魔法少女リリカルなのは クリスマスSS

You look like me

中編







 ――五十年前。






 その『世界』の軍事力は隣接する次元世界の追随を許さなかった。
 肥大化する軍部が政府とすり代わり、不足した資源を巡って近隣の次元世界に軍を派遣するようになった。度重なる時空管理局からの警告も跳ね除けたその『世界』は、 もはや狂犬と言っても差し支えが無かった。
 そんな『世界』が、ある日、大した軍事力も持たない世界に敗北した。
 惨敗だった。
 『世界』は騒然となり、惨めな敗北の煮え湯を飲ませた次元世界に激しい敵対心を燃やす。
 ミッドチルダ。魔法と呼ばれる現象を操作する魔導師が住まう近代世界。
 数も装備も、『世界』はミッドを圧倒的していた。にも関わらず、戦争は連戦連敗を重ね続ける。軍の半数以上の施設が壊滅し、兵は疲弊し、士気は向上する兆しを一 向に見せない。国家そのものが覇気を失いつつあった。
 そんな中、ミッドの魔導師に対抗する機動歩兵の設計が始まる。それは軍の威信と再起を賭けた国家プロジェクトだった。
 そうして完成したのが、自律行動を行う少女を模した兵器――デスティニーだった。
 駆動炉として内蔵された小型の魔力炉は、破壊したミッドの巡航艦船の動力炉を参考に設計されたもので、その出力は、現存する『世界』の如何なる動力炉も 及ばない。ミッドから得られた魔導の知識は徹底的に解析され、優れた科学力の下で分析。数年という短期間で人工リンカーコア開発まで到達している。
 爆発的な大出力を左の小さな胸に仕舞った少女は、雪が降る寒い夜に目覚めた。






 モーターが小刻みに駆動して、人工水晶体の画像解析度をコンマ単位で微調整する。虚ろになったり明瞭になったりを繰り返す視界は、そうやってピントを合わせた。

「デスティニー」

 稼動を開始した高感度聴覚センサーが人間の肉声を広う。速やかに解析されたその声は、二十代前半の若い男性のものだった。
 視界に男の顔が映り込む。細面で気弱そうだが、優しげな顔立ち。デスティニーの白紙の記憶集積回路に一番最初に登録された情報は、この男性の顔と声だった。

「気分はどうかな?」

 自律判断を行うAIが立て続けに言葉を処理する。気分とは心の状態を示す言葉である。生まれたばかりの自分にそれを問う意図が見えない。無意味で無駄な質問だ。

「――分かりません――」

 素直に言った。
 男性は柔らかな笑みを絶やさず、上半身を起こそうとするデスティニーを助ける。

「バランサーの微調整をしてくれ。私が支える」

 姿勢制御用プログラムが一斉に駆動する。頭部に備わっている対物レーダーを使用して、空間を三次元的に解析。ここがどのような部屋なのかを数瞬で把握する。
 ここは研究室の一角だった。

「――ありがとうございます――」
「なに。親が子を助けるのは当たり前の勤めだよ」
「――親――?」

 親。親とは繁殖する生物が用いる言葉だ。機械であるデスティニーに用いるのは不適切である。
 デスティニーが否定をしようとすると、男性が言った。

「私が君を作った。だから、私は君の親という事になる。君が機械であろうと関係無い。分かるかな?」

 分からない。造られる存在が機械だ。生物の子や卵を産む者が親と呼ばれる権利が与えられる。自分を造った者は親ではなく、開発者、設計者、それに類ずる言葉で 言い表されるのが正しいはずだった。
 自我があるだけで知識の無いデスティニーの人工頭脳は早くも混乱した。
 男性は苦慮する彼女を見て、可笑しそうに眉を動かす。

