魔法少女リリカルなのは SS

クロノのお見合い

♯.1







 頭痛の種はなかなか消えないものだ。
 使う事が少ない自分の執務室で、ロイドは深い溜め息をついた。
 執務自体は大したものではない。先日行った大規模な人事異動の余波――事務が円滑に進まなかったり、不満の声が上がったり、任務に支障が出たり――の処理だ。 引継ぎ作業や諸々の手続きに問題は無かったはずなのだが、ピラミッド式の組織で唐突な大規模人事異動を行い、不具合が起こらないはずがない。
 これらの解決は上が頑張った所で即解決は無理だ。現場の人間に頑張ってもらうしかない。ロイドの出来る事は、精々現場の最高責任者に負担がかからないように根回し をするくらいだ。
 別にきつい作業ではない。だが、彼は疲労を覚えている。その疲労は気苦労の類であり、孫娘に起因している。
 ロイドは枯れ枝のような手で情報端末のキーボードを操作した。齢七十歳とは思えない慣れた手付きだった。
 三重のパスワードを打ち込んで、然るべき手続きを踏み、メーラーを立ち上げる。受信トレイを選択。受信したメールの中から一つを選んで閲覧する。
 それは、本局直属の陸士武装隊から送られて来たメールだった。

「……ふむ」

 今年で十三歳を迎えた彼の孫娘は、准尉という階級を与えられ、本局直属の陸士武装隊に所属し、代々受け継いで来た優れた魔力資質に磨きをかけている。 これはロイドも望んでいた事であるし、彼女も向上心を忘れずに、喜んで管理局の任務に従事している。頭角もすでに現しており、AAクラスの認定を受けていた。 そう遠くない内にAAAになるかもしれない。
 順風満帆。だが、彼女が出撃すれば問題は常に起こり、その皺寄せが祖父であり責任の大本であるロイドに来ていた。

「困ったものだな、リーンも」

 孫娘のリーン・ロイドの能力に問題がある訳ではない。性格もおだやかだ。人見知りをする方で、人と触れ合う事に臆病である。線も細く、小柄。戦闘魔導師という よりも、か弱いただの少女である。
 一見すれば人畜無害な彼女だが、一度武装隊士官として出動して犯罪者と相対すれば、その雰囲気を豹変させる。戦闘中の彼女を見た人間はまずその評価を変え、 一定の距離を保とうとした。

「仕方がない事なのかもしれんが……ふむ」

 両親を犯罪者に殺害され、犯罪者という人種を憎しみながら育ったのだ。仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。だが、それは無抵抗の人間を再起不能になる まで痛めつけてもいい理由にはならない。
 ロイドは軽い後悔を禁じ得ない。両親を失った孫娘を不憫に思い、甘やかし過ぎた。善悪の区別を最も肝心なところで間違えてしまっている。
 片眼鏡を外して、眉間を軽く揉み解す。
 武装隊からリーンの行動に関して苦情が来るのは、これで十回を超えた。処分に関してはロイドは武装隊の佐官達に一任してある。時空管理局最高責任者の孫で あるからと言って容赦する必要は無い。規定通りの処罰を与えて欲しいとは言ってあったが、リーンに行動の改善は一切見られない。
 本腰を上げて叱るべきなのか。そう考えて、ロイドは首を横に振る。彼女は素直で謙虚だが、芯は強い。自分の考えは曲げないだろう。祖父であり、管理局の最高 責任者の言葉であろうと。
 かと言って、武装隊の上官達の言葉や処罰が効くとも思えない。実際今まで効いていないのだ。
 何か新しい方法が必要だった。今までのように上から言うのではなく、同じ目線に立って、諭すように――。

「……居るではないか」

 闇の書事件から派生してしまった悲しい事件を解決した少年執務官。彼なら、リーンに説く事が出来るのではないか?
 パズルのピースが組み合って行くように、ロイドの頭の中では次々と考えが纏まって行く。
 しかもあれだ。リーンが時々、あの少年執務官の事を話していたではないか。何やら武装隊の臨時教官として招かれ、そこで出会ったそうだ。
 異性はおろか、同性の友達もほとんど居ないリーンが、珍しく誰かの事を話していた為、良く記憶に残っている。
 格好良かっただとか、どうとか。

