根性戦記ラジカルアストラButlerS

破:私が貴方を好きになったワケ ♯.1







 砲撃。火線。衝撃。
 雑音。騒音。轟音。
 密閉された空間内にあらゆる音が反響する。視界は闇一色。地面どころか壁や天井さえも蹴り飛ばして走り続けているので、三半規管が狂い始めている。今自分がどこを 走っているのかも定かではない。それでも走るのをやめる訳にはいかなかった。
 有害毒素を多分に含んだ大気をバリアジャケットが随時展開している防護膜で遮断しているものの、肌に粘着性に富む何かが付着しているような錯覚を覚えてならない。
 時空管理局次元航行部隊所属リーン・ロイド執務官が潜入した下水処理施設の一角は、自力で呼吸ができる環境ではなかった。
 本来ならば聴覚に痛みを覚えるほどの濁流音は無い。代わりに響き渡っているのは圧倒的な砲撃音と破壊音の濁流だ。
 下層へと続く奈落のような階段を飛行魔法を行使して、すべてスキップ。着地と同時に頭上を爆炎が貫き、汚水の滝を闇の中に赤く浮かび上がらせる。対戦闘魔導師用に対物、殺傷性能のみを追求した極めて野蛮な攻性魔法だ。 直撃すれば、リーンと言えども軽傷では済まない。
 右の下腕部を覆うように装備しているガントレット型アームドデバイス『エアベルン』に施設内の見取り図の展開を指示。視界右側に小型の仮想ディスプレイが展開される。
 ここは途方も無く巨大な施設だった。首都クラナガンの下水事情は複数の中継地点を点として、それらを線で結び、最終的に郊外の大型処理施設に集約されている。リーンが潜入したそこは、中継地点となっている処理施設の中でも 最大規模を誇る下水所だ。
 こんなところで対物、殺傷性能に長けた質量兵器を相手にするのは無謀である。
 ほぼ一本道の密閉空間なので退避経路が確保出来ない。施設が損傷すれば市民の生活に影響が出るのは避けられないだろう。最悪の場合、水の供給が停止する可能性すらある。
 市民の安全な生活の維持。そしてその防衛。それが首都クラナガンを護っている陸士部隊の最優先事項。リーンは出向中の身だが、目指す先は変わらない。
 力無き者を護る為の力。誰かの悲しい今を止める力。ここは、それを存分に振るう場所ではない。

「けれど!」
『目標アルファ、後方より速度二百で接近中。危険です』

 愛機が必要最低限の報告をした直後、背中が泡立った。執務官の制服に袖を通す前は、航空魔導師として最前線に立ち、あらゆる暴力と真正面から衝突して知識と経験と勘 を養って来た。それらが一斉に無音の警報を鳴り響かせた。
 高さ四メートル、横幅二メートルの一直線の通路。左側に平均水深五十センチの下水道。予想通り退路は無い。
 速度を落とさずに軽く飛ぶ。一瞬の滞空。身を捻って背後に振り返り、同時に防御魔法を発動。射出されたような猛烈な速度で突進して来た巨大な質量を受け止める。
 衝撃。胃が萎縮する。肺と心臓が圧迫されて腕が折れそうになる。列車事故の最大衝撃に匹敵する破壊力は、バリアジャケットと防御魔法の衝撃吸収機構でもすべて中和する事が出来なかった。

「人的被害を考慮すれば、ここで戦うのが最善──!」

 巨大な質量──人の形を模造した対戦闘魔導師用質量兵器、通称ステイシスは、その巨躯で壁面を抉りながらリーンを防御魔法ごと押し潰そうと、さらに速度を上げた。
 爆ぜる推進火。舞う火花。散る破片と梁。通路を仕切るように展開した防御魔法陣は歪み、巨大な弾頭と化した質量兵器の突貫の前に絶叫を上げる。
 歯を食い縛り、リーンは視界右側の仮想ディスプレイを一瞥する。この通路は大動脈と呼ばれる施設中央に設置された貯水区画へ続いている。下水処理としての設備の心臓部 の一歩手前だ。周辺への被害を最小限に抑える為に敵機をここへ追い込んだ訳だが、下手をすれば、市民の生活はいよいよ本格的な危機に直面する。
 だが、リーンは唇の端を吊り上げて、余裕の無い表情に笑みを浮かべる。作戦は当初の予定通り進んでいるのだ。後は餌役の自分がステイシスを所定の場所まで釣り上げれば、 こちらの勝利だ。

