魔法少女リリカルなのは SS

クロノのお見合い

♯.3







 クロノとリーンの様子は、誰の眼から見ても良い雰囲気だった。
 二人とも恥ずかしさと緊張のあまりにぎくしゃくとしていたが、それも時間が解決してくれた。
 二人はまず絶叫マシンに乗った。室内型のローラーコースターを体験して、クロノが真っ青な顔になった。その後、この遊園地の売りの一つであるスプラ ッシュ・マウンテンへ行き、全身ずぶ濡れに。リーンの着ていた服が水を吸って下着が透けて見えてしまい、クロノは顔を真赤にした。
 大人しめの施設を巡り、メリーゴーランドを昼食前の締めくくりとしたのだが、これにはクロノもさすがに恥ずかしくて乗るのを拒否した。だが、リーンが寂しそうに したので、結局抗う事が出来なかった。真赤になって手を繋ぐ二人の姿は実に初々しかった。
 昼食を挟み、二人はお土産を見て回ったのだが、地方の土産屋にある意味不明のステッカーや木刀が何故か置かれており、クロノは首を傾げた。
 メリーゴーランドで手を繋いでから、二人は袖が触れ合うくらいの距離を歩いている。クロノは慣れて来た様子だったが、リーンはずっと恥ずかしそうにしていた。 指がぶつかる度に慌てて距離を放そうとするが、気付けばすぐに近付いてしまう。
 照れ合っている者同士という訳で、クロノは彼女の心境が何となく分かった。こちらの行動一つ一つに反応する彼女が面白くて、可愛くて仕方が無い。
 初デートを楽しんでいる歳相応の少年と少女。それ以外の何者にも見えなかった。

「……あかん。レベル1でラスボスと戦うハメになった気分や……」

 彼我戦力差は絶望的である。はやては土産屋の影に身を潜め、クロノとリーンを観察していた。
 敵情視察で様子を伺いに来た訳だが、まざまざと見せ付けられているような気分だった。フェイトも充分に脅威だと思っていたが、これは拙い。

「はやてはやて〜」
「クロノ君、やっぱりああいう大人しい子が好みなんか」
「はやて〜」
「病弱系なら私も負けへんのやけど……。あ、それはもう治ってるか……」
「は〜や〜て〜」
「黒髪がええんかな? 短いの好きなのは私の勘違いやったし……」
「シャマル〜! はやてが無視するぅ〜!」
「はいはいヴィータちゃん。今は静かにしましょうね〜」

 何やら背後が騒がしいが知らない。
 二人が一軒の土産屋に入った。当たり前だが見えなくなったので移動する。
 クロノ達が入ったのはアクセサリー雑貨の店だった。壁や棚には山のような小物が置かれている。人だかりが多かったので、はやては身を隠す場所に困らなかった。
 ちらりと覗き込むと、クロノが髪飾りをリーンにつけてあげていた。リーンというと股の前で手を繋ぎ、身を小さくしまくっている。首が九十度曲がっていそうだった。

「リーン。これではつけられないんですが」
「き……気に、しないで……下さい……」

 そんな会話をしていた。
 はやてはとても信じられなかった。あの鈍感なクロノが、こんな大胆な行動に出るなんて。いや、鈍感だからこそ大胆に出来るのかもしれない。彼は惚れれば一直線な 性格なのだろう。

「余計にピンチやで、それ……」

 リーンを見るクロノの眼は今朝と随分変わっている。表情からも緊張が抜け、緩やかだ。

「親しげですね」

 底冷えした声がした。シグナムだった。ザフィーラも居る。

「親しげだ」
「言わんでも分かってる」

 唇を尖らせて言う。
 三人が見守っていると、クロノが髪飾りを店員に見せていた。どうやら購入を決めたようだ。クロノが店員について行く。一人になったリーンは壊れた人形のように 歩き出した。その脚は、何故かこちらに向いている。
 意外にも近くにまで寄っていたらしく、はやてとシグナム達は逃げ出す暇も無かった。

「あ」

 眼が合った。
 固まるはやて。
 ぽかんと口を開けるリーン。

「いかん」
「敵状刺殺が……!」

 シグナムとザフィーラに緊張が走る。それが最高潮に達しようとした時、不意にリーンが言った。

「八神はやて、さん?」
「……私を……知ってるんですか……?」

 はやては局内でもそれなりに有名だ。もちろん、封印不可能と言われた闇の書の最後の主として、良くも悪くもでである。時空管理局最高責任者の孫娘として、 知っていてもおかしくはない。