「決まりだ」

 即断即決。ロイドはさっそく卓上のインターフォンに手を伸ばした。武装隊管理課に連絡を取り、リーンを呼ぶ。さらに続けて、本局内に入っているショッピング モールの管理課に繋いで、写真屋を手配した。
 受話器を電話に戻して、ロイドは外していた片眼鏡をつけた。

「あの少年に管理局を任せるのも、まぁ、悪い事ではないな」

 ウン十年先の事を考えると、自然と頬が緩んだ。死ぬ前に曾孫の顔も見たいし、丁度良い。
 程なくして、リーンと写真屋が到着した。



 ☆



 昼時。当たり前だが、アースラの食堂は賑わいを見せていた。休憩時間を利用して、多くのスタッフ達が食事を摂りに来る。完璧なセルフサービスなので、雰囲気的 には学生食堂とあまり差は無かった。
 いつも不定期に食事を摂るクロノも、今日は珍しく昼時の食堂に来ていた。本当は空いている時を狙っていたのだが、本局から資格試験を終えて戻って来たなのはと フェイト、はやて、さらにエイミィの依頼でアースラに来ていたユーノに捕まってしまい、連行される形で連れて来られてしまったのだ。

「何だかこうやって皆でご飯食べるの久しぶりだね」

 ミートソースのパスタをフォークで掻き混ぜながら、なのはがにこにこと言う。

「そうだね。僕は久しぶりに誰かと一緒に食事するよ」

 なのはと同じメニューを口に運ぶユーノ。

「ユーノはちゃんとご飯食べてるの?」

 フェイトがサンドイッチを飲み込みつつ訊ねる。

「何か会う度に顔色わるしとるような気がするで、ユーノ君は」

 焼き魚定食を慎ましくいただいているのははやてだ。

「まったく、情けない。これくらいの仕事で身体を壊すようじゃ、局員は務まらないぞ」

 辛辣な言葉を告げながら、クロノはきつねうどんをほくほくと喉に流し込んでいる。

「だったらクロノ、もう少し人手を回してよ。こっちだってもう手一杯なんだから……」
「こちらも同じだ。これでも最大限の譲歩をしている。君の能力頼みというのは凄まじく遺憾だが、どこも余裕が無いんだ」
「相変わらずクロノ君はユーノ君にきっついなぁ」
「何でか妙に仲が悪いんだ、二人とも」
「どっちかと言うとクロノ君が噛み付いてる感じやな」

 ひそひそ話を始めるフェイトとはやて。一方、一人平和ななのははのほほんとユーノに提案した。

「ユーノ君。私、次の日曜日が空いてるんだ。よかったらでいいんだけど、お仕事手伝ってもいい?」

 当然だが、この提案を蹴る理由はユーノには無い。諸手を上げて万歳だ。

「もちろん! 頼んでも良いかな、なのは」
「うん!」
「……まぁ、納期日までには頼むぞ」

 ご機嫌なユーノとは対照的に、クロノは凄まじく憮然とした。不機嫌のままに七味唐辛子をうどんに突っ込む。

「あ、クロノ。私も今度の日曜日空いてるんだ」
「クロノ君。私も今度の日曜日ね、空いてるんやけど」

 フェイトとはやての言葉が完璧に重なり合った。ある意味、これ以上無いくらいの完全調和である。
 言葉を打ち切り、二人の少女が顔を見合わせる。
 僅かな沈黙。フェイトとはやての顔には、何故か戦闘中のような表情が浮んでいる。つまり、適度な緊張感と程々の対抗心だ。
 クロノはそんな二人を怪訝に思いながら、ひとまずうどんを片付けるべく、七味唐辛子大量投下で赤くなった汁を啜った。

「クロノ。少し、いいかしら?」

 澄んだ声に誘われて顔を上げれば、リンディと眼が合った。
 クロノは僅かに眉を顰め、うどんが入った御碗をテーブルに戻した。
 母であり上司であるリンディの態度が、何時に無く落ち着きがなかった。視界は安定していないし、何故かクロノとフェイトを交互に見渡して、何かを逡巡して いる。手には食事を持っておらず、薄いファイルを小脇に抱えていた。

「はい、大丈夫です。艦長」

 今は食事休憩中だが、勤務時間内である事に変わりはない。クロノは席を立つと、肩肘を張らない程度に背筋を正し、リンディを傾注した。
 すると、彼女はやんわりと笑顔を作った。

