根性戦記ラジカルアストラButlerS

序:自由待機プレイ ♯.2







 ラナ・フォスターは、陸上警備隊第108部隊──長ったらしいので基本的には陸士108部隊で通っている──医療班所属医務官が諸事情から隊を離れる事になり、その代理として本局から短期出向して来た優秀な医療魔導師だ。一夜では語り尽くせない複雑怪奇な過去があった経験上、純粋な戦闘魔導師として任務に長期従事していた事もあり、登録魔導ランクは総合AAA。航空魔導師としてはAA+の実力の保有者でもある。
 出向した当日に怒涛の引継ぎ業務や実務に翻弄されて疲労困憊のところを、ひょんな事というか、二十歳を超えた良い大人が起こす諍いとは思えない低次元で、前線第一分隊分隊長アストラ・ガレリアンをひと悶着を起こして、それからどういう因果か、JS事件の首謀者と、JS事件の原型とも比喩されているデバイス暴走事件の首謀者を救出し、己が矜持を満たさんとするマッドサイエンティストの野望を強制的に打ち砕く羽目になった。
 何と言う悲劇のヒロイン。やはり自分は不幸の星の下に生まれたのだと思った。相棒のインテリジェントデバイス『スカイトラスト・エンブレイス』はかなり無茶な運用をさせてしまった影響で不調を来たし、遠い本局の技術局で修復調整中。何かとトラブルの多いこの陸士部隊の医療班は他所の隊よりも人材不足のレベルが酷く、火の車状態。もうぶっちゃけて相当厳しいし、しんどい。
 何故か懐かれてしまったデバイス少女こと、テンペストキャリバーは、デバイスとしての成長と成熟期間の真っ最中。ラナの補佐を勤めるにはあまりに幼すぎるし、彼女の子守が立派な任務の一つとして成立してしまっている。当初はこの過密忙殺状態の自分に、何故に余計な仕事を回すのかと、厳しさと優しさを持ち合わせていると定評のあるゲンヤ・ナカジマ部隊長に理不尽さを感じたりもしたが、テンペストの愛くるしい仕草や可憐な顔立ちが貴重な清涼剤として機能している。彼はこうなる事を見通していたのだろうか。
 デバイスとしての戦闘機能の大半をオミットにしているのは、事務関係デバイスに特化させる為の措置なのだろうと納得は出来るが。魔力供給さえ通常デバイスが行使する一般的な方法を使えず、完全に外部依存してしまっているのは何とかならなかったのか。テンペストは良く動き回る癖に燃費が劣悪なので、すぐにガス欠になるのだ。肩から提げているクマさんポシェットには予備用哺乳瓶型カートリッジを忍ばせており、非常時にはこれで賄っているようだが。足を広げてペタンと床に座り、うんしょうんしょと一生懸命哺乳瓶を咥えて中身の液状魔力──驚くべき事にオレンジジュース味で他にも色々あるらしい──を飲んでいるところなんて、古代遺失物クラスの破滅的な可愛さだ。
 まぁ。それはそれとしてだ。
 ラナに肉体的精神的苦痛を与えているそもそも原因は、あの二十一歳でカートゥーンアニメーション視聴にすべての情熱を捧げてビデオゲームに全精力を傾けている童貞変態准尉殿だ。

「字が汚い」
『ラナねーさま。ほんじつじゅっぱいめのコーヒーです』
「飲む?」
『にがいのでごえんりょしますです。のみすぎはよくないですよ?』

 今朝提出された複数の紙書類を読みながら、ブラックの珈琲を一口。頭上のデバイス少女はわきゃーと髪にしがみ付く。

「その内話の流れからレギュたんとか問答無用で出て来そうで、もー怖くて仕方ないけど」
『ほわ? レギュたんって、誰ですか』

 質問を無視したラナは、紙書類の閲覧を無事に済ませる。
 今朝になってようやく提出された、前線第一分隊所属局員達の定期健康診断に関するものだ。それ以外にも、その分隊の責任者の物も付属されている。
 紙書類には、閲覧の上での受諾を意味する分隊長の直筆サインが入っている。部下達の健康状態の把握は、分隊長の疎かに出来ない大切な仕事だ。
 分隊長アストラ・ガレリアンが逃亡と逃避を繰り返していた所為で遅延していた彼の健康診断書も、無事すべての検査が終わっている。受診書に記されている当人のサインは、とてつもない汚さだった。ただでさえ汚い筆跡が、ここだけ妙に顕著に乱れている。