「ええ。知っています」

 リーンは笑顔で言った。見る者を安心させる無害な笑顔だ。だが、どこか引き攣った笑顔だった。

「クロノさんのお父様を殺した闇の書のマスターですよね?」

 頭を殴られたような気分になった。
 シグナムとザフィーラの気配が変わる。発していた緊張感にある感情が追加される。
 敵意だった。
 シグナムがリーンの眼からはやてを守るように、彼女の前に歩み出る。

「撤回しろとは言いません。ですが、それ以上言うのはやめていただきたい」
「何故ですか? 事実ではありませんか」
「事実だとしても、言って良い事を悪い事があります」
「都合の悪い事からは眼を背けろと?」
「……それがあなたの本性か」
「本性? 私は私のままですが?」

 笑顔のまま、リーンが言葉を切った。
 長いようで短い沈黙。

「クロノさんがいらっしゃいますから、今日は何もしません」
「居なければ、どうするおつもりですか?」
「あなた方は私の事を何も知らないのですね」
「なに?」
「私は犯罪者が嫌いなんです」

 吐き捨てるように告げると、リーンはワンピースの裾を翻した。踵を返し、歩いて行く。
 シグナムは敵意満載の視線で細い背中を見送ると、背後のはやてに振り返った。
 彼女は青い顔でその場に座り込んでいた。

「主はやて、ここを離れましょう。見つかります」
「え……。あ、ああ、そうやね。見つかるとあれやもんね」

 立ち上がろうとするはやて。だが、巧く立てなかった。バランスを崩してシグナムに抱きとめられる。
 魔力を脚に伝える事が出来なくなっていた。リハビリ中の両脚は、魔力の補助無くしては未だ身体を支える事が出来ない。

「あ、あれ?」

 何度やっても巧くいかない。

「何でやろ。何でや」
「失礼します」

 シグナムがはやてを抱え上げる。

「ちょ、シグナム! 大丈夫やって!」
「魔力操作が乱れすぎています。ここは大人しくして下さい。行くぞ、ザフィーラ」
「ああ」

 周りが物珍しげに三人を見る。シグナム達はその視線から逃れるように店を出た。
 はやては大丈夫だと何度もシグナムに言ったが、彼女に降ろしてくれる気配は無かった。代わりに、呟くようにこんな事を言った。

「あの娘、万死に値する。刺殺など生温い……!」



 ☆



 戻って来ると、何やら店内の空気が慌しくなっていた。

「何かあったんですか?」

 多くの客達が店の出入り口を見ている。だがそこに特別視線を引くようなものはなかった。すでに何かが終わった後なのだろう。
 クロノの問いに、リーンは曇りの無い笑顔で答えた。

「いいえ、特に何も」

 だが、何かが引っかかった。クロノは彼女に綺麗に包装された髪飾りを渡すと、小走りで店の外に出た。広い店先に視線を巡らせると、見慣れた後ろ姿が見えた。
 左右に揺れる桜色の髪。銀髪の大柄な男の背中。

「……何故、彼女達がここに居るんだ?」

 見間違えるはずがない。間違いなくシグナムとザフィーラだ。シグナムは誰かを抱えている様子だった。はやてだろうか。

「どうされたんですか、クロノさん」

 クロノの背中を追って、リーンが出て来た。

「いえ。ちょっと知り合いが居たもので」
「管理局の方でしょうか?」
「ええ。ただ、こういう所にはあまり来ない者達なのですが……」
「……闇の書のマスター」

 消え入りそうな彼女の呟きを、クロノは聞き逃さなかった。

「お会いしたのですか?」
「え、何の事ですか?」

 とぼける様子も無く、リーンはきょとんと訊き返した。
 クロノはもう一度訊こうと思ったが、やめた。別に彼女達がこうしたアミューズメントパークに来ても良いではないか。大方、ヴィータが行きたいとでも言って暴れた のだろう。きっとそうだ。
 クロノは柔らかく微笑んだ。

「いえ、何でもありません」
「そうですか」
「ええ。リーン、他にどこか回りたい場所はありますか?」
「もう少しお土産を見て回りたいです。お爺様にも何か買って帰りたいですし」