「僕は――。宜しく頼むよ」

 混乱していたせいか、握手を求める男性の名前だけが記憶に残らなかった。






 戦争をするのがデスティニーの日常であり、敵対反応を示す人間を殺すのがデスティニーの仕事だった。
 戦線の維持すら困難を極めるようになってしまった『世界』を敵対世界ミッドから救う為、何より、彼らを打倒する為、デスティニーは 人工リンカーコアと魔力炉を駆使し、高出力の魔法を行使し、魔導師との戦闘に明け暮れた。
 それが造られた目的だったのだ。装備された自律思考回路は何の疑問も持たなかった。提示された作戦の有効性や意味に強い疑問を持ち、意義を唱える事は何度も あったが、その意見が通る事は無かった。デスティニーを兵器として運用する軍は、彼女をあくまでも『強力無比の機動歩兵』と認識し、戦場に導いた。
 多くの仲間達――人工リンカーコアを備えた簡易機動歩兵――と共に戦場に向かうデスティニーを、あの男性はいつも硬い視線で見送っていた。
 一度だけ興味が惹かれたデスティニーは、無遠慮に彼に訊ねた。

「――何故そんな顔をするのですか――?」
「え……?」
「――あなたが悲しむ意味が分かりません。私はあなた達を勝利させる為に戦っています。崩れていた戦況も徐々にですが立て直されています。あなたは嬉しいはずです。 どうして悲しむのですか――?」

 目覚めた時の彼の言葉が正しければ、『親』としても、彼は『子』であるデスティニーの活躍を喜ばなければならないはずだ。

「デスティニー」

 男性は力強くデスティニーを抱き締めた。全身の人工皮膚に内蔵された数兆という感覚センサーが彼の三十六度前後の平均体温を感知して、情報として人工知能に 送信する。
 異性の暖かな抱擁は、しかし、機械の少女に何の反応も起こさせなかった。抱き締めるという行動の意味が分からず、デスティニーは滅多に動かさない頬の人工 筋肉を微細に動かし、怪訝顔を作った。

「――何をしているのですか――?」
「君の言う事は正しい。おかしいのは私だ」
「――でしたら、そのような顔はされないようにお願い致します。兵達の士気に影響を及ぼす危険性のある行動は自重して下さい――」
「ああ。そうするよ」

 言った側から、男性は寂しげに笑った。
 その時、デスティニーは初めて怒りという感情を持った。人工知能が解析不能の衝動を感知して、戸惑いからエラーを連発する。腹部に内蔵された予備コンデンサが 意味不明の誤作動を起こす。機体各所に送電している電力の量が増減を繰り返した。自己診断プログラムが働き、それら原因が分からない誤作動を一斉に解決する。
 そんなデスティニーの人知れない苦労を知らない男性は、頭をわしゃわしゃと掻きながらデスティニーを解放した。

「そろそろ時間だな。デスティニー、怪我には注意してくれ」
「――了解しました――」

 いつになく素っ気無い声で答えたデスティニーは静かに背を向ける。
 今は一刻も早くこの男性から離れたかった。初めて感じた怒りは苛立ちへと姿を変えて、血が流れていない高分子素材と複合装甲の集合体であるデスティニーの 身体を熱くする。
 研究所の白い通路を黙然と歩いて行く機械少女を、男性は手を振って見送る。力の無い薄弱とした動きだった。
 それから数時間後、デスティニーは姉妹とも言える機動歩兵達と共に数十人規模のミッドの魔導師部隊と激突し、連絡を断つ。






 右腕部中破。第二関節以降消失。火災発生の危険性有り。エネルギーバイパス回路切断。電力遮断後、過剰電力を予備コンデンサに貯蔵。
 右脚部全壊。反応皆無。大腿部から強制排除を実施。ダメージコントロール。残部誤作動、及び誘爆の危険性はゼロ。
 胸部、腹部、左大腿部、左肩部に深刻な損傷発生中。十時間以内に適切な修繕作業が必要。主魔力炉出力低下。予備コンデンサ駆動開始。
 頭部第二メインセンサー大破。中枢部に損傷の危険性有り。現在自己判断プログラムを起動中。バックアップデータの保存を最優先。
 優れた人工知能の処理能力をもってしても、濁流のように押し寄せるダメージ報告に対応出来なかった。
 いつもの研究室に運び込まれたデスティニーは、五体満足と言える身体ではなかった。
 右半身にAAAクラスの砲撃魔法の直撃を受けたのだ。あらゆる方向から放たれた集中砲火に対して、搭載されている回避アルゴリズムが対処し切れなかった。 それが致命傷となり、後はハイエナに襲われる手負いの草食獣のように蹂躙された。破壊されなかったのは、姉妹達機動歩兵の功績である。彼らが身を呈して 救出してくれなければ、デスティニーは高価な残骸となって戦場に転がっていただろう。

