根性戦記ラジカルアストラButlerS

序:自由待機プレイ ♯.3







 その日。アストラは極めて真面目に分隊長としての業務を遂行していた。
 分隊内の誰よりも早く出勤。前線第二分隊から業務を引き継ぎ、ぞろぞろとやって来た部下達に適切に振り分ける。アストラは廃棄都市部に出現したガジェットの残党処理に関して現場検証に出張った。
 JS事件末期に大量投入されたガジェットで破壊や回収を免れた機体が首都の随所に潜伏。杜撰な人工知能は恣意的な破壊活動を行い、深刻な治安問題となって地上本部の頭痛の種になっている。火力に乏しいT型ならまだしも、稀に大型高出力のV型が戦術通りパーティを組んで破壊活動を起こす場合もあり、熟練した陸戦魔導師であっても対応には苦慮せざるを得ない。一般市民からも定評を受けている陸士部隊内での縄張り意識の強さも、今は形を潜めて地上本部そのものがガジェットの残党部隊掃討に従事している。
 陸士108部隊は機動六課と捜査協力にあった都合、対AMF訓練も他の部隊より積極的に行われていたので、こうした残党部隊掃討任務は最優先で回されている。良く言えば頼りになる専門家。悪く言えば使い勝手の良い便利屋だ。
 副官のフェベルと他二名の隊員を引き連れて昼前には現場に到着。初動対応した近隣の陸士部隊と協力して回収可能な残骸を処理。山狩りの要領で一度この廃棄都市全域に大規模な掃討作戦を行うべきだろうという意見が合致。
 アストラはその場で直接の上司であるナカジマ二佐に連絡。フェベルに回収した残骸とそのデータを本局の技術局に移送するよう指示。他二名もそれに同行。理由は入隊して日の浅い新人だったので一度本局の雰囲気に触れた方がいいだろうという判断。
 隊舎に戻り次第、真っ先に報告書を作成する。現場まで乗車した四輪駆動車に給油したのでその領収書の精算もその場で終わらせる。ついでなので貯蓄の進んでいたその他の領収書も一括処理。
 データを送信してほどなく経理課から苦情が来た。『DXディケイドライバー』と『DXケータッチ』と『ロボット魂ダブルオーライザーverトランザム』は明らかに個人的出費なので経理で落ちないと電子端末越しに怒鳴り散らされた。
 クロノ・ハラオウン提督と面識のある盲目の少女事務官の鬼の形相を平謝りで回避して、遅めの昼食を摂る。眼を通しておきたい書類が幾つかあったので、携帯端末を片手に三人前の明太子パスタで空腹を満たした。
 そろそろ隊長室に戻るかと席を立とうとした時、ラナがテンペストを頭に乗せて現れたので、低次元な口論勃発。

「何か悪い物でも食べた? 童貞准尉殿が真面目に働いてるところは違和感だらけなんですけど?」
「俺の事務仕事処理力は五十三万。一万程度のヤブ医者なんぞ話にならん!」
『わたしはあとさんかいへんしんをのこしているのですよ?』

 熱を帯びた口論は瞬く間に暴力になった。フォークとフォークの剣戟音が響き、幼いデバイス少女はきゃっきゃっと破顔一笑で観戦者を決め込む。
 食べた側から胃の中の炭水化物を消化してしまったものの、副交感神経を満足させたアストラは隊長室に戻って部下達が上げて来た報告書や備品関連の仕様書、訓練中に破損した設備の請求書、分隊の要望書等を次元航行部隊名産のマックスグリーンティー片手に処理。この壊滅的な甘さが癖になる。
 業務らしい業務を終えた頃にフェベル達が戻って来た。簡単な口頭報告を聞いた後、休憩を挟むよう指示。

「ここでお休みしてもいいですか?」

 どこかそわそわとした雰囲気で申請して来る副官を二つ返事で許可。童顔に似合った大きな瞳を嬉しそうに細めたフェベル・テーターは、食堂にある自動販売機でカップラーメンを二つ購入。夜食として差し入れてくれた。野良ガジェットの対策案を思慮する片手間でサラダ油で揚げられたスナック麺をずるずる啜る。

「いつもそれぐらい真面目にお仕事してくれればいいのに」
「たまにやるからいいんだろう。好物も毎日喰えば飽きるのと同じだ」
「理屈として通ってるんだか通ってないんだか」