「エアベルン!」
『Load cartridge』

 撃発音。時速数百キロの速度が硝煙を容易く後方へ霧散させる。得られた圧縮魔力をすべて防御魔法の維持強化へ供給。亀裂すら走っていたリーンの防御魔法陣はその輝きを 取り戻し、稼働率向上を示すように自転速度を上げる。AAAクラスを超える航空魔導師の魔力が、古代ベルカの軍需産業の遺物と確実に拮抗し、それどころか打ち勝とうとしている。
 再度施設構造図を一瞥。青と赤の二つのアイコン──青がリーンで赤がステイシス──が密着しながら猛スピードで大動脈へ突っ込んでゆく。

「ラナさん、間も無く大動脈に到達! 予定通りお願いします!」
『了解、任せなさい。スカイトラスト、シャドウディバイド──!』
『Roger』

 随時接続されていた思念通話回線が、臨時の相棒を務めてくれている女性医療魔導師と、その相棒たるインテリジェントデバイスの電子音声を伝える。
 陸戦、航空のAAAクラスの魔導師二名を同時投入。人材不足が常に嘆かれている陸に於いて、もはや贅沢と言える戦力。
 それでも、仕方が無いのだ。相手との相性問題上、Aクラスの魔導師であってもダース単位で必要になる。
 土壌と大気を穢し、環境を蹂躙した古代ベルカの軍需産業の遺物ステイシスは対戦闘魔導師用に機能特化している。AMF系の周囲展開型防御魔法こそ行使しないが、 中遠距離戦はこの質量兵器の独壇場だった。単純な破壊性能はAAA+クラスの航空砲撃魔導師を凌駕する。近代ベルカ式ならば制圧の難易度はそこそこ低下するが、ミッドチルダ 式では敵の得意距離で衝突する破目になる。被害を出さずに機能停止させるのは困難を極める。
 通路が終わり、広大な空間に進入した。天井まで十数メートルはあろうドーム型の浄水施設。数多の水路から流れ出ている汚水が水飛沫を上げて一箇所に集まっている。 ここで濾過された水は水路を経て遠隔地へ流れる。
 咽返るような塩素の匂いに顔を顰めたリーンは、防御魔法陣が発している魔力残滓の燐光に照らされたステイシスに眼を眇めた。

『──!?』

 潰れた蛙のような頭部を左右に巡らせ、内蔵されている外部センサを明滅させる。リーンをここまで押し出して来た爆発的な推進力も徐々に削がれ始めた。
 動揺。魔導師を効率良く殺傷するプログラムを搭載されたこの大量破壊兵器は狼狽の気配を漂わせ、リーンが制御解放したバリアバーストへの対応を怠った。
 圧縮された魔力防壁が指向性を持って爆発する。ぱんっと乾いた炸裂音が水音を引き裂き、濃厚な爆風が暗闇の下水処理場に散布された。それに紛れてリーンは一気に敵との 距離を稼ぎ、別の区画へ通ずる通路に飛び込む。
 ステイシスから追撃は来ない。牽制の射撃魔法も無い。視界をゼロにする黒煙を振り払おうともせず、煙幕の中に滞空する。
 リーンが発動したバリアバーストには大した衝撃力も破壊力も無い。代わりに、パッシブ、ミリ波、赤外線、あらゆるセンサ系統を妨害する機能を付与、 ほぼすべてのリソースをその強化に割り振っている。屋外ならば大した効果も期待出来ないが、換気設備の無い密閉空間ならば充分だ。それも、相手が索敵関係で混乱した 直後ならば、今この瞬間のように無防備な瞬間を作る事もできる。
 リーンは強化した視力で処理場の壁面を走る作業用通路を見遣る。何も知らなければ、自分もあの古代の機械と同様に混乱していたに違いない。
 夥しい数の魔導師達が、隙の無い物腰でデバイスの尖端をステイシスへ構えていた。その総数は数えるのも億劫になるほどだが、冷静になると、全員が同じ顔、同じ身形 である事に気付く。チューンナップされた白衣を連想させるバリアジャケットも、一般の陸戦魔導師とは一線を画している。
 スラリとした長身と茶髪を靡かせた美麗の女性──ラナ・フォスター。
 その手に握るのは、長尺の杖──スカイトラスト・エンブレイス。
 臨時の相棒にするには優秀過ぎる医療魔導師だ。本来は陸士108部隊に臨時医務官として出向中の身だが、今は無理を言って現場に出張って頂いている。
 敵機を包囲している数十人のラナ・フォスターの正体は、彼女が得意としているシャドウディバイドだ。自身の幻影を魔力で編み上げ、目標を撹乱させる中位幻覚魔法の 一種である。比較的地味だが、使用者次第でそれなりの自律行動を行い、また質量や熱量すら再現する事も可能な為、その運用法は多岐に渡る。
 リーンはダース単位のラナ・フォスターの幻影に舌を巻く。数もそうだが、ステイシスのセンサ系統すべてを欺瞞する為に質量や熱量は勿論、極々初歩的な射撃魔法と言えど、 すべての幻影に魔法を行使させているのだから恐れ入る。

