魔法少女リリカルなのは クリスマスSS

You look like me

前編







 十二月も下旬に差しかかろうというある日。アースラの執務室。

「ねぇクロノ」
「ん?」

 自分よりも五つ年上で、自分の部下で、自分と相思相愛になっている十七歳の少年が振り返る。彼は備え付けの給湯所で紅茶を淹れていた。
 翠屋直送のダージリンティーの香りを楽しみながら、フェイトは執務机に上半身を寝そべらえる。重ねた両腕に顎を乗せ、肩越しに振り向いた黒髪の少年を見詰めた。

「寒くなったね」
「室内温度は最適のはずだが?」

 さっそく期待していたのとは違う言葉が返って来る。

「もう、そうじゃなくて」

 想う少年は首を傾げながら、湯気をくゆらせているティーカップをトレイに載せる。
 フェイトは、小休憩の準備に熱心な後ろ姿を少しばかり恨めしく思った。

「もう雪が降る季節だなって思って」
「そうだな。海鳴だと十二月もそろそろ終わりの方だ。降るならそろそろか?」
「だと思う」
「それで、それがどうかしたのか?」

 ティーセットを執務机にまで持って来たクロノは、無垢とも言える表情をしていた。
 フェイトは身体を起こすと、極々親しい者にしか見せない憮然とした顔で彼を迎え入れる。

「……クリスマス」

 拗ねたような声だった。
 雪の降る聖夜。
 恋人達を祝福する日。
 クリスマスと言えば色々と二つ名の多いものの、相場は『恋人と二人きりで過ごす夜』というのが通説だ。本来は遥か太古の昔に亡くなった偉い人の誕生日らしいが、 フェイトも詳細は知らない。
 甲斐甲斐しくティーセットの用意をしていたクロノの手が止まった。

「クリスマス?」
「うん、クリスマス」

 にっこりと復唱するフェイト。すると、クロノは眉間に深い皺を作り、柳眉を寄せ、何やら苦しげに呻き始めた。明らかな渋面顔である。

「……すまない、フェイト。その、クリスマスとは何だ? 言葉だけならテレビで知っているんだが……」

 間を置いて紡がれた言葉に、フェイトは危うく椅子から転げ落ちそうになった。
 迂闊だったというべきか。それとも彼の無知さを恨むべきなのか。一瞬の思案の後、フェイトは両方だと思った。
 クロノ・ハラオウンが海鳴でクリスマスを過ごすのはこれで二回目になるはずだが、前回はそれどころではなかったので知る由も無いだろう。何せ闇の書事件が解決 を見た日だったのだ。翌年の彼はデバイス暴走事件の罪を償う為に遠く離れた次元世界に服役していたので体験のしようが無い。

「……うん、それなら仕方ないよね」

 取り合えず自分を納得させて、萎えてしまった気持ちを再起させる。

「クリスマスって言うのはね」
「ああ」
「えっと」
「?」
「その」
「………」
「あの」

 本当に言わないといけないのだろうか。そんな自問自答をした所で意味は無く、相も変わらず鈍い相思相愛の相手はフェイトの答えを待ち望んでいる。
 言い淀むフェイトの声には気恥ずかしさがあった。再会してから早半年近くが経過しているものの、クロノに面と向かって恋人宣言するのは、やはりというか何と言う か、羞恥心を刺激するには充分であろう。
 クロノの眼差しは期待に満たされている。それが余計にフェイトの気を惹き付けて止まない。

「……恋人と……一緒に過ごす日なんだ」

 顔を伏せ、搾り出すように告げる。
 刹那の後、クロノも頬を染めた。

「そ、そうか」
「う、うん。そう」

 ギクシャクとした沈黙。
 ミッドチルダにクリスマスに該当するような祝日は設けられてはいない。宗教関連の記念日はあるものの、そこまで大々的なイベントではなかった。ましてや恋人達の 為の祝日などという酔狂じみたものもない。海鳴在住期間が実質一年というクロノがピンと来ないのも無理からぬ話だった。
 白い湯気が紅茶の瑞々しい香りを運んで来る。クロノはこほんと咳払いをすると、止まっていた休憩の準備を再開した。

「……何時頃なんだ?」
「……え?」
「クリスマスだ。日付は今分かるのか?」
「う、うん。ちょっと待って」

 フェイトはポケットに忍ばせていた携帯電話でカレンダーを確認する。

「一週間後かな?」
「……一週間か。こっちの時間で言うと……」

 クロノは天井を見上げて何やら独りごちる。思案に耽っているようなので、フェイトは差し出されたティーカップの紅茶に口を付けつつ見守る事にする。
 ややあって、彼は満足そうに頷いた。

