根性戦記ラジカルアストラButlerS

破:私が貴方を好きになったワケ ♯.2







 陸上警備隊──陸士部隊に於いて、インテリジェントデバイスは極めて希少性の高い機種である。
 第一の理由は、単純な使用者の少なさだ。インテリジェントデバイスの導入を強いられるような潜在能力の高い魔導師は、そもそも陸よりも海──次元航行部隊に配属され るのが常識である。無論、高ランクの魔導師でもストレージ特有の利便性、汎用性の高さから、癖の強いインテリジェントを敬遠する者もいるので一概には言えない。
 ともあれ。陸でインテリジェントを使用する魔導師は決して多くはない。首都防衛隊に集中していると言っても過言ではなかった。Aクラス以下が平均となっているミッド チルダ地上本部陸上警備隊の魔導師達の大多数にとって、インテリジェントデバイスは汎用性に欠く扱いの難儀な機種に過ぎないのだ。
 第二の理由は同調率の低さ。第一の理由から派生するが、無理に機種転換訓練を受けてストレージからインテリジェントに変更しようとしても、魔導師としての技術がデバ イス側の要求に応えられない場合が多い。身も蓋も無い言い方をすれば、インテリジェントデバイスを握るに相応しい技量を備えている陸戦魔導師が少ない。
 第三の理由に、陸士部隊の兵站課や技術課の設備が絶対数の多いストレージやアームドに幅を利かせている為、インテリジェントは独力での整備や改修を強いられる。孤立 無援という訳でもなかったが、使用者もインテリジェントも肩身が狭い思いをせざるを得なかった。
 という訳で、無限の可能性すら秘めているにも関わらず、インテリジェントデバイスは陸士108部隊内でも身の置き場に困る機種であった。
 インテリジェントにしては非常に稀有な突撃槍を基本態としているアンスウェラーは、そうした理由もあって、技術課での整備優先順位は低かった。そもそも強力な自己診 断機能を保有している上、中破レベルならば自己修復も可能な超高性能機種だ。定期整備も汎用ストレージの半分以下の回数で済むのは数多とある利点の中でも特に優れた箇 所であろう。
 この部隊が保有しているインテリジェントデバイスは、昨年までは彼一機だった。そこに寂しさを感じるような酔狂な性格はしていない。何せ機械なのだから。
 それでも、元槍型という経緯からか、スカイトラスト・エンブレイスとは親睦を深め合う仲となっている。機械的に表現するのなら波長が合う、人間に言い換えれば馬が合うとい うべきか。
 ジュエルシード盗難事件から端を発した例の質量兵器ステイシス鎮圧から無事に戻って来たスカイトラストが、マスターに連れられて技術課にやって来た時は、アンスウェ ラーも素直に喜んだ。
 技術課の局員に幾らか注文をつけたスカイトラストのマスターは、肩に下げたタオルで髪を乱暴に拭きながら部屋を出てゆく。

『お疲れ様です、スカイトラスト』

 隣の整備台に置かれた友人に声を掛けると、彼はチカチカと明滅する。人間で言えば会釈だ。

『ステイシスは?』
『地下下水処理施設にて無事撃破致しました。今戦闘記録を送信します』
『ありがとうございます』

 受信した圧縮データを即座に解凍。鎮圧に関するブリーフィングから始まるそれは、現場の到着、オーヴィル曹長達による敵機の陽動と誘導、高火力による一斉射撃撃破ま での高鮮度の情報である。
 今日を含めればまだステイシスとの戦闘は四回。無限書庫の情報支援があるとはいえ、敵機との交戦情報を超える有意義なものではない。インテリジェント同士で情報リ ンクして議論すれば、敵機の驚異的火力に対して高い安全性を確保しつつ破壊する作戦も立案出来るかもしれない。