「フェベルちゃんが頑張ったんだろうなぁ」

 その光景を刹那で思い描くと、苦笑が同情の憂いに変わる。アストラの副官の子の明日がとにもかくにも心配だ。
 あの馬鹿の副官なんて、生存率五十パーセント以下の戦場最前線が鼻先で冷笑出来てしまう過酷な現場であろう。前任者はギンガ・ナカジマ。ラナとはちょっとした縁もある高町なのは教導官が、先に解散した機動六課に出向していた際、愛弟子としたスバル・ナカジマの姉に当たる女性だ。この陸士108部隊では捜査官として活躍している眉目秀麗である。
 隊内でも関係者以外知らされていない事実だが、ナカジマ姉妹は普通の人間ではない。臨時医務官としての業務引継ぎに手間取ってしまったのは、そこに原因がある。マリエル技官と面識が無ければ、もっと混乱していただろう。
 ともあれ、だ。戦闘機人の彼女ですらその扱いに苦慮し、手を焼いて、胃まで痛めたというのがアストラ・ガレリアンなのだ。

「人工強化臓器に穴開けかけるって、普通の人間だったら胃潰瘍で即入院よ、ったく」

 何故ギンガを前線第一分隊隊長にしなかったのか。この謎多き人事について部隊長に説明を求めたが、曰く、ギンガはまだその域に達していないとの事だ。

『そーいうのを、どーていばかは『やまもとゆたかてきだな』っていってました』
「誰よ、その山本寛って」
『さぁ? あ。ちなみにこのさぁ? というのは、『ひらさらゆいてきだな』っていってました』
「……誰よ、その平沢唯って」
『えーとですね』

 とうっと、勇ましくラナの仕事机に着地したテンペストキャリバーは、顔をこちらに向けて腹這いに寝そべると、何ともダルそうな顔付きになって毛蟲みたいにゴロゴロ転がって足をバタつかせた。

『らなねーさまぁーあいすー』

 駄目だこいつ。早く何とかしないと。

「テンペちゃん。しばらく童貞馬鹿と遊ぶのやめない。しばらくどころか、今後絶対やめなさい」
『ほわ? なんでですか?』
「馬鹿が移るから」

 テンペストをAIの熟成の為にこの陸士108部隊へ放り込んだマリエル技官の判断は、もしかすれば間違っていたのかもしれない。関係者が多いのだから気心は知れているだろうが、ここには非常に性質の悪い黒光りする害悪が蔓延っている。
 自分はテンペストキャリバーの保護者でもなければ観察官でもないが、何故か管理を部隊長から任されてしまっているので、変な影響が出ては責任問題になる。しっかり釘を刺しておかなければ。

「あの童貞馬鹿は駄目人間代表よ。局員じゃなきゃ、今頃将来の夢も無い定職にも付かずにバイトもしない朝から晩までインターネットやってアニメ見てゲームやってるニートなの」
『オフシフトのときは、あさからばんまでずっとフェベルねーさまとゲームしてますですよー。モンスターハンターしてますー』

 テンペストの発言が、忠告を途絶させる。
 そこなのだ。疑問は、そこに尽きる。
 魔力依存をせずに並みの戦闘魔導師を超越する耐久性と柔軟性を発揮するのが、戦闘機人の身体だ。ラナも詳しい事は知らないが、最先端の生体技術を用いて造られた人工臓器や強化骨格は、強靭無比。それは、先のJS事件の実行犯である十二体の戦闘機人のデータを見れば一目瞭然。
 その身体であるギンガの胃を胃潰瘍にしかけたアストラ・ガレリアンと、苦も無く一緒にいられる少女フェベル・テーター。
 尽きない疑問だった。探究心と知的好奇心というべきだろうか。どう見ても十九歳とは思えないあの子の先行きがとてつも無く不安だ。