 肩を竦めたフェベルは身体に有害そうなスープを飲み干し、続ける。

「あの。明日のお休み、どうしましょうか」

 今の二十四時間勤務体制が解除された後は休日だ。休息のようで待機体制である自由待機とは違う。本格的な正真正銘の休日。
 アストラは空になった容器の底にプラスチックのフォークを突き刺して。それをフェベルに投げ渡す。

「わり。ちょっと用事ある」
「……用事、ですか?」
「そ。用事」

 フェベルが不思議そうに眼を瞬かせる。
 明日に控えている用事は年に一度の大切なものだ。前日の仕事をいつものようにのらりくらりとこなしてしまって失敗し、休日出勤という最悪の結末になっては色々と困るのだ。
 電子端末が鳴る。一連の報告書や始末書や野良ガジェット諸々についてナカジマ二佐からの連絡だ。報告書は問題無く受理されて、始末書は幾つかの小言を頂戴し、制御不能となっているガジェットは各陸士部隊での連携強化で話は終了した。
 本腰を入れて一日仕事をすると肩がこる。疲労を溜息にして吐き出しつつ、時刻を確認。日付が変わるにはまだ少しある。野良ガジェット対策でもやるとしよう。

「ちょっと休憩入れたらどうですか?」
「また集中力出さなきゃいけないと思うと今の五倍はしんどそうだから頑張る」
「でもとっても眠そうです」
「眠そうなんじゃない。眠いんだ。お前が夜食喰わせるからだぞ」
「あー。人の親切無碍にしますか。お金返して下さい」
「親切の押し売りって言うんだぜ、そういうの。フェベル、肩揉み」
「パワハラな上にセクハラする救いようのない上司です」

 フェベルが肩を竦めて嘆息を一つ。呟く不平不満とは裏腹ににっこりと微笑んでアストラの背中に回って、彼の広い肩に手を添える。
 小柄な体躯故の、小さな掌。鍛えられた分厚い筋肉で覆われたアストラの肩を解すには些か力不足が否めない。なので、フェベルは肘も使った小慣れた仕草で本格的な療法を始める。

「気持ちいいですか?」
「もちっと力入れるとまだマシになる」

 すぐそこまで迫っていた眠気が首筋を撫でてゆく。瞼を閉じれば意識は埋没する気持ち良さ。言葉には、億尾にも出さない。

「偉そうに文句言わないで下さい。何か凄く硬いですよ、今日。どうしたんですか?」
「卑猥なイメージが浮かぶから表現を変えてくれ」
「ど、どこが卑猥なんですか!」

 フェベルの甲高い抗議が聴覚を滅多刺しにする。

「それは俺の口からはとても言えん。お前が声高に叫ぶセクハラになる」
「その時点でセクハラです! もう! そういうの言うのは私ぐらいにしないと駄目ですよ! ラナさんや他の子に言うととんでもない目にあいます! 部隊の風紀が乱れるので本当に自重して下さい!」
「安心しろよ。お前にしか言わねぇよ、こんな事」

 いつもの軽口のつもりで言ってみた。そう、つもりだ。冗談っぽい軽妙な口調で本音は隠してみたけれど。
 反応は無かった。鼓膜を引っ掻く批難の声も、首の付け根辺りをこりこりさせていた細い肘が抗議の暴力になる事も、何も無い。
 肩越しにフェベルの方に振り返る。
 熟れたトマトみたいな顔が見えた。
 うつむいて顔を隠しているつもりなのだろうが、黒髪の隙間からは美味そうなトマトがチラチラと見えてしまう。アストラの珍しいモノを見るような不躾な視線から逃れるように細い腕で小柄な身体を抱き締めて、もじもじと身じろぎ。揺れる髪からひょこりと顔を出した可愛らしい耳はその先まで見事な朱色。
 そんな仕草がこそばゆい。緩まってしまう頬を締められない。
 誰も何も発せず。視線と視線が直線では交差しない。眼線の端々が触れ合って、けれどすぐに両方が逃げてしまう。互いの腹の探り合うような気配。