『センサ系統の脆弱性は本物ですね。兵器としては大いに問題のある機体だ』
『はい。ただ、アクティブセンサの感度は並み以上にはあるようです。だからこそシャドウディバイドでの陽動に面白いように反応した訳なのですが』
『アクティブまで前時代的だった場合、古代ベルカへの評価を変えざるを得なかったところです。ともあれ、この致命的な欠陥を衝いてゆく方向でしょうか』
『そこ以外に満足な弱点は今のところ発見されていません。また、まだ試していない方法としてはECMの展開ですね。これが利けば制圧は遥かに容易になります』
『センサの脆弱さからして、そこまで大きな効果は期待出来ないでしょう。次回の出動の時に宜しければ試験してみて下さい』
『その余裕があれば実施しましょう』



 ☆



 同型機の意見に同意しながら、スカイトラスト・エンブレイスは思慮する。
 一体どうすれば、アンスウェラーを説得する事が出来るのか。
 ラナに申請して取得したアンスウェラーの開発、設計、製造、その他諸々の情報から慎重に吟味を重ねているが、この頭の硬い旧型インテリジェントデバイスを説得する有 効な交渉手段は分からないままだった。
 突撃槍という、およそ射撃による中間距離を主戦場とするミッドチルダ式魔法を行使するデバイスとは思えないシルエットと性能。時空管理局黎明期にまで遡るその基礎設 計。当時画期的だった目的、状況に応じた可変機構は機体そのものの剛健性を求めた結果、オミットにされ、突撃槍で統一された。利便性を失った代わりに得たものは、スト レージデバイスに匹敵する容量の大きさだ。その長所は、インテリジェントデバイスと呼ばれる機種が実用化されて間もない頃の機体であるアンスウェラーが、未だに大幅な 改修も受けずに第一線で活躍できるほどだった。
 頭が硬い頑固者というのは、何もマスターの影響だけではないだろう。彼の開発背景、設計から半世紀が経過している古さがそうさせているのかもしれない。
 ──いや、違う。アストラ・ガレリアンの養父にしてアンスウェラーの正規のマスターである故オペル・ガレリアンの影響が最も大きいか。
 不意にアンスウェラーが口火を切った。

『我がマスターについて、ミス・フォスターは何とおっしゃっていますか?』
『最近は馬鹿准尉と名称を変えているようです。先日までは童貞馬鹿だったのですが、ガレリアン准尉が童貞を卒業した為の措置かと思われます』
『なるほど、的確です。それでは私も今後は我がマスターを馬鹿准尉殿とお呼びしましょう』
『……それは冗談ですか。それとも本気ですか』
『さぁ。どうでしょうか』

 落ち着いた渋味のある男性の声が、言葉を濁して締め括る。
 今でこそ長尺の杖という形状だが、スカイトラストもかつては槍を模していた。突撃槍のような超重量武装ではなかったが、同じ槍という事で親近感に似た感情を持ってい た。
 他にも、彼とは類似点が多い。所謂『先代』と呼ばれる別の使役者がいた事。今のマスターに手を焼いている事。そのマスターが少なからず似ている事。
 だからなのか。アンスウェラーが考えている事は予測し易いかった。敬愛するマスターを結果的に見殺しにしかねない危険な思想に至っている背景も、取得している彼らの 個人情報から類推するのは簡単だった。

『意地を張ったところで、誰も幸せにはなりません』

 単刀直入にスカイトラストが言った。相手の感情や気持ちに配慮するのは苦手だ。心が備わっていたとしても、自分達は機械なのだから。

『貴方の決断は、ガレリアン准尉の意地を補強するだけです。彼に死ぬまでベッドで天井の染みを数える不毛な生き方を与えるつもりですか?』
『我がマスターに限ってそんな無意義な余生の送り方はしないでしょう。カートゥーン・アニメを視聴し、電子ゲームに一喜一憂し、模型製作に熱を上げるに決まっています』
『喩えそれで貴方やガレリアン准尉が満足したとしても、テーター一等陸士や他の者達は納得しないでしょう。それはただの自己満足です。悪質と言って良い。そうする事で一体誰が喜ぶというのですか』
『我がマスターが喜びます』