「デスティニーッ!」

 精度を落としている聴覚センサーが震えた声を拾う。『親』――まだ名前を記憶出来ていない、あの男性だった。
 首を捻ると、無事な左眼がこちらを覗き込んでいる男性の顔を映した。
 情けない顔だった。真っ青で唇は震え、眼に見えて狼狽している。

「人工知能の破損状況は!?」

 そんな表情とは打って変わって、部下に飛ばす指示は荒々しかった。研究室に緊迫した怒鳴り合いが飛び交う。

「低レベルですが発生しています! バックアップデータの吸い上げは可能です、やりますか!?」
「そんなものは後にしろ! 低レベルなら問題無い! それよりも人工知能のそのものの保護を優先しろ!」
「わ、分かりました!」
「人工リンカーコアと動力炉は!?」
「問題はありませんが、フレームそのものに相当な過負荷があります! 検査が必要です!」
「すぐに準備しろ!」

 視界が乱れる。右眼が全壊して、左眼にも支障が出ている。時期に視覚は完全に機能停止するだろう。
 そんな中で、デスティニーは必死になって自分を救おうとしている男性を見詰めていた。
 何故か眼が離せなかった。出撃前に感じた怒りは湧いてはこない。
 彼は『親』として、『子』である自分を助けようとしている。生物学的に見てそれは正しい。生物が種族繁栄を考慮して次世代を守ろうとするのは生存本能が起こす 自然な現象だ。
 だが、男性は口頭で自らを『親』と呼び、デスティニーを『子』としていたに過ぎない。本来の関係は、設計した者とされた者だ。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
 なら、どうして血の気を引き、死に物狂いになって自分を助けようとしているのだろう。
 男性は肩を震わせ、呼吸を荒げていた。眼には涙さえ浮かんでいる。

「――毅然として下さい――」

 澄んでいたはずの声は、破壊の衝撃のせいで掠れてしまっていた。
 男性が息継ぎを忘れて振り向く。震えていた唇を引き締めて、彼は無理矢理笑った。

「私は技術者である前に人間だ。大切な子が怪我をしてるのに冷静でなんて居られない」
「――大切な子――?」
「君だ、デスティニー」

 男性が言った。躊躇うような僅かな間があった。
 大切な子。それはそうだ。自分は『世界』が沽券を賭けて設計、開発した対ミッドチルダ用の機動歩兵だ。代用機が幾らでも存在する姉妹型の機動歩兵とは戦術的 重要性が違う。
 そんな当たり前の事実を、しかし、デスティニーはそう思考する度に胸に穴が空くような不思議な違和感に襲われた。破損による誤作動かと思ったが、そうではない。 自己判断プログラムにそうしたエラーは引っ掛からなかった。
 この気持ちは何だ。この感情の流れは何だ。自律行動を行う為に備えられた自我と意思が激しく狼狽して、破損で不具合を起こしている人工知能に恐ろしい過負荷を 与えて行く。

「チーフ! 人工知能に異常が……!」

 悲鳴のような報告。男性は苦しげに舌打ちをすると、囁くように言った。

「デスティニー、済まないが電源を一度落とす」

 待って。その前に、この処理出来ない感情を教えて。この違和感の正体を教えて。
 そう言おうとした時、デスティニーの主電源は強制的に落とされた。






 次に電源が入った時は、あれから一ヶ月以上が過ぎていた。
 再起動を果たした人工知能は無線ネットワークに接続。現在の戦況把握を行おうとするが、

「おはよう、デスティニー。気分はどうだい?」

 初起動の時と同じ言葉を言って、男性がこちらの顔を覗き込んでいた。
 無線ネットワーク接続が即座に中断される。理性とも言うべき人工知能が山のような警告を発するが、すべて無視した。
 自我と意思と感情が機械の身体を突き動かす。

