根性戦記ラジカルアストラButlerS

破:私が貴方を好きになったワケ ♯.19







 その戦闘機人には《ナンバー》が与えられていない。
 戦闘機人《ナンバーズ》は先天性固有技能も含め、生産性を度外視した超高性能駆体である。その性能を十全に発揮する生体部品の品質管理は非常に厳しく設定されていた。厳選を重ねた良質な部品のみで《ナンバーズ》達の駆体は構成されている。
 この要求スペックを満たせない、所謂《粗製》部品は大量に存在した。
 この規格落ち部品を流用して、スカリエッティは《ナンバーズ》の模擬戦用戦闘駆体を幾つか製造している。ガジェットを使用した訓練も行われていたが、使用されているパーツが粗製であろうとも、《ナンバーズ》のパーツとして要求された性能が高過ぎただけの話だ。模擬戦用の駆体の性能は粗製とは呼べず、能力を限定した《量産型》として、《ナンバーズ》の戦闘育成に貢献していた。
 この量産型の中でも、特に性能が保障されている良質な駆体に、スカリエッティは独自の任務を与えている。管理外世界の古代遺失物捜索や管理局の諜報活動、人工魔導師の素体確保等が主な内容だ。
 人工知能を搭載した量産型達は、それらの任務に従事。しかし、JS事件発生時には予備戦力として招集され、殆どの駆体が任務を果たせずに破壊されていた。
 JS事件完結から数年経過している現在、稼動中の《量産型》は本機のみであると、《彼女》は他人事のように認識している。あらゆる手段を講じて《ナンバーズ》を指揮していた《ナンバー4》と接触を試みているが、あの騒乱以降、一切通じない。 敵──管理局に傍受される危険な方法で通信しても、応答は皆無だった。
 ならば、と。固体識別名《Extra-number-8》──量産型の中で、八番目に特別任務を与えられた良質駆体であるから付与された──は現状を改めて確認し、思索する。
 孤立無援。
 三万五千時間を超える連続稼動時間。
 生体部品の消耗率は二十七パーセントを超えている。
 簡易整備では事態悪化を改善不可能。本格的なオーバーホールが必要。
 このままでは駆体に搭載されている隠蔽機能等がすべて使用不能となる。
 そうなれば、古代遺失物《ジュエルシード》の捜索の続行は不可能となる。
 通信状態下にある二種の質量兵器の稼動状況は良好。《乙型》は四機生存。《甲型》は六機生存。厳重に隠蔽されている専用工蔽には甲乙共に十機以上が保管されているが、管制機である自分の稼動状況からして、そう多くは使役出来ない。小隊ユニットを構成するのも難しい。
 可及的速やかに帰還しなければならない。
 だが、帰る場所は、もう無い。
 搭載されている人工知能は、与えられた任務遂行の為の物である。その自律行動範囲は極めて閉塞的だ。帰還場所を失ってしまった場合の対処法の確立など、《彼女》には出来なかった。
 如何なる場合でも任務を優先する。《彼女》の人工知能は悲鳴を上げる駆体に無慈悲な指示を下す。自己保身の考えは無かった。
 当面の目標は、二百六十時間前に紛失してしまったジュエルシードを回収する事だ。シリアルナンバーは21。十三番地区の歓楽街に設けていたセーフハウス付近で所属不明の魔導師に誘導尋問を受けた為、止むを得ず《甲型》を使役して掃討したのだが、その時の騒動で紛失していた。
 自我を有する《ナンバーズ》ならば、あの所属不明の魔導師が、娼婦目当てで歓楽街を訪れた粗暴な産業魔導師であると理解し、あの場を戦場にする事も無かったのだが。
 ともあれ。あの一件が《彼女》の寿命を容赦無く削る結果となった。
 市営美術館からジュエルシードを奪取して以降、管理局の陸士部隊と幾度と無く交戦している上、《甲型》を出した事で首都航空隊が出張っている。
 このままでは袋小路だ。いずれ自分も管理局に捕縛される。
 そうなれば、ドクターから託された任務を完遂出来ない。
 あのジュエルシードの回収が最優先事項だ。
 それ以降は、分からない。回収した後に考えれば良い。
 《彼女》は動き出す。磨耗し尽している駆体を稼動させ、《甲型》を即時転移させる準備を整えながら、雨の止まない鋼の摩天楼を跳躍して行く。
 紛失したジュエルシードの所在地は既に判明している。管理局の陸士部隊や首都航空隊の出入りが激しく、警備も一流なので手が出なかったが、手段を選んでいられる余裕が無い。
 帰る場所も無く、待ってくれている人もいない戦闘機人は、水飛沫を切って走る。