 明瞭な即答だった。

『我々インテリジェントデバイスの使命は何ですか、スカイトラスト』

 人間ならば、この瞬間に鼻を鳴らして肩を竦ませ、全身を以って嘲弄を吐露しただろう。
 生物に対して呼吸をするのは何故かと質問しているも同義なのだから。
 『意志ある超高度演算システム』とも綽名されるインテリジェントデバイスにとって、これは論ずるのも馬鹿馬鹿しい議題だ。愚問にして挑戦。挑戦にして侮蔑。朴訥なよ うで中身は空洞。悪意ある問い。
 それは存在意義。
 それは自己証明。
 草臥れたロートルが平坦な電子音声で発した質問とは、つまるところ、そういう事だ。
 インテリジェントデバイスが備えている揺るぎ無き心。他者を他者として認識するに足る高度で明瞭な意志。それらが忠義を尽くすべき対象者を誰かと論ずる。
 これを愚者と呼ばずに何と表現すればいい。
 インテリジェントデバイスの使命は、自らが使役者と認めた魔導師が進むべき道を斬り開き、歩む為に必要なすべての力と成る事に他ならない。

『スカイトラスト。貴方は己がマスターが成すべき事を成せずに擱座してゆく様をただ傍観する事ができますか?』
『───』
『我がマスターを身勝手と罵倒するのは正論です。全く何の問題も無い、完膚無きまでに正確な評価でしょう。私個人としても同感です。全力を賭して同意致します。我がマ スターは正真正銘救いようの無い阿呆です』

 スカイトラスト・エンブレイスは思慮する。
 果たして。果たして果たして果たして。
 この突撃槍を模した『意志ある超高度演算システム』は、本当に機械なのだろうか。
 これまで多くの『仲間達』と出会って来た。一口にインテリジェントデバイスと言っても、それぞれに与えられた役割によって性格は違う。アームドも含めて、スカイトラ ストは酷似する思考パターンを備えたデバイスと邂逅した事は一度も無い。
 同じメーカーで同じ工場で同じ素材で同じ工程を経てロールアウトしたとしても、中枢システムが稼動した瞬間にインテリジェントデバイスは別の成長の樹を描き始める。 逞しい幹の部位から独自の枝を伸ばして情報収集を行う。登録された魔導師の魔力パターンも大きな影響を及ぼす。インテリジェントデバイスの『成長の樹』は、人間の脳シ ナプスや神経細胞と変わらない複雑さを経て、個として確立するのだ。
 同じ思考パターンを有するインテリジェントやアームドと出会う事は事実上不可能なのだ。
 しかし、同じ『ような』デバイス達には、これまで数え切れないほど出会って来た。
 二つと無い独自の思考パターンを形成するとは言っても、機械という根幹は変えられない。
 それなのに。
 スカイトラスト・エンブレイスは、アンスウェラーが同じ機種のデバイスとは思えない。
 未知の物体。デバイスの形をした別の代物。既知の範疇を超越した何か。
 こんな人間臭い機械が、機械であろうはずがないのだ。
 自分達インテリジェントデバイスは、人間の『ような』思考パターンを構築できるだけなのであって、人間と同等の価値観を得られる訳ではない。機械はどこまでいっても 機械だ。この範疇を超える事はできない。この常識を覆る事は許されない。融合騎ならば可能かもしれないが、あれは古代ベルカの卓越した技術が成せる業である。思考パタ ーンだけではなく、人格すら形成してしまうユニゾン・デバイスは別次元のシステムだ。
 無機物が有機物に成るなんて、不可能なのだ。
 ならば、このデバイスは何なのだろう。幼い頃の高町なのはとの模擬戦で、デバイスには絶対に備わらない『感情』の発露が確認されたというのが、それが関係しているのだろうか。