「あんな童貞馬鹿のどこがいいんだろ」
『どーていばかはとってもとってもたのしいかたです!』
「……あんたも変わった嗜好ね。どこがどう具体的に愉しいのよ、アレの」

 ラナにとっては愉しいの真逆の意味でのみ、アストラ・ガレリアンは存在が許可される。
 まずは発言と行動原理が意味不明。何でも根性と気合で打開出来ると本気で信じている辺りがどうなのか。二十歳も跨いでいるのだからもっと現実主義になった方が身の為今後の為である。
 寮の自室を埋め尽くしているオタクグッズはどうにかならないのか。別に他人様の趣味嗜好をとやかく言うつもりは無いが、ラナの生理的に許容範囲を全力全開でぶっちぎっている。
 事件による出動で大なり小なり傷を作ってしまうのは、荒事処理が本来の業務である武装隊なのだから無理も無い。職業柄の事だ。けれど、あの男は異常だ。その理由と、それが部隊に何を齎しているのかは、知っている。知っているが、喩えそれが自分の生き方を貫く為でも、本当に正真正銘の馬鹿だと嘲笑されても無理は無い。
 医務官として無駄に怪我を拵える局員は頭痛の種でしかないし、あの男は訓練でも平気で実戦以上の無茶をする。自力ディバインバスターだの、頭がイカれているとしか思えない。先の事件でも痛感したが、極限身体強化魔法は彼の寿命を削る荒業中の荒業。それをただの訓練で行使するなんて。
 その昔、まだ幼かった頃の高町なのは戦技教導官と互角に戦り合った経験もあるのだから、益々混乱する。休憩中にテンペストとスナック菓子を肴に、フェベルが保存していたその時の映像記録を見たのだが、常識を疑った。極々短時間だったし、その時の高町なのはは十二歳で未熟だったのかもしれないが、それでもAAA+の航空魔導師だった。そんな彼女を、体力技と初歩的且つ狡猾な戦術、さらに強運に助けられながら、圧倒する場面すらあった。

「本当に分からないわ。あいつの何が愉しいの?」

 ラナにとって、アストラ・ガレリアンは未知の生命体である。正体不明もいいところ。本当にアンノウンねと言ってやると、『俺は、ただの人間だ!』と力説されてしまったのは一週間ぐらい前である。もしかすれば、あいつも戦闘機人なのだろうか。それなら色々と説得力に富む説明と解説が出来る。
 テンペストは顎に指を添えて振子のように顔を左右に振りながら、えーとえーとと繰り返して。やがて笑顔でこう言った。

『ぜんぶです。たのしくておもしろいおはなしをたくさんしてくれます! マイマスターのひっさつわざも、どーていばかがなまえのアイディアをくれました!』
「……へぇ。どんなの?」
『ふたつあります! ひとつはですね、マイマスターのよじょーしゅつりょくと、サイクロンねーさまのしゅつりょくリミッターをかいじょして、さいこうしゅつりょくでのパフォーマンスをみじかいじかんですがはっきします。はいねつがおいつかないのではつどうちゅうはマイマスターもサイクロンねーさまもあかくはっこうするんです。どーていばかは、これをトランザムだ! ってだいこうふんしてました。だから、トランザムってなまえにしていただきました!』

 簡潔に纏めれば、要はノーヴェとサイクロンキャリバーの出力リミッターを解除して最大出力で稼動する事なのだろう。排熱や冷却、その他高出力化した濃密な魔力がそのまま残滓として大気中に気化してしまうので、総じて彼女達が赤く発光する。トランザムなんて言葉がどこから出て来るのかは、分からない。
 沈黙して舌っ足らずな説明を吟味するラナに、テンペストは二つ目を話す。

『もうひとつはですね、そのじょうたいでマイマスターがあかいウィングロードをけーせいして、ものすごくかそくしてもくひょーをけとばすクリムゾンブレイク!』

 えへんと自慢げに胸を張るデバイス少女。要はリミッター解除──トランザムとやら──の状態で半実体型仮想軌条ウィンクロードを形成構築。最大戦速まで加速して、それを衝撃力として敵目標を蹴り砕く技という事だろうか。

「……名前はどうしてそうなったの?」

 そう訊ねると、サイクロンはもったいぶった物腰で足を肩幅に広げて前傾姿勢を取って、右の太腿に右肘を乗せ、何やら表情を険しくする。普段は滅多に使わないデバイスとしての流暢な電子音声でこう告げた。

