雨が降っている。
 身に沁みるような冷たい雨だ。
 雨音は止まない。止まないが、さりとて強い訳でもない。
 見上げた空は鬱蒼とした雨雲だ。当たり前の光景だった。眼に進入する水の雫。何度も瞬きをして、手の甲で擦る。
 フェイト・T・ハラオウンは、ここがどこなのか、よく分からなかった。
 刹那の前まで、自分は八神邸にいたはずだ。正体不明の結界を突破して、その原因があると思われる親友の自宅に調査の為に入り込んだはずだ。
 それなのに、どうして自分は海鳴臨海公園にいるのだろう?
 しかも、どうしてこんなにも嫌な予感がするのだろう?
 寒い。
 たった今から雨に打たれ始めたというのに、身体は何時間も、何十時間も雨水に晒されているかのように悴んでいる。指先の感覚は突然と消え失せ、バルディッシュを 握っているのかどうなのかさえも分からない。水気を吸った前髪が頬や額に張り付いて視界を遮り、微かな苛立ちを誘っていた。
 誰かが警告をしている。
 このまま、ここにいてはいけない。この空間に、この雨に打たれ続けてはならない。
 それは、もはや強迫のような強烈な警告だった。それがどこから発せられているものなのか、フェイトには分からない。ただ、本能めいたものである事は理解できた。
 左の手首に痛みが走る。鈍く、疼くような痛みだ。同時に、懐かしい痛み。
 警告が消える。嫌な予感が変わる。
 視線を巡らせる。

「―――」

 白髪の少年が立っていた。
 赤いラインが走った黒い法衣。
 手には一振りのストレージデバイス。
 少年の眼が見えた。こちらを見据えている。黒い二つの瞳が、静止したかのように、何よりも魅入られたかのようにフェイトの瞳を見ている。
 肺が止まった。

「久しぶり」

 少年が言った。
 フェイトは何も言わずに後ずさりをした。
 金属が噛み合い、擦れ合う音がする。撃鉄を押し上げた時のような重い金属音。

「また会えて嬉しいよ、フェイト」

 左手の痛みが増して行く。

「どうして……」

 悪夢を前にして、そう呟く事しかできない。
 白髪の少年――二年前の事件の時、再起できない絶望を抱えたクロノの成れの果ては、あの時と同じように、ぞっとするような無表情でそこに佇んでいる。

「どうして……何で、また、こんな……!」

 震えた歯が、無様にぶつかり合い、乾いた音を上げる。

「どうしてだと思う?」

 分からない。このクロノの成れの果てが、自分の眼前に現れる事は二度と無いはずだった。『クロノは一人しか存在しない』のだ。
 びちゃり、びちゃりと、フェイトは足を背後へとやり、クロノの成れの果てから遠ざかろうとする。彼を前に、フェイトは逃避する以外に何もできなかった。
 それなのに、そのクロノは歩み寄って来る。無表情のまま。無機質な何の変哲も無いただの石のようになってしまった黒い瞳に、獰悪な感情を秘めて。

「どうして……!」
「リインフォースさ。闇の書事件の時、君は一度彼女に取り込まれて、そして『夢』を見せられたろ? 同じさ」

 同じなはずがない。確かにあれは夢だった。優しい生み母と、穏やかな育ての親と、幼くて屈託のない姉が同時に存在していた、微温湯のように居心地の良い、自分が求めた 幸せに満ち溢れた世界だった。
 それなのに、今度は何だ。自分が最も思い出したくない記憶だ。クロノが戻って来ても、時折悪夢のように見ていた映像ではないか。

「正確には違うんだけどね。オリジナルのリインフォースでないあの少女が、技術的に模範して、擬似的に発生させている君の心の世界の光景だよ」
「心の、世界?」
「君が一番忌むべきモノとしている記憶。リインフォースはそれを引きずり出して、君に見せている」
「………」

 何故リインフォースがそんな事をしなければいけないのだろう――。
 そんな当然のような疑問も、フェイトの思考には浮かんでは来なかった。
 今は、ただ愕然と目の前の光景に身も心も絶望させるだけだった。

