墓地がある。

「約束してから二年もかかったな」

 地面を踏み締めば、がさりと草が音を鳴らす。

「せやね」

 小気味の良い草の足音。

「リイン、おいで」
「はいです、マイスター」

 無邪気で幼い声。空色の髪を靡かせて小さな少女が走って来る。母を追う娘のように、その仕草はあどけなく、そして愛らしい。

「リンディさんやフェイトちゃんは?」
「仕事で遅れてる。後で来るそうだ」

 時空管理局が有する管理世界の一つ。
 水と大地に満たされている世界。
 花鳥風月という言葉が何よりも似合う豊かな空間。

「久しぶりだ、ここに来るのも。闇の書事件が終わった後以来かな」

 殉職者慰霊墓地。

「相変わらず親不孝だな、僕は」

 文明レベルがゼロの世界に、それは作られていた。
 人気は無い。人間の匂いがしない。ここを訪れる人間は非常に限られている。墓参する遺族か、墓地を管理している管理局局員か。そのどちらかしかない。

「クロノは親不孝さんなんですか?」
「ああ、間違いなくね」
「どうしてですか? リンディ提督はクロノが来てからずっとニコニコしてますよ?」
「かもしれないが、僕が究極的に親不孝な事に変わりはないんだよ」

 少女は眼を瞬かせ、首を傾げた。
 磨き上げられた墓碑はすべて白く、風化の痕跡が無い。厳しい寒波と気温に晒され、訪れる者が極々限られている空間だが、墓碑達はいつも変わらない姿でそこに ある。
 蒼く深く突き抜けるような空。
 掴めてしまいそうな白い雲。
 風に波打つ翠の平原。
 地平線は遠く、どこまでもどこまで――そう、本当にどこまでも遠くまで続いている。
 世界の中心にある墓地。

「眼がちかちかしちゃいます」
「もう少しだ」

 理路整然と立ち並ぶ墓碑の数はあまりにも多く、回廊が自然と作られていた。
 その道を歩き続けてしばらくした頃――。

「着いた」

 クロノ・ハラオウンが脚を止めた。
 L級巡航艦船艦長を務め、多くの部下達から親しまれ、敬愛されていた提督局員。その墓標は、数多の墓碑と変わらない。 『Clyda Haraoun』と記された白い石には、特別な装飾品など無かった。

「クライド……ハラオウン?」
「僕の父さんだ」
「死んじゃったんですか?」
「ああ。僕が三歳の頃にね」

 クロノ・ハラオウンが一枚のカードを取り出す。

「お久しぶりです、父さん」

 滅多に袖を通さない紺色の制服のポケットから出て来た黒と赤のカードが、ゆっくりと墓前に置かれた。

「二年前、これに助けられました。――ありがとう」

 八神はやてが小さなリインフォースの肩を抱いて、傍らに立つ。

「また使う事があると思いますが、その時は力を貸してもらえると嬉しく思います」

 墓碑に触れる。父の名が掘り込まれた石碑は冷たかった。
 この下には誰も入っていない棺が埋められている。遺体は存在しない。虚無の棺を満たしているのは花々と思い出と数枚の家族写真だけだ。
 だから、この墓碑は飾りに過ぎない。哀悼の意を手向ける一つの場所でしかない。
 墓地とはそうしたものだろう。死者の尊厳を奪う事は誰にも許されない。死者を冒涜する事は誰もが許さない。
 ここは邂逅の場なのである。

「すぐに来ると思いますが、母さんも元気です。フェイトは……多分前とは違う形で、また紹介させてもらいます」

 悴む指を胸に抱いたクロノは、父の遺産のデバイスをポケットに仕舞って立ち上がった。
 はやてがリインフォースを抱いたまま、一歩前に歩み出た。
 逡巡の後、はやてが口火を切る。