『EXCEED CHARGE!!!』

 高らかと跳躍。右足による鋭い跳び蹴りをラナの眉間に叩き込む。無論、身長三十センチの女の子に蹴飛ばされても痛くも痒くもない。というか、そもそも反応に困る。
 華麗な宙返りをしてクルクルと丸めた身体を回転させ、スタッと机上に着地したデバイス少女は、驚愕の眼差しでラナを見上げた。

『クリムゾンスマッシュが効かないオルフェノクです!』

 もう駄目だ。この幼き電子人工知能はあの馬鹿に身も心も毒されてしまったのだ。何て事だ。

「テンペちゃん。もう絶対にあの童貞馬鹿に会っちゃ駄目だから!」
『いやなのです! テンペはどーていばかがだいすきなのです!』
「ちょ! 何言ってんの!? 喩え世界からあいつ以外の男が消えても、そういうのは絶対嫌! いっそ人類なんて滅びてしまえ! それにね、私は八神二佐にぞっこんラブなの!」
『やがみにさはおんなのひとなのですよ?』
「科学に不可能は無い。iPS細胞を駆使すれば、八神二佐の子を授かるのは確定的に明らか。愛さえあれば気合で妊娠という名台詞を知らないの?」
『なんだかくちょうがとってもどーていばかです。それから、むずかしいはなしは分からないのです』

 不満そうに指を咥えて、テンペスト。
 デバイスなのにオツムが空っぽで不要な雑学を絶賛摂取中のデバイス少女の冷静な呟きに、ラナは理性の掌握に成功した。
 熱くなってはいけない。クールになれ、ラナ・フォスター。そうだ、クールになれ。

『てぃあなねーさまがうそだ!!! っていいそうなじこあんじなのです』

 嗚呼。スカイトラストの冷静沈着で無駄の無い無駄に洗練された無駄な突っ込みが恋しい。
 身も心もあの恥知らずな突撃槍使いに感化されてしまったデバイス少女の明日を憂いて、ラナは止まっていた業務の遂行に戻る。このままテンペストキャリバーと談話しているのはやぶさかではないが、好奇心の赴くままに自由を謳歌している彼女と違って、ラナは他所の部隊よりもこなすべき業務の多い陸士108部隊医療班所属の医務官で、絶対数が極々限られている医療魔導師。消化すべきデスクワークは山積していて、局員達のカウンセリングやヒアリング等の彼女にしか出来ないデリケートな仕事もある。
 一度眼を通していた前線第一分隊の健康診断書類に、再び視線を走らせる。あの突撃馬鹿が隊長を務めている所為か、訓練時の負傷が多過ぎる。ヴィータ戦技教導官が定期的に教導に訪れているのだから、この記録は実に不可解だ。あの赤毛の勝気な少女とは面識もあまり無い──いや。あるには、ある。嘱託魔導師時代、更新試験の時にちょっとしたトラブルが起こって、試験官代行として現れた件の金槌娘に撲殺されかけた最悪で苦い初体面だ。
 あれから十年余りが経過して。守護騎士プログラムである都合、外見上の成長は皆無である。しかし、精神的には顕著な伸び方をしているようだ。教官資格を保有しつつ、JS事件後は高町なのはに誘われて教導隊入り。何だか彼女達とは細いものの不思議な縁があるのかもしれない。
 ヴィータが教導に手を抜くとは思えない。彼らの無謀な行動を矯正するのは簡単ではないのか。
 それでも──アストラ・ガレリアンの項目は、嘆息で終えてはいけない気がする。

「アクセラレータ、ねぇ」

 彼の魔導師ランクを、ただのAに留めていない一種の特殊技能。身体強化を行う増幅・増強魔法が極端なレベルとなって極められてしまった極限身体強化魔法。
 医療魔導師の観点から言わずとも、この魔法は欠陥品だ。そもそも増幅魔法の過度な使用は肉体を損傷させる。基礎魔力を体内に循環させて一時的に運動機能を向上させる場合とは、訳が違う。増幅魔法は肉体を欺瞞する。身体が本来持っているスペック以上の力を発揮させる。全力疾走でフルマラソンに挑めるはずがないのだ。
 その増幅魔法の中でも、アクセラレータは最悪の部類。アストラがこの魔法を知った経緯についてもフェベルから聞いているが、ヴィータも無茶をしてくれたものだ。
 三枚ある彼の健康診断書をめくる。血液検査に戦慄する二十代男性を捕縛するのは骨だった。まさかバインドまで使う羽目になろうとは。
 それでも、やっておいて良かった。無理矢理にでも受けさせたのは、本局の福祉業務局からの催促というのもあるが、ラナ自身一度徹底的にあの馬鹿の身体を検査しておきたかったからだ。