「さぁフェイト」

 やめて。同じ声で、クロノと同じ声で、同じ顔で、呼ばないで。

「僕とさぁ」

 耳を塞ぐ。絶叫したかった。でも、恐怖で引き攣った喉が動いてくれないのだ。
 紅いストレージデバイスが翳される。六連装型カートリッジシステムを導入した歪な形状のS2Uが、その先端部位に青白い燐光を纏う。
 そこから先の言葉は聞きたくない。
 声が出せず、フェイトは瞳で懇願する。命乞いをするかのように。
 それらの儚い努力は、しかし、無駄に終わった。

「殺し合いをしよう」

 魔法選択、魔力供給、術式構築の三工程が破滅的な速度で処理され、制御解放がされる。魔法現象を現実世界に顕現させるに必要な撃発音声は無い。しかし、白髪の クロノの紅いS2Uは、その先端に魔法陣を描く。回避や防御の選択すら許さない刹那後、それは解放される。
 本能が身体を突き動かす。幼少から鍛えられて来た少女の幼い身体は、完全な無意識で横へ跳んだ。水浸しの石畳が飛沫を上げる。肩から地面に落下。受身を取る事は できず、叩き付けられた肩の骨が絶叫する。歯を食い縛って耐え抜き、素早い身のこなしで態勢を整える。
 灼熱の熱風が肌を焼いた。水分が蒸発する鋭い音が地鳴りのように響く。
 ブレイズキャノン。射程距離、詠唱速度、連射性能、火力、すべてが高水準で纏められた砲撃魔法。クロノが得意とするそれは、石畳を抉り、巨大な溝を遥か彼方までに 作り出していた。
 完全な殺傷設定だ。考えるまでもない。しかも、フェイトの防御出力で耐えられるほどの火力でもない。回避を選択していなければ、フェイトは熱の本流の中に飲み込まれて いただろう。

「あれからもう二年も経ってるから……君もそれなりに強くはなってるよね?」

 白髪のクロノが歩み寄って来る。その顔にはやはり表情が浮かばない。声音だけが喜んでいる。
 そう、彼は現状に歓喜している。自分と殺し合えるこの状況に、白髪のクロノは静かに身を震わせ、無表情のまま、愉悦に浸っている。
 夢なのに。有り得ない、絶対に無いはずの夢なのに。
 あの記憶がすべて掘り起こされる。忘れたい、閉じ込めたはずの悪夢が無遠慮に再起させられて行く。反芻させられて行く。
 左手におぞましい痛みが走った。防御用の手甲の隙間から、バケツの水をぶちまけたように赤い液体が溢れる。
 膝をつく。左手を庇うように抱いて、フェイトは凍り付いた眼差しを白髪のクロノへ向けた。
 無機質な石のような瞳は、フェイトに瞬きすらも許されなかった。

「痛い?」
「ぅぁぁ……」
「僕もね、痛かったんだよ」
「……ぁぁぁぁぁ……」
「なのはに拒絶されて……君に沢山のモノを奪われて……」
「ああああああああ……!」
「フェイト」

 べちゃりと音を鳴らして、クロノが眼前に立った。先端に熱い魔力を宿した紅いS2Uが動き、フェイトの脚を捉える。
 その行為が何を意味するものなのか。理解するより、悟るよりも早く、クロノが言った。

「僕は君が大嫌いだ」

 射撃音。

「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 心を砕かれ、脚を潰されたフェイトは絶叫した。





魔法少女リリカルなのは SS

Snow Rain

♯.4





 何もできなかった。

「リイン……!」

 血を吐くように、クロノは少女の名を紡ぐ。いや、実際には血を吐いていた。両膝をついている地面には、噛み砕いた歯の破片が無残な姿を晒している。本来は 白いはずの歯は血液の赤みで染まっていた。
 黒い空間で、クロノは擱座するように跪き、両腕を拘束されていた。腕は魔力の鎖で完全に縛り付けられていて微動だにできない。バインドブレイクを行使しても 破壊できず、力任せに足掻いた結果、鎖は手首の皮を磨り潰して肉に直接食い込んでいた。
 激痛に視界が歪む。それでも、黒い空間に浮かんでいる二つの映像は乱れずに見える。喩え眼を閉じようとも、強制的に視聴させられてしまう。