「あ、いいのよクロノ。これは仕事じゃないの」
「……?」

 リンディは持参したファイルを開け、中身を見せるようにクロノに差し出した。似合わないやぶからぼうな態度だ。クロノはますます怪訝顔を濃くする。
 取り合えずファイルを受け取り、中を見てみる。気になるのか、なのは達も横から覗き込んで来た。
 中にはページ一面に拡大された写真が貼り付けられていた。仮想ディスプレイすら実現しているミッドチルダでは、実写真はそれなりに古風だ。もっとも、 紙の書類も未だ現役で、執務机という最前線で頑張っている。実写真の方が良いという人間も多く、廃れる様子はまだ無い。
 写真には女の子が映っていた。背中を覆うほどの豊富な黒髪は艶やかで、清潔なイメージがある。鼻は形も良く、顎は細い。瞳は見事な黒曜石。 特に特徴が無く、絶賛する程ではないものの、充分に綺麗という言葉が似合う少女だった。惜しむべきは表情か。緊張しているのだろう、浮かべた笑みはどこか引き攣 っている。
 クロノはこの少女に見覚えたがあった。実際に一度顔を会わせた事があるし、良い噂と悪い噂、その両方を耳にしている。

「この子はロイド卿の……?」
「ええ。孫娘のリーン・ロイドさんよ」

 クロノとリンディの口から出た人名に、さすがになのは達も理解出来たのか、眼を瞬かせて写真を凝視した。
 インヘルト・ロイド。七十歳にして時空管理局最高責任者の座を守り続けている片眼鏡の老人だ。クロノは元より、提督職にあるリンディやレティから見ても 雲の上のような人物である。ロイド自身、あまり表舞台に立つ事も無く、存在自体名前でしか知らないという新人局員は多い。昼行灯等という陰口も一部からは 叩かれており、週一で本局で行われている総合会議に出席している以外、執務らしい執務は一切していないのが事実だ。だが、その影響力は未だ健在である。数 週間前に起こった八神はやて殺害未遂事件の事後処理も、彼が数日で終わらせており、大規模な人事移動が起こったにも関わらず、現場の混乱は最低限で留められて いる。齢七十の執務手腕とは思えなかった。
 写真の人物――彼の孫娘であるリーン・ロイドは代々の血筋なのか、優れた魔法資質を持っており、インターンの意味も含めて武装隊士官として局入りをしている。 祖父と比較しても、彼女の存在は局内ではそれなりに有名だった。

「何故彼女の写真を艦長が?」
「だからクロノ。この話は仕事ではないの。母と子の相談よ」

 いよいよ不可解さが増して来た。クロノはリンディの意図が全く掴めない。取り合えず言い方を変えて再度訊ねた。

「……どうしてこんな写真を母さんが持ってるんですか?」
「渡されたの。ロイド卿直々に」
「……は?」

 あの滅多に人前に現れない片眼鏡の老人が? わざわざこの写真をリンディに手渡したというのか。

「どういう事ですか?」
「クロノ。お見合いしない?」

 直後、がたんと大きな音を立ててフェイトが椅子から転げ落ちた。



 ☆



 つまりは、ロイド卿がクロノを気に入った、という事だった。

「どうしろって言うんだ……」

 執務室に戻っても仕事に全く手が付かない。書類にサインをするだけのような簡単なデスクワークではあるが、書かれている内容を理解せずにサインをして良いはずもない。 文面が頭に入って来ないのは由々しき事態だ。全く仕事にならない。
 ペンを投げ出して背もたれを軋ませる。溜め息をつき、机の隅っこに押しやっていたファイルを手に取った。
 開けて見れば、食堂で見た時と同じ写真がある。当たり前だ。変わっていたら恐怖現象である。クロノは腹の底ではその恐怖現象、つまりは写真が別の物に変わって いないかと、儚い希望を持っていたりした。
 もちろん、写真に変化は無い。綺麗にプリントされた大判サイズの写真だ。
 時空管理局最高責任者の孫娘の不器用なはにかみ。
 ぱたんと閉じる。もう一度溜め息をつく。
 数週間前に起こった八神はやて殺害未遂事件。闇の書に怨恨を持つ古参提督数名が起こしたこの事件を解決する為、クロノは総合会議中の会議室に乱入して、問題の 提督達を説き伏せた。その時、ロイドは最高責任者として会議に出席しており、クロノと言葉を交わしている。
 その時に惚れ込んでしまったのだろう。リンディの話では、彼は心底クロノの事を気に入っているそうで、さらに孫娘のリーンもクロノを写真で見て一目惚れ をしてしまったらしい。
 クロノは三度溜め息をつき、ファイルを書類の上に放った。再び背もたれに体重を預け、ぼんやりと天井を眺める。