「予定は今のところ無しだな」
「予定?」
「フェイト。二人だけで遊びに行くか? クリスマスに」

 紅茶を口にしたまま、フェイトは完全に硬直した。琥珀色の熱いお湯が口の中を暴れるがまるで感知しない。
 クロノは未だに女性の気持ちには酷く鈍感である。クリスマスの重要性をどこまで理解しているか不安だったし、それを知った上での提案――この場合、二人でどこ かに遊びに行く事だ――も、その口から簡単に出て来るとは思っていなかった。それでも淡く儚い期待はあったし、切望していた。
 微動だにしないフェイトに、クロノは優しい声で続ける。

「今後の君の予定を思い出してみたが、急ぎの任務が入らない限り、クリスマスの日は何も無いはずだ。一週間前なら有休の申請も間に合う。どうする?」

 どうすると問われても、フェイトの答えはもう決まっている。何せ自分から彼に切り出すつもりだったのだから。
 熱い紅茶を苦労して飲み込み、コクンと首肯する。言葉は出て来なかった。実にもどかしい。

「どこがいい?」
「……海鳴で」
「海鳴か?」

 クロノが意外そうに言った。その顔に浮かぶのは懸念の色だ。

「学校とか、大丈夫か?」
「場所さえ気を付ければ大丈夫だと思う」

 矢継ぎ早に説得に入るフェイト。
 クラナガンでも構わなかったのだが、クリスマスは地球で行われる行事の一つである。特に今の海鳴はクリスマス一色ムードで、いつもの商店街はその様相を一変 させている。クリスマスフェアという横断幕が掲げられ、あちこちで数多のセールが行われていた。気分的な問題なのかもしれないが、出来れば向こうの世界で過ご したかったのだ。

「君がそれでいいなら、僕は構わないよ」
「ごめんね、我侭言って」
「いや。普段から君は我侭らしい我侭を言わないから。たまに言われた方が僕としては嬉しい」

 クロノが人差し指でくいくいとフェイトの額を小突いた。今日まで何度も何度も、それこそ飽きる事もなく続けて来た会話とやりとり。
 彼が淹れてくれた紅茶が無くなるまで、そんなまどろみのような時間は続いた。



 ☆



 小さく吐いた息は白く、すぐに黒い空に上り、そして消えて行く。
 フェイトは飽きる事もなく、ずっとそうしていた。それ以外にやる事が一つしかないのだ。その唯一の一つも、決して楽しいものではない。
 クラナガン西部の産業地帯。今は雪が積もり、喧騒に溢れていた昼間の光景が嘘のような静寂が落ちている。一面の銀世界は鋼の摩天楼を別世界に彩っていた。
 息を潜め、気配を殺し、しかし、魔力強化した感覚と視覚、聴覚を鋭敏に研ぎ澄ます。冷たい工場の壁に背中を寄せ、片膝をつき、壁越しに向こう側の様子を伺う。

『フェイト、状況は?』

 思念通話で送られて来るクロノの声が、冷え切った首元を暖めてくれる。
 フェイトはデバイスフォームのバルディッシュを優しく握った。

『情報通り。……居るよ』
『こちらのデータでは、まだ魔力数値は微弱だ。君のはどうだ?』
『こっちも異常無し』
『敵は魔力強化した身体能力で戦闘するタイプだ。注意だけは怠るな』

 一度言葉を切ったクロノは、声に影を落として続ける。

『魔導師の無差別襲撃事件か。闇の書事件を思い出すな』

 ここ数日の間、クラナガンを中心に魔導師を狙った無差別襲撃事件が多発していた。
 犯人は相手が魔導師であれば、喩え真昼の繁華街であっても犯行に及ぶ極めて乱暴且つ凶暴性を持っている。さらに、襲われた魔導師はほぼ確実に殺害されていた。 事件初動から四日が経過しているが、すでに二桁に昇る魔導師が犠牲になっている。

『……クロノ。犯人だけど……』
『監視カメラの映像じゃ、女性という事以外は不明だ。魔導師なのは間違いないだろうが』

 事件の被害者は、管理局に属する武装局員から、民間企業で働く産業魔導師までと幅が広く、見境がまるで感じられない。標的を魔導師に据えた通り魔殺人である。
 フェイトは身を乗り出し、工場の奥地に眼を細める。最低限の常夜灯しかないものの、月明かりに反射した雪の光のお陰で視界は良好だった。
 紅い瞳に工場の中心に立つ目標が映る。小さな背中だった。自分と同じぐらいか、少し上くらいかもしれない。
 どうしてそんな子が無差別殺人を犯しているのか、全く理解出来なかった。
 犠牲になった武装局員の中には、フェイトも何度か言葉を交わした事のある歳の低い魔導師が居た。名前までは知らなかったが、休暇を満喫中に襲われて斬殺 されたとの事だ。死因は巨大な刃物で切り裂かれた背中の裂傷だが、犯人はさらに心臓をも貫き、確実に息の根を止めている。
 噛み締めた奥歯が軋む。二度前後の気温で冷たくなっていた身体に、どこからか湧いて来た炎が火を灯す。