「な……なんですか……?」

 先に口を割ったのは、フェベル。空いた手はアストラの制服の肩辺りとぎゅっと摘んでいる。解ける気配は皆無の見慣れた手を、アストラは握ってみたい衝動に駆られる。
 素直に戸惑って。納得をする。すぐそこで身の置き場に苦慮している様子の手は、好意を抱いている彼女のもの。触れ合いたいと思うのは当然。今まで何度もそうだった。手だけではない。柔らかくて暖かい頬や、白いうなじや、驚くほど綺麗な鎖骨や、平坦で膨らみに乏しい胸元や──言わば発展乏しいその全身に幾度もこの未知の情動を感じて来たものだ。

「な……なんでもねぇよ」

 嫌な後ろめたさが背を這いずる。唇を尖らせて小さな舌打ちをした時、アストラは違和感に気付いた。

「何で今日は黒タイツ履いてんだ、お前」

 今日のフェベルは、珍しく黒タイツを着けていた。照明を弾く闇色は艶やかな色彩。制服のミニスカートから伸びているフェベルの足に色気を感じた事は一度も無かったが、それが瓦解した瞬間だった。
 歳の割に百五十にも満たない身長のフェベルだが、決して短足な訳ではない。起伏が緩いだけで女性らしい所は女性らしいのだ。黒のタイツは彼女には決定的に不足している大人を嫌味無く演出している。
 ぴくんとフェベルの肩が揺れる。腹の探り合いの気配が上目遣いの機嫌を窺うような仕草で以って変わった。
 密やかな声。リップクリームで濡れた薄紅色の唇が微かに開いて。まともな発声をしたとは思えない小さな口形を作って閉じる。

「……からです」

 語尾だけが届く。確言されない発言。

「聞こえてねぇ」
「だ……だから」
「だから。何だよ?」
「あすとらさんが……すきだって……らなさんが、いってたんです」

 ちなみにラナに自分の趣味嗜好を語って聞かせた経験は、無いと言えば嘘だ。口喧嘩の中で彼女の黒タイツについて独自の理論を三十分ほど講義した事がある。その時のラナの視線は汚物を見るよりも遥かに冷たい絶対零度。無関心に眺められた方がまだマシなほどだった。
 別にあのヤブ医者に何と思われようと構わない。しかし腹は立つので今度また訓練場に誘き寄せてズバッとぶっ飛ばしてくれる。理由は八神二佐から大切な話があるからで決まりだ。

「……きょうみ、なかったですか?」

 縋るような細い声を、フェベルが絞り出す。悪巧みが言われなくてもスタコラサッサだぜと駆け足で消えた。
 自信の無い瞳に浮かぶ感情は、淡い期待と仄かな不安だ。その眼を認めずにアストラは悟る。
 心臓が軽妙に快活に跳ね回る。フェベルは固唾を呑む風情で反応を待っている。上気した頬が。瞳の潤いが。いつも戯れている時の何倍も見慣れた彼女を大人に魅せる。

「無い訳じゃ、無い」
「……うれしい、ですか?」
「まぁ。ぶっちゃけ」
「へんたいさんですね」

 そう言って。フェベルは幸せそうに頬を緩めた。甘い菓子を頬張る子供のような無邪気さと、男を誘う淫蕩さが共存している不思議な微笑み。
 口の中の水分が丸ごと強奪された。何かと一緒に。蔑まれたというのに文句の一つも頭には浮かばない。

「そんな変態さんの為に明日からずっと履いてますね?」
「す、好きにしてろ、馬鹿」
「はい。馬鹿ですから、好きにしてます」

 卑下も満面の笑みで口にするフェベル。しかし、彼女が馬鹿ならアストラは微生物相当の知性しか備えていない判定になる。
 情報処理に関しては優秀に出来ているフェベルが、馬鹿であろうはずがない。自分で口にしたお決まりの悪態について思慮してしまう。

「だから、ご褒美下さい。アストラさん」
「……そのだからって接続詞的なモンはおかしくねぇか」
「変態なアストラさんの為に黒タイツを毎日履く訳ですから、何か見返りはあってもいいじゃないですか」
「てめぇが勝手にやり始めたんだが? お前それでいい訳?」
「いいですよ。……アストラさんが、よろこんで……くれるなら」

