放たれる魔法は、どれも防御の難しいものではない。
 蒼天の魔導所の管制機能の半数は奪還できたが、ここがリインフォースによって構築された『闇の書の夢』の空間内である事に変わりはない。希少技能の古代ベルカ式魔法の中でも、特に複雑怪奇な術式構築と高度な魔力運用を求められる精神干渉魔法。
 この中ではリインフォースが絶対者である。どれだけ豊富な経験を持っていようと、高い魔力容量を持っていようと、何もかもが関係無い。
 それは、はやてすら例外ではない。攻性魔法を行使しつつ、掌握した管制機能から守護騎士システムにハッキングを仕掛けるが、双方がリインフォースに届く兆しは無かった。

「やっぱ借り物の魔法や無理か……!」

 桜色の砲撃も、金色の斬撃も、すべて弾き返される。リインフォースが構築する魔力防壁を突破するには出力不足。はやてが得意とする魔法形式は広域と遠隔である。直射や高速処理は苦手分野だ。守護騎士や強固な前衛に守られて初めて生きる攻性支援こそが八神はやての真骨頂とも言えるポジションである。
 将来はSSすら囁かれる多彩な才能にも得手不得手はある。それが今、彼女を苦しめる。ハッキングもリインフォースの補助無くしては、その速度は緩慢だ。

「マイスターは……独りじゃ、何もできません」
「っ……!」

 険を宿したはやてが身を翻し、術式を解放。再びミッドチルダ式。魔法光が鋭角な軌跡を描いてリインフォースに殺到する。
 クロノが得意とするスティンガー系統の射撃魔法だった。しかし、高い汎用性と優れた弾速を誇るスティンガー系統は高速処理と直射のスキルに依存する。広域スキルを追加して改竄しているが、はやてにとっては使えるだけの弾幕魔法に等しい。
 出力、操作、共に不足。蒼い魔弾はリインフォースの手前で砕けて霧散した。
 独りでは何もできない。その事実を、はやては肯定するしかなかった。噛み締めた奥歯が軋み、嫌な音を口内に木霊させる。
 父と母が亡くなった後、ヴィータ達が現れるまで、はやては孤独を友達に生きて来た。
 寂しいと思う感情を暴れさせない為に、誰かと必要以上に親しくなろうとしなかった。
 世話になっていた石田医師との間にラインを敷き、図書館で本を借りて読み耽り、他者を感じる事で胸を締め付ける孤独感に蓋をした。

「そうや……私は独りやと何もできん……寂しくて立てへんわ……!」

 六枚の濡れ羽根色の翼を広げ、リインフォースの懐へ飛び込む。
 射撃魔法が通用しないのなら、防御魔法に直接干渉して破壊する近接魔法を叩き込むまで。腰を落として胸に引き絞った拳にありったけの魔力を込め、術式構築。撃発音声と共に放つ。

「シュヴァルツェ・ヴィルクング!」

 華奢な拳が魔力防壁に突き刺さる。凄まじい衝撃。魔力と魔力が衝突し、磨耗し合う。余波は指向性の紫電となって周囲に撒き散らかされた。
 リインフォースの防御は予想したよりも遥かに堅牢だ。その身体どころか、防壁を支える腕すら動かせない。

「だからリインフォースが皆を――ヴィータ達を私にくれた時、嬉しかった! ずっと欲しいって思ってた家族を……リインフォースは私にくれたぁ!」

 シュベルトクロイツを投げ捨て、空いた掌を握り拳に変えて防壁を打撃する。一撃で手の甲を保護していたグローブがリインフォースの防性魔力に耐え切れずに消滅した。構わずに殴り続ける。もう片方のグローブも虚空の中に消え、防壁に一撃を加える度に身体は虚脱感に蝕まれた。体内どころかリンカーコアに貯蔵されている魔力が湯水のように消失して行く。

「ヴィータ達が来て、私は満たされてた! 友達もできて、学校にも行けるようになって、やりたい事もできた! リインフォースを助けてあげられへんかったけど……! 私は今幸せやぁ!」