『フェイト、落ち着け』
『……落ち着いてるよ……』
『感情に振り回されるな。怒りは正常な判断能力を奪うぞ?』

 直接心に響くクロノの声は優しく、フェイトの穏やかではない心中を次第に和らげて行く。

『現場に於いては冷静さが最大の友だ。……怒るなとは言わないが、落ち着いて行け。君なら何の問題も無い』
『……うん』
『増援は要請してあるが、被疑者の周囲五百メートル範囲におかしな反応は無い』
『完全な単独犯?』
『今までのケースから見て、ほぼ間違いない。確保、行けるか? フェイト』
『もちろん』

 肯いたフェイトは白い吐息をつき、術式構築の準備を行う。
 背を向け続けている被疑者に動く気配は無い。
 眼を軽く瞑り、深い深呼吸。それが終わると同時に選択していた魔法術式を構築し、バルディッシュの魔力回路に魔力を供給する。
 心を静かな波のように諌めて、フェイトは草木の陰から飛び出す俊敏な動物のように工場の中へ踊り込む。
 周囲に人の気配は無い。中心でポツリと立っている被疑者以外、人影は皆無。

「時空管理局執務官、フェイト・T・ハラオウンです」

 宣言が寒々とした工場内に残響のように木霊した。
 被疑者は振り向かない。バルディッシュの切っ先をその背に向ける。

「魔導師無差別襲撃事件の重要参考人として、あなたを時空管理局まで――」

 ゆったりと。警告をされているにも関わらず、危機感を全く感じさせない気だるい仕草。
 そうして振り向いた被疑者の素顔に、フェイトの使い慣れた言葉は冷たい雪の空間に消えて行った。
 相手は子供だった。フェイトと同じぐらいの少女だ。肩で短く切り揃えられた髪は不自然なほどに白く、瞳は充血したかのように紅い。着込んでいる服はくたびれた 感があり、少女が着るにしては酷く乱雑だ。
 少女の顔に表情は無かった。気温の影響か、外に積もっている雪のようにその肌は白い。
 生きている気配がまるでしない。刹那の間、フェイトの思考が停止する。

『フェイト!』
「!?」

 弾ける意識。眼前が病的に白い肌で支配される。
 人形のような少女が、十メートル以上あっただろうフェイトとの距離を数瞬でゼロにしていた。
 反射神経を総動員する。身を捩り、迫る何かを回避。羽織っていた白の外套が――バリアジャケットが両断される。
 その速度に戦慄している暇は、フェイトには無かった。半ば無意識に横へ跳ぶ。冷静な頭が敵の武装を把握しようとするが、混乱していて良く分からない。
 逃避したフェイトへ、被疑者が手を翳した。蛍のような魔力の粒子が集束した次の瞬間、射撃魔法が掃射された。
 転がるように駆ける。すぐ背後で爆音が轟き、耳をつんざく破壊の惨禍が工場内を吹き荒れた。簡素な建材が玩具のように粉々になって爆ぜる。
 遮蔽物の陰に転がり込み、頭を抱えて身を伏せる。数センチ頭上を嵐のような魔弾が貫き、埃と建材をぶちまけた。

『フェイト、無事かッ!?』
『大丈夫! クロノ、この子……!』

 頭が混乱から復旧する。素早く術式を構築して、ひとまず防御魔法と補助魔法を制御解放。被疑者の武装が不明なままでは迂闊に攻撃は仕掛けられない。
 呼吸を整え、フェイトは素早く立ち上がる。静かになった工場の中心に、白い少女は何事も無かったかのように立っていた。空虚なその表情も変わらない。
 やはり、おかしい。生きている気配が感じられない――!