「……高町一尉が訓練でブラスターモード使ってるようなもんなのよ」

 それが一体何を意味するのか。どれだけ説明したところで、アストラは理解出来ない──いや、しようとしないだろう。
 高町なのはとアストラ・ガレリアンは、どこか似ているな。とても漠然とした感慨ではあるが。
 それにしても面倒な仕事ばかり増やしてくれる。軽い頭痛に不愉快さを覚えながら、ラナは頭によじ登って来るテンペストを邪魔だとばかりに指で弾いた。小さなデバイス少女はうきゃーと悲鳴を上げて床に落下していった。



 ☆



「アストラさーん」

 相変わらず返事は無い。期待もしていないので構わない。年中鍵が開けっ放しの扉を開けると、先日フェベルが持ち込んだ自前の小型ソファに我が物で座しているアストラがいた。強奪されてしまった形だが、中のクッション材が摩耗して外見もなかなかに草臥れていたので問題無かった。
 不遜な態度の青年士官が握っているのは携帯ゲーム機でなく、捨て置き機の黒塗りのワイアレス・コントローラー。優雅な自由待機タイムを満喫している様子だった。掌サイズの携帯ゲーム機では味わえない臨場感溢れるサウンドが、高価な超高音質アンプを震わせている。
 アストラは、訪ねて来たフェベルに見向きもせず。おー、と適当な声だけを投げて寄越した。

「何してるんですか?」
「ギャルゲー」

 四十二型超ワイド超高画質テレビモニターを覗き込むと、可愛らしい美少女が頬を赤めて上目遣いに何やら話している。会話ウィンドゥが表示され、美少女の台詞を文字で追っていた。
 ゲームや漫画は好きだが、世間一般で言うところのオタクではないつもりのフェベルでも、これが恋愛シミュレーションゲームと呼ばれる類の映像作品なのは分かった。
 アストラは固唾を呑んで画面に意識も視線も釘付けだ。彼が背を預けているベッドに腰掛けたフェベルに気付かない。
 いつもの事だ。気を使って来るアストラの方が、何だか気持ち悪い。
 ただ──何だかとても面白くない。
 仕事上がりに疲れた身体を引き摺ってやって来たのを無視して、眼前の平坦な画面の中の美少女に夢中になられるのは、きっと誰であろうと不愉快になるはずだ。
 別に彼の部屋を訪ねるのが取り交わされた約束ではない。フェベルも、本当に疲れている時はメールで今日は行きませんと伝えてゆっくりと休む。
 言わば、これは押しかけである。無論、アストラの健康状態だって副官なのだから把握も管理もしているので、調子が悪そうなら、そこは気遣って部屋に行く事はない。
 アストラが自室で何をしていようと、確かに彼の勝手だ。一人用のシミュレーションゲームに興じていても、無論ご自由にである。
 でも。気に喰わないのだから、気に喰わない。

「アストラさん」
「ん〜」
「何てゲームですか、それ」

 意識して口調を刺々しくしてやる。このままゲームの世界に埋没出来ないようにしてやる。
 今日はいつにも増して究極的に使えない分隊長の尻拭いに奔走して、疲労度はなかなかに酷い。険だって、勝手に宿ってしまう。