「初めまして、八神はやてと申します。最後の夜天の主です」

 空色の髪の少女が不思議そうにはやてを見上げる。
 はやては少女を優しく撫でると、墓碑にこう言った。

「この子は――祝福の風、リインフォース。私の……私の、大切な家族です」





魔法少女リリカルなのは SS

Snow Rain

♯.1





 リインフォースの一日は、はやてと共に始まり、はやてと共に終わる。
 活動時間が短い彼女の起床は剣十字のペンダント――デバイスの中だ。
 眼を覚ましてデバイスの外に出ると、いつもはやてが笑顔でおはようと言ってくれる。はやてのリンカーコアのコピーを核として生まれた影響なのか、心のどこかで ラインのような繋がりが二人にはある。絆というべきものなのかもしれない。
 現実空間に身体を維持・顕現させるには、まだリインフォースは幼く、技術的に難しい。はやてから最低限の魔力供給を受けつつ、彼女は元気に一日を過ごす。
 寝坊なヴィータを容赦なく叩き起こすのはリインフォースの大事な仕事の一つだ。食事の準備も板に付き、ヴィータの八神家での家族貢献度は大暴落しつつある。
 学校にくっついて行くのも日常茶飯事だ。もちろん従来の人型サイズでは目立つ上に学校に入るのは不可能なので、魔力消費を抑えた掌サイズではやての通学鞄に潜り込む。 もっとも、はやては学校に連れて行く事に酷く消極的だった。何故なら、授業中に鞄から抜け出したリインフォースが、この数ヶ月で幾度と無く 騒ぎを起こしているからである。
 昼食時は鞄から顔をひょっこりと覗かせて、級友達と仲良くお喋りをして食事を楽しむはやてを眺める。肩に乗ってお弁当を摘むのが密かな野望であったりもするが、 人気に溢れた昼食休憩では不可能だ。
 放課後は予定が無ければ、大抵、アリサやすずかの自宅へ遊びに行く。妹のように可愛がってくれる二人がリインフォースは大好きだった。
 予定――管理局の任務が入っていれば局へ直行だった。捜査や執務などの業務関連でリインフォースに手伝える事はほとんどないが、荒事になれば向かう所敵無しだ、と 勝手に自負している。実際には護衛として付き添うシグナムやザフィーラの活躍で出番は多くはないのだが。
 仕事が終われば海鳴の自宅に戻り、はやてと肩を並べて入浴だ。ほとんど独占状態で、ヴィータが不貞腐れたり、シャマルが騒いだりして、この時が一番八神家が 荒れる時間なのかもしれない。
 長期に渡った休学の影響で、はやてに出されている宿題は他の子に比べてずっと多い。眠い眼を擦ってそれらと戦うはやてを応援するのも大切な仕事である。
 それが終われば就寝だ。ベッドたるデバイスの中へ帰り、明日に備えて早く眠る。クロノ・ハラオウンが戻って来るまでは、そんな生活がリズムよく続いていた。
 彼が現れてから、はやての様子がおかしくなった。
 何もせず、ただぼうっとしている時間が増えたのだ。増えたというよりも、そうした時間が出来た、というべきかもしれない。
 学校の授業中、空を眺めていたり。
 管理局の業務中、天井を見上げていたり。
 入浴時、窓から月を仰いでいたり。
 ふとした物思いに耽る横顔を、リインフォースはこの一ヶ月近くで何度も眼にするようになった。
 すべては、あのクロノ・ハラオウンが現れてからだった。
 彼の事は何度も聞いていた。主にはやてからだが、ヴィータやシグナム、なのは、ユーノ、そしてフェイト、親しい者達全員からどんな人物なのか聞かされ、知っていた。
 無愛想で、生真面目。
 ぶっきらぼうで、不器用。
 甲斐性なしで、鈍感。
 無茶ばかりして、愚直。
 そして、優しくて強い。大抵この言葉が出て来るのはフェイトだ。
 七月にクロノが現れた時、彼はリインフォースがイメージしていた想像とはまるで違っていた。
 強そうには見えなかった。
 何より、彼自身がそれを否定して、自らを弱いと断言した。君の要望には応えられそうにないと寂しそうに笑いもした。
 謙遜した言葉は、しかし、自嘲や蔑み、自虐から来るものではなかった。難しい事はまだ分からないが、リインフォースは何となく理解出来た。
 クロノは自分の弱さを知り、それを受け入れた人間なのだ。そして、これから先を強く生きようとしている。
 シグナムから教えられていたというのもあったが、そんな生き方が出来る人を強いと思う。
 それから、リインフォースはクロノに会うのが楽しくなった。
 大きな掌で頭を撫でられれば、胸の奥に暖かさが湧いて来る。
 抱きつけば、眠気を覚えてしまいそうな安らぎを得る事が出来た。
 名前を呼ばれれば、耳がこそばゆくなり、それだけで嬉しくなった。
 クロノが、はやてやヴィータに勝るとも劣らないスキンシップの対象に昇り詰めるまで時間は要らなかった。
 ただ、そうなればなるだけ、はやてがどこか遠くを見詰めている時間は増えていった。
 不思議だった。声をかけても生返事や適当な相槌しか返ってはこない。
 シグナムやシャマルもそれとなく気付いている様子だったが、何も言わなかったし、何もしなかった。
 それがリインフォースには出来なかった。彼女と繋がっているリンカーコアのラインが見過ごさせてはくれなかった。
 だから、クロノ・ハラオウンの父の墓参りの翌日、はやてを学校に送り出した後、リインフォースはシグナムに問うた。