『生体反応が無い! フェイト、そいつは――!』

 少女が再び射撃魔法を構築する。放たれるのは対物・殺傷設定の高火力の貫通弾だ。
 驚きがフェイトの動きを緩慢にさせた。左腕に激痛が走る。低い防御出力を振り絞り、魔力防壁を張って何とか凌ぐが、その衝撃は並みではなかった。防御しているはずなのに、 腕が軋み、頭がくらくらした。

『使用している魔法術式は……該当情報無し……!?』
「バルディッシュ、カートリッジロード!」

 無骨な電子音声が復唱すると同時に、回転式弾倉が撃発音を響きかせて硝煙を吐き出した。圧縮魔力がフェイトの身体を駆け巡り、構築している魔力防壁をより強固な ものにする。
 接続されている思念通話で、クロノの悪態が聞こえた。

『フェイト、注意しろ。そいつは人間じゃない!』
「人間じゃないって……ロボット!?」
『その手の類だが、僕達の技術の物じゃない。恐らくはロストロギアだ!』

 人を模したロストロギアの存在は、過去にも何度も発見されている。中には無害なものもあったが、その多くは無骨な装甲を身に纏った対魔導師用の殺傷兵器だった。 だが、有害にしろ無害にしろ、そのほとんどが人の形状――四肢や頭部を有しているだけで、とても人間と言える代物ではなかった。少なくとも、フェイトが相対しているような人間にしか見えない人型ロストロギアは報告例が無い。

「ロストロギアがどうして……!?」
『それは分からないが、とにかく僕もすぐに向かう! いいか、無理はするな!』

 思念通話が一方的に切断された。後に続くのは、鼓膜を引き裂くような射撃音と破壊されて行く工場の騒音だけだった。
 射撃魔法を掠めた左腕を庇いつつ、薄くなった弾幕の合間を縫うように跳躍。天井を蹴り飛ばして、矢の如く白い少女へ突撃する。
 カートリッジを一発ロード。得られた圧縮魔力は金色の戦鎌に姿を変え、フェイトの身長を超える大型武装を作り上げる。左腕が痛んだが、我慢出来ないほどでもなかった。

「はぁぁぁッ!」

 濃密な魔力刃が疾り、敵の汚れた服を切り裂くが、浅い。肌には至っていない。
 白い少女は一瞬だけ身を屈めた。まるで跳躍前に力を蓄えるかのような動作だ。警戒し、振り翳したばかりのバルディッシュを胸元に戻そうとした瞬間、 敵が弾かれたように襲い掛かって来た。
 何かが閃く。それが少女の腕に仕込まれた刃である事に気付くより早く、フェイトはバルディッシュで斬り受けた。凄まじい衝撃。左腕の傷口から流れ落ちた 赤い雫が、埃塗れの床に真新しい血痕を作って行く。

「こ……の子……!」

 白い少女の顔が眼前に迫る。ぞわりと背中に悪寒が走り、フェイトが危機を脱すべき手段を練ろうとした時。

「―――」

 自分と同じ、紅い瞳。
 その気配と同様に、何の感情も感じられない無の双眸。
 何も見て取れない。何も感じられない。なのに、フェイトは確かに悟った。

「……君は……」

 この紅い瞳に見覚えはない。でも、フェイトはこの紅い瞳を知っている。
 二年前の梅雨。自分はこの少女と同じ眼をしていたのだから――。
 白い少女が動く。

「くッ……!」

 体格はほとんどフェイトと変わらないはずなのに、少女は荒唐無稽とも言える膂力を持っていた。とても耐え切れない。一瞬の拮抗の後、強引に姿勢をズラして 逃れるが、敵は執拗だった。さらに一閃。管理局の制服に似た黒いバリアジャケットが浅く切り裂かれる。
 感慨に耽り、少女にかけるべき言葉を探っているゆとりはどこにも無かった。
 尚も左右から迫る刃を内蔵した腕に、フェイトは鋭いステップを踏み締めて、舞うような後退を行いつつ、その隠し刃を弾いた。金色の刃と腕の刃が噛み合い、薄暗い 工場内に眩い火花を生み出す。

「待って! 君は誰!? 何をしたいの!? どうして魔導師を襲うの!?」

 少女は無言。答えは冷たい刃。
 弾き、受け流し、防御し、フェイトは叫んだ。

「どうして……どうしてそんな哀しい眼をしてるの!?」

 小さな変化だった。風に揺れる木の葉にも劣るような、本当に些細な動き。
 瞬き一つしなかった少女の瞳が動いたのだ。
 鈍る太刀筋。あれほど苛烈で重みのある一刀が空を斬り、地面を破砕する。
 攻め込むには絶好の隙が出来る。だが、フェイトはバルディッシュを胸の前で構えたまま、踏み込む事が出来なかった。整っていた執務官としての思考が断絶して、 深い疑問がフェイトの身体を支配していた。
 その時、少年の声が響く。