 幸せを知った。家族や友達の暖かさを知った。だから我侭になった。

「これ以上何か欲しいって言ったら罰が当たる! 天国のリインフォースに怒られる!」

 クロノは世界で一番守りたい者として、フェイトを選んだ。あの子の愚直なまでの想いに応えた。
 なら、そこに一石を投じて波紋を広げるような真似はしてはならない。その健気な決意を見守るのが一度でも好意を抱いた自分がすべき事ではないのか。
 彼は優しい人だ。その揺るぎない意思を貫く強さも、優柔不断と言い換えられる優しさが時として障害物となって邪魔をする。
 それを知っているのなら尚更だ。自然消滅に終わったように思える恋心には、自分で決着を付けてクロノと『友達』にならなければいけない。
 辛さは、どうしても拭えない。でも、大切な人の手をずっと握っていたい想いは、はやてにも分かる。
 脳内の擬似魔力回路が絶叫する。シュヴァルツェ・ヴィルクングを限界出力で解放。同時に攻性防壁に守られている守護騎士システムへの強制干渉を実施。

「暖かい家族が四人もいて……そこに……そこに!」

 はやてが海よりも深く愛し、その幸福を願える者達。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。世界で一番大切な者が四人もいるのだ。これ以上どうやって増やせと言うのか。
 いや――ここ数ヶ月、五人目が加わったばかりだった。生まれたばかりの女の子だ。好奇心旺盛なのに泣き虫で、底無しの甘えん坊と来ている。
 八神はやてに家族を与えた最高の魔導書の名と魂を継いだ彼女の名は――。

「祝福の風リインフォース――ツヴァイッ! あなたが来てくれたぁ!」

 流血する拳を解いて、防壁に喰らい付く。皮膚が裂けて、砕かれた爪が頬を掠めた。魔法光で溢れて視界を支配する。

「クロノ君が言うとったやろ! クロノ君がフェイトちゃんが一番大切みたいに、リインは私を一番大切に思ってくれてる!」

 指が焼けて行く痛みが脳を好き勝手に殴る。さらに、感覚を失いつつあるリンカーコアが肋骨や臓器を圧迫するような鈍痛を発した。視界すら保てなくなる。
 それでも、はやては光の先へと語りかけるのを止めようとしなかった。

「私もそうや! リイン! シグナム! ヴィータ! シャマル! ザフィーラ! 皆が一番大切やぁ!」

 矛盾しているかもしれない。皆が一番大切なんて。
 それでも、はやてにはクロノのような決断は絶対にできない。誰か一人を選ぶなんて不可能だ。
 誰一人欠ける事無くこれからを歩み、リインフォース――初代が刻んで来た罪と罰を背負う。そして、いつかは掴めるだろうささやかな幸せを皆で享受する。
 本当に我侭になったなと自嘲したくなるが、きっとこれ以上の我侭なんて一生言うまい。
 だから、この我侭は最後まで押し通す。何があろうと。その為に我慢しなければならない事があるのなら眼を伏せよう。
 猛烈な魔力の突風が帽子を吹き飛ばした。衝突の余波が騎士甲冑を破壊して、六枚の翼は引き裂かれるように消えて行く。それに伴って、意識も揺らぎ始めた。魔力の枯渇が数秒先に迫っている。もうすぐ膝を折る。

「くぁ……ぁああ……!」

 歯を食い縛り、身体中を駆け巡る痛みに耐える。血が滲み、舌の上を鉄の味が転がった。
 指の感覚はとうに無くなった。冷静な自分が魔力枯渇までのカウントを始めている。

「それでも引かへんで!」

 愛する家族にこの思いが伝わるまでは、八神はやてに後退の二文字は無い。
 衝突する攻性魔力と防性魔力の摩擦が眩い光となって視界を遮り、痛みと衝撃と虚脱感は漸増して来る。

「引いて……倒れて……堪るもん、かぁ……! 私の気持ちが……通るまで……伝わるまでぇ――!」

 願いとは裏腹に、独力では拮抗すら保てなりつつあった。
 拳をぶつける事でしか思いを伝えられないのに、その拳を作る握力すら枯渇が迫っている。
 駄目だと思うな。絶望を覚えるな。この先の人生でも決して言わないだろう我侭を突き通さなければならないのに。届くまで、伝わるまで、空に帰ったリインフォースの罪と罰を一緒に背負って――いくのだろう!