「何が……目的だ……!」

 大切な友人――なのはが、あの狂った科学者に一方的に蹂躙されている。今の彼女の魔導師としての能力ならば苦戦はしないはずだった。それなのに、あの苛烈 極まりない格闘能力を前に膝を折りつつある。それでもなのはは無謀な突撃を繰り返している。どんなに拳や蹴りを喰らおうと、地面を転がろうと、少女は抱えた 少年の頭部を手放そうとはしない。涙と声を枯らしながら、高町なのはは本来の戦い方をかなぐり捨てて戦っている。

「彼女達にこんな事をさせて……何を考えてる……!?」

 大切なヒト――フェイトが、かつての自分に容赦なく傷付けられている。完全な無抵抗。完璧な絶望。撃ち抜かれ、潰された両脚を引き摺りながら、痛みの絶叫を 迸らせながら、それでも白髪のクロノ・ハラオウンへ反撃しようとはしない。左の手首から夥しい流血を起こし、それで顔の半分近くを赤く汚しても、彼女は なされるがままだった。

「僕にこれを見せてどうするつもりなんだッ!?」

 二つの映像に挟まれるようにして、長身の女性が浮遊している。

「リイン――フォースッ!」

 喉を枯らすように、呪いを吐くように、クロノは女性を呼ぶ。
 しかし、彼女は何も答えない。優雅とも思える微笑をその口元に浮かべて、愛しむようにクロノを見詰め続けている。何をする訳でもなく、何を話す素振りも無い。 大切にしている観葉植物や写真を賞玩しているような様子だった。
 その喩えは的を得ているかもしれない。クロノは叫ぶ事でしか吐け口が無い焦燥と憤りに身を焼きながら、ひとかどの冷静さを保っている脳裏で思案する。
 そうだ、考えろ。
 フェイトやなのはの凄惨な状況は、瞑目しようと網膜投影で閲覧を強制されている。心に静けさは無く、感情は束縛する術を知らない天災のように荒れ狂っている。
 それでも考えるんだ。
 砕けた奥歯を噛み締めると、剥き出しにされた神経が眼が覚めんばかりの激痛を発して来る。舌は口いっぱいに広がった血の味しか捉えない。痛みと不快さが治まる先を知らない感情と結合して身体と駆け巡る。
 それは毒を持って毒を制する方法だった。焦りや怒りという感情を、肉体的な痛みを持って叩き伏せる。クロノに必要だったのは、現状打破の糸口を考案する為の 一握りの時間なのだ。

「―――」

 血塊のような唾を吐き捨てる。唇から流れた血は拭えず、顎を伝って首筋を下へと下って行った。
 リインフォースは変わらない微笑を維持し、視界の上を漂っている。時折、その瑞々しい太股を組み替えて、じゃれ合う仔犬を見守るかのように微笑みを濃くする。
 悲鳴が聞こえる。なのはのものだと気付くのに三秒も必要だった。それだけ苛烈な悲鳴だった。早く助けなければ。
 絶叫が耳朶を打つ。惨禍な咆哮だった。それはフェイトのものだ。無事に会えたら、ちゃんと抱き締めてやらないと。
 研ぎ澄まされたクロノの思考回路は、まずはリインフォースを観察する事を選択する。