「フェイトッ!」
『Stinger Snipe.』

 蒼い尾を曳いた魔弾が白い少女を貫き、その左腕を肩から抉る。しかし、血液や肉片が飛散する事は無かった。
 代わりに地面に転がったのは、人体とは無縁のはずの微細なシリンダーや機械の構造材だった。
 バイパス回路。人体筋肉を模したプラスチックの塊。山のようなネジと細かな油圧シリンダー。焼け爛れた電子回路がぷすぷすと嫌な音を上げている。
 襲撃者の背後から現れたのはクロノだった。愛用の二本のストレージデバイスを構え、厳しい表情で少女を睨む。

「無事か!?」

 遠くからの呼びかけに、フェイトは何も答えない。彼女は床に散乱している機械の残骸と、左肩から下をすべて失っても頬一つ動かさず、鉄仮面のような冷たい 顔をしている白い少女を交互に見渡していた。
 敵は人間ではなかった。機械である。それも、人間と寸分違わぬ精巧過ぎる恐ろしいまでの完成度を誇る機械人形だった。
 クロノは返事をしないフェイトに訝しみ、機械人形の少女を警戒しつつ、歩み寄って来る。
 微かな足音が耳朶を打ち、それが近付き、機械人形の残骸を踏み締めた破音が聞こえた時、フェイトは飛び出していた。
 クロノには、金と黒の風が動いたようにしか見えなかっただろう。
 立ち尽くす機械人形に駆け寄ったフェイトは、そっと彼女を抱き上げ、魔力で最大強化した脚力を持って跳躍。同時に飛行魔法を発動させて天井をぶち抜いた。

「フェイト――!?」
「ごめんなさいクロノ! すぐに……すぐに戻るからッ!」

 眼下の彼を一瞥して、フェイトは東の方角へ飛翔する。冷たい風が刃のように全身を包み込み、一斉に体温を奪った。構わずに速度を上げ、彼の地を目指す。
 腕の中の機械少女は、抵抗する素振りも見せず、眠るように眼を閉じた。



 ☆



 まだ残っているかどうか不安だったので、雪に埋もれたそれを発見した時は本当に安心した。遭難した登山者の気分を奇しくも味わう結果になってしまった。
 春から夏にかけて雄大な自然を誇るアルトセイム地方も、冬になれば豪雪地帯になる。積雪何メートルという規模で、元々が人里離れた山奥なのだ。その苛烈な自然に 対抗出来るモノがあろうはずもない。

「寒くない?」

 暖炉に薪をくべながら、フェイトは決して座ろうとしない機械少女に訊ねる。
 あの時見せた頬の動き以外、やはりこの少女は何を言おうが反応らしい反応を返しては来なかった。
 意思が無いのか、それともただ薄弱なだけなのか。彼女ならぬフェイトに分かる術は無い。
 二人が身を寄せていたのは、時の庭園の離陸跡の近くにある山小屋だ。質素だがしっかりとした造りで、未だに老朽化の様子は無い。
 小屋の中には暖炉や毛布と言った最低限の備えがあるだけで、後は何も無かった。

「ここはね、私の先生が造ったものなんだよ」

 暖炉の調子を調べて、問題が無いのを確認したフェイトは、壁の隅に鎮座していた湿っぽい毛布を取った。ふわりと埃が舞い、情けなくも咽てしまう。
 ここは、魔法の授業の一環としてリニスがフェイトとアルフと共に建てた小屋だ。材木はフェイトの斬撃魔法で切り取り、持ち運び等の力仕事はアルフが 担当し、設計や工事監督はリニスが行った。どうしてこんな事をするのか、フェイトもアルフも不思議でならなかった。当時のまだ幼い彼女達は、『これが物を作るという事ですよ』 と、どこか得意げに材木を細かく切るリニスの言葉が理解出来なかった。
 物を作るという行為は想像力を豊かにする。想像力は魔法行使に於いて重要な要素の一つだ。今なら、彼女がどうして小屋を造ろうと言ったのかが分かる。
 少女を連れ去るように現場から離脱したフェイトは、短距離の転移魔法を行使して、この地までやって来た。逃げ込む場所はどこでも良かったのだが、 クロノが増援を呼んでしまっていた以上、近場を選択する事は利口とは言えなかった。ここを選んだのは、遠隔地で人里離れた場所として幾つかの候補を吟味した 結果である。
 フェイトは傷付いたバリアジャケットのまま、毛布にくるまった。治療はしたものの、左腕にはまだ鈍い痛みが残っている。