 ☆



 雨が続いている。温度が低く、湿気も酷い。
 雨季の只中。カーテンの隙間から見上げた空は鉛色のままで。フェベルの鬱屈とした心中と符号している。そうやって重くなっているのは心中だけではなく、徹夜してしまった身体も倦怠感に蝕まれていた。
 それでも、意識だけは明瞭として。罪悪感を感じながら、フェベルは患者衣から陸士部隊の制服に着替えを済ませる。私服があれば良かったのだが、最低限の下着の替えしか用意していない。これから行う行為を思えば、この制服に袖を通す資格は無かったのだが、患者衣のままでは色々と不都合だ。
 電子端末の状況を確認する。フェベルの私物であるそれは、一般市販されているハイエンド・モデルを違法スレスレまで改造した端末だ。小型だが、マシンスペックは非常に高い。外部電源も医療センター内にある二十四時間営業の売店にあった汎用型を買い占めて来た。
 その他、必要な雑貨品や装備を押し込んだナップザックを背負って。最後にジュエルシードを胸のポケットに忍ばせたフェベルは廊下を出た。
 時刻は明け方。病棟は寝静まっている。あの親切な看護士と出くわす事は無いだろう。逢ってしまえば、きっと病室に連行される。
 やがてアストラの病室に到着する。
 ここに入るには四日ぶりだった。
 ちょっとだけ胸が高鳴って。それに耐えるように胸の前でぎゅっと右手を握って。
 扉を開ける。
 仄暗い病室には、大きな鼾が響いていた。
 ベッドの上で、アストラが酷い寝相を晒して眠っている。
 苦笑を我慢できなくて。でも、彼の左腕が無い事に、頬は強張って。
 フェベルは靴音を殺して、彼の枕元に歩み寄る。闇夜に慣れている視覚が、睡眠を貪る屈託の無いアストラの表情を捉えてしまう。
 甘美な誘惑が唾を嚥下させた。その頬に指を這わせたい衝動が難しい理屈を蹴散らそうとする。
 アンスウェラーの声が無ければ、きっと耐えられなかっただろう。

『準備は整ったのか、フェベル』

 枕の側に、薄く明滅しているシルバーアクセサリーが鎮座している。
 フェベルは動かしていた指の進む方向を変えて、その《知性を持つ魔導端末》を握った。
 今自分が擁くべき相棒は、これなのだ。
 この甘く切ない衝動は、目的を達する事が出来た時、我慢せずに発散すれば良い。
 その時は、彼は五体満足の筈だから。

「はい。お待たせしました」

 囁くように告げると、まるで首肯をするようにアンスウェラーが輝いた。

『結構だ。しかし、フィジカルが低下しているな。それで大丈夫か?』
「はい。事件の進捗状況からして、延期は出来ませんし。強行します」

 現在のジュエルシード消失事件の進捗と、質量兵器ステイシスに関する情報は、昨晩の内に把握していた。
 ジュエルシード消失事件の捜査はリーンが担当執務官として個人で行う事となったようで、彼女が孤軍奮闘している。オーヴィル陸曹長達第一分隊隊員も協力を申し出たようだが、ステイシスとアンサング──対魔導師用兵器であるステイシスを現代技術で再設計したもので、アストラが最後に相手にした機体だ──が出現した場合、民間人の避難誘導等を担当する事となっているので、消失事件からは外されている模様だ。
 それに、事件や犯罪は、今この瞬間にも沢山発生している。
 オーヴィル陸曹達には、やらなければならない事が山積している。
 分隊長であるアストラに重傷を負わせた質量兵器に、第一分隊隊員達は激しく憤っていた。彼等は陸戦魔導師として秀でた才能を持っている訳ではなかったが、とても勇敢で、なにより仲間思いだ。アストラとは上司や部下という括りではなくて、友達のような関係だった。譬え勝ち目が無かろうとも、ステイシスやその強化型であるアンサングが出現すれば突撃するだろう。
 彼等かもメールは着ていた。入院に託けて如何わしい事はしないようにと、冷やかしもあった。それがとても暖かくて。彼等を裏切ってしまう罪悪感で胸が軋んだ。
 リーンの補佐には臨時でギンガが回され、更にフェイトが個人的に協力を申し出て、捜査に加わったようだ。結果、ステイシスとアンサングを管制している戦闘機人の正体が判明している。
 非常に強力な情報隠蔽技術と能力を秘めた戦闘機人。ナンバーズのように自我は無いらしいが、その目的はかつて消失したジュエルシードと、そのロストナンバーの捜索だ。