「シグナム〜」

 彼女は裏庭で素振りをしていた。得物は竹刀。いくら敷地内と言ってもレヴァンティンを振り回す訳にはいかないだろう。

「何だ、リイン」

 素振りをやめて、シグナムは首から提げたタオルで額の汗を拭った。

「マイスターの事でご相談です」

 タオルを持つ手が止まる。

「最近、何だかマイスターの様子はおかしいです。学校でも管理局でもお風呂でも、ぼーっとしている時間があるんです」
「……ああ、そのようだな」
「クロノが来てからです。シグナムは何か知りませんか?」

 止まっていた手を動かして、シグナムは汗を拭き終える。まだ上り切っていない朝陽が額の汗の残滓に綺麗に反射し、汗を吸った髪が頬にぴっとりと貼り付く。

「知ってはいるが、これは主はやてがご自身で解決されなければならない事だ。私から手を差し伸べて差し上げる事は出来ない」

 いつになく消極的な将の言葉に、リインフォースは眉根を寄せた。

「どういう事ですか? どうしてシグナムが手伝ってあげちゃ駄目なんですか?」
「お前にはまだ早い。主はやてのご年齢を考えれば、彼女にも同様の事が言えるのだが」
「……ちっとも分かんないです。シグナムはマイスターが心配じゃないんですか?」
「無論心配だ」

 縁側に竹刀を立てかけ、腰を下ろすシグナム。

「心配だが、これは主はやての感情の問題だ。如何に近い場所に立つ私やお前が何か言った所で、効果は望むべくもない」

 冷たい。リインフォースはそう思い、しかし、口の先をぎゅっと結んで肩を震わせる。
 はやての様子のおかしさに気付いているのなら、一緒に何をしてあげられるのかを模索して、すぐにでも行動に移したかった。それなのに、どうして突き放すような 態度を取るのだろう。

「そう睨むな」

 口端を緩めて、汗の匂いのする将が言った。

「私も何も出来ない自分に腹が立っている所だ」

 彼女の眼が側の竹刀へ移る。近場の剣道道場で臨時講師をしている彼女の私物だ。管理局入りしてから顔を出す時間も機会も減ってしまったが、彼女を慕う生徒は 多い。

「こういう時、戦う事しか能の無い将は役立たずなものだ」
「……もういいです。シグナムには頼りません」

 見切りをつけたかのように、リインフォースは踵を返した。苛立ちが強く足音を響かせ、足元の床材を軋ませる。
 何も出来ない自分を自覚している。だから、手を差し伸べる事も思案する事もを放棄している。一番頼りにしていた家族の将に、リインフォースは軽く失望してしまった。
 はやてを溺愛しているヴィータに聞こう。朝から管理局に出向いている彼女に会う為、リインフォースは備蓄魔力を駆使して転移魔法を行使する。
 シグナムは、そんな幼い管制人格の少女の背を見送る。その顔に浮かんでいた哀しい感情を読み取れるほど、リインフォースの精神は成熟していなかった。



 ☆



 武装隊の共同オフィス。区役所のロビーに似たような構造を持つ一角に守護騎士達のデスクがある。特別捜査官補佐という肩書きも持つ彼女達だが、書類上の所属先は 武装隊だ。書類仕事も抱えているし、それを片付ける仕事場は必要である。暴れるのが主な仕事のヴィータにも、それは用意されていた。
 親切な女性局員に案内されたリインフォースは、飴玉を貰って幾分か気分が良くなっていた。

「……完全に子供扱いだな、お前……」
「ヴィータちゃんだってそうじゃないですか」

 紅の鉄騎用に用意されたデスクは、シグナム達のものとは違って背が一回り以上小さかった。広大で雑踏とした共同オフィス内でも、彼女の机はひときわ目立つ。 高校の教室に小学生用の椅子と机が並んでいるような違和感があった。
 言い返す言葉の無いヴィータは、仏頂面で妹分の空色少女を見据える。