「座ろ?」

 彼女に毛布を差し出して、フェイトが言った。

「―――」

 機械の少女は、眼の前にある埃っぽい毛布と、腕の痛みを我慢して顔を僅かに顰めているフェイトをじっくりと見比べている。
 そんな行為が、フェイトは嬉しかった。こちらの行動に興味を示してくれているのだから。
 やがて、機械の少女は毛布を受け取り、フェイトの姿を真似るようにくるまろうとしたが――。

「……あ……」

 左腕が無いせいで、巧く毛布をかぶれなかった。ばさりと冷たい樹の床に毛布が落ちる。
 どうしてこんな簡単な事を分かってあげられなかったのだろう。フェイトは己が迂闊さを恨みながら、毛布を解き、床を見据えている機械の少女に歩み寄る。

「ほら」

 抱き締めた少女は、フェイトが抱いた嫌な期待に応えてしまった。
 冷たいのだ。それこそ、雪が降り止まない外のように冷たい。触れた右腕は見た目こそ人間と変わらないが、そこに血の巡りを感じる温もりは無かった。
 改めて認識し、そして痛感する。過去の、二年前の梅雨。あの時の自分と同じ瞳を持った少女は、完全な機械である事を。
 フェイトは腕の痛みを無視して少女を抱き締めると、彼女と共に樹の床に座った。暖炉の近くに行って、壁に背を預ける。
 相対前に胸の中で燻っていた苛立ちや憤怒は自然と形を潜めていた。
 機械の少女は、あの工場で見せた無駄の無い鋭利な太刀捌きとひたむきな殺気が幻のように物静かだった。襲って来るような気配もまるで無い。 それがフェイトをより戸惑わせていた。
 パチパチという火が弾け、くべられた薪が割れる音が、吹雪に揺れる硝子音と一緒に木霊する。

「……君の名前は?」
「―――」

 答えは無い。構わずにフェイトは自己紹介をする。抱いている白い少女が機械であるとか、ロストロギアであるとか、そんな事実はどうでも良かった。
 何故だろう。フェイトは自分自身の行動に驚きながら、自分の名を口にした。

「私はフェイト。フェイト・T・ハラオウン。さっきも言ったよね?」

 少女が首を巡らせる。じっくりと周囲を見渡すような仕草。
 紅い双眸にフェイトが映り込む。瞳孔が暗がりの中で大きさを微妙に変えているのが見て取れたが、その動作はあまりにも機械的だった。
 ぱきん、と音を立てて、薪が割れる。火の粉が生まれ、灰が舞う。

「――フェイト――?」

 肌と同様に冷たい声だった。
 でも、とても澄んだ声だった。
 何よりも、フェイトはこの少女が応えてくれたのが嬉しかった。

「うん、フェイト」
「――フェイト――」
「君の名前は?」

 水晶体が忙しなく動き回る。横に一回転したと思えば、次の瞬間に左に素早く三回転した。

「――デスティニー――」
「……デスティニー……?」

 コクンと肯く白い機械少女――デスティニー。
 人工の水晶体と瞳孔は稼動を続け、数センチ先にあるフェイトの顔を見詰め続けている。
 そんな強い凝視に、フェイトは不思議と不快感も何も覚えなかった。

「――どうして、私を連れ出したの――?」
「……何でだろうね。私にも分からない」

 困ったような笑みを作ったフェイトは、曖昧な言葉を返した。
 どうして彼女を連れ出したのか。
 助けに来てくれたクロノに背を向けるような事をしたのか。
 フェイト自身も分からない。執務官としての意思よりも、直感めいた何かが身体を突き動かしていたのは確かだ。
 デスティニーの凝視は観察に移り、初めて遭遇する未知の生物でも見るかのようにフェイトを見詰める。
 その時、微かな微かな電子音が鳴った。

『フェイト。聞こえているか、フェイト』

 デスティニーが身を硬くする。水晶体が激しく回転し、警戒心を剥き出しにした。
 待機形態のバルディッシュが強制受信したクロノからの通信だった。

『君が連れ去った少女は、恐らく対魔導師用殺傷兵器型のロストロギアだ。……何を考えてるんだ?』

 厳かだが、硬い声。
 フェイトは迷った。答えるべきか否か。だが、仮に答えるとしたら何をどう言えばいいのだろう。自分の行動が自分自身でも、未だに明確に理解出来ていないというのに。
 バルディッシュは明滅を繰り返して、クロノの呼びかけを発している。時間の経過と共にデスティニーの警戒心は強さを増して行った。

『艦長にはまだ報告はしていない。今ならまだ不問にも出来るんだ。……フェイト、戻って来てくれ』

 最後の一言だけが硬くはなかった。それは懇願にも似ていた。
 その声がどれだけフェイトの心を揺さぶったか分からない。多くの魔導師を殺害した捜査対象を突発的に連れ去ったのだ。彼の心配は容易に想像出来た。
 それでも、フェイトは首肯出来なかった。