「これを落としたのは、その戦闘機人で間違いないですよね。なら、ゆっくりはしていられません。戦闘用じゃないと思いますが、ルブール美術館の監視システムを完璧に騙し切った隠蔽技術は脅威です。ここだって、きっともう目星はつけられてる筈です」
『頭の回転は良好のようだな。分かった。ならば早々にここから離れよう。ジュエルシードの願望器として正しく動作させる方法は、まだ発見出来ていないのだろう?』
「はい。PT事件の事件報告書では分からない事が多過ぎますし、無限書庫が見つけてくれたジュエルシードの資料にも、確実な動作法はありませんでした」
『もしかすれば、無いのかもしれんな』
「無いなら探します。探して駄目なら作ります」

 そう告げると、アンスウェラーは何時もの変わらない抑揚に欠けた無感動な声で笑った。

「わ、私は本気ですよ、もう」
『済まない、お前を笑ったのではない。面白い偶然だと思ってな』
「偶然?」
『デバイス暴走事件の直後、自己修復機能だけでは修理不能な損傷を負った私は、インテリジェントデバイスの修復設備の整った技術局第四課に修復を委託された。その時にはまだマリエル技官殿と親しくなる事は無かったのだが、保管区がオーバーホールの為に預けられた《閃光の戦斧》と同じだったのだ』
「《閃光の戦斧》って、フェイトさんのバルディッシュさんですよね?」
『ああ。当時はまだ暴走事件の詳細を知らなかったので、単純な興味本位で幾つか質問をしたのだ。閃光の戦斧は実に寡黙でな、喋るのは苦手だと言って、記録していたあの事件の映像を寄越して来たのだ。無論、全部ではなかったが』

 フェベルは首肯して、先を促す。

『ハラオウン夫妻に無力化された事件首謀者のレイン・レンは、最終的に自暴自棄となって自らのデバイスを暴走させて、擬似的な収束砲を構築。これに対し、クロノ殿は残存魔力を考慮して、フェイト殿一人を転移魔法で避難させようとした。その時、《閃光の戦斧》は己が主を悲しませ続けるクロノ殿に憤慨し、八つ裂きにしてやるとまで言ってな』

 何故だろう。何時も通りの滔々とした口調なのに、アンスウェラーがとても愉快そうにしているように思えた。

『魔導師に宣戦布告をするインテリジェントデバイスなど、これまでの長い経験の中で私は遭遇した事が無かった。《閃光の戦斧》の創造主は、とても優秀だったのだろう。あらゆる想いを《閃光の戦斧》に遺したのだろう。戸惑うクロノ殿に、《閃光の戦斧》は状況打開の方法を求めた。その時に言った言葉が、先のお前の言葉だ』

 無ければ探す。探して駄目なら作る。

『私は《閃光の戦斧》のように優秀ではなかったが、それでも、己のマスターを想う気持ちは負けないつもりだ』
「……アンスウェラーさん、ちょっと変わりました?」
『どうだろうか。仮に変わったとすれば、変わるには遅過ぎたような気もするが』

 口調は変わらない。淡々とした電子音声のままだ。
 それでも、この人間臭さは、一体何だ。機械と話している気が全くしない。声に表情がつけば、融合騎であるリインフォーズ・ツヴァイと変わらないではないか。
 元々《知性のある魔導端末》の中でも、特に人間臭い言動が見受けられる機体だった。一度だけ《感情》を発露した事もある。その後バグとして処理されていたが、もしかすれば、それがまだ残っているのだろうか。