 何だか話として筋が全く通っていない。それなのに満足な反論が出来ない。傍若無人な思考回路に不可思議で理不尽な力が働いている。
 その力の正体はすぐに判明する。改めて思慮する必要なんて、無いのだから。
 アストラは観念したように項垂れて。苦虫を百匹咀嚼した顔で好きな異性を見上げた。

「で。何だ?」
「肩揉みして下さい」
「……やり返せってか?」
「私はアストラさんの三倍くらい事務仕事してますから。それだけやって文句らしい文句言わないんですから、もっと大切にしてくれたってバチは当たらないはずですよ?」

 思い切り図星なので口を横一文字に。副官がギンガの時は毎日小言が飛んで来たが、フェベルが引き継いでから急かされる事は無くなった。思う存分サボれると心も晴れやかになったのは束の間の事。フェベルが巧妙で狡猾だっただけだ。
 アストラの電子端末からネットワーク機能がまるまる削除されて、保存されていたすべての画像と動画ファイルも綺麗サッパリ消された。無論ゲームの類もアンインストール済み。隊長室の電子端末は本来の姿を取り戻した訳だ。
 力で駄目なら知恵を使って。この知将との戦いはやる前から勝敗が決している。
 ──惚れた弱みも、ある気はする。最近は特に酷い。
 部屋の中央に陣取っている応接セットのソファにちょこんと腰掛けたフェベルが、玩具を持った飼い主に尻尾を振る仔犬のような眼差しを向けて来る。
 拒否しても良かった。無視して軽く仮眠を取る選択肢もあった。
 それをどれも選ばずに不機嫌な面持ちを意識してフェベルの横に座る。はいどうぞと背を向けて、制服の上着を脱ぎ、黒髪を掻き上げて首元をアストラへ晒す。
 どれもが今まで見た事の無い女性らしい仕草で行われた。下げられた襟から覗くうなじが、鋭利な刃物のように思えた。

「お前は確信犯か、畜生」
「なんですか?」
「何でもねぇ。肩揉みなんぞやった事ねぇから苦情は聞かんぞ」
「私だってはじめてなんですから。……優しく、して下さい。痛いのはやです」

 こいつは確信犯だ。そう思った瞬間、脂汗が頬を伝ってゆく。
 肩を掴む。繊細に。フェベルが寝入ってしまった時に触れるような優しさを込めて。掌の下でぴくんと動く華奢な肩に危うさを覚えながら、軽く力を入れる。

「ん」

 耐えるような呻き。様子を窺いながら位置を変えて力を調整。何分はじめてなのでこりなんて物が分からない。硬いように思えたところも、自分のそれに比べれば豆腐である。

「こんなもんか?」
「もう、ちょっと……つよくても……だい、じょうぶです」

 呻きは妖艶な響きを含んで吐息に姿を返る。
 繰り返す呼吸が少しずつ荒くなる。甘さと熱さを孕んで、フェベルは身体を震わせる。
 アストラはとんでもなく如何わしい行為に耽っている錯覚に囚われながら、やめるにやめられず、指を動かす。

「あ──ぁふぅ──にぁ──ん──!」

 横髪の隙間から伸びている耳は、ずっと赤いまま。それがアストラの顔にも伝播してしまう。無残なほどに赤面してしまっているのが熱さを伴って分かる。
 不意に太腿にこそばゆさが走る。蟲が蠢くような不快さとは対極的な心地良い感触。眇めた視線を下に移すと、膝上辺りにフェベルの手が鎮座していた。五本のしなやかな指が慎重な仕草で指を少しずつ這わせる。猫が水溜りの上を歩くような、そんな風景を連想させる動き。

「な、何やってんだ」
「きもちいいかなって」
「くすぐってぇよ」

 こそばゆさが足から腰に伝播する。それは背中に移ったところで仄かな暖かみに姿を変えて、脊髄に侵食し、脳味噌に到達した。
 フェベルの頭が慌しく動いている。綺麗に揃っている前髪の隙間から、その奥にあるクリクリの黒眼がアストラを盗み見る。その眼に映るのは悪戯な色彩と、さっきから変わらない期待。何を求められているのかは、看破している。膝枕を強要させられて寝言で想いを告げられたのは、一度や二度ではないのだから。それこそ馬鹿でもきっと理解を示せるはずだ。
 それに応えるかどうかは、また別の問題になって来るところだろう。
 生憎と、アストラを構成しているすべての細胞に素直という二文字は無いのだ。

