魔法少女リリカルなのは SS

罪と罰

♯.2







 大なり小なり、フェイトは違和感を感じていた。

「フェイト?」

 アルフの疑問符のような呼びかけに、フェイトは何も答えない。深く眼を瞑り、魔法の術式構築に集中する。
 次元世界に『辺境』と『中心』の明確な境界線は存在しないが、時空管理局の管轄外――管理外世界は、言ってしまえば『辺境』に近い。管理局との次元間的な 距離が開いていれば特にその印象が強かった。
 そこは惑星の九割が水に支配されている蒼い世界だった。水平線が悠々と望めるどころか、惑星の輪郭がくっきりと判別できる高高度から傍観しても、島の影一つ 見当たらない。どこまで行っても透き通るような水しか存在せず、鳥の鳴き声一つ聞こえては来ない。
 文明レベルゼロの管理外世界の生態系調査という名目で、二人は水のみで構成された世界に転移していた。

「どうしたの、フェイト」

 二回目の呼びかけが、ようやく彼女は眼を開けた。

「……何でもないよ、アルフ」

 もたれるような悪寒に蓋をして、フェイトは努めて明るく答えた。
 バルディッシュを弓を構えるように両手で持ち、調査任務の為に登録して来た検索魔法を発動させる。
 生態系の調査とは言うものの、一体どこからどんな調査を行えばいいのか、彼女達は半ば途方に暮れていた。何せ生物らしい生物が存在しない次元世界である。 微生物レベルのモノは確認できたが、調査が必要な程の精密な生物ではなく、言い換えれば原始的過ぎて、フェイトやアルフのような専門的な知識が無い者では調査は 不可能だった。
 いや、『生態系の調査』という任務そのものが、執務官候補生であるフェイトに勤まるものではない。管理局には管理外世界の文明レベルや生態系の調査を専門にしている 課が設けられており、執務官がこなすべき任務ではないのだ。お門違いも良い所だった。
 起動した検索魔法が水平線の彼方へ駆けて行く。海底の底までは到達出来ないものの、足元に無限に広がっている海にも捜査の枠を広げる。
 アルフは任務に従事するフェイトを見習い、眼を閉じ、彼女の補助に務める。魔力を同調させ、検索魔法をより広範囲にする。

「フェイト」

 両眼を閉じたまま、アルフが三度彼女を呼んだ。

「なに?」

 検索魔法を途切れさせず、フェイトが問う。

「調査は私がやるから、アースラに戻って」

 検索魔法が停止する。

「私も疑問に思ってた。言い方があれだと思うけど、この仕事は私の仕事じゃない。……絶対におかしいよ」

 アルフはフェイトの違和感をきっぱりと口にする。
 抱えていた違和感は、そのまま疑念となってフェイトの小さな胸に渦巻いていた。
 専門の調査課に要請せず、仮配属期間を抜けていない執務官候補生とその使い魔に未踏の地に等しい管理外世界の調査をさせる。アルフが口にした通り、 この事態は明らかにおかしかった。だが、これは歴然とした任務である。しかも上司であり母親であるリンディからではなく、管理局上層部から直接的に下された 正式なものだ。拒否権も無ければ、自分達がこの任務への適性が無い事を説く事もできなかった。

「アルフ……」
「リンディもエイミィも何も言って来ない。今までこんな事は無かったはずだよ」
「そう……だけど」

 アルフを納得させる言葉が浮かばず、フェイトは口を噤む。
 適性の無い者への命令。不明瞭な任務内容。見えない上司。これで違和感を覚えない程、フェイトもアルフも鈍感ではない。
 世界を満たしている小波の音が二人の耳朶を打つ。波の引く音を聞く度に、フェイトは心を細くして行った。
 その折、次元間通信が入る。熟知している回線からだった。薄弱な魔力をバルディッシュが受信して増幅する。