「お見合い、か」

 就職年齢が低い為、ミッドチルダは結婚年齢も低い。男性は十五歳。女性は十三歳で結婚可能だ。クロノはすでに十五歳になっている訳だし、リーンという 少女も今は十三歳だという。実際に会ってお互い気に入り、話がとんとん拍子で進めば、結婚までの道のりもそう遠くはない。元々お見合いなんてそんなものだ。ただの 男女交際を前提にするならば、お見合いという形式張った儀式を挟む必要は無い。
 だが、クロノには実感が一切無かった。ロイドに一目置かれたという事実は素直に嬉しいと思う。しかし、だからと言って孫娘との唐突な縁談を受けるのは気が引 けた。何故かは分からない。結婚はまだ早いとか遅いとか、そういうものでもない。
 単純に興味が無かった。何せ仕事を恋人にしているような十五歳である。異性との付き合い等、正直に言えばよく分からなかった。
 でも、写真で見たリーンは可愛いと思う。不器用な笑顔も、これはこれで良い。性格もリンディの話を聞くようではおしとやかで奥ゆかしいという。 エイミィ曰く、『クロノ君の好みのタイプ』に見事に合致する。

「受けるだけ受ける、か」

 結局、そんな『やるだけやってみる』的な結論に辿り着いた。ここで突っぱねては、母親であるリンディの顔に泥を塗る事になる。自分を買ってくれたロイド卿にも 悪いし、自分と会う事を楽しみにしてくれている彼の孫娘にも悪い。
 実際に会って、どうすればいいか決めればいい。何もすべてがとんとん拍子で進む訳ではないのだ。
 結論は出た。お陰で頭の中も幾分か明瞭になる。クロノは軽く首の関節を鳴らすと、執務再開の為にペンを取った。
 その時、扉がノックされた。控えめな小さな音が鳴る。

「クロノ。あの、今、ちょっといいかな?」

 フェイトだった。執務が再開寸前で止まっている。ひとまず断る理由も無かったので許可する。

「ああ、いいよ」

 フェイトがいそいそと入って来る。何故か一度廊下を覗いて、首を左右に振った。何かを確認しているようだ。
 誰も居ない事に胸を撫で下ろして、フェイトは改めて入室した。

「どうした、フェイト」
「う、うん。その、えっと……」

 胸の前で左右の人差し指をいじりながら、フェイトは視線を泳がせた。時々クロノの顔を覗き込むが、すぐに明後日を向いてしまう。
 明らかな挙動不審っぷりだった。

「フェイト?」

 彼女の名前を呼ぶ。すると、フェイトは何かを決意したように、ぎゅっとスカートの裾を握った。

「クロノ……。お、お見合い……う……受け、ちゃう……の……?」

 途切れ途切れに彼女が言った。赤い双眸からは、何かを期待しているような強い意志を感じた。いや、切望だ。彼女は何かを切望している。
 クロノは少しだけ悩んだが、特に隠す必要も感じなかったので、きっぱりと答える事にした。

「ああ、受けようと思う」

 一瞬だけ、フェイトの顔が歪んだ。注意して見ていなければ見落としてしまうくらい、本当に些細な変化だった。

「……そ、そう……な、ん、だ………」

 何故かフェイトは笑顔になった。クロノの眼から見ても明らかな作り笑顔だったが、何故そんな作り笑顔なんてものを浮べなければならないのか分からなかった。

「まぁ、取り合えずね。実際に会わないと何とも言えないし」

 その途端、フェイトは執務机に喰らい付く。

「な、何とも言えないって!?」

 あまりの勢いと形相に、クロノは思わず仰け反る。

「いや、だからその、会って話してみないと相手がどんな人なのかも分からないだろう? 正直結婚とかは……」
「結婚ッ!?」

 完璧に裏返った声で悲鳴。フェイトはコンクリートで固められたかのように硬直する。
 挙動不審な上に意図の掴めない行動。クロノを混乱させるには充分過ぎた。

「どうした、フェイト? ちょっとおかしいぞ?」
「………」

 見上げたフェイトは、次の瞬間、脱兎の如く踵を返して部屋を飛び出して行った。呼び止める時間を与えない見事な素早さだった。
 取り残されたクロノは、空しく閉まる扉を唖然として見詰めるだけだ。