「お見事です、ラナさん!」
『お褒めのお言葉はステイシスを破壊してから賜ります、ミス・ロイド。目標は煙幕とマスターのシャドウディバイドで完全に我々をロストしています。これまでの経験上、 全方位攻撃に踏み切る可能性もあります。早急に破壊を』
「OK。スカイトラスト・エンブレイス、フルドライブ! でもカートリッジは節約!」
『Roger Load cartridge Penetrate mode ignition up start』

 ラナ・フォスターが吼え、彼女の愛機が応える。鋭い撃発音と接続音が連続で反響し、それが六回目を数えた瞬間、幻影達が一斉に消失。濃密な魔力残滓が周囲を満たした。
 優秀な医療魔導師の右半身から帯状魔法陣が放出され、スカイトラスト・エンブレイスを包み込む。長尺の杖の尖端にそれぞれ別方向へ高速回転を行う小型の環状魔法陣が展開 され、帯状魔法陣と接続。空色の魔力光が淡い燐光を飛沫のように撒き散らし、銃口を形作っている環状魔法陣の中央に小さな、しかし力強い光が灯る。

「夜に満ちる、月の光よ──我が身に宿りて──」

 銃口となる環状魔法陣は光の螺旋となって、高濃度に圧縮されてゆく魔力が低いタービンのような音を纏う。

「敵を貫け──!」

 口頭詠唱による術式構築。弾速と貫通性能に秀でた圧縮砲の準備が間も無く終わる。
 リーンも彼女に追随する。右腕を振り抜き、弾倉内のカートリッジをすべてロード。放物線を描いて排出された空薬莢が通路の床を打ったと同時に術式の展開を終えた。 身体の前面を覆うように百を超える魔力刃が出現、その尖端を晴れる事の無い煙幕へ向ける。敵機の複合装甲は堅牢だ。同時攻撃で完全破壊を確実にする。

「百を超えし処刑の刃──!」
「細く、弦のように──迅く、光のように──!」
「咎人を砕け──!」
「鋭く、槍のように──!」

 マスター達の口頭詠唱をデバイス達が引き継ぎ、撃発音声を入力。制御解放

『Cold dagger Execution Shift』
『Moonlight Penetrate』

 完成した術式が現実世界の理を歪め顕現。
 空間を満たしていた煙幕を穿ち、渦を巻き、その発射音が遅れて耳に届く驚異的弾速を発揮した圧縮砲がステイシスの胸部を貫通した。一拍遅れで環状魔法陣から同時射出 された無数魔法陣が追随し、煙幕をすべて切り裂き、ただ虚空に立ち尽くすだけとなっていた質量兵器に殺到する。これを防ぐ手段は、敵機には無い。