『――フェイトちゃん、聞こえる?』

 エイミィの声が響く。

「エイミィ?」
『良かった、通じた……』

 安堵の吐息でもついているのか、深い溜め息が聞こえた。

『なのはちゃんもシグナム達も遠過ぎて通じなかったから、もうどうしようかと……』
「エイミィ、ちょいと聞きたい事があるんだが、良いかい?」

 硬く、有無を言わさない口調で、アルフ。

『もちろん。私もそのつもりで通信したの』
「……どういう事?」
『二人とも、すぐにアースラに戻って。……はやてちゃんとクロノ君が行方不明になってる』



 ☆



 建築材の軋む音以外、何も聞こえなかった。
 はやては口を閉ざしたまま、抱き締めている犬を撫でる。どれくらいの時をそうしているか、時計が無い為に正確な時間は分からなかった。
 物心ついた頃から車椅子生活を強いられて来た経験で、同じ姿勢でじっとしているという事に耐性はある。また、閉じ込められた空間は横に広く、寝返りを打つのに 困る事は無かった。
 困るとすれば、胸の上に乗っている犬が時々身悶えるように身体を動かす事だ。犬だってずっと同じ体勢で居れば辛くもなる。それが今困っている事の一つ。それと もう一つは――。

『………』

 開きっぱなしの思念通話の回線からは、残骸を隔てているクロノの息遣いが聞こえた。分かるはずがなのに、彼の気配を耳元で感じてしまう。
 気まずかった。
 クロノが起こしてくれていた行動が疎ましくて苛立って、結果としてはやてはこれまで誰にも、家族であるシグナム達にも打ち明けた事の無い決意と思いを吐露してし まった。
 まるで余計な事をするなと言わんばかりの言葉だった。
 自分の身も顧みずに助けようとしてくれたのに。次の瞬間にでも絶命してしまうかもしれない状況に立たせてしまったというのに。
 衝動的にをぶつけてしまった決意に後悔は無い。ただ、クロノの気持ちを無視して感情的になってしまったと、冷えた頭で沈思していた。
 それに、まだ告げていない言葉もある。

『クロノ君』

 犬を抱いている腕に少しだけ力を込めて、はやてが言った。

『どうした、はやて』

 いつもと変わらない口調で、彼が返して来た。心が少しだけ軽くなる。

『……ありがとう』

 はやての心とは別に、クロノがはやてを思って行動してくれていたのは事実である。闇の書事件の事後処理の時もそうだった。事件再発を騒ぐ強硬派を黙らせ、 処分を保護観察まで落とし、シグナム達とずっと一緒にいられるように計らってくれた。本当なら、どれだけ感謝してもしたりないはずなのだ。

『いや、結果としてこうなるのを止められなかった。……本当に済まない』
『……クロノ君』

 彼の口からは恨み言の一つも出て来ない。こんな最悪の事態に巻き込んでしまったというのに。

『助かるかどうは運次第だ。こういう状況も想定はしていたから、多分エイミィが動いてくれていると思う』
『……大丈夫やろうか……』

 エイミィは信頼している。話す機会は決して多くはなかったが、あの底抜けの明るさと屈託の無い物腰は局内でも有名であり、その有能さと一緒に耳に入って来る。 十六という若さで執務官補佐にして通信管制主任を務めている彼女は、その大雑把な性格からは想像し難いものの、才女と言えた。

『ああ見えて、エイミィは優秀だ。詰めは甘いし、まだまだ所はあるけどね』

 おどけた口調でクロノが言った。

『……信頼してるんやね、エイミィさんの事』
『まぁ、長年一緒にやってるから』
『クロノ君って、もしかして年上好き?』

 一瞬、思念通話の回線が歪な音を上げて途絶えた。

『クロノ君?』
『こんな時に何を言い出すんだ君は!?』

 再び開通した回線の向こうで、クロノが怒鳴り散らす。思わず吹き出してしまうくらいに彼の声は動揺に溢れていた。
 はやては痛む身体を労わりながら、控えめに笑う。

『わ、笑うな!』
『だってもう……。あ〜あ。どうせなら一緒に生き埋めになればよかったなぁ。そしたら慌ててるクロノ君の顔が見れたのに』
『はやて!』
『で、どうなんや?』

 呻き声。

『こ、好みなんて無い』
『ほんまかいな?』
『本当だ』
『という事は、好きになった子が好みと』
『……君は意地でもそういう話をしたいのか?』

 些か呆れた声がした。

『別にこういう話じゃなくてもええよ』
『いや、そうじゃなくて……。状況が状況だ。何かあった時の為に、魔力と体力は温存しておくべきだぞ』

 魔導師にとって、思念通話は呼吸をするのと変わらないものの、一握の魔力を消耗する。救助を待つのみという現状だが、魔力の浪費は極力抑えるべきだった。何かが 起こるまで睡眠を取り、身体を休めておく事が賢明な選択と言える。