「独りで背負うのは僕達の悪いところじゃなかったのか!?」

 耳元からだ。すぐそこからだった。身体が僅かに軽くなり、リンカーコアの異音が納まった。誰かが負荷を肩代わりしてくれたのだ。
 横を振り仰ぐと、

「ク、クロノ君……!?」

 黒髪の彼が、鼻先が擦れ合ってしまうほどの距離にいた。膂力も魔力も失う寸前のはやての腕を支え、額とこめかみに汗をびっしりと滲ませていた。それははやての魔力的過負荷の大半を肩代わりしている証左だった。

「私もいるよ?」
「フェイトちゃん!?」

 クロノの足元だ。そこで片膝をついた満身創痍の親友が、残された魔力を振り絞り、二人を守る為の魔力防壁を構築していた。薄い金色の皮膜が全員を包み、魔力の衝突の余波から少女達を守る。

「あかん! そんな状態で魔法使ったら、元の空間に戻った時の反動が……!」
「それははやても……同じ、だから。それに、私達だけじゃない」

 さらに身体が軽くなる。淡い桜と翠の魔法光が傷だらけの拳を抱き、今にも崩れ落ちてしまいそうだった膝を支えた。

「なのはちゃん! ユーノ君!?」

 見間違うはずもない。クロノ達とは反対側の方向に、互いに肩を貸し合っている二人の親友がいた。放出されている魔力は、一握り。二人の疲弊のほどは計り知れなかった。

「遅れてごめん!」
「何とか間にあったかな……!?」
「どうして……!」

 徐々に活力を取り戻して行く身体に、はやては愕然とする。もはや何の圧迫感も感じられないのは、この四人がすべてを引き受けてくれたからだ。こんな傷だらけの身体で。この世界で受けた身体的損傷は、現実空間に於いて精神的損傷に変換される。クロノやユーノはまだしも、それぞれが抱えていた心的外傷に蹂躙されていたなのはやフェイトは――。

「緩めるな!」

 リインフォースとの拮抗を解こうとしたはやてを、クロノが叱責する。

「だけど! このままやと!」
「はやてちゃん、止めちゃ駄目!」

 そう叫ぶなのはは、折れた腕を庇おうともしない。

「思いを……家族に伝えるんだよね! だったら伝わるまで止めちゃ駄目!」
「ここで諦めたら、あの冬の日と同じになるかもしれない。私もなのはも……もう、あんな悲しい旅路を見送りたくない。だから……!」
「僕らの事は気にしないで! 最後までぶつけるんだ!」

 感覚を失っていた拳が、少しずつ前に進んでいく。重く分厚い壁を殴っているという感覚はすでに無い。

「――っ!」

 いけると確信が生まれた。防壁さえ突破できれば、無防備となっているだろうリインフォースへ肉薄、精神をダイレクトに繋げられる。それで守護騎士システムを始めとする主管制を奪還して、然るべき後にリインフォースのシステムを強制休眠させて事態収拾も可能だ。
 でも、それは物理的な事象に過ぎない。はやてが愛し、そして愛されている蒼天の少女を力でねじ伏せる結果になる。
 それで良いのか? そんな自問自答はやるだけ無駄だった。
 思いを伝える。最後までぶつけて、貫き通す。ここに駆けつけてくれた親友達が身体と言葉を使って教えてくれたではないか。

「クロノ君!」

 はやての拳の先を見据えたまま、彼が肯く。
 少女を支えながら、クロノは拳を作り、同じ場所に叩き込んだ。
 衝撃が全員の身体を貫く。内臓を直接揺さぶられるような衝撃。網膜が吹き飛んでしまう錯覚。

「リイン! 聞いてくれ! はやては一人しか守れない僕とは違う! この子にとって、世界で一番大切なのは『家族』だ! 君やシグナム達だ! 愛する君達を誰も欠かさずに、皆で必ず幸せを掴むだろう! それだけの強さを、君の大好きなはやては持っている!」