『──!?』

 全身に魔力刃が刺衝し爆破。露出した内部構造を間髪入れずすべての刃が喰い破る。最初の圧縮砲で中核を狙撃されていた敵機は、徹底した破壊の濁流の前に、頭部の赤 いセンサを数度明滅させ、次の瞬間に爆発、四散した。



 ☆



 地上の管理施設から外に出たリーンは、周囲の警戒作業と有事に備えて待機していた陸士108部隊前線第一分隊に目標の制圧を報告し、事後処理を一任した。首都防衛隊 からも何名かの航空魔導師が応援に来てくれたらしい。頼もしいが、今回は彼らの手を煩わせずに陸士部隊だけで決着はつけられた。縄張り意識なんて欠片も持ち合わせていないが、 ただでさえ激務に追われる首都防衛隊である。リーンは負担を増やさずに済んだ事を素直に喜び、赤色灯を回転させている輸送車のカーゴのハッチを開けた。

「負傷者ゼロに施設損傷軽微。ステイシスを相手に最高の結果ね」
「はい。繁華街に出現した時はどうなるかと思いましたが、ラナさんや第一分隊の皆さんのお陰で何とかなりました」

 小走りで歩み寄って来た臨時の相棒にタオルを渡して、リーンは汚水で汚れた髪を労わるように拭いてやる。
 ラナも彼女は自分の身体の匂いを嗅ぎ、顔を顰めた。今すぐにでもシャワーを浴びたいのが本音であろう。

「リーンこそ、よくあんなの真正面から受け止めたわね?」
「防御出力は高い方なんです。ポジション的にはセンターよりもフロント向きですし。それに、ああいう無差別破壊思考の相手は慣れています」
「JS事件じゃ嫌ってほどガジェットと戦ったもんね」
『無差別破壊思考ならば、戦闘機人も該当するでしょう』
「……嫌な事思い出させないでよ」

 右の手首に巻いたストリングブレスレット──スカイトラスト・エンブレイスのスリープモード──を軽く睥睨するラナ。そこに設えられた碧い紡錘形の宝石は何かの 意思表明をするように軽く明滅して沈黙した。
 何やら色々とありそうな雰囲気だが、リーンは構わずに続ける。

「それもありますが、元を辿るとデバイス暴走事件でしょうか」

 ラナはあーと口を半開きにして頬を硬く顰めた。

「確かに。あの時も大変だったわ」
「ラナさんも鎮圧任務に?」
「まーね。その時はまだ嘱託だったから、気も少しは楽ってもんだったけど」
「……あの時はこれよりももっと酷かったですし、JS事件もそうです。こうした無差別破壊兵器の居住区侵攻を許す訳にはいきません。その為なら、多少の無茶も承知の 上です」
「もっともね。ただ、今後はもう少しマシな場所にして欲しいもんだわ。これ、シャワーで取れるかな?」

 上腕部に鼻を近付けたラナは、すぐに顔を顰めてバリアジャケットを解除。苛烈な戦闘に耐え得る防護服は魔力粒子となって大気に気化。改めて袖や襟をめくって体臭を 入念に確認する医療魔導師。
 リーンも強烈な悪臭を纏っている防護服を解除し、エアベルンをスリープモードへ可変させる。掌に収まるカードに変化した相棒を懐に仕舞って、輸送車に常備されている 飲料水を二本引き抜き、デバイスを口論しているラナへ差し出した。

「やっぱ臭う?」
『マスター。私に嗅覚機能は搭載されていません。むしろそんな無駄な機能を備えているデバイスは存在しないでしょう。バリアジャケットの環境適応機能は問題無く作動 していました。恐らく臭わないでしょう。今はそんな事よりもステイシスの対策について議論すべきです』
「む。そんな事で済まさないでくれる? こっちは帰ってからあの馬鹿の定期健診があるんだから」
『……マスター。異性にある前に体臭を気にする発言は誤解を生みかねません。自重して下さい』
「ちょ! マジで気持ち悪い事言わないでよ! 担当医として患者への影響を考えてるの!」