『ん〜、確かにそやな』
『念話は一旦切ろう。何かあれば……』
『でもや』

 クロノの言葉を遮り、はやては笑顔で続ける。

『話そ、クロノ君』
『……はやて』
『こうやってクロノ君と話す機会って、あんまり無かったから』

 纏まった話をしたのは二月の上旬までに遡る。クロノが事件で利き腕に重傷を負い、本局内の病院に入院して、その見舞いに行った時くらいのものだ。

『念話の魔力やったら私が回すから。それやったらクロノ君は魔力使わんし、大丈夫やろ?』
『確かにそうだが……』
『それとも、クロノ君は私と話すの……いやか?』

 答えを知りながらも、はやてはわざと不安そうに言ってみた。案の定、返答は素晴らしい速さで返って来る。

『そ、そんな訳が無いだろう。嫌じゃないぞ、僕は』
『なら決まりや』

 そうして二人は瓦礫を挟み、思念通話での話を始める。いつ崩れるか定かではない頭上の瓦礫に不安が無いと言えば嘘になる。次の瞬間にでも建築材が濁流のように 押し寄せ、死を実感する前に死ぬかもしれない。顔も名前も何も知らない、闇の書を憎悪している提督の思惑通りに。
 死して罪を償う。確かにそれは有効な償い方だ。裁いた人間に遺恨は残らず、裁かれた人間は罪から解放される。
 死ぬのも嫌だが、そんな償い方は絶対に嫌だった。死ぬ事よりも嫌だ。
 『死』ではなく、『生』として守護騎士達の罪を償い、闇の書が今まで犯して来た罪を償う。今まで摘み取り、狩り続けて来た人間達の命を背負い、悲嘆に暮れた家族 達の悲しみを背負い、生きて行く。喩え自分が生まれる遥か過去の出来事であったとしても、はやてはシグナム達と家族という絆で結ばれている。家族である以上、 辛さも、悲しみも、罪も、罰も、すべて一緒に分かち合って行く。
 それが八神はやての夜天の主としての生き方、償い方だった。

『退院してからもフェイトちゃんとは『あ〜んして』やってるんか?』
『していない! 大体説明しただろう! あれは仕方なくだ、仕方なく!』

 不意に思う。
 クロノは、どうしてここまでしてくれたのだろうか、と。
 彼はなのはやフェイト達は違う。はやてとは事件を介して顔を合わせただけに過ぎず、単純に言ってしまえば、『事件の重要参考人』と『管理局執務官』という 関係である。なのは達のように、はやてとは友人関係からスタートした訳ではないのだ。なのに、何故ここまで献身的になってくれるのだろうか。
 一度浮き出た疑問は、飛翔した鳥のように自由に羽ばたく。
 闇の書事件の事後処理は普通では出来ない苦労の塊だった。事件終了直後は再発を叫ぶ人間の方が圧倒的に多かったからだ。その時のクロノやリンディの苦労を思うと、 はやては息苦しさすら覚えてしまう。どれだけ感謝しても足りない。そして思ったのだ。どうしてそこまでしてくれたのだろう、と。
 今もそうだ。見捨てる機会が幾らでもあったというのに、クロノは身の危険を無視してはやてを助けようとした。
 何故、どうして。何が彼をそこまでさせるのか。
 はやては疑問に思いながら、しかし、決して聞こうとはしなかった。犬を宥め、労わり、彼との場違いな会話を楽しむ。
 会話は弾んだ。話の軸は管理局での仕事から友人や家族関係に移って行った。

『管理局のお給料が多くてて助かっとるんや。皆よう食べるから』
『……そんなに食べるのか、彼女達は』
『うん。私に負担ksけんよう魔力をご飯で摂ってるからね。実はそっちの方が負担になってたりして』
『うちのアルフも良く食べるな』
『最近ようウチに遊びに来るけど、いっつもドッグフード持って来るよ、あの子』
『……家族として恥ずかしい……』

 アルフは八神家に行くと、決まってザフィーラとじゃれ合っている。もちろん人型ではなく、愛らしい子犬フォームであるが。

『家族と言えば、クロノ君ってお父さんはどうしてるの? 会った事が無いんやけど』

 そして会話が止んだ。少し待ったものの、答えが返って来ない。
 どうしたのだろう?