 ――戻って来てから、クロノは時々自身を卑下するように『僕は一人しか守れない』と口にしていた。
 確かに、人はそれを『弱い』と指差すかもしれない。大切なヒト以外は閑却して軽視していると蔑むかもしれない。きっと彼もそういう意味を込めて自分と『弱い』と評価している。
 はやてはそうは思っていない。いや、きっとクロノ・ハラオウンを知る者ならば全員がそうだろう。
 世界で一番に守りたいヒトを見つけた。
 そのヒトを守る為ならば、世界を敵に回す事も厭わない覚悟を決めた。
 果たしてそれを、『弱い』という一言で切り捨てられるだろうか。
 何より、自分の弱さを認めた人間を『弱い』と断言できるだろうか。
 ――多分、否だろう。
 不器用で、ぶっきらぼうで、でも優しくて強い。かつての恋敵が頬を朱色にして、惚気話の最後をいつもそう言って締め括る。ずっと前から分かっていた事なのに、何故かとても新鮮な気持ちで実感した。
 肩を掴んでくれているクロノの手が暖かい。その温もりにずっと浸っていた衝動に駆られるが、もどかしさは無かった。これが終われば、きっと笑顔で彼の手を解く事もできる。

「僕は友達として、これからのはやてを見守る! でも……! 一番にはやてを守るのは君だ、リインフォース! 夜天の魔導書の名と魂を継いだ君の……役目だ!」

 拳の先で何かが崩れる手応え。衝突する先を失った力は一斉に解放される。魔力が暴れ、あらゆる方向に閃光となって霧散した。
 身体の感覚が一瞬で吹き飛ぶ。クロノ達の気配も刹那の間に消える。一度に沢山の不安が頭の中でひしめき合う。それははやてにとって、ささやかな事だった。

「……せや、私の事守って、リイン」

 守って、守られて。
 支えて、支えられて。
 それが――『家族』。
 だから守られるだけでは駄目だ。駄目なんだ。その想いを叫びに変えて、放つ。

「私に守らせてやぁ! リインフォースゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」



 魔力防壁が破られても、リインフォースの身には何も起きなかった。
 少年と少女の拳はいつまでも来ない。
 届いたのは、彼らの言葉と思い。
 それに答える事はできなかった。
 愛する主の思いも願いも、分からず、そして知らずに生まれてからの数ヶ月間を過ごしていた訳ではない。惜しげもない愛情で胸はいつもいっぱいだった。だから笑わなくなったはやてに、もう一度笑って欲しかった。
 この夢を解けというはやての言葉に頑として首を縦に振らなかったのは、ただの意地。子供の心に理性を求める方が間違っている。
 暴走して蒼天の書を起動させる直前に見たはやての記憶や思いは、子供のささやかな理性を破壊するには十分過ぎたのだ。そしてユニゾンデバイス――融合騎の特性も重なってしまった。元々運用には安定に欠けるデバイスがユニゾンだ。歯止めが利かなくなるのも無理は無かった。
 夢が、解ける。構築されている術式に修復不可能な綻びが生まれている。放っておけば自然消滅だ。
 心で思うのは、愛する主への謝罪。
 巻き込んでしまったクロノ達への罪の意識。
 瞼は重く、思考は濃霧のように纏まらない。それが眠気から来るものであると自覚するまで数秒で事足りた。その粘り気のある泥のような睡魔の正体は、魔力の枯渇によるもの。もう意識を保つのも困難だった。
 そんな境界線に立った時だった。
 誰かが――語りかけて来る。
 苦心の末に眼を開く。

「―――」

 側にいたのは、黒い服を着た銀髪の女性。
 自分と、リインフォース・ツヴァイととても良く似た容姿。
 不思議だった。懐かしさが込み上げて来る。生まれて数ヶ月というリインフォースが感じる事は無いだろう、海よりも深く激しい懐かしさだ。
 紅い眼を薄っすらを細めて、女性が言った。
 主を守れと。
 守護騎士達と共に戦えと。
 主の笑顔を曇らせようとする害悪を打倒しろと。
 彼女達が主と築く暖かな『家族』から誰一人欠ける事無く、幸せを掴めと。
 そして、幸せに――生きて、欲しいと。

「――あなたは――誰、ですか?」

 そんな疑問に女性は微笑で頬を柔らかくするだけで、何も答えない。
 でも、その言葉を胸に仕舞う事はできた。
 主と共に生きる融合騎として。
 その本当の幸せを願う者として。
 家族として。

「――あ、なた、は――」

 自分がようやく知り得た事を、この銀髪の女性は何故知っているのか。
 訊ねても答えは無く、リインフォースの意識は境界線を越えて闇に溶ける。
 その女性の名を知ったのは、この出来事からずっとずっと後だ。
 そう、これより八年後余り未来――。