「凡人代表とグランセニックの兄貴が夫婦になるゲーム」

 まるで意図が掴めない。仕方なく画面を傍観してゲーム音声を清聴していると、アストラが何を言いたいのか悟る。

「……まぁ。確かにお二人に声がとても似てますけど。あ、そうでした。ティアナさんからアストラさん宛にクレーム来てましたよ」
「あぁ? 何だよ、小生意気な」
「ヴァイス陸曹に変な事を吹き込まないで下さいって。何言ったんですか? というか、ヴァイス陸曹とお友達だったんですか?」
「まぁな。部隊長のとこでオペ子してたお前は知らなくても仕方ねぇか。六課が出来る前からちょくちょく世話になったなんだよ、空輸とかで。まぁ普通の飲み友達だな」
「の、飲むって、アストラさんお酒飲むんですか!?」
「飲むわ、酒くらい。で、その時にまぁ色々とお願いした訳よ、兄貴に」
「……どんな?」
「敢えて言わせてもらおう、ヴァイス・グランセニックであると! とか。不思議そうな顔されたから00のDVD渡しておいた」
「………」
「後は、シグナムか凡人代表と、そろそろ決めないとスクールデイズになるかもしれないんで、お早めにって忠告もしたな」

 絶対にそれだ。またそんな訳の分からない発言で普通の人間を惑わして。ただ、それで副官を通して苦情を送って来てもらっても対処に困る。そういうのはプライベートな事柄なのだから、当人同士でやってもらわないと。公私混同はいけない。

「それで、お二人と声が似てるから、このゲームしてるんですか?」
「いや、違う。俺は声優ネタじゃ動かん人間でな。アニメの最終回辺りが原作やってないとサッパリだったんだ。気になって、その原作を買って来た訳だ」

 ほれ、と。ゲームの取扱説明書を渡される。基本的な操作方法と登場するキャラクターの説明が記載されていた。
 ページをめくる指先が何故か慎重さを帯びた。理由は定かではない。ページ項目が所謂攻略対象の登場キャラクターに移ると、今度は高性能爆弾を解体するような躊躇さすら宿してしまった。
 アストラの横顔を、盗み見る。真剣な眼差しは、生傷の絶えない訓練中でも容易には見せないもの。
 画面の中の女の子に夢中なのは、別に構わない。この人は、そういう人だ。

「面白いですか?」
「まだその判断が下せる場所まで行ってねぇから分からん」

 恋愛シミュレーションゲームは、基本的には表示されるテキストを読み進めるゲームだ。キャラクターには音声が付いているが、小説と良く似ている。面白くなるまでには時間が必要なのだ。二人で良くプレイしている単純なアクションゲームとは訳が違う。
 一緒にいつものゲームをやろうとは、なかなか言い出せなかった。これだけ神経を研ぎ澄ませて瞬きも忘れて一つの事柄にのめり込んでいるアストラは珍しい。それだけ愉しんでいるのだから、別のゲームをしようとは簡単に提案出来なかった。
 この横顔は、嫌いじゃない。それどころか、きっと好きに分類される。まだ歳が一桁の頃、彼のこんな横顔が見たくて、その後ろを親犬に付き纏う仔犬のようについて行った。
 ベッドに腰掛けて足をぷらぷらされてみる。説明書を宛も無くペラペラペラ。
 このままここにいても時間の無駄だ。フェベルの存在を気にも留めず、アストラが恋愛シミュレーションゲームを体力が続く限りプレイをするのは明白である。自室に帰って次の勤務まで自由待機を有意義に消化する必要がある。
 それなのに、身体が動かない。アストラと遊べない以上に、何かが癪に障る。何かが不愉快だ。それは感情が沸騰するような唐突なものではなくて、緩慢な足取りで心の腑の底辺から静かに歩み寄って来る。
 この情緒の急流の正体は、分かっている。この人と出会ってからずっと今まで暖めて来ている感情なのだから。
 視線は自然と手の内の取扱説明書へ移る。

「別に妬いてる訳じゃありません」
「何か言ったか?」
「何でもありませーん」

 そう。決して嫉妬心に火を灯している訳ではない。
 ベッドから床に移動する。いつもの指定地──アストラと袖と袖が触れ合うくらいの距離に腰を落ち着ける。説明書は、手放さない。

「アストラさんは、どなたがお好みなんですか? やっぱり小さな子ですか?」
「お前もあのヤブ医者みたいに俺をロリコン扱いするか!?」

 ちなみにヤブ医者というのはラナ・フォスター医務官の事である。
 青年士官は女児がお好み。これは陸士108部隊に実しやかに囁かれる噂の一つである。これをたより信憑性の現実的話題に切り替えさせた立役者は、アストラ曰くヤブ医者のラナ・フォスター医務官。
 下手をすれば一般校中等部な相貌なフェベル・テーター。『永遠の幼女』という二つ名の根絶に武力介入も辞さないヴィータ教導官。中身はもっと幼いテンペストキャリバー。以上三名から好意的な感情を擁かれている男。
 なるほど。確かに幼女愛好家と後ろ指を指されても無理からぬ現場証拠が綺麗に雁首を揃えている訳だ。