『クロノ君?』
『……はやて。今のデバイスは君の魔力にどれくらい耐えられる?』

 彼の声が一変する。質問の意味は理解出来たものの、はやては躊躇うように答えた。

『え……。試した事無いけど、最大で六秒くらいやろと思う』
『今から脱出を試みる。君は最大出力で防御魔法を行使しろ。五秒以内に何とかする』

 疑問を言う時間も、復唱する暇も無かった。思念通話はクロノから一方的に遮断されてしまう。
 あまりにも一方的過ぎる行動に、さすがにはやても腹が立った。もう一度思念通話を送ろうとするが、それは出来なかった。
 折り重なる瓦礫の床に、蒼穹の魔法陣が描かれる。ミッドチルダ式の綺麗な円を描いた魔法陣。その色、その魔力は間違いなくクロノのものだった。
 納得できない感情を抑え付け、はやては犬を左手で抱えると、シュベルトクロイツに指を添えた。魔力回路の機嫌を窺うようにして魔力を供給する。
 登録している魔法を選択。ベルカ式防御魔法パンツァーシルト、及びパンツァーガイスト。
 術式を展開、構築。
 制御解放。
 白銀のベルカ式魔法陣がはやてと犬の身体を覆うように展開された。同時に白い魔力の膜が彼女達を包み込む。

「ええで、クロノ君ッ!」

 思念通話ではなく、はやては大声を張り上げた。
 それから何が起こったのか、はやてには分からなかった。ただ、発動した魔法がS2Uに登録されている魔法ではなく、デュランダルに登録されている大出力氷結 魔法である事だけが理解できた。
 一瞬で白に支配される視界。白銀色のパンツァーシルトのせいではない。心臓が停止してしまうそうな冷気がはやてを襲う。
 瓦礫の隙間が刹那の間に極寒と化した。
 エターナルコフィン。はやてが知る限り、クロノが持つ最大にして最強出力の超広範囲氷結魔法。そして、暴走した闇の書を止める為の手段の一つだった魔法。

「ク――」

 震える喉。痺れる舌。胸の上で狂ったように痙攣する犬。

「――ロ」

 地響きが来る。すぐ近くだ。頭上。首を動かして見ようとするものの、極端に低下する体温がそれを許さない。

「――ノ――」

 氷に変貌したコンクリートが砕かれた。白く硬い破片が飛び散り、氷結した塵や埃が鮮やかに舞った。霧の外套を纏い、黒灰色の少年が身を低くして現れる。脱兎 のような勢いだった。
 世界が震える音がした。獰悪な魔物の咆哮が聞こえる。何百トンもの建築材の崩壊の前奏曲だった。
 現れた少年――額から鮮血を流し、片眼を瞑っているクロノ・ハラオウンは、茫然とするはやての側で膝をつく。彼女を抱えるようにその背中に手を伸ばした。 犬が暴れるが一顧だにしない。

「君」

 血塗れの顔で、彼は微笑んだ。空いた手でデュランダルを頭上へ掲げる。
 鋭い電子音声。

『Blaze Cannon.』

 それは圧倒的な熱量を凝縮したクロノの砲撃魔法の一つである。だが、デュランダルから発射されたのは放出型砲撃ではなく、一点集中の圧縮型 砲撃だった。
 耳をつんざく派手な砲撃音はしない。術式を組み替えられ、一種の光学兵装に姿を変えたブレイズキャノンは、一条の光を成し、頭上の氷を食い破った。
 日の光がはやての顔を照らす。
 地響きの轟きがすぐそこまで来ていた。

「逃げるぞッ!」

 はやてを抱きかかえ、クロノが跳躍する。はやては凍える手で犬を抱き、クロノの腕にしがみ付いた。
 刹那、二人と一匹が居た場所に氷の落石が激突する。残骸の間に残骸が入り込み、軋み、落下した硝子細工のように粉々になる。
 破壊の大合唱を背に従えて、クロノは外に飛び出す。同時に飛行魔法を発動させ、全速力で離脱した。
 誰もいない都市に響く残骸の悲鳴。擬似的なダイヤモンドダストが道路に吹き荒れた。

「危なかったな……」

 クロノが脚から地面に着地する。冷たい突風が彼の頬を撫でて行った。
 はやては何度も眼を瞬かせ、眼と鼻の先にあるクロノの顔を見上げる。呆気に取られていたのはほんの数秒間だった。
 思い出したように抗議する。