魔法少女リリカルなのは SS

Snow Rain

♯.8





 何て事は無い、平日。空は西日に深く傾くまで布団を干しておいても問題なんて無い、乾いた薄い青。時々群れからはぐれたような雲が風に漂っているだけだ。
 そんな日に、クロノ・ハラオウンは執務官補佐を有給を取って休んだ。復帰して間も無いので普通なら渋面の一つも返されそうだが、そもそも受理する人間のリンディはそんな閉塞的な人間でない。
 一日の有給を得たクロノは、午前中をテイクアウトした仕事で潰し、昼を過ぎた辺りでマンションを出た。先日フェイトと出掛けて買って来た薄手の黒いジャケットが丁度良い陽気だった。
 向かった先は良く知る少女の家。少々の徒歩の時間を特に何も考えずに進む。
 彼女の家が見えて来ると、竹刀袋を提げたシグナムと、ゲートボールのスティックを肩に担いだヴィータと鉢合わせした。何となく興味を惹かれたので眼を眇めて注視してみると、そのスティックが紅の鉄騎の唯一無二の相棒――偽装されたグラーフアイゼンだと看破できた。さすがにシグナムの竹刀袋にレヴァンティンは入っていなさそうだ。
 はやて達からもそれとなく言われているはずなのに、赤毛が目印の活発元気娘は、ご近所の老人会が週一で行われているゲートボール会でも鉄の伯爵を頑として手放さない。古代ベルカの魔導技術の結晶たるアームドデバイスを雄々しく背負って老人会に参加。情けないやら恥ずかしいやら、そんな複雑な感慨が浮かぶ。
 ――初代リインフォースが見たら、きっと苦笑するだろうな。

「おー、クロノ」
「ああ、今日でしたか……何を笑われているのですか?」
「いや、何でもない」

 堪え切れずに苦笑するクロノに、二人は不思議そうに眼を瞬かせる。
 外行き用にちょっとだけ身形を成長させたヴィータ――守護騎士が八神家に来てから三年は経過している。ヴィータも十歳前後の身体に成長していなければ、いくら孫を見る眼で彼女を見守っている老人会の方々も違和感を覚えるはず――が、気持ち悪い奴だなと口を尖らせて家の玄関を指差した。

「はやてなら病院から戻って待ってるぜ」
「ああ、そろそろだと思って来たんだ。リインも?」
「ええ。朝からはしゃいでいます。今日はしっかり頼みますよ、クロノ」

 シグナムは、遠い地へ旅行に行く友を見送るような語調だった。
 もちろんクロノにはそんな予定は無い。今日ははやてとリインの三人で海鳴商店街の奥地に足を伸ばすだけだ。

「頼むも何も、別に遠出する訳じゃない。お茶を三人で楽しみに行くだけだよ」
「次あたし達も連れてけよー。あのじいさんの自家製アイス、ギガウマだからさ」
「ああ、日が合えばな」
「おし! 忘れんなよ?」

 それから二、三言葉を交わして、ヴィータとシグナムは出掛けて行った。
 小さくなる二つの背中を見送ったクロノは、軽い緊張を覚えつつ、インターホンを鳴らす。応答してくれたのはシャマルだった。
 程なく扉が開いて、二人の少女が穏やかな日差しの中に出て来る。手を繋いだその姿は仲の良い姉妹。でも、やはりクロノには幼過ぎる母子にしか思えない。あの出来事の後なのだから、その感慨は余計に濃い。
 三人は軽い世間話を時間潰しにして、短くも長い道のりを歩き始めた。

「なのはちゃんとフェイトちゃん、二週間で退院するって駄々捏ねてるって聞いたんやけど……?」
「駄々というか我侭というか。できれば検査も含めて一ヶ月の入院って話だったんだが、二人ともそれじゃ仕事も学校も困るって聞き入れなくてね。まぁそういう事になった」

 それが、あの事件から一週間ほど経った今、クロノの頭痛の種になっていた。現実空間に戻った瞬間に、なのはもフェイトも即座に意識不明の重体。クロノ自身もユーノ共々精神薄弱状態になって、そのまま本局の医療局本部に担ぎ込まれた。アルフもフェイトとの精神リンクの都合上、主と変わらぬ状態だった。