『無駄話が過ぎたな。行くぞ、フェベル』
「はい」

 まずは民間企業が運営している次元航行便で実家のある第二管理世界へ行く。急げばそう時間も掛からない。自分の脱走が実家に連絡されていればアウトだが、されていなければ周到に注意しつつ、暫くは情報収集の拠点とする。然るべき後に両親が掌握しているフェベルの預金口座を奪取。管理外世界に潜伏してジュエルシードの調査を──。

「よー。なかなか面白い話してんじゃねぇか、お前等」

 それは、後頭部を鈍器で殴られるような衝撃で。
 アストラ・ガレリアンと視線が交錯する。
 彼は難儀そうに上半身を起こす。体躯が少しだけ縮んでいるように思えた。

「い……何時から、聞いてたんですか……?」
「クロノ先輩とフェイトのうんぬんってとこくらいか。で、お前はアンスウェラーを持って、何処に行くつもりだ?」

 何通りもの言い訳が頭の中を闊歩する。いずれもアストラを納得させるに足るものだ。
 でも、言えなかった。
 咎める訳でもなく、怒る訳でもなく、彼が笑っていたから。

「まぁいいか。もう俺は使用者じゃねぇしな。つかフェベル、お前顔色ひでぇけど、大丈夫か?」
「……アストラさんに心配してもらうほど、酷くないですよ」
「耳が痛てぇな。取り敢えず、お前に怪我が無くて良かった。でもよ、これから現場に出張る事あっても、ああいう真似は絶対にするな。お前に死なれると、俺、困るから」

 沢山の選択肢がフェベルには与えられた。
 無事でいてくれて、生きてくれていて、本当に良かったと喜ぶか。
 あんな無謀な事をやった人には言われたくないと怒るか。
 不満足となってしまった身体を嘆いて哀しむか。
 理性ではなくて感情で、フェベルは採択する。
 唇が震えた。ヴィータを罵倒した時と同じように、激情が迫った。

「そんな……そんな事! 自分から死にに行くような人に言われたくない!」
「悪かった」
「今まで他人の気持ちを考えた事があったんですか!? 心配する人の気持ちを知ろうとした事はあったんですか!?」
「無いな。だから済まんかった」
「馬鹿! 身勝手! 自己満足野郎!」
「どーぞどーぞ気が済むまで罵ってくれ。それが俺を熱くさせる」

 闊達に笑う凄惨な傷を負った青年。
 これが誰にも真に理解されなかった生き方を掲げた青年の成れの果て。
 フェベル・テーターと、アンスウェラーの、これまでの結果。
 涙腺が決壊する。琴線が崩壊する。
 言葉を交わすと、きっと耐えられない事が分かっていたから、フェベルはアストラが意識を回復した知らせを聞いても、彼に逢いに行かなかった。決心が鈍る事だけは避けたかった。

「っ……何が熱くなれるだ……! 私の気持ちも、知らないで……!」
「済まん」
「謝ってないで言い訳の一つもしてよ!」
「お前にしんどい思いさせたのは俺だ。言い訳なんて出来る訳ねぇだろ。つか、敬語じゃないお前も新鮮でいいな」
「ば……馬鹿に、して!」
「してねぇって。本当に悪かった、フェベル」

 どうしてそんな風に笑える。憑き物が落ちたような明るさを見せられる。
 すべてを遣り切ったから?
 無謀な生き方に区切りをつけられたから?
 そこに後悔は無いから?
 だから、そんな顔が出来るのか?