「俺はロリコンじゃねぇ。ちっこいのはまぁ、嫌いじゃねぇけど」

 否定した次の瞬間にむっつり顔で肯定する破滅的青年士官。

「ほらやっぱりロリコンじゃないですか!」
「好きとは言ってねぇだろ嫌いじゃねぇって言っただけだアホが! つーかお前は俺に喧嘩売りに来たのか嗚呼!?」
「売ってません! むしろお仕事関係で売られてる方です、私が!」
「ああ言えばこう言う! 現代人の恐ろしいところザマス!」

 やっぱり鏡が欲しいと思った。それは一体誰だ。こっちの台詞だ。
 しかし、アストラは鏡を前にすると物凄い引き締まった表情になり、待機形態のアンスウェラーをおもむろに鏡へ向けて翳して『変身!』と大真面目に叫ぶような可哀想な青年士官なので、あっても役に立たない。

「で。好みの子は誰なんですか?」
「さぁね」

 不貞腐れたように唇を尖らせるアストラ。小さい子が好みという危険嗜好は、もしかすればこのお子様過ぎるオツムの所為なのか。

「この子とかどうですか、風子ちゃんって子」
「嫌いじゃない! しかしグランセニックの兄貴風に言うなら、断固辞退させて頂く!」
「じゃ誰がいいんですか?」
「藤林椋! きた! オドデレきた! ついにきたのか! これで勝つる!」
「オドデレ? 語呂悪いです」
「普段はオドオドしてるが好きな異性の前ではデレデレしちゃう属性の事そんな事も分からんのか貴様ぁー!」
「……ち、ちなみに私は何デレですか?」

 アストラ・ガレリアンは何も言わずにフェベルに突きつけていた顔を画面の方へ向けて、口を横一文字に閉鎖。
 待つ事一分。その口が再び開けられる兆しは皆無。

「アストラさーん」
「そもそもお前はデレるのか!?」

 言われて日頃の自身を反芻する。そもそもその何とかデレだとかの意味が分からない。随分と昔に八神はやて二等陸佐からツンデレ属性だと断定されたけれども。

「十年ちょっと前に、はやてさんからちょっと捻くれたツンデレって言われました」
「八神が? お前をツンデレ? 捻くれた?」
「はい」

 真顔で首肯してやる。アストラが再び視線をフェベルに移して、眼を眇めた。お世辞にも良いとは言えない人相が極めて狂気的な翳を宿す。子供が一瞥でもされれば失禁ものの瞳の鋭さと鋭利な眼光。テンペストキャリバーだったら間違い無く液状魔力が駄々漏れだ。
 あまりに不躾な眼差しだが、不愉快に思えないのは不思議だった。付き合いが長い上に日頃の虐待一歩手前の手荒な扱いで神経が麻痺してしまったのか。
 アストラは沈黙を決め込むつもりのようだった。無言のままゲームのプレイに戻る。鼻を鳴らしている辺りは納得出来なかった意思表現。その表情は何となく不機嫌そうである。
 悪ふざけが過ぎただろうか。でも、フェベルはかつて友人──出世街道爆走中で英雄扱いもされている八神二佐や高町一尉と友達なのは、最近とんでもない事だと身震いするようになった──に言われた言葉をそのまま口にしただけなのだけれど。
 これ以上アストラの機嫌を損ねるのは、あまり得策ではない。身長が十三歳の頃から伸びていない原因の最有力候補たる頭頂部に拳骨が来るかもしれない。
 痛いのは嫌なので、不承不承、アストラの隣で彼のプレイを傍観する事にする。