「――質問があります――」
「何だい?」

 男性は一ヶ月前の情けない姿など全く感じさせない漂々とした態度だった。浮かべられている柔和な笑みがデスティニーの感情に波を立てる。

「――私が大切だというのは、一体どういう意味ですか――?」

 彼はキョトンとして、それから言った。

「大切である事に意味なんて無いよ。大切だから、大切なんだ」
「――では質問を変えます――」

 再び胸に違和感が込み上げる。これから口にする事柄に対する男性の返答に、大きな不安と小さな期待を抱く。

「――唯一無二の機動歩兵として、あなたは私が大切なのですか――?」

 驚く事に、デスティニーの声は震えていた。その原因はどれだけ追求しても出て来なかった。
 男性は眼を瞬かせると、腰に手をやり、困ったように溜め息をつく。

「君の人工知能は優秀なはずだ。僕が前に言った言葉を忘れるはずがない」
「――答えて下さい――」

 知っている。膨大過ぎる記憶集積回路の中に確かに残されている。
 でも、今は彼の口から直接その答えを聞きたかった。自分でも制御し切れない感情の流れが、目覚めたばかりのデスティニーを支配していた。

「答えは前と変わらないよ」
「――はい――」
「僕は『親』で、君は『子』。子を心配しない親なんて居ないよ」

 奇妙な思いが胸いっぱいに広がった。新品同様に修繕された各稼動機構のせいではない。それは明らかに感情が成している現象だった。

「――では、兵器として私を大切にする訳ではないのですか――?」

 恐ろしさを感じながら問う。一ヶ月前の破壊される寸前まで追い詰められた戦闘でも一切感じなかったのに。

「それもあるかもしれないけど、ちっぽけだよ。むしろそれは……」

 男性は言葉を詰まらせると、苛立つようにかぶりを振った。

「何でもない。君に言うと、また士気がどうのこうのって言われそうだから止める」
「――言って下さい。気になります――」
「駄目だ。絶対に言わない」
「――言って下さい。上層部に直訴します。私の開発主任の精神状態がおかしいと報告します――」
「ひ、酷いな君は。僕の精神状態は極めて良好だぞ?」
「――では何故頬を赤めるのですか? 兵達を不安にさせる恐れがあります。今すぐ改善して下さい――」
「結局そう言われる訳か、私は」

 男性が笑う。穏やかな笑みだった。
 どういう訳か、動力炉の駆動率が一瞬だけ跳ね上がった。暴走すら射程圏内に入る恐ろしい急上昇だった。
 先ほどの正体不明の感情といい、今の誤作動といい、どうやら自分はまだ本調子に戻っていないようだ。そう結論づけたデスティニーは眠ろうとする。すべてのシステム を休眠させ、各稼動プロセスを緩やかなものにする。

「――眠ります。私はまだ本格起動を行える状態ではありません――」
「そうか。なら眠るといい」

 男性が額に触れる。いつかのように感覚センサーが人肌を感知して、その温度を人工知能に伝える。
 眠りに落ちるまでの速度が加速度を付けて早まった。驚くべき速度で各システムが休眠状態に没入して行く。
 分からない。一体どういう事だ。分からない。分からない。分からない――。
 男性が離れて行く。遠ざかる靴音が、デスティニーに未知の感情を与えた。
 それは――寂しさ。
 その瞬間、今までの誤作動や違和感が何を示すものだったかが分かってしまった。
 兵器としてこの人に見られるのが怖かった。
 『子』として、大切な人として見られている事実が嬉しく、安堵出来た。
 その微笑に単純に見惚れてしまった。
 自我と意思が生み出す感情の波が、分かり易い言葉としてデスティニーの人工知能に収められて行く。それはもはや情報ではなかった。

「――あの――」

 呼ぼうとしても名前が出て来なかった。悔しくて情けなかったが、今更聞く事は憚られた。
 首を捻り、扉の前で立ち止まっている男性を見遣る。

「どうした?」
「――何でもありません――」
「そうか。ゆっくり休んでくれ。次に起きた時は……そうだな、食事でもしようか」
「――私の魔力炉は恒久的稼動が約束されています。食物摂取に意味は無く、そうした機能も搭載されていません――」