「ごめん、クロノ。少しだけでいいんだ、時間を頂戴」
『……いつまでも誤魔化せないぞ?』
「うん、分かってる。だから少しだけ……時間を下さい」

 あの時、執務官としての自分を叩き伏せた直感。それを理解するまで、フェイトはデスティニーの側を離れるつもりは無かった。
 離れれば、きっと後悔すると思ったから。何に対して後悔するのか、それすらも分からなかった。これもまた直感と呼べる感覚が起こした気持ちなのかもしれない。

『……三時間だ』

 十秒ほどの沈黙の後。憮然とした声でクロノが言った。

『それ以上は僕も母さんを誤魔化せない。稼動中の対策本部だって黙っていないだろう。三時間経って戻って来なかったら、無理矢理にでも連れ戻す。分かったな?』
「うん。……ありがとう、クロノ。ごめんね、無茶な我侭言って」
『ああ、代わりにクリスマスには我侭は何も聞かないからな。プレゼントも無しだ』

 あれだけ硬かった声音がふっと砕ける。

「え。ク、クロノ。それはあの……」
「冗談だ。……いくらでも聞いてやるから、ちゃんと戻って来い。腕の怪我は痛むか?』
「ちょ、ちょっとだけ。でも大丈夫だよ。止血もしたし、傷は塞いだから」
『ならいいが。警戒だけは怠るなよ……?』

 労わるような声を最後に、通信受信を示す駆動光が消える。

「帰ったら大目玉だなぁ、これ」

 他人事のように呟くと、デスティニーが問うた。

「――大目玉――?」
「うん。今のクロノ、本当に怒ってたから」

 何よりもフェイトの身を案じている証拠だった。不謹慎な事だったが、渋面を作って落ち着きを無くしているクロノが脳裏に浮かんでしまって、苦笑を堪え切れなかった。
 胸の内をくすぐられるような感覚。嬉しくて、フェイトは毛布の中で背中を丸めた。

「――クロノ、誰――?」
「私の大切な人だよ」
「――大切な、人――?」
「うん。それから、大好きな人」
「――大好きな人――」

 デスティニーが下を向く。フェイトの言葉を反芻し、吟味するかのように。
 そんな『人間くさい動作』が、フェイトの眼には酷く違和感のある光景に映った。あれだけ徹底して感情を廃していたはずなのに、どうしてこの言葉に反応したのだろうか。

「――大好きな人ってなに――?」
「え……」
「――大切な人ってなに――?」

 戸惑いが一気に膨らむ。顔を上げたデスティニーの人工の瞳が、静かに、そして射抜くようにフェイトを見据える。
 薪が割れる音が大きく響いた。

「海より深く愛し、その幸福を守りたいと思う者、かな。これは受け売りなんだけどね」
「――海より深く愛し、その幸福を守りたいと思う者――?」
「ずっと一緒に居たいと思う人。ずっと守りたいと思う人。他にも沢山の言い方はあるけど……」

 見上げた素朴な樹の天井には、フェイトとデスティニーの影が暖炉の火に揺られている。

「一緒に居たら、それだけで幸せな気持ちになれる人だよ」
「――クロノが、フェイトを幸せにしてくれる人――?」

 どきりと胸が高鳴る。確かにこのまま順調に行けばそうなる。いや、もうそうなる約束だってしているようなものなのだ。
 冷たくなっていた顔に真夏の暑さを感じたフェイトは、誤魔化すようにしどろもどろになる。

「え、う、うん。……そうだと……いいなぁ……」
「――フェイトは幸せ――?」
「……幸せ……だね。うん、とっても幸せ」

 その言葉に嘘偽りは何も無い。事件で辛い事や悲しい事と何度も直面しているが、フェイトは今を楽しく元気に過ごして、幸せに生きている。

 大切な人クロノがすぐ側に居てくれるから。

 質問に答えたというのに、デスティニーは何の反応も起こさなかった。形の良い眉も白い頬も一切動かない。それなのに、フェイトは機械少女の横顔に些細な 変化を見つけた。

「――羨ましい――」
「……羨ましいって……」

 茫然とするフェイトに顔を向けて、デスティニーは続けた。その表情は無感情なままだった。

「――私はフェイトが羨ましい。大切な人と一緒に居れるフェイトが羨ましい――」

 間近で見えた紅い人工の瞳が、工場の一幕と重なり、二年前の自分を強烈に思い出させる。同時に郷愁のような懐かしさが胸を支配した。
 大好きなヒトに拒絶され、現実から眼を背け、暖かい思い出に縋り、それでも尚、彼を欲していた時。
 あの時のフェイトの瞳と、デスティニーの人工の瞳は、完璧なまでに瓜二つだった。