「このまま見ててもいいですか?」
「好きにしてろ」
「なら、好きにします」

 抱えた膝に顔を埋めて。フェベルは好意を寄せている異性が恋愛シミュレーションゲームの世界に入り浸る様を見守った。



 ☆



 コントローラーを握りっぱなしで痺れてしまった指を酷使して、張ってしまった肩を解してやる。
 時間の感覚が乏しい。隊の技術部にアンスウェラーのメンテナンスを頼んでしまったので、いつもの口煩い忠告が飛んで来なかったのが原因だろう。
 一日でクリアしてしまおうとは思っていない。区切りの良いところがなかなか見えなかったので、つい続けてしまった。
 静かな時間。音はアンプが発するゲームの音声のみ。
 いや、他にもあった。それは健やかな寝息。
 フェベルが胡坐を掻いているアストラの膝を頭で不法占拠して、気持ち良さそうに眠っている。

「野郎の膝枕なんていいか、お前」

 ベッドからいつも使っているタオルケットを引っ張り出して、腹にかけてやる。
 子供の頃のままの悪戯心が、ここで思い切り膝を退けたらどんなリアクションが返って来るかを思案させる。なかなか面白そうだったが、フェベルの熟睡っぷりを見ていると瞬く間に毒気が抜かされた。
 寝間着も兼ねているホットパンツから伸びるほっそりとした足。薄手のTシャツに包まれている起伏の乏しい身体。サイズが一回り大きい所為か、首から胸元までが簡単に覗けてしまう。容姿に似合った可愛らしい白の下着だった。汚れの無いうなじが室内照明を浴びて白く輝く。

「……クソガキが」

 アストラは嘆息をつきながら顔を隠す。しかしながら、そこは健康的な二十歳を跨いだばかりの青年である。指の隙間から無防備過ぎるフェベルの肢体を覗き見しながら、タオルケットで彼女の身体を覆ってやった。
 罪悪感に似た羞恥心が胸を圧迫する。顔の表面が熱いのは、照れているのだろう。自分でも乏しいと自覚のある自制心を総動員して意識をゲームへ戻すが、狙っていたかのようにフェベルが動くのだ。
 百五十センチ以下の小さな身体を、仔犬の鳴き声のような呻き声を洩らしながらぎゅっと丸める。枕にしているアストラの膝が逃げないように両手で掴んだ。
 何とも言えないこそばゆさが下半身を這う。脊髄反射で跳ねそうになる足を何とか抑え付ける。

「メンテに出してて良かったぜ」

 無論、アンスウェラーの事だ。こんな失態を、あのマスターを慕わない事で定評のある突撃槍型インテリジェントデバイスに目撃されては洒落にならない。
 もぞりとフェベルが動いた。何やら寝言を呟いている。いい気なものだ。部屋まで抱えて連れていくべきだろうか。これ以上の刺激に晒されては太腿も保ない。

「あしゅとりゃしゃん」
「そいつはオンドゥル語か? 寝言か?」

 もうゲームは頭の中に入って来ない。

「りょりきょんは……はんさいへふひょ」
「勝手に人を犯罪者にするな」

 伸ばした手の行き先は、彼女の黒髪。
 自分のそれも同じ色合いなのに手触りはまるで違う。指先で軽く梳いてやると、甘く気持ちの良い香りが鼻腔を突いて来る。
 フェベルにこうしてやるのはもう何度目か。時々あるのだ。大人しく休めばいいのに、疲れた身体のまま遊びに来て眠ってしまって、アストラの身体を寝床にしてしまう事が。
 そうした時は決まって呂律の回らなくなった酔っ払いのような寝言を呟く。それはいつも同じような内容だ。

「わたひでまんじょくひてくらはひ」
「アホ」
「あしゅとりゃしゃん」
「んだよ」
「らいひゅきれふ」

 柔らかな頬に滑らせていた指が停止する。
 見下ろしたフェベルの寝顔は、とても幸せそうだった。

「何がツンデレだ。あの白タイツ狸め」

 ここに来て疲労感に耐え切れずに居眠りをして、その度に寝言で想いを告げて来る少女。これのどこがツンデレなのか。八神二佐とは小一時間ほどツンデレについて議論を重ねる必要がありそうだ。
 ツンデレに分類されるのは、きっと自分だ。

「俺も好きだよ。ったく」

 そんなぶっきらぼうな声が眠っているフェベルに届く事があろうはずもない。
 二人の静かな自由待機時間は、ゆっくりと過ぎてゆく。





 





inserted by FC2 system