 丁度良かった。こちらもフェイトやアルフに何か買って行きたいと思っていた所だ。
 クロノとリーンは談笑しながら歩き出した。
 手が触れ合っても、二人は最初のような派手な反応はしなかった。いつからか、どちらからともなく、二人は指を絡めていた。
 それからは特に何も無く、時間は優しく過ぎて行った。土産屋を一通り回り、それぞれの土産を買った後、園内を当ても無く散策をする。アトラクションを外から 見たり、園内に作られた大きな自然公園を回った。
 すでに二人は手を繋いでいる。極自然にそうなっていた。
 三時を回ろうとしていた頃、リーンが少し眠そうに眼を擦った。

「眠いんですか?」
「い、いえ。そんな事、ありません……」

 必死に言い繕うリーンだが、瞼は重そうだった。クロノはベンチに彼女を誘う。

「少し休みましょうか」
「……はい……」

 そうしてベンチに座ると、彼女はすぐに寝息を立て始めた。やはり眠かったのだろう。幸せそうな寝顔をしている。
 こんな顔を見ていると、局内で聞く彼女の悪い噂はすべて嘘ではないのかと思う。
 犯罪者を許さず、執拗に断罪しようとする悪魔のような少女。だが、横で静かに眠っているリーンは天使のように見える。
 心臓が静かに高鳴る。言葉を交わしてまだ半日足らずだが、リーンの魅力は充分に分かった。たどたどしくも必死に好意を伝えて来る所は可愛いし、その線の細い 身体を守ってあげたくなる。
 こんな女の子と一緒に居るのも悪くない。むしろ、とても心地が良い。
 程よい日差しを浴びて横になり、くつろいでいるような気分。
 仕事を横に置いて、彼女と他愛も無い談話をするというのも、存外、いや、かなり悪くはない。
 見合い前の前途多難な感情はもう無かった。

「……リーン、か」

 呟いた時、また見知った人影が見えた。ベンチから少し離れた大きなゴミ箱。

「はやて?」

 その影は、クロノの視線に気付いたのか、慌てて顔を引っ込めた。
 やはり彼女も来ていたのだ。だが、何故こそこそと隠れているのだろう。
 後ろ髪を引かれるような感覚だった。クロノはリーンを起こさないように苦労して彼女の指を解くと、ゴミ箱に近付く。

「あ、あかん、見つかった……!」

 押し殺した声。やはりはやてだ。気配を消して迂回すると、間の抜けた後ろ姿が見えた。

「君は一体何をしているんだ……?」
「ク、クロノ君!?」

 驚いて振り向いたはやては、血相を変えた。両手を慌しく動かして呻きまくる。

「隠れんぼでもしているのか?」
「そ、そういう訳やないんやけど、え〜と」
「?」

 彼女の慌てようは並みではなかった。妙にそれが引っかかる。

「一人で来たのか?」
「シ、シグナム達も一緒や」
「ヴィータがせがまれて来たのか?」
「え〜っと……」

 はやては視線を彷徨わせる。どう見ても挙動不審だ。
 ひとまずクロノは彼女の慌てようから、状況を吟味してみた。
 こそこそと隠れていたはやて。一人ではなく、シグナム達も来ているという。だがヴィータにせがまれてこの遊園地に来た訳ではない。
 結論には早々に至った。

「まさか、覗きに来たのか……?」

 見合いの様子を見に来た。そう考えるのが一番自然だった。

「う……」

 身を反らして言葉に詰まるはやて。当たりだ。
 感情が目まぐるしく変わった。最初は呆れて、その次に怒って、最後には死ぬ程恥ずかしくなった。
 手を繋いで仲良く歩いている所を目撃された――!
 怒鳴ろうと思った。だがここは外だ。大衆の眼がある。その上、今のはやてを見たら、怒鳴る気もすぐに失せてしまった。

「ごめんなさい……」

 こちらの眼を見ず、顔を伏せたまま、はやてが謝った。
 彼女にしては珍しく沈んだ態度だった。
 怒る気も無くなったが、喩え残っていても、このはやてに怒鳴り声を上げる事は出来なかっただろう。

「どうして来たんだ?」
「……ごめんなさい」
「怒ってるんじゃない」
「……クロノ君に惚れたっていう子がどんな子かな思て」
「野次馬か、君は……」
「し、仕方ないやん。気になってしもたんやから」

 拗ねるようにそっぽを向くはやて。可愛らしい仕草だったが、どこか影を残していた。いつもの彼女なら意地の悪い一言が出て来てもいいのに、それが無い。
 眼を細めて見てみれば、顔色もどこか悪かった。