「やーめた」

 部屋中に響き渡るような大きな声で一方的に宣言し。フェベルの肩を手放す。身体も距離を空ける。膝の上に乗っていた彼女の手がソファに落ちた。
 予期していなかっただろうフェベルは、狼狽しながら左右を見渡して最後に背後でソファに背中を預けてしまっているアストラに詰め寄った。眉尻を下げた深刻極まりない表情が、鼻先が触れ合うか否かというところにまで接近を果たす。早鐘を打つ心臓には、知らぬ存ぜぬを通す事にしよう。

「な、なんでやめちゃうんですか」
「疲れた」

 脅る気配すら漂わせるフェベル。アストラは不機嫌を演出して疲労知らずの手をぷらぷらさせる。

「う、嘘言わないで下さい。アストラさんがちょっと肩揉みしただけで何で疲れるんですか」
「実は虚弱体質なんだよ、俺」
「多分世界の誰からも信じてもらえない発言です。嘘つきは犯罪者の始まりですよ?」
「犯罪者取り締まってる現役局員にそういう事おっしゃいますか?」
「……いや……でしたか? 身体、触られるの」

 フェベルが胸の前で指をいじり、見詰めて来る。上目遣いの瞳には、抗う意識を削ぎ取る憂いと恐れが浮かんでいる。
 アストラが顔を背けたのは、そんなフェベルを直視しない為だ。見詰めれば、意地悪も出来なくなるのが予想出来た。
 頭の裏で指を組んで仮眠になる。さらに近付こうとする彼女を、意識的に遠ざける。

「そういうのだったら肩揉みなんてさせんだろうが」
「だったら、どうしてですか?」
「眠い」

 嘘には少しばかりの真実を混ぜると効果的である。他界した祖父からの教えを忠実に守ったアストラを、フェベルは吟味するような眼差しでじっと見詰めて。
 距離を、詰める。
 膨れっ面の、理不尽な罪で怒鳴られた子供みたいな表情でアストラの左脇辺りに小さな身体を押し込める。密着する身体。軽く柔らかな彼女の身体は陸士部隊の制服を通しても容易に分かった。戸惑うアストラが批難を上げるより先に、ふっくらとした唇を尖らせて、フェベルはこう独りごちる。明らかに聞こえるよう意識した声の大きさで。

「知ってる癖に」
「だったら言えばいいだろ」
「独り言の愚痴なんですから答えないで下さい」
「どっかの提督みたいに鈍くないだけ感謝しろ」
「どっかの執務官みたいに嫉妬深くないんですから感謝して下さい」
「……仮眠するから離れろ。三十分したら起こせ」
「三十分って言ってアストラさんは三時間寝ちゃいますからね。十五分ぐらいしたら起こします。側にいないと起こせないので、このままでいますね」
「くっつき魔め」
「……いやなら……やめ、ますけど」
「嫌とは言ってねぇだろ。副官は横にいてナンボだからな。任せるわ」
「……はい」



 ☆



『それで二人揃ってナカジマ捜査官に大目玉ですか』

 胸元で揺れる相棒が言った。心はあっても感情は備わっていない高分子素材の集合体であるインテリジェントデバイスだが、それは自身で眼にした現象以外は非現実的事象だと決め付けて受け入れない科学者達の現実逃避ではないのか。
 アンスウェラーの口調は明らかに呆れている。この人間臭いデバイスは、溜息だってついてみせる。実はユニゾンデバイスの機体をどこかに隠し持っているのでないかと疑いすら抱いてしまう。

『丁度良い機会です。過去の虐待についても謝罪するべきでしょう』
「虐待なんて色々とアレな連想が出来る言葉を使うな。あれはスキンシップだ、スキンシップ」
『十歳にも満たない姉妹を泣かせて愉悦に浸るスキンシップなんてあってはなりません。この変態』
「お前まで俺を変態呼ばわりするか……!? マスターを変態扱いするデバイスがどこにいる!?」
『貴方の眼の前に』

 アストラの常套文句を使って、待機形態のミニチュア突撃槍を明滅させるアンスウェラー。
 正論と言われれば正論な言葉に、アストラはぐうの音も出ない。仕方がないので話題を変えて一方的な状況を打破しようとする。