「……そか。でも後遺症とか残らんで良かった。会いに行くと、二人とも何か凄く無理して平気そうな顔するから」

 はやてはリインフォースを抱いた姿で自室にて発見された。医療局の検査ではまったくの健康体という診断結果を出されて、守護騎士システムもすぐに稼動を再開した。

「学業に管理局。日頃から過密気味なあの子達には丁度良い休暇さ。それに無理もしていない。運動はまだ難しいらしいが、普通に身体を動かす分には大丈夫だ」

 リインフォースはマリエル技官や復帰したユーノがフルメンテを行ない、あの暴走の原因を追究したが、今も特定されていない。システム上に列挙された暴走の原因候補が数えるのも馬鹿らしくなるほどの量だったのだ。
 本局の一部上層部からは融合騎の危険性や闇の書事件の再発等を危惧する発言が出たが、逆に融合騎という特異性・特殊性が八神家からリインフォースを守った。現存して稼動しているオリジナルの古代ベルカ式融合騎は存在自体大変な価値がある。今後の為にもリインフォースはシステム凍結を見送られ、しばらくの間は八神はやて共々管理局の任務から遠のく措置が採られた。
 おどけて見せるクロノに、はやては曇らせていた表情を少しだけ綻ばせる。この聡明で心優しい少女が、あの事件で責任を感じないはずが無い。

「……それやと、なのはちゃんはまだしも、フェイトちゃんとか退屈やね」
「ああ。だから半日はあの子の病室で仕事してる。執務官命令、だそうだ。職務乱用だよ、まったく。なのはも仔犬フォームのアルフも一緒だから、本当に退屈しないで済んでる」
「……この前お見舞いに行った時に思ったんやけど、何かそれ楽しそうやね」

 リンディやレティ達の根回しが無ければ違う結末になっていたのかもしれないが、ともあれ、今の八神家には平穏無事な空気が流れている。その中心にいる蒼髪の少女も、また。

「そうですよ〜。入院してるのに、フェイトさんもなのはさんも何だかとっても元気そうでした。いつもよりずっと撫で撫でしてくれましたし」
「それはリインがええ子にしとるからや。悪い子になると、なのはちゃんがこわ〜い悪魔になるで、気ぃつけや」
「管理局の白い悪魔ですね! 望むところなのです!」

 リインフォースが勇ましく腕まくりをして、鼻息を可愛らしく荒くする。
 あの出来事を、融合騎の少女はかけらも覚えてはいない。システムを復旧して再起動させた後、夢を見ていたとマリエル技官に言ったらしいが、それも暴走の一つの後遺症ではないかと考えられている。だが、記憶に無いのは幸運だろう。どういう経緯にしろ、実行犯的にはやて達を苦しめたのはリインフォースだ。感受性豊かな彼女が、命よりも大切な主を苦悩させ、なのはやフェイトを壊す寸前まで追い詰めたと知れば、きっと笑顔を凍らすに違いない。そんな事は誰も望んでいなかった。
 緩やかな商店街の情景が脇へと流れる。目的地はそんな商店街の最果てにある。大きな川と橋を挟めばベッドタウンが眼と鼻の先に広がっている場所だった。
 派手さの無い落ち着いた外観。一昔前の古びた洋風の佇まい。質素という言葉が何より似合う喫茶店だ。
 リインフォースが子供らしい歓声を上げて入り口に飛び付いて店内へ駆け込む。彼女はここに来るのが初めてではなく、何度もはやて達『家族』と来ていたそうだ。
 リインフォースを追いかけて扉を開ける。ちりん、と二年前と変わらない鈴の音色が耳朶を打った。
 店内もまったく変わっていない。ニス引きをしたような外観の樫の木の壁。天井でゆったりと回転している巨大な送風機。カウンターの片隅に置かれた年代物のラジオからは小気味の良いジャズ音楽が鳴っている。
 そうした諸々も、がらんとした店内も、あの時と変わらない。カウンターでコップを磨いている長身の初老も、だ。首の後ろで束ねた銀色と見紛う白髪も、同じ色の口髭も、そのままだ。人生の頂上をとうに過ぎて下山すら終え、残りの道を思うように歩いているような雰囲気を漂わせている彼は、カウンターで瞳を輝かせているリインフォースの頭を、皺だらけの掌で撫でていた。
 初老は、はやての側に立つクロノを認めても特に驚くような様子も見せなかった。