「何て危ない事するんやクロノ君ッ! もうちょいで凍え死ぬところやったでッ!」

 だが、クロノは何も答えなかった。むしろはやての事を眼中には入れず、どこかのビルの一角を睥睨している。

「クロノ君……?」
「そこまでしてはやてを殺したいのか、あなたは!?」

 凍て付いた周囲の空気を一掃する声だった。はやては彼の腕の中で身を震わせる。寒さもある。だがそれ以上に、見上げたクロノの表情があまりにも恐ろしかった。
 眉間に寄せた皺は深く、はやてを支えている指には異常な力が籠もり、殺意すら宿っている眼をビルへ向けている。
 理性を憤怒で焼いた表情だった。
 澄んだ声が響く。

「解せんな。どうしてそこまで八神はやてを庇う、ハラオウン執務官」

 クロノの視線の先を追い、はやては声のした方を見る。
 崩壊したビルのすぐ隣に、一つの人影があった。クロノ同様の法衣状のバリアジャケットを着込み、重火器のような風貌のストレージデバイスを手にぶら下げている。
 日の光が差し込み、人影の表情を晒した。
 皺だらけの男性の顔がそこにはあった。顎に蓄えた髭はすでに白い。そこだけで判断するならば、男性は初老だろう。だが、その体躯には衰えた様子は無い。彫刻のように 伸び切った腰と逞しい手足はバリアジャケット越しからでも充分に分かった。
 クロノが表情を険しくさせる。忌むべき者の名を告げるように言った。

「ディンゴ・レオン提督……!」
「クロノ・ハラオウン執務官」

 厳かに告げた初老の男性――ディンゴ・レオン提督は、そのデバイスをクロノとはやてに翳した。
 彼のデバイスは、すでに魔導師の杖と呼べる代物ではなかった。砲撃・射撃魔法の使用を前提に組み上げられているのか、完璧なライフルの形状をしている。銃口 を備えていない対戦車滑腔砲とも言うべきだ。

「最終警告だ。八神はやてを渡してもらおう。彼女にはこの場で罪を償ってもらう」
「お断りします。彼女は渡しません」

 即答にして断言だった。クロノは静かにはやてと犬を地面に下ろすと、待機させていたS2Uを顕現させる。

「……あくまでも彼女を擁護するか。理由は何だ?」

 クロノは答える代わりに、手にした二対のデバイスを振り翳し、身を低くした。

「僕は時空管理局執務官です。執務官として、僕には八神はやてを守るという義務がある。ただ、それだけです」
「……やはりクライドの息子だな。その顔と発言、奴そのものだ」

 わずかに頬を緩めて、ディンゴ・レオン提督が言った。

「質問を変えよう。お前の父、クライド・ハラオウンは闇の書に殺されたようなものだ。父の仇は討ちたくはないのか?」

 心臓が跳ね上がる衝撃だった。思わず胸に手を添え、ゆっくりと老人の言葉を心中で反芻した。
 闇の書がクロノの父親を殺した。老人は確かにそう言った。その事実と言葉に間違いはない。そう思った時、再び心臓がドクンと大きな鼓動を鳴らした。
 唇が震えている事が自分でも分かった。

「クロノ君……。どういう、事や……?」

 少年は振り向かない。全身全霊を込めて、ビルの上の暗殺者を見上げる。

「……喩えそうする事で父が戻って来ても、僕はしません」
「家族よりも任務か。相変わらず優秀だ。だが、人間としては最低だ」
「クロノ君ッ!」

 はやてがクロノの腕に手を伸ばそうとした時、その足元に数発の弾痕が穿った。
 ビルの屋上では、ディンゴ・レオン提督が、硝煙を吐き出している指をはやてに突きつけていた。
 老いた双眸には暗い何かが確かに蠢いている。はやてはそこに、静かで激しい感情の流れが感じ取った。

「君は何も知らないのか、八神はやて」
「クロノ君のお父さんが闇の書に殺されたって、どういう事なんですか!?」

 本当は理解していた。分かってしまった。初老の提督の言葉通りの意味なのだ。それでもはやては頭の中に浮かんだ答えを否定する。否定する材料を探して躍起に なる。
 膝が笑っていた。身体は未だに寒波から回復はしていなかったが、シュベルトクロイツが無ければ本当に立っている事ができなかった。

「そのままの意味だ。十一年前、クロノ・ハラオウンの父、クライド・ハラオウンは封印した闇の書の護送中に暴走に遭遇し、搭乗艦エスティアごとアルカンシェ ルで蒸発した」

 否定も拒否も出来ない答えだった。頭が真っ白になって、錯綜していた意識が途絶える。

「そん、な……」

 話には聞いていた。アースラの同型艦船『エスティア』が闇の書に艦の制御を掌握され、結果として別艦の魔導砲アルカンシェルによって撃沈させられた事を。 そしてその時、艦長だった管理局局員を一人道連れにしていた事も、はやてはリンディ・ハラオウンから聞き、すべて知っていた。
 だが、その艦長がクロノの父親であった事は知らなかった。その話をしてくれたリンディの夫だったという事も知らなかった。



 闇の書が、リインフォースが、シグナム達が、クロノの父親を殺した――。



 ☆



 これ以上、何も言わないで欲しい。
 ギル・グレアムと並ぶ恩師だった老提督が、様々な教えを説き、魔導の知識と戦術を授けてくれた彼が、納める事の無い敵意と憎悪と砲口を向けている。
 何かの間違えであって欲しいと、クロノは願うように思った。この事件を計画した強硬派の主がディンゴ・レオンであると聞かされた時、どうしても感情が先行して 信じる事ができなかった。その時と同じ感情が溢れて止まらない。
 冬の闇の書事件の時もそうだった。最大の恩師であったグレアムの不可解さに気付き、独自に調査を進めていた時も疑心暗鬼を捨て去る事ができなかった。
 執務官としてグレアムを疑っていた自分と、個人としてグレアムを信じたい自分。その二者が葛藤を起こして、それはリーゼ姉妹を拘束する寸前まで引き摺り続けて しまった。
 あの時の葛藤の磨耗は覚えている。厳しいながら優しかったグレアムは、父の記憶がほとんど無いクロノにとって、言わば父親代わりだった。
 裏切られた、という気持ちも少なからずあった。
 だから、今度もなのかと、クロノは唇を噛み締めて、ただ漠然と思う。
 またなのか。
 また僕は恩師に刃を向けなければいけないのか――!

「ディンゴ・レオン提督」
「ハラオウン執務官、君は彼女を……」
「ディンゴ・レオン!!」

 跳躍。黒灰色の影が空を踊った。瞬き一つする時間も無く、クロノはディンゴ・レオン提督に肉迫する。
 縦と横、二方向から曲線を描き、二対の杖が煌く。
 ディンゴ・レオン提督は、その体躯からは想像の出来ない滑らかさで動いた。クロノよりも二回り巨大な砲戦デバイスを突き出し、大上段から振りかぶられたS2Uを 防御する。脇腹目掛けて放たれたデュランダルの柄を、無造作に左手を伸ばして掴み取る。
 半世紀以上の歳の差がある二人の魔導師が絡み合った。

「失った命は、喩え何をしようと戻っては来ませんッ! この事実に、悲しみに立ち向かうか逃げ出すか、それは個人の自由です!」
「………」
「ですがッ!」

 クロノの両腕に力が籠もり、魔力が荒々しく供給される。二つの方向からディンゴ・レオン提督の堅牢な老躯を抑え付ける。

「その悲しみに関係の無い者を巻き込んで良い権利は、どこの誰にもありはしないッ!」
「……ハラオウン執務官」
「それをグレアム提督と共に教えてくれたのはあなただ、レオン提督!!」

 最後はすでに悲鳴だった。
 ディンゴ・レオン提督は何も言わない。驚いたように眼を見張るばかりだ。

「……そう、だったな」

 そして眼を瞑る。口許に微笑を浮かべる。そしてそれは次の瞬間、唐突に消えた。

「だが、八神はやては私の悲しみに深く関わっているッ! 闇の書が、闇の書さえ無ければ、我が息子は死ぬ事は無かった!」

 デュランダルを握り締めているディンゴ・レオン提督の手に力が籠もる。その体躯から想像出来る通り、とてもクロノが太刀打ち出来る腕力ではなかった。
 歯を食いしばり、魔力を身体中に巡らせ、クロノは拮抗を保つ。足元でアスファルトが砕け、靴がめり込んだ。

「闇の書が息子を殺したのだ!」

 雷のように耳を裂く怒号。

「何がマスターかッ! 何が守護騎士かッ! 喩え元の夜天の魔導書になろうと、私はその存在を認めん!」

 溶岩のように制御不能の憤怒。

「認める訳にはいかんのだぁ!!」

 呼吸する事すら困難な高密度の魔力が吹き荒れる。

「レオン提督ッ!」
「ハラオウン執務官ッ! 私の教えを貫きたいのなら、私を止めてみろッ! 闇の書を、八神はやてを守ってみせろォ!!」





 continues.





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