「リインフォース」

 平衡感覚を簡単に失ってしまう濃密な闇が広がる空間に、彼女の名が響き渡る。

「質問を変える」

 リインフォースの瞳に変化が起こる。赤い双眸に宿った感情は、興味と好奇心。

「はやては……どうした?」

 今度は表情が変わった。それも一瞥で見抜けるほどに歴然としたものだ。
 自分達の事での問答がリインフォースに対して無意味なものであるのは、喉を痛め付けて、怒鳴るように聞き続けた結果で分かった。
 徹底した無視だった。
 いや。クロノはかぶりを振り、己が考えを否定する。
 リインフォースは質問の意図が分からないのかもしれない。彼女――色素を薄くしたような、色褪せた写真を連想させる蒼髪のリインフォースから高度な知性を感じ 取る事ができなかった。
 物心がつくか否かの子供。見た目こそ二十歳に手が届くかどうかという過去のリインフォースそのものだが、仕草や表情は遥かに幼稚だ。理性が空虚な印象もある。 本能や感情、より動物的な思考に従って動いている。システムの暴走が起こっているとしか思えなかった。思考を先鋭化させたクロノはそう結論する。
 生を受けて半年も経過していないリインフォースが本能に従って動くとすれば、一体何の為だ。誰の為だ。そもそも、ユニゾンデバイスたる彼女は誰に生み出された。
 答えは簡単だった。

「……君の大切な家族……八神はやては、どこにいる?」

 リインフォースは虚を突かれたように表情を強張らせた後、無理矢理に笑った。健気さすら感じさせる作り笑い。

「マイスターはクロノが好きだったんです」

 色素の薄いリインフォースが初めて語った言葉が、クロノの表情を略奪する。

「クロノも、マイスターを守って、マイスターの背中を支えて、マイスターの背中を押してくれると約束をしてくれました」

 稚拙な舌が放つ言葉、その一言一言が、鋭利な槍となり、クロノの心を何度も射抜く。

「それなのに、クロノはマイスターではなく、別の人を選びました」

 あの時の決意と誓いに偽りは無い。絶対に無い。そう断言できる。
 でも、それよりももっと大切なモノができてしまったのは事実だ。
 英雄ではないクロノに、すべての約束を忠実に死守し、誰彼構わずに平等に手を差し伸べる事はできない。順位をつけなければならない。
 金切り声がする。集中が断絶され、視野と意識が映像の一つに強奪されてしまう。

「リイン! やめろッ!」

 怒号を、しかし、彼女は聞き入れなかった。
 白髪の幼いクロノが操る灼熱の刃がフェイトを切り刻む。外套を羽織るようなインパルスフォームはすでに原型を失っていた。
 血と埃と土で汚れ、水飛沫を蹴散らしながら濡れた石畳の地面を転がる。痛みに身体を縮める十二歳の満身創痍の少女に、かつての自分が緩慢な足取りで近付き、 S2Uを振り上げた。降りかかる雨を水蒸気に気化させる炎属性の魔力刃が、ツインテールの金髪の片方を両断する。飴色の落ち葉が舞い、突風がそれを攫って 海に散りばめた。

「リィィン――フォォォスゥゥゥッ!!!」

 今度こそ、喉から血の味が滲んだ。
 断末魔の慟哭を前にしても、リインフォースは儚げに両眼を伏せるだけだった。
 もがく十七歳のクロノ。自力では脱出できないと分かってはいる。だが、そんなものは関係無い。
 一番に大切な少女が陵辱されている。それを傍観するしかできない無力感に、自分を殺したくなる。
 惨禍な暴力を前に、フェイトは擦過傷と裂傷まみれの顔を無表情にしていた。抵抗する意思どころか、生きる意志を破棄しているようにさえ感じられた。それほどまでに この白髪のクロノの記憶は忌むべきものだったのかもしれない。
 無抵抗の少女の左手を掴んだ白髪のクロノは、身に付けられていた補助装甲を圧壊する。過負荷に耐えられず、爆発を起こり、左腕が黒煙に包まれた。眼を血走らせ、 見開き、一房だけとなった金髪を振り乱して泣き喚く。