「な……なんだ?」

 不可解だ。実に不可解だ。そういえば、食堂で話を持ち掛けてきたリンディが頻りにフェイトの事を気にしていたが、何かあったのだろうか。彼女にも縁談の話か?  いや、だがロイド卿に孫は一人しか居ないはず。
 リンディが答えを聞きに来るまで、クロノは妹のおかしな行動に頭を悩ませ続けていた。その間に執務が進む事は無かった。



 ☆



 あまりにも苦しかったので、フェイトは脚を止めた。壁に手をついて胸を抑える。何の予備運動もなく、突発的に全力疾走をしてしまった為、彼女の心臓は凄まじい 速度で跳ね回っていた。
 通路の端。居住区から別区画に移る境目。場所も場所なだけに、そこは静まり返っていた。休憩時間も終わっている為、人の気配もほとんどない。
 走った距離は大したものではなかった。精々数十メートルで、居住区の端から端くらいだ。同年代の子供達よりも体力のあるフェイトが呼吸を乱すような距離ではなかった。 なのに、今は肺が悲鳴を上げ、両脚の筋肉が軋んでいる。
 壁に背を預け、フェイトは何とか正常な呼吸を取り戻した。

「………」

 彼が、クロノがお見合いをする。しかも結婚を前提にして。
 別におかしい事でもなかった。職場結婚なんて珍しいものでもない。クロノくらいの優秀な執務官ならそうした話の一つや二つ、あってもおかしくはなかった。しかも 相手は時空管理局最高責任者の孫娘だ。こういう状況をどう言うのか、フェイトの頭の中になのはの世界で知った言葉が浮んだ。
 逆玉の輿。
 この縁談が巧く行けば、クロノはいつの日か時空管理局最高責任者に就任だ。提督資格試験どころではない。偉業とも言える昇進である。
 クロノは邪な思惑で動くような少年ではないと、フェイトは胸を張って誰よりも強く断言出来る。だが、そうした誠実な人間でも、この話はおいしいと感じてしまう だろう。
 さらに言えば、写真の少女は文句無しに可愛かった。物静かなイメージを持ち、きっとおしとやかな子なのだろう。歳もクロノと近い十三歳だと言うし、何より彼を 気に入っているらしい。
 クロノの好みタイプというのは、エイミィの情報によると、慎ましく、おしとやか、さらに年下だそうだが、見事に満たしていそうなタイプだった。
 会えば高い確率で交際を始めてしまうだろう。いや、始めるに決まっている。
 すでにフェイトの頭の中では、リーンと楽しげに笑い合っているクロノの姿があった。いつの間にやら豊かになっていた想像力が二人の関係をどんどん進めて行く。
 手を繋ぎ、熱を帯びた瞳で見詰め合い、唇を重ね――。

「………やだ」

 はっきりとした拒絶の言葉が舌の上を転がった。落ち着いていた心臓が、再び早鐘を打ち始める。
 嫌だ。絶対に嫌だ。何が何でも、絶対に嫌だ。我慢出来るもんか。駄目だ。駄目に決まっている。

「絶対に……やだ……!」

 自分以外の女の子と親密になっているクロノなんて見たくない。きっと耐えられない。フェイトは何度も頭を振って、脳裏に浮んだ映像を破棄する。
 まだ気持ちをはっきりと伝えていないが、クロノに対する気持ちは日に日に大きさを増していた。執務官試験に向けて本格的な勉強が始まってから、 クロノと一緒に居る時間が増えた事が起因している。一緒に居られる時間が増えたし、クロノが非番の日は一日中勉強に付き合ってもらう事もある。
 隣に座り、参考書を指差して指導してくれるクロノ。その息遣いと体温にどぎまぎして、勉強どころでなくなる事もある。というか最初の内は酷かった。何度も 無意識に彼の手に触れたり、身体に寄りかかったりした。
 それでもフェイトの好意に気付かないクロノは、ある意味で尊敬に値する少年だ。
 そんな鈍感過ぎる彼に、無条件で好きだと伝え、結婚前提でお見合いをしたいと言って来た時空管理局最高責任者の孫娘。
 フェイトは握り拳を作る。いきなり現れて、お家柄を振り回して交際を迫るなんて。自分なんて、ここ数ヶ月ずっと気付いてもらえていないというのに。
 だが、そんな少女と会おうと決めたのはクロノだ。拒否権はあったというのに、彼はその権利を行使しなかった。
 やはり、リーン・ロイドという少女は彼好みなのだろうか。自分よりも、ずっとずっと魅力を感じたのだろうか。もしそうだとすれば、自分がどれだけ嫌だと言っても どうにもならない。誰と付き合うか、どんな子を好きになるのか、それは当たり前だがクロノの自由だ。それを捻じ曲げてまで振り向いて欲しいと思う程、フェイト は我侭ではない。もちろん、諦められる程彼への気持ちは小さくはないが。
 結局どうすればいいか分からず、フェイトはなのはが探しに来るまで、ずっと壁に寄りかかっていた。