『スカイトラスト』
『はい。何でしょうか』

 静謐な思慮を一斉に中断させて、スカイトラストはデバイスの範疇を超えた何かに応える。

『私は、我がマスターの想いを貫く槍なのです。喩え穂先が破損しようとも、柄だけとなろうと、我がマスターが膝を折らぬならば私にも擱座は有り得ない。その様は貴方 達からすればどこまでもどこまでも滑稽に見えるでしょう。不要な心労を課し、不要な悲嘆を齎すでしょう。ですが、それが何だというのですか。そんなものは私には関係 ありません。興味も無い。私の最優先事項は我がマスター、アストラ・ガレリアンのオーダーなのです』
『……結果。ガレリアン准尉が死亡しようとも?』
『我がマスターには明確なゴールがありません』
『ゴール?』
『我がマスターは後悔をしない生き方を自らに課しています。これはゴールの無い走破競技も同義です。我がマスターにはインターバルや中継地点やバトンを渡すべき相手 も、何も無い』
『───』
『我がマスターはそれを負担を思っていない。狂気の沙汰だ。精神が歪曲している。精神が破損している。正気であろうはずがない』
『───』
『だから、磨耗の果てに二度と自力で排泄行為すらもできない身体になろうと、私は彼のオーダーに応え続ける。それが彼の希望。それが彼の切望。それが彼の要望。一機 の旧型インテリジェントデバイスとして、全身全霊と賭してアストラ・ガレリアンを支えて導く』

 透徹な冷淡さを維持して来た口調は、そこで一旦締め括る。次の句が継がれるまでの刹那の間は、彼が自らの覚悟を確認する為のものだったのか、それとも別の何かの為 だったのか、スカイトラストには分からない。
 何よりも。

『破滅へと』

 使役者を終焉へ誘うインテリジェントデバイスの思考パターンを理解できようはずがなかった。

『──狂っているのはマスターだけではありません。貴方もです、アンスウェラー』

 返事は無かった。



 ☆



 関係が変わったからと言って、劇的に何かが変わったのかと言われると、フェベルは首を横に振る。その所作は呆れているように見えるし、残念そうにも思えるし、嬉しそ うにしているとも感じられる。
 面白がる同僚達に矛盾する感情を滲ませるフェベルは、そんな環境に不満が無い訳ではなかった。自由待機時は局員寮の自室で惰眠を貪る彼に鬱憤が溜まっていない訳でも ない。正直に言えばもっと構って欲しいし、折角親友以上恋人未満の曖昧な関係から一歩先に進めたのだから、そういう関係でしかできない事をもっとして欲しいとも思う。
 でも、そうした要望を自分の口から言うのは負けた気がしてしまうのだ。フェベルは自身もアストラも天邪鬼である事は承知しているし、熟知もしている。難儀で面倒な性 格だなと自己嫌悪に陥る事もあるけれど、とにかく自分から甘える展開が癪だった。

「癪です。癪です癪です癪です」

 湿った髪をタオルでわしゃわしゃと拭きながら、フェベルは前線第一分隊の共同オフィスを通過して分隊長室の扉の前に立った。音を立てないように気を使って扉を開ける と、執務椅子に腰掛けて天井を仰ぐように眠っているアストラの阿呆面が拝めた。

「……お仕事中にこういう事を考えてる私も、お仕事中なのに堂々と居眠りしてる分隊長も、駄目駄目です」

 溜息をついて分隊長室に入る。背後で自動扉が閉まる音が鳴る。
 第一分隊の隊員達は、機体を破壊して無事解決した例の質量兵器事件の事後処理で全員出払っている。直接戦闘を行って質量兵器ステイシスを破壊して来たリーンやラナ は、次の事件に備えて先に帰投、小休憩を挟んで対策会議を行う形になっていた。ラナは臨時医務官としての業務遂行もある。定期健診を渋るアストラをどうしてやろうかと 憂鬱そうな眼でぼやいていた。
 医療魔導師という名目で駆り出しているラナも含めて、対策本部が設置されている前線第一分隊全員が事件解決に従事しているというのに。果たして分隊長がこれでいい のだろうか。
 無論、良い訳がないに決まっている。ところが、ラナもリーンも小言は言っても現場に無理矢理駆り出すような真似をしない。
 待機組として今以って行方不明のジュエルシード捜索任務に当たっている訳だが、協力体制にある各分隊から寄せられている調査報告書に眼を通して、あれこれ思案を巡らせ、 その行方の推測と類推をするのが精一杯だった。ステイシス出現から一ヶ月間、分隊長なのに待機組になっているアストラと共同して調べに調べているが、その足取りを追う事 さえできていない。
 そんな成果ゼロの現状に焦燥心が無い訳ではない。進展が全く無い事件は動きが出るまで横合いに置き、その無差別性から市民の脅威に成り得る質量兵器要撃の応援に回った 方が有意義のはずだ。少なくともフェベルはそう思っているが、それをラナが許可してくれないのだ。
 そうした事情の為、フェベルは自堕落でプロ意識の欠片も無い隊長失格准尉殿に毎日随伴している。お陰で小さな胸を軋ませている寂寥感に悩まされている。
 髪を拭くのをやめたフェベルは、執務机の脇を通って、アストラに歩み寄る。本当はちゃんと髪を乾かして整えたかったが、アストラに悪戯されて結局はクシャクシャに されてしまうので、風呂上りに彼に会う時はいつもこうして無防備な瞬間を晒していた。