「本当に……どうしてこんな人を好きになったんだろ、私は……!」
「嫌いになるか?」
「なれるなら!」

 でも、なれない。なれる訳が無い。
 今まで誰も見た事の無い安堵の笑みが、好きだという気持ちに拍車を掛ける。
 アストラを束縛していた《生き方》は、やはり呪詛だった。
 うつむいて。両手を握り拳に変えて。肩を震わせて。
 深呼吸の後、フェベルは告げた。

「アストラさんの《今》を、否定します」

 ベッドの上の彼の気配が変わる。

「何時だっていい。アストラが元気な時から、全部を遣り直します」

 手の中のアンスウェラーが皮膚を切る。

「こんな筈じゃなかったんです。アストラさんも、アンスウェラーさんも、私も」
「……お前。クロノ先輩の名言、知らねぇとは言わせねぇぞ?」

 知っている。
 世界はこんな筈じゃない事ばかりで。
 何時だって、誰だって、それは変わらなくて。
 そんな《今》から逃げ出すか、戦うか、それは人それぞれで。
 でも。そんな悲しい《今》に、誰かを巻き込んでいい資格は、何処の誰にもありはしない。

「私はクロノさんみたいに強くありません。だから、《今》のアストラさんを、否定します。アンスウェラーさんと一緒に──」

 勇気を振り絞って、フェベルは顔を上げる。
 アストラにひとときのお別れを告げる為に。
 彼は笑ったままだった。
 でも、その根本は違っていて。
 大好きな人が、泣きそうな顔で、笑っていた。
 頭を土器で殴られるようなものではなかった。それこそ攻性魔法を喰らったような酷い衝撃だった。
 どうしてそんな顔をするのだろう。
 受け容れられるとは思っていなかった。何を言っているのかと罵声を浴びせられると想っていた。
 こんな顔をされるなんて、あまりにも予想と違う。
 思考が停止する。何て返せばいい。そんな顔をしないで欲しいと懇願するのか。どうしてそんな顔をするのか訊けばいいのか。どうすればいい。どうすればアストラはその顔を変えてくれる。どうすればまた笑ってくれる。
 自問自答の果てに答えは出なかった。
 だからフェベルは踵を返す。脱兎の如くその場から逃げ出した。
 アストラの声が見えない手となって背中を捉える。血を吐くように振り切る。
 扉を開けて、転がるように廊下に飛び出して。
 そして、濡れ鼠の様相を呈している《それ》と遭遇した。

「目標反応確認」

 無感動の顔と面妖な声で告げた《それ》に、生気は無かった。
 長身痩躯の女性である。栗色の髪は水分を吸って頬や額に張り付き、無骨な装甲服から落下した水滴が足元に水溜りを作っていた。
 フェベルに見覚えは無い。管理局の局員ではない。医療センターのスタッフでも無い。民間人であろう筈も無い。
 アストラによって白亜となった頭が、微かに動く。
 これが、まさか。

「ステイシスの、制御用戦闘機人……!?」
『逃げろ、フェベル』
「目標、確保」

 驚愕と警告と宣言。三つの声が重なった瞬間、強烈な衝撃がその場にいた全員を横殴りにした。
 他の誰でもない──アストラ・ガレリアン。



 ☆



 患者衣を翻して壁をぶち破った青年士官が、戦闘機人の頬に右の拳を叩き込んだ。姿勢を崩しつつ、空中で身を切って踵落としに繋ぐ。素足の一撃を後頭部に受けた機械の少女は床に叩きつけられるが、損傷を感じさせない滑らかな動作で床を蹴って離脱した。
 建材が四散する廊下に、左腕を失った青年士官が立つ。
 背には、愛する女性。

「──おいおい。こっちはもう隠居決めた身だぜ? 勘弁してくれよ」

 壁を破壊して、その先にいた戦闘機人を殴って蹴り飛ばした。これまでのアストラならば、一呼吸で出来た。
 それなのに、今は呼気が荒い。自分の物とは思えないほど身体が重く、反応が緩慢だった。
 身体の重心が定まらない。人間の腕は思いの他重く出来ている。それが無くなったのだから、身体の平衡感覚がおかしくなって当然だった。ついでに臓器の一部も無くなっている。筋肉も磨り減っていて、極め付けに右足はあるだけで力が入らない。神経だの血管だの筋肉だの骨だの、一度は六割以上がズタズタにされたのだから無理も無い。
 身体操作系魔法で身体を動かしているといっても、今の奇襲が成功しただけでも僥倖だった。
 アストラは棒立ちしている戦闘機人を注視しながら、壁の火災報知器を破壊した。耳をつんざく非常ベルが鳴り響き、スプリンクラーが一斉作動する。
 人工の雨が、瞬く間に廊下とアストラ達を濡らして行く。
 隣部屋の患者達が、巣を突かれた鉢のように廊下に飛び出して来るが、アストラが破壊した壁や、彼が睥睨している戦闘機人を見るや、脱兎の勢いで逃げ出した。
 ありがたいと思う。正直、今のアストラでは、彼等にまで手が回らない。