「で、何しに来たんだよ」
「マイスターの事です」
「はやて?」

 己が命よりも大切なマスターの名に、ヴィータは表情を切り替える。

「クロノが来てから、マイスターの様子がおかしいんです」

 ヴィータは何も答えない。手元の書類につらつらとボールペンを走らせている。

「ヴィータちゃんは何か分かりませんか?」
「分かるけど、分かんねぇ」

 矛盾した姉の言葉に、リインフォースは眼を瞬かせる。

「どういう事ですか?」
「……どういう事もこういう事もねぇ。……分かるけど、分からねぇんだ」

 意味が分からなかった。曖昧を嫌うヴィータの言葉とは思えない。
 彼女の表情からは何も読み取れなかった。下から覗き込んでみれば、蒼い瞳は書類に文字を書き連ねて行く己がペン先を追い続けている。リインフォースの存在を 鼻から無視するかのようだ。
 らしくもない冷たい態度と無関心さに、リインフォースはシグナムに感じた失望を紅の鉄騎にも覚えた。
 どうしてだ。どうしてそんなに突き放すのか。主はやてが心配ではないのか。屈託のないあの笑みが、暖かさをたたえたあの微笑に影が射し込んでいるというのに、 どうしてそんなに安穏としているのか。

「……ヴィータちゃんはマイスターが心配じゃないんですか?」

 つい数十分前に頼りにしていた将に告げた言葉。
 ヴィータは見向きもしない。文字を書くボールペンが動く速度も変わりはしない。

「心配だけど……あたしに出来る事なんて何も無いから」

 冷水のような冷たさを感じてしまう言葉だった。
 守護騎士達の中でも精神年齢が近いせいか、最も親しかった姉のような存在なのに。賛同してくれると思ったのに。

「どうしてシグナムもヴィータちゃんもそんなに冷たいんですか?」

 小さな手を握り拳に変えて、リインフォースが言った。雑念とした共同オフィスの中でも良く通る澄んだ声だった。

「………」
「どうしてですか。教えて下さい」

 ヴィータの制服の裾を引くリインフォースの姿は、親に好奇心の赴くままに様々な事を訊ねる子供そのものだった。そこに一欠片の悪意も存在しない。興味を惹かれた から、疑問に思ったから、だから聞く。だから問う。そんな子供を、親は無碍には出来ない。
 だが、リインフォースは違う。興味ではなく、大好きな主が心配だからだ。だから少しでもその原因を知っていそうな家族を頼る他に無かった。
 ヴィータはペンを置く。コトンという僅かな物音。彼女が蒼い双眸をゆっくりとリインフォースへ向ける。

「あたしだって、何とかしたい」
「だったら」
「でもさ……何も出来ないんだよ」

 ヴィータの瞳に浮かんだ感情が、シグナムの表情にあったモノと同質だった事に、その時のリインフォースが気付けるはずもなかった。
 生まれて半年と少しの管制人格の少女は、外見通りに子供なのだ。

「……もういいです」

 顔を背け、背を向ける。飴玉の封を開けて、腹いせとばかりに口の中に放り込む。

「リイン一人でマイスターをお助けします」

 返事を待つつもりは無かった。そもそも期待なんてしていない。リインフォースは孤独な宣言を残して、サッサと共同オフィスを後にした。
 将と騎士がこれなのだ。参謀も盾も、恐らくは同じだろう。発言通りに独力で主を助けなければいけない。
 そう思えば余計に使命感に燃えて来た。

「そうです、リインがマイスターをお助けするのです!」

 作った握り拳を力強く天へ掲げ、しかし、その姿のまま、リインは完全に静止した。

「―――」

 不甲斐ない家族達に代わって、元気の無い主を助ける。優越感にも似た不可思議な感情が胸の中に鎮座しつつあるが、それはそれでいい。目標を掲げる事は 大切な事だし、何よりも大好きな主の為だ。どんな苦労もリインは厭わないつもりだ。
 だが、何をどうすればはやては元気になるのだろうか。

「……ど、どうすればいいのでしょう……」

 リインはさっそく途方に暮れて、管理局内を徘徊する事になった。
 何故はやてが落ち込んでいるのか、その原因から探るのが筋というか、無難な第一歩なのだろうが、生憎とリインの頭脳は素直で純粋なお子様だ。物事を平面でしか 捉えられないので、原因追求という行為にまで思考が至らないのである。