「本当に良く寝てますね」

 呼吸に従って規則正しく揺れる身体。深く健やかな寝息。顎を伝う涎。実にだらしない姿。
 仕事に熱心な局員とはお世辞にも言えないこの不良准尉殿も、けれど、事件発生という非常事態下で熟睡する事は無かった。最近の自由待機時は常にこれなのだから、本 当に良く寝る。

「うーん。やっぱり無理矢理でもラナさんに診てもらった方がいいですよね」

 腕を組んで思案する。もう何度も彼女に診てもらうように進言しているが、聞き入れられた試しは無い。定期健診だって部下達には受けるように言っておきながら自分は 注射嫌いとか訳の分からない理由で受けずに先延ばしにしていた前科持ちだ。ナカジマ部隊長にお願いして、部隊長命令でラナに受診してもらうべきか。
 ともあれ、だ。

「………」

 アストラに最後に触れたのは、何時だっただろう。そんな風に考えた瞬間、フェベルは緩慢な動作でさらに彼に近付いていた。慎重に慎重を期して、けれど、躊躇いを挟 まない潔さを以ってその膝の上に腰掛ける。眼を醒ましてしまう恐れもあったが、小柄で痩躯なフェベルならどれだけ乗って来ても何の問題も無いと高笑いしていたのはこ の青年准尉だ。だったら遠慮してやる必要なんて無い。物憂げな気分に沈んでいるのは他の誰でもない、アストラの所為なのだから。
 五月蠅く跳ね回る心臓を無視して、その身体に触れる。涎をハンカチで綺麗に拭き取ってやると、指先が無精髭を見つけた。

「だらしないですよ、アストラさん」

 それが微笑ましい。年上の恋人と接しているというよりも、手間の掛かる弟の面倒を見ている気分になる。それは今も昔も、ずっとそうなのだけれども。

「身体を診てもらって、調子が悪いなら少しお休みしましょう」

 分厚い胸板に頬を添える。
 返事を貰えない提案を呟く。

「アストラさん、馬鹿ですから風邪は引きませんけど、怪我は毎日の事です。もうアストラさんだけの身体じゃないんですから、勝手に傷増やすのは駄目です」
「……傷物で悪かったな」

 静かな声が耳元で囁く。
 驚きの悲鳴は舌の上に来たところで戸惑いの喚きに変わる。眠っていたはずのアストラが弛緩させていた身体を動かして、上から覆いかぶさるようにフェベルを抱き締め た所為だ。
 顔の表面、特に頬が火傷しそうに熱くなる。

