられていた。
 アストラの無謀な行動が、仲間達を危険から守り、結果論ではあるが、目標制圧を早めている。ポジション的にはフロントアタッカーなのだから当然なのかもしれないが、荒事を請け負う武装隊の中でも命知らずの所業だと失笑されてしまっても仕方が無い。
 管理局の外でも中でも有名で、最近一児の母になってちょっとした話題をメディアに提供した高町なのはも、止めさせないと危ないと表情を険しくしていたが、同時に無理なんだろうけどねと、苦笑しながら諦めも口にする。
 それが、アストラ・ガレリアンという無理無茶無謀をデフォルトとしている男の生き方なのだから。
 ギンガはもっと厳しくしないと示しがつきませんと部隊長を叱り飛ばしている。時々彼女の妹達がこの部隊に研修に来るからだ。可愛い妹達に変な影響が出ては敵わない、というのが本音だろう。
 前任者だった彼女に安心してもらう為にも、自分はアストラの現副官として、限りなくいい加減で適当だが、仲間を守り、危険の中心に誰よりも早く飛び込んでゆく彼を監督しなければいけない。

「クエスト貼ったぞー」
「はーい。もうちょっと待ってて下さいー」

 大変だが、異存は無い。昔からなので慣れてしまっているが、傷だらけになって帰還するアストラを迎えるのは、気持ちの良いものではない。
 二十四時間後には、また勤務が待っている。出動になれば、またラナが険悪な顔で仕事増やすなアニオタ准尉と野次のようなコメントを残す。どういう訳かアストラにも懐いているテンペストががんばってくださいーと気の抜ける声で送り出す。
 こんな時間が何時までも続けばいいなぁと、掠め合う肩口から袖越しに硬い暖かさを感じながら、フェベルは思った。





 continues.





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