「ん〜」

 口の中で小さくなった飴玉を弄びながら、リインは本局内の事務区画を出る。管理局はとにかく巨大且つ広大だ。どこに何があって、どのような機能を果たしているのか、 所属暦の長い提督でも完全に把握している者は少ないだろう。生まれてこの方数ヶ月というリインフォースは、もっぱら、はやてに手を引かれて歩いている。案内端末の 使い方も分からないので、あっという間に迷子になってしまった。

「ここはどこですかぁ〜!?」

 心細い。知っている人も、場所も、どこを探しても無い。蟻地獄のように動けば動くほど、訳の分からない場所に辿り着いてしまう。
 この世の終わりのような絶望がずぅんと肩に圧し掛かって来た。
 記憶に無い内装に、誇り高き蒼天の魔導書の管制人格は、人目も憚らずに号泣した。たまに通る局員が不思議そうにして、声をかけようとするが、託児所に預けられた 幼児のように泣き叫ぶリインフォースにどう接していいか分からず、かと言って見捨てて行く事も出来ず、しどろもどろしていた。
 そんな時だった。

「リインフォース?」
「ふぇ?」

 涙で雲ってしまった瞳をごしごしと擦り、振り向くリインフォース。

「はやてはどうしたんだ? ……まさか、君一人なのか?」

 道端で珍しい物でも見つけたかのような眼差しで、クロノ・ハラオウンが立っていた。
 見知った顔の登場で、胸いっぱいに安堵感が広がる。しかし泣き止む事が出来ず、今度は心細さからではなく、安心から来る号泣だった。



 ☆



 リインフォースを構成しているパーツは三つある。
 夜天の魔導書と同様の性質を持つ巨大蒐集ストレージ『蒼天の書』。
 八神はやてのリンカーコアの一部をコピーした、文字通りの『コア』。
 先代のリインフォースが八神はやてに遺した剣十字の『ペンダント』。
 器は蒼天の書が務め、そこにコピーされたリンカーコアの一部と、ペンダントの魔力残滓――言い換えれば、先代のリインフォースの魂そのもの――を融合。当初用意 された人格は白紙のキャンバスのようなものだったらしく、最初は感情の起伏に乏しくてその扱いに苦労したらしい。今現在は、多くの暖かな家族と友人に囲まれて、 まさに外見通りの天真爛漫な女の子となった。
 クロノはその出生に関しては詳しく聞いていないものの、今を幸せそうに生きているリインフォースに満足していたので、はやて達に改めて訊こうという気には なれなかった。

「美味いか?」
「はいです! やっぱりパフェはチョコパフェに限ります!」

 テーブルを挟んで眼の前の席に座っているリインは、先ほどからジャンボチョコレートパフェと楽しい死闘を演じている。鼻先や頬に張り付いている生クリームの跡がその 壮絶さを物語っていた。

「喜んでいただけて光栄だ」
「クロノは食べないんですかぁ?」
「僕は甘いのが苦手なんだ。コーヒーを飲んでる方が落ち着く」

 本局のショッピングホール内には喫茶店が何軒かある。クロノが泣き止まないリインに手を拱き、打開策として彼女をここに連れ込んだのだ。子供扱いは苦手中の 苦手というべきか。魔導師としてはAAA+の使い手であり、屈指の執務手腕を誇る彼だが、号泣する女の子の前では、現場に放り出された新人武装局員と何ら 変わらぬ存在であった。
 無糖のブラックコーヒーの香りを楽しみつつ、クロノはナプキンでリインの汚れた頬や鼻を綺麗に拭ってやる。
 チョコレートパフェを頼んで、それがやって来た途端、スコールの直後に眩い太陽が現れたかのように、彼女は表情を一変。微笑ましい笑みをたたえて、冷たいグラスに スプーンを突っ込んで今に至る訳だ。

「クロノは人生の半分を損してます。チョコパフェはとってもとっても美味しいんですよ?」
「そんなに美味しいのか?」

 糖分の塊にしか見えない白いクリームを睥睨する。ちなみに、クロノが甘い物を苦手としているのは母親の影響だった。

「はいです。一口食べてみますか?」

 そう言って、リインは長いスプーンの先にクリームとアイスを載せて、クロノの口許に運んだ。
 クロノは懊悩の後、一口ならばとスプーンに口を付ける。予想通りの甘みが口の中にほんわりと広がった。