 泡立つ二の腕を擦りながら身を丸めて喚く陸士108部隊臨時医務官。その表情は険悪で明確な嫌悪感が発露されている。
 リーンにはその話の内容から、件の『あの馬鹿』が誰なのか、すぐに察しがついた。それにしてもこの嫌われ方は酷い。

「ラナさん。ガレリアン准尉は言動も行動も私達常人の理解の範疇を遥かに超越している上に、どうしようもない短絡的思考且つ突撃以外は壊滅的な魔導師ですが、 悪い方ではありませんよ?」
『実に的確な評価です、ミス・ロイド』
「最近分かったんだけどさ、あんた良い性格してるって言われない、リーン」

 少なくとも今はそんな評判は耳にしない。執務官を志す以前は言われていたが。
 携帯端末で時刻を確認する。日付が変わる直前の午後二十三時四十分。空は宵闇色。数多の星と巨大な二つの月が浮かぶ広大な夜空。周囲は緩やかな丘陵地帯で背の高い 森林が夜風に揺られている。周囲を警戒していた陸士部隊の魔導師達が発する物々しい緊張感が酷く場違いに思える穏やかな情景だ。すぐそこに住宅街があるのだから無理も無い。
 ヘリのローター音が徐々に近付いて来る。眼を細めて迎えの機体を捉えたリーンは、傍らに佇む医療魔導師に質問する。

「……ガレリアン准尉は、やはり治療は受けないと?」

 答えは無い。視線を移すと、彼女は肩を竦めて溜息をついていた。

「正真正銘の馬鹿よ、アレは。フェベルちゃんとの事もあるし、今ならこっちの言う事も少しは聞くかなと思ったけど、甘かった」
「スカイトラストさんの方は?」
『ガレリアン准尉がマスターなだけはあります。アンスウェラーの頑固さは、同じデバイスとして驚嘆に値します』

 感情の読み難い淡白な電子音声はインテリジェントデバイス特有のものだが、その声音は明らかに呆れている。

「放置すれば間違いなくマスターが魔導師として再起不能になるのに。あのデバイスも何考えてんだかサッパリだわ。マスターが間違った方向に進みそうな時はそれを諭す もんじゃないの、インテリジェントデバイスって」
『その辺りはマスターが身を持って熟知しているところでしょうが、その通りです』
「ホント、一言多いわね、あんたは」
『インテリジェントデバイスですから。ともあれ、このままではガレリアン准尉は遠からず魔導師として引退せざるを得ない状況になるでしょう。私の方でも引き続き アンスウェラーの説得を試みます。マスターも腐らず嫌がらず彼の主治医としての責務を果たして下さい』
「言われなくてもそうするつもり。まぁ、フェベルちゃんにバラすとか言って駄目なら、ナカジマ部隊長から直接命令してもらうしかないわね」

 それもそれであの馬鹿の恨み買いそうで嫌なんだけどね、とラナ。
 ヘリが爆音を轟かせて着陸する。吹き荒れる暴風がリーンの黒髪を靡かせ、夜の森林を激しく揺らした。

「彼の負担軽減の為にも、今後も臨時支援をお願いする機会があると思います。ラナさん、ご協力をお願いします」
「できれば特別手当とか欲しいところだけどね」

 ジュエルシード盗難事件から端を発した対魔導師用質量兵器、コードネーム『ステイシス』の出現と、その無差別破壊活動。対策本部は陸士108部隊に設置され、同部隊 前線第一分隊が指揮を取っているこの事件は、発生から一ヶ月が経過しようとしている。その間に現れたステイシスは今夜の機体も含めて四機。全件ほぼ無血制圧できているが、 すべてが今回のように戦闘区域に人的被害が出ない状況下であった為だ。それに、施設面で今回は背筋に氷点下の氷柱でも叩き込まれたような戦況だった。一対多数を前提に 設計されている敵機の火力上、下手に人員も増やせない。少数精鋭で現場に出張るのは必然だった。
 ステイシスの残骸は回収され、本局の技術局で解析が行われている。聖王戦争末期頃に開発されたらしく、無限書庫でも該当する資料が発見された。その資料から敵の欠陥 を割り出して、制圧もそこそこスムーズに行えているのは僥倖と言えば僥倖なのだけれども、この質量兵器とジュエルシード盗難事件との関連性が未だに見て来ない為、 事件捜査は暗礁に乗り上げつつある。
 しかも、肝心──という訳でもないのだが──の前線第一分隊分隊長が身体に途方も無い爆弾を抱えている事が判明した為に、いよいよ猫の手も借りたい事態に発展していた。 実際、総合AAAクラスの航空魔導師でもあるラナ・フォスターを医療魔導師の名目で現場に駆り出している。彼女が抱えている仕事の考慮すれば足を向けて寝られないのだが──。