「顔色がよくないが、大丈夫か?」
「……そんな事あらへん。私は元気いっぱいや」

 俯いたまま言われても説得力の欠片も無かった。

「シグナム達はどこだ? すぐに来てもらって……」
「クロノ君」

 はやてがクロノの言葉を遮る。

「何で私に優しくしてくれるの?」

 震える声で、彼女は言った。
 質問の意味が分からない。茫然としていると、はやてが質問を繰り出して来た。

「どうしてあの時、私を助けてくれたんや?」

 管理局の上層部を静かに揺らした八神はやて殺害未遂事件。その時、クロノは生死の淵を彷徨う程の大怪我を負いながら、はやてを守り抜いた。
 別に恩を着せようととか、何か思惑があってそうした訳ではなかった。管理局局員として、彼女の友人として、人間として、クロノははやてを守りたかった。 その思いを実行に移したに過ぎない。

「ねぇ、クロノ君。答えてや。何で助けたんや? クロノ君からお父さんを奪った闇の書のマスターの私を、何で、助けたんや……?」

 ――まだ、こんな事を言っているのか、この子は。
 今度こそ間違いなく腹が立った。

「クロノ君……答えてや」

 なので、その額を指で弾いた。多少加減はしたが、それなりに力を入れてやった。

「痛! な、何すんやクロノ君!?」
「うるさい」

 涙眼になって額を押さえるはやてに、クロノは溜め息をついて言った。

「友達を助けるのに理由が必要なのか」
「お父さんを、殺した友達でも?」
「それ以上言うと、僕も本気で怒るぞ」

 小さな胸を小刻みに上下させ、はやては口を噤んだ。

「どうして君がそんな事を掘り返すかは知らないが、もう終わった事だ。それとも、君は僕に恨んで欲しいのか?」
「違う! 違う、けど……でも……」
「僕にとって君は大切な友人だ。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラもそうだ。闇の書だとか、そんなのは関係ない」

 周囲の喧騒が大きくなって聞こえた。

「友達で居ても……ええんか?」

 一体何が彼女を不安にさせているのだろう。闇の書が過去に犯した罪と罰を背負い、死ぬまで贖罪に努めると心に誓った強い少女が、今は酷く剣呑な眼をしている。 もう迷うつもりも立ち止まるつもりも無いと言った少女が震えている。
 まったく見当もつかなかったが、どちらにしてもクロノの答えは決まっていた。

「当たり前だ。元より僕はそのつもりだよ」

 はやては細い顎を震わせ、泣くまいと必死に我慢した。声は出なかったらしく、こくこくと頷くだけだった。
 困惑するしかなかった。どんなに強いと言ってもはやてはまだ九歳の少女である。悲しい事には泣くだろうし、辛い事に我慢出来なくなる時もあるだろう。だが、 今の彼女はあまりにも儚い。見ている方が辛くなるくらいだった。

「どうしたんだはやて。何があった?」
「何でもないんや。本当に……何でもないんや」
「だから、そんな顔で言われても説得力が無いぞ……」
「主はやてッ!」

 いつの間にか、背後にシグナムが立っていた。荒い呼吸を肩でしている。買い物に行って来たのか、片手には飲料水が入ったビニール袋をぶら下げていた。
 泣き崩れているはやてを前に、シグナムの眼に黒いモノが宿る。

「クロノ執務官」
「理由は僕も聞きたい」

 はやての頭を撫でながら、クロノは溜め息をつく。
 シグナムはそれ以上の言及はしなかった。はやてに一言詫びを入れ、彼女を抱き上げる。

「その、色々とご迷惑をおかけしました」
「お土産を買ってる時に君とザフィーラを見かけたから、君達も遊びに来ていたのかと思ったんだが……」
「すいません」
「君も僕の見合いが気になって見に来た口か?」

 生真面目な彼女の事だ。それはまず有り得ない。はやてに誘われて、断り切れなかったのだろう。

「好奇心で他人の縁談を盗み見るような真似はしません」
「はやてに連れ出されたのか?」
「それはその……」

 歯切れを悪くて右往左往するシグナムの姿はとても斬新だった。

「……申し訳ありません」

 結局、彼女はそう言って頭を下げるだけだった。
 どんな理由があろうと主を所為にはしない。シグナムらしいと言えばシグナムらしい。こんな彼女を前にしては咎めるに咎められず、クロノは仕方なく話題を切り替える 事にした。言及するつもりは最初から無かった。