「さー。これで近くの災害救助の部隊に自動通報されたぞ。どうする?」

 この戦闘機人が何なのか。先のフェベルとアンスウェラーの話も半分くらいしか聞いていなかったアストラには良く分からない。分からないが、この機械の少女が、フェベルに何かしらの害意を抱いて接近したのは本能で理解した。
 だから警告も無く本気で殴った。
 本調子なら、今の一撃で確実に破壊していただろうが、今の身体ではとても無理だ。傷口はほぼ塞がっているが、身体操作系魔法で無理矢理動かしている以上、本調子とは比較するべくもない。

「まぁ、身体強化系なら得意分野だったから、操作系も割と問題無くいけそうだな」
「ア、アストラさん何やってるんですか!?」

 指の感覚を確認していると、背後から罵声が飛んで来た。

「助けられといて怒鳴るのはねーだろ」
「ふざけないで下さい! 早く逃げて! あの戦闘機人は……!」

 言葉はそこで潰えた。
 アンスウェラーの報告。

『ステイシスの反応を感知。機数四。距離三十』
「っ──!」

 感覚の鈍い右腕を叱咤し、フェベルを小脇に抱える。
 戦闘機人を一撃で破壊できなかった時点で、戦えないアストラの敗北は確定している。その上、あの対魔導師用質量兵器に複数で強襲を掛けられれば、どうする事もできない。
 敵に背を向けて、走れる身体ではないのに、走ろうとして。
 天井をぶち破って現れた機械の塊に、進路は容易く塞がれてしまった。
 建材と埃が舞う中で、蛙を連想させる機体が稼動する。潰れた皿のような頭部に備わっている視覚センサーがモーター音を響かせ、アストラと彼に抱えられているフェベルを捕捉した。
 後ずさる。だが、下がる場所は無かった。
 アンスウェラーの報告にあったのは四機。残りの三機が先行した一機を倣い、天井を破壊して現れた。廊下の中央で退路を確保しようとしていたアストラを包囲するような形で。
 四方の四機が一斉に腕部を振り抜く。鋭い接続音。
 死を覚悟するが、銃声は無かった。

「ジュエルシードを渡せ」

 凛と響く冷たい声。ステイシスの横合いから現れた機械の少女が、無機物の瞳でアストラとフェベルを捕捉する。

「おいフェベル。俺に分かるように現状について説明してくれ。簡潔にな」
「……この戦闘機人は、ステイシスを管理する管制機で、目的はジュエルシードの確保です」
「また面倒な代物残してくれたな、スカリエッティさんは。で、そのジュエルシードは、何でか知らねーけどお前が持ってる」
「………」
「……別に咎めてる訳じゃねぇさ。生きてこの事態と何とかできたら、事情は聞くけど。さっきの俺を否定するうんぬんも含めてな」

 果たしてどうすれば生き残れるのか。戦う力の残されていない自分と、非戦闘員であるフェベルの二人で打開できるような危機的状況ではない。何とか時間を稼いで、近隣の災害救助部隊が到着するまで耐えなければならない。

『我がマスター。私を使って下さい』
「……昨日の今日で前言撤回になるが、それしかねぇかな」

 生き残るには、今一度、鋼の相棒を握るしかない。少なくとも、フェベルを救うにはそれしかない。意地だの何だのと言っていられるレベルではないのは明白だ。

「おいフェベル。アンスウェラーを貸せ」

 それなのに。アストラが伸ばした右手は空を切る。
 フェベルは彼の腕の中から抜け出していた。
 両手でアンスウェラーを包み込むように握って。どんっ、と壁に背をぶつける。
 戦闘機人やステイシス達から逃げる為ではない。
 アストラから遠ざかる為に。
 震える唇で、彼女が呟く。