 彼の誘いをそんな機械的理由で拒否する自分が酷く空しく、寂しかった。
 それでも、男性は苦笑していた。

「そうだな。じゃあ、食事は抜きにして何か話そうか。それならいいかな?」
「――時間があれば問題無いでしょう――」
「ならそうしよう。……お休み、デスティニー」

 室内の電灯が消される。彼が出て行く物音がした。
 デスティニーは眼を閉じ、稼動熱とはまた違った温かみを胸に覚えて、ゆっくりとシステムの休眠作業を進めた。






 四季はすぐに巡った。
 デスティニーと彼女の姉妹型機動歩兵の参戦が、『世界』とミッドの勢力圏図を大きく塗り替え、『世界』はイニシアチブを取り戻した。二つの次元世界は 戦力的拮抗を保ち、戦線は徐々に停滞して行く。
 デスティニーは転移魔法を駆使して数多の戦場を駆け、三桁近くのミッドの魔導師を打倒した。その度に破損したが、『彼』の献身的な修復作業ですぐ様戦線復帰し、 友軍を救い続けた。
 秋が終わりを告げようとしていた頃。二度目の冬が間近に迫っている季節。
 デスティニーと『彼』の関係は、もう設計した者とされた者ではなかった。
 だが、かと言って『親』と『子』でもない。
 デスティニーの開発スタッフ達は、二人の微妙な関係に気付いていた。
 戦線を維持し、『世界』を救う為に必要な機動歩兵として開発されたデスティニー。自我と意思を持つ彼女を労わるのは、開発主任として当然と言える行為かもしれないが、 それが少々度が過ぎた場合、問題はどうしても起こる。
 『親』と『子』ではなく、『男性』と『女性』として、二人は接していた。
 どちらからという訳ではない。気付けばそうなっていた。
 『彼』は暇さえあれば、研究室のベッドでシステム休眠を行っているデスティニーの側につき、他愛も無い話に花を咲かせていた。
 デスティニーは兵達に示しがつかないと言って叱咤するものの、邪険には扱わず、むしろ男性との会話を楽しんでいるようでさえあった。
 デスティニーが生身の少女ならば、それは心温まる光景なのかもしれない。だが、彼女はすでに三桁近い魔導師を殺した戦闘兵器だ。自我と持とうが意思があろうが、 拙く不器用とは言え、人間と同じように感情を操ろうが、所詮は高価な金属の集合体だ。幸せになる事なんて有り得ない。
 一部のスタッフは『彼』を変質者呼ばわりするようになった。
 それを訊いたデスティニーは密かに激怒したが、男性は肩を竦めるばかりだった。

「――質問をしてもいいですか――?」

 ある日の朝。調整に訪れた『彼』に訊いた。

「ああ、もちろん」
「――あなたは悔しくないのですか――?」
「何が?」
「――部下に変質者と言われている現状がです――」

 彼は『ああ』と答えると、肌蹴ているデスティニーの背中に手を添えた。設置されている小型パネルを操作して、メンテナンス用ハッチを開放する。

「僕は気にしていない」
「――私が気にしています。今すぐあの部下達を更迭させるべきです――」
「何だか攻撃的だね」
「――あなた方が発する不穏な空気が私のメンテナンスや修復状況に悪影響を及ぼしています。これは合理的な判断です――」

 そう言いながら、デスティニーは内心ではっきりと口に出来ない自分に焦燥心を覚えた。何故もっと素直に『大切な人が変質者呼ばわりされるのが嫌だ』と言えないのだろうか。

「それは確かに拙いかな。でも、彼らの代わりを務められる者はそう居ない。残念だが、君の期待に添えられそうにないよ」
「――そうですか。それならば我慢しましょう――」
「済まない」
「――いいえ。私は大切なヒトが居てくれれば、それで構いませんから――」