「何とかしなくちゃいけませんね」

 憂鬱に浸りそうになる気分を入れ替えて、リーンはラナと共にヘリのカーゴへ乗り込んだ。



 ☆



 前任者の長期休職。紆余曲折の果てに本局所属のラナ・フォスター空曹長が陸士108部隊に出向して来た理由である。
 着任早々につまらない事で前線第一分隊分隊長アストラ・ガレリアン准尉と小競り合いを起こし、隊舎基地施設の一部を私闘で使用した挙句、 暴走した技術開発者が設計した巨大傀儡兵と戦闘。これをガレリアン准尉と共同戦線の末に撃破。その後さらに紆余曲折があって、今はこうして108部隊隊舎基地施設のワークスペースに腰を落ち着けている。
 ステイシス要撃──賑やかな繁華街に突如出現したステイシスを前線第一分隊の陸戦魔導師達が死に物狂いで下水処理場に追い込み、周辺への人的被害を考慮してラナとリーン が破壊したのだ──の出動記録を簡潔な報告書に纏め、部隊長にメールで提出。直後、その部隊長からお呼びが掛かったので部隊長室に出頭、先に来ていたリーンも交えて 三名でこれからの方針を議論。あの質量兵器の破壊性能は身を持って知っている分、ラナも進言しておきたい事が幾つかあったから良かったのだが、私が出向中のただの非常用臨時 医務官である事を忘れないで下さいとは、なかなか言い出せる雰囲気でもなかった。
 足を引き摺るように医務課のワークスペースに戻った途端、置いていったスカイトラストから小言を賜った。

『疲労が蓄積しているのは重々承知していますが、もっとシャキッとして下さい、シャキッと』
「医務官の仕事だけならまだしも、前線にまで駆り出されてるんだから仕方ないでしょー……。あんたは自己メンテ大丈夫?」

 ラナの領分はあくまでも医療魔導師だ。昔のように攻性魔法が飛び交う最前線に突貫してゆくような真似はしたくないし、本格的な訓練や模擬戦からも離れて久しい。 最近は特に体調管理に注意しているが、それは長年の相棒たるスカイトラスト・エンブレイスにも同じ事が言えた。

『磨耗、劣化が進んでいる消耗品が何点かあります。可能であれば本日中に交換、調整を行いたいです』 「了解。じゃシャワー浴びたら装備課ね。カートリッジの残弾は?」
『本日の出動で五発使用しています。残弾も心許ないので、申請しておくべきでしょう』

 伸びをしながら、了解とラナ。デスクから備え付けの予備の下着とタオルを引っ張り出して女性局員用のロッカールームに足を向ける。
 眠気が酷かった。まだ勤務中だと理解しながら大きな欠伸を止められない。
 何人かの同僚からお疲れと肩を叩かれ、とぼとぼと見慣れた専用ロッカーに草臥れた白衣と本局所属を示す紺碧の制服を仕舞って、これまたとぼとぼと併設されている シャワールームに入る。立ち込める湯煙と湿気に埃や汚水で汚れた肌が疼いた。左右に半透明の扉が並ぶ細い通路を進んで空いているシャワーを探していると、最奥に発見。 安堵しながら扉を開けると、右の個室から聞き覚えのある声で鼻歌が聴こえて来た。
 ご機嫌な弾み具合。汗を流す為の最低限の設備しか備えていないここで、湯船に浸かって一日の疲れを癒しているような声を出すのは、ラナには難しかった。というか、人目を気にするくらいの気力は残っている。