「駄目です」
「おい冗談やってる場合じゃ」
「そんな身体で戦える訳ないじゃないですかぁ!」

 フェベルの絶叫を、銃声が引き裂く。
 数瞬で防護服を構築したアストラがフェベルの腕を引っ掴み、跳躍した瞬間、その軌跡を抉るように対物魔力弾が掃射された。紙細工のように破壊された壁の建材が舞う中、アストラは鈍重な身体に可能な限りの魔力を通し、フェベルを右腕一本で抱き締め、這うような姿勢で廊下を突っ切る。
 耳をつんざく落雷の如き銃声。排出される咽返るほどの濃密な魔力残滓。全四機のステイシスに依る合計八門の銃口が、アストラとフェベルを蜂の巣にせんと対物魔力弾を連射する。
 通路の角を転がるように曲がる。言う事を聞かない右足が踏ん張れずに姿勢を崩して肩から転ぶ。辛うじてフェベルを護れたが、砕かれた硝子片で額を裂傷した。たちまちの内に溢れる血液が右眼の視界を奪い去る。傷口は深いらしく、冗談のように流血した。
 これでは第十三地区の再現だ。いや、あれよりも遥かに状況は悪い。このままでは、十秒も持たない。アクセラレータを行使したとしても、四機ものステイシスを相手にすれば肉片一つ残らない。
 勘と経験と状況と装備と己の体力を鑑みても、助かる術が見当たらない。

「あすとらさん……だめです、しんじゃいます、いやです、そんなの、いたい、いや、あ、あああぁ……!」
「黙ってろ舌噛むぞ!」

 二秒。エントランスホールに転がり込む。まだ明け方だというのに、二十四時間稼動している先端医療センターのホールは、多くの急患で埋まっていた。
 三秒。追跡の三機が背後から肉薄。悲鳴。
 四秒。ソファやベンチを蹴り飛ばして敵進路を阻害。
 五秒。絶叫。

「逃げろォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 六秒。火災報知器の作動で混乱していた職員や患者達が正面出口に殺到。
 七秒。正面出口に先行していた一機が強化硝子を破壊して突入。
 八秒。四機のステイシスが患者の中に民間魔導師を発見。更に職員の中に医療魔導師を捕捉。
 九秒。ホール内に溢れる多くの人間の中で、リンカーコアを持つ魔導師だけを狙うのは困難であると戦闘機人が判断。
 十秒。無差別の威力射撃を許可。ジュエルシードの反応がある人間だけは狙わないようにコマンドを入力。
 十一秒。アンスウェラーが報告。

『ステイシス全四機。無差別で威力射撃を強行します』

 それを止める術が、アストラには無かった。
 無駄だと分かっていても止められなかった。機械達が執行する凶行に、アストラは喉が裂ける絶叫を上げる。非力な者の無力な嘆きは、民間人達の悲鳴と怒号の中に掻き消える。