「フェイト……フェイトォッ!」

 もう見ていられなかった。だが眼を背ける事は許されない。もう一つの映像――なのはも混迷と凄惨を極めていた。
 レイジングハートは半壊した末に地面に転がっていた。排気ダクトの片方がもぎ取られ、配線と構成部品をぶちまけて沈黙している。中枢機能を司る赤い宝玉に輝き が戻る素振りは無い。
 丸腰となったなのはは、それでも魔法の術式を構築していた。しかし、その処理速度も構築能力もレイジングハートを失っている以上は従来の高い精度を望むべくもない。 何より、対ミッド式魔法用に防御機能を充実させたレイン・レンが相手なのだ。制御解放する遠隔誘導魔力弾はすべて蹴りで撃墜され、砲撃は防御魔法で弾かれる。
 直後、嘲笑の笑みを浮かべた白衣の狂人は、手足も伸び切っていない少女の顔面に踵を叩き込む。脚を戻す動作よりも早く右手を突き出し、吹き飛ばされるなのはの襟首を掴んで 別の方向へ膂力のみで投擲。その先には高密度ポリエチレンで作られた貯水タンクがあった。
 硬い金属を殴るような重い音が鳴る。背中から銀色のタンクにめり込んだなのはは、その瞳孔を一気に開いた。後頭部から流血。破裂した水風船のように赤い液体が 噴き出る。片腕の関節が一つ増えており、無事な腕は幼馴染の少年の首から上を抱えて離そうとしない。
 動かないなのはに、レンは奇声を上げて跳躍する。生半可な砲撃魔法よりも強力な膝蹴りを十二歳の少女の腹部に叩き込み、身じろぎをし、風を切る回し蹴りを放つ。
 破壊された貯水タンクの水を全身に浴びたなのはは、ゴミのように地面に落下した。

「なのはぁッ!」

 二人とも、すでに致命傷の域を超えている。それなのに死亡する兆しは無かった。フェイトも、なのはも、蟲の息だが生存している。
 破滅的に高レベルの幻覚魔法で現実のような夢を作り、そこで弄んでいるのだ。五感すべてが機能するそこでは、死ぬに死ねない。文字通り、生き地獄状態だった。

「フェイトは関係ないッ! なのはもだ!」
「知っています。これはリインからクロノへのおしおきです」

 至極当然のようにリインフォースが答える。その表情に罪の意識は無い。それはそうだ。すべてに於いて主である八神はやてが優先されている現状の彼女は、それこそ 主の願いを成就する為に見境を無くしている。妨害者は踏み倒す事に些かの躊躇いも覚えないだろう。

「だったら尚更僕を……!」
「フェイトさんは、クロノにとって一番大切な人です。だから、こうした方がクロノには良いと思いました」

 絶句で言葉が出て来なかった。

「なのはさんは巻き添えでしたが……フェイトさんと一緒に餌にさせていただきました」
「……アルフは、どうしたんだ……?」

 訊ねる声が震えていた。

「別の空間で捕縛済みです。保険代わりです。でも、フェイトさんがこのまま行けば、アルフさんも衰弱してしまうでしょうが」

 世間話でもしているかのようだった。リインフォースは微苦笑を浮かべると、クロノの前へとゆっくりと移動する。
 見境が無さ過ぎる。純粋過ぎるが故に、主への感情と思いが強固過ぎだ。はやて以外の言葉は、どんなものでも決してリインフォースには届かないだろう。

「はやてを……はやてを大切に思うのならやめろ!」
「大切に思うからしています。これはマイスターの願いなんです」
「こんなものがはやての願いであって堪るかぁッ!」
「いえ、願いです。願いを叶える為に必要な工程なんです」
「ふざけるな! 誰かを犠牲にするなんて、はやては絶対に考えない!」
「そうです。でも、こうする事でマイスターの願いは叶いやすくなります」

 訳が分からない。リインフォースの言葉には肯定と否定が入り乱れている。まるで意思の無い昆虫と会話をしている気分だった。
 苛立ちが募る。冷静であれと囁く理性的な自分がどんどん思考の隅へと追い遣られて行く。

「マイスターは、今もクロノが好きなままなんです」

 氾濫した感情が一斉に吹き飛ぶ。

「必死に自分の気持ちを抑えてるだけなんです。知ってるんじゃないですか、クロノ。その事を」
「………」
「クロノとフェイトさんが仲良くしてるのを、マイスターはいつも見てました。クロノがいなかった二年間で何度も忘れようとしていたみたいですけど、やっぱり 無理だった」