「ヴィータ達も来てるのか?」
「ええ。今は別行動中です」

 全員が全員、好奇心のままにここに来た訳ではないのかもしれない。シャマル辺りは悪戯心からそうかもしれないが、ヴィータにとって遊園地はまさに夢の国であり、 ザフィーラにとっては退屈極まりないただの平地だ。
 顔を合わせる事も言葉を交わす機会も少ないが、クロノは盾の守護獣に軽く同情した。大人数の女性陣に連れ回される男子は大抵肩身の狭い思いを強いられる。 家族も友人もほとんど女性であるクロノはそれを身を持って痛感していた。

「シグナム。出来ればここから先は……」
「はい。これ以上無粋な真似はしません」

 微苦笑を浮かべて、シグナムが断言した。

「ただ」

 がらりのシグナムの声音が変わる。眼光も鋭くなり、ベンチで健やかな寝息をたてているリーンを一瞥した。

「あの娘、私は気に入りません」

 唐突にそんな事を言った。
 人によって好き嫌いはあるだろうから、まぁ、それも仕方ない。だが素直に疑問に思った。

「……何故だ?」

 四六時中とはいかなかったにしろ、それなりの時間、彼女達は自分とリーンの様子を静観していたはずだ。出会ってからの彼女は、局内で流れている黒い噂が狂言 だと断言出来てしまう程、穏やかで、普通の少女だった。

「あの娘が、主はやてに言ったのです」
「……?」
「クロノ執務官のお父上を殺した、闇の書のマスターですね、と」



 ☆



 自販機でジュースを買ってベンチに戻ると、リーンが眼を覚ましていた。ほんの五分程眠りに落ちた程度だというのに、ぼーっと宙を眺めている。寝起きが良い方で はないのか。
 小さな悪戯心に心中をくすぐられたクロノは、きんきんに冷えているジュースの缶をリーンの頬に押し当てた。

「ひゃッ!?」

 小さな悲鳴を上げる。眼を瞬かせ、きょろきょろと辺りを見渡す。
 クロノは目まぐるしく動き回るその視界を、缶ジュースで埋めた。

「やっぱり疲れましたか?」
「……私……寝てしまった……んですか?」
「ええ。座ってすぐに」

 クロノは赤面して俯いてしまったリーンに缶ジュースを渡すと、横に座った。

「……ありがとうございます……」

 栓が開く音がする。
 クロノもそれに倣う。もっとも、彼が飲むのは糖分が過剰摂取出来る甘味料満載の飲料水ではなく、無糖の缶コーヒーだ。摂り過ぎは身体に良くない所は変わらない。
 ほろ苦い味が口の中に広がった。ちらりと横を覗くと、啜るように缶ジュースに口をつけているリーンが見えた。
 シグナムの言葉を、クロノは否定したかった。彼女はそんな辛辣で情け容赦の無い言葉を平気で言えるような人間ではないし、そう思えなかった。
 だが、あのシグナムが嘘を言うとも思えなかった。何より、はやての様子が見えない真実を物語っていた。
 いつ言ったのかも気にはなったが、些細な事だ。
 彼女に纏わる黒い噂はやはり本当だったのだ。
 犯罪者は許さない。如何なる理由、事情があろうと、必ず断罪する。

「あの」

 不意にリーンが呼んだ。
 顔色を伺うようにこちらの顔を覗きこんで来る。嘘偽りの無い黒い瞳がすぐ近くに見えた。

「何かついていますか、私の顔に」
「え……?」
「その、ずっと見ていらっしゃるので」

 もじもじと言葉を濁す。
 盗み見るような形だったのだが、どうやら凝視していたらしい。

「いえ、大丈夫ですよ。すいません、少し考え事をしていたので」
「そう、ですか?」

 クロノは笑って誤魔化した。嘘をつくのがとにかく苦手なので、内心冷や汗を掻いてしまった。
 リーンの顔は相変わらず近くにある。手を繋いだり髪に触れたり、出会って半日ぐらいしか経っていないというのに、二人の距離はとても縮まっていた。
 だが、最初の頃のような胸の高鳴りを、クロノはもう感じなかった。近付いたと思った距離も、今は逆に開いているように思える。
 もし彼女が噂通りの少女であり、はやてにああした暴言を平然と言えるような人間ならば、クロノとの距離は永遠に縮まりはしないだろう。
 海よりも深く、山よりも大きな溝が二人の間にはある。クロノはそれを漠然と感じた。





 continues.





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  □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございます。クロフェな話ですが、この話はクロはや風味。どちらかと言えば”罪と罰”から引っ張って来ているような話です。





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