『マスターがそのような行動に移られても反応に困ります』
「うるさい」

 備え付けのささやかなシャンプードレッサーにスリープモードのスカイトラストを乱暴に置いたラナは、右隣を利用しているだろう顔見知りの局員へ声を張り上げた。

「フェベルちゃん〜?」
「あ。ラナさんですか〜? お疲れ様ですー」

 前線第一分隊分隊長補佐官フェベル・テーター一等陸士が蜂蜜のように甘い声を個室に反響させた。
 直属の上司である分隊長がデスクワークに従事している影響で、その補佐官である彼女も今まで以上に事務屋の色を強めている。部隊長命令で不承不承ながらアストラ・ ガレリアン陸准尉の担当医を務める破目となったラナからすれば、あの馬鹿准尉が無謀な行動に出ないか、監視の眼として密かに利用もしている。

「お疲れー。ジュエルシードの捜索は進んでる〜?」
「無限書庫から支援も頂いてるんですけど、難航中です〜。そちらは?」
「問題無し。馬鹿准尉殿の部下は上司と違って優秀よ」

 リーンと共に現場に出張るようになってから実感したのだが、分隊長は突撃以外に何の特技も無い無能極まる下士官の癖に、その部下達は半比例するように優秀だった。 魔導師としてのランクは多分に漏れず高くはないが、豊富な経験と卓越した技術、純然な殺傷兵器を前にも恐れない度量を持ち合わせる勇猛果敢な陸戦魔導師だった。ただ、 根本のところではアストラ・ガレリアン陸准尉の部下である片鱗も見せたりするので、その度に残念さを噛み締めたりもするのだけれども。

「ねーフェベルちゃーん。あの馬鹿准尉って黒スト好き〜?」
「な、何でそんな物凄くマニアックな事を……?」
「いや。何かそういう話をしてたのよ、オーヴィル曹長達が」

 ちなみにオーヴィル曹長とは前線第一分隊で副分隊長の肩書きを持つ隊員だ。歳は二十歳後半と分隊内最年長。持っている経験もそれに比例して高く、部下達のフォローに回る 苦労人でもある。それだけならば味のある人物で好感も持てるのに、内に秘めたる情熱は間違った方向──即ち、アストラ・ガレリアン陸准尉と同じ場所に傾いている。だか ら三十路一歩手前なのに童貞なのだ。

「うーん。まぁオーヴィルさん達の上司が上司ですから」
「今更だけど、あの馬鹿がどうして分隊長なんてやってるの? 時空管理局七不思議に申請するべきね」
「そんなのありましたっけ?」

 温度を四十二度に設定して、頭からお湯を浴びる。白い肌を熱いシャワーが滑り、蓄積する疲労と汗を洗い流してゆく。

『私のメモリにもありません。マスター、最近のマスターの言動にはそれとなくガレリアン准尉の影響が見られます』
「スカイトラスト、そこの水垢取ろうと思うんだけどスポンジが無くてさ。あんた使っていい?」
『そういうところがガレリアン准尉そのものだと言っているのです』

 個室を仕切っている壁の隅にある小さな水垢と、今まさに握り締めたスリープモードの相棒に視線を交錯させたラナは、忌々しげに舌打ちをして諦めた。スカイトラストを 元のシャンプードレッサーに置いて、備え付けのシャンプーを手に馴染ませる。共同品を嫌う一部の局員は自前の物を持ち込んでいるが、ラナは無頓着なので気にしない。

「馬鹿准尉はどうしてるの?」
「眠気が酷いって言って仮眠中です。最近酷いんですよもー。二十四時間勤務体制も以前よりずっと緩いシフトになってるので、休める時間は増えてるはずなんですけど」

 髪を梳いていた指が止まる。

「……どうせ寝ずにゲームとかやってるんでしょ?」
「いえ。オフシフト中も殆ど寝てます。ここに怠惰極まるって感じです」

 だから最近全然アストラさんと遊べてないんですよー、とフェベルが不満そうに言った。
 壁に仕切られていても、この童顔娘がどんな表情をしているのか、ラナはすぐに思い描けた。可愛らしい唇を尖らせて、不機嫌を表現しながら、でも手のかかる弟を見守るような 微笑ましさを漂わせたはにかみ。きっとそんな感じだろう。