「俺はフェベルが悪いって身の潔白を証明したんだが、信じてもらえなかったんだ。ところが洟垂れーズ長女はフェベルの言う事は信じやがる」
『我がマスターの事はクライシス帝国並みに信じないでしょう、彼女は』
「悪夢を思い出すからやめろ! クイントさんに何度ノリノリで絶対に許さんってリボルバーナックルでリボルクラッシュされたと思ってんだ!? 変身ポーズまで覚えちゃうしよ!」
『元を正せば我がマスターが視聴を提案されたのが悪いのでしょう』
「いや。まさか家族持ちのいい歳したあの人がハマるとは思わなかっただけだ」
『今の我がマスターもいい歳です。フェベルとのこれからを考えるのなら、その辺りの趣味嗜好は自重するべきです』
「自重する俺は俺じゃない。ところで、フェベルとのこれからってのはどういう事だ、嗚呼?」

 アンスウェラーをリフティング宜しく指先で弾く。早速苦情が飛んで来るが敬うべきマスターを蔑ろにした罪の重さを屈辱を舐めて熟知してもらうべきだ。
 彼が歩いているのは、墓地だ。ポートフォール・メモリアルガーデンという名の時空管理局が管理している広大でシンプルな墓地。
 飾り気に乏しい白い十字架が整然と並ぶそこを、アストラは迷いながら進む。アンスウェラーにここを訪れるのは何度目なのかいい加減に覚えろと馬鹿にされながら、彼の力を頼らずに目的の場所に何とか達する。

「矢印でも付けとくか?」
『先代が嫌がるでしょうからやめて下さい』
「目立つの嫌いだったもんな、爺さん」

 すでに誰かが来た後なのか。十字架は綺麗に清掃されていた。供えられている幾つかの献花が風に揺れて紙の包みをざわめかせている。
 十字架に刻まれている名は、オペル・ガレリアン。亡くなってから十数年が経っているのに、こうして命日には訪れる人が後を絶えない。献花が育ての親がそれだけ慕われていたかを示す証左のようで、少しだけ嬉しかった。
 腰を下ろして。アストラも持って来た花を供える。花の種類なんて良く分からないので、安さを重視して買って来たものだ。花とはそこそこ良い値がする物なのである。

「来年はもっと良いの持って来るから、今年はこれで勘弁な、爺さん」
『昨年もそのような事を言っていた記録がありますが、再生されますか?』
「断固として拒否だ。今すぐその記録を破棄しろ」
『死者は敬うべきです、我がマスター』
「敬ってるさ。いつだって。どこだって。なんだって」

 オペル・ガレリアンの遺言は、アストラ・ガレリアンの根幹を成している。
 ──後悔だけは絶対にするな。
 ──出来ない事に挑戦しろ。
 この二つの言葉に左右され続けた結果が、今の自分。今日に到るまで。そしてこれからも。自分の行動原理すべては祖父の遺言に左右される。
 今まで何度かアンスウェラーに問われた事がある。祖父の遺言が重みになっていないかと。もしかすれば拭えない呪詛になっているのではないのかと。今日のような命日でなくとも、何かの拍子に訊ねられる。
 黙ってしまった鋼の相棒が、またそんな下らない事を思慮しているように思えた。

「納得したからこの生き方してんだよ。勝手に被害者にしてくれんな、俺を」

 思考する道具は黙して何も語らない。

「俺の身体の事も、お前風に言えば自業自得だろ? いいんじゃねぇか」
『我がマスターは、それで満足ですか? 後悔をしていないのですか?』
「してねぇし、まぁそこそこ今には満足してる。他人と違う生き方して来たんだから、こうなるのもしょうがねぇだろ」

 そう思うのは、諦めではない。永遠に続く事象なんてありはしない。すべてのモノには平等に終わりがやって来るのだ。
 結末を受け入れる覚悟は、とっくの昔から出来ている。
 自分の終わりが想像出来ないほど、アストラは子供ではない。承知した上で今まで走り続けて来た。
 どこかでブレーキを踏めば望まぬ結果になる。そんな確信があったから、今まで足を止めようとしなかった。
 そんな生き方は、周囲の人間達にはさぞや身勝手に映っている事だろう。思い返すと、苦笑が止められない。
 まったく。自分の思いを貫くのも楽じゃない。