 ☆



 その夜。一家団欒であるはずの時間帯。しかし、八神家は静かに荒れていた。

「あの、主はやて。何故サツマイモでポテトサラダを……?」
「ああ、ごめんな。材料間違えてもうて。残したらあかんで」
「はやてェッ! 何でハンバーグの中身が豆腐なんだよォッ!?」
「ダイエットやダイエット」
「はやてちゃん、お味噌汁にピーマンが入ってるのは……?」
「仕様や仕様」
「主。私は狼です。猫まんまは……」
「残したら一週間ご飯抜きやで、ザフィーラ」

 守護騎士達の悲しみに満ちた質問は、すべてはやての辛辣極まりない返答で潰された。いや、すでに返答にすらなっていない。

「はやて〜。何かあったのかよ。何かスッゲー機嫌悪くねぇーか?」
「ヴィータ。後でアイゼンで肩叩きお願いね」
「主はやて。それは出来ればお控えに……」
「シグナムはレヴァンティンでお風呂沸かしてな。この前言うとったやろ?」
「覚えていらっしゃるのですかッ!? あの、それだけは……」
「はやてちゃん、今日本局で何かあったんですか?」

 見かねたシャマルが思い当たる節を言ってみた。一瞬だけはやての笑顔が固まる。

「べ、別に何もあらへんよ」

 豆腐ハンバーグに箸を思い切り突き立てて、はやて。
 明らかに何かあった様子だった。だが、これ以上深入りすると一体何をされるか分かったものではなかったので、それから誰一人として口を開く事は無かった。
 八神家にしては異常な程静かな夕食が終わり、はやては早々と自室に籠もった。夕食後の団欒は彼女が最も好いている時間だというのに。
 主の命令に背くのは心が痛んだが、シグナムは風呂の用意をヴィータに任せ、ソファで思案に耽った。

「やはり本局で何かあったのだろうか」
「かもしれん」

 ザフィーラが尻尾を振り、同意した。小型犬フォルムで身体を丸めている姿は完璧な室内愛玩犬である。

「が、何も本局だけとも限らないだろう。後に行かれたアースラで何かが起こった可能性もある」
「そういえばアースラにも行かれたのだったな、主はやては」
「ああ。ハラオウン執務官に会いに行かれたようだ」

 彼女がクロノに好意を抱いているのは、すでに守護騎士達の間では周知の事実だった。ヴィータは不満たらたらで、子供らしい嫉妬をクロノにぶつけたりしているが、 シグナム達は微笑ましく主の恋路を見守る事にしている。相手がクロノという信頼に置ける人物でなければ、それこそ全員で大騒ぎする所なのだが。

「まさか、クロノ執務官と喧嘩でもされたのか?」

 他にあれだけはやてが荒れる理由が思い当たらなかった。彼女は果てしなく他人軸な人間だ。そんな彼女が家族であるシグナム達に苛立ちをぶつけて来たのだから、 余程腹に据えかねる出来事でもあったのだろう。

「いや、違う」

 と、ザフィーラがきっぱりと否定した。

「ハラオウン執務官に縁談が来たらしい。日曜に見合いをするそうだ」
「……なるほど。そういう事か」

 合点が行った。つまり、はやてはクロノがお見合いをする事が気に入らないのだ。好きな男の子が自分の気持ちに気付かず、持ちかけられた縁談を受けた。いくらはやて でも、それは面白くないはずだ。