 歓楽街に出現した対魔導師用質量兵器に、アストラが無謀な戦闘を挑み、半死半生の重傷を負った時。フェベルはアンスウェラーを誹謗した。マスターを見殺しにする役立たずだと口汚く中傷した。
 でも、それは自分も同じだ。
 自分が引き起こした事態であるも同義であるのに。
 フェベルは、眼前の光景に対して、責任を取る事ができない。
 激しい運動なんてできない身体なのに、身体操作系の魔法を行使して、ズタズタの身体に鞭を打ち、アストラは護るようにフェベルを抱き締めている。左腕が無い所為で受身も取れない彼は、既に傷だらけだった。
 人を殺戮する事しかできない機械達が、満足に逃げる事のできない患者や、彼等彼女等を護ろうと必死になっている職員達に銃口を向けている。その対物破壊性能は攻性魔法として非常に優秀だ。コンクリートの壁もたちどころに蜂の巣に変える。居合わせた医療魔導師が不慣れな様子で防御魔法を構築しているが、それとて大した防弾効果は期待できない。貫通され、破壊され、患者諸共肉片になるだろう。
 自分がジュエルシードを隠し持っていたから。
 対魔導師用質量兵器を管理する管制戦闘機人を侮っていた訳ではない。既に捕捉されている可能性は考慮していたし、だからこそ自分の身体が不調のままでも、管理局脱走を実行したのだ。
 その目測が誤っていたのだ。
 どうすればいい。返せばいいのか。返せばその銃口を下ろしてくれるのか。
 ステイシスはリンカーコアを持つ人間を無差別に攻撃する自律機能を有している。アンサングは分からないが、悲観的に考えれば、同じ機能を搭載しているだろう。なら、この場でジュエルシードを管制戦闘機人に引き渡したとしても、最終的には無差別射撃が敢行されるだろう。
 無力だった。
 この事態の引鉄を引いた責任者であるフェベルは、この場に於いて、どこまでも無力だった。
 身体を破裂させるほどの罪悪感と無力感。出口の見当たらない衝動はこの不条理を嘆き、小さな矮躯の中で跳ね回る。指が折れそうなほどの力が手に篭もって、握ったジュエルシードとアンスウェラーを軋ませた。
 アストラが何かを叫んでいる。アンスウェラーが何かを訴えている。
 聞こえなかった。視覚情報が緩慢になる。転んだ老夫婦に覆いかぶさって、二人を護ろうとしている職員の形相が明瞭に見える。
 アストラがフェベルを手放した。彼の温もりが離れた。
 丸腰の青年士官が、殺戮兵器と職員達の空隙に滑り込み、全力で防御魔法を構築する。歓楽街では何度も破られた防御魔法を、無駄だと分かっていても、最大出力で展開する。
 こんな筈じゃない。
 こんな筈じゃない。
 こんな筈じゃない。

「たすけて」

 誰でもいい。
 何でもいい。
 皆を助けて。
 アストラさんを──助けて!
 視界が閃光で溢れたのは、その瞬間だった。





 それは鋼の槍身であった。
 僅かな照明を鈍く反射する全長三メートルを超越する突撃槍。騎乗し、馬の速力とその超重量を最大限に発揮して目標を貫く金属の塊。
 それが、アストラ達を射撃しようとしたステイシスの胸部を貫通していた。無骨な機体が誤作動を起こすようにビクンと揺れ、銃口を内蔵した右腕が天井に向き、射撃。
 鉄筋やコンクリートや照明の残骸が濁流となって落下する中、槍身が動く。引き抜かれ、弧を描き、無差別射撃を繰り返すステイシスを上下二つに粉砕した。
 アストラは防御魔法を展開したまま、絶句する。窮地に一生を得た事を自覚しているのではない。

「──アンスウェラー?」

 見間違える筈が無い。
 槍身は彼だ。これまでずっと付き合ってくれた鋼の相棒だ。突撃槍型魔導端末アンスウェラーだ。見間違える道理が無い。勘違いする筈が無い。紛う事無く彼だった。
 破壊されたステイシスの機体が地面を打つ。粉塵と細かな破片が舞う。
 それが晴れた時、アストラは息を止めた。
 ホールに差し込んだ明朝の薄弱とした朝日が、不衛生な空気の中に、《彼》を浮き彫りにした。
 浅黒い褐色の肌。背中に達する草臥れた白髪。彫りの深い顔には、歳のほどを思わせる皺と傷がある。アストラとそう変わらない長身は逞しく、七十近い年齢を感じさせない。その体躯が纏っているのは、黒と赤の攻撃色の強い防護服。アストラが今展開している防護服《ベルセルクフォーム》と同じ構造だ。
 老人が身構える。僚機が破壊された事で警戒態勢に入っている戦闘機人に対して、突撃槍型魔導端末を振り抜き、その尖端を翳した。

「なんでだよ。なんだよ。なんなんだよ。どうしてだよ。訳分かんねぇよ」

 茫然自失に因って防御魔法が崩壊する中、アストラはうわ言のようにそう繰り返す。

「──爺さん──!」

 オペル・ガレリアン。十五年以上前に没したアストラ・ガレリアンの養父は、無言のまま、ステイシス達に突貫した。






 Continues.

 破終了。なのはシリーズって、良くも悪くも生きている人間に影響を与える故人が非常に多いので、半一次化しております本SSもその系譜を継ぎました。
 次回から急。急らしく、スピード上げていきます。










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