『紅の鉄騎に報告は?』
「してねぇよ。あいつ、今超忙しいだろ。教えたら面倒な事になりそうだし、あんななりして、あいつ結構責任感あるからな。自分が教えた魔法の所為でこうなってるって思っちまう」

 その面倒さを想像するとアストラの表情も崩れる。紅の鉄騎に関わらず、あの少女の周囲は責任感が強過ぎる。迂闊に話せば聖王教会の最先端医療が受けられる病院に放り込まれかねない。
 実はラナ・フォスターがその措置を画策している。彼女には折を見て会談を設け、高度な政治的取引を行わなければならないだろう。

『行使していたのは我がマスターの判断……と言ったところで納得しないでしょう』
「そういう事。まぁこれからは訓練で使うのは控えるけどな。ヤブ医者の奴、感付きやがって」
『フェベルに知られると益々面倒です』
「あの鈍感女は最後まで気付かなさそうだけどな」
『棘のある言葉と口調ですね。私の定期整備中に何かあったのですか?』
「何でもねぇよ」

 唇を尖らせて横に視線を逃す。ここ最近の自由待機中のフェベルとの出来事は、絶対他言無用。アンスウェラーに知られれば、この情報を出汁に何を要求されるか分かったものではない。
 頼れる相棒であるアンスウェラーは、マスターをマスターと思わない失礼千万な発言を速射系射撃魔法のように連射する可愛げのないところが玉に瑕だ。口煩さではフェベルと双肩する。オペル・ガレリアンから健やかな教育を頼まれているらしいので無理もないのだが。
 そんな相棒を、アストラはふと見遣る。

「アンスウェラーは、いいのか?」
『何がでしょうか、我がマスター』
「俺のこれからについての異論はねぇのかっての」

 遠からず来るだろうマスターの不調を、同型機よりも口が達者なこの突撃槍型デバイスが無言で見過ごすはずがない。現に今までもこのままで良いのかと再三に渡って訊ねられて来た。その度に同じ答えを投げた。そうすれば彼は口を閉ざす。納得したのかしていないのか、果たしてアストラには判断出来ないまま。
 胸元を見下ろせば、待機形態の相棒が風に揺られている。十年以上も共に無茶をし続けて、無謀に付き合ってくれた鋼の相棒がそこにいる。
 不意に気付いた。
 今まで散々私生活等について批難してくれた彼は、ある一つの事柄については、拒否も否定も何もしていないのだ。
 この生き方について、アンスウェラーはこのまま続けるのか否かという選択肢しか、告げていない。
 やめろとは、一言も言っていないのだ。

『異論はありません』
「俺が魔導師を続けられない身体になるの分かっててもか?」
『貴方は、後悔しないのでしょう。その結末に』
「ああ」
『なら、私は何も言いません。高町なのはのデバイス、レイジングハートが彼女の選択に対し何も言わず何もせず、見守り続けたように』
「………」
『いつか言ったはずです。貴方の心と、行こうとする道。それを照らし、守り、歩む為のすべてに私はなりますと』

 ずっと昔の事だ。高町なのはとの壮絶な私闘を始める前に、彼は確かにそう言った。それがあの時どれだけの力となって背を押してくれたのかも、アストラはしっかりと記憶している。
 恥ずかしさが込み上げる。逃げ出したい照れ臭さ。不覚にも頬が赤くなっているのが熱さで分かる。
 鼻の頭を掻いて。次に指は頬を掻いて。身の置き場に困惑した風情のアストラは芝居がかった咳払いをする。

「……まぁ。ウィットティッシュで手を拭くのが癖のライダーみたいに忠告聞かずに戦って最後にゃ灰になるってオチにはなんねぇから安心しろよ」
『私はそれでも一向に構いません。その場合は晴れて我がマスターのお守りから解放される訳ですから、むしろ望むところです』
「……八年以上経ってても可愛げが出ねぇな、てめぇは」
『可愛げならフェベルに求めてはどうでしょうか。今日も格好付けずに彼女も一緒に連れて来れば良かったのです』
「馬鹿野郎。あいつが勘違いするだろ」
『何を勘違いするのでしょうか?』

 口論は育ての親の墓参りもそっちのけで熱を帯びて続く。
 互いに不愉快なのに心地良い不思議な感覚に囚われながら。





 continues.





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