 肩に置かれている大きな手に指を伸ばして、ゆっくりと絡める。血の気の無い機械の指が温かな人の指と触れ合う。
 『彼』は不思議そうに言った。

「大切なヒト……?」
「――あなたです。いけませんか――?」

 男性が背後に居る為、その表情までは見て取れない。
 短い沈黙。時間にしてみれば五秒程度。その間に、デスティニーは背後で何度も人が動く気配を感じた。

「――どうかされましたか――?」
「……いや、嬉しいな。ありがとう」
「――いえ――」
「そういえば、君はずっと僕の名前を呼んでくれないね。どうして?」

 動力炉が跳ね上がるような気分だった。もちろんそれは錯覚で、ここ数ヶ月で熟成した自我と意思が顕す激しい感情がその正体である。

「――どうしてでしょうね――」
「秘密か?」
「――ええ――」

 曖昧にはぐらかしたデスティニーは顔を伏せる。『彼』の名前を未だに知らないなど、口が裂けても言えない事実だ。
 初起動から一年近くが経とうとしているのに、デスティニーは男性の名を知らないままだった。『彼』の名が研究室で飛び交う度に、デスティニーの集積回路に バグのようなものが発生して、記憶する事を阻害しているのだ。
 話しても良かったのだが、そうすれば『彼』はきっと寂しそうにするだろう。そんな表情なんて見たくなかった。
 会話はそれ以上無く、調整作業が発する微かな物音だけが研究室を支配した。






 二度目の冬が訪れた。戦争は相変わらず膠着状態の様相を呈し、『世界』もミッドも互いに攻めあぐねた。
 『世界』の政府は状況打破を目的とした何かを準備しているようだったが、あくまでも機動歩兵という位置付けのデスティニーにそれを知る権利は無かった。
 そんな時だ。何時からか、『彼』が不穏な行動を執るようになった。
 どこかの遠隔地と連絡を取り合っているようだったが、デスティニーにもそれ以上の事は分からなかった。
 何度も訊ねようとしたが、男性を困らせる事になると思ったので止めた。
 そして雪が降り始めたその日。

「デスティニー。今から君の主電源を落とす」

 何時に無く深刻そうな顔をして、彼が言った。

「――本格的なメンテナンスが必要になるほど、私は不調ではありませんが――」
「メンテナンスの為じゃないんだ。秘匿性の高い任務でね、現場に到着してから再起動させる事になる」
「――しかし、それでは有事に対して対処出来ません。上層部の指示ですか――?」
「ああ、そうだ」

 間髪入れずに答える男性は、明らかにいつもと違っていた。
 焦っている。『彼』は身を硬くしてしまうほどの強い焦燥心を心のどこかに宿して、それを表に出さないように必死になって努力している。
 上層部の命令だというのも嘘かもしれない。デスティニーがそう勘ぐっていると、『彼』がゆっくりと近付いて来た。電源を落とすつもりだろう。

「――あの――」

 無遠慮に伸びたその腕は、電源関係が備わっている首筋には行かず、背中に回り、優しくデスティニーを抱き寄せた。
 穏やかな抱擁だった。硬く冷たい少女の身体と、柔らかくて暖かい男性が重なる。
 疑念と警戒に満たされたデスティニーの思考は一発で麻痺した。

「―――」

 身体を循環しているオイルと人工リンカーコアが生成した魔力素が一斉に逆流を起こす。過剰稼動を起こした思考回路が意味不明の言葉の羅列を高速で並べ立て始めた。
 初めて聞くヒトの心音は、トクントクンと一定のリズムを刻み、デスティニーには無い生命の営みを音で伝えて来る。有り得ない事だが、この時彼女は自分も人間である ような錯覚を覚えた。

「私は……もう耐えられない」

 懺悔をするように、『彼』が言った。研究室には他に誰も居なかった。

「傷付いて、壊れる所を……兵器として使われる君を……私はもう見たくはない……!」

 熱い雫が頬に落ちて弾けた。それは次々に落ちて来る。
 それが涙であると、デスティニーは『彼』を見上げて知った。
 何故泣いているのか。
 どうしてそんな哀しい顔をしているのか。
 デスティニーはそれが分からず、ありのままの現実を口にした。心の奥底で、その事実を否定したいと願いながら。

「――私は……兵器です。兵器である以上、戦う事が私の存在理由。この『世界』を守る事が、私が――」

 言葉が止まる。現実を否定したいと願った自我と意思がそうさせたのだ。
 本当にそうか?
 戦う事が自分の存在理由なのか?
 この世界を守る事が自分の存在理由なのか?
 ――違う!