 はやてが自分に対して淡い感情を残滓のように残している。その事実に、クロノは薄々とだが気付いていた。
 気付いてはいたが、何もしなかった。約束を守れなかった罪悪感に苛まれながら、その解決を先送りにしたのと同じように、何もしなかった。
 はやても、クロノの決断を知っている。
 誰を一番に守り、誰を一番に救うのか。その決定を、はやては二年前のあの時に確かに聞いている。
 だから――理解してくれると思った。
 フェイトをずっと守るという決意を、彼女は分かってくれる。
 そう――願った。

「だから、私はマイスターはやての願いを叶えます。喩えどんな方法を選ぼうとも。それがユニゾンデバイスである私の使命」

 自分の口で、言葉で、はやての気持ちに応える機会は幾らでもあった。

「マイスターを傷付ける人を、私は許しません」

 二年前。
 服役する次元世界に護送されたあの日。
 フェイト達に見送られた時。

「そのつもりが無かったとしても……絶対に」

 はやては言っていた。初恋が失恋に終わった、と。
 それですべてが終わったと思っていた。しかし、それも自分に都合良く解釈しただけに過ぎなかった。

「後十分もすれば、フェイトさんもなのはさんも、悪夢に溺れます」

 分かっていたのに。はやての中に、まだ自分への好意が残っていると気付けたのに。

「そうなる前に、クロノ」

 彼女を傷付けるのが嫌で、交わした約束を破ってしまった罪悪感から逃げるようにして、視線を背け、口を閉ざした。

「マイスターを好きになって下さい」

 その結果が、自分達を襲っている悪夢。
 リインフォースが捧げ物を献上するかのような仕草でクロノの頬に手を添えて来る。氷にでも触れたかのような冷たさ。全身が総毛立ち、背中を電撃が駆け抜ける。

「そうすれば、マイスターは幸せになります。また……リインに笑いかけてくれます」

 その冷たい掌を振り払う事も、リインフォースの雪のように純粋な願いを否定する事も、クロノにはできなかった。
 誰が悪い訳でもない。仮に引鉄を引いた者がいたとすれば、問題を先送りにしていた自分だ。リインフォースは静かに悩み、笑顔を曇らせていたはやてに元に 戻ってもらいたいだけなのだ。
 どうすればいい。自問自答したところで答えが出るはずもない。

「時間がありません、クロノ。十分を切りました。これ以上はフェイトさんとなのはさんの精神が保ちません。壊れた二人に会いたいですか?」

 それは許容できない。何があろうと、クロノはフェイトとなのはを助け出さなければいけない。二人は巻き込まれただけに過ぎないのだ。
 リインフォースの要求を聞き入れるしかないのか。だが、それが根本の解決に繋がるとは到底思えない。眠っているはやてが現状を知れば、きっと悲しむ。娘とも 呼べるリインフォースが起こした事態だと知れば、悲嘆に暮れるだろう。

「フェイトさんとなのはさんを助けたくないんですか?」
「……助けたいさ」
「なら、マイスターに好きだって、そう言って下さい。友達ではなくて、女の子として」

 確かに自分は英雄ではない。二年前に犯した過ちと同種の罪をまた作ってしまった。
 それでも、一番大切な人しか守れない弱者であっても、眼に止まる者達――友達を救いたいと思う。
 強く、そう願う。

「……はやて」

 深呼吸の後、クロノは言った。眼を見開き、リインフォースの赤い瞳を射抜くように見据える。その先にある――彼女の中で眠っているはやてに語りかける。

「もし聞こえているなら……そのまま、聞いて欲しい」





 continues.





 続きを読む

 前に戻る






 □ あとがき □
 読んでいただきましてありがとうございました。
 やられてる描写がちょっとアレなのは、sts九話の影響です。やるからには徹底的に。
 リインが間接ヤンデレに(笑)。SCといい、ケインはヤンデレが好きな模様です。ええ、修羅場大好きです。アニメ版シャッフルの楓は、駄目な人には悪いんですが、 非常に大好きです。
 では次回も。




inserted by FC2 system