「久しぶりだね、クロノ君」
「覚えていらっしゃるんですか?」
「こう見えて記憶力には少々自信があってね。それに、はやてさんが来る度に君の話をしてくれたから。それは覚えるさ」

 得意げな様子で、初老のマスターが笑った。反射的にはやてへ視線を移すと、彼女は薄っすらを頬を朱色にして、とことことリインフォースの保護に逃げている。
 なるほど。クロノがここにいない間にもはやてはここに通い、彼の話題で盛り上がっていたのだ。そこにリインフォースが加われば、話の種は尽きまい。

「さぁ、オーダーはどうする? はやてさんとリインさんは?」
「リインは自家製アイスです!」
「私はいつものでええです」
「僕はトーストセットで」

 銘々に告げて、三人は窓際の席に座った。僅かに西に向かう陽の光が窓から差し込み、外を眺めているリインフォースを暖める。
 二年前と、同じ席。でも、あの時と違う。かつては車椅子生活を送っていたはやて用に、片方のソファを改造されていた特等席は、彼女が自分の足で立って歩き始めた事でその役目を終えていた。

「相変わらずいい店だな」
「私がお父さんとお母さんと来た頃から何も変わってへんからね。二年や三年で変わらへんよ」

 そう、変わらない。この店は外観も内装も雰囲気もマスターも、何もかも変えていない。
 ただ、クロノは変わった。コンプレックスだった身長が土の栄養を吸い上げてすくすくと育つ樹木のように伸び、顔からも幼さが完全に抜けた。そうした外見だけではなく、物事の考え方も、それらを捉える眼も、変わった。
 テーブルを挟んで向かいに座っている少女には、まだ顕著な変化は無い。元々下手な大人より遥かに達観していたし、きっと様々な人生経験を経ても本質は揺るがないだろう。
 それでも少しずつ変わる。人は、変わって行くものだ。
 でも、自然には変わらない。人が変わるには必ず何かの外部要素が必要だ。それ一つで、人は良くも悪くも変わる。それを成長と讃えるか否かは他人に任せるしかない。
 その中でも、変わろうと、変わりたいという意思を持つのは当人だけだ。成長したいと願う者だけなのだ。
 クロノは言葉を選ぼうとしなかった。事前に何を言おうか、そんな予行練習もしてこなかった。そもそも、告げなければならなかった事の殆どは、あの夢の中で告げている。ありのまま、頭の中にふっと浮かんだ言葉はその時の残滓に過ぎない。とても大切な、残滓。

「はやて」

 呼ばれた彼女は、はしゃぐリインフォースを横に座らせて一息をついているところだった。

「ありがとう」

 こんな僕を好きになってくれて。
 二年前のあの時、世界で一番守りたい家族を傷付けた僕を許してくれて。
 そんな、『ありがとう』だった。
 クロノの言葉の意図が分からずに小首を傾げるリインフォース。無邪気な仕草。
 はやては少しだけうつむいた後、歳相応の微笑みを浮かべて、クロノを見た。

「どういたしまして、クロノ君」

 悲しみも、苦しみも、何も無い笑顔。眩しいものを見たかのように、クロノは眼を細める。
 二人はまた変わって行く。かけがえの無い友達としての関係を気兼ね無く築いて行く。
 お互いに大切な人を抱いて。その手を繋いで。
 それからすぐ、マスターがオーダーの品を持って来た。





 fin





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 □ あとがき
 という訳で実は連載初めてから一年近く経ってました。
 最初は何かの弾みで『外見アインで中身ツヴァイのリインフォースvsクロノ』みたいな図式でSC後を書き始めたのですが、書けない時期があったりサイト自体更新止めたりで、 やたらと時間がかかってしまいました。結果として書き始めた頃の感覚を完全に忘れていて、かなり二転三転する内容になってしまいました。いや、情けない。
 せめてもと、web版SCでのクロノとはやての関係、リインフォースとはやて、リインフォースとクロノ、その辺りは何とか纏められたかなと思います。
 ここまでお付き合い頂いた方すべてに感謝を。





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