「――私の存在理由は――理由は――!」

 語尾が荒くなる。
 感情が今までにないぐらいに氾濫していた。圧倒的な処理速度と容量を誇る集積回路が生まれた時のような白紙になる。錯覚だったが、デスティニーはそう感じて しまうほどに必死だった。
 顔をくしゃくしゃにしている『彼』は、寂しそうに、嬉しそうに、とても複雑な笑みを浮かべて、

「その続きは君が次に眼を覚ました時に聞かせて欲しい」

 バチンという無造作な音が響く。
 視界は一瞬にしてブラックアウトした。






 メインシステム起動。
 胸部主魔力炉動作確認。
 オペレーティングシステム正常稼動確認。
 全関節ロック解除。
 人工水晶体自動調整。

「――ここ、は――」

 そこは見知らぬ空間だった。電源が切られる前に居た、あの研究室ではない。
 野営地の簡易居住区のような室内だった。コンソールやスクリーンディスプレイ等の端末が設けられているが、どれも簡素なものだ。『彼』の研究室の足元にも及ばない。
 情報収集は数秒で終わった。コンソールの形式から、ここは『世界』側の施設ではなく、ミッド側のものである事が分かった。
 デスティニーは注意深く周囲を警戒して、生体センサーを駆動させる。
 だが、何の反応も返って来ない。周囲五キロ圏内に人間と思われる熱源反応は無かった。

「―――」

 攻撃魔法の術式を構築するデスティニー。暗闇に最適化された人工水晶体は、周囲に自分以外の誰も居ない事を知りながら周囲を警戒し続けている。
 心細かった。
 恐れなど抱くはずがない対魔導師用の殺傷兵器の少女は、肩の構成材が微かに揺れているのに気付いた。
 震えているのだ。
 どうしてだ。自問自答する。震えるという行為は幾つかの現象を引鉄に発生する。一体何だ。そもそも、私に震えるという機能なんてあったのか?
 恐ろしくなった。
 何だ。何に対して私は戦慄している。何だ――!?
 不意にデスティニーは室内を見渡した。

「――居ない――」

 居ない。そう、誰も居ない。

 『彼』も居ない。

 デスティニーは弾かれたように動いた。床材を破壊する勢いで蹴り、扉を殴り倒して外に出る。
 眼の前には急造の階段があった。もどかしさがデスティニーに飛行魔法を行使させる。
 階段は非常階段だったようだ。上っても上って上が見えない。
 感覚センサーと外部情報を収集する広域レーダーが、外部気温が恐ろしく低い事を知らせた。
 氷点下四十五度。人間が住める気温ではない。
 おぞましい感覚が首筋を襲う。あの時、電源を切られる直前、『彼』に触れられた箇所が異常に冷たくなっていた。
 出口が見えた。鋭い蹴りを叩き込み、外へ。
 踏み締めた大地は――氷と雪だった。
 絶句するデスティニーの眼前には、氷付けにされた世界が広がっていた。
 地平線の奥まで蒼白い。空は分厚い雲に覆われており、深々とした雪を降らせている。
 眼に見える建造物はすべて氷付けだった。
 立ち尽くすデスティニーの人工知能は、自我と意思とは関係なく、現状把握を行う。飛び出して来たミッドの施設の年代査定を行い、天候、地表、その他の外部状況を 可能な限り解析する。

「――二十年後――?」

 あれから。
 『彼』に主電源を落とされてから。
 あの施設に眠ってから。
 二十年ものの刻が経過していた――。

「―――!!!」

 喉の奥から競り上がって来る悲鳴を、デスティニーは堪え切れなかった。
 制御し切れない感情の流れが、衝動的な絶叫を上げさせる。
 自我と意思は蹂躙され、人工知能に強烈な過負荷を与えた。学習されていた感情に関するデータが次々に消失して行く。あらゆる箇所でバグが発生し、自己診断 プログラムでも修復不可能となってしまった。
 それでもデスティニーは甲高い悲鳴を続ける。遠吠えをする狼の如く。






 名前すら分からない大切な人は一体どこに居るのだろう。






 continues.






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