「デスティニーにも……居るの?」
「――居る――」

 僅かに気負いする声音。

「――守りたいって思った人は居る。でも――」
「……でも……?」
「――居ない――」
「居ないって……」

 予想の出来なかった告白に、フェイトはオウム返しをするしかなかった。
 すると、デスティニーはゆっくりと表情を変えた。ほとんど使わない顔の人工筋肉を苦労して動かしたような稚拙な変化だったが、彼女は確実に感情を吐露した。
 作られた表情は――悲哀。

「――どこを探しても居ないの――」

 迷子の子供が親を探す時のような呟き。

「居なくなっちゃったの……?」
「――だから私は探してる――」
「……魔導師を襲ってるのは、大切な人と何か関係があるの……?」
「――それは私のプログラム。私の意志には関係無い。今は腕部破損の影響で一部機能にフリーズが起こっているからプログラムは停止中。だけど、再起動したらフェイトを 襲うと予想――」

 フェイトは小さく安堵して、密かに張り詰めていた緊張の糸を切った。襲う気配を見せないものの、デスティニーは二桁に近い魔導師を殺害している。 そんな少女を側にして、喩えそれが気を惹き付ける対象であったとしても、安心して警戒を解くような真似は出来なかった。

「どれくらい探してるの……?」
「――彼が居なくなってから三十年が経過してる――」
「三十年って……」
「――十二の次元世界を捜索しているけど、見つからない――」

 途方もない話だった。この機械少女は三十年も大切な人を探し求めて次元世界を当ても無く放浪していたというのか。
 健気な子だなと、フェイトは思う。そして、その悲哀さがどうして懐かしく思えたのか分かった。
 同じなのだ。二年前のあの時、拒絶されても、それでも大切な人を――クロノを求めた時の自分。あの時にフェイトを支配していた感情と、デスティニーの瞳のそれは 何も変わらない。
 対魔導師用の殺傷兵器として魔導師を殺しながら、大切な人を探し歩く。
 この子は純粋だ。雪のようにという比喩は、何もその感情の乏しさや血を巡らせていない身体を表すだけの言葉ではない。想いも、行動も、雪のように真っ白で 純粋だった。
 凄惨で陰鬱とした鉄の少女。それがデスティニーなのだ。

「見つかりそう?」
「――分からないけど、見つける。でも、現在の破損状況は中破レベルに到達してる。一度、帰投する必要性がある――」

 デスティニーの身体には、クロノに破壊された腕以外にも細かな破損が見え隠れしていた。薄汚れた服の隙間からは、剥離した人工皮膚を覗く事が出来る。その下には 複雑且つ有機的な駆動機構があった。

「……ごめんね」
「――謝罪の必要は無い。私が襲ったんだから――」

 デスティニーが人を殺めているのは事実であるし、それは許される事ではない。喩え大切な人を探しているだけだとしても、機械として純粋にプログラムに従っているだ けだとしても、決して正当化は出来ない現実だ。
 フェイトの行動は正当防衛だが、どうしても罪の意識を拭えなかった。修理が必要な以上、大切な人を探す旅は一度足踏みをしなければいけないのだ。それがどれだけもどかしい事か、 フェイトは身を持って知っている。

「デスティニー。君の修理が出来る場所はどこ?」
「――どうしてそんな事を訊くの――?」
「私が連れて行ってあげる」

 フェイトは毛布を綺麗に折り畳み、元の場所に戻す。バルディッシュをデバイスフォームで展開して、転移魔法の術式を構築した。
 クロノから与えられた時間で出来る事は恐ろしく限られているが、その中で、この子に出来る限りの事をしてあげたかった。喩え独り善がりであっても、同じ気持 ちを一度味わった者として、フェイトは彼女に何かをしてあげたかった。

「――いいの――?」

 そう問う幼い少女に、フェイトは破顔する。

「遠慮なんてしないで。長くは一緒に居てあげられないけど……君の気持ちは、少しだけど分かるから。お手伝いさせて。ね?」

 デスティニーは差し伸べられたフェイトの手をじっと凝視して、残されていたもう片方の手で伸ばした。
 フェイトは冷たい機械の手を握り締める。

「行こう」

 小さな山小屋の床一面に金色の魔法陣が走る。魔力の粒子に包まれた二人は、次の瞬間に転移した。
 風が吹き、埃っぽい毛布と小さな火となった暖炉だけが残された。





 continues.





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