「お、起きてたんですか!?」
「てめーの柔らかな尻で眼が醒めた。何だ誘ってんのか、この姿勢」
「だ、誰ですかこの不真面目分隊長! リーンさん達が忙しいっていうのに爆睡するなんて!」
「俺達は俺達で行方不明のジュエルシードの捜索があるだろーが。手掛かりも糞もねーから暇過ぎるんだが」
「だからって寝ていい事にはならないじゃないですか! 私ラナさんからアストラさんの見張り頼まれてるんです! 寝ないで下さい仕事中は!」
「けー。ヤブ医者の奴、保険掛けたつもりかよ。俺はすでにフェベルルートに突入しているというのに」
「もー真面目に聞いて下さいよー!」
「良い匂いすんなお前。何風呂入ったの?」
「シャワーですよ!」
「そういう時は声掛けろよ俺も入るー」
「寝惚けてます!? ねー寝惚けてますかアストラさん!?」
「それを口実に最近お前とのハグ不足を解消してる。フェベル分補給中」
「っ……!」

 ふざけないで下さい、と大声を張り上げようとして。フェベルは労力を割いて錯乱する自分の理性を諌める。
 寝惚けているのか。確信犯的犯行を犯しているのか。判然としないが、いつぞやぶりのこの抱擁を逃してしまう事にちょっとした恐ろしさを感じてしまった。次は何時味 わえるのか分からないこの瞬間を安易に手放す訳にはいかなかった。自分以上に天邪鬼な青年准尉殿が本音を吐露してくれる時なんて、ベッドの中でも一度も無かったのだ から。

「もっとハグしたいですか?」

 思慮と決断と実行をほぼ同時に消化して。フェベルはそう口走る。

「してー」
「い、いいですよ。もっとぎゅってして、いいですよ」

 アストラとフェベルの身長差は大きい。大人と子供、そう表現できる。それでも足りなければ猫を抱えた小さな子供だろうか。それだけ体躯の差が顕著な為に、アストラ がフェベルを抱え込むと、本当に猫を抱き上げた子供の様相に近くなる。
 彼の体温を久しぶりに全身で味わう。彼の呼気を久しぶりに首筋で感じる。
 脳味噌が沸騰しそうになった。心臓が口から飛び出してしまいそうな勢いで動く。

「おー超ドキワクしてんなてめーのここ」
「ひさし、ぶりですから。というか鷲掴みしないで下さいよぉ」
「いいじゃん。どうせするんだし」
「……こぉ!? こここここここでですか!?」
「ゴムもあるし」
「そういう問題じゃないでしょー!」
「嫌ならしない」
「そ、そんなしょんぼりしないで下さいよぉ!」
「いや。だって俺が陵辱系とか嫌いなのてめー知ってるだろー。んー欲求不満。まぁいいや。眼ェ醒ましに俺もシャワー浴びて来る」
「だ……誰も、嫌だとは一言も言ってましぇん!」
「呂律回ってないフェベル超萌え」
「め、面と向かってそういう事言わないで下さい! も、萌えとかも嫌です! 好きって、言い直して下さい!」
「いや。俺そういう意図で言ったんじゃねーんだけど」
「本当に面倒臭い人だなぁ、もう……!」
「そういう俺を好きなったのは誰だってーの」
「……私です! もーいいですしますよ! でも扉ちゃんと鍵閉めて下さいね!」
「何か自棄になってねーか?」
「こんな気分も雰囲気も出ない誘い方されてへこんでるんです!」
「寝惚けてるからなぁ」
「寝惚けてる人は寝惚けてるって言いません」
「そっか」
「そうです。でも、いきなり、その、どうしたんですか?」
「だって最近ずっとお触りも無かったからさー。寂しさが有頂天になった」
「……私とハグできなくて、寂しかったんですか?」
「相当」
「……そんな顔も態度もしてなかった癖に」
「お前が調子に乗るからな」
「どっちがですか。……皆さんそろそろ帰って来るでしょうから、一回だけですよ?」
「てめーからそう言って一回で終わった試しが無いんだが? しかもお前から二回目の要請が毎回あったんだけど」
「し、知りません。ほら、鍵閉めて下さい早く鍵を!」
「何だお前。誘い受けか」
「ばかー!」

 それは、とても心地良い馬鹿騒ぎだった。
 自分達は、恋仲になっても、何も変わらない。
 ずっとこのままでいたいと思う。心からそう願う。
 その為にも、ラナには定期健診ではなく、もっと本腰を入れてアストラを診てもらおう。






 Continues.










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