「しかしザフィーラ。妙に詳しいな」
「アルフから聞いた。テスタロッサも様子がおかしかったそうだ」
「そうか。あの子もクロノ執務官を好いていたんだったな」

 比較的そういう話には疎いシグナムでも、クロノと話している時のフェイトの表情から、彼女が彼に対してどんな感情を抱いているのか、それなりに予想は出来た。 模擬戦の後に率直に訊いてみると、それはそれは面白い反応を示された。
 その時の光景を思い出して、シグナムは苦笑を我慢出来なかった。模擬戦中とは打って変わり、冷静さを失って慌てるフェイトは歳相応の少女だった。好敵手の新しい 一面を見つけて、実は結構嬉しかったりもした。

「見合いのお相手は?」
「アルフの話では要領を得られなかったが、管理局でも相当な権力者の孫のようだ」
「ふむ……」

 腕を組み、シグナム。
 正直に言えば、困った。クロノが誰と付き合うかは彼の自由だ。フェイトには悪いと思うが、可能であればはやてとそのまま清い交際をしてもらいたいとは思っている。 しかし、それはシグナムの願いである。無理矢理そうさせるつもりはもちろん無い。
 だが、このまま縁談が進めば、はやては間違いなくクロノとの交際が出来なくなる。という事は、今日のような日が続く事になる。

「……死活問題だ」

 大前提としてはやてが心配だが、生活も心配だ。このままではヴィータが暴徒と化す。肉の無い生活にきっと彼女は耐えられない。自分も次にレヴァンティンで風呂を 沸かせと言われれば、主に仕える騎士として、沸かすしかない。

「いかんな。どうしたものか」
「……俺も猫まんまは嫌だ」

 切実にザフィーラが言った。結局夕食の席で、彼ははやてお手製の猫まんまを何とか完食している。
 困ったが、妙案は全く浮ばなかった。手を拱いていると、はやてがリビングに戻って来た。シグナムは慌てて直立不動で立ち上がる。 ザフィーラも背筋を正してお座りをした。

「シグナム」

 厳かにはやてが呼んだ。緊張がシグナムの背中を駆け抜ける。
 どうするか。シグナムは次に彼女の口から出て来るだろう言葉を予想して苦心した。彼女がもし、縁談を持ち掛けて来た孫娘を殺せと言って来たら、自分はどうするべき か。困った。というか、さっきより困った。主の命令は絶対だ。レヴァンティンで風呂を沸かせだの、服を脱げだのという命令とは質が違う。暗殺命令だ。だが殺すのは いけない。精々再起不能にするくらいに留めておくべきだ。その上で、『二度とクロノには近付くな』とでも一言添えておけば問題は無いだろう。

「シグナム?」

 青い顔で弱り切った表情を作るシグナム。はやてはきょとんと首を傾げた。

「どないした? なんや顔色が悪いようやけど……」
「いえ、その。……やはり、殺せ、と?」
「は? 何を言う出すんや、もう……」

 肩を落として溜め息をつくはやて。シグナムは心中で胸を撫で下ろした。そうだ、主がそんな無茶で非道な命令を下すはずがない。勝手に妄想を膨らませたシグナムは 深い反省を自身に強いた。

「シグナム。次の日曜、空いてるか?」
「あ、はい。空ける事は可能ですが」

 日曜日は久しぶりの休日となっている。臨時講師を務めている剣道場の生徒達が、近くの体育館で試合をするそうなので、観戦しに行こうと考えていたのだが。

「悪いんやけど、付き合って欲しい場所があるんや。ええかな?」
「はい、もちろんお供します。それで、一体どちらに……」

 訊ねてから、シグナムは戦慄した。次の日曜。つまり、クロノの見合いがある日だ。まさか。

「敵情視察や」

 敵状刺殺。どういう事だ。よく分からんが、やはり殺すのか。
 その日、シグナムは恋に狂った主を如何にして止めるか、仲間達と夜遅くまで会議をした。





 continues.





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 □ あとがき □
 お見合いです。何度かweb拍手でもいただいていて、書きたいなぁと思いつつなかなか書けなかったネタ。取り合えず前後編予定です。はい、予定ですorz
 後半のシグナムは、某秘密武装組織に所属している某戦争馬鹿を割とそのまんま持って来ました。愚直で生真面目で冗談が通じない辺りが同じだなぁと(笑)。
 取り合えず、ウチはクロフェなのではやて成分は少なめです。すいません…。

 2006/5/5 誤字修正
 2006/5/19 追加執筆





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