「体力の浪費にならなくていい事じゃない。あの馬鹿、ちょっと前まで徹夜で遊んで二十四時間勤務やった事あったでしょ? 体調管理もできない中間管理職なんて駄目社員の 見本じゃない」
「それはそうなんですけど」
「……やっぱり相手して欲しい?」
「の、のーこめんとです」

 上擦った声音。初恋が成就した十代の少女のような初々しさ。起伏に乏しい華奢で小柄な体躯と、居酒屋に入るのに身分証明書が手放せない童顔の所為で、そうした印象は より強固だ。
 シャンプーを終えた後は、苛烈な環境に晒された髪をリンスで労わる。シャワーで洗い流している間は会話も途切れる。
 ラナは思慮する。何時フェベル・テーターに実情を伝えるか。
 アストラ・ガレリアンが訴えている眠気は、別に慢性的な睡眠不足が原因ではない。酷使に酷使を重ねられ、無理に無理を上塗りされ、廃車寸前に追い込まれている自身の 身体が発している最後通告だ。極限身体強化魔法アクセラレータの副作用は、もう完全に表面化している。まともな人間ならば内臓の機能低下が起こっていてもおかしくない 状態で、未だ睡眠障害だけで済んでいるあの男は身体の基本構造が人類規格外なのかもしれない。
 今すぐにでも精密検査を実施して、然るべき処置を施さなければ生命の危機すら考えられる。あの自殺魔法で最も高い負荷が発生する臓器は心臓なのだ。戦闘魔導師としては 絶望的な域に足を踏み入れている可能性もある。
 あの男は、きっとそれを知っているはずだ。
 それでも、アクセラレータの使用禁止を担当医権限を行使してまで伝えても、彼は首を縦に振らなかった。
 自殺願望者。患者にするには厄介過ぎる相手だが、アストラ・ガレリアン陸准尉の場合、何か違う感覚がするのだ。でも、何なのか明瞭としない。
 フェベル・テーターはあの男の補佐官だ。その上、プライベートでも親密である。親友以上恋人未満の関係から先に進んだのは最近の事だ。アストラの身体の事は、彼女に とっても、とても大きな衝撃になるだろう。
 ゲンヤ・ナカジマ部隊長からは、この件については一任されている。部隊長として隊員の生命を護る義務を放棄されるつもりですか、とその話を聞かされた直後に反発した。 眼前に危機が迫っている事を知りながら何の手段も講じないなんて意味が分からない。部隊長としてアストラ・ガレリアン陸准尉から分隊長権限を剥奪し、設備も医師も充実 している聖王教会の医療施設に放り込むべきだ。
 けれど、あの壮年の部隊長はそれはできないと力無く肩を竦めるばかりだった。

「……約束、ね」
「何か言いました〜?」
「何でもない」

 アストラには、かつて最大の理解者がいた。過去の事件で殉職して鬼籍に入っている前線第一分隊の前任者である。
 そしてもう一人──次元災害の被災者だったアストラを養子として引き取ったオペル・ガレリアン。彼がアストラの精神形成に多大な影響を及ぼしている。
 現場からの叩き上げである部隊長は、この二人と約束をしたらしい。アストラの好きなようにやらせる、と。

「だからって、こっちに押し付けないで欲しいわ」
『愚痴を言っていても仕方がありません。これ以上ガレリアン准尉の身体に問題が発生するようなら、強硬手段に出るべきでしょう』
「あの馬鹿が素直にこっちの言う事聞くとは思えないけど」

 頭痛と疲労の種は尽きないが、近日中に補充要員が到着する予定だ。医務課のスタッフも増えるそうなので、アストラ・ガレリアンに使える時間も増える。

「フェベルちゃん」
「はーい?」
「今、幸せ?」
「──まぁ、それなりに」

 少しの間の後、照れ臭そうな声が水が流れる音の中で耳に届いた。
 フェベルに実情を伝え、彼女も交えて説得するかどうか、今日中に決めてしまおう。
 ラナは熱いシャワーに身を委ねた。






 Continues.










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