「甘い」
「そりゃそうです。パフェですよ? あ、もう一口入りますか?」
「……いや、やめておくよ。君一人で楽しんでくれ」

 さっそくブラックコーヒーで喉を潤し、口直しをする。
 クロノ・ハラオウン十七歳。こんな所でも彼は子供らしくない。
 残り僅かとなったカップをコトリとテーブルに置くと、クロノは改めてリインに言った。

「ところでリイン。君が一人で本局に来てるなんて、一体どうしたんだ?」

 その途端。眼に見えてリインの表情が曇った。スプーンを忙しく動かしていた可愛らしい手が急停止する。
 何か拙い事に触れたのだろうか。だが、大抵ははやてと一緒に行動している彼女がこうして一人で居るのは大変に珍しいというか、クロノが知る限りは異例の事態の はずだ。そもそも、生まれて間もないこの管制人格の少女の活動時間は短い。はやてからの魔力供給が無ければ二十四時間も稼動出来ないのだ。離れ過ぎても、彼女と リンカーコアの一部にラインを敷いている為に活動に支障が出る。
 恐る恐ると言った様子で、クロノはリインの表情を伺った。

「クロノ」

 パフェのグラスの中にスプーンを戻して、リインが声音を改める。先ほどまで甘い洋風菓子に心を奪われていた少女は、瞳の気配もガラリと変えた。

「マイスターの様子がずっとおかしいんです」
「はやてが?」
「はいです。クロノが来てから、何だかぼーっとしてる時間が増えたんです」

 軽い衝撃だった。

「リインはこのままじゃいけないなって思いました。だから、シグナムやヴィータちゃんに相談したんです。でも、シグナムもヴィータちゃんもマイスターの問題 だから、マイスターが自分の力だけで解決しなきゃいけないって言うんです」
「………」
「そんなのおかしいです。マイスターに元気が無いと、リインの元気も無くなっちゃうんです。マイスターが笑っていないと、リインは悲しいんです」
「……君は本当にはやてが好きなんだな」

 残りのコーヒーを口に運ぶ。温くなってしまったほろ苦い味が、風味と共にやって来る。
 リインフォースは青空のような瞳を仔犬のように瞬かせて――にっこりと笑った。

「はい。大好きです」

 生み出してくれた存在だからというのもあるだろう。
 彼女の惜しげもない愛を感じているからだろう。
 でもそれ以上に――『リインフォース』という名が、この管制人格の少女が八神はやてを愛している最も大きな理由だとクロノは思う。
 夜天の魔導書の管制人格だった先代のリインフォース。彼女がどのような存在で、どうして居なくなってしまったのか。眼前の少女は知っている。はやてが昔話を 語って教えるかのように話をしたのだという。
 長い長い刻を生きて、辛くて、悲しい思い出しか抱かず、悲嘆と絶望を繰り返し、いつからかすべてを諦め、諦観してしまった女性。
 でも、最後の最後で八神はやてに出会い、守護騎士達と共に光を掴み――けれど、先に逝く事を選んだ女性。
 そんな女性に与えられた一夜だけの名が『リインフォース』。眼前の空色の少女は、その名を何よりも誇りにしているという。
 幼い精神と感受性で、はやてが話した内容をどこまで理解したかは定かではないが、今浮かべている無邪気な笑みが、良い方に受け取っている何よりの証拠だった。
 先代と同様に、このリインフォースは八神はやてを心の底から愛している。だからこそ心配なのだろう、今のはやてが。

「……はやて、か」

 最後の夜天の主。
 特別捜査官として幼いながらも管理局で重要な役職に就き、希少魔法を行使して難解な事件を幾つも解決に導いている。
 彼女が何かに悩んでいるのは知っていた。
 その原因も、今なら何となく分かる。幾らか候補を選び、これだろうと問う事も出来る。
 だが、しない。いや――出来なかった。

「クロノは知りませんか、マイスターに元気が無いの」

 胸が痛んだ。嘘を付くとしている自分に呆れて、軽い自己嫌悪を覚える。
 健気に彼女を慕い、敬愛し、その身を案じている小さな少女を前に、クロノは唇を噛んだ。

「……済まない。心当